三原じゅん子参院議員(56)が、菅内閣の厚生労働副大臣に就任した。10年の参院選(比例)で初当選して2期、10年目での快挙である。過去にも、女性閣僚の目玉として、その名が挙がったこともあったが、身体検査に引っかかっていたとの説もある。ならば、改めて、じゅん子先生の来し方を振り返ってみよう。

〈昭和39年9月13日、私は東京都板橋区にある都立豊島病院で生まれました。赤ちゃんの時の私って、とにかく小っちゃかったそうなの。顔も小っちゃくて、とても可愛かったんですって。〉(註:以下、引用に関しては改行を省略)

 とは、1980年に出版された三原の処女作「片恋いのラブレター あなたに伝えたい」(KKベストセラーズ)の本文冒頭である。この前年、「3年B組金八先生」(TBS)の第1シリーズに、山田麗子役で出演したのが彼女だった。茶髪の聖子ちゃんカット、ロングスカートの制服に腕まくりという、ツッパリを演じて人気者に。リンチシーンにおける「顔はやばいよ、ボディーをやんな、ボディーを!」のセリフは、今でも語り種(ぐさ)となっている。その後、アイドルとなっても、ツッパリ路線を貫いていく。

 だから、この著書も他のアイドル本とはちょっと様子が異なる。小学校時代は〈人見知りな女の子〉である反面、〈とにかく喧嘩っ早い女の子で有名〉だったそうで、その暴れん坊ぶりときたら〈小学校4年になった時には、女の子では私に逆らう子は1人もいなくなったほどです。私がみんなを従えて、1日1人の割で男の子を殴って泣かしてた〉という。小学生のときから山田麗子だったのだ。

 その後、私立中学へ入学したが、芸能活動が認められていなかったために区立中学へ。

山田麗子そのもの
〈初めて近所の学校へ通うことになったんですけど、みんな顔見知りの子でも、私は生意気だって嫌われていたから、友達なんか1年間ぐらい出来なかったの。(中略)転校して、友達もいないし、一人ぼっちで、真面目でいるっていうことは、私にとってちょっときつかったの。〈もういいや、ツッパってやろう〉そう思ったの。志村一中は、真面目な子ばっかりだったから、すごく目立ってた……。スカートを長くして、カバンはペッタンコ。授業中も腕組んで、足組んで、ふんぞり返って聞いてたの。言ってみれば、『金八先生』の山田麗子みたいな感じでした〉

 高校は、都立代々木高校を受験するも不合格。明大付属中野高校定時制に入学した。ちょうど、その頃に書かれたのがこの著書で、〈今は高校を何としてでも卒業したいと思っています。試験にはカンニングがつきもの。絶対に卒業したい! こんなこと書いちゃいけないかな。でも、先生が読むわけでもないもの、いいんじゃないかしら。それに、もし読んだって、笑ってみのがしてくれますよね、先生!?〉とあるのだか、結局、退学したようだ。

 80年9月、「セクシー・ナイト」で歌手デビューを果たす。他のアイドルと一線を画す雰囲気は“ポスト百恵ちゃん”と呼ばれ、デビューシングルは30万枚以上を売り上げた。

 ところが、その後、彼女の話題は、男が中心となっていくのだ。出演した「ザ・ベストテン」(TBS)で、“恋人がいる”宣言。12月には“ケーキ屋ケンちゃん”こと宮脇康之との交際宣言をするものの、長くは続かず破局。

 続いて「金八先生」第2シリーズの不良役(松浦悟)を演じて人気となった沖田浩之、さらに巨人軍の水野雄仁選手とも浮き名を流し、10代にして“恋多き女”の称号を得た。ただし、宮脇と沖田について彼女は後に「男女の関係はなかった」と言っている。

 そして、この次がミュージシャンの立川利明だ。87年4月2日未明、豊島区の路上で2人してタクシーを降車したところを、写真誌「FRIDAY」が激写。これに激昂した2人は、

〈「フィルムを出せ」といい、ひざげりをするなどして乱暴。さらに三原は今井さんがカメラを抱えて路上にうずくまっているところへ、馬乗りになり、髪の毛をつかんで頭を路上に打ちつけた。2人のカメラマンは約1週間のけが〉(朝日新聞夕刊87年4月2日付)

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/23a2d438490f1a222bbf7081b7b2a80141757424
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