【宗教】一神教と多神教のもっとも大事な違いは「神さまの数」ではなかった…! ★8 [樽悶★]
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「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。死に対して、態度をとれない。あやふやな生き方しかできない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
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● 一神教の特徴
一神教を、英語ではmonotheismという。monoは「1」、the(o)-は「神」という意味だから、わかりやすい。ちなみに多神教をpolytheismという。
一神教/多神教と聞くと、神さまの「数」の違いだと思う。たしかに数は違う。でももっと大事な違いがある。一神教では、「神は天地を、創造する(創造した)」と考えるのだ。
神は、天地を「創造」した。聞いたことぐらいはあるはずだ。でも、その程度ではだめ。創造とはどんなことか、肌身でテッテー的に感じないと、一神教を理解したとは言えない。
一神教とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。どれも、「神が天地を創造した」、とする。(そもそもユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「同じ」神を信じているのだった。)なかでも、論理がいちばんすっきりしているイスラム教を例に、考えよう。
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● 創世記はアッラーの預言
旧約聖書はもともと、ユダヤ教の聖典だ。創世記など最初の五つの書物を、モーセ五書(トーラー)という。預言者モーセが伝えた律法である。イスラム教は、モーセも、神アッラーの預言者だと考える。創世記も、アッラーから人類へのメッセージなのだ。
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イスラム教は、旧約聖書の内容を、だいたいそのまま認める。クルアーンと違うところは、クルアーンのほうを信じる。旧約聖書は不完全で、ところどころ間違っている、と考えるのである。
創世記に関して言えば、その内容はほぼそのまま、クルアーンに引き継がれている。
● 人間は、一人ひとり神が造った
創造という考え方のポイントは、創造の前と後で、すべてががらりと変化することである。
(創造の前)神がいる → (創造の後)神がいる + 世界がある(天地、山や河、植物や動物、人間が存在する)
このことを、肝に銘じてほしい。
最初、神(アッラー)がただ存在するだけで、ほかには何も存在しなかった。神は寂しかったろうか。そんなことはない。神は完全で、欠けたところがなく、満足していたはずだ。
それから、世界を創造した。天地が存在するのは、神が創造したから。天地が存在すべきだと、神が思ったからだ。山や河が存在するのは、神が創造したから。植物や動物が存在するのは、神が創造したから。人間が存在するのは、神が創造したから。神が、それらは存在すべきだ、と思ったからだ。
このように、「世界は、神(アッラー)の意思によって、存在する」のである。山や河を見るたび、植物や動物を見るたび、「神がこれを創造したのだ」と思わなければならない。そして、感謝しなければならない。
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神が手造りしたのは、人間だけである。創世記によると、ほかの動物は、言葉で命令するだけで造られている。アダムとイヴは、神の言いつけに背いて善悪の樹の実を食べてしまい、エデンの園を追放された。それから二人は結ばれ、カインとアベルの兄弟が生まれた。イヴは、ふつうのやり方で妊娠し出産した。
カインとアベルは、神に造られたのか? それとも、人間から生まれたのか?
人間から生まれたのに、間違いない。けれども、カインもアベルも、そのほか母から生まれる人間はひとり残らず、神が手造りした。そう、一神教では考える。人間から生まれるのは見かけだけ。誰が存在するのも、例外なく、神の意思によるのだ。
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神は、人間を、一人ひとり手造りする。これが一神教の、神と人間の関係の基本である。ぼんやり読むと、「人間は、一人ひとり個性ある存在として、神に造られる」ことは当たり前のような気がする。全然、当たり前でない。とても特別の考え方だ。
ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、地球上の人類約七七億人の半分以上、およそ四〇億人がこのように考えている。(続きはソース)
9/30(水) 6:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200930-00249841-diamond-bus_all
★1:2020/09/30(水) 19:43:36.22
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1601646715/ >>70
似せて作ったなら神も間違う可能性のある不完全体ってことじゃん キリスト教の神は人間に自由意思を持たせてあらゆる選択の中から自ら神の信仰を見出すことを期待してる
なので当然世界も人間も完全無欠ではない事になる
誘惑も悪もそこらに存在している
ただ一方的に目や耳を塞いで誘導する事や、強制で神に従う事を良しとしてない
だから神はその選択に介入せずただ神のもとへ帰ってくることを待っている
聖書の放蕩息子の例えなどでその考えが読み取れる 魂があると自由意志がある
とする
朝廷にまつろわぬものの云うところのものは
鬼となるが
つまり、表帰って神のもとに行くと
自由意志は無くなるが
それでいいのか? >>124
面白いね
黄色の鬼もいるけど、それもなにかの鉱物の例えなの? >>127
まつるはまつろわぬの対義
祭り縫いと言われるように雁字搦めにするのがまつる
まとわりついて自由を奪うのがまつるの元来の意味
石や木を神体にすることが多いが
結局はそういったものに魂を封じ込めている
何も言えない石にされてしまったということ
石の神はしゃくじん、若神じゃくしんとなって若宮などに祀られる
石の神は磯の神でもあり、海若とも言われた
海若はあまのじゃくであり天邪鬼と蔑まれもした
>>128
時代が経るにつれて五行などによって増えていったのだと思うよ
陰陽五行をちゃんと調べないといけないと思う 祀は祭壇に巳、蛇
海辺河辺にいる蛇神を殺し山の上の祭壇へ掲げた
神の祭祀はその子孫が行うのが良いとされた
子孫へは祟り辛いという理屈だ
神社は喜捨などを得て市を形成する許可があった
つまり子孫は安泰に暮らしていることが神々への鎮魂となるわけだ
そして神社を与えられた子孫たちもある程度の経済的利益があることから叛乱を起こさないという理屈につながる
それが祀る >>127
帰らないならそれはそれで帰るという自由意志をなくする事になる >>129
ID変わってると思うけどサンスク
自分は陰陽五行の考えしか知らなかったから鉱物の例えというのは目から鱗だった
刀工って神秘的な存在として民俗学で語り継げられてるけどかなり謎めいてるね
やっぱり優れた刀や武器なんかは権力保持には欠かせないから神と関わりが深いんだろうか
古代からの刀工の事について知りたいなと思うんだけど、良さそうな本あったら教えてくれないかな
教えてくれくればっかですまん
無知なもので… >>10
バカだから
勉強してないから
数学が苦手だから 優れた鉄を産み出していたから朝廷に騙され鉄を奪われ殺され神へと祭り上げられた
殺されなかった人々は民と童になった
両方とも漢字の意味は戦争に負けた奴隷
両方とも目をつければ眠と瞳
戦争に負けて目を潰された人々であると同時に製鉄民は火を見続けるために視力を失うことが多かったという
酒呑童子を始め、茨木童子八瀬童子など鬼に童子が多いのも
河童や山童と妖怪に童がつけられたのもそれが理由
火車は死体を盗む妖怪だという
火車は河童の別名でもある
鉄の流れが悪くなると炉に死体を放り込む
カルシウムが鉄の融点を下げ、流れやすくなるのだという
ヒョウスベという妖怪も河童なのだという
漢字では兵主部
兵主という武器の神の眷属 >>131
人間は神に似せた
人間は全知全能ではない
→じゃあ神も全知全能じゃないじゃん、それでも全知全能だというなら似せてないじゃん >>139
聖書のどこに最初神は人間を全知全能として作ろうとしたなんて書いてある?
作ろうとして作れなかったらもちろん全能ではないけど
あくまで神は人間を自分に似せて作ったとしか書いてないじゃん ちなみに似せるの意味は霊魂をもった存在って意味だからな
全く同じに作ったってことじゃない
全く同じに作ったら唯一の神の定義がおかしくなり矛盾になる
矛盾なことは神はできない 神が人間を作ったっていってるけど
その神は誰が作ったの? 人間は自ら(神)に似せて作ったから神
ただしそっくりなヤツ(神)とそうではないヤツ(獣)が生まれる >>142
大集団を統率していた当時の指導者さ 「十戒」がそのいい例 >神が人間を作ったっていってるけど
>その神は誰が作ったの?
とか
本当に毎度毎度こういうスレってなんの知識もないまま幼児レベルの突っ込みをドヤ顔でし続けるよな
なんかすごい指摘したみたいなつもりなのが笑える >>109
天照も大物主もちゃんと祀らないから祟るし 神は誰が作ったのか
どうやって出現したのかを言えばいいだけなのに
幼稚だのゴチャゴチャうるさいな 神は人間が作った。こんなの常識。
聖書ができる前は人間はいたけど神はいなかったんだから >>13
アホマルダシ
解ってないのはおまえだよwww >>1
「宗教は麻薬」とは言い得て妙w
> 一神教とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。どれも、「神が天地を創造した」、とする。(そもそもユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「同じ」神を信じているのだった。)
神が作りたもうた「人」はあまりにポンコツ過ぎたwww >>8
それいっちゃうと焼かれるか水のそこに沈められるよ
無理なようだけどもやり方によっては
ノアの時みたいに再びまた水てのも可能なんだよね >>104
聖徳太子も似たようなもんだったからなあ
正直舶来品なんて何がなになんて手元にきた頃にはわからんし
既に漢代には景教中国に到達してそこそこひろまってたからね なんでネトウヨって2000年間神学論争にあけくれたキリスト教を、無知蒙昧な自分ごときが論破できるって思い込めるんだい?
その自信はどっからくるんだろ >>131
キリスト教にとって人間を表す「6」は、7日で世界を作った神に僅かに劣る者という意味で「6」だからな >>158
キリスト教は経典宗教だからな
旧約聖書の故事や預言に救世主思想、「日の老いたる者(神)が人の子(イエス)」に権力継承する一文や生け贄の子羊や十字架にかけられて3日後に復活の「事実」などそういうの全部ふくめた上の三位一体だからまずそこを理解しないと
リクツは通るんだよ
ただ信者以外は聖書の記述そのものに信憑性や根拠にならないから簡単に否定できるだけ 因みに神道では神は人間を作ってないんだよな。
確か淡路島を中心に島を作っただけだったか。 古事記を図書館で借りた
こじきか、、、乞食になりたくないなあ
と思いながら、その足で近くにある
鬼住神社にいった
参拝のとき、「こんにちは、なんと言って良いのかわかりません」と思った
真っ直ぐ家に帰ってほぼ夜通し古事記を読んだ
次の日、出かけようとしたら、財布が見つからなかった
賽銭したのだからその時までは手元にあったのだからと、神社に探しに行った
参拝の時、今度は、このスレの鬼の話を思い出して、「こんにちは、いろいろありがとうございます」思った
神社内の道の側を財布を落としてないかと探したら見つかった。 →神が創った人→人が造った神→神が造った人→人が創った神→以下ループ >>159
権力継承の聖句を教えていただけませんか?
スマートフォンに聖書のアプリを入れていますので確認したいと思います 魂
朝廷に祀られると神
まつろわぬと鬼
このような考え、いままでなかった
申す
いう
言う
云う
ゆう
結う
結いがないと鬼なのかなあ >>148
神を無限とするなら始まりもなければ終わりもないよ >>166
朝廷が祀るというよりも朝廷は祀らせた
鬼の子孫に鬼を神とするように祀らせた
神が鬼に戻り祟る時に最初に立ち塞がるのが彼ら自身の子孫とした訳だ
その子孫たちは神社がある限り経済的利益を享受することができた
つまり子孫が生活できていることが一つの鎮魂、怨霊慰撫であった訳だ
有名なのが温羅
吉備の冠者と呼ばれた吉備国の王は桃太郎に侵略され鬼とされた
それを祀るのは温羅の妻、阿曽郷の女性とされた
申は雷を表す
祭壇と申で神
雷から伸びるという意味ができ、申すになった
サルでもある >>167
これかな
始めなき終わりなきのパラドックスが(アルファにしてりオメガである)
黙示録22章13節 >>158
父と子と聖霊で1つのグループ
社長と管理職と社員で1つの会社みたいなもんだろ >>162
創世記は聖書に書いてる
ソーセージは書いてない 神波多一花 ちゃんの、あの笑顔は良いよね。
なんでAV女優になったのか、闇が深ね。 >>145
つまり人間が神を作り神が人間を作ったと
鶏と玉子みたいになってきたな 京都奈良を中心とすると
東が青龍西に白虎
中日ドラゴンズ青
阪神タイガース白と黄色 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています