【歴史】オスマン帝国の織田信長、征服王メフメト2世 「ローマ」を滅ぼし、中世に終止符を打った天才 [樽悶★]
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三大陸をまたにかけ、一時はヨーロッパを飲み込もうとしていた大国、オスマン帝国。 世界史上稀に見る、600年もの繁栄を誇ったこの国の強さとはどこからくるのでしょうか。 意外なことに、オスマン帝国の強さの理由は、多民族、多宗教を受け入れ、女性や文化人も活躍できた、人々の「多様性の尊重」にありました。 話題の新書『オスマン帝国 英傑列伝』では、国を支えた最も魅力的な10人の多種多様な人生を通して、建国から滅亡までの波乱万丈の歴史を読み解きます。 本書より、日本では織田信長と重ね合わされることも多い、天才であり征服王として名高いスルタン「メフメト2世」の人物伝を一部抜粋してご紹介します。 ビザンツ帝国、コンスタンティノープルを攻略 即位間もないメフメトは、これまでのスルタンたちがなし得なかった大事業に着手する──コンスタンティノープルの攻略である。 かつてビザンチウムと呼ばれたこの都は、4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(位306〜337年)の名にちなんでコンスタンティノープルと改名された。ローマをしのぐ都として発展したこの町は、西ローマ帝国が滅亡したのちも、東ローマ帝国、いわゆるビザンツ帝国の帝都として繁栄した。 ビザンツ帝国がその栄華を失い、ボスフォラス海峡の一角のみを支配するにすぎない一小国となり果てたあとも、コンスタンティノープルを守る三重の大城壁は、幾多の攻撃を退けてきた。5世紀の皇帝テオドシウス2世(位408〜450年)の名を持つこの城壁のうち、もっとも巨大な内城壁は厚さ5メートルにして高さ12メートル、96の塔を持ち、おそらくはこの時代、世界でもっとも堅固なものであった。 オスマン帝国も、これまで幾度となくこの都の攻囲を敢行してきたが、いずれも失敗に終わっている。ゆえに、ムラト2世時代より続いて国政を取り仕切っていた大宰相チャンダルル・ハリル・パシャは、コンスタンティノープルの攻略に反対した。ビザンツ帝国より貢納を受け取るという、これまで通りの関係を続けていくことを主張したのである。しかし、若く大胆なメフメト2世に、この老臣に従う気はなかった。 攻略に先立って、メフメトは入念な準備を行っていた。まず、ボスフォラス海峡に砦を築き、黒海方面からの船の交通をコントロールする。ついで、ハンガリー人の技術者ウルバンに、巨大な大砲を作らせた。その大きさのため装塡準備に時間がかかり、1日に7回しかその轟音を響かせることはできなかったが、この巨砲は、直径60センチメートル、重さ500キログラムを超える砲弾を放つことができた。ウルバンみずから「バビロンの城壁すら打ち破る」と評したこの大砲は、まさしく大城壁にたいする切り札であった。 10万人を動かしたカリスマ的演説 総勢10万人といわれるオスマン軍の出陣にあたって、メフメトは諸将に向かって長い演説を行い、つぎの文句で締めくくった。 「一呵成(いっきかせい)にこの都市を攻略せん──たとえわれらが死すとも、そのあるじとなるまで退くまい」 当時のコンスタンティノープルは衰退いちじるしく、人口は5万人程度にすぎなかった。期待していた西欧からの本格的な援軍は来なかった──同じキリスト教徒であっても、正教を奉じるビザンツ帝国と、カトリックを信仰する西欧との間隙(かんげき)は大きかったのである。 彼我の戦力差があってなお、包囲は長期化した。2か月近くも攻撃を頑強にしのいでいたビザンツ軍であったが、5月29日、大砲によって破壊された城壁よりイェニチェリ軍団が突入した。城壁の守りを失ったビザンツ軍に、もはや勝機はなかった。 こうして、コンスタンティノープルは陥落した。 最後のビザンツ皇帝、コンスタンティノス11世の行方は定かではない。戦闘のなかで行方知れずになったとも、金角湾付近に建つ、のちにモスクへと変えられた聖テオドシア教会(現在のギュル・モスク)に埋葬されているともいう。 征服以降、コンスタンティノープルは、徐々にイスタンブルと呼び習わされていくようになり、それにともなって、イスラム帝国の都としての姿を整えてゆく。コンスタンティノープルの象徴たる聖ソフィア教会は、アヤ・ソフィア・モスクへと転用され、半島の突端、かつてギリシャの神々を祭るアクロポリス神殿があった丘には、トプカプ宮殿が建設された。以降この宮殿は、19世紀なかばにドルマバフチェ宮殿が建築されるまで、帝国の枢要でありつづける。 コンスタンティノープルの征服をもって、オスマン帝国は、真に「帝国」と呼ばれうる存在になった。(以下ソース) https://www.gentosha.jp/article/16588/ https://www.gentosha.jp/files/uploads/content/202009/images/img_CXBJBmdwh3uvHpZxw8zOuCcUgYmQX1YkLQQE.jpg 海皇紀でこいつのエピソードが出て実は地球の未来の話って分かった瞬間はなかなか良かった さすがに信長と比べるのはメフメト二世に失礼なんじゃ スケールが違いすぎ 信長はアジアヨーロッパを征服してアメリカに渡ったんだぞ >>9 だよな信長秀吉家康を全部足したのより大きな偉業だもんな その3人が力を合わせてもその後600年続く世界帝国は作れなかったから クソジャップと並べるとか人類に対する侮辱が過ぎるぞ 教会をモスクに改修はしたが、イスラム教への改宗は強制しなかったからな アホなアラブ人とトルコ人はそのくらい 違うって事だ トルコって中国の上位互換なんだよな 中国は周りがイナカモン過ぎて人が多いだけで世界の中央とか名乗ってたけど トルコは実力で数百年間欧州ロシアとガチで戦い続けてたからその自尊心たるや中華思想の比じゃない もしトルコが経済力持ったら中国以上に厄介な国になると思う オスマントルコは世界でも指折りの大帝国 その中でも征服王と呼ばれた人と信長ってなんにも似てないんだけど 落城に際してのコンスタンティノス11世自らの最後の突撃は大ローマ帝国の掉尾を飾るにふさわしい まあ、黒船を乗り越え、明治に先進国の技術を得て今尚経済的に上位な日本って凄いなー 東ローマ帝国の継承を自称するロシア帝国に フルボッコされるとは、流石のメフメト2世も知らなかったww >>7 ん?戦国時代の日本は世界最強民族だぞ それをまとめた上げた信長こそ至高 いや、信長と比べてドウスンノ 外国のほうがつおい メフメト2世はティムールと戦ってボロ負けしてる オスマン帝国最強はスレイマン1世だろ >>14 お前の祖国は、つい最近までずっとどこかの属国だったもんなw 終止符打てたのが、つい半世紀ちょっと前とか笑えるw >>31 弱小の李氏朝鮮さえ攻略できないくせに世界最強とか笑うわ オスマン帝国やイスパニア帝国なら 半島なんか瞬殺してる 東ローマ最後の皇帝の妹?が当時のモスクワ大公国に嫁に行って それでロシアがローマ帝国の後継者を自称してるそうだ (´・ω・`) コンスタンティノープルの戦いて、男のロマンだよね。 20万の兵を要するオスマン帝国に対して、コンスタンティノープルを守る兵は僅か1万足らず。 圧倒的不利に見えるコンスタンティノープルだけど、そこには1000年に渡り気づかれた三重の城壁、 金角湾への侵入を阻む鉄の鎖が有り、七年にも渡る包囲戦を耐えた難攻不落の城塞都市だ。 それを落とす為に、牛馬200頭、兵士60人を使って運用するウルバン砲。 そして極めつけは、金角湾に入る為に陸上を移動するオスマン艦隊でそ。 男のロマンだげー。 スパルタの300人が3000人もいればオスマントルコは全滅だったろ 惜しかった Amadeus • Rondo Alla Turca • Wolfgang Amadeus Mozart https://youtu.be/Cy10pGVmc20 >>42 スパルタのファランクスとか 大砲で吹き飛ばされて終わり >当時のコンスタンティノープルは衰退いちじるしく、人口は5万人程度にすぎなかった。 結局、衰退したから攻略できただけやん。 「神の代理人」だったかな。 ローマ法王レ♂10世が、 「コンスタンティノープルを奪回するぞ!十字軍だ!」 ↓ 「フランス王もイギリス王も、神ロ皇帝すら応じない……」 ↓ 「そうだ!一発逆転の策だ!」 ↓ 『メフメト殿、そなたがキリスト教に改宗するなら東ローマ皇帝に認定します。ラテン(ローマ)人でないゲルマン人もキリスト教徒になれば神聖ローマ皇帝になれるんだから、トルコ人の貴方も同じです』お手紙カキカキ のエピソードに良い意味で笑った。 >>17 ホモ行為禁止だけど、子供と異教徒相手の場合は例外になる 後はわかるよな 塩野七海の中世三部作はほんとおもしろかったわ。 彼女って80超えてるんだよな。それ知ってびっくりしたわ。 せいぜい安倍総理くらいの年代だとてっきり思ってた。 >>1 多様性の尊重という意味では、実はアメリカの政策もそうなんだよな。 こいつらの戦争が 今日まで尾を引いてるんだからすげーよな >>31 結局まとめ切れなかったじゃん 戦国時代という混乱の悲劇を終わらせたのは その原因が相続制度にあると喝破した家康のお陰 その御用学問たる朱子学は批判も多いが 外部要因が無い場合は効率的に運用されるので便利 と 朱子学を真っ向から批判しまくる俺が言う訳だ 現代では外部要因しか無いからな メフメト2世ねえ メフメト2世といえばあのでかいターバンを巻いた 斜めフェイスの肖像画が印象的だが そうコンスタンチノープルを陥落させた傑物ですなあ >1にはその折の名言が書いてあるが しかしコンスタンチノープルをめぐる名言といえば 聖ソフィア大聖堂をこさえたときのユスティニアヌス帝の一言 「ソロモンよ、我汝を超えたり」の方がカッコいいようなwww (ま、もちろんメフメト2世の征服により聖ソフィア大聖堂は モスクに変えられちゃうんでしょ? まさに無常ですなあ …って>1に書いてあるかw >1は最初に読むべきですなwww) >>8 オットマンといえば椎名誠の傑作小説「アド・バード」ですなw ターターさんとオットマン い、いやそれだけの話だがwww >>47 衰退してないウィーン要塞には 全く歯が立たなかったからな ここだけの話コンスタンティノポリスが陥落したのは門の閂のかけ忘れなw これマジな話 >>47 まぁーそーとも言えるけど、オスマン艦隊が丘を越えなければ、 金角湾に入られる事もなく、城塞都市コンスタンティノープルは後、100年とか50年とか持ったのではなかろうか? 技術の進歩が要塞・城壁の優位性を下げて行くから、何れは落ちるのだろうけど。 >>31 当時だと最強はスペインかな 果敢に新大陸を制覇していった ところで オスマン帝国が滅んだのは結局何でだ? 産業革命に遅れたからか? >>49 異教徒との性交は禁止では? そのため、さらったイタリア貴族の娘を無理やり改宗させてハレムに押し込めてたような 征服はしたがアヤソフィアを超えるものは造れなかった 作れたのは大きさだけ勝ってる模倣品ばっかり >>51 多民族を上手く纏める事が出来るなら、それは最強の国家になるとは思う。 個人の事しか考えない一団よりも、一族の為に団結する一団の方が強いだろう。 一族よりも民族、民族よりも国家、国家よりも連合体と規模を拡大出来るわけだし。 >>47 数十年かけてトルコが東ローマを追い込んだ結果 あまり関係ないけど、ゲーム「EU4」のイベントで「第三のローマ」ってのがあって、 ロシアがオスマントルコからイスタンブールを取り返すと、「ツァリグラードに遷都しますか?」という選択肢が出てくるのが感慨深い。 とうとう東ローマの復讐を果たしたんだな~って感じで ところで>1を読む限りではスレタイの信長がようでてこない気もするんだけど (時間が時間だからソースまでは遡って読まないw) どうなんですかね、信長軍団、多様性はあるんですかね。 まあ秀吉の登用のようにあんまり旧弊前例にとらわれないところや 鉄砲やらキリスト教といった先進文物に理解のあった開明君主という点では 同時代の大名のそれと比しても先んじてたかは知らないけど。 まあそれにしても改宗キリスト教徒からなるイェニチェリとか 奴隷出身の精鋭戦闘部隊マムルークとか往時のトルコの強さは ヨーロッパのみならず今なお極東において聞こえてくるところですな。 そして「ライオンとトラどっちが強いのか」みたいな小二的クエッションじゃないけど 往時のトルコ部隊と戦国武士団、戦ったならどっちが強いんですかねwww 信長の次代の秀吉が、何を血迷ったかイスパニア帝国のフィリピンに 偉大なる大韓相手のような降伏勧告をして 相手にされなかったなんて話はあったような気がするが あの時代にトルコと日本の両者の邂逅がなかったのは、これは幸せなんだろうな。 もちろん、どちらかといえば、日本にとってwww >>60 版図を広げて多方面の反乱鎮圧や戦争に 首まわらんようになったっていうお決まりのアレでないか >>38 朝鮮なんかとはろくに戦ってないぞ。弱小すぎてただの通り道。明と戦ってたんだよ。まぁかなり衰退した明だがな。 >>17 捕らえた捕虜の中に超絶美少年が居て、メフメトが恋文を書いて渡した 律儀なホモだよ 征服者なのだから好きに出来ただろうに 長年の宿敵同士だった神聖ローマ帝国とオスマントルコ帝国。 EUからフランスが抜けてドイツを中心にまとまり、トルコと結べば、この東西二大帝国が数百年の時を経てついに世界最強の連合帝国となる! >>35 ティムールと戦ったのはバヤジット1世 オスマン最強の軍事指導者はセリム1世ね アゼルバイジャンとアルメニアの紛争はトルコとロシアの代理戦争でもある 古代中国もそうだけどさ 結局、都市文化vs遊牧文化の対立なんだよねA型vsB型 で、宗教で納めようとするのがO型w いやいやいやw メフメト2世と信長を照らし合わせるの無理ありすぎやろw 継いだ時点の出発点が違い過ぎるわw 1432年生まれで1444年にスルタンになるって12歳やん? 親父死んだわけでもないのになんでそんなことになったの? >>73 正確には明の正規軍とも戦ってないけどな 朝鮮に出兵したのは軍閥の私兵軍団だから 唐も宗教・経済・文化が開放的だったらしい そして遊牧騎馬民族 オスマンも同じ 今の中共の技術を取る文化とは全然過程が違うな これネットフリックスのオスマン帝国ってドラマで見た 解説付きでわかりやすい 織田信長=安倍晋三…無理矢理にでも復活させたい人達 オダノブは最後の物部氏だっただろに 日本人ってのは最初から最後まで血統に拘る謙虚さだったけど江戸時代で家系図すら幕府に没収され唯一のアイデンティティを失っただろに ま、歴史的に観れば徳川は戦犯だから徳川の末裔は容赦なく殺すべきだなw オスマン家の悲しい掟 兄弟殺し。 偉大な帝国には、悲しい物語があるよね。 >>56 有名でしょ。 かけ忘れたのは逃げたベネチアかどこかの傭兵だったはず。 コテンラジオで扱ってたな 面白そうだったのでオスマンについての新書買ったわ >人口は5万人 応仁の乱のころの京都のほうが人口多いのでは ビザンツ帝国って国自体はすごい衰退してたんだよね 地図見るとこの街だけちょこんとある感じ わざとほっといたんじゃないの思える状態 >>1 城壁の鍵をかけ忘れてそこから侵入されたと思ってた 鍵をかけ忘れって言われているけど 実際のところは内通か裏切りじゃないのかな >>7 メフメトは先帝たちのおかげだよね。父親もやろうと思えばできただろうしヴァルナでキリスト教連合軍に勝った時点で西欧の脅威は減っている。信長は父も頑張ってたがそこまでではない >>31 いやいや、織田の事業を引き継いだ豊臣秀吉が 全国統一してから朝鮮に攻めかかったが 結局寸土も日本領にできなかったじゃないか >>109 単にわかりやすくとか親しみをもってもらうためだろう 世界史ジャンルは世界史的には超有名人でもあまり知られていないしな イスタンブールに行ったら当時の城壁が残ってた ちょっと感動した >>43 攻略しようとしたができなかった、これが全て >>105 新書「生き残った帝国ビザンチン」、超おすすめ! >>115 ところどころギリシャ語のレリーフが残ってたりね イェディキュレ付近とか ウルバンは自慢の大砲が誤爆して逝っちゃったんだっけ CONQUEST 1453 (Battle of the Empires) English Dubbed https://www.youtube.com/watch?v=j4TOUrxzd28 >>67 この時の東ローマは十字軍に一回潰された後だから >>118 それは日本ビザンツ学の泰斗たる井上先生の名著ね 海外の翻訳ものなら ・ビザンツ帝国の最期 (ビザンツ末期) ・ビザンツ帝国 生存戦略の一千年 (ビザンツの通史) ジョナサン・ハリス著 翻訳は井上先生 ・ビザンツ 驚くべき中世帝国 (ビザンツの通史) ジュディス ヘリン著 これも翻訳は井上先生 内容は重複してる部分あります もともと書籍代が高価だったり、絶版で更に高くなってるので 興味ある人は図書館で借りてください 井上先生のご著書と併せて読めば一般向けのビザンツ史はだいたいOKかなと >>46 この時代より後の西洋はファランクスもとにしたテルシオ戦術時代になるけどな。この時代の大砲なんか当たらないしろくな野戦砲がない。 生き残った帝国ビザンチンはこの辺の歴史にほとんど知識がない人でも読める名著 イスタンブール旅行行く人とか歴史に興味がある人にはマジでオススメ コンスタンティノープルを落とすのに20万の軍に大砲まで使って2ヶ月もかかったオスマン軍 大砲もない数万の軍勢であっさり落とした十字軍 どっちが強いかは明らか >>9 ホントスケール違うわ 曹操と並べるだけでも失礼 メフメト2世を信長なんぞと比べるとか侮辱にも程があるだろ >>127 十字軍はビザンツを助けに来たよーからの侵略だし 状況が違うでしょ >>128 このころのイスラム圏って、 西からはキリスト教徒の十字軍による略奪、東からはモンゴル系ので最悪な時期だわな。 文化レベルの低い辺境国家の山猿に例えるとか メフメトに失礼 コンスタンティノープルの陥落の経緯だけなら ・コンスタンティノープルの陥落 塩野七生 大変有名な方ですが歴史小説なんで割合スイスイ読めるはず ・コンスタンティノープル陥落す スティーヴン ランシマン 古い本ですがビザンツ史、十字軍史とかでは超有名な歴史家 ビザンツ側に同情的な印象 ・ビザンツ帝国の最期 ジョナサン・ハリス これはさっき挙げた本です 美化されてることが多い陥落の経緯が実は・・・という本です 個人的にはお勧め ついでに https://honto.jp/netstore/pd-review_0601356042.html https://bookmeter.com/books/566715 人類の星の時間 シュテファン・ツヴァイク (著) 「ベルばら」のネタ本の「マリーアントワネット」同様伝記物に定評があり 戦前は売れっ子一流作家のツヴァイクが書いた歴史短編物 これは本当に名著 この中に「ビザンチンの都を奪い取る 一四五三年五月二十九日」って短編があります 塩野先生の小説と比べると分量も少ないけど ツヴァイクの文章はとても読み応えあります >>51 馴染む気のない連中抱えると大変だけどねえ 歴史的に順番が100年くらい逆だろ 日本のメフメト2世が小田和正 信長のことを持ち出すのならそれこそ信長より「4年早く生まれ2年遅れて亡くなった」 イヴァン(イワン)雷帝のことはもっと知られてもいいはず https://ameblo.jp/metameta7/entry-10024131627.html 信長とイヴァン雷帝 >二人は時代の統治者として、中世から近世に向かう「歴史の必然性」を引き受けた。 >国家の中央集権化をめざし、強権的な専制君主の道を歩んだ。 >その手は血にまみれ、貴族、兵士、民衆たちから恐れられ、そして敬われた。 >二人の生涯は、外側から見ると似ている面も多いが、内側からは、対照的な専制君主の光と影が浮かび上がってくる。 エイゼンシュテインが戦中〜戦後に 当時の赤き皇帝スターリンからの依頼で映画化 音楽はプロコフィエフ https://i.ytimg.com/vi/8r9ePstg0mU/maxresdefault.jpg まさに「顔芸の映画」 ニ●動で 【ソ連映画】 イヴァン雷帝 (イヴァン・グロズヌイ) 【第一部】 【ソ連映画】 イヴァン雷帝 (イヴァン・グロズヌイ) 【第二部】 >>142 https://www.youtube.com/watch?v=1Xl69PBETmM Prokoffiev(A.Stasevich.arr):”Ivan the Terrible” Op.116 Tugan Sokhiev NHK Symphony Orchestra(2017) オラトリオ「イワン雷帝」 作品116(プロコフィエフ作曲/スタセヴィチ編 ) トゥガン・ソヒエフ 指揮 NHK交響楽団 スヴェトラーナ・シーロヴァ(メゾ・ソプラノ) アンドレイ・キマチ(バリトン) 片岡愛之助(語り) 東京混声合唱団(混声合唱)、東京少年少女合唱隊(児童合唱) 映画『イワン雷帝』の監督をつとめたセルゲイ・エイゼンシテインは、大の日本好きで、 漢字や短歌などジャポニズムに傾倒していたのだそう。特に歌舞伎が好きで、 海外初公演の歌舞伎(1928年ソ連)を見て感動し、 後の作品に歌舞伎の「見得」のような睨みや静止ポーズを取り入れるなどしたという http://www.saturn.dti.ne.jp/ ~rus-eiga/arc/films/i/iwan/index.htm イワン雷帝 あらすじ [かいせつ] 第1部、46年ロカルノ映画祭最優秀撮影賞受賞 『イワン雷帝』はエイゼンシュテインの遺作だが、同時にまた、"映画の悲劇"とも云べき不幸な運命を担わされた作品である。 エイゼンシュテインは当初、16世紀、内乱時代にロシア統一をはたした傑出した、だが残忍な皇帝イワン四世の生涯を描く三部作の映画を計画した。 まず、戦火を逃れてアルマ・アタに疎開中の撮影所で第一部を完成、これはスターリン賞を受賞した。 第二部はモスフイルムで撮影、45年に完成したが、時の"ジュダーノフ批判"を受け、改作を命じられた。 また、部分的に撮影が終っていた第三部の材料も破棄させられた。 これは国家統一を成し遂げ、専制を築きあげたイワン雷帝の残酷無慈悲な弾圧や孤独の影にスターリン体制への批判が映ぜられていたからであった。 第二部はスターリン批判後の58年、初公開された。 『イワン雷帝』は全体に優れた造型美を彷彿させるが、歌舞伎の所作事を演技に持ちこむなど、 徹底した様式美の追求を行って、そのため長くコンビを組んだ、撮影のエドゥアルド・ティッセとも意見のくい違いを生むことになった。 第二部のラストの二巻で、「色づきでなく色彩で描く」という「色彩モンタージュ論」を試みて、主観的な彩色を行った。 >>143 https://jp.rbth.com/history/79540-iwan-raitei-eiga 「ひどい代物だ!」 なぜスターリンはエイゼンシュテインの『イワン雷帝』の続編を容認できなかったか セルゲイ・エイゼンシュテインによる最後の映画イワン雷帝の二部作は、 スターリンの要請で制作されたが、それぞれ異なる運命をたどった。 有名な『戦艦ポチョムキン』も手掛けたこの監督は、第一部で最高の国家賞を受賞したが、 第二部は当時非常に恐ろしかったスターリンその人から激しく批判された。 勃興期にティムールにフルボッコにされて一回滅んでるのによくここまで持ち直したなって思うわ ティムールが「俺っちチンギス・ハンの子孫だから明ぶっつぶすわ」って東に向かわなかったらどうなってたのかな コイツ戦争強かったけどやることが行き当たりばったりでユーラシアレベルの上杉謙信 後周の柴栄なんかもよく信長と言われるけど なんでも信長にするなや メケメケ三世のコピペの元ネタはこれか!www 2ちゃんねる時代から30年間の謎が解けたわ!wwwww >>118 どもども 評価高いみたいね 見てみるよ 20万動員って本願寺の顕如でもできる。 本気でやったらどれだけの人数を動員できるの? 平安時代は江戸時代の倍くらい そして西ゴート滅亡からグレナダ陥落まではその平安時代の倍の年月 歴史は雄大だな メフメト2世って、ドラキュラ公ことヴラド3世にこっぴどくやられた人じゃなかったっけ >>125 これの70年後くらいだと、野戦砲や火縄銃が出てくる Battle of Mohacs(1526) https://www.youtube.com/watch?v=KtzJ-GelB7Y >>89 中国王朝の軍は 基本的に全て 軍閥の私兵集団ばっかだろ? なにいってんだ? 「ギリシャの火」が失われたのもコンスタンティノープルには痛かったかも >>58 武士を傭兵に雇ったオランダによって、東南アジアのスペインはどんどん駆逐された。 当時の世界最強はやはり日本。 オスマン帝国もペルシャ帝国も超大国なのに 底に住む今の連中はそれを教えず異形と思わないのが皮肉だけどなw >>165 当時のポルトガル人の日本人評で、 「傭兵は金のために戦争をするが、日本人(傭兵)は人殺しが好きでやってるとしか思えない」 というのがあった記憶がある。 >>160 そ Vlad the Impaler the impalement of the 20,000 mostly Turkish prisoners outside the capital https://www.youtube.com/watch?v=1OH9YH2alFA 昔何かのマンガで読んだなつかしい コンスタンティノープルの陥落 小坊の自分でも船の山越えはすごいカッコいい勝ち方だと思った 日本人って、征服する側を好むよね 正義を貫いたとか、弱い者を助けたとか、そういう人物はあまり好まれない >>123 こういう流れだよ 十字軍がコンスタンティノープルを落とす ↓ 東ローマの皇族がコンスタンティノープルを十字軍から奪還 ↓ 小アジアからトルコが攻めて来て東ローマが弱体化 ↓ トルコがティムールに壊滅的大敗を喫して東ローマが一時的に盛り返す ↓ トルコが復活して東ローマをコンスタンティノープルに追い詰める ↓ メフメト2世がコンスタンティノープルを落として東ローマを滅ぼす お前ら知っているとは思うがイスタンブルは首都ちゃうからな >>167 それは理解できないだけの話 合理的な西欧人は要は雇われ仕事でやるだけ 日本人は請け負った仕事はしっかりやるという意識があるから、仕事だからここまで、 みたいな割り切り意識が希薄 戦国時代なんてまさに名誉汚したら腹切るって意識ど真ん中の時代だし まあ自分の中にないものを自分の知ってる範疇で理解しようとして見当外れな事言い出すのは 今みたいに情報溢れる以前の異文化理解が難しかった時代じゃむしろ当然かも知らんけど >>113 朝鮮は穀物がろくにとれないから食料の現地調達ができない。禿山だらけ不潔で貧困な土地だらけで、「こんな領地いらない。早く帰りたい。」って不満続出だったんだよ。 漢城まで簡単に落としたけど、帰国命令で皆喜んで帰った。欲しかったのは明の土地だからな。半島は通り道? 川崎市に住もうとして武蔵小杉は良いけど在日居住区が嫌で別の街に行くようなもん。 >>170 征服される側が現代においても 馬鹿ばっかだから共感できん なんだかんだ大国だった歴史のある イランやトルコはアメリカに潰されてない ワラキア公ヴラドドラクルの映画ではなかなかにカッコ良かったな トルコは今も昔も世界史の転換点になり続ける国なんだろうなと思う。 まぁ色んな意味で世界の縮図がトルコなのだろう。 そのトルコがかなりの親日国家というのは何か興味深いよ。 世界史から見た日本もちょっと特殊な位置づけの国ではある。 基本的に日本は世界史からみると文化の国で、一時期戦争とか頑張っちゃったけど 今はまた文化の国に戻って前向きにやってるイメージかな チャンネル銀河でスレイマン大帝時代のハーレム絡みのドラマやってる くっそ面白い トルコの女優さん美人過ぎ メフメト二世は確かに偉大な皇帝だが、やはりそのひ孫?のスレイマン一世にロマンを感じる。 ハプスブルク帝国との頂上対決、ウィーン包囲とか世界史の花の一つ。プレウェザ海戦やら、フランスと組んだハプスブルク包囲とか。 メフメトはコンスタンティノープル寛楽させたからちょっと違う 十字軍を破ってコンスタンティノープルまであと一歩までいったのにチムールにやられて高転びしたバヤジット方が信長っぽい https://youtu.be/P02dFW--4ps >>181 でも、トルコが親日なのは日露戦争でロシアに勝ったからなんだけどな 他にもポーランドやフィンランドなど、 親日国はロシアに痛い目にあわされてる国ばかり 日本のメフメト2世 織田信長ならまだ「歴史弱い奴が書いたんだな」としか思わないが、オスマンの織田信長 メフメト2世は烏滸がましいにもほどがある メフメト2世と並べるのはナポレオンとかチンギスハンとかカエサルとかそういうレベル >60 中央集権化や近代化に遅れをとり 西洋にいいようにやられてしまった >>188 憲法の制定と議会制は日本より早かったのにね 信長>>>ナポレオンチンギスカエサルメフメトだろ 今のコロナの体たらく見ろ、雑魚民族同士でなれ合ってただけ >>182 【チャンネル銀河】オスマン帝国外伝8【ネタバレ禁】 https://egg.5ch.net/test/read.cgi/tv2/1600935549/ チャンネル銀河で終了後にNHK地上波でも・・・・無理か( ・ω・) これ観たら大河ドラマなんて学芸会ってバレちゃうからね 西ローマ帝国最後の皇帝は天寿を全うしているけど、 東ローマ帝国最後の皇帝は戦死している。 さらに西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルは暗殺されている。 オスマン家45代家長Dündar Ali Osman(89) シリア、ダマスカス生まれ シリア内戦でエルドアンにより保護された。現在、イスタンブール在住 https://pbs.twimg.com/media/DNBS-gVVwAAnQ6E.jpg リゲインの歌で、パリやモスクワ、ロンドンなどと並んでイスタンブールの名前が挙げられたのを思い出す。 バブルの頃はそんなに重要な都市だったんだろうか? >>187 メフメトは完全に親の七光りだから一代で築いたそこら辺と比べてもな。 >>188 中央集権化はしてたぞ。 宰相であっても皇帝の奴隷で皇帝権力が強い。 むしろオスマンを見習って西欧が中央集権化した。 中央集権から堕落して分権化していった。 皇帝が無能化して宰相任せ。地方豪族やイェニチェリの既得権が拡大していった。 >>170 楠公とか判官びいきなのに? むしろ少数が多数を破る話が大好きだよ それで太平洋戦争の精神論になった。 >>177 「欲しくない」じゃなくて秀吉が欲しいと言ってるのだから 手柄を立てないとまずいのはわかってる? それで手柄を立てようと頑張ってもこの程度ってこと 信長は大陸で生まれてたら世界的な英雄もしくは梟雄になってた可能性あると思うわ フィリッポス二世なくしてアレクサンドロスはないし信秀なくして信長もなかった 親の代である程度基礎固めてくれてないと無理 道三も一代でなくオヤジと親子二代で美濃を乗っ取ったというのが今は定説 麒麟がくるもそういう設定になっている >>201 信長ってそんなにいくさ上手くないからなあ 同時代に女真のヌルハチがいるが騎馬で明軍を圧倒する機動力や優秀な後継者育成能力で信長よりはるかに優秀 世界的な帝国を築くとしたら軍事力以外に数世代に渡って作戦可能な後継者育成、長大な戦線維持、兵站、植民地経営、外交能力が必要 これを可能にしたのは当時のオスマン、イギリス、清あたり 信長、秀吉は能力高いが後継者育成に失敗してる。秀吉は日本史上でも兵站維持や国内の外交能力長けていたが 家康は成功したが無謀な戦いは避ける 結局日本には外交や兵站、植民他経営の土壌が育たなかった 局地戦で勝って領土拡大しても数十年しか持たなかった 数百年世界的な帝国を維持したオスマン家と数十年しかもたない織田家だと比較対象にならない メフメト、モハメド、モハメット、ママドゥ みんなムハンマドのバリエーション ミカエルがマイケルやミシェルが同じであるのと同様 まぁオスマンが東ローマを滅ぼしたお陰でキリスト教教勢力が大航海時代を余儀なくされた結果日本に信長が誕生したのも事実 もっとも信長はキリスト教寄りなので人物像でも同列に語るのは無理筋かと ビジネスに効く! 世界史最前線 https://www.google.co.jp/amp/s/jbpress.ismedia.jp/articles/amp/57840 >>207 かつての薩摩長州が正統性得るために「玉(皇室)」を得たように イスラム国家として正統性維持するために同じように玉を得たか >>200 秀吉が死んで国内情勢変わったのに、無駄に駐留しろってか?朝鮮兵なんか加えても戦力にならんのに。 バカか イスタンブールの町を全部取り払って東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを再現してほしいな トルコにはあんま興味ないわ >>170 判官贔屓という言葉があるように敗残側、敗北者側をむしろ好むだろ 敗北側に付いた大坂の陣での真田や南北朝の楠木とか 主君の仇を討つ忠臣蔵に父の仇を討つ曽我物語が江戸時代に大人気だったように 道を貫くのも好かれているし >>215 でもそれはあくまで例外 歴史が勝者のものとして綴られ、敗者の名が消え去るのが基本でほぼ全体をなすよ。 例外だからこそその定番の少数例が毎度語られるというだけだ >>213 秀吉が死ぬまで何年やってたんだ? ん? >>216 何言ってんだ アンカー先の征服側、勝者側を日本人が好きであるというのならば むこうでは知名度の低い蜀漢が主人公ベースの三国志なんて日本で人気が出るわけないだろ 勝者の歴史が綴られた=征服者を好むなんて論理は成立しないぞ >>212 それなら、マムルーク朝だろ モンゴル帝国の侵略を撃退したエジプトのイスラム国家 マムルーク朝は、マムルークっていう戦士階級が打ち立てた王朝で アラブ人ではなく、トルコ系とか異民族が主体だったので、権威とか伝統がなかった そこで、モンゴルのバグダッド攻略の時に滅亡したアッバース朝の生き残りをかくまって カイロでカリフに推戴し、カイロ・アッバース朝として奉ることで いわば、「天皇から委任されて征夷大将軍になる」あるいは 「ローマ教皇から戴冠されて神聖ローマ皇帝になる」みたいな構図を作り出した カリフの権威があったから、マムルーク朝は存続できた >>202 それね 東大とか京大、医学部に行くような連中も 中高一貫校出身が多数だし、親が金持ちなんだよね >>178 お前の言う馬鹿ばっかりでアメリカに潰された国って具体的に何があんの? 5倍の敵に囲まれた子分のピンチを大将が救う 信長が鉄砲傷を負いながら統率力で逆転勝利 【合戦解説】天王寺砦の戦い 織田 vs 本願寺 〜石山本願寺軍に包囲された明智光秀を織田信長は救う事ができるか?〜 https://i.ytimg.com/vi/-tKyMPVrEXA/sddefault.jpg https://www.youtube.com/watch?v=-tKyMPVrEXA トルコ関連のテレビとかでよく聴く勇壮なあの音楽はオスマン帝国時代のヤツ? >>224 【和訳付】ジェッディン・デデン/Ceddin Deden【トルコ軍歌】 イスマイル・ハック・ベイ(1865年 - 1927年)作曲 https://www.youtube.com/watch?v=pj6G3JKZD3E >>226 あなたは日本史をサボった子供か外国人だね。 信長の歴史的転換の戦争といえば、長篠の戦だ。 【合戦解説】長篠・設楽原の戦い 織田・徳川 vs 武田 〜信玄の後を継ぐ勝頼が信玄でも成し得なかった信長との直接決戦に挑む〜 https://i.ytimg.com/vi/MALuaO0L68k/sddefault.jpg https://youtu.be/MALuaO0L68k?t=1437 鉄砲で騎馬を倒した戦争。世界史でも早い時期だ。 当時の鉄砲は威嚇の使い道だったのを主力に使って勝った。 ヨーロッパの戦争でも主力の兵力は歩兵と騎馬で鉄砲は玩具。 >>226 織田信長は 農民の豊臣秀吉を部下にするなど 当時の社会を変えた人だ。 改革者としての歴史的意味がある。 >>60 欧州みたいに海を超えた植民地が作れずに国力差が開いて行ったから これは愚策だった 真実はカトリックが東方正教を滅ぼしたのに イスラムが最後のとどめを刺したというだけでローマ殺しの汚名を被る羽目になり のちの人類の災いとなるロシアという憎悪に塗り固められた悪魔の国を生んだ >>233 > のちの人類の災いとなるロシアという憎悪に塗り固められた悪魔の国を生んだ >>142-144 ニ●動で 【ソ連映画】 イヴァン雷帝 (イヴァン・グロズヌイ) 【第一部】 8:10すぎ イヴァン雷帝も「2つのローマは滅びた が第三のローマ、モスクワがある そして第四のローマがあってはならぬ」って言ってますな オスマン帝国復活しないかな オスマン家は皇帝位を主張しているらしいじゃないか エルドアンは大宰相になれ エルドアンパシャになれ >>218 日本の民衆に古来から流れていた判官贔屓の気風と国家神道カルトの皇国史観は全く別物て事やね んで現代はすっかり弱者に寄り添う気風は廃れてもうたと >>227 メフメト二世の時代のハンガリーの傭兵団も装甲馬車と銃でオスマンとやり合ってたぞ 結局そいつらだけで廃れたけど めーいーじ とかちっち スライスチーズー 友情と信頼以上のもので固く結ばれた熱い男たちの軍団イェニチェリ テーバイ神聖隊の例もあるしやはり精神だけでなく肉体もつながった男の軍団は強いんだなアーッ! >>235 いい加減あの出鱈目な部族社会をまとめるには、王権を中心にした方が良いのかもしれんね イギリスによってズタズタにされちゃったし、ロレンスが試みたけどどこまでもバラバラ社会で 未だにロレンスの映画の中と同じことを繰り返している >>227 信長の鉄砲運用は過剰評価だとマウリッツやグスタフ2世見てればわかるけどな。とても言われてる運用ができたとは思えない。 ん〜〜と、欧州部の征服、奴隷獲得で皇帝直轄のイェニチェリ軍団が形成されるわけよ 軍事的には、騎兵(部族)から戦列歩兵(火縄銃・マスケット銃)への移行が進む 政治的には、オスマン家一強になって、中央集権化が進む モハーチの戦いが1526年、信長より早い 大砲だけで300門集めてる https://www.youtube.com/watch?v=KtzJ-GelB7Y >>218 でもジャップさんジャップ島焼き払って、ローストジャップ大量生産したルメイ閣下に勲一等授与してますよね ID:k7nIQQ4S0 いつものルメイ・ウンコ ウンコを食べる韓国人であることがわかっちゃったね >>176 山田長政でもそうだが日本で叶わなかった立身出世を夢見て海外に出たんだ 階級社会の欧州では非正規が正規社員になることはありえん オスマン名物☆戦艦の陸送始めました〜是非ともご賞味ください >>235 カリフ復活させて、イスラム教スンニ派だけでもまとめた方がいい カリフの権威でイスラム過激派封じにもなる 信長のが上だろ 宗教戦争は武器商人が本質だって見抜いてたんだからさ 本願寺から火薬の利権を奪ったらキリシタンを用済み扱いしてたしさ 宗教とおのが欲望のままのメフメトとか詰まんない奴じゃん 世界史板で世界各地の武将ランキングスレとかあるが信長はまったく名前が上がらない 支配地域の広さ、倒した敵の強さでランキング決まるが十字軍に勝ったバヤジットに勝ったチムールの評価が高かった なんでバヤジットはティムールに負けちゃったんだろ? 日本の武将・政治家ランク SS 徳川家康 S 源頼朝、北条泰時、 A 足利義満、織田信長、勝海舟 B 豊臣秀吉 C以下は適当にゴロゴロ 統計的にランキングすると、日本の戦国武将は上位に来る 単純に戦いの数が多いから ターバン巻いた有名な肖像画(バラを持ってない方)は 晩年にイタリア人の画家に描かせたものだったと思うが、かなり痩せてる 癌だったという説があるね 同じ大学のOBにも襟元とスカートの裾だけでどの学校か瞬時にわかる制服王がいたわ。 >>255 まだ見てないけどブラックウォーリアーズ オスマン帝国騎兵隊ってのが面白そう 最初に城壁を破ったのは、イェニチェリじゃなくて雑兵なんだよな 鍵をかけ忘れた門から入った それがなくても時間の問題ではあったろうが >>253 イエニチェリ軍団がバヤジットを見限って戦線離脱 共倒れを防いで皇子を逃すためでもあったが。イエニチェリは結構反乱起こしたりして独自で動く >>253 オスマン軍に対して当初の決戦の地が不利とみたティムールが撤退 バヤジットはそれを追撃するが、ティムール側は有利なポイントで待ち伏せ準備万端 急いで行軍した疲労状態のオスマン軍は戦う前から苦しい状況にあった 最強と最強のぶつかり合いは1日で決着が突きオスマン帝国は一時崩壊した 今日、BS日テレで「THE promise/君への誓い」 っていう、オスマン帝国のアルメニア人虐殺の史実に基づいたという映画が入るね。 ティムールは騎馬の機動戦、攻城戦も強いし3回くらい裏切ったやつを毎回家臣にしたりと色々面白い 20万の軍勢で明遠征の途中で死んだが永楽帝との直接対決勝ってたら確実に名将世界一だったろうな 固すぎてちょっとてがでなかったから調略がものすごくてというか あとでとれば自国投資で問題ないと東西の中継地だから 国が傾くくらい莫大に先行投資をして儲かるよねイスラム語使った方が利になるよねと もう既に戦術がどうこうっていう問題じゃなくて そっちの言葉使ってる方が人口区分が多いくらいで 落としたらあとで主言語やら宗教風習が変わるからそれなりに困り混乱するものを そういうのがもう慣れてるからほぼなくてとっくに既に落ちてたって えげつないやり方だったからな >>227 ユキムラチャンネルは面白いしよく作り込んでるけど、 学術的には分かりやすさ重視で幾つかすっ飛ばすから注意な 長篠なら金子拓とか平山優とか読んでみては 自然環境や疫病の発生が歴史に大きな影響力を持つと言うのが最近の学者の定説 >>227 1514年チャルディラーンの戦いを知らないの オスマントルコの鉄砲隊がサファビー朝ペルシャの騎馬軍を叩きのめしたのだ 長篠の戦い(1575年)どころか日本は鉄砲伝来が1543年だ >>227 塹壕に籠る織田軍を攻め損なっただけだよ。 別に鉄砲で勝敗が決まったわけでは無いぞ。 男色女色どっちも大好きで、美少年ハーレム持ってたよな。 >>268 20万じゃ無理だろ 秦の始皇帝が中華統一した時に最大のライバル楚を攻めた時、まず20万で李信が攻めたが 失敗しその後60万の軍勢で攻めてようやく倒したそうだから 千年以上前の中国内戦でもその規模なんだからw >>274 陣地で騎兵の突撃防いで鉄砲で射撃てメフメト二世がハンガリーにやられた戦術やしな 元はといえばハンガリーもそれをチェコにやられたんやが >>1 勢力伸長当時からイギリス海軍には完敗してたし ウィーンも落とせなかった 2度目は完全敗北 コンスタンティノープルの老いぼれとバルカンの雑多なザコを葬っただけ 現役欧州の面々には全く勝てないまま半植民地化されていった >>277 中国史書の軍勢の数字には信用が無い 明らかに盛っている 434418104443af0 中尾二さ43441810444310ん(おじいちゃん) 中尾京子さん(おばあちゃん=株式会社ゼロ役員) 中尾嘉宏さん(株式会社ゼロ社長=ちきちーた=FOX=夜勤=せしりあ等) 中尾八千代さん(奥さん) 中尾吏美佳(娘) 中尾優美子さん(前の奥さん=株式会社ゼロ役員) 中尾祐太さん(息子) 札幌市厚別区も、みじ台南、七丁目5番10号 自宅電話番号 011-897-7012 >>280 イギリス海軍といつ戦ったのかと小一時間 >>226 1543年鉄砲伝来からわずか数十年で日本は世界一の鉄砲数保持国になっていたそうだからねえ NHKの「歴史秘話ヒストリア」でやっていたけど伝来した種子島の領主、種子島時尭は鉄砲の 国産化を画策、幸運なことに種子島には優秀な刀鍛冶が多数いたので試行錯誤の末に国産化に 成功、あの本能寺の末寺が種子島にあったこともあって鉄砲の製法が関西にも伝わった 本宮ひろ志の漫画では本能寺を生き延びた信長が中国ロシアオスマン帝国を破り ヨーロッパにまで攻め込む壮大な話を・・・w 何やかや丁度都合のいい時期に両方とも滅亡したから、東西の ローマ帝国が滅亡した時を古代の終わりと中世の終わりにしてるんよね。 東の滅亡した時なんか、ヨーロッパ全体に影響与える程の存在とは程遠くなってんのに。 >>288 戦国時代の鉄砲数は正確に分かってないのに世界一の鉄砲数保持国というのもなあ >>282 そうだとしても20万じゃ無理だろ 秀吉が小田原城攻めた時と同じじゃんw >>1 アメリカも第一世界大戦後に世界覇権したと考えるとまだ100年ほどだな。 600年はすごい。 >>280 ニコポリス十字軍でフランス援軍をボコボコにしてる。イギリスは反スペインで友好関係。 >>277 風邪で命を落とさなければ明にも勝てたと考える人が多そうだけどな ティムールはそれだけ強いというか多分世界史上で最強の軍事指導者 アレキサンダーが一番やばいわ ほっといたらアジア一周してたろw >>289 東ローマが滅亡して学者が西洋に逃げたことがルネサンスを促進させてる。キリスト教東西合同がウクライナとかで今も尾を引いてる ティムールおらんかったらナンもビリヤニもタンドリーチキンも存在せいへん世界も有り得るてヤバいな >>289 十字軍の時は人種が違う異教徒の認識 東のイスラム攻撃の要請に対し逆にコンスタンティノープルを攻撃し陥落させて略奪の限りを尽くしたこともあるし オスマンに圧迫され滅亡しかけの時も西欧諸国に援軍を求めたが拒否された 最後の皇帝はバンザイ突撃的に討って出てオスマン軍に斬り込み行方不明になった >>297 ローマ帝国もオスマン帝国も征服できなかったペルシャを征服できたのはアレキサンダー 大王だけだからな >>296 まあ夢みるのは悪いことじゃないしな 武田信玄だって病死しなければ信長倒せたかもしれないしw フェリペ2世はエリザベス女王に手ひどくやられたという印象 >>304 こっちの方が鉄砲持ってるのに負けるわけ無いだろw 当時、フィリピンにスペイン兵は3千人くらいしかいなかった フィリピン全土制圧するのに19世紀までかかってるからね オスマントルコがあって メスチントルコが無いのは男女差別! そういやチムールは明遠征途上で死んだらしいが 死ななかったら明はヤバかったろう 滅んでたかもしれんな 東ローマの最後は都市国家みたいなもんだろ。 海陸全部を数年閉鎖してメフテルを昼夜問わず演奏するだけで落ちたんじゃないの。 モンゴル帝国かティムール朝のときとかにインド完全制覇してたら 糞みたいなカースト制度なくなってた可能性あるのかな? >>277 ケースバイケース。土木の変でエセンは2万で50万(自称)の明軍を破り皇帝を捕虜にした 関東軍は1万の兵力で満洲を攻略したし 逆にモンゴル軍を何十年と防衛したり日本軍と長期戦した 明でいうと朝鮮役の秀吉やヌルハチを撃退できたが李自成みたいな成り上がりに皇帝はやられてる そもそも明の始祖からして乞食出身だから。単純な兵数だけで決まるわけでもない 内部の裏切りが連続したらすっ転ぶ ティムールvs永楽帝だったら局地戦ではティムール勝利、その後ティムール朝の組織は貧弱だから恒久的支配は難しいと思うが中国内部の動きではどうなるかわからん 歴史のイフだからなんとも言えないが個人的想像 >>306 本国スペインから遠く離れてるから日本自体を占領は無理 当時としても鉄砲はそこまで決定的な兵器でもない オランダが鄭成功に負ける程度。元寇も朝鮮役もそうだが渡洋作戦は近くても補給兵力維持が困難 >>311 明も全盛期で兵の数では圧倒 永楽帝は名将で異民族討伐の経験豊富 好勝負だろう 永楽帝は年取っても遠征してモンゴル族を何度も撃破してるんだよな ティムールはイスラム(十字軍に勝ったバヤジット)、騎馬民族トクタミシュ、インドに勝ってるから永楽帝とやったら世界史上のドリームマッチだな 永楽帝は40半ば業績的に歴代皇帝の中でも戦上手。明軍は建国と内乱で実戦バリバリの時期 対するティムールは70歳だけど数年前にアンカラでバヤジットに勝っている。戦歴的には世界史上トップクラス ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる