【歴史】古関裕而が「史上最悪の作戦」のビルマで体験した恐怖 「牟田口閣下は毎日粥を二度食っては毎日釣りをしている」 ★2 [樽悶★]
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作曲家の古関裕而(C)共同通信社
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201010-00000009-nkgendai-000-1-view.jpg
「エール」第17週では、いったんは召集令状が届いた古山裕一(窪田正孝)だったが、作曲活動での戦争への貢献が認められ、召集解除となる。だが、古山が戦地に行くことを免れたわけではなかった。慰問要員に選ばれたのである。10月12日からの第18週で、古山は激戦地ビルマ(現ミヤンマー)を訪れることになる。
古山のモデル・古関裕而が特別報道班員としてビルマに派遣されたのは終戦前年の1944年4月。現地では、同年1月からインパール作戦が始まっていた。参加した日本兵の大半が命を落とし、のちに「史上最悪の作戦」とも言われた。
戦況は悪化の一途をたどっていたが、古関にはまったく伝えられていなかった。逆に、作戦はまもなく完遂するから、急いで現地に行くようにと、せかされたのである。古関は自伝「鐘よ鳴り響け」の中で「私は行きたくなかった」と明かしている。福島の母が病床にあるため、辞退したいと申し出たのだ。しかし、軍部はそれを許さなかった。軍部側は母の病状をすでに調べていて、それほど重態でもなさそうだと、外堀を埋めてしまった。古関はビルマ行きを承知するしかなかった。
特別報道班員に選ばれたのは古関のほかに、文学界から作家の火野葦平、美術界から洋画家の向井潤吉。火野はすでに日中戦争に応召していて、その体験をもとに小説「麦と兵隊」を発表。ベストセラー作家になっていた。その火野ですら戦地の惨状をまったく知らず、今からだとインパールは陥落して入城は間に合わないかもしれないと聞かされていたのである。
ところが、ビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着すると、特別報道班員たちの楽観ムードはすぐに吹き飛ぶ。参謀からインパール陥落はまだまだだと聞かされ、そこで初めて日本軍の苦戦を知る。
火野と向井は一足先に現地入りして、古関は陥落後にあとを追いかけることになった。出発する際、火野は古関に「ビルマ派遣軍の歌」の歌詞原稿を託した。ちょうどそのころ、ラングーンではペストが発生。恐怖におびえながらも、古関はなんとか曲を書き上げた。
■ペストにおびえながら曲を書き上げた古関
一方、前線に近づいた火野らはそのありさまを見聞きして愕然とする。制空権をとっくに失っていた日本軍は食料の調達すらままならず、餓死者が続出していたのだ。火野が残した手帳には「前線にダイナマイトを100キロ送ると50キロしかないと報告がくる。兵隊が食うのである」とある。ダイナマイトの原料のニトログリセリンは口に含むと甘い味がするのだ。火野はこうも記している。
「牟田口閣下は毎日粥を二度食っては毎日釣りをしている」
牟田口閣下とはインパール作戦を指揮した牟田口廉也陸軍中将。ひもじさで次々に倒れていく兵隊たちを横目に、自身はしっかり食事をとっていた。
戦後、火野は戦犯作家として激しく攻撃を受け、公職追放処分も受けている。それが原因というわけではないが、1960年53歳の誕生日の前日、自ら命を絶っている。
火野と違って、古関が戦犯としてヤリ玉に挙げられることはほとんどなかった。しかし、自分の曲で鼓舞された若者たちを戦地に向かわせたという思いは消えず、自責の念にいつまでも苦しめられたのである。(田中幾太郎/ジャーナリスト)
10/10(土) 9:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201010-00000009-nkgendai-ent
★1:2020/10/12(月) 18:18:47.59
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602494327/ >>743
イギリスだって貴族いるし
富の分配が民主化とは関係ない話
大正時代で資本主義の完成形になってたものが
戦後社会主義に落ちただけのことだろ
財閥だって下級武士が成り上がったものだぞ
アメリカンドリームと同じ
それを崩すってことは、今のGAFAを解体するのと同じこと
ぜんぜん民主的でもなんでもねー事 「輜重輸卒(しちょうゆそつ)が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち、電信柱に花が咲く」
陸上自衛隊での「需品科」「輸送科」
ここの出身で将官(将か将補)になったのは、戦後全部で一人くらいだったと思う。 >>743
>小作人が土地所有の
>自作農家に転換、貴族院の廃止して国民投票による衆参議員選出、
>大財閥解体による富の分散等、数多くの民主化が実現した。
それ民主化ではなく封建化。
議会を無視し、法を作らずに、人権をまるっきり無視した強権政治の成果だよ。
戦前よりもGHQ統治時代のほうが遥かに民衆に主権はなかった。
だからこそリベラル派はいまだにGHQを崇拝してるんだ。 >>755
まあニューギニアなんかと比べれば天と地だろうけど
自給自足体制ができていたからといって別に何不自由ない毎日が送れるという訳でもなかろう
ラバウルは気候も厳しいし伝染病の猖獗地でもあったから長く留まるには楽な環境ではなかっただろう
放置はされていたけど攻めてこないと決まっているわけでもないし
まあ生命の危険が少ないだけ天国と言えばそうなのかもしれんが >>742
こんなゴミのような同盟を推進したものは頭がおかしい
八紘一宇五族共和四方の海みな同胞も大日本帝国と
世界で一番優れた民族アーリア至上主義 ユダヤ人は絶滅スラブ人は奴隷 有色人種はサルと人間の中間種とか好き放題のナチスドイツのどこに共通理念があるのか
ただ単なるアメリカの参戦を防ぐ合従策に過ぎない それもドイツのバルバロッサ作戦で烏有となった 枢軸側にソ連がいたから成立していたのであってソ連が連合国側になった瞬間枢軸は泥舟になった
独ソ戦をうけて日本がすべきは関特演ではなく三国同盟の即時離脱 ソ連との同盟と軍事物資の輸出だった じゃんじゃん売りつければ満州工業地帯は超バブル完全雇用状態 >>763
>伝染病の猖獗地(しょうけつち)
70歳以上だろう?
今伝染病はない、感染症という。「猖獗」なんてせいぜい昭和30年代までだろう。読めない、書けない、イミフ。 >>395
それは一人分じゃなくて数百人だか数千人分が一日スプーン一杯って元兵士が動画で言ってた。 インパールは面白れぇなあ
ウヨとサヨが手を組んでいる テーマは変わるが、ナチスドイツは日本の駐在武官をハニトラ漬けにしてたから
今の中共北京政府を笑えない
ドイツでハニトラ接待された武官が米国勤務になって、接待要求したら「我が国は自由恋愛でどうぞ」と言われたという インパールで勝たなきゃどこで勝つんだ?
どうやって戦争に勝つんだ?
勝ち方を書けよ 士官クラスが優遇されるのはどの国でも同じでしょう
スターリングラード降伏後にロシア軍が将校と兵の栄養状態の差に直ぐ気付いたらしいし
牟田口が人間の屑である事を否定するつもりは無いです 念の為 >>22
捏造の犬HK
編集の自由を主張する犬HKwww アメリカが参戦した時点で勝ちはない
「条件付き降伏」の少ない可能性はあった
昭和16年時点での連合国の最弱であるオランダと、大敗したイギリスの2カ国に陸海軍の大半のリソースを注ぎ込んでインドを落とす
英国が音を上げるチャンスは昭和17年の乾季しかなかった >>765
古臭い言い方をして悪かったね
そういう風に書いてある本があったのでそのまま覚えてしまっていたんだよ
意味が通じたんならそれでいいよ >>759
ビルマから現地徴収しただろ。
その目と鼻の先のインパールに送れなかった。 >>10
典型的な論点のすり替え
兵士が食えない問題と、高級将校になるならないは別問題 >>769
インパールの後にマリアナ決戦、レイテ決戦、本土決戦ってあったよ >>775
インパール作戦は、途中で現地補給する作戦。
あの何百kmの細い街道(農地はほとんどない)を、無補給で行こうという無謀な作戦。
ビルマで補給したものを、補給部隊(蝶々トンボ)や自分たちで運ぶ計画ではなかったし
実際問題として、途中で運べなくなったが、突進した。
「インパールを奪取すれば何とかなる」という理屈
もちろん復路の計算無し、補給部隊、医療部隊で出迎えようという計画ゼロ。
トランプみたい「負けたものに用はない」 インド人に言わせれば、インパール作戦でえらく意気高揚したらしいからな
結果的に良かったんじゃないの?インドの独立にとっては。
日本人からしたら、噴飯もののバカ作戦だっただろうけれど・・ >>779
結果的によかったということなら第一次世界大戦がアジアの植民地独立運動のきっかけになったし、
ドイツが戦争はじめたのもよかったよ。
ドイツがオランダとフランスを占領してなきゃ日本は仏印にもインドネシアにも手を出してないし。 >>780
結果的によかったの最たるものは14世紀のペスト大流行じゃないかね。
労働力が猛烈に不足したおかげで非効率な封建制度が崩壊し始めたわけだし。 >>773
それが東条と結んだ牟田口の作戦案なんだろうな。
「戦局打破、捲土重来」でインパールからインドを落とす。
落とせなくても重慶までの補給ラインに打撃を与えられれば、中国の戦況に良い。
イギリスは筋を読んだかスパイか暗号解読か航空偵察(たぶん全部)で、完全に準備を整えて待っていた。
「飛んで火に入る夏の虫」
ていうかジャングル山岳地帯を何百kmも無補給で動く。
日本で言えば、「夏の奥羽山脈無補給縦断より遙かに難しい」バカを飛び越えている
「桶狭間とハンニバルと鵯越の合わせ技」なんて、今の空挺団でも厳しくないか? >>770
日本軍の場合はその格差が酷くて
将校がビールを飲みながら刺身や牛缶を食ってる横で
下士官兵は将校に出した料理の食材の余りをごった煮にしたような雑炊を食わされてた
(下士官兵用の缶詰や嗜好品も用意されてたが将校の連中のところで止まってた)
空腹や待遇の悪さに耐えかねて倉庫から食料をギンバイした下士官兵は
士官にバレると「帝国軍人が空腹くらいで盗人になるとは何事か!」とぶん殴られた
こういう積み重ねが下士官兵と士官の間に溝を作り、真の意味での「一致団結」が出来なかった
ソースが「大空のサムライ」なので信憑性は微妙だが 昭和19年の英軍はM4戦車配備重武装化していたから、貧弱な日本の対戦車火器で落とすのは不可能になっていた
作戦発動が二年遅い >>782
Wikipediaのインパール作戦の記事にインパール攻略時の日本軍の展開地域を日本地図に落とし込んだ例えが載ってたが
コヒマ攻略部隊…軽井沢を出発して浅間山に登り長野を西に横切って高山経由で金沢に攻め込む(第31師団)
インパール攻略部隊…甲府を出発して槍ヶ岳に登ってから岐阜に攻め込む(第15師団)ルートと小田原から同じように山々を超えて岐阜を目指す(第33師団)ルート
補給部隊…宇都宮に展開
牟田口司令部…仙台に展開
将兵は30〜60キロの装備を背負って移動手段は基本的に徒歩
道中は英軍とドンパチしながら前進する
これ自衛隊でも無理だろ >>781
ぜんぜん良くないよ
そのおかげで大航海時代が始まって新世界は壊滅
アフリカアジアも大変な目にあった >>785
ありがとう
当時のぬかるみや森林地帯はもっとひどかったと思う。
ドングリもネズミもない。 文化史を語るスレじゃないからな
近代戦史、しかも太平洋戦争を語るスレ 戦争になると最前線の最高司令官でも一日粥二食でも贅沢だろくでもないとなるのか
一日かゆ二食でもしっかり食事をとってるってなるのか
俺も一日かゆ二食にして食費節約しようかな、一日粥2食でいけば付き食費1万円とか楽に切れそうだ >>791
日本人は何かにつけて我慢大会が好きだからな。
我慢が足りない奴には厳しいんだよ。
特に戦前右翼の系譜である現代のリベラル派にとって苦労や我慢は手段ではなく目的だから。 >>785
それでも曲がりなりにコヒマやインパールにたどり着いたからすごい。
ハンニバルと違って半分以上は(往路では)生き残っただろう?
桶狭間でも、信長の直衛隊(馬廻衆)は、今川義元まで相当生き残った。 >>794
LGBTQでも国を代表する大臣になって実際に非常時の国を動かせる台湾こそ未来の国だと思う。」 >>795
LGBTQでも国を代表する将軍になって実際に国を動かせた江戸時代の日本は過去の国だと思う。 戦中世代に反抗してた世代の団塊経団連が、牟田口そのままの奴だらけというね 貧弱な装備と不十分なサプライで英軍グルカ師団と戦った精神力は俄かに信じられないぐらいに凄みがあった >>10
東大卒で高級将校だった大勲位中曽根康弘でさえ、
最前線に送り込まれて運良く生き延びれた方なんだが
当時の日本人は上から下まで、
単純に運で生死が決まってしまっていた >>799
中曽根の最終階級は少佐。
軍大学も行ってないし高級将校とは言えない。 上官の命令は天皇の命令と同じである!
そうやって自国民を殺した。
何が右翼だ!何が保守だ!
右翼とか保守なんて日本の国賊じゃないか! 戦前は今以上に学歴社会だったんだろ、まともなエリート連中は先の大戦で殆ど殉職し、カスみたいな卑怯者が生き残って今はその子孫達が日本を牛耳ってる 敷島の 大和心の ををしさは 事ある時ぞ あらはれにける
という奴なのだろう
天皇とは不思議なものだ インパールは作戦自体は悪くないと言われていたよな、ただし補給がある前提だけどなw >>804
攻勢限界を考えない進出計画にどんな悪くない点が? >>759
モスクワ戦で足りなかったのは燃料・弾薬・冬服だろ?
現地調達で何とかなると思っていたとは思えんが?
物資が尽きる・冬が来る前に攻略できるはずだったのができなかったと言うのが正しいだろう。 森山直太朗は映画プラトーンのファンだったからあの死に方は本望だったかもw >>765
40代でも普通に使うわ
あんたが何歳か知らんが >>805
補給がある前提って意味理解しているかい? >>801
社会主義国家のソ連も「同志スターリンのために!」で自国民を殺しまくっていたが、何か?
右も左も似たようなもんだよ、「パヨク」と「ネトウヨ」が似た者同士の目糞鼻糞なのと同じさw 悪くないというより、日中戦争を終わらせるためには必要かつ不可欠な作戦だな。 >>793
英軍もそんな山岳地域に守備隊置いてたわけじゃないからな
近くまでは普通に行ける >>809
補給があっても連絡線すら防衛できないところに進出するんだろう?
どんな良いところがあるんだ?
テロなら打撃さえ与えれば成果だが
軍隊の進出はそこを保持できなければ単なる犬死だぞ? >>806
冬がくるまでに攻略できるとか
そういう不確定要素のある作戦を立てる馬鹿はどこの国にもおらんよ。
単に補給計画が計画通りに実行できなかったのが敗因。 ばかの4乗
作戦立案 第15軍(牟田口) ばか
↓
承認 ビルマ方面軍(河辺) ばか
↓
承認 南方軍(寺内) ばか
↓
承認 大本営(杉山) ばか >>793
どんな戦いでも死者が増えるのは敗北が決まったあとの撤退時だよ。 補給さえあれば、だけじゃ足りない
制空権を握らねば地上部隊だけでは重装備の英軍に対抗できはしなかった >>814
残念ながら冬季戦をまともに行う補給計画などはなかった >>819
計画自体はあったけど鉄道があれで実行できなかった。 P-51に後期型スピットファイヤー、こいつら相手にできる機体は昭和19年には日本に無かった >>820
冬季装備は後方にもなかったと聞くけど? >>822
冬季装備は備蓄されてたよ。
ドイツの冬仕様だったからロシアの冬には対応できなかっただけ。
あと冬季装備として想定されてなかった靴下の不足が深刻だった。 戦争でクソだったゴミの子孫が支配してるのが今の日本
あと300年くらい経てば血が入れ替わるだろう >>822
ドイツ軍に冬装備がないわないだろ。
歴代北欧やポーランド、オーストリアが主戦場なのに。 >>759
モスクワを直前にしてマイナス40度の大寒波によりエンジンオイルや
潤滑油が凍りついて戦車もトラックも全く使えなくなり
フィンランド冬戦争の教訓から対策済みだったソ連軍に惨敗した >>2
いくら自民党肩入れしても報われないネトウヨ失業者 俺がこの将軍だったら。
そうだな。何しようかな。10万人くらいいるんだろう?
ビルマで開墾?
戦争をわざわざしなくてもいいだろう?持久戦でいいんじゃね? そもそもビルマ進駐が、援蒋ルートの遮断目的だから
インパール作戦を行わないならビルマに兵を置く理由すらなくなるからな。 援蒋ルート遮断の最適解は昭和17年のインド攻略
連合艦隊の主力はインド洋に置く
援蒋ルートもソ連援助ルートも全て妨害できる 連合艦隊はアメリカの空母を追いかけることに必死で
当時の大日本帝国にとって何が1番大事な作戦なのかを理解してなかったからなあ。 >>390
ラングーンに愛人の芸者連れてきていたと聞いたが 別にアラカン山脈越えせずともインド亜大陸に上陸作戦かませば良い うむ海軍が太平洋で精一杯なので、印度洋での上陸作戦は無理やね。 パレンバンの石油はシンガポールで精製してすぐに空母機動部隊に補給できる 制海権も確保できないのに海からの上陸作戦て単なる自殺だな。
少年十字軍より酷い結末しか見えない。 全部牟田口のせいみたいに言われてるけど上級司令部が素通りさせたのが悪い定期
河辺に寺内、東條が真の戦犯だぞ そういう意味じゃなくて
米海軍だけで精一杯でインド洋に船をまわす余裕が全くない。 日本の機動部隊が使えるのはアメリカ艦がレーダーを装備する1943年いっぱいだから
それまでインド洋で暴れれば支那軍は無限ポップしなくなるしソ連のウラル工業地帯の稼働が落ちる 英国は守るべき戦域が広大過ぎで艦艇が不足がちなのは日本もアメリカも同じ
空母6隻をインド洋に集中すればインド洋の制海権は取れる
ただし1944年以降は日本艦は浮ぶ的になるから、いかに43年までに空母機動部隊の泊地を察知させないかが鍵となる >>824
>>826
ゼロだったわけではないが全然足りてない >>830
そんなことはない。
輸送能力の低いハンプ越え以外は遮断できていたのだからビルマを制圧している意味はあった。
レド公路が開通するのはまだ先の話。 日本のアセットとリソースでは、2年しか全面戦争やれないし、それ以上戦うのは無駄だから無条件降伏とっととやるべきだった
太平洋の制海権を取れる海軍アセットは元から無いし、本来ならアメリカとの戦争やるべきではなかった
しかしルーズベルトが戦争やりたくてたまらなかったから、いかんともしがたい状況だった
太平洋の制海権はアメリカとの生産力の差で取ることは不可能
なら太平洋は捨て駒にしてインド洋で暴れるほうが有利
英国のアセットには日本海軍でも十分対抗できた
1944年のインパール作戦は遅すぎる
日本陸軍海軍ともノーチャンスだった 朝ドラではインパールで一回前線に行っただけで
あとは宿舎で洗濯物干してるだけだったね >>8
しかも自民党とつるんでアメリカに国益流し私腹を肥やしまくったからな 火野葦平だって戦地に従軍してるというのに、
村野鉄男ときたら…… >>626
じゃないと守るべき自国民を家族を人質にとって脅して特攻させまくったりせんわ
あいつらが守りたい国というのは国家でも国民でもなく自分らの利権でしかないから >>842
集中したら一時的に制海権は取れるかもしれないけど出ずっぱりと言うわけにはいかないのでは?
仮にインドに上陸しても海岸沿いの占領地から奥には進めない気が。 >>851
インドを完全制圧する必要ないのがミソね
バトルオブブリテン、ロンメル北アフリカ軍団に、日本のインド上陸が加わったら英国は焦って下手な動きをやらかす
こっちは通商破壊がメインだから、粛々援蒋ルートとソ連ルートの輸送船沈めて行けば良い >>825
戦中美化は21世紀になって飛躍的に活性化した
昔は右翼の妄言だったデマテンプレの数々が今はネットの常識
今後ネットデビューする世代はそういう日本しか知らないし実際に戦争を体験した世代は消えつつある いかにマシに負けるべきだったか?を具体的に考えることが太平洋戦史を学ぶことだと思う
自分が生まれる前に爺さんが死んだのは勝の目が全く無くなった1944年以降も天皇と大本営がズルズル人命軽視して無謀な作戦実行しまくったせいもあると思っているとこあるから
個人的理由もある
生まれる前に規定された事実だから如何ともしがたいが、もうちょっと何とかならんかったのか?というぐらいの感覚 >>853
戦前右翼の系譜を正しく継承しているリベラル派が
世代交代によって取り繕う必要性を理解できなくなったからな。 東條に気に入られて無能が出世
国民の財産である公有地を安倍に気に入られようと激安で売り飛ばした佐川が出世するのと同じ構図だな 前川喜平みたいなやつだな
それを応援するバカがいるから怖い >>839
長州閥憎しの東條と反目してる寺内は、東条の肝入りの牟田口に口出しできんよ
ただ失敗しても東條の責任にできるから目瞑ってハンコ押したんだろうな >>818
制空権はねえ…
緬甸マレーからはドーリットル空襲の影響で本土防空にだいぶ持っていかれたからね
無駄に本土防空に拘って戦力分散させていたのはもったいないな
でもインドでの反英と独立機運が最高潮に達したのは、1943年のベンガル飢饉がきっかけだから
1942年当時の情勢では、ビルマ固守しかなかったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています