【福岡】「Go To 邪馬台国!!」 伊都国歴史博物館「伊都国から魏志倭人伝の国々を探る」企画第3弾、特別展「末盧国」開催 ★4 [樽悶★]
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朝鮮半島から海を渡る。対馬国、続いて一支(いき)国に至る。さらに海を渡ること千余里。末盧(まつろ)国に至る。4千余戸があり、山海に沿って住んでいる−。中国の歴史書「魏志倭人伝」冒頭の概略だ ▼特別展「末盧国」が福岡県糸島市立伊都(いと)国歴史博物館で11月23日まで開催中だ。末盧国は現在の佐賀県唐津市周辺にあったとされる弥生時代の「クニ」。伊都国を紹介する同博物館が「伊都国から魏志倭人伝の国々を探る」企画第3弾として、今回は末盧国に焦点を当てた。末盧国王の鏡や国内最古の水田跡・菜畑遺跡から出土した農具など250点を展示している ▼31年前、「邪馬台国時代のクニ」出土と大ブームを巻き起こした佐賀県の吉野ケ里遺跡。ここでも邪馬台国がらみのイベントが11月8日まで開催中だ。末盧国−伊都国−奴(な)国(福岡市周辺)までは異論はないが、その後は議論百出の邪馬台国へ。行楽の秋、あなたも「Go To トラベル」よろしく、邪馬台国探しのロマンの旅に出てみてはいかが。(九州総局 永尾和夫)
産経新聞 2020.10.22 07:01
https://www.sankei.com/region/news/201022/rgn2010220022-n1.html
★1:2020/10/25(日) 23:59:24.09
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1603810305/ 『晋書』
宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見
宣帝(司馬懿)が公孫氏を平らげるとその女王(卑弥呼)は帯方に使いを寄越し朝見した
司馬懿とは何者なんだ?
こいつだ
https://www.youtube.com/watch?v=mH9BVMY3Yl4 邪馬台国ハワイ説。
邪馬台国シベリア説。
邪馬台国イスカンダル説。
そんなのがあるそうだ。
つまり、ホラ話に翻弄されているのではないのか。 https://i.imgur.com/FApaT2j.png
邪馬臺はヤマトとは発音しなかった……近畿説の根拠がなくなっちゃったねえ >>3
日本史板での結論
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg 後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、
邪馬台国が魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられるまで、
公孫氏とともに倭の大国に成長し、倭奴國国王として君臨した
九州の倭奴国(天皇家の祖先の筑紫城)は、
対馬海流を克服して、どのような航路で大陸と行き来していたのか
まず、九州から大陸に向けての航路は
九州西岸の五島列島から沖合いに出て、海流に流されて対馬
対馬から沖合いに出向し、海流に流されて、朝鮮半島東岸の新羅
新羅から海岸を伝って帯方郡(百濟)だろう
では、大陸から九州に向けての航路はどうだったのか
636年に魏徴が書いた隋書により
朝鮮半島西岸の百濟から沖合いの竹島に出て
済州島を南に見ながら海流に流されて【東に進んで】対馬まではたどり着けることがわかっている
『梁書』倭人伝(629年完成)と『隋書』倭国伝(636年完成)では、対馬からまた海流に流されて【東に進んで】一支国という島に渡り、そこから行き先が分かれ
『梁書』倭人伝(629年完成)では、末廬国に上陸後、わずか4か国で奈良に着くのにたいして
『隋書』倭国伝(636年完成)では、竹斯国(筑紫)と西に戻って九州に上陸後、十余国を経て奈良に着くとある
末廬国は九州には無い 本居宣長「邪馬台国は九州」
新井白石「やっぱり邪馬台国は九州」
現代の学者の大半「九州かな」
キチガイ学者「邪馬台国は近畿ニダ」
纏向「言ったもん勝ちニダ」
近畿にあったと仮定して何も邪馬台国の記録が残ってないのは不自然だろ。
そう考えると本居宣長の「邪馬台国は朝廷を騙った九州の豪族」って説が一番しっくりくるわ。 >>7
一番確かなのは邪馬(ジャバ)大国
インドネシアのジャワ島
長里で1万2000里ならインドネシア領内 九州説が邪馬台国の証拠として挙げる記録とは、
どれだけ卑弥呼と関連できているのかが不明だ >>8
ipa=発音記号の読み方知らない馬鹿がまた出てきたwww >>3
邪馬台国は伊都国の南、徒歩すぐです
翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂)
が引用している「廣志」に、邪馬台国の場所が記されている。
https://i.imgur.com/aoXGq7Z.png
邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。
廣志曰く、倭国東南陸行五百里、到る伊都国。
又南、至る邪馬嘉(臺)国。
※伊都国:福岡県糸島市,福岡市西区あたりと言われている もう同じことはつまらないから、和語の音で
【倭人伝に見る、諸国名、倭人名考察】
【王名】
奴王/(難)升米
都支王/(都市)牛利
巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗
*国名参問と帯方郡での名乗りで記録の当て字が別
邪馬台/卑弥呼
狗奴王/卑弥弓呼
卑弥 が役名で呼が女性、弓呼が男性
【247年 張政による漢語化 和語の固有名詞人名】
張政は遣倭載斯烏越等詣郡の倭人船に同行で来日の郡の官僚で査察者
帰国は壹與の遣使掖邪拘等二十人 と送政等還因詣臺
對海/卑狗 卑奴母離
一支/卑狗 卑奴母離
伊都/爾支 泄謨觚 柄渠觚
奴 /兕馬觚 卑奴母離
不彌/多模 卑奴母離
*對海 一支 奴 国名は魏の東夷概念図や漢文書を踏襲=表意文字である
*伊都 は 伊国に置いた都の意? 奴国の中の伊地域かな?
*卑奴母離は現地任命の官ではなく乗船者、同行者の可能性が高い
*卑は役職名で狗国(狗邪(韓國))の卑及び 奴国の卑で名が母離
*泄謨觚 柄渠觚 兕馬觚 多模は国名不明で、女王国21国外、一大率の役人? 【240年 梯儁による漢語化 和語の固有名詞人名】
梯儁は郡の将軍だが卑弥呼に金印紫綬の皇帝の使者で卑弥呼王宮まで行軍
奇襲に使った帆船と思われ、魏軍として初めての宝物を運んだ韓西岸行軍、対馬渡海。
行軍については、水行、陸行に関して里程を示せる経由地、宿営地名は無い。
投馬/彌彌 彌彌那利
邪馬壹/伊支馬 彌馬升 彌馬獲支 奴佳鞮
狗奴/狗古智卑狗
*投馬国は、無名時の弁辰韓5万戸24国の仮称=表意文字である
*彌彌 彌国の彌なら王、彌彌那利なら、その子分?
*伊支(壱岐の)馬、彌馬は邪馬で升、獲支。奴国の佳鞮。
*狗古智卑狗 狗国の古智。役名が狗国の卑。狗奴国の省略形?
*邪馬壹 名無しの女王国21国、7万戸の梯儁による仮称。
*壹は臺を、曹家に配慮して陳寿が修正。
梯儁の 漢語化邪馬台国所属の参問21国 国名
斯馬 巳百支 伊邪 都支 彌奴 好古都 不呼 姐奴 對蘇 蘇奴
呼邑 華奴蘇奴 鬼 為吾 鬼奴 邪馬 躬臣 巴利 支惟 烏奴 奴
狗邪(韓國)
国家概念としての国
投馬(24国5万戸)邪馬壹(21国7万戸)狗奴(?) 参照・馬韓(54国10万戸)
国家名の説明で所属国列記は、韓伝、倭人伝共通の筆法。 >>9
その地図は九州の西側は合ってるけど東側に修正がいるらしい
87 :ニューノーマルの名無しさん :2020/10/28(水) 02:23:05.26 ID:02Gx9kmc0
面白いものを見つけた
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が
九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ラインだろ
https://i.imgur.com/31R7rP6.jpg >>24
それ邪馬台国が近畿にあっても成り立つでしょ
女王国と狗奴国の南北の関係として
なんで九州限定と思っちゃうのよ
邪馬台国が鉄器と関係してる都市である必要はどこにもないはず 人が動けばコロナに当たる
強制的に共生が強いられる 矯正の未知を歩く
歩けば 勝手に 前スレ978
はるか後世まで単に文字を読み書きできるだけで特殊なエリート扱いだったんだから、文字を読み書きできる上である程度勉強しないと理解できないような事柄など、実質まるで知られてないに等しいに決まってるじゃない。
だけど、実際に航海できた者なら、方位はかなり正確に把握し続けることが出来たということでしかありえない。
距離感覚も全くデタラメでは生きて往復できるわけがないが、正確に測量し続けたということもあり得ない。
距離は適当でしかないと割り切るしかない。
って、スレの流れが早い。 >>3
>水行十日陸行一月
は、水行十日陸行一日の間違い
帯方郡から水行十日、末盧國から一日となる
下の地図で言う
末盧國から青色矢印方面に向かって山越えすれば
そこはもう邪馬壹國の地域で陸行一日
橙○が主だった中心地域、橙●が卑弥呼がいた山嶺
通常は伊都國経由で向かう
https://i.imgur.com/5LPgiD2.jpg
ちなみに投馬國は宮崎あたり
北部九州の女王國連合と相当な良きパートナーだったのだろう
もちろんイワレビコ生誕の地 >>16
そんな飛び離れた位置に半島西部から行き来することはありえないので棄却。 >>26
よーく見ろ、畿内説なら都のはずの畿内には全く鉄族が無いw
九州には大量にある鉄器が畿内にないのは畿内と九州が別勢力だったからでしかあり得ない
畿内説はノーチャンス 出雲の伝説によれば
天照大神により神逐された建速須佐之男命は新羅に渡り
新羅から、出雲国に近い石見国・五十猛の海岸に上陸しここから出雲国へと向かったとされている。
これがまさしく
『魏志』倭人伝(297年完成)に記載されている
末廬国に上陸し、
草木が生い茂って、前に歩いている人が見えない道なき道で
伊都国へ
の
ルートだろう >>31
まあ東九州と西九州の間には山が多いし、東側は女王を共立した国と考えれば>>24ともさほど矛盾は無いしな
>>9は概ね正しいと言ってもいいだろう >>24
おおこれメッチャはっきり分かるやん
何が謎だったんだ? >>33
逆だぞ?
鉄器が沢山出てくる方が
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ、
邪馬台国が魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」に任じられるまで、
公孫氏とともに倭の大国に成長し、倭奴國国王として君臨した
漢委奴国王
邪馬台国の親魏倭王なんて
238年 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈
266年 生口30人、白珠五千孔、大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
ぐらいしか献上できねーんだから、鉄器なんか出てくるわけがない >>25
「馬」のローマ字 raの読み方は特殊な発音表示法
Baxter, William H. (1992), A Handbook of Old Chinese Phonology
を読めばわかる >>38
で魏晋時代の邪馬臺はなんて発音するんだい? >>33
その「あり得ない」がミスリードに導くんだよ
中国からの使節の誰が、畿内と九州を別勢力として見立てる必要があった?
それを必要の前提として見ているのは現代の倭人だけでしょうに つまりだ
しょぼい遺跡や出土品しか出てこないほうが
238年 生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈
266年 生口30人、白珠五千孔、大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
ぐらいしか献上できない邪馬台国
な
福岡の糸島市の三雲・井原遺跡や平原遺跡
佐賀の吉野ヶ里遺跡
それらの出土品は
しょぼい邪馬台国にしては【立派すぎる】んだよ >>37
白珠=パールを五千個は当時としては超凄いお宝だよ
君みたいに根拠のない妄想話ばかり並べてるから畿内説は惨敗する羽目になったんだよ 57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見し
倭國国として君臨した『後漢書』の「倭奴國」は
150年ちかく
九州北部に存在していたことが確定されている
邪馬台国はそれより大きいか、豊かか >>40
>中国からの使節の誰が、畿内と九州を別勢力として見立てる必要があった?
イミフ
魏の使節は最初から九州の邪馬台国と交渉してたんだから畿内なんて認識すらしてない
魏志倭人伝には女王国の東には海があって千里渡海するとまた倭種の国があると記されている
これが本州の人々
当時の中国人にとっての本州はこれだけの存在 邪馬台国は考古学で見ると大和国のことともう学会では決着がついてる
論文も全て畿内説前提で書かれてるよ >>46
ヤマト王権の祖が畿内というならわかるが
邪馬台国が畿内とか論理の飛躍をいくつか挟まないと無理だろw >>26
畿内説(笑)は魏志倭人伝に記された方位の南は東の間違いニダ!だから邪馬台国は畿内ニダ!って言ってるじゃん
だったらその邪馬台国の南にある狗奴国が九州にあったらおかしいだろ 喧嘩ばっかりするから、もう間をとって東京ってことでよくね?w >>9
>>24の発見によってさらに盤石になったな
もはや否定しがたい 魏の使節は邪馬台国に行ってないんだから詳細は伊都国までしか書いてないと考えとけよ
海の向こうなんか倭種の国の四国だって出雲だってあるだろ >>45
>魏の使節は最初から九州の邪馬台国と交渉してたんだから畿内なんて認識すらしてない
邪馬台国と交渉なんてどこにもない
女王国の九州の伊都国で交渉に着いただろうけど
邪馬台国の場所なんて認識すらしていなかったかもしれない
>魏志倭人伝には女王国の東には海があって千里渡海するとまた倭種の国があると記されている
当時の航海術に私たちが俯瞰的に地図で見るような“絶対座標の感覚はなかった”はずで、
方角については、それを確認する視点視点によって、
相対的に東西南北を決めて記されていたことは自然に考えられる >>50
狗奴国が鉄族にないことはその地図からも明らかなのだから、
それが近畿の南側にあっても矛盾することにはならないはず 狗奴国は女王国と対立するくらいの国であったのだから、
それを九州南部だけの国として限定する必要はないはず、ということ >>54
>方角については、それを確認する視点視点によって、相対的に東西南北を決めて記されていたことは自然に考えられる
ね−よボケ
当時既に中国には永久磁石を利用した指南魚という方位磁針の原型が存在する
>>55
日本語でおk
結局畿内説なんていうのはこういう嘘と妄想とデッチ上げの塊でしかないんですよ >当時既に中国には永久磁石を利用した指南魚という方位磁針の原型が存在する
なるほど
では倭人伝の方角の記述はまず間違いないということですね >>39
魏ではヤマト
「邪」の発音記号は従来のモノなので
/ja/≒ヤ
Baxter, William H., and Laurent Sagartは上古音を研究するには
閩(福建省の古い呼び方)語を参照すると書いている。
臺は支那最古の方言でto、広東語ならトーィ
だからヤマト >>56
文化的つながりが全く見られないのでそれはあり得ない
狗奴国で使用されていた免田式土器の分布がその代表格
25不要不急の名無しさん2020/09/18(金) 07:06:39.93ID:68Ek905f0
免田式土器と呼ばれる弥生土器のグループがある
免田式土器は卑弥呼の時代に作られた土器で、古墳時代に入ると消滅する
その分布から、邪馬台国の南にあったという狗奴国の土器と考えられている
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/22178
> 1.免田式土器とは何か
> この免田式土器は、弥生時代の後期後半頃に盛んに作られたようです。3世紀、「魏志倭人伝」の中に
> 邪馬台国や女王卑弥呼のことが述べられている時代とほぼ同じ頃と考えてもよいでしょう。
https://special.sankei.com/a/life/images/20190902/0001p1.jpg
分布の中心は熊本平野南部と球磨地方(人吉盆地)、そして阿蘇
熊本でも菊池川より北にはごくわずかしか分布せずこれは交易などによるものと考えられる 26不要不急の名無しさん2020/09/18(金) 07:06:45.99ID:68Ek905f0>>76>>95
免田式土器の分布から邪馬台国の南にあったとされる狗奴国の版図がおおよそ割り出される
https://i.imgur.com/4pKQIsd.jpg
https://i.imgur.com/xysLhhD.jpg
邪馬台国はこの北側なので、魏の使者が上陸した玄界灘から熊本の菊池川以北までが
共立国を含めた女王の勢力圏となる >>59
なんでいきなりIPA発音記号から離れた話を始めるんだよw
https://i.imgur.com/NYxmyGs.png
発音記号があるんだからそれを素直に発音してみてよ やっぱ金印は
委の奴国王じゃなく委奴国王だよな
GOTO邪馬台国じゃなくGOTO委奴国(金印の国です)がいいんじゃないかな
漢委奴国王は邪馬台国の前時代の覇権国家なんだし 狗奴国のほうが旧在住の倭人の海洋国家であるなら、
九州南部から近畿南部に至る連合国家であってもおかしくないでしょ
女王国が邪馬台国を含む連合国家であるならば
倭人伝の記述のメインが女王国なので、
狗奴国連合の国家群がどのような関係で詳細に書かれてなくともおかしくない >>64
海を渡るのに船を使いましたとも書いてないぞ
当たり前のことは記録されないんだよ ぶっちゃけ、邪馬台国の南に狗奴国の解釈は畿内説にとって鬼門だ
しかし、あくまで可能性は広げておく >>22
倭人伝は壱岐を一支と書いてるから
都支はトキ又はトゥキと読むはず。 >>56
正解。
魏志倭人伝で、「その次に奴国、女王境界 その南に狗奴国」
又、後漢書でも女王国から東へ千里に狗奴国。
つまり、女王国の範囲は、若狭湾あたり。
狗奴国が大和政権と見ている。 こんな便所の落書き場所でどこの馬の骨かわからん糞ジイイが
「〜は間違いで〜」とか言われてもなあ
まあガンバレ 押しやられたんだよ南に
女好きの男どもだけ(失礼w 賢明な人たち?だけ)が北側に従ったのさ
こう書くと、狗奴国は野蛮人にあったと言ってるようなものにもなるが >>33
淡路島から出てる
あと滋賀の大津付近からも出てる >>67
船以外で日本海渡れる方法なんてあるのかと小一時間 >>74
淡路島も滋賀も北部九州の海人族安曇の遺跡だよ
301 :不要不急の名無しさん :2020/08/30(日) 22:50:58.33 ID:t3VPUgZu0
>>283
淡路島の製鉄所からは北部九州式の返しのついたヤスが見つかっている
瀬戸内海を制していた北部九州の海人族の遺跡だよあれは
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018iron/18iron03.pdf
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
弥生時代の海の勢力図
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下 >>76
無いよ
だから当然のことは記録されないと言ってる
日本語難しかった? >>74
滋賀も卑弥呼の3世紀までに安曇の植民地にされている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照) >>62
「馬」は絶対にラとは読まない
保証する。 >>79
なにを言ってるのかさっぱりわかんないんだが
その指南魚がなかったら日本海を渡れないのか?
指南魚持ってない倭人は半島に渡ってんだが >>81
名無しの保証なんか要らん
間違ってるかどうか知らんがとりあえず台湾大学の関係サイトで表示されてる
発音記号の発音をそのまま素直に読んでみてよ
jia ra əї 畿内説を採るにしろ、
日本海側海路の可能性があるから、
海洋技術に優れた人たちがいてももちろんおかしくはない >>82
お前が何を言ってるのか分からん
魏志倭人伝は魏の人間が魏の常識に従って書いたものだ
魏では当たり前の指南魚をいちいち使いましたと記す必要性が無い 文化的つながりは確かに実証的だが、
当時の背景がそれほど文化的に明確に分離された安定にあったかどうかに、
疑うことは可能であるはずだ >>86
持ってない可能性もあるだろ?
魏の人間は倭人の案内で行ってるわけだし
海は泳いで渡るなんて現代でもお目にかかれない >>82
指南魚 後から発明されるコンパス、羅針盤になる。まあ、使っていたのかは、定かではない。
陸地が見えない所は、太陽や星の位置だろうな。
海岸航法なら必要ない。 >>78
淡路島のに、舟木遺跡では、平成29年度の調査で出土した鉄製のヤスや釣り針などから、
鉄器の流通に海民集団のネットワークが深く関わることが想定されていました。
今回の調査で確認された他地域からの搬入土器は、舟木遺跡と具体的に交流のあった地域を
知ることができる貴重な資料となります。
特に、北近畿系土器の出土は、これまでに想定されていた瀬戸内の海を介したネットワーク以外にも
、本州を経由する南北の交流があったことも想定させる資料であり、
舟木遺跡のネットワークの広がりを知ることができる貴重な資料と考えられます >>88
>持ってない可能性もあるだろ?
無いね
未知の国である倭国についての情報を集めるのも魏使の役割のうちだからな
当然方位を測量するために指南魚は持っていかなくてはいけない
太陽や星による測量は曇りや雨だと使えなくなるからな
いつでも確実に使用可能な方位測定方法を持っていかないわけがない >>90
>>77,80で全て説明がつく
ただの海人族の遺跡 >>42
兵庫県の考古博物館から吉野ヶ里に出土品を貸し出ししてるから
吉野ヶ里へ見物に行った連中は吉野ヶ里産と錯覚してるわ。
吉野ヶ里はハッキリした楼閣が有ったという証拠もないのに
テキトーに楼閣建ててる。
唐子・鍵からは楼閣を描いた絵画土器という証拠品が出土してる。 >>91
コンパスの前身だけど出土が少ない。
実際に磁石が北を指すことを広く知られるのは
ずーと後、まあそれ以前から知っている者もいるだろうな。 2019年に畿内説の長老・直木孝次郎が亡くなったが、彼は「九条の会・おおさか」の発起人でもあった
どういった人たちが畿内説を唱えているか、実に分かりやすいねえ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%9C%A8%E5%AD%9D%E6%AC%A1%E9%83%8E
> 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日[3][4] - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。
> 大阪市立大学名誉教授[4]。文学博士(京都大学、1969年[5])。日本古代史研究を代表する研究者[6]。
九条の会・おおさか 呼びかけ人(14名)のメッセージ
http://osaka9.org/archive/yobikakeninn.html
> 直木孝次郎 (大阪市立大学名誉教授)
> 九条を変更して骨抜きにするような、非常に危険な状態が起っている。しかし、もう戦争をするような時代ではない。
> 九条は、世界が今後進むべき方向を指し示した貴重なものである。絶対に守って行きたい。 卑弥呼が九州に居たことはおそらく間違いないように思えるが、
しかしそれがイコール、
邪馬台国が九州にあったことになるとは安易に与しない 少し前に気づいたことあって、
頭いいお前らに投げておきたいんだけど、
ブログやってる研究者とかいたら全然パクって使ってもらっていいんだけど
吉野ヶ里遺跡の背後が大きな山脈で、普通そこから伊都国や奴国へ行くためには太宰府を経由するじゃん?
風景写真あったら見て欲しいけど、山越えしようとは思わない大きさだから
でも実際入ってみると、想像の何十倍も早く太宰府の背後に出られる おいおい、もう令和だぜ
いつまでくだらん論争してるんだお前らはw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています