【古代】日本神話で「スサノオ」はなぜ二つの顔を持つのか 「もとから皇統に連なるものではなかったのではないか?」 [樽悶★]
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日本神話や神社に関する本は多いが、本書『日本神話の迷宮 続・幾千年の時空の彼方へ 』(天夢人)の特徴は、著者の藤井勝彦さんが全国各地の神社を訪ね歩いた探訪記・探究記というところにある。なぜ神々がそこで祀られるようになったのか、本当の由来は何か。実際に現地に何度も足を運ぶことで見えてきた神々の姿を、写真や絵画史料など豊富なビジュアルとともに紹介している。
■真実が隠されている
藤井さんは1955年生まれ。歴史紀行作家・写真家。『邪馬台国』『世界遺産富士山を行く! 』『中国の世界遺産』『三国志合戦事典』『写真で見る 三国志英雄たちの足跡』など日中の古代史に関する著作が多数ある。すでに『日本神話の「謎」を歩く 幾千年の時空の彼方へ』も刊行しており、本書はその続編という形になっている。
これまでに訪ねた寺社は1千以上。本書に登場するのは約250社の神様。地元の人々に伝承を聞き、地域の資料館で裏付けをとる。その結果、わかったことは「神話の世界は虚像・実像が織りなすタペストリー」であり、「そこには真実が隠されている」ということ。
本書の冒頭で、藤井さんは記している。
「ヤマト王権の登場によって・・・各地で祀られていた地主神はもとより、氏族が祀っていた氏神までもが・・・政権側の都合のよいように塗り替えられてしまった」
きっかけになったのは、8世紀初頭に成立した『古事記』『日本書紀』の編纂だったという。「でき得る限り多くの氏族が、王権側の系譜につながっていたほうが都合がよかった」ということで、一つの体系、「神話と称される物語」が作り上げられたと見る。それ以前から存在していた各地の神々の統合・従属が図られたというわけだ。
■元の神様と違う可能性
こうした動きは近世以降の国家神道の流れが強まる中でさらに顕著になった。各神社の祭神は記紀に記された神様であることが求められた。その結果、「祀られている神様は、もともと祀られていた神様と違う可能性が高い」「真の姿が見えないことで、真の歴史さえ見えなくなってしまった」というのが現在の神社や神様の姿だと推測する。
この辺りは、言い方は違っていても、多くの研究者が指摘するところでもある。著者は本書を以下のような構成にすることで、主張を鮮明にしている。
※省略
■出雲では頼もしい英雄
素戔嗚尊は天照大神の弟なので、本来は第1章の天津神に分類されて然るべき。それがなぜ第2章の国津神なのか。様々な乱暴狼藉を働いて高天原を追放されたからなのか。
藤井さんは、「素性をよくよく調べてみると、もとから皇統に連なるものではなかったのではないか?との疑念が大きくなっていく」と記す。
素戔嗚尊は残忍なことを平気で行う神様として『日本書紀』に描かれている。どうしてここまで悪く書かれているのか、何か意図があるのではないか、何かを隠しているのではないか・・・。弟の暴挙に耐えかねた天照大神はついに「天の岩屋」に立てこもる、というのは有名な話だ。
ところが高天原を追放された後に、出雲の国に降り立った素戔嗚尊からはもはや乱暴さは消え、八岐大蛇を退治する頼もしい英雄に様変わりする。藤井さんは、高天原の素戔嗚尊は『記紀』編纂者が作った虚像で、出雲以降が本来伝承されてきた実像と推理している。
この素戔嗚尊にまつわる伝承については、なぞの多い『記紀』の中でも、とくに多くの研究者の頭を悩ませてきた難題であり、様々な推論を呼んできた。本書ではそのいくつかも紹介されている。
■相変わらず国家神道の社伝
藤井さんは各地の神社を巡り歩いて気づいたことがあるという。どこも社伝として掲げるのは『記紀』に記された文面をもとにしたものばかり。国家神道による社伝は明治になって確立したもの。しかし、戦後70年余りたっても変わっていないことに失望を禁じえなかったという。一般に神社や日本の神々のガイドブックは「社伝」の受け売り、すなわち国家神道の追認にとどまっているが、本書はそこから一歩踏み込んでいる。(続きはソース)
2020/11/2
https://books.j-cast.com/2020/11/02013329.html
https://books.j-cast.com/images/2020/10/sinwa.jpg 天照=邪馬臺(日田〜筑紫平野)
スサノヲ=宗像(旧名みなかた(港の横の意(推測))
スサノヲが支配する博多の港を邪馬台が支配下におさめたのが
天照とスサノヲの誓約。
天照がスサノヲの剣を噛砕き、宗像三女神が生まれる。
剣を失うこと、女神(剣を持たぬ神)に代わること、
これらは、覇権を放棄したと言う事。
博多の港を手に入れ朝貢と交易独占でもって、
邪馬台は列島の覇権を握ることになる。 スサノウを出雲の系譜につなげたんだろ
出雲は縄文の呪術国家でそれと関係ある
とするため
なのでオオクニヌシと血のつながり
があると言うがなぜか六世も間隔がある
正当に出雲から国を譲られたという
根拠のため
なぜにそんなに出雲が怖かったのか うん、大和王権前は皇統はないからな。
日本神話は自然神を祀る縄文、土地神を祀る弥生、氏神を祀る渡来(大和王権)が合体してできた
もの。真もなにもない >>1
なんだこの浅い理解?
書いたの中学生か何かか? 呪いの時代から武力への時代への移り変わりを象徴してるんだろ 「アマテラス系神道は江戸時代に伝統的な日本人の宗教が朝鮮朱子学に背のりされてできた準新興宗教、靖国は新興宗教」。
今の神道と江戸中期までの日本の伝統的な宗教との違いは、
キリスト教とイスラム教以上ぐらいある。
祭神が変わっているからだ。
記紀神話の天皇につながる神以外はジェノサイドされたんだよ。
合祀令で検索!
そして新興宗教の靖国とか作られた。
それぞれの神社の古地図をみろ。名前も祭神も違う。あなたの知識は改変後の神道を古来の神道とする捏造されたものでしかない。
品川神社が牛頭天王だった話。
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/page000010700/hpg000010623.htm 神田明神に平将門が居なかった話。
明治七年(1874)、明治天皇の行幸が決定。
すると、明治政府が天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られている事を問題視。
この事により将門公が御祭神から外されてしまう。
代わりに少彦名命が茨城県の「大洗磯前神社」から勧請される。
以後、長年、将門公の御神霊は境内摂社に遷されたままとなっていた。
http://www.news-postseven.com/archives/20121228_162646.html そもそも民衆を騙すための作り話だろうに
アニオタが設定を語っているのと変わらんわ >>15
ヤマタノオロチは寓意
あれは蛇ではなく器物
子供を贄にする邪教
彼らはその地域を支配し儀式に子供を使用した
それを征服者スサノオが討伐しその地を治めたということ
功大なるがゆえに貶められたって話 >>19
出雲から高志あたり製鉄技術あったんちゃうんけ 明治になって全国の神社を記紀の神話と結びつけたのは本当に失敗、この人の言う通りだと思う 東北の伝承
龍の黒神と鹿使いの赤神のアマテルを巡る争い
アマテルを手に入れた赤神は岩隠れをし、黒神は北に追いやられた
黒神とは何なのか?
黒とは?水底の土は黒土で、水底の土は上代はぬば烏とか言ったらしい
沼も同じ語源みたいやね
黒は烏ぬば
射干玉ぬばたまはヒオウギの黒い種で黒の枕詞
京都の祇園祭や大阪の天神祭では、ヒオウギは床の間や軒先に飾る花として愛好されている
黒神は祇園の神であり天神かも
スサノオじゃないかな?
祇園や天神さまは京都や大阪の守り神みたいになっている 神社合祀令
明治の神仏分離令と神社合祀令は熊野に深い傷跡を残しました。
とくに明治39年に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令は熊野に壊滅的なまでのダメージを与えました。
明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって神道の純化を狙いました。
熊野信仰は古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交して成り立った、ある意味「何でもあり」の宗教ですから、合祀の対象となりやすかったのでしょう。
村の小さな神社が廃止されただけでなく、歴代の上皇が熊野御幸の途上に参詣したという歴史のある熊野古道「中辺路」の王子社までもが合祀され、廃社となりました
(田辺から本宮まで二十数社あった王子社で廃社にならずに済んだのは、なんと、八上王子と滝尻王子のみ)。
五体王子のひとつとして格別の尊崇を受けた稲葉根王子や発心門王子でさえ合祀されたのです。小さな神社や王子社のほとんどが合祀され、神社林は伐採されました。
神社合祀の嵐が熊野に吹き荒れるなか、神社合祀反対運動に立ち上がったのが南方熊楠です。
南方熊楠は下に示す8つの項目を理由に挙げて神社合祀に反対しました。
1 神社合祀は敬神の念を減殺する
2 神社合祀は民の和融を妨ぐ
3 神社合祀は地方を衰微せしむ
4 神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害する
5 神社合祀は愛国心を損ずる
6 神社合祀は土地の治安と利益に大害あり
7 神社合祀は史蹟と古伝を滅却す
8 神社合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す
しかしながら熊楠の奮闘もむなしく、神社合祀令により熊野(和歌山県・三重県)の神社のおよそ9割が滅却され、神社林が伐採されていまいました。
http://www.mikumano.net/keyword/jinjagosi.html スサノオ=帥升(すいしょう)。
後漢の安帝に、生口(奴隷)160人を献上した。
160人もの生口を運ぶには、10隻以上のハニワ船の船団が必要で、
スサノオがどれほど強力な支配者であったかが分かる。 神話レベルになると世界各地で傍若無人な神が必ずいるっていう不思議な共通点 >>18つづき
宗像(旧名みなかた?)から邪馬台が港の支配権を奪う
過程は、海幸彦・山幸彦の神話に詳述される。
兄・海幸彦から釣針(鉄!)を借りた弟・山幸彦は、
釣針を無くし、海を渡り、玉(朝貢!)と釣針をもらい、
これで兄・海幸彦を懲らしめたと。
つまり、鉄輸入を独占していた宗像(=スサノヲ)から、
覇権を奪うべく、邪馬台が半島に渡り、あちらの倭人(弥生人)
やら漢の出先の帯方郡?に政治工作して、鉄と朝貢の権利を
手に入れ、これで宗像を屈服させた。その史実だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています