中央の前方後円墳が崇神天皇陵とされる行燈山(あんどんやま)古墳(墳丘長242メートル)。疫病の渦中、こんな大古墳を造れたか? これも謎だ=奈良県天理市で2015年11月、本社ヘリから森園道子撮影
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 世界の見直しを迫る新型コロナウイルス。学問の分野でも「大学の授業が成り立たない」といった焦燥の一方、予期せぬ試練を学説の見直しにつなげる前向きの動きがあり、注目したい。

 考古学研究会の会誌「考古学研究」の夏号と秋号。春成秀爾(ひでじ)・国立歴史民俗博物館名誉教授が2号続けて投稿した「感染症と考古学」が興味深い。自身が新聞に書いたコラムに対し、研究者らがメールで寄せた感想など29本が掲載された。

 春成さんは5月、南日本新聞に寄稿。「文化活動は『不要不急』とみなし、衰退させるようなことがあってはならない」と、コロナとの接点を見据えて人口減を巡る二つの問いを発した。

 (1)日本書紀の崇神天皇5年の記事に、疫病が多く死者が半数を超えたとある。崇神天皇は実在した最初の天皇とも考えられ、こうした出来事が実際にあったのでは?

 (2)中部地方(長野県)の縄文時代の遺跡数は、中期(5500〜4500年前)の約2500カ所から後期(4500〜3300年前)の約600カ所に激減する。従来、寒冷化を原因とする見方が強いが、感染症の可能性はないのか?

 これに対し、夏号に掲載された下垣仁志・京都大准教授のメールは、(1)の崇神期(3世紀末〜4世紀初頭ごろに相当)の逸話には後世の事実が使われた可能性があり、信用性が問題と述べる。

 その前提の上で、崇神天皇の宮殿「水垣宮」の想定地、纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)は「水の都」と呼べるほど水路の多い湿地で、「疫病にはひとたまりもない」と指摘。加えて、日本書紀に記された当時の朝鮮半島との交流ぶりが考古資料から確認できる上、この時期に畿内と共通の要素をもつ古墳が日本列島に広く拡散した事実を踏まえ、内外の交流の活発化という条件から「疫病の可能性はある」という。

 (2)の縄文の人口減についても、北海道に渡った南海産の貝輪や、福岡県で出土する新潟県産のヒスイなどを基に「縄文中期に広域ネットワークができていた」と、人の交流や接触の増加を想定。「疫病の可能性は十分考えられる」とした。

 話は広がり、秋号では縄文の人口減の議論が活発化。矢野健一・立命館大教授は寒冷化説のメリットを挙げながらも、「単なる寒冷化とは考えにくいほど劇的な現象。疫病を疑う余地はある」と書いた。また、小林謙一・中央大教授は関東地方を例に「選択肢の一つとして挙げた疫病も(実際は)考えにくかったが、さらなる検討は必要と強く思う」と共感を寄せた。

 他にも、鳥インフルエンザ説や、その否定論も登場し、「縄文論争」の深まりを期待させる。

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 下垣さんは「グローバル化にはリスクもあります。日本が開国した1854年の後、江戸でコレラが大発生した。ただ、そうなると、疫病というのは海外からやって来てひどい目に遭うと被害者意識を持ちやすいけれど、逆にこちらが伝えることもあるんだという意識が抜けがち。そこは気をつけなければいけません」と注意を促す。

 さらに、目の前で進行して対策も打てる疫病に対し、気づいた時には手遅れになりがちな環境問題に言及し、「モノを扱う考古学は過去の環境悪化を明らかにできる。長期的観点から物事を見るのが得意なので、この問題にこそ提言できます」と議論を発展させた。

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 編集を担った春成さんは「個々の研究者はともかく、学会としてコロナへの動きは鈍く、専門分野から反応すべきだと考えた。過去に埋もれたままの人口減や感染症の問題があるかもしれない。それを発掘し、ゆくゆくは総合化、体系化するのが大切ではないか」と投稿の動機を説明する。

 コロナ禍の考古学の役割については「即効薬ではないです。事実関係を明らかにし、みなさんに伝える。それを知った上で今を生きていこうという基礎作りの学問だと思います」と話した。

 コロナ禍にとどまらず、その渦中に起きた日本学術会議の任命拒否問題にまで通ずる警鐘だと思う。【伊藤和史】

毎日新聞 2020年11月9日
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