17時間前
五十君 花実

 1990年代半ばから2000年代にかけて、若い女性のファッションを象徴する存在として社会現象も巻き起こした「セシルマクビー(CECIL McBEE、以下セシル)」(ジャパンイマジネーション)が、いよいよ幕を下ろす。旗艦店であり、往時は月商1億円を誇った渋谷109内の店舗が11月30日をもって閉店し、これで全店閉店となる。
閉店を前に渋谷109店では、かつての人気商品やムック本などを展示するイベントを11月21〜30日に実施。同イベントのために、現役社員だけでなく全盛期を支えたディレクターやプレス担当者らが再結集した。彼らにキラキラ輝いていた時代の「セシル」を振り返ってもらった。




名越万理(左)/「セシルマクビー」元ディレクター:(なごし・まり)1981年生まれ。2003年に大阪文化服装学院卒業後、新卒でジャパンイマジネーション入社。バイヤー(商品企画・仕入れ担当)を経て09年にディレクターに就任。13年に退社し、現在はフリーランスとして大手カジュアルSPAや総合アパレルなどのディレクションを担当
手塚邦洋(右)/ジャパンイマジネーション セシルマクビー営業部次長営業統括リーダー兼商品統括リーダー:(てつか・くにひろ)1977年東京都生まれ。95年に高校卒業後、アルバイトとしてジャパンイマジネーション入社。97〜98年に「セシルマクビー」渋谷109店店長を務める。その後、エリアマネジャー、商品企画部次長などを経て、18年より現職
中央のレオパード柄のミニワンピースは、渋谷109店でのイベントでの展示用に復刻したアイテムの一つ
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 「『セシル』での10年間があったからこそ、今の自分がある」と話すのは、00年代の “東京エレガンス”ブーム時代の「セシル」を支えた名越万理・元ディレクター。90年代後半の“セクシーカジュアル”“ギャルファッション”のムーブメントで「セシル」に憧れ、大阪文化服装学院を卒業してジャパンイマジネーションに入社。
13年に退社するまで、企画やディレクションを担った人物だ。現在はフリーランスとして、大手カジュアルSPAなどのディレクションに携わる。1990年代後半からブランドを支え続けてきたメンバーもいる。「渋谷109店で店長をしていた97〜98年は、お客さんが絶えることが全くなかった。
朝10時から夜9時まで休憩を取る間もなくレジを打ち続けていたし、販売員として働きたいという応募も多くて、毎日10〜15人は面接していた」と振り返るのは、現役社員の手塚邦洋セシルマクビー営業部次長だ。手塚次長は95年にアルバイトとして入社。現在入社25年目の43歳で、まさに「セシル」と共に人生を歩んできた。
     ===== 後略 =====
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