大阪というのは元々湾や湿地帯だった
大和という盆地が発展した理由は
そもそも河内には河内湖というのがあって
広大な湾だった
河内は直接海に面していて大和の宮は海のすぐそばだった

そんな大阪を干拓したのは大和に来た百済人たち
大阪には4つの郡があったが西生(成)郡東生(成)郡住吉郡百済郡といってひとつは百済人の郡だった
大阪の何分の1かは百済人の村であり
そこの跡地が今の鶴橋付近と言われる
ニュカマーは過去の故地に改めて住み着いた

これは大阪の誇りの歴史であり
また近畿人自体が渡来系かのように言われることとは全く別である
近畿人のように漫然と散っている大陸体質ではなく
正真正銘の百済人である
大阪人はいい加減な帰化近畿とは違う正当百済人を誇りたまえ