舛添 要一:国際政治学者

抜粋
第一は、長期政権の弊害である。官僚による忖度行政が常態化してしまった。官僚たちが、官邸に対して心地よいことしか言わなくなっている。国家全体のことを考えて諫言するような勇ましいことをすれば、左遷である。多くの省庁でトップになるべき優秀な幹部官僚が、官邸に疎んじられ、都落ちしている。それを見てきた役人たちが、安倍や菅に胡麻をするのは当然である。

 秘書官や補佐官といった官邸の側近官僚も、茶坊主で固め、しかも彼らが閣僚以上の権勢を振るう。経産省から出向した側近の補佐官が采配した安倍政治は、経産省の政策が主軸となってしまった。菅が重用するのが国土交通省出身の補佐官であり、観光政策の推進などを展開してきたが、今回のGoToTravelキャンペーンもその路線の延長である。

 もし感染防止対策を重視する優秀な厚労官僚が側近にいたら、感染防止と経済とのバランスがもっとうまくとれていたのではないか。複数の側近を競わせて、複数の提案を出させ、最後は自分で決断するという政治本来の機能が働いていない。平穏なときにはそのマイナスが表に出なかったが、今回のようなパンデミックの危機が起こると、惨憺たる結果をもたらす。

 政府が集めた感染症の専門家と称する人々は、所詮は御用学者の集団であり、政府に人事と予算を握られ、「飴と鞭」で利用されているにすぎない。何の権威もなく、政府の愚行を止めさせる能力もない人々であり、大衆迎合のマスコミの消費の対象となっているだけである。ダイヤモンドプリンセス号の内部の感染症対策の不備を暴いた神戸大学の岩田健太郎教授などは、政府から声がかかるはずもないのである。

 私は、2009年の新型インフルエンザに厚労相として対応したが、官邸の専門家会議(当時も尾身座長であった)とは別に、大臣直属の私的諮問会議を作り、そこに岩田教授ら若手で優秀な、しかも実際に患者の治療に当たっている専門家を入れたのである。最終的に、私の責任で若手の案を採用し、感染を早期に収束させることができた。

 今の政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長は、患者の治療に当たっているわけでも、優れた研究論文を発表しているわけでもない。9日の衆議院厚労委員会で、彼は「ステージ3相当の地域では、GoToを含めて人の動きや接触を控えるべきだ」と述べたが、何を今更という感じである。

 諫言をする者を周囲に配するのはリーダーの責務である。それを安倍前首相も菅首相も行っていない。つまり、「お友達政治」、「茶坊主政治」であり、その弊害がコロナ感染と言う危機の時代に露呈したのである。とくに安倍首相は、「王よりも王党的」と言えるような応援団の囃子太鼓に煽られて、内政も外交も、均衡の取れないイデオロギー過剰の政治を遂行することになってしまった。

 政治色の少ない菅首相は、その轍は踏まないと見ていたが、日本学術会議の任命拒否問題で大きく躓いてしまった。このような問題でイデオロギー性を付与されるのは愚の骨頂である。


擦り寄ってくる者に影響されやすい菅首相
 第二に、とくに菅首相の場合、利権などを求めてすり寄ってくる人々に影響されやすいということである。GoToEatキャンペーンなども、自らの利益のために強力に働きかけている人たちがいる。携帯電話料金の値下げ、デジタル庁の創設、不妊治療の保険適用、地銀の再編なども、それを提案する人々が周りにいる。国民のためになり評価できる点もあるが、逆にそれらの政策の問題点もまた同時に公平な視点から検討せねばならないであろう。

 提案者と菅との距離で政策が決まるようでは、国民には首相の本来の考え方が見えてこない。様々な書を読み、相反する複数の提案に耳を傾けなければ、バランスのとれた政策を立案することが不可能となる。

 第三は、世論に鈍感なことである。菅は、官房長官時代には、世論調査の動向に最大限の注意を払ってきたし、選挙の前など党や官邸主導で独自の世論調査を行い、戦略を立てるのを常としていた。政治家であれば、世論の動向に気を配るのは当然であるが、政権中枢に座ってから、その傾向はさらに強まった。

 ところが首相になってからは、GoToキャンペーンに固執するあまり、柔軟に対応することができなくなっている。世論対策を任せられている菅側近たちは何をしているのか。

 菅首相の頑固さが災いしているのではないか。土砂降りの雨に打たれて、菅首相も側近もまともな判断ができなくなっているのではないか。

以下ソースにて
https://news.biglobe.ne.jp/economy/1212/jbp_201212_4900233913.html