外務省は23日、1989年に中国で起きた天安門事件当時の外交文書を公開しました。文書には、中国の孤立化を避けようと動いた日本の姿勢が記録されていました。

 1989年6月。北京の天安門広場で民主化を求めた学生らに対し、中国政府は軍を出動させ、弾圧しました。公式発表で死者は319人。デモ隊の声を強引に封じ込めた中国の姿勢に、欧米諸国は一斉に非難を強めました。

 23日、外務省が公開した当時の外交記録。事件直後から日本政府が中国の孤立化を懸念していたことが記録されていました。

 「人道的見地から容認できない。しかし、中国を孤立化へ追いやるのは大局的見地から得策ではない」

 情勢分析には、こんな記述も見られました。

 「農民を中心に大多数は政治的自由に無関心」「過度に反応したり、いたずらに感情的になったりすることは禁物」

 人権や市民の声よりも中国政府の立場に配慮したともとれる、日本政府の方針。元駐中国大使の宮本雄二さんは、当時をこう振り返ります。

 「このままやっとくと(中国政府の)改革開放政策が頓挫するかもしれないと、これが一番大きな危機感でしたね。改革開放をやらせることによって中国を国際社会の中に取り込んでいくという、我々の大きな国策でしたから」(元駐中国大使 宮本雄二さん)

 日本は、事件の翌月にフランスで行われたG7サミットの共同宣言に「中国の孤立化を避ける」という文言を入れることに成功。その後、中国との関係は急速に改善へと向かいました。

 「我々としては一生懸命に頑張って、中国に対して結託して大きな制裁を科すということにならないように努力しました。さまざまな人たちのさまざまな思惑の中で、天皇陛下のご訪中が実現するんですけど、その出発点は間違いなく天安門事件における日本の中国に対する姿勢、これが影響していると思います」(元駐中国大使 宮本雄二さん)
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4158685.html