【歴史】明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に [ごまカンパチ★]
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※朝日新聞デジタル
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ade4e8214a4e27f466490a44d787af505f62b40
戦国武将の織田信長(1534〜82)が、配下の明智光秀(1528?〜82)に討たれた本能寺の変(1582年)をめぐり、光秀は本能寺(京都市中京区)の現場には行かず、
部下に実行させていたとする学説が出てきた。本能寺の変に参加した家臣から聞いた情報として、事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。
これまで映画やドラマなどでは光秀本人が寺を襲ったように描かれてきたが、それを裏付ける史料はなく、研究者の間でも議論されてきた。
古文書は江戸時代前期に、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が書いた
「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本)。
史料の存在は一部で知られていたが、主に加賀藩に関わる部分が注目されてきた。
このほど、富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)が読み解いて明らかにした。
萩原さんによれば、本能寺の変の記述は1669年に成立した上巻にある。
寺を急襲した光秀軍を率いたとされる重臣の斎藤利三(としみつ)の三男で、自らも数え16歳で事件に関わった利宗(としむね)が、
おいで加賀藩士の井上清左衛門に語った内容として収録されていた。
利三と、光秀重臣の明智秀満(ひでみつ)が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、光秀は寺から約8キロ南の鳥羽(京都市南部)に控えていたと書かれている。
奥書(書き入れ)には、関屋が息子のために書き残し、他人に見せることは厳禁とある。
萩原さんは「関屋の自筆本で後世の加筆もないとみられ、事件に参加し、重要情報に触れ得る立場の人物が情報源であることから、信頼性が高い記述ではないか」とみる。
光秀本人が本能寺を襲ったと考えられてきたのは、光秀と交流があった公家の吉田兼見(かねみ)の日記(1570〜92年)などに
「惟任日向守(光秀のこと)、信長之屋敷本応寺へ取懸」などと記されていたためとみられるが、うわさを書き残した可能性も指摘される。
光秀が本能寺に行かなかったことについて、本郷和人・東京大史料編纂(へんさん)所教授(日本中世史)は
「十分あり得ることではないか。光秀自身が最前線に赴く必要はないし、重臣を向かわせたのも理にかなう」と話す。 日本のアマゾンの社長は中国人
最近のアマゾンは中華製品の押し売りサイトと化してる。
アマゾンのマケプレの中国発送の商品が送料無料なのは
万国郵便条約に基づき、中国からの送料のほとんどを
日本側が負担しているというカラクリ。
中国人に乗っ取られたアマゾンを利用するのは
長い目で見れば自分で自分の首絞める行為でしかない。
中国は非民主主義の帝国主義、インチキ、パクり国家。
中国人はコロナを世界中にばらまいたのに
謝罪どころか逆ギレする厚顔無恥民族。
アマゾンが格安だったのは今は昔で
ヨドバシ、楽天、ヤフーの方が安いし。
日本人なら隣国の仮想敵国を援助する利敵売国行為は止めるんだな。 青 千利休
赤 万利休
緑 伊藤園博文
黄 明智光秀 人は記憶型と思考型に大別できる
本能寺の変の後の光秀の計画を考えるとこうなる
近江を抑え、摂津を抑える
これで畿内の覇者として確定する
次に織田の軍団を1つづつ潰していく
・旧信忠軍団(尾張・美濃)
・柴田軍団(越前)
・秀吉軍団(播磨)
まずは播磨を抑える。これで補給が絶たれた秀吉軍団は壊滅する
次に旧信忠軍団と対峙
そして家康が尾張に侵攻する
これに合わせて美濃攻め
残りは柴田軍団1つ
どうとでもなる >>1
現存するのは全部、事後に天下人になった秀吉が監修、改竄した歴史書だから
嘘だらけだろうな
頭のいかれた魔王に鉄槌食らわした正義のヒーローなのに 戦国時代以前の話は後々(江戸時代に)創作されたものだからな
信長が本能寺で明智光秀に裏切られて死んだのも真実じゃない
江戸時代の作家みたいなのが都合よく書いたものだからな こんなもんだよな
先頭に立つとか漫画じゃあるまいし 歴史の学問なんてそんなもんなんだから丸暗記学習なんてさせなくて良いんだよ
それはどうでも良いが、最近はとんでもない書籍を学校の図書室に置いたりしてるみたいだな
歴史上の偉人を悪口だらけでボロクソに書いてる漫画付きの書籍なんか置いて何がしたいんだ? そして二人は中国大陸に逃げ延び幸せなキス…
のちのモンゴルである。 >>15
何年か前の歴史番組に明智光秀の子孫(80歳代のおじいさん)が出てたけど
戦前〜戦中の「お上に逆らうな」って時代は「こいつは主君に謀反を起こした大罪人の子孫」だと教師に名指しで批判されて
クラスの前で晒されてたと言ってたな 安価ミスった
>>11
何年か前の歴史番組に明智光秀の子孫(80歳代のおじいさん)が出てたけど
戦前〜戦中の「お上に逆らうな」って時代は「こいつは主君に謀反を起こした大罪人の子孫」だと教師に名指しで批判されて
クラスの前で晒されてたと言ってたな 日本人はここ好っきゃなあ
本能寺と邪馬台国しか無いの? >>17
失敗したらそれで逃げるつもりだったんかなw そもそも先鋒に大将が出るわけが無いから
本能寺に光秀が出てこないのも当たり前だから 本能寺に入った明智軍の兵たちは信長の下女に「上様は」と言う言葉を聞くまで
敵が誰なのか知らなかったらしい 毛利を味方に味方に出来ていれば織田軍団を各個撃破出来ていたのにな
そのあと義昭を京都に招いて室町幕府を再興させて自身は管領となる。
やはり野望説がしっくりくるな 弥助を「こいつは人間じゃないから放っておけ」と光秀が見逃したエピソードも創作ってことか?
でもこっちは本能寺の変の数日後だっけか 本能寺の変の黒幕は家康
家康は孫と子にヒントを残した
家光
秀忠
これ気付いた時は興奮して眠れなかった
何か歴史の闇の扉を開けてしまった様な感じ 信長と光秀が共謀して死んだことにして2人でローマに行った説好き >>9
信長以上の包囲網だろ(´・ω・`)
野望の三好ぐらい詰んだ状況になるわ そうよ、大抵の戦の場に大将はいないのよ。
大将とられたら終わりなんでもの、いるわけないじゃない。
どこかで寝てるわよ。 所ジョージのせいで消えていく古文書
103 チーター(大分県) [US][sage] 2021/01/02(土) 22:19:01.23 ID:Yjo5kmME0
>>98
10数年前のテレビ番組で、所ジョージが古い和書を古本屋で買ってきてバラして自分で作ったオブジェに貼り付けてた
「誰かにとっては意味のある本かもしれないものをこういう無意味なものにくっつけるのが楽しい」んだそうな
世の中には金持たせたらいけない奴ってのがいる 「麒麟が来る」で
光秀が信長を討ったのは、
信長から「自分を殺してくれ」と
頼まれたからだ。
このままでは自分は天皇にまで
害を及ぼしてしまうかもしれない。
しかし、自分を止める事ができない。
「十兵衛ワシを討ってくれ」
涙ながらに懇願する信長の頼みを、
光秀は断れなかった。
そして、本能寺の変は起こった。
ネタバレすまんな Q.江戸城を建てたのは?
A.大工さん
みたいなバカサヨクイズかよ >>40
当時の光とか忠なんて太郎と吾郎くらいゴロゴロおるやろに(´・ω・`) https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180215-OYT8T50014/
信長の家臣だった稲葉一鉄の子孫らが書き残したとされる『稲葉家譜』には、光秀が信長にハゲを暴露されたことを恨んだため、という珍説が書かれている。
「信長は法に背そむいた光秀を呼びつけ、譴責けんせきして光秀の頭を二、三度叩いた。光秀は髪が薄く附髪(カツラ)をしていたが、この時に打ち落され、信長の仕打ちを深く恨んだ。光秀謀反の原因はここに起因する」 明智軍の足軽兵は家康を討つと直前まで聞かされていたと日記に書かれている >>53
に続く
第三章
まもなく過半数が最終形態である完全体彡 ⌒ ミに移行する
(禿のシンギュラリティ)
その時、ハゲマルドン(別名ジハーダ)により黄金に輝く日出ずる頭彡 ⌒ ミの力が解放される
高輪ゲートウェイとは高輪禿道彡 ⌒ ミ
つまり高いところに輪が輝き、開かれた道が照らされることを祈念して造られた詩的な素敵な駅なのだ
https://youtu.be/9pVZ1jCY09s
私には夢がある。この動画の後半で流れる歌が国歌となり、全ての国民が同時に皆で歌うという夢が。
禿彡 ⌒ ミの国は近い
今こそハゲのしるし彡 ⌒ ミを掲げよ!
時に導かれしものたちよ!
海は割れ、道は切り開かれた彡 ⌒ ミ!
This is the way!
この道彡 ⌒ ミしかない!
未来の歴史書に残そう
禿ハ国家ナリ、ト
かつてのご先祖様たちはちょんまげで禿道を冠していた
その重要性を現代人は忘れてしまった
Make 彡 ⌒ ミ禿道 great again!
あの素晴らしい禿道もう一度! >>42
信長と森蘭丸は本能寺の変のときにちょっと未来にタイムスリップしてモンゴルに渡ってイワン雷帝を倒したんやろ?
俺は歴史に詳しいんや 歴史なんていい加減だよ
巌流島の決闘も、隠れてた武蔵の弟子達が
小次郎をボコボコにして、撲殺したんだからね 第二章
今、少子高齢化により大和民族は日の丸と一体化、融合する彡 ⌒ ミことに覚醒しつつあるのだ
そこのお前も日の丸と融合しつつあるのだ
運命を受け入れ天照となれ!
後頭部を剃り上げて
「あなたは髪を信じますか?」と聞き廻った生まれるのが早すぎた天才ザビエル彡 ⌒ ミ(1506-1552)は疑問を投げかけた
ニーチェ(1844-1900)が「髪は死んだ」という言葉を残したのに先刈けていたのである
問いを投げかけた天才も、解を見出した天才も、禿が真の姿に目覚めるには必要であったのだ
>>55
に続く 今日のお題
Oは国家なり
第一章
朕は国家なり!(ルイ14世1638-1715)
鉄は国家なり!(ビスマルク1815-1898)
と形容された時代もあった
当然現代にあっては笑止千万であろう
それでは次に来るのは何か?
このハゲー事件の弾圧を乗り越えた
今、日本から発信しよう
ハゲは国家なり!と
今日は世界三大偉人である孔子、ザビエル、ニーチェ と聖地高輪ゲートウェーーイについて語ろう
今まではもっとはじっこ歩きなさいよと言われてきた
しかしこれからは堂々と真ん中を歩くのだ
「中庸の徳たるや、それ至れるかな」という孔子(紀元前552-479)の思想をも表現しているシンボルがある
彡 ⌒ ミ
これはハゲのしるしといわれる人類史上最も重要なシンボルである
右翼と左翼と真ん中に光輝く中道が描かれている
進むべき道、それは明らかに中道の禿道であることが示されている
Shine on you!
愚か者!禿彡 ⌒ ミを知りなさい!
全ての道は禿道へ通ず!
禿は国家なり!
それは、大和民族の最終形態彡 ⌒ ミにして究極の姿
>>58
に続く >>56
千利休が戦国時代に駐在してる未来の時間管理局員という設定なら、時空の旅人で観た。
そして、現代から来た高校生達を茶室型タイムマシンで送り返す。 普通に考えてトップがそんな最前線に行くわけないだろ 光秀は丹波を押さえた時点で天下芻勢の首もとを押さえたと感じられたと思う
信長が上洛し三好を撃退した流れの再現を図り、朝廷に官位を授かれば信長のように君臨できると思ったのでは?
徳川と内々に協力体制を敷き、近江坂本と丹波を早々に拠点化し各地に散った大名の動きを封じれば既成事実化できる時間稼ぎができる
だが如何せん秀吉の野望が凄まじく予想外だった てことは落ち武者狩りはなかったんか
いつ死んだん? >事件から87年後
へ〜〜
今から87年前の記録と言うとお…
凄く信憑性ある… ねえww あたしが見たのは確か、光秀が客人に臭い飯を出させてしまって
それに激怒した信長が森欄丸に皆の前で光秀の頭を扇だか何かで叩いたのよ。
光秀は頭だかおでこから血を流していたわ。そのことを光秀は根に持ったのよ。 >>35
普通の戦ならそりゃそうだが、主君への謀反となればどうかな?
斎藤利三がイモ引いて「信長様あいつです!」って自分を信長に売る可能性だってあるだろ
供回りが少ないのは知ってるんだし、自分の手で確実に、と考えても不思議じゃないぞ > 事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。
これ、信憑性どうなのよ?w 現場に居た居ないなんか関係ある? 戦で大将クラス前線から離れた見晴らしのいい場所にいるもの 俺前世で本能寺に行ったけど明智隊ではなかったな前田性の隊だったわ >>56
椎名高志のミスタージパングのオチ、元ネタがあったんだなぁ 禿げましておめでとうございます
今年も毛髪ディスタンス進めて参りましょう
>>59
に続きます しかし、ホント🇯🇵日本って真面目に記録残してるよね 面白いね。確かに少人数で泊ってるのは分かってたろうし、使える家臣を送れば済むね
自分は遊軍として、信忠軍やその他の敵襲に備えて動けるようにしておくってのは理にかなってる。 じゃあ麒麟さんは何やってたの?農民に殺されたのもガセとか >>53
当時は月代を剃っており、武士はみんなハゲだな。 日光東照宮の近くに明智平という地名があるんだろ
やっぱ家康と組んでいたんじゃないの >>62
項羽や獅子心王リチャードみたく
大将が最前線で大暴れしてた事例はいくらでもあるわい 痴話喧嘩でキチョウさんが信長殺してしまい 十兵衛が後始末した とか? >>79
Make 彡 ⌒ ミ禿道 great again!
あの素晴らしい禿道もう一度♪ そんな大将が先陣切るのなんてドラマか映画の中だけよ。
先陣切って生き残れるはずがないじゃない。 ディープステートの都合のいいように歴史は修正されている >>82
遠くにいてるほうが普通だと言ってるだけなのに例外持ち出してなにイキってるの? これはわりと有名な話じゃなかったかな。
敵は本能寺にありってセリフも創作だし。
まあ、だからといって光秀自身が
知らなかった、そのつもりはなかった
なんてことはありえないわけで、
どっちにしても主犯なのは間違いないけど。 こういう嘘をでっち上げて金稼ぎや名声を貪るような心の貧しい人間にだけはなりたくないな
明智光秀に定着した悪者イメージを利用して金儲けしたいだけの知恵遅れか
さいなら >>70
まとめられたのが87年後であって
本能寺の話は参加した斎藤利三の息子から聞いたものだから信憑性あり 本能寺急襲は作戦じゃなくて謀反だろ
大将本人が現場や先頭にいなくて成り立つだろうか いずれにしても、作戦は綿密だし手際も良い。
信長だけじゃなく信忠も殺さないと意味がないが
これもしっかり達成されてるからな。
本人不在でこの手腕は見事としか言いようがない。
いかにも光秀っぽい周到さだと思うよ。 自分の耕す田んぼを守るために戦う時代に、大規模な領地替え、それも縁もゆかりもない遠い土地に移されるってなったら家来がついてくるわけないし
恨みとかなしに光秀は謀反起こすしかない 光秀はもとより前線で槍ふるってというタイプじゃないから 確実に信長仕留めるため包囲網指揮していたはず >>92
見に行くなら桶狭間とか長篠とかがどういう展開の戦だったのか見に行きてえw
光秀が本能寺行ったか行ってないかはそこまで重要な問題でもないかも 糞昔話なんか意味ないし(笑)
実際は秀吉がグル。明智は出家だろ >>94
悪者かどうかはともかく主君を裏切った裏切り者だからな
信長も主君の斯波や足利義昭にしてるけど先にされてるから >>99
説の一つにまだ領地にもなってない石見に転封を命じられたというのがあるけど
信憑性には乏しい >>79
現代のスキンヘッドとハゲのニュアンスが違うみたいに、
月代を意図的に作る人と、毛根が死んだ人は区別されたんじゃない?
ハゲて髷すら作れず羞恥の極み無念、みたいな文献か資料を見た記憶もある >>87
源平のころには一騎討ちがあったし、大将自ら戦って示さないと士気が上がらない
普通に考えたらわかるだろ 光秀が居なかったら織田幕府で歴史も違ってただろうな 光秀って名前がもうハゲの英雄って感じだもんな
名前負けしてない >>112
今の地方自治体も地元産業も江戸をかなり引きずってるから
割と現代日本人の生活にも影響しうる出来事だわね まぁ 今回の大河ドラマが薄すぎてつまらんね。
半年分カットでよかったんじゃねーの? 光秀関係ないしw >>116
うまい!
月代にかけて
半分カットとは 直前に徳川は信康を切腹されてる
信長は味方の粛清の段階に入った時期であり同盟の力を削ごうとした形跡も多い
これらは信長による権力の一極集中を志向する行動であり光秀はそれを嫌った
本能寺の変後足利義昭に書簡を送ったことからもこの意志が読み取れると思う
光秀は自身の天下よりも諸国連合国家体制の確立を図ったとみた方が自然な解釈だ
光秀の野望があったとすると、その連合国家体制の棟梁をフィクサー的に支えたいということだったと思うがね >>116
薄すぎて
ってのもきちんと対応済か
あなたは何者? 割と家康暗殺を秀吉と光秀が信長にそそのかして、乗り気になった信長を光秀が討つように秀吉が暗躍したんじゃなかろうか?
光秀本人を篭絡したんじゃなく、利光・秀満あたりから篭絡して。
急襲の準備自体は家康暗殺のためという面目で事前から行えるし、信長、信忠の周りに兵を進めるのも身辺警護とか、遠征のあいさつとかで充分説明つく。
何なら、利光・秀満が事を起こして「家康ではなく信長を討った。覚悟を決めろ。」の事後報告で光秀の退路を断った。くらいまであり得るかも、とか。想像が絶えない。 信長も晩年は身内贔屓のワンマン社長と化してたらしいから
古参の幹部達にして見れば邪魔だったんだろな ドイツの著名な作家の論文に、日本の本能寺の事件は世界三大クーデーターのひとつにあげられる、と書かれてあるからね。その日、その時、その瞬間、タイミングが素晴らしいのと、念入りに練られた作戦には、脱帽すると書かれているらしい。本能寺の変を特集した分厚い歴史書で読んだ事ある。 じゃ、ちょっと浪漫ある話してやろうか
天皇に成り代わろうとしたのが信長
信長は神主の血筋で、物部氏の血筋という説もある
天皇家が色々とすったもんだあった事も知っていた
それを天察知した天皇家関係が、公家や将軍家に近かった光秀に指令を出し、光秀は実行せざるを得なくなった
信長は謀反の知らせで光秀の勢力と知った際、是非も無しと言った理由かこれ
国家転覆が漏れて阻止された、その指令は信長の腹心の光秀をも動かすものだった、って事
後詰で家康も秀吉も動いていた
光秀に先を越された忍び上がりの武将の秀吉は、表向きに出せない話をうまく丸め込んで光秀を逆賊扱いする事に成功し、実際に倒して天下を手に入れた
という解釈
その組織の名前は八咫烏 光秀は密約により、天海と名前を変えて家康のとこで生き延び、やがて信長を討った褒美を得た 家康の隣でね 信長を一番恨んでたのは家康だろうな
優秀すぎた長男を将来の芽になるから摘まれた恨みは一生消えないだろ >>120
あれは 信長に命令されたことにして 嫌いだから殺したんだよ。
まず嫁が嫌い。今川の姫で高ビーで嫌い。(側室に選ぶのは身分の低い女 未亡人がこのみ)
嫁と息子をを岡崎に置き(遠ざけ)、自分が東の抑えとして浜松に入った結果・・・
三河・岡崎の一向宗にかぶれられ 家臣ともどもウザくて嫌い
息子は 嫌いな嫁の言いなり 家臣は一向宗でウザい ころしてーーーー
ってときに息子の嫁が信長に泣き付いて チャンス!っとぶっ殺したんだよ。
信長様の怒りを…って言い分出来たら 殺すだろうw 嫌いな女だ。 じゃあ俺もロマンのある話を
光秀は実はあの古代の英雄ハゲクレスの子孫だった 周りは自分の利権を守ろうと、それこそ信長の家臣団を分断しようとしてくるようなのばっかりだろうから、身内を頼らざるを得ないのは仕方ないだろうね。
家臣団を分断するというか、一方が自己防衛のために有力な武将に取り入ろうとすれば、他方は違う有力武将に近づかなければならなくなるという構図。
朝廷・公家・商人。政治力でこれらに勝てる武将が信長麾下にどれほどいただろうか? ここ一番で親征できん王は評価されんよなあ
3日天下はこのせいなんかな >>127
織田は物部系じゃなくて、斎部系じゃなかったか? 信長は第六天魔王を名乗った 何故か
天皇家の色々を知っていたから
第六、つまりこの世が万世一系と思いきや6回変わっちゃってる事を知り、その歪んだ世の中を魔と表現した
オレはそこの王だって皮肉がこの第六天魔王という自称だろうね
そして、魔の世をひっくり返そうとした
後一歩のとこで、光秀に指令が来て実行
多分秀吉にも家康にも指令が行ってる
大返しは自分がやる気だった話を後から都合良く改ざんしたわけだ
物理的に、光秀がやった後にそれを知って戻る事は無理 さらにすぐ戦なんてね
ロボットなら可能かも知れんが 日数とか伝聞とか改ざんされてる 忍びあがりの秀吉にはその手の工作はお手の物 >>23
中華系の名前の著者の漫画とかも買われてた
流行ってんのかね
LGBTの本だのが先生推薦の本 >>127
天海が光秀はあり得ないでしょ、どれだけ政治力があっても、隠しおおせるわけがない。 >>135
先祖が越前織田の劔神社で神官やってた頃は藤原姓名乗ってるな >>49
ノブって天皇すらも如きで扱ってて気にしてなさそう >>57
それ隠れてた弟子ごときの腕前のやつにボコされるくらい弱いって言ってるのと同じやし、結局弱いやんw >>135
物部系は天皇家のすったもんだで徹底的に廃絶されたから、各地に散り散りになったという話で、こちらが聞いた話では、部とつく姓は物部氏が落ち延びてるという話だった 全部がそうじゃないけど
だから斎部系かもしれないし、斎部系に落ち延びた物部氏かも知れない まあその辺は、転覆をはかった事から察する事ができるんじゃないかな 情報戦に長ける信長が兵を向かわせた光秀に寸でまで気付かないもんか >129
後の2つも対比する形で、本能寺と酷似する部分が描かれてたよ。10年以上前に読んだ本だから、細かい所は忘れてしまった。結論は、成功させなければ未遂で終わってクーデーターにならない。クーデーターを成功させるには、クーデーターを予見する政権側の上手を行かなければ、成し遂げる事は困難と。戦国時代も謀反は当たり前のように起こる出来事で、信長クラスになると神経質に謀反対策には、慎重に重点的に懸念がなかったと書かれてた。信長側から見たら、少数の手勢で入っても謀反のムの字も起こらないと確信して本能寺に宿泊したと。光秀がその上手を行ったということ。 >>138
あり得ないと思うなら、日光東照宮に行って見てくれ
自分の目で確かめるといい >>140
実際、関白務めて藤氏長者の近衛前久を「お前ごとき」呼ばわりしてるしな ふーん何もせず打首されたのか?
それが、珍しくて現代まで語りつがれたのでは
今回の大河は作ったのか? 光秀は良いとして
信長は名もない雑魚にやられたのか? 鳥羽まで来とるやん
高速混んでて馬廻りが遅れただけやろ
先陣は烏丸線使ってたとか (追加)信長は、松永久秀と荒木村重の時に謀反にあい、痛い目にあったので学習して、戦国大名の中でも一番、謀反対策に懸念がなかったと書かれていた。
芸術的なクーデーターということは、私たちが単純に思う以上に、情報戦や心理戦やかなり深い所で作戦は練られたということ。で、ないと500年経った後に今だに歴史的事件に紹介されてるってことは、すごい事件なんだよね。本能寺の変は。 >>145
その頃の秀吉は直属の部下も少なくて中国地方征伐も秀吉をバカにしてる応援部隊中心で苦労してる
光秀の軍に勝った直後も心底服従してるのは少ない >>146
日航の明智紋はしってるが、それでも天海=明智家の縁のものでは?程度の証拠くらいにしかならない。
実際私も、天海は明智家縁の人物だろうなとは思っている。
だが、光秀本人ではないだろ。それこそ、朝廷、法曹界、経済界まで、隠しおおせるわけがないだろあんな大物。 斎藤利三の娘の春日局の墓は麟祥院にある
麒麟がくるはここからとったのかな
信長を討ち損じたら近江回りか伊賀回りで逃げたはず
伊賀回りにいたのは家康
色々ありそうやな >>144
ゆえに、天皇家の守護、八咫烏な
神武天皇の神武東征を導いた連中
三本足のカラスは比喩表現だよ
ちなみに今の現代でも裏切り者をカラスと表現したりする
そして光秀は超優秀だった 後の天海となっての活躍も異次元 風水にも長けていたし
この八咫烏の連中が天海後にはブレーンだったかもな
ちなみに天皇家のすったもんだは、仏教と神道での争いで結構生臭い事をしている
寺ってのは今でいう新興宗教みたいなもん
武装したりな 一揆も起こした 金儲けもしてた
そういう勢力が、この時代の天皇家の周りにいたわけだ ゆえに、天海僧正 空海が開祖でしょ
改めて、天皇家が認めた、空海に連なる僧として最も上のもの、天海僧正 これが徳川幕府への天皇家の墨付きって意味かな >>144
じゃあやっぱ光秀はボケて突発的にやっただけだな
誰も予見できないとしたら、それくらいしかない >>161
戦国武将を善か悪かなんて議論する方がナンセンス。 >>157
みざる いわざる きかざる だよ
本当の意味はこれ
信長すら倒れた連中相手に弓を引くのはこの後の歴史上ではGHQくらいだね >>153
おそらく後詰めのための布陣。
もし信長が本能寺を脱出した場合、
二条城は包囲されてるため
鳥羽方面へ逃走する可能性が高い。
もし逃げても確実に打ち取るための布陣と思うよ 丹波亀山から保津峡通って桂川に出る。ここまでは通説通りで
ここから洛中に入らずに桂川沿いに鳥羽まで南下したわけだ
鳥羽伏見の戦いでもわかるようにここは京阪間の抑えになるから
諸軍団の中では一番近い摂津にいた織田信孝・丹羽長秀軍を警戒したのかもしれない 光秀と天海は筆跡鑑定の結果別人と言われてるのになあ >>164
いや、その程度のことが天海=光秀とか、こじつけようとしたらなんでもこじつけられるな。
もう議論する価値がない。 >>169
それとか、学会ですでに別人認定されてるとか、言わないでいてあげたのに・・。 日頃から独善気味の利三が勝手に暴走して
終わってから光秀知らされて頭抱えるも退くに退けなくなって、、、
とかちょっとありそうな
なかなか興味深い話ね >>1
あれだな秀吉黒幕説もあるし
光秀の知らぬ間に、秀吉は以下の兵士が
光秀の部下を上手く動かして攻めてたりして >>165
そう 表向きにできない話の逆をとって、秀吉が天下を掠め取ったとされている
いきなりあり得ない事が起きて、事情を知らない畿内の大名が態度を決めかねるだろう事は黒田官兵衛が読んでいたから秀吉の大返し奇襲が決まった
乾坤一擲
家康はしてやられて怒り心頭
この後何度か秀吉と揉めるのも実はこれが理由
家康も同じ事を考えてたくさいが
天皇家に成り代わろうとした時点で、信長の命数は尽きてた 伊賀忍者の本拠地を通るルートで決死の逃亡になるかな?
わざわざ惨めなエピソードを大っぴらに語り継ぐのも変だし
何かを誤魔化すために後世に作った話じゃないか? 秀吉が光秀をそそのかしたんだろ。 じゃなきゃ中国大返しなんかできん。 信長が死んだって事実だけでええやん
昔は焼き討ち暗殺も政権変われば犯罪じゃないし あ、ごめん
別人説が認定は違うな。これは勢い余って嘘かいた。ほぼ定説となってる。だ
素直にごめんなさい >>172
この記事どこにそんなこと書いてあるんだよ >>169
本人のものかどうかわからないのにご苦労様だね
学会が常に正しかった事などないけどな(笑)
議論の価値ないね 学会の発表したもん信じときゃ良いんじゃないか?(笑) 攻撃目標は二ヶ所
脱出阻止や逆襲対処まで含めれば、作戦区域は洛外まで及ぶ
総指揮官が前線の一正面に貼り付くわけにいかんだろ 今現在でさえ後世に禍根を残しそうな文書やメモは出来るだけ作らないよう
残らないようにしようとしてるように見えなくもないわけで
歴史というのは残ったものが正しいとは限らない
そこにいろいろな説が生まれるし いつの世でも正義を貫きたいとか
本当のことを残したいと思う者はいるわけだから
ちゅうことで まあなんちゅうか >>168
まあでも信長は渋ちんだから、ボンクラに城はくれないぜ。秀吉と出世争いしたくらいだし
キレ者ではあったんだろうぜw 常識的に考えて光秀がそんな長生きするわけないだろ
化け物かよ 光秀「敵は本能寺にあり〜!」
光秀「(後はよろしく〜)」帰宅
こうか 本能寺よりも二条の方が重要だから当たり前だろ
二条ならともかく本能寺に張り付いてたらバカ丸出しやんけ 本能寺の変の、ブラックミュージックみたいな雰囲気が凄く好き。 >>176
俺も秀吉黒幕説を推すぜ
でも光秀が現場に居なかったとなると
光秀はそそのかされたのではなく、部下を利用されただけかも知れん >>186
君の中の常識の枠内から外れたもんは全部違うんだろいから、そもそもこんな話に参加しなきゃいいんじゃないか?
それこそどっかの研究論文でも読んでりゃいいでしょ(笑)
アンタの狭い常識の枠とか興味ないわ でも、実際、信長を討ってそのあとどうするかも算段できてないなら、光秀は天才秀才の類とはちがうしそれこそ「麒麟」だなんてもってのほかだろう。
稀代の凡将・愚将と言われても仕方がない。領地経営が素晴らしくても。 清洲同盟から続く信長への信義・忠誠が家康の威信の源やからな
そこが揺らぐと大変なことになる 光秀自身が切り込んだわけじゃないってだけの話で
謀反が光秀の意志ではないとかそういう筋の話ではない >>168
歴史に残ってる戦いかたをみるかぎり
まっとうな作戦を貫いてる
勝っても負けても、常にまっとう妥当
これって、すごいことだぞ >162
本能寺の変の何が素晴らしいというのは、クーデーターが終わった後のタイムスケジュールも完璧に近い形で作成されてたらしく、誤算が出て結局、天下を取れなかったが、本能寺の変の後の光秀の行動は間違いなかったと書かれていた。たくさん誤算が出たのは、信長の首、味方につかなかった諸大名、毛利氏宛ての書状が備中高松の切腹前までに届かなかった、秀吉中国大返し、とほころびが出て瓦解したけど、朝廷など根回しは完璧だったらしい。 家康が光秀に感謝してるのは、本能寺の変後、織田家との主従関係が解消され
信濃、甲斐2国を加える大大名に成れたから
桶狭間の戦いで今川義元から独立したように
本能寺の変は、家康にとって大きな転機だった
関ヶ原の戦いと同じで、絶好の機会を逃さずモノにする家康は凄い 黒幕は中央の朝廷やら、法曹界、利権集団で、秀吉もその動きを知っていて、光秀の動向には細心の注意を向けていた。
勿論信長には黙っていたので、こちらも真っ黒(一枚かんで光秀そそのかすというか、動きやすいように仕向けたとか)。で、実際事が起こって漁夫の利を得た。
とかも面白そう。
多方面から持ち上げられた光秀がきっと周りは自分の味方と勘違いして決起する。 >>201
秀吉が知り得るレベルの情報を信長が知らないはずない >>197
秀吉さんが黒田官兵衛先生の悪巧みに乗って光秀を謀反の大逆人とした策がうまく決まった
信長暗殺はコソコソやってたから 信長自体が国家転覆狙ってたから、かなり慎重にやってた
つまり、見えない第三者がいないとこの段取りを組めない それが八咫烏って話 まあ、八咫烏って組織かどうかは知らないけど、天皇家の為に裏で動く連中がいたという事
結果だけ掠め取った秀吉が下克上の世の中において上手だったといえるね >>197
いや、大事なところが尽く誤算やん。
大将首確認できなけりゃ勝ちの宣伝が出来ないし、
諸大名味方につかなけりゃ勝ち目ないし、毛利(秀吉)の動向なんて1番見逃しちゃ駄目なところじゃん。 桶狭間の奇襲もまぐれらしいし、本能寺の変が完璧に見えるのもたまたまだろ
誰も予見できなかったってことは、本当に思いつきで突発的にやっただけ >>197
いや、ほころびだらけやんw
てか、前もって娘婿の細川家ぐらいには話を通しておくやろ、普通。
細川すら光秀に付かなかったと言う事は、まったく根回しがされてなかったんやん。 >>193
そもそも信長を討てる機会そのものがめったにないからな
(1)信長がふだん安土城にいるときは手を出せない
(2)安土にいなくても信長が大軍を率いてるときはやっぱり手を出せない
(3)京都なら馬廻りも分宿させて信長が裸で近い状態だ
(4)しかも光秀本人は遠征を命じられて大軍を率いている。それも京から目と鼻の先の丹波亀山に
自分は光秀は状況を考えて咄嗟に謀反を思いついた説をとるよ
その場合後々のことまでかまってられないだろう。なるようになるで
同じ謀反でも陶晴賢はかなり入念に下準備をしたり、同僚にも手回しをしたが
当然のように晴賢謀反の噂は広がっていた。義隆が優柔不断だからそれでも通用したが
信長相手にそんなことはできないはず >>115
参勤交代が無かったら今の日本とはかなり異なっていた
と思う >>206
そもそもその陣って本能寺攻める為に
集まってた訳ではないんじゃなかったけ? >>202
秀吉にも同様の話が来てて、秀吉が巧みにその話に乗るような態度で隠してたらどうだろうか?
そこで、かなり話が進んだ段階で光秀も一味だったと・・・そこで秀吉が信長に密告する判断を保留。光秀の態度いかんでは・・・・と、
まぁ、妄想だなぁ。 そもそも本能寺ではなかったとか
くの一忍者が変装して茶会に潜入して秘技くノ一忍者の技で殺したとかあるよね? 国土地理院のサービスで古地図とか航空写真調べるのって凄い楽しいね
時間泥棒だわ >>201
細川、義昭、毛利のラインは、
押さえとかないとな。(´・ω・`) え?今からみんなで明智光秀にごめんなさいするの?(。・ω・。) >>211
仏法界?法僧界?そんなニュアンスで書いた。 光秀の事、名君とか凄いとか言ってる人って
馬鹿なのwww? NHKの大河初めて見たけど信長あれおかしいわ
あんな無謀な男じゃない、気合いで勝てとか1番言わなそう。とことん理論家でしょあの人? >>213
参勤交代は、幕末に一度なくなってるし、
やはり、廃藩置県の方を問題にしないと。 まぁ、その陶自体も毛利にさんざん下準備されてるけどな。
どっちにしても成功する側は計画すごい。 ナイナイの岡村隆史が信長。家康の上に位置する神だとNHK職員たちがドラマとして展開してた 明智光秀もしクリーンだったら成仏できないだろうなw >>223
「気合で勝て」いう人が、「やばい負けるかもしれん、逃げるわ」
はないもんな。 >>212
俺もそれだ
恐ろしいくらいの好条件が揃った
で、そこにきて光秀からしたら理不尽な今で言うならなら転勤が >>230
桶狭間以外は勝てるというとこまではかなり忍耐できる人だった
無謀なことはしない >>221
そういう意味か。法曹界ではさすがにわからんw
仏教界とか聖界とかなら、意味わかるが。 >204 209
その時、その瞬間、大事を成し遂げた人物達は、
必ず自分達の理想が達成されるものだと確信して、
クーデーターを起こした。結果は逆に出て仕方なかった。未来から遠い過去を検証すればいくらでも穴が見つかる。机上の空論で、間違ってたじゃないかっていうけど、歴史を動かしたその時は、間違いじゃなかった。本能寺の変の理想なんて、そんな事、誰にもわからないよ。本能寺の変の後のタイムスケジュールも、ありとあらゆる想定を考えて作成されていただろう。
それでも、歴史を変えれなかったのは、努力や知恵やそんなもんで計り知れない、大きいウネリに負けたんだと思うよ。後の関ヶ原や大阪の陣で大阪側が勝つチャンスは何回とあったのに。 失敗したら部下が勝手にやりましたって言い訳するためだろ 明智だけで出来るわけない
坊主とあきんどが絡んでる >>223
分の悪い戦いの制し方としては
桶狭間を見りゃ解るよな。
根性主体のやり方じゃない。
ただ、あの時点で信長が今川ときちんと話をしてたら
相当歴史が変わっていただろうね。
信長さん、根は優しいのに、焦って判断しすぎて同士を斬りすぎてる。
結構考え方の相性良いんだよ。
理想の追い方は違うけど、目指してる所が似てたから。 本能寺を襲った、裏付ける証拠もないのにずっと嘘を広めてきたのか?カミカゼ特攻隊から日本人はおかしいと感じてたが、これは酷い 公家 秀吉 家康 本願寺 明智の密約 光秀は生きていた >>234
すまん、仏教と書きたかったが、朝廷含めると神道もだし、キリスト教も含めたかったからどう表記していいかわからんなった、普通に宗教界でよかった>< ま、天海が光秀だけど、天海ってキャラを初代が光秀、二代目を誰ががやったって話をしたかったけどね
ホントのとこは
青筋たてて年齢ありえねえとか、筆跡どうとかのいつもブレブレ歴史学者先生の通説持ち出すからシラけたねえ 天海の存在イコール天皇家のお墨付き
つまり徳川の世がいずれ来る事を徳川家臣団は知っていたから、あんだけ強固に固まっていた
三河武士だからとかではない
秀吉が長続きしなかったのは、掠め取った事に由来すると睨んでるがね 一度エゲツない真似した人間は、次は自分が同じ目に遭うかも知れないとまるで見えない何かを恐れて余計な真似しだして自滅する傾向があるね 流石に俺もそろそろ経営側じゃね?と思ってても信長からしたらいつまでたっても普通の支店長でしかない
だからごく普通に辞令を出しただけ
最後だっで「光秀何怒ってんの?」くらいだったんじゃね?
まあでも光秀ならどうしようもないな、「是非に及ばす」 事件から90年近く後に成立した書物の記述が正しいか
それともリアルタイムに記録された噂話が正しいか
或いはいずれも正しくないか 認知症になった光秀を、斎藤利光が傀儡にしたて上げ、暴走しただけだったのかも。 戦場の霧は拭えないから、戦争に絶対は無いわ
桶狭間も本能寺もミッドウェーも大博打 本人が来てたら信長が裸足で光秀を追い掛け回して倒しただろう
そんな可能性が微塵もないから「是非も無し」 まっ信長も明智も
年寄り過ぎる。隠居の為のアレだよ
大作と同じw 秀吉が黒幕だったらワクワクするけど棚ぼた天下なんだろうな そもそも光秀って信長裏切りそうにない性格だから
後世の歴史家が、色んな説を上げてもしっくり来ないんじゃないの? >>233
戦略的にはできるだけ大軍を集めて相手より数的優位に立つことを最優先した
その一方で戦術的には好機とみると少数精鋭の馬廻りだけ率いて自ら突出することもよくやった
桶狭間、義景滅亡のときの越前進軍、本能寺相手の天王寺の戦いなど
本能寺も上洛だからとカッコつけずに常に大軍率いて身辺守ってれば防げたかもしれない 光秀は最終的には渋々OKしたかもしれないが
基本は斎藤内蔵助と明智秀満が
徳川家康の要請受けてやったこと
光秀が積極的だったら本能寺囲んで
数時間そのまんまなんて甘いことしない >>253
×本能寺相手の天王寺の戦い
○本願寺相手の天王寺の戦い >>228
日本人の感性に「もののあわれ」というものがあって、敗者にすら美学を見出そうとする。 >>247
桶狭間は大博打にらみえるだろうけどねりにねった計画を建ててあった
無謀というのとはちょっと違うかなぁ 光秀は戦さ下手で外交下手の武将だったってこと
細川藤孝・忠興親子に見捨てられ、筒井順慶にも見捨てられ
奪った金を朝廷にばら撒くという無駄なことをして
山崎の戦いで秀吉軍にあっけなく負けるという
光秀は自己評価が高く、空気の読めない武将だったのでは >>253
初期の戦では先人切ってたらしいからね
まあカッコよかっただろうねw 歴史なんか嘘の塊
美談や英雄がそんな簡単に産まれる訳ない
一切信じない これは有り得る話だな
仮に信長と信忠が襲撃を察知して京から脱出をはかるなら東は鴨川に遮られてるから渡河に手間取ることになる
北側は市街地が広がってるから、夜中で閉じられてる街の木戸を打ち壊しつつ逃げるしかないので時間がかかる
となれば、脱出路は南の鳥羽口一択
おそらく、先発隊に追われて南に逃げてくるであろう信長を主力で補足するために京の南側に回り込んで待機してたのだろう
実際には察知が遅れて逃げる間もなく、主従まとめて先発隊に殲滅されてしまったわけだが >>251
光秀の性格も何も本人自体謎が多すぎるらしいとどこかで見たな。 今この時代の歴史さえ400年後どう塗り替えられてるか怪しい 普通に考えてもしかしたら反撃や援軍もありえるし総大将がのこのこ最前線に行くのも不自然ではあるわな。
関ヶ原の戦いで家康が危険な最前線で戦いに出るようなもんだし。大将は総指揮として安全な場所に居るのは必然ではあるな。 まあ夜討ち朝駆けに自ら赴くのって
頭のおかしいヒャッハー武将くらい >>258
皆んなも社長のこと怖がってたじゃん!
俺の行動も理解してくれるでしょ?細川さんなんて俺の親戚じゃん!
て考えだったんだろうけど今も昔も戦に大義が必要
ましてや寝首をかくとか絶対だめ
山本五十六もそれでブチギレてる >>258
せめて、丹羽が四国に行った後だったら。>< とにかく本能寺は光秀に好条件が全て出揃った奇跡的に。
光秀のその後行動みると本能寺は突発的だったと見るのが妥当 ようは明智の家来が場所(家康と信長)を間違えちゃったのか?
最も不思議なのは上洛していたはずの家康は京で騒乱が起こったのに
二条城や御所に向かわなかったことの方だと思うんだよな。
家康が運動音痴でとろくさいにしても変な話で何処にいたんだよ。 >>206
明智勢は西から来ているので、南の鳥羽まで行ってたなら「後方」で待機してたとは言えないな
京の西側ではなく、主力を率いてわざわざ京の南側に回り込んでいたのなら、当然その行動には何らかの意図があったはず >>277
なんでわざわざ二条御所に向かわないといけなんだかなw 光秀「やっぱ相当恨まれてますよ?」
信長「う〜ん …死んだことにしてもらってもいい?」
光秀「はぁ じゃあ私が謀反起こしたことに」
信長「いつも悪ぃな! じゃあ逃亡先は俺はポルトガル! お前は明な!」
信長光秀「シルクロード作戦決行!」 >>257
作戦練った証拠なんかないよ
あれはまぐれ
そもそもはじめは全然違う場所攻めてた >>258
そんなヤツが超ブラックの信長麾下で
出世できるわけないだろ。
方面軍司令官に任命されるほどの
才覚があったことは確実だ。
人望はさほどなかったのかもしれんがな。 >>275
団右衛門は、明らかにヒャッハーだろ。(´・ω・`) 家康より勢力があった尾張三河の大名水野信元が甥の家康に殺されてる。 団塊ジュニア世代って世界史を習ってないんだってな
節約された世代 聖書もそうだけど
いつまで議論してるんですか?
議論なんて意味がない。
ココロのままに生きるしかないだろ。
ついでに社会について分かればさらにいいけど。 >>284
これは、そんなヒャッハーな武将が「せやろか?」などと、自分がさも違うでしょ?と思い込んでる様を楽しむ。そんなジョークレスです。
>ちなみに>>278の水野さんもなかなかのヒャッハー武将です。 >>266
そこはまず、日本書紀を持ち出すべき。(´・ω・`) 信長討ち取った後どうするつもりだったの?
計画も後ろ盾もなきゃ報復されて滅ぼされるだけじゃん
現に秀吉に倍の勢力で報復されて滅ぼされてるし 鳥羽伏見と言えば真言宗東寺派の東寺派
真言宗高野山派の金剛峯寺の奥の院に光秀の墓がある 現在の政治でも言えるわな。民主党が自民党に勝った時、事業仕分けやら年金問題やら、その瞬間はすごい熱気で支持率すごかったけど、結局天下は自民党に移ったからね。かといって、民主党がサボってたかというとタイムスケジュール通り粛々と政務をこなしてた。じゃあ、何故?ってその時は鳩山由紀夫や菅直人が最高の指導者と思って推挙したはずだ。本能寺の変の昔も今も変わらないよ。秀吉は、大きい流れを読めたということと、家康は黙って流れを勉強してたって事。 謀反はしたんだよね
それさえもなかったことになりそうないい人になるのかな >>299
まぁ、光秀にしてみれば中央掌握する前に戻ってこられれば、三日だろうと、一週間だろうと変わらないわけで。
そこらへん誇張だとかねつ造だとかは些細なことだな。
光秀の最大の敗因は根回しと、信長の首を持って帰れなかったことだろう。 思いつきでやっただけだから根回しなんかするわけないだろ 天子様と本願寺の命令を 秀吉が無視できるわけがない 予め難所通かに伊賀者を200名配置や光秀の近い身内を同行岡崎まで送り届けの記録
帰ってから数日の甲府攻めは後詰めに心配無い明石 家康と謀ってたと思う 座間の白石の事件も陰謀論唱えるやついたが、お前らあれと一緒だよ
犯罪者の心理なんて、ほんとくならないものだから
光秀も似たようなもんだろ
後先考えず、感情の赴くままに行動しただけ >>304
事前の根回し自体が不可能な状況。
暗殺前に俺アイツ殺すから、味方になってくれなんて
言えるわけないしな。
結局のところ、実行した後でしか行動できないし
実際そうしたんだけども
秀吉の動きが早すぎて間に合わなかった >>1 明智光秀がアウトソーシングして丸投げしたのか。 >>308
それなら計画してる段階でバレる
計画性もなんにもない
信長が近くに無防備のままいたから、つい出来心でやっちゃっただけ >>283
光秀は信長にゴマすって可愛がられてただけ
宣教師の供述にも描かれているし
将軍・朝廷の橋渡し役としては活躍しただろう
あの時代に40歳前の活躍がないなんて、能力が低かったことの証明
信長の「是非もなし」は自分の見る目のなさの自省から発したのでは? >>283
佐久間信盛が追放されたときの折檻状見ても
ほかならぬ信長その人が丹波攻略を遂げた光秀をまず第一に挙げてめざましい功績と言ってるぐらいだしな
本能寺の2年前に信長が光秀の軍略をどう評価してるかが分かる史料だし 弘前のバーBLOCK HOUSE に通って、隣に座って話聞いてくれた知らない男の子と、その日に性交渉を繰り返し、してたみーたん。
きたないね。 >>1
昔やってたドラマにいたっては自ら信長に刀を振るって切り捨ててワロタ 明智軍は信長一族を一網打尽にしようとして京都の複数の宿営を同時に襲撃してるから、
普通にその可能性は高いだろ。 &ロ愛子がお墓の前で政治的に利用されたんだって言ってた >>1
駒に始まり駒に終わる糞のような作り話
もう無理して広げなくてもいいんだ
楽になりなよって感じ >>320
それは、後付けの家康過大評価。(´・ω・`) >>324
上杉と聞いて、
タッちゃんカッちゃん思い出す人か。(´・ω・`) 秀吉といい光秀といい
有能だからと出自がはっきりしない人間を重宝しちゃだめだよ
世の中家柄ですよ >>158
三条西とかってマイナー公家が大きく取り上げられてるし、
春日局の前フリって気はするね。
麒麟がくるの最終回は、斎藤利三の娘が出てくるだろうな。 >>322
家康が築山殿を殺害したのは、べつに信長の命令があったわけ
じゃなく、信長へのご機嫌取りのつもりで勝手にやったというのが
最近の定説だろ。 >>1
>光秀自身が最前線に赴く必要はないし
何で?
光秀自身が最前線に赴いて信長の死を確認してもいいだろ 朱元璋とか底辺から生まれた中国史上最高レベルの有能皇帝だからな 当たり前やろ
◯◯が××を討ち取ったという記録も◯◯が自分で槍を奮って討ち取ったと思ってんのかよ
部下がやったに決まってっだろ >>335
中国史上屈指の人殺しのことか。(´・ω・`) 1万人を優に超える光秀軍総力で本能寺襲撃はナンセンス。襲撃は部下に任して光秀は主力部隊を率いて鳥羽にいたというのは合理的。それって大阪方面からくる敵を京都に入れないための布陣だよね。 となると織田信長も本能寺に行かず、
明智光秀と酒を飲んでたところを、
秀吉に襲撃された可能性が高いね。 安土からの援軍を山科で包囲して叩くつもりだったんじゃないかな。信忠が逃げるにしても川に明智軍は居なかったらしいけどそこは罠で開けておいてその先で殺られてたと思う。 毛利討伐、徳川討伐だと思っていた兵もいる中で
主君殺しを自分の目の届かない位置で他人に任せられるか?
私怨ならなおのこと、直接自分で指揮して見届けないと夜も眠れないだろう >>334
断片的な目撃者の記録もいくつかあって、明智軍は
信長と同時に、別の場所に泊まっていた信長の子供たちも
皆殺しにする手はずだったのが一部逃げられて、
大慌てで捜索中だったとか。
だからたぶんそんな余裕なかったと思う。 >>332
光秀=天海説を例外にすれば、
明智と徳川を結び付けるのは、
春日局をおいて、他におらんもんな。(´・ω・`) 部下が先走って襲撃しちゃって追い込まれた説が生まれるって事? >>46
設楽が原の戦いも信長現場にいなくて1km離れて高見の見物だもんな。
秀吉の備中高松も1km離れた山から高見の見物。 光秀、リモートワークかよ
延長大河もこの路線でいいんじゃね これってもしかして藤本正行氏が紹介してた
高瀬羽皐の「本能寺の変の実歴談」の元ネタなんじゃないのか? 光秀が信長を怖れ対面を避けたんだろう
その結果、信長の首が取れなかったという大失態
光秀が本能寺に行ってれば、そこら辺の適当な焼け焦げた首を取り
「信長の首取ったりー」って宣言すればまた状況が変わったと思う
秀吉は「信長・信忠は生きている」ってあちこちに返書したため情報が錯乱した 未だに何故光秀が信長を討とうと決めたのかがさっぱり分からない
犯人のホワイダニットは何かね明智君? 信長も殺される理由多数。
今なら毎日ネット炎上ネタありだろw 光秀って年齢的には既に老境だし、
天下取りで襲撃は無さそうな気するよね
陰謀論とか好きじゃ無いけど、
本能寺の変に関しては動かされた説が説得力あるよな思う
誰が動かしたかは知らんけどw 仇討ちとして、明智軍1万に対し羽柴軍5万に柴田軍5万
先の展望は絶望的
まさかそんな簡単な算数も計算できない状態になった心理はやっぱり分からん 秀吉が毛利と片を付けて
すぐに返ってこなければ明智の天下取りは成功したので
秀吉の実力がはるかに上だっただけ >>358
光秀の周囲が全部敵だから天下取りなんて無理
秀吉が戻ってこなくても自滅してただろう >1669年に成立した上巻
87年後の史料じゃなあ
従軍慰安婦も噴き出すレベルかと 光秀は四国の長宗我部元親と親戚ぐるみの親交を持ち、信長もそれを認めていたと記録が複数ある。
そして本能寺直前に土佐の長宗我部と明智との書状のやりとりした記録がある。
明智の仲介もあり長曽我部は信長の意向に従う決断をしたのに、信長が一方的に破棄。それに怒りを表している。
また明智なぜ長曽我部と親しかったかというとこれは単純で、同じ四国の出身で土佐一族であったからである。 >>352
いや自分の一族(明智の出身の土佐一族)を滅ぼすと言われて黙っている方がおかしいだろ >>352
最近発見された文書で、本能寺の変までわずか数か月
という時期のものなのに、光秀が足利将軍家の家臣
だと書かれているものがある。
もしこれが事実なら、この時点でもまだ光秀は織田家では
将軍から派遣された客将の身分のままで、実際の主君は
足利義昭ということになる。
義昭は織田追討令を出していて、織田軍は義昭が身を寄せて
いた毛利を討とうとしていた。
もし光秀がまだ足利家の家臣だったら納得の行動。 >>360
ほかの武将は信長が居なくても
有力武将だが
秀吉だけは信長のバックがなければ
武将でいられない
だから信長の威光があるうちに
すぐに光秀を討つ必然性があったのは
秀吉だけで、それに成功した https://ironna.jp/article/6780
「蘭奢待切り取り事件」
蘭奢待は聖武天皇の遺宝とされる香木で、東大寺正倉院に収蔵される。「天下第一の名香」と謳われ権力者に重宝された。
信長は、自身の権力を誇示すべく、この蘭奢待を切り取る勅許を正親町天皇に求めた
正親町天皇は、「そんなことをすれば聖武天皇の怒りが天道にまで響く」と怒りを顕わにしたが、
最終的には許さざるをえなかった >>363
UAEがあっさりパレスチナ見捨てるケースみると、同族であるというだけでは政治は動かないということ
>>364
これは理にかなってるというか腑に落ちる説 日光東照宮にあるのが織田木瓜紋(と装飾用唐花紋)でお察し 行かなかったなんてちょっと考えればわかる
歴史の授業の時点でそれはないと思ってた >>366
信長の前に、足利義政も切り取ってたよな、確か。 信長の天下統一の野望というのは
いまでいえば、トランプが世界を征服みたいな話
お前は明日からアフリカに行けと言われたら
老境の部下は「もうついていけんわー、もうここらでこいつ殺すか」
となっても不思議ではない 弥助が本能寺を出て二条城まで辿り着いたのも不思議というか、なぜに信長は逃げなかったんだろ 秀吉にとっても天下統一は狂気であり
信長の意志を受け継ぐものとしてやらざるをえなかったが
実際に天下を取ってしまったときから秀吉は狂い始めた
そういう時代だった >>367
元亀3年(1572)4月の河内出兵の際の軍事編成では信長方の佐久間信盛・柴田勝家らと別に、光秀の名が「公方衆」としてあげられている。
光秀の信長と義昭の二人の主君を持つところは、他の織田家臣と光秀の異なる点であったと記されており、これは昔から有名な話。
そして光秀は足利と織田の両方を裏切った事も有名な話。足利の家来になったのではなく、元々足利に支えていたのを、織田と動揺に裏切ったのだよ。 >>359
いや、バカでもわかる
仮にもそいつらは織田軍だ 徳川の成功は
信長と秀吉が天下統一の狂気に落ちていく様を見て
実際に天下統一したら冷静にどうするのかを
じっくりと考える時があったからだろう 今の「秘書が勝手にやった」みたいな話だな(
安倍の桜を見る会ネタのあと、タイミングよく出てきたか( >>380
明智連合は80万な
計画では圧勝する予定だった
計画通りいかなかった理由は↓
ttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56895?_gl=1*ikb017*_ga*b2xEWk90LW12TjFraGdPY09PRVkyaEZXVEhaSzhNdGFaWERpVDVIUEZRdmRFcV8yOG5iWURBc3BHQUVhSlJoZg.. 明智軍の人も誰を
撃つか知らないでいったんだろう
まさか織田信長をうつとわ知らないで >>384
じっさいそうだったと
最近の違う古文書ニュースであったな
そこにいるやつを全員殺せと言われただけと
弥助はそもそも人という扱いでなかったから
殺されなかったと 家臣が勝手にやった
とかだと、逆に無能になり下がるじゃん
家臣の統制すらできない馬鹿殿やで >>381
徳川は秀吉の築いた天下を維持しただけ、秀吉の右腕として秀吉なき後も組織を守った
織田は天下をとっていない >>388
征夷大将軍にもならなければ、参勤交代みたいなアイディアもない無能じゃん
家康と比べ物にならない 当時の常識だと
京都を完全に抑えれば天下人みたいなものだけどな アーチーチーアーチー燃えてるんだ廊下
明智ー謀反ー
死んじゃうんだろうか〜 >>387
ttps://youtu.be/WAnbegmaXZ8 >>364
それなら毛利は秀吉の和睦を受け入れるべきじゃないし
明智のためにも秀吉を後ろから撃つべきだろう >>379
明智は足利義昭1537 1593の家臣だったとはだ
1573年に室町幕府崩壊で義昭を生かしておいたのが失敗なのだろうか? 明智軍団の核は美濃衆、丹波衆。一度信長に敵対した者たち。
この時期天下の見えた信長は家臣の整理粛清を進めていて、次は自分たちだと悟った明智軍団が先制反撃したのが本能寺の変。 >>390
なら細川家、三好家、松永が天下をとったのだな >>362
光秀のルーツは岐阜県明智町じゃなかったっけ? >>400
不明
最近だと滋賀の多賀付近の出自説もある 明智光秀 Wikipedia
で検索するともっと正確で詳しい情報が見れるよ! >>390
京都を支配した武家には早々に不幸な末路が待っとるんやで。
これが京の恐ろしいとこや。 信長は今で言えば自己愛性人格障害だから、誰かが討ち取らないとみんな
ひどい目にあうよ。 >>389
朝鮮出兵とかしないで
国内おさえて
後継者つくっていればよかったのに
それか家康殺すか >>357
当初は細川、筒井などの盟友を数に入れて決起したんだろ。
バカじゃないんだから戦力分析をして事に及ぶだろ。 >>388
魔王を名乗って天下を取ろうとしてたのは
事実だろ?
すでに天皇がいるから
日本をそれと別に支配するなら
魔王とか言わざるをえなかった 神君伊賀越え人生最大の苦難 同行〜茶屋四郎次郎日記終始ニコニコ上機嫌
家康ざまみろ! >>410
たとえだよ、たとえ
秀吉は織田の時代から勢力を拡大※してようやく「天下統一を成した」と言った言われた
※四国、九州、東北地方を平定 >>409
麒麟が来るは可児市の明智荘説に準じた設定だったっけ >>401
主人公なんだからもちあげるにきまってんだろ。
歴史上の人物なんて殆んどが上げ底評価だ。
やってない事業さえ主人公の偉業にさえしてしまう。
物語は所詮嘘の世界。 信長自身も魔王をなのって天皇とは別に
自分が日本のすべて、天下を取るなんて
狂気だよねと思ってたから
「是非に及ばず」(ですよね〜)といって死んだのだ 明智光秀が織田を殺らなかったら再び戦国時代になっていただろう >>415
その辺はよう解らんけど、他にも土田御前の出生地らしい 魔王を倒すのは勇者として当然であろう
魔王の妖術により仲間が洗脳され各地に戦闘に行った
残されたのは自分一人しかいない
今こそ魔王を倒すときなのか 織田の殿様の野郎、我らの殿をボコりやがってカタキとろうぜーおー
光秀・やばいよ言う事聞いてくれないよ、あーやっちゃたーどうしよー、
もう開き直っていくとこまでいくか、しかし今回は無計画だし
えっ秀吉なんでこんなに早く帰れたの?なんでこんな事に・・・
織田の殿様は恐かったけど意外に民からは慕われてるし
終わったな なぜ日本天下統一という野望が信長に生まれたかといえば
その前に元寇があり
全国の武士が馬にのって日本を縦走する必要がうまれ
街道が整備されてきたからだ
それが完成してきて、じゃあ日本統一だという話になったのだ
物理的な可能性が先にあった
国際航路の発見で大航海時代が始まりイギリスが世界統一の野心を
実行し始めたのと同じだな >>283
一次史料で見ても光秀は信長に普通に重用されてるしな
信長の書状にも光秀の軍略や報告の周到さを褒めているものがかなりある
その数は信長発給文書の中でも群を抜いてるしな >>420
もう戦国につかれていたから
織田が平定していただろう
後継者が問題 そりゃ当時の常識なら大将が敵陣に突っ込んでいくことはないし、そういうことは部下にやらせるだろ。 >>429
織田信長
がいるとは言わないで
敵がいるから撃てと >>431
部下「敵とは一体誰なのでござるか!?」
光秀「O田N長じゃ!」 麒麟
三菱の起源は1870(明治3)年。 土佐藩出身の岩崎彌太郎
その三菱の重役であった荘田平五郎が「東洋には麒麟という霊獣がいるのだから、それを商標にしよう」という事で麒麟ビールの社名が生まれたと言われている 100年近く後の伝聞情報が学説か、安直な学問やねぇ >>426
ぶっちゃけ、今残ってんのは大概は秀吉の都合の良い歴史だろうね 本願寺の変は秀吉の策略とも言える
その秀吉が策略を実行できたのは任命した織田信長
つまり本願寺の変は織田信長の策略と言える
明智光秀は、まんまと織田信長の策略に陥れられたのだ 学説ってもこういう古文書がありましたってまでしか展開のしようがないんでね? >>438
最後に制したのが家康だから、そういう意見もあって良いと思うけど
こと本能寺の変に関しては家康の都合のよい様に弄る必要なさそうかなと
まあ、黒幕説あるけどね 家臣が勝手に起こして後から光秀が乗っかったみたいな話かと思ったら違ってた >>439
手紙が山のようにある
本願寺の直前の長曽我部と明智光秀との手紙も美術館が整理していて2019年にようやく見つかった >>405
あくまで朝廷の臣下という立場を崩した勢力はことごとく滅ぼされている
蘇我氏、平氏、源氏、封建制から律令制の中央集権化を画策した信長 本能寺とか
ほりかえしたら
信長の骨とかでてこないの
DNA鑑定とかできないのか? 最後に直接言葉を交わしたみたいな逸話が今まであったわけでもないし
だから何?ってレベルのどっちでもいい話だなぁ 一代で大勢力をおこし最期は燃え盛る炎をバックに消え、遺体は見つからずとか、
もうこれでもかレベルの主人公補正だもんな
本能寺の変ない信長は三好長慶みたいに地味な扱いされちゃったかもね >>446
秀吉「明智秀吉よ、まんまと騙されたな!これぞ本能寺の変なり!信長もおまえも我が計略にまんまとかかったのう」
とか言ったのかもしれない 真実は麻呂連中しか知らんし墓まで持っていってるから分からんと思う 光秀レベルの裏切りは史上ユダかブルータスぐらいしか無いから目立つ 信長が天下獲った日本も見てみたかったな
ファッションは絶対変わってたと思うし >>364
その史料って天正10年6月12日付土橋重治宛明智光秀書状のこと?
それ以外ここ最近新出の光秀文書ってなかったと思うが
この文書なら3年前に原本が発見されたってだけで内容自体は写しがあるから昔から知られてたよ
あとこれには光秀が足利将軍の家臣だとはどこにも書いてない
この書状の内容を要約すると、
・貴方が義昭入洛のため助力するよう義昭から命じられたことを嬉しく思う。光秀も義昭入洛の件は既に承諾している
・この度雑賀衆が明智に味方してくれて感謝する
・この度高野衆・根来衆も明智の援軍として和泉河内方面まで出陣するとのこと感謝する。恩賞については後々相談しよう
・近江・美濃まで平定することができた
・追伸部分は義昭入洛が叶うよう是非力添えしてあげて欲しい >>424
信長が民から慕われるのは順当
あの当時で生きるなら信長か北条のとこだろうってくらいにはホワイト >>444
信長の遺体もミステリーの一つだよね
個人的には信長は落ち延びたか、最初から居なかったかだと思う
弥助が持ち去っただとか、完全に焼失したってよりはアリだと思うんで 安土城は防御能力がない宮殿のような造りで
天守は京都御所のような構造になっていた
天皇を迎えるためという好意的な解釈がなされているが
実際に信長が居住していた安土城に天皇が京都を捨てて遷都するだろうか? 信長は先を読みすぎて部下がついてこれなかった
秀吉の天下取りのあと
朝鮮出兵の佐賀の城に老いた秀吉が来ているように
軍事利用できる街道が全国で完成したのだ
信長のときは大返しができるぐらいはできていたが
そこから先はまだ天下統一前だから
完成していなかったのだろう 道というのはつくったら攻められる可能性があるのだから
国の境にはわざと通じてないところを
各所に残していたのだ
天下統一したからこそ、ズバッと全国に道を通せた 歴史なんてデタラメだからな
歴史書書いたやつの妄想が歴史になるから
今現在の安倍晋三のことですら分からないのに過去のことなど分かるわけがない 平氏を討伐するのに義経を利用し源氏を衰退させるのに北条氏を利用した
信長を討伐するのに光秀を利用し、織田家を衰退させるに秀吉を利用したとも考えられる 江戸以前に使われたいた旧街道というのが各地にあるが
なんでこんなに細い道なのだろうと
疑問に思ったことはないだろうか
あれはわざとだ
大軍団でワーッと通れないように
わざと細く作ってある
天下統一してからもそうなんだから
その前は推して知るべしだ
信長は天下を取るにあたって元寇から始まった
軍事用街道を全国に広げている最中だったのだ >>460
陸海軍を倒すためにスターリンを利用した >>460
後白河は、その場その場で強いほうについただけの人だよ。
北条に関しては完全に鎌倉内部の権力闘争だし。
信長の時代は朝廷は貧乏だから、金持ちに寄生しないと
天皇家はなんにもできん有り様で、そこまで気も回らないだろうね >>461
橋作らないのもそうらしいよね
ただ別の説で日本は基本馬文化でないので、広い道がいらないとかも聞いたことあるw 明智側の下級武士の手記によると「上様(織田信長)のご命令で徳川殿を討伐する」と下知されたとあるね
「上様がご命令なさるならそうなのだろう」と誰一人として信じて疑ってなかったとか >>464
だからそれが元寇で事情が変ったわけだよ
鎌倉と福岡を何回も往復しなきゃいけないわけだから
必然と馬が通れる軍事街道を整備する
必然性が生まれた
だけど、国と国が争う時代が
そのあともずっとつづいてたから
要所要所はわざとふさいであったわけだよ
信長はそれを壊していったから
秀吉が大返しできた 金閣寺を建てたのは誰?→答え 大工さん
に近いものがある。 >>459
波斯、インドでいうパールシーが日本に渡来していたのは出土品からはまず間違いないとみてる
彼ら中国に移住してきた古代ペルシャ人が祆教景教やヘレニズム文化を日本に持ち込んだ 自然の防衛施設である細い道や行き止まりをぶち壊して
でかい軍事街道を全国に通そうとする
天下統一の野望をもった魔王信長を止めろいう全国の武将の圧力が
家臣のどこかに来てもおかしくないだろ? なぜ信長が秀吉を重用したかもそこにつながる
秀吉は他の名家の武将と完全に違って
軍事土木建築の専門家だったから
百姓なのに信長によって武将になれた
つまりわざと細い道、行きどまりだらけの日本で
軍事街道を全国に広げようなんて思ってたのは
信長が最初なわけだ >>425
大航海時代は単純にオスマンが強すぎて
中東の内陸貿易路自由に使えなかったから >>474
ならなおさら
国際航路の発見がなければ
イギリスが世界支配の野望をもつことは
なかっただろ?
つまり元寇こそが信長の
天下統一の野望の起きた原点 >>1
そんなもの50年前から言われてるのに今さらドヤ顔で言われてもな… ちなみにそんな秀吉の部下をずっとやってた家康は
建築土木に自信があったから
未開だった関東平野を拠点にすることができたわけだ >>152
信長に手傷を負わせて蘭丸を殺した人は自分も怪我したんで山崎の戦いには参加せず生き残り
主家が無くなったので何故か鬼武蔵さんに仕えて、その後旧知の寺沢に仕えて九州の唐津に行ってる
嘘か真か、唐津城に寺に寄進された信長に傷を負わせた槍が展示してる >>6
曰く、居城でもない鳥羽に陣を構えてるんだから
1くらい読めよ 細かいくだらない書類まで残ってるから
想像出来るんだよなw日本は🇯🇵 普通に考えれば
大将が前線に行くなんてありえないから
前線を駆けずり回ってたのは
ロンメル将軍ぐらいだろ 信長は本能寺の変で生き延びて蝦夷に渡り
そこから大陸に行ってジンギスカンになった >>477
北条氏が内政家で、北条氏の治世ですでに領内の検地・伝馬制が確立され
民心も安定し非常に統治しやすかったからと聞いている 信長が逃げなかったのも事前に光秀が鳥羽に駐留してると報告受けてて逃げ道を塞がれたのを知っていたからかも 秘書が誤解してしまった
説明が足りなかったかもしれない >>407
明の悪人、懐良親王に殺されてるじゃん? 信長の始めた楽市楽座も軍事街道と同じだ
でかい市場が各所になければ
軍事物資を自前で大量にもっていくしかない
相手の兵糧を襲うなど余計な軍事行動も必要になる
市場がそこここにあればそこで調達すればいい
軍が身軽で移動も速くなる
日本の天下統一を具体的に考えればなくてはならないもの
つまり天下統一のための具体的な行動を起こしたのは
信長が最初ということ >>425
偉い人は馬に乗れるけど、御付きは徒だから、
あんまり意味がないんだけどね。 >>484
関東平野は家康が江戸に拠点を置く前は
ほとんど誰も住んでない原野だろ
家康が関東を切り開いても
まだ新潟や大阪に人口で劣っていた 進軍経路的に
本陣の光秀が本能寺よりさらに南の鳥羽まで行って布陣するなんてありえないけどな
せいぜい鞍馬口あたりで布陣したならわかるけど >>464
奈良時代には古代山陽道(道幅8m以上)を大和盆地から太宰府まで通してたんだけどね
一定距離感覚で駅馬を飼育する駅家(うまや)を置いていた
その後、大量輸送が利く船に貨客が奪われて、道そのものが衰退したけど >>474
当時、大型輸送は船だよ?
ラクダなんかw >>491
街道が開けてなければ
偉い人も馬に乗れないわけだが
老いた秀吉が大阪佐賀を往復できない
このときはじめて老人でも
こんな遠くまでこれる道が完成したんだろ こんな細かい所在地で「行かなかった」とか言い出すんなら
信長は桶狭間に行かなかった、とか言いたい放題やで >>489
楽市楽座は信長が最初じゃないぞ
信長以前に近江の戦国大名六角定頼が楽市令を出している
信長は六角定頼の後追いに過ぎない
それに楽市楽座なんて信長や六角氏以外にも北条氏や今川氏がやってるんだが >>494
そんなの想像だからw
旧街道はリアルに残ってるから
広さもわかる
わざと狭く細く作ってある
戦国の名残だな >>1
>明智光秀は本能寺に行かなかった?
当時はGoToは無かったからな! 原始時代 源氏
平安時代 平家
戦国時代 織田信長
江戸時代 徳川家康
昭和時代 天皇陛下
平成時代 安部
令和時代 菅官房長官
だいたい合ってる? >>498
天下統一のための不可欠な道具として
確実なビジョンをもって広げたのが
信長が初めてなんだよ
全国軍事街道と同じように
百姓の秀吉を軍事土木建築の専門家として
重用したのもそうだし
明智はそろばん侍みたいに
物資調達のために重用されたんだろ?
ぜんぶその目的のために
ほかの武将にはない発想と登用をしてるんだわ >>492
北条氏治世の武蔵は全国3位の60万石に達しており(駿河が15万石)
けっして荒れ果てた原野ではない >>503
関東平野は全国でもけた違いの広さがあるんだから
逆にいえば、
ほとんどが未開ってことだろがw 独裁者によくあるように信長が暗殺を警戒して宿所を頻繁に変えてる可能性もあるから
光秀本人が全力上げて本能寺に行ってもぬけの殻だったら目も当てられないので自分はそれに備えて京都の出口を塞ぐ交通の要衝にいてもおかしくない >>504
上杉謙信の治める越後でも30万石程度だったが 信長はいつ寝返るかわからんようなやつを
出自の引くいやつを才能で登用した
全国天下統一に欠かせないからだ
世襲、血縁ありきの当時の日本では異例の武将
そして実際に裏切られた
んで、「是非も無し(ですよね〜)」と
天下統一のどでかい狂気かつ本気の野望が先になければ
そんなことしないし、信長以外はやらなかったわけだ >>506
平野が小さいからだろ?
しかし人口は日本一だからな
土地は開けていた まあ光秀が先人切って突撃した様に見せたほうが、ドラマ化や芝居にしたときに見映えが良いからな。 >>509
越後平野と信濃川があり、人口も多いが
武蔵の半分程度の石高にとどまった >>505
出口を塞ぐ、だったら信長は本拠の安土に逃げるのが第一候補なんだから
東山に陣取って無いとおかしい
南の鳥羽に陣取るなら普通に南を警戒していたのだろう
自分と同じく中国方面援軍を申しつけられて出陣準備していた高山右近ら摂津衆と
四国方面軍で大阪にいた丹羽長秀と織田信孝がいたから 山崎の戦いでも、明智は後ろにいた。
上杉謙信のように前線で戦う軍神ではなかった。 グーグルマップの航空写真を見てみろよ
越後と関東平野の大きさの違い
下手したら10倍はあるんじゃないか?
正確な地理感覚の欠如した歴史なんて
完全に妄想の領域
はっきりいって文献ばっかみてるやつはそういうのが多い 戦国や幕末に関してはよく若い女が蘊蓄オッサンの巣窟なのに興味持つな
卑弥呼のほうは女がいないそうだけど蘊蓄オッサンの種別が違うのかな >>502
楽市楽座始めたときに天下統一目指してたの?
歴史名探偵コナンにでも書いてたか? >>476
そうなの?
学校の歴史で学んだけど、今はどう教えられてるんだろ。
ちなみに、壇ノ浦の戦いも無かったとかw
海外の歴史教科書を笑ってられないわ。
日本もねつ造ばっかり。 新潟平野というと米作のイメージが強いがそれは江戸時代以降治水が進んでからの話 >>47
くだらん古文書は文書されるべし
六角なんとかという書物も焚書されるべきだった >>519
天才のビジョンは凡人には理解できないよな
だから優秀だった明智もついてこれなかったわけだw
後付けだが、やってきたことをみたら
最初から天下を確実に狙っていた
まあ最初に聞いたら、信長はうつけとか
言われるわなw
でもだんだんガチになってきたわけだろ
最後は誰もが本気とわかって
ついてこれない老いた明智が裏切ったと >>521
そもそも耕作可能な平野面積が
関東の10分の1ぐらいしかないし
その上で稲作が栄えて人口日本一になった
いかに関東平野がずっと未開だったかってこと
いま明治維新いらい、
国家の全リソース投入してるから
関東が栄えてるように見えてるが
まあ昔は未開も未開だったちゅうことな >>505
当日と言うか、前日にお茶会して、
京の貴族も大量に押しかけてるのに、
信長がいないとか、ないわww
信長は周囲に敵はいないので、安心して泊ってたわ >>517
そこに下総と上野が入ってるからな
平野部で武蔵と同等の面積であり、人口も多かった越後が武蔵の半分の石高であったのが現実
武蔵がけっして荒れ果てた荒野では無いという証明になっている >>526
吉良はかなり襲撃を用心していたが、
あいつら、こないよ。
命日に来るかなとか、待ってたのに、
なかなか来ないよ。
で、そろそろいいかなって茶会したら……… ようするに徳川家康は
信長と秀吉という二人の天才の成功と失敗をじっくり見てたから
江戸で成功したわけだ
だから江戸400年を作ったのは
信長でもあり秀吉でもあると言えるな >>525
本能寺の変前夜、信長は囲碁の名人を呼んで対局させたんだよな
三コウ無勝負という珍しい結果になって信長と名人は首をかしげたそうだけど
本能寺の変を知った名人はあれは不吉の予兆だったのかと震えあがったとか
この逸話は信長が全く無警戒で無防備だった証拠でもあるんだよな 家康が堺から岡崎に戻った距離と日数、その道をYoutubeで解説してるの見たけど、その速さが不可能なほどだった。
天皇と家康がそそのかしてやらせたような。家康は謀叛を事前に知ってただろ。 >>530
関東平野と言ってんだがw
平野に川以外の自然の要衝はないだろがw
多摩川やら川に橋をかけまくったのも徳川だろしな >>40
まともに言うのもヤボだけど、秀忠は秀吉からの偏諱で秀な。豊臣を滅ぼしてからも改名しなかったのは律儀なのか、足利尊氏にならったのか。 >>535
北条氏の治世ですでに武蔵単独で60万石に達していたので
当時の越後の開拓より進んでいたという事だよ
けっして荒れ果てた荒野ではない >>538
んだからその比較なら
当時の新潟の半分ぐらいの未開の地だろ? 戦乱の世にだだっぴろい関東平野は不向きなわけで。徳川が支配して平和な江戸の世になったからインフラを整備できた >>47
刊行された本と一点もの(写しはあったりするが )の文書と混同しないように。 狡兎死して走狗烹らる
信長が天下統一したら用済みにされる前に謀反を起こしたんだろうな
うまくいけば天下とれるかもしれなかったし。秀吉官兵衛がいなければ近畿制圧できたでしょ >>536
徳川秀忠は豊臣秀頼の舅だからな
豊臣滅ぼした後で千姫のご機嫌とるの大変だったのに
改名なんてしたらまた炎上してしまう >>540
天下統一した秀吉、その前段の信長のおかげだな
それ以前の武将はどこの武将だろうが
道はバカみたいに狭く、橋もかけず
他国からの攻撃に常にビクビクおびえていたわけだw
鎌倉が江戸の近くにあるが
鎌倉幕府なんて完全に奥まった山の中
あんなとこ隠れ住んでるようなもんだ
よくあんなところから日本の大半を統治で来たなと思う ある歴史研究者の話だと、中国攻めに回る前に部隊を見せろ、本能寺に来いって信長が言ってたって。光秀軍が本能寺に行ったら、おう来たか〜で即光秀軍に殺された。ドラマみたいに抵抗してないって。
と言う話だが、
信長の首をなぜ取らなかったのか不明だな。
部下から、やりましたって報告受けて、
首は?
ありません。
あーそう。
ってなるかな? >>27
明智家は苦難の時代が多かったろうなと思うよ
戦国時代に裏切り者なんてたくさんいたけど、本能寺の変はインパクト大きすぎっしょー! 秀吉は自分に子どもができない事を逆手にとって信長の子供を養子にして羽柴家の跡取りにしている。この秀勝が早逝せず、信長が生きたまま天下統一していたらどうなっていたかだよな
秀吉は家督を譲れば生き残れたが他の重臣は潰されていて天下も短命だったかも >>141
刀で切れるのはせいぜい5人までって言われてる
それに刀より槍や薙刀のような長物の方が強いから、複数人に棍棒振り回されたら戦経験無ければあっさりやられるだろう (-_-;)y-~
プリズンスクール、どう!どう!どうどう!
メイショウドウドウ明日出走 江戸末期に武蔵は60万石から倍の120万石に達したが
越後は30万石から4倍近い115万石に達した
北条治世ですでに開発が進んでいるという証明になっている
徳川が入る前は荒れ果てていたというには無理がある >>536
家光は?謀反人光秀の名前の一字をつけるなんて >>546
本能寺を囲んだのが午前4時頃なので
さすがに信長が事前に知ってたってのはないと思う 小次郎はキリシタンで
これがバレて幕府にとがめられるのを恐れた小倉藩が
決闘というヤラセの舞台を用意して
という武蔵という雇われ浪人の一団に殺させた
これが真相らしいね
地元の人間はそれを知ってたから
負けた小次郎のほうの名前で「巌流」島となづけた 朝日だけにうそ臭い 「真実判明!」 ← これやる奴は大抵詐欺 こんな時代でも秘書が勝手に〜かよ
連綿と受け継がれてきたんだな >>276
おそらくだけど
京都からは南に京街道、竹田街道、伏見街道が伸びる
京街道は川沿いに、竹田・伏見街道は伏見を通り大阪方面に伸びる
大阪方面には丹羽長秀と織田信孝をはじめ蜂屋頼隆、津田信澄の四国方面軍がいて
織田軍の一番近い友軍はここで1万4000を擁してる
さらに家康とその重臣も大阪にいて同盟国首脳部との合流も可能
となると、ここに逃げられると厄介、容易には落とせない上に秀吉の中国方面との合流も見えてくる
したがって京都の南の街道を抑え、本陣を置くのは合理的と言えるし
光秀は何より四国方面軍を一番恐れていたのだろうと思われる >>551
たしかに江戸という地理的くくりなら
武蔵でいいのかもだが
川以外に要衝ない平野なんだから
関東でまとめてるんだ
関東というくくりなら
平野でもあるにかかわらず
ずっと未開だったと言ってる
実際、いまでも
この掲示板ではグンマ―の秘境とか
言ってるじゃないか
徳川の影響下でも同じことだろ
つまりあんたはさっきから
東京埼玉いがいは未開だったと
言ってるにすぎない >>552
別に徳川家への謀反人だったわけではない 大河でも、光秀本人が強襲してる演出ではないな
離れたところから、采配しているイメージ >>38
秀吉の陣の近くで迷った忍びのせいだよな。
ちゃんと毛利方に渡ってりゃ全くちがったろうにね。とにかくツキが無かった。 >>549
それは大嘘、まともな刀ならもっと斬れるぞ
先祖から刀が50本以上合って10歳で本物の刀に
やっと触れさせてもらい幼い頃から刀に慣れてるおれは
司馬廉太郎が昭和以降に広めたその嘘がムカツク
そして今あれば200万から500万はした刀を
戦後にほとんど没収していったMPにムカツク
一番の名刀は刺身包丁に偽装して残ったんだけど
東京の美術館にあって手に取ってみた事ないんだよな >>492
そんなことはない
家康が来る前から江戸は北条氏の管轄下にあって
利根川や江戸川の河口にあたり水運で栄えていた
江戸が原野だの湿地帯で街づくりが大変だったというのは
徳川幕府を開くにあたってこんなに苦労したんだという自慢話でほら話に過ぎない >>560
一応家康も光秀討伐の動員はしてる
山崎の戦いとき徳川の先発隊は北伊勢、本体は尾張鳴海まで来てた
同盟国内の反乱という位置づけだから軍出すというかたちじゃなかろうか >>565
切り開いたって
新潟や大阪に人口で負けてただろ
あんたのイメージは
国家リソースをすべてつぎ込んだ
明治維新後の関東だよ >>561
それが当然といえば当然だけど
本能寺&二条城と鳥羽だとけっこう離れてるからな
直線距離でも6〜7キロぐらい 明智光秀のご子孫が執筆したという歴史書を読んだことがあるが、
ものすごく論理的で、これが本当に真相なのでは?と興奮した。
未読の人の興味を削がないよう内容は伏せるが。
こういう人が学校で歴史を教えれば、歴史嫌いも減るのにと思った。
まあ、本当の真実は誰にも確かめようがないのかもしれないが。 光秀が不運だったのは交渉、仲介役で足利氏と朝廷にあまりに近づきすぎた事だな ちなみに田園調布は東京23区だし
有名な古墳があるんだが
渋沢栄一と五島圭太が切り開くまでほとんど原野だった
だから古墳がそのまま残ってるわけ
渋谷は道玄坂下なんか湿地帯
そこもなんもなかったから五島圭太が渋谷に私鉄の電車通せたわけ
北条が―っつっても
人口で新潟大阪に負けてた江戸の実態はそれ以下ってこと
それで明治大正昭和の話だからなw
大阪京都のほうがずっと街として開けてたのは言うまでもない
東京が開けてるイメージはあくまで
明治維新以降に国家リソースをぜんぶつぎ込んだから >>570
あれは推測が多すぎて物笑いの種なんだが?
素人がよくやる、結論に合う資料だけを切り張りして
残りは、かもしれないや、だったのだろうと訳の分からん事言ってる奴の延長だね >>127
そのせいで明智家皆殺しになるんだろ?と思ったら、うまく逃げてめちゃくちゃ生き延びてる… 光秀は年単位で信長を暗殺する機会を伺っていたであろうが
それをいつ起こすのかは誰も分からなかったろうな
だから皇族や家康にも被害が及びそうになった
信長は情報収集家である一方で味方にも安易に情報を漏らさなかった(桶狭間や長篠合戦など)
それに倣ったのだろう 家康と坊主になった光秀が最後お茶のんでたな
江戸村の映画だと >>575
それは従来の歴史学会の硬直した研究手法だろう。
正式な名称は忘れたけど、ご子孫は新しい研究手法(歴史探索?)で研究してたし、
個人的には推測というより「推理」というかなり確実性の高い手法だと思った。
上手く言えないが。
ご子孫いわく、現代の価値観や感覚で、当時の状況や常識を考えてはいけない。 >>569
伏見と京街道を抑えて南の逃走経路を塞いでおく意味があったんじゃないかな?
山陰街道を引き返してきたのは信長も知ってるわけだからそっちに逃げるとは考えにくしに >>581
ご子孫の研究書を1冊でも読んだことあるのかな?
ムリにとは言わないが一読を勧める。けっこう衝撃を覚えるんではないかな。
ふだんから歴史に詳しい人なら特にそう思うはず(ソースは自分)。 >>492
秩父一族や比企氏など、現在の埼玉部分には結構人がいたんだぞ
江戸だって秩父一族の江戸氏がいた
今の丸の内とは違う場所に城があったらしいけど 明智にとって利三ってのは朝鮮人そのものじゃね?
関わったばかりに、その後やることなすこと裏目ばっかり >>579
あれだろ、必要以上に秀吉の事貶めてる奴だろw?何が「私は真実を知りたいだけです」だwww
あの冒頭だけでただの恨み節と先祖の自己肯定のためだけの糞みたいな考察でしかないと思ったわw 光秀は謀反を起こすつもりなどなく
勝手に秀満が信長をとってしまったがために
引くに引けなくなって
って話なん? >>586
きみにご子孫の金言を捧げよう。
>ご子孫いわく、現代の価値観や感覚で、当時の状況や常識を考えてはいけない。 >>492
おいおい、鎌倉時代に関東武士の誉と名高い畠山重忠は秩父党出身だぞ?
そこに人がいなかったら頼朝は平氏に絶対に勝てなかったわw >>534
信長の覇権の邪魔で
もう相当危ないところまで追いつめられてた
斎藤内蔵助と明智秀満抱き込んで
逆転満塁ホームラン >>584
そりゃ人はいたさw
古墳があるなから古墳時代から人はいる
でも江戸時代の人口は
大阪や新潟より少なかった
これが事実だろ
その程度の街でしかなかった
それが変ったのは明治維新以降 光秀本人は関係ない
この本能寺の変で家康が助かったのは
確かだが通説通りなら謀反人
家康が水野勝成が日向守襲名するときに
光秀愛蔵の槍の穂先を与えて
光秀を見習えよと言った逸話がある
通説通りなら主君に対する謀反人になれよって
ことになり筋が通らない >>593
殆ど誰も住んでない原野って説が無理があるって話
東急の走ってるエリアに関しては誰も住んでない原野だったてのなら分かるけど >>593
それくらい義務教育終了してる人はみんな知ってる
君の言い方が無人の野のような言い方だったからだろw 鎌倉から戦国時代にはだだっぴろいところにいると襲われやすいので
大平野は好まれず、山の中とかそんなところが好まれた
だから隠れ場所のほとんどない関東平野は栄えなかった
代わりに鎌倉の山の中とかが使われた
天下統一してから戦が減っていき
だだっ広い大阪の平野に大阪城が立ち
だだっぴろい関東に江戸城がつくられ
大平野のほうがむしろ栄えるようになった
こういうことだな
北条とかまじ関係ないっすわ >>546
信長の小説書いた津山陽も
あとの方では吹っ飛んだに変えてる
火薬で吹っ飛んで死体が見つからなかった
だから光秀本人は忠義の臣だったので
信長公は生きておられるはずと探し続けた
そこで時間とってるうちに秀吉が
間に合って秀吉こそ正義がその後流布された >>595
東京23区、まさに武蔵だろ?
城南北部から武蔵野だの調布だの
原野だったんだろ?
調布なんて麻の生えてる原野だから
地名が調布なんだよ
もういい加減に認めないとな
はずかしいぞ 斎藤利三は稲葉家出奔→明智家仕官の経緯や
長宗我部家と織田家の外交の中継ぎをしていた関係で
信長に個人的な恨みを抱いていた可能性は高いからな
家臣思いの光秀が利三の意見に引っ張られた可能性は大いにある >>6
どういう知能指数だと、その理解になるわけ?
バカ丸出しだな 信長の本能寺だけでなく、嫡男の信忠の妙覚寺も襲撃しているから
本陣は両方の寺の近くにあったのかも?
光秀が現場に行かずに、本陣で指揮していたのはあり得るな >>601
明智光秀だけに近藤「正」「臣」。
ていうか、みんな意外と司馬遼太郎とかの小説の認識で知識が止まってるのね。 >>597
上杉や里見、太田と戦いつつ、そんな栄えにくい所で60万石に達するほど石高を成長させたのだから
北条氏の行政手腕は疑いようが無いんだが >>604
そいつ地元の祇園祭の中継で悪態ついてたらしいなw 黒幕説は全て想像の事だから真相はわからんよね
本能寺に限らず戦や政変は文献からっても朝廷側も寺社も大名も都合の良いように書き残してるだけで全てを参考にして推理してるに過ぎない
徳川の世の中になった時に室町、豊臣に関する文献は奉行に遠慮して焼却した寺もあるぐらいだから >>579
秀吉黒幕とか光秀に家康を討たせて織田は三河に攻め込む計画だったとか
荒唐無稽な妄想を一次史料によらず垂れ流してるから研究者や歴史好きな素人にさえ完全否定されてる人だね
あれは単なる妄想だ
秀吉黒幕説にしたって甲津原文書の発見でその可能性はかなり低い
本能寺の変から12日後の6月19日付で広瀬兵庫助に宛てて出された秀吉・秀勝連署の知行宛行状で
「今度女房共相越候処、抽馳走条、喜悦候、為忠恩五百石令扶助畢」
この度(秀吉の)女房たち(母の大政所や妻おねなど)がそちら(広瀬が治める領知)に行った際に、貴方が奔走して世話をしてくれたので嬉しく思う。その忠義に応えて五百石を宛行う。
秀吉が黒幕ならあらかじめおねなんかの身内は安全な場所に移しておくと思うが
秀吉が長浜に家族を置きっぱなしにして危うく明智方の人質になりそうだったのを
広瀬兵庫助が自分の領地に匿って助けたことで秀吉から知行をもらった
この史料は秀吉の潔白を示すものだと言うことができると思うが 信長取り逃がしたら逃げなきゃならないから、最前線に大将は行かないかもね >>608
あらかじめ母親やおねを避難させていたら、「計画的犯罪」だと後で周囲にばれてしまう。
だから秀吉はあえて家族はそのままにしておいた。
「家族 > 天下」っていうのもまさに現代的価値観。
秀吉ほどの男なら、家族を犠牲にして天下を狙ってもおかしくない。 鳥羽ってなんかあったの、当時
堺あたりにいた丹羽長秀に備えてたのか 歴史音痴としては本能寺で何かあったのだろう程度の認識。歴史好きがよくもまぁ昔の人に名を覚えるものと感心するわ。
そりゃ個々の名前は聞いたことがあるがその程度。
頭の中ではみんな時代が一緒。
家康が江戸時代作った?長い。だから偉い!
そんな感じ。理系はナンバーワンなんだけぢな〜 光秀は卑怯者やな
家臣が攻め込んでる時に暖かい布団でスヤスヤ寝とったんかいな 秀吉が 明智を討ったことにして光秀を匿わないと
古参の柴田に殺されて 天下は勝家の手に渡ってしまうだろ >>614
東に竹田街道と伏見街道、西に京街道いずれも大阪につながる道の中間点あたり
下鳥羽だと伏見に近い感じ
ただ西国街道はどうしたんだ?って思うけど
山陰道は光秀が引き返してきた道だからそっちには逃げないだろうけど 麒麟が来るだと、どうやら黒幕は正親町天皇みたいだな GOTOトラベル推進したのは層化
このスクショを読めばわかる
ついでだからここがやらかしてる悪事の解説も付けておく
https://i.imgur.com/7clPT2L.png
https://i.imgur.com/HdbZUGa.png
あとリンク2までだから直リンできないけど、これは読むべき
これを読んだらこの団体の本当の姿がわかるよ
i.imgur.com/lNiGULC.png
こっちはこの団体が起こしてきた問題に関する年表的な物.
i.imgur.com/uzeP5t3.png youtubeでNHKBSの歴史なんとかっての見たけど
光秀は認知症が原因で信長を討ったんじゃないかって言ってたw 黒幕は、明智光秀
実行犯は、斎藤利三、明智秀満だろ 光秀は 将軍になるつもりはサラサラなかったし
秀吉も将軍にはなれなかった。
公家の方を重要視していたから 明智軍の兵たちは、戦っている相手が信長だと知らなかったらしいな
まあ、当たり前だろうけど
226事件の兵士たちも、まさか自分たちがクーデターに参加させられているとは
思いもしないで、命令に従っていたって言うからな
下っ端の兵ってのは、そういうものなんだよなw 明智ってカッコいいよな
明智くん
明智さん
もう名前でクールなキレ者って感じ ヘタレで現場いかんかったんだろう
犬HK、コレどーすんの >>630
「みつ」は縁起が悪い感じがする
明智光秀
石田三成
と有能なのに最期が寂しい悲惨な死に方しているじゃん >>250
光秀がブチ切れるようには動いてただろう >>633
名前の前「みつ」が悪くて
名前の後ろ「みつ」は良いんだな >>613
6月5日付の中川清秀宛の秀吉書状
「仍只今京より罷下候者慥申候、上様并殿様何も無御別儀、御きりぬけなされ候」
秀吉が西国から京に戻る場合京の入口を領する池田・高山・中川ら摂津衆を避けて入洛はできない
仮に秀吉が黒幕なら摂津衆の調略は最重要課題で真っ先にやらなければならない
それを大返しの段になって信長・信忠はまだ生きてると吹聴して
中川らが明智方に走らないように調略していることが変が突発的だったことの証左になるのでは?
これも計画がバレないように黙ってたって反論があるかもしれんが
秀吉単体の軍勢で明智を討つってのはかなりリスキーで摂津衆も明智方につくことも十分予想できる
秀吉ほどの人物が黒幕ならバレる危険性より味方を増やすという選択をすることも十分考えられるが >>373
信長以外にもいたんかい!
なんだ、天下の大事件て訳じゃなかったのか >>638
歴代足利将軍は何回も切り取ってた
将軍でもない信長がそこに並んだのが「大事件」 >>43
信長軍団の兵隊は各軍団長の私兵ではなく、信長から与えられた寄騎なので、
滝川一益の軍団のように崩壊したり、丹羽長秀のように立ち往生する。
柴田や秀吉がくずれなかったのが瞠目に値すること。 信長を打ったのは明智秀満じゃないの?
森蘭丸しかいなかったから負ける
明智光秀は秀吉にやられるが、信長は村を全滅させた独裁者だからしかたないよ >>638
足利義満、足利義教、足利義政も切り取っている
足利義政も信長と同じように切り取った一つを天皇に献上しているので
信長の行為がそれほどおかしな行動だったというわけじゃなさそうだ
天皇のものなのに天皇に献上っておかしな行動に思えるけれどw >>641
信長から与えられた、というとちょっと違う
複数の直臣の軍の連合軍だった
秀吉軍の中には黒田軍や蜂須賀軍がいたし
光秀軍の中には通常は細川軍や筒井軍がいた(本能寺後は同調しなかった)
そういう同僚たちとの協力関係の差だね 本人が行かないのが自然だな
信さんの後釜になるつもりなら生きてないと意味がない
まぁ命令は下したのはひでぶーなんだろうけど 謀反した時期がおかしいよね
オレが光秀だったら
せめて第二次織田包囲網が敷かれていて
毛利軍が姫路城の秀吉を攻めるかどうかって時に
謀反を起こすわ
なんで反織田連合軍がほぼ壊滅状態になった後で謀反を起こすかなあ? >>9
播磨を抑えるって、姫路城留守居のの浅野長吉軍(6000人/鉄砲800丁/騎馬500頭)は簡単には倒せないでしょ
かといって姫路城を包囲すると動けなくなるし >事件から87年後にまとめられた古文書
今なら室戸台風(1934)の被害者の証言をまとめた感じか。 >>636
摂津衆の中では、中川清秀のみ事情を知らされていなかった可能性がある。
だからこそ、次の山崎の合戦では死に物狂いで奮戦した。
(他の摂津衆は最初から秀吉の息がかかっていたので、奮戦せずとも安泰)
手紙一通の内容よりも、広角的な視点で俯瞰することが大事らしいよ。
まあ受け売りだけど。 そのうちハロワに行った行ってない論争を始めそうな
無職しかいないな。 >>545
大半なんか統治してないけど?
・関東申次
(源頼朝と婚姻関係(姪の嫁ぎ先)があった西園寺家
と
・(六波羅)探題
承久の乱後、地頭が国衙領に進出してくる。 >>615
それな
光秀の歳は諸説あってよく解らんのだが、相当な高齢
謀叛は老齢によるボケが産み出した、理路整然としないモノが動機だと思ってるわ >>636
追加。
初めから秀吉の意向を受けていた高山右近は、イエズス会を通じて、
別ルートで「信長謀殺」指令を受けていた可能性もあるとのこと。 >>646
馬鹿なのか?
包囲網が優勢なときに寝返って勝ったとしても
誰からも評価されないばかりか、裏切り者扱いにしかならん
まして明智なんか信長軍の主犯格なんだし
包囲網の対象者だw >>654
可能性あるよなあ
どうせ謀反起こす計画があったなら
足利義昭の再上洛を目指して毛利が軍勢を上げていて
上杉謙信も信長包囲網に加わっている時にやるよな
足利義昭とは縁のある光秀なんだから
その包囲網に機内の明智軍が加わって
大暴れしたら、織田軍は壊滅間違いなしだっただろうにな
つまり時期を逸した謀反なので計画を練られた謀反じゃなかったっぽい >>649
中核になるのは軍団長の自分のところの領地の私兵だし
それぞれの武将の軍もそれぞれの領地の私兵だし
表現の仕方に違和感を持った
↓
>信長軍団の兵隊は各軍団長の私兵ではなく、信長から与えられた寄騎なので、 >>657
明智は義昭と強いコネがあるんだから
中央で義昭さまの上洛をお助けしますと
参加すれが、よくぞ参加してくれた
と義昭は感涙して、室町幕府再興に
立役者として厚遇するだろ 一万の軍を京にいれたほうが覚られやすいから
2000くらいで包囲が現実的やろ
斎藤利三等の家臣主導というのが間違いない証左
光秀は摂津衆と筒井細川を調略出来なかったのは痛かったね。
特に山崎の合戦は実質摂津衆のみに大敗したからなあ。 >>660
ははは
信長と強いコネがあった明智が
そのコネを裏切ってんだぞ
義昭がそんな危ないやつを味方にすると思うか? >>650
その中川だけ事情を知らされていなかったっていうのはどの研究者の論文や本でも聞いたことないけど史料のソースは?
奮戦したからってだけじゃ弱すぎるわ
天正7年6月5日付中川清秀宛秀吉書状で
「公儀無御疎略躰、中々無申斗候条、向後兄弟之契約申定候」
秀吉は今後清秀と義兄弟の契りを結んで何事も協力していこうと言ってる
単に親交の深い秀吉のために奮戦したとも考えられるけど >>662
室町幕府の歴史を見れば
ついたり、離反したり
そんな歴史の繰り返しだろ
室町将軍は臣下に絶対忠誠なんて求めていない
時流に乗って、うまく調整役になっているのが室町将軍だぞ
お前みたいな幼稚な厨房理論で動いてないんだよw 家康は以前から伊賀の世話してたよね
だから生還できたよ
光秀に信長と同時に打たれるかヒヤヒヤもんだったわけで >>1
>>【歴史】明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に
織田親子の宿泊が分散してるんで、家臣を分散させて攻めさせ、
大将は情報伝達がしやすい場所に本陣を構えるでしょ・・・
織田信長 本能寺
織田信忠 二条御所 「ま、待て、儂が織田上総介三郎信長ぢゃ、
儂を光秀のもとに連れてゆき手柄とせよ!」
って言って時間稼ぎしてれば状況が変わってたかもしれんな。 >>664
そんなクソ幕府なんて天皇も庶民も望んでないんだよ
オナニー野郎が ナビタイムで調べたら上鳥羽口から本能寺まで歩きでもたったの1時間じゃねぇか
大石内蔵助じゃあるまいし門の前で太鼓叩いてるとでも思ってたんか >>671
オナニー野郎なのは、むしろお前の方だろがw >>666
石谷(いしがい)家文書って言うのが2015年に林原美術館によって発見された
それで最近本能寺の変の動機として主流になってる四国説って学説が出てきた
四国説を簡単に説明すると、
信長「四国切り取り勝手を許可する」
長宗我部「サンキュー信長様」
信長「三好に領土与えたいからやっぱ土佐と阿波の南半分だけの領有な」
長宗我部「は?」
明智光秀&斎藤利三(長宗我部との取次役)「まあまあ…ここはなんとか穏便に…」
長宗我部「今回は明智の顔を立てるわ。命令通り阿波の一宮城・夷山城・畑山城・牛岐城からは撤退した。
だけど海部城と大西城に関しては土佐の玄関口にあたる要所だからそのまま所有させてくれ」
信長「四国征伐するわ。信孝総大将やれ!」
明智・長宗我部「」 >>32
本能寺討ち入りと赤穂浪士討ち入りは日本人は大好きなんだよ。 みんな勝手に光秀が命令したと断言しているが
その証拠はない。
部下が勝手に暴走して信長を暗殺したとも
考えられる。 朝廷は出自の身分の低い秀吉があまり好きじゃなかったと思うな
秀吉はほんとよくやった、信長より下克上で生きてきた光秀も秀吉には叶わんと思ってたはず 漫画なら本能寺を脱出した信長だったが、そこに待ち受けていたのはラスボスの光秀だったの流れ
光秀は信長なら四国方面軍がいる大阪に脱出するはずだと読んで鳥羽街道を押さえてとどめを刺すつもりだったのだろう >>674
それが意味するのが
毛利攻めで四国を活用するのに
明智案=長曾我部を活用して毛利攻め
秀吉案=三好を活用して毛利攻め
という織田家中での明智プロジェクトと
秀吉プロジェクトがあって
信長社長が秀吉プロジェクトを採用して
明智は秀吉に完全に抜かれことを意味しているそうだ
明智のプライドズタズタになって、秀吉が筆頭家老になって威張られるくらいなら
クーデター起こしてやる!という動機だったとか解説していた人がいたな >>663
中川清秀と黒幕秀吉がそこまで親密な関係なら、
事前に中川に知らせておかなくても「絶対に明智には味方しない」という確証が秀吉にはあった。
だから秘密保持を優先して事前に伝えなかった、という解釈が自然なのでは。
そりゃ少しは矛盾するかもしれないけど。秀吉が黒幕と考えるとしっくりくる。 歴史ってのは答え合わせのできない学問なので
ロマンだよな 「死にたくねぇから行ってきて。勝ったら俺の手柄、負けたらお前のせいな?」 >>681
あんたの解釈とか別にどうでもいいんで史料を示してよ
広角的な視点で俯瞰するのもいいけど自分の妄想を史料として史実のように語るのはイカンでしょ 麒麟では、光秀謀反を知った信長が
是非もなしと
ニヤリと笑い炎の中に消える姿が見えるよ >>686
あの信長なら、なぜじゃ〜なぜじゃ〜と
泣き叫びながら、見苦しく死ぬ演技をしそうだけどなw >>680
磯田先生が四国説をそんな風に解説してたな どうして〜ン?どうして〜ン?
どうしてハゲに負けたの〜ン?♪ >>685
こっちは素人なんで史料といわれても。
なんで現代に残っている僅かな史料に真実のすべてが書かれていると思うのか、不思議。
全1000ピースのジグソーパズルのうちの1ピースを取り出して、
「赤い色だから、これは郵便ポストの画像だ!」って主張するようなもの。
広角的にパズルを俯瞰すれば、ところどころ欠けていても、それが消防車だって分かるのに。
これも受け売りだけどね。 >>1
斎藤はもともと信長の家臣から光秀の
家臣になった人物 @麒麟 史実の話をするのか真実の話をするのか
どっちかに決めて話しないと
前者はできるけど後者は無理よ >>691
それならどこまでいっても単なる妄想だよね
史料に基づかないものをあたかも史実として語るのはいけないでしょ
現存する史料を否定して妄想垂れ流すだけなら歴史研究者なんて必要ないよね >>685
追加。たしかに大学教授とかは、
史料を発見したり文字そのものを解読したりする技術には長けているだろう。
けれど「解釈」する能力については、史料至上主義的な立場の限界もあって、
実は一般の歴史ファンの方が鋭く広角的な視点を有していることもある。 8キロて、それほど離れてない
大将が後方に控えるのも当然 >>35
昨日、信長と十兵衛が石山本願寺の雑兵に撃たれたぜ(笑) >>694
「完全版 本能寺の変 431年目の真実」 (河出文庫)
とりあえずこの本。「完全版」の方を読んでね。 麒麟がくるみたいなこの世の平安がテーマだと、光秀から国替えさせられようが、秀吉が出世頭になろうが全国平定に向かうはずだが、どうすんだろね 光秀から→光秀が
あの脚本家、太平記みたいに天皇動かすの好きとみた
天皇黒幕説でくるな >>701
正親町天皇が信長のお怒りです
みたいな前振りで作っているから
天皇黒幕説で万葉好みの珍しき鳥に
勅命が下るんだろ 本城惣右衛門覚書でも討ち入り当日に斉藤利宗と明智秀満の指示に従ったという記述はあるが光秀の話は出てこない。
一平卒だから大将と顔を会わせなかっただけという解釈もできるが最初から現場にいなかったとも取れる。
出所が別の史料から裏づけが取れたことで両者の信憑性が高まったといえるかもしれない ノッブ「もう日本飽きた、おい金柑俺殺したことにしろ。隠れてオランダいくぞ」 >>6
あり得るよ。
「え?行っちゃったの?冗談だと思ってたのに。まいったなー。ところで
Aもしも信長様殺したなら『家臣が暴発しました』では裏切者の上に積極的意思も無かった、では諸国の大名が味方してくれないからから俺が命令したことにしよう。
B信長様殺すのに失敗したなら、逃亡してくるのを確実に打つためにここで様子を見よう。
C斎藤が『冗談ですよ�xと言って戻ってきたら、何事も無かったように九州に進軍を続けよう。
と思慮深い光秀なら考えたかも知れない。 >>707
焼けた本能寺に到着した光秀に、
明智秀満や斎藤利三が、
「この際、天下人におなりなされ」と助言してるから、
光秀主犯はありえない。
部下の暴走の確率は高い。 そりゃ文字でしか把握できないから映像に残せなかった近代まではあやふやなとこたくさんあるだろうな どゆこと?
本能寺に敵が来ると兵送ったら勘違いした家臣が上様ぬっ殺したの? 信長の手下は200人くらいだろうから光秀自身が離れた所に大軍と共にいないと逆に自分も部下に謀反される心配があっただろうね。
突撃するのを見届けて、南下して東西南北見渡せる位置に居ただろうな。 >>710
元々、斎藤利三は、反信長。
切腹を命じられた過去もあり、
長曾我部対策においても、信長と反している。
明智秀満の嫁は、荒木村次の元嫁という説もある。 >>712
信長・信忠が死んでしまった以上、京は明智光秀の支配下だよ。
元々の家臣は光秀に従うし、
弱小領主なんかだと、周りもくそもないでしょ。従わざるを得ない >>716
そうは言うがあの状況で失敗したら逃げ帰ったところでフルボッコだしなぁ・・・ >>409
山県市も明智所縁を主張しているけどなんかあったっけ? やっぱり南光坊天海は光秀だったんだな
逃げる途中で野武士に殺されたとか、信じられんしな 明知鉄道が明知駅から明智駅に変更したおかげで、元からあった名鉄の明智駅と間違えやすくなった。 >>720
生き残った明智の一族が、山県にまで落ちのびたんだろか >>715
明智を討った秀吉は一応清洲会議しとるやん。 要するにソースは武功夜話とか名将言行録レベルって事だろ
そんなものでわざわざスレ立てるなよ その直前に現場の本能寺に押し入った兵の話の古文書があって
誰を討つのかぜんぜん知らんかった
とりあえずその場の全員殺せということだから
そこにいるの殺してクビ2つ取った
褒美に槍もらいましたーってのがあって
まあ合致するよねと
明智がその場にいたらそんな話にならないだろ >>726
君は、時系列が分かっていないようだね、
お粗末過ぎて話にならんから、もう一度小学生から勉強しなさい。
それとも、二度と歴史を語ることなかれ。 参加した兵は、謀反に加わったと知られたくないし、知らなかったと記しとこって思っても自然だぜw 天下を取る命がけの大勝負を部下に丸投げって普通にありえないんじゃね >>731
大将が直接動くほうが普通無いと思うけど 部下が勝手にやりました〜
とか、トカゲの尻尾切りみたいな逃げ口上は大将として見苦しい
部下を統率出来ないなら、大将失格 >>715
で、掌握する前に秀吉がやって来たから支配下も何もあったものじゃない >>731
この時代辺りでは合従連衡で既に合戦の規模がでかくなりすぎてて
大将自らが動くのはありえなくなってた
武田信玄の合戦の初期とかは「戦場の右上の隅で動いてる足軽
良い働きしてんな」とか見ることは出来てたが後半以降はそんなのなくなってる >>729
何を言ってるのかね?
敵対してる戦いならともかく謀反やからな。 明智光秀は子供が細川氏に嫁いでキリシタンになったんだな
信長に会わないよう指示されてたかもな
だってポルトガル人は当時ホイールロック式銃を売ろうとしていたはず
でも扱いにくいし信長が買ったという記録はない
まあ推測だけどそれでキレられたんじゃない? 〇〇城を建てたのは誰?って聞かれて「〇〇武将」と答えず「大工さん!」と答えるのは
間違いのようで間違いではない。城を作ったのは武将でもあるし
城を建設したのは大工。同じようで同じじゃない・・
そんな感じじゃないか? >>38
軍事的に圧倒的劣勢かつ調略で味方同士疑心暗鬼に陥っている当時の毛利家に、そんな力はない 歴史に詳しい人が多いから聞いておきたいことが有ります。
まずなぜ信長の後継者が秀吉なんでしょうか?織田家と関係ないのに。織田家に使えていたのではなくて信長という人に仕えてたと言うこと?今の時代と戦国では価値観や主従関係が違うかも知れないけど。そうすると他にも信長配下は居るけどなぜその人達は我こそは!!と立ち上がって天下を狙わなかったんだろ?
次にそれこそ信長の本当の子供達はなぜ秀吉に天下を譲ったのかな?織田家の後継者は俺だ!と名乗り出る男はいなかったのかな?出来上がった家に生まれて生ぬるいボンボンで信長のように覇気がない名目だけの子供達ばかりだったのかな?織田家は秀吉の天下の頃には滅んでるけどなぜ織田家の子供達は何もせず秀吉に滅ぼされたのか気になる。
秀吉が天下人になるときなぜ家康は配下になったんだろ?結局関ヶ原で秀吉殺すなら最初から自分が天下を取ればよかったのに。
戦国は謎だらけ。 >>617
寝てたかどうかは判らんが、眠れる時にしっかり休養するのも将としての嗜みだろ
寝不足でフラフラしながら戦の采配されたら堪らんわ >>742
八重の桜思い出したw
最後の逆転チャンスの奇襲攻撃に寝坊で遅れて敗北して中村獅童をw >>643
あとは明治天皇ね。
その時に蘭奢待の芳香について詳しく記録されたものが残っている。 >>741
秀吉が後継なのは秀吉が一番最大兵力を運用できる勢力で、一応信忠の息子を擁立してたから
諸侯が仕えてたのは織田家で間違いないけど正しくは「自家を守ってくれる強い織田家」に仕えてたのであって「自家を守れそうにない弱い織田家」に仕えるなんてのは当時の職業意識的にありえない、だから強い羽柴家に鞍替えした
我こそはって人は秀吉に負けて潰れた
秀吉の時代に別に織田氏は滅んでないしむしろそのまま江戸時代まで殿様として続いていってる
家康が秀吉の配下になったのは戦っても最終的に押し潰されるのが目に見えてたから
関ヶ原で家康は秀吉となんて戦ってない
ザックリこんな感じだろうか >>746
すごい!天才だ!
やっぱここの人達の知識は凄いです。
江戸時代まで織田家残ってるとかほんまかいな?秀吉時代に滅んでると聞いた記憶があるのですが。
織田家は本能寺で滅び、秀吉は関ヶ原で滅び、てはず。 >>708
洛外まで進軍してた軍を京都まで返してるから部下の暴走はないと思う >>747
信雄の子孫が残ってなかったっけ?
三介様の為さることよ(ノ∀`) >>750
もちろん直系ではないけど天皇家も織田の血が流れてい
るよね >>747
秀吉時代の織田氏は秀吉から見ると旧主の親類縁者ってのもあって基本的に大事に扱われてる
本能寺で織田一族は結構死んだけど、なんと言っても信長は男だけでも10人以上兄弟がいるし息子の信忠も同じく男だけでも10人以上兄弟がいるしでめちゃくちゃたくさん一族はいる
江戸時代に殿様身分で残った織田氏はいくつかあるけど織田の本家扱いされたのは信長次男の織田信雄(おだのぶかつ)って人がそう >>750
奈良か近畿方面にも織田藩あった
大名未満の旗本クラスにもいた >>753
奈良県には何故か織田家の末裔の藩が複数あったのな
信雄直系は官位や席次で江戸幕府からも優遇されてたのに、お家騒動で並の小藩扱いになっちゃった
子孫は余り偉い人は居なかったみたい >>741
清洲会議って言葉くらいは聞いたことあるだろう。
信長亡き後の相続人を決める会議。
結果から言えば、織田家は死んだ当主、
信忠の嫡男である三法師が継いだ。
だがこれはあくまで形式上のことで、
3歳児に政治なんてできるはずもなく、
その後見人である秀吉が織田家の実権を握ったわけだ。
もちろん、家臣団筆頭の柴田勝家などは猛反対して挙兵したが
あっさり討伐された。
柴田勝家でも敵わないのに、他の有力武将が
敵うはずもなく、次々と懐柔され秀吉の権力体制が確立されたという流れ。 いつのまにかID:nQ9Y/8aw0のお守りをするスレになってるな そもそも、武士って何なんですかね?
日本史に突然登場して、政権牛耳ってさ。
800年も日本を支配してた人達。
この正体を解明しないと、日本史そのものを読み解けない気がします。
因みに、古代日本の四大階級といえば >>758
元々は契丹が連れてきた新羅の兵隊
遼史に出てくる日本国王府が幕府政治の
始まり >>725
出生地だからな、ウィキ見ると父親が誰なのかで出生地が決まるっぽいんだ >>731
いやさ、そもそも襲ったのが明智郡である必要すらないと思うんだ
当時あの近辺に居た軍は明智だけってなってるやん、表向きは居ない軍勢が
水色桔梗を掲げて攻めたら、密室殺人と同じで犯人は自動的に明智やん >>529
家康公と早いうちに知り合ってるし、天海ルートっぽいよね。 光秀は本能寺から約8キロ南の鳥羽に控えていたって
坂本城からの行程も含めて距離を東京で例えたら
吉祥寺を出発して信長のいる東京駅に部下が突入
光秀はお台場あたりで指示出してたとかってカンジだろ
なんかビミョーだな 信長の死体を運び去ったのは本能寺の坊主
光秀を匿って一緒に逃げたのが家康
後は 信長家臣団の殺し合いを笑って見ていた なかなか興味深い惟任日向のスレ
まあ光秀公が本能寺に親征したかしないかは
>1をみてもウリのレベルじゃそのジャッジはわからないなあ。
ただね、スレを見ていて自称愛国者ネトウヨども
自称国家の軍師ネトウヨ軍オタどもといった
自称一個師団の指揮も可能な自称愛国聖戦士さまが
このスレでドヤ顔で口々にいっていることは違うってことはわかるなwww
ネトウヨくんたちさあ「大将は前線に立たない、それが戦場のリアリズム」って
大将気取りでこのスレで言っているけどw
まあゲームの戦国無双とかみたいに光秀自ら長刀もって
ガチで最前線で切ったはったしているとは思わんけどねw
でもさ、前線指揮をとったとしてもおかしくはないよな。
だって、これ、自分がやってるのアナーキーな謀叛だからねw
いくら部下だって自らの直臣だからってビビッてヒヨって
チクッたりバックれたり裏切ったりって、そこは一番考えるよねwww
や、光秀サイドはさ、何も信用できないんだよwww あとね、まさに本能寺の謀叛ってさ
まさにチャンスは一回の乾坤一擲の大勝負なわけで、
ここでね、本能寺の第六天魔王たる信長と
当時名目上織田家当主(信長は当時隠居)の織田奇妙こと信忠、
これを同時に討ってないとパーペキにオワコンだからね。
どっちを逃がしても生き残った方がスーパー激おこの果てに
全織田家領内にくわえ徳川その他属領エリアに布告して
不忠不孝の謀叛人明智一派の追討に動くし、皇室からも逆賊認定でるでしょ
つまりこの国に光秀一党は寄る辺なきノーホエアマンなるんだよなwww
逆に言えば史実がそうであるように、勝てばね、朝廷も悪い顔はしないし
畿内の諸大名も大小色々ファニーな動きをするわけだ。筒井順慶とかw
ま、それはともかく一敗地にまみれたら、
コンテニューなしのゲームオーバーなわけでw
それはさあ、金柑先生も前線に出張って現場監督するでしょ?
だって自分の命に天下の帰趨がかかってんだからwww
もとより再起をはかるとかそういう観念ないしね
(これはその明智退治に動いた秀吉の方も同じ)
文字通りオールインなんだよ。謀叛ってそういうもんだけど。 >>768
よく犯人の気持ちになって犯行動機を考えてみろと
そうすれば事件の全貌が見えてくると刑事がいいそうだろ?
光秀の立場になって、考えてみたんだよ
信長への謀反なんて事前にバレたら、それで一巻の終わりだよな
だから謀反の計画はほんの一握りの信用できる家臣にしか知らせていないわな
兵たちはもちろん知らんし、明智光秀の家臣の中で位の高い連中でも知らん人いたと思うだよな
光秀配下の武将でも光秀をお館さまと忠誠誓っているというよりも
信長の家臣みたいな武士が光秀配下に客将みたいな形でついていたかも知れんし
それこそ目付みたいな立場で入り込んでいる武士もいたかもしれんし
本能寺を襲った武将は本当に信頼できる部下であって
信頼できない連中は光秀とともに離れた場所で待機していて
本能寺の変が起きたときは、なにが起きているのか知らん家臣も大勢いたのではないか?
そんな状態で光秀が本能寺を襲撃していれば
離れた場所に待機している軍勢は、逆臣光秀を撃ち滅ぼせ!と
逆に光秀刃を向けてくる可能性があるじゃないか?
その不安があるから、光秀はあえて本能寺から離れた場所で
それほど信頼していない家臣たちと待機して
信頼していない家臣たちの動きに目を光らせていた、
そんな感じだったのではないかと思うんだよね >>705
織田信長暗殺の黒幕が明智重臣だったり
徳川家康だった可能性まで想像し得るね そりゃ大将が最前線になんてゲームじゃないんだから
信長と別にいた信忠の動きにも備えなきゃならないんだし >>771
他人の気持ちになる、なんて事は出来ない
同じ事でも誰かは怒り、誰かは喜ぶわけで 徳川が明智を擁護したのはたしか。東照宮周辺に由来の建物がある。 >>106
信長がいなくなって動きやすくなるってなら沢山いそう >>769
そんな歴史ロマンを妄想するのは作家やマニアのやること
年寄りの光秀が現場にいたら、信長を殺すことよりも主君光秀を守るために兵力が裂かれるので話にならない
信長の桶狭間の急襲にしたって、信長の偉業をたたえるための作り話の可能性がある
通常は奇襲部隊なんて決死隊なのだから、そこに大将が参加したりしない
君は勝手に歴史ロマン小説でも妄想してりゃいいよ >>776
明智門なんかも残ってるぞ。
まあ徳川家光も春日局が乳母だったが家光の光は光秀から取ったなんて話があったくらいだからなあ。
少なくとも明智光秀と徳川家康、千利休は情報を共有してたと思う。 >>499
発掘調査で古代山陽道の遺構が出ているのを知らないのですか?
自分の無知を棚に上げて、他人に想像だと決めつけるのはとても恥ずかしい行為ですよ? >>27
アベシ本人が岸の子って言って左翼教師に晒し上げられたとも言ってた
有名人の子も大変だな >>763
竹千代との出会いシーンで同じくそう思った >>781
確かに、学者の想像を遥かに超える遺構が最近発掘されてるな
幅広の直線道路を山を削り谷を埋めてゴリゴリ造っている
唯一の目的は大量の兵士と物資を短時間で移動させるため
外圧の下、日本が中央集権的律令体制構築に躍起になってた時代の物証だね >>766
かなり時間たってからの証言だし>>1の文献だけじゃ鳥羽本陣節は微妙だけど
ただ本能寺奇襲部隊を程度独立させた指揮権を与えた分隊とみるなら距離が離れることはそうない話でもない
例えば長篠の戦いの鳶ヶ巣山砦奇襲部隊は長篠から3km位離れてた砦を奇襲してた
8kmだと賤ヶ岳の戦いで勝家の本陣玄蕃尾城と佐久間盛政が強襲した大岩山砦くらいの距離だよ >>778
加勢してくれた>>780 くんが(合力多謝w)援用している
>>60くんのカキコを参照してほしいもんだが
他にね、まさにさっき言った通り一発勝負なんだからさ
自らの手勢も連れて前線には出るよねw
むしろ大将が離れたところにいてどうすんだってこと。
兵力の分散っていうならさ、大将一人ぽつねんと
寂寞たそがれているわけにはいかないんだからwww
それに牽制すべき敵ってとりあえずいないんだよな。
これは話が逆でそういうロケーションだから挙兵したんだからねw
自分が万単位の兵隊持ってて主君に当主が数百人の親衛隊しかいないってんだから
まさに信長父子の主君筋を弑逆し、朝廷を牽制できるか否かがすべてでね。
京都洛中内外を制圧し、権力中枢を抑えることに全力かけるのが
これはデフォなんだから、それはいたんじゃないかなあ。普通に考えて。
…と、いうよりチミが光秀なら、何はなくとも不安にならない?w
尾張の守護代の傍流から徒手空拳に唾し天下布武になりあがった
一代の英雄にして梟雄、第六天魔王を仕留められたかどうかさ。
謀叛の成否と自らの運命、次代を決める結果、一番先に、知りたくならない?www >>781
東日本でも古代東山道の遺構が出てきてるけど幅10m近くもある大きな道路で荷車の通った跡らしきものもある >>706
う〜〜〜ん、もうしわけないけど
1582年? 当時はオランダという統一独立承認国家はなかったと思うよ。
まさに独立戦争中でその母体となるユトレヒト同盟はあったと思うけど。
まあ、当時は本邦とか鎖国とかなかったし
南蛮商人なりコレジオのバテレンあたりから欧州史を聞いて
オランダ独立戦争こと八十年戦争にいっちょかみしたろと
信長公が考えたと思うのは、こりゃロマンだがwww
(ただ当時の在日南蛮人(!)はスペイン人でしょ、
ポルトガルもいたろうが同君連合だしねw
で、そのオランダが独立戦争している相手がスペインなんで
これはどうなんでしょうねwww) >>756
三谷幸喜監督の同名タイトルのコメディ映画なら知ってる人も多いはず。
「ステキな金縛り」の落ち武者こと更級六兵衛が、ほんのちょい役で出てくるのかミソw
(ちなみに彼は架空のキャラだが、後北条氏に仕えていた
とある武士がモデルであるとの事) 常識的に考えれば外様でかつ重用されるということは最も警戒されているはずで
本人が不穏な動きを見せたらバレバレだろう >>790
信玄が死んでめちゃくちゃ浮かれてたときだからな。
一番ヤバいと思ってたヤツが死んだんだから
油断するのも無理はなかろうて。 >>747
三法師が(豊臣家臣ではあるが)大事にされて、
元服後、織田中納言秀信として、岐阜城主となる。
しかし、関ケ原の戦いで西軍につき、改易されて高野山に追放。
最終的には、高野山からも追い出されて死ぬ。
子孫がなかったので、ここで織田の嫡流は滅んでいる。
ただ、信長の子孫とか織田一族の子孫はうじゃうじゃいる。 >>786
かなり頭の悪い人の妄想だねそれ
こんなの光秀の独断でやれる謀反ではない
信長と利害対立していた多くの人間が裏で綿密に動いたと考えられる
年寄りの光秀は何かあった時の責任者として担がれただけだろうね >>69
桶狭間とは違うよここ
現場は山じゃないんぜ?
自陣営を奮い起こすために先頭切って敵陣に突っ込む必要性もないし、
逆に光秀が動いたら、その動きを信長陣営に察知される可能性がある
そもそも信長はここで供の者も少なかったようだから、
何らかの密談をしていたとも考えられるが、
その密談相手もグルだった可能性すらある 87年前というと2.26事件があった頃だな 信憑性は高いな >>786
んーどうだろ?
別働隊にある程度の指揮権与えて数キロ先にある敵を強襲なんて普通にあるしなぁ
長篠の鳶ヶ巣山砦奇襲、山崎の大岩山砦、長久手の白山林とか
長久手でいえば秀吉本陣は犬山で別働隊の池田と家康で長久手で戦ってたし
見方が敵に自分を売る事は考慮に入ない訳はないと思うけど
それ言いだしたら何も始まらない
だからこそ別動隊は信頼のおける人物置くか自軍有利の時にするもんだし
後立地的に本能寺は東は市街地、西は西洞院川に挟まれて大軍を配置するのにあんま向かないんだよね
一番厄介なのは逃亡されて大阪にいる四国方面軍との合流でしょ
市街地で大軍動かすのはリスクあると思うな
だったら南の大阪に繋がるく街道抑えて逃亡阻止したいというのは合理的だと思うけど
もちろんこの考察にも穴があって
光秀が引き返した山陰道で逃亡はないとしても山陽道どうすんだってことになるけど やっぱ信長の亡骸がないのがこの事件を
ミステリアスにしてるんだな 仁義なき戦いでいうと 菅原文太だろうな 光秀
秀吉 : 田中邦衛
家康 : 梅宮辰夫
信長 : 金子信雄
義元 : 山城新伍 >>800
子供がまだ食べてるでしょうが!!を勝手に殺すなwww >>784
古墳時代ですらあの規模の古墳をあちこちに作る技術あったんだから、土木技術は思ってるより高かったんだろうな そりゃ今日にいる少人数の信長殺すのにわざわざ街中の狭い現地いる必要ないからな。
騎馬で30分もしない場所なら伝令で足りるし、何より逃がすとしたら南しかないんだし、対大坂勢対応の意味でも鳥羽に構えるのは理にかなっている。 >>794
独断でやっちゃいけない行動なのに独断でやっちゃったから
孤立無援で3日天下で終わったんだろ 総大将が最前線に居ること自体が不思議ではあったからな。配下の武将に指揮を執らせるのは普通だし。
鳥羽であちこちに伝令はしらせて色々と工作してたんちゃうか? 歴史研究者というインチキ新説唱えるガイジは淘汰されろや >>122
まあ
秀吉と家康の動きが早すぎるしな。
前もって知ってたか
そんな遠征はしてなかった疑いを抱く。
何万という兵と秀吉、家康が会えるわけないし。 もし信長が予定より早く本能寺を出発してたら光秀は赤っ恥だったな >>1
伝聞の伝聞だし変後80年以上経ってから書かれてるし、明智軍記と大差無いような気もする。 >>47
>所ジョージのせいで消えていく古文書
高須院長が皇室に献上して失笑買ったやつみたいな? >明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行
愕然とする光秀
そして、やっちまったのなら仕方がない(「是非に及ばず」は実は光秀のセリフであった)
と腹をくくったのであった そりゃーリモートでできたんなら、それに越したこたぁネエわさ。 急な異変で混乱中なのだから
明智は中国攻めの最中のはずだと普通皆思うだろ
最初は家康が信長を強襲したという流言があったんだぞ >>798
信長と黒人の侍は、一緒に外国に行ったのでは?
もう日本めんどくせーから明智、お前に任せるわっつって
暗殺したことにしてさ 何となく秀吉と共謀して信長を討つ計画を立ててた気がするんだよな。最終的に権力争いに勝って、謀反は全て光秀のせいにして自分が成り上がったというのなら納得いく。 >>816
当日まで京都に居たからな。
だから>>808になる。 道三と息子が一騎打ちした時点で大河見るのやめた
序盤に光秀が暴れん坊将軍のように野党を切り捨てていく時点で吐き気がしてたけど
生きるか死ぬかの闘いなんてしないから、歴史に名を遺す奴は そんなことより
前田利家の裏切りをちゃんと書けよ
加賀藩 >>789
滝川一益が延々と走ってたやつだっけ??
清州会議が映像化される度に滝川一益=無能ってレッテル貼られるから気の毒だわ。 本能寺の変の凶報は秀吉が一番早く知ったと思われがちだが
三河にも秀吉と同時期の6月4日には既に情報が届いてたんだよな
松平家忠が書いた家忠日記の天正10年6月4日条(変から二日後)では以下の事が記述されてる
・光秀が謀叛した事
・信長父子の件は極秘扱いにすること
・家康は堺にいる事
・家康は伊賀から伊勢を通って大浜に上陸した事
・穴山梅雪が切腹した事
・織田七兵衛信澄の謀叛は風説だった事 >>824
信長の家臣団は皆、光秀の謀反に対し
本領と自分の身の安全を守るので手一杯だった。
秀吉が毛利方と話をつけて、あんなに早く戻ってくるのは誰も予想していなかった。 >>47
所を擁護するわけじゃないけど昔の人も似たようなことを
していてふすまや屏風の裏紙が実はなんてことはざら
ここ数年人気の一閑張り細工も古文書を使うといい感じになると
いうんで売られている古文書が使われてたりする
一番最悪なのは家の人間が興味ないからと蔵にあったのを捨てたり
ヤフオクなんかでバラ売りされてしまうこと >>825
いやいや秀吉もとりあえずはその前段の例の通りだよ
自分の領地が長浜と姫路だから姫路までまず必死に逃げて来たの
逃げてくる途中に北摂の中川清秀とかとお手紙やり取りして合流しようってことになったの >>821
上杉謙信は
小田原城の目の前で
酒盛りをして籠城中の城兵を挑発してたそうだがw >>827
大返しの途中中川清秀に宛てた書状は秀吉の必死さと頭のよさが垣間見られて面白いよね
6月5日付中川清秀宛秀吉書状では信長・信忠父子は無事に切り抜けて膳所まで退かれた
更に6月10日付中川清秀宛秀吉書状では柴田勝家が越中を平定して既に上洛を開始してる
と二度も大嘘を言って調略してるもんな >>794
光秀に呼応したのは誰?
秀吉の大返しに妨害が無かったのは何故?
単独犯でなければ何らかの妨害が為されるはずだが >>795
本能寺は信長常宿だし、家督は既に委譲されてたわけで=小姓衆しか居ないのは当然 年上の光秀をいじめて屈辱を与えておきながら
謀反されないと思ってた信長が甘ちゃんすぎて笑える
信長みたいな未熟なアホが天下を取らなくて本当に良かった >>831
本能寺は信長の定宿じゃないぞ
定宿は妙覚寺
泊まった回数も本能寺が数回に対して妙覚寺は20回近く泊まってる 信長は本能寺でなにをしていたんだろ?
よくテレビ番組では日中は公卿たちを招いて
茶器の自慢をしていた、ってやっているけれど
信長のコレクションも本能寺の変で全焼してしまったんだろうな
もしも今残っていればどれもこれも億単位の値段がついただろうに、もったいない >>829
大嘘をついてると非難されても、いやーあの時は私混乱してましたんでと逃げられる
秀吉はとんだ喰わせ者
実際に何をやったかなんてわかったもんじゃない(証拠はぬかなく隠滅したであろう) 秀吉の大返しも見事だけど
家康の堺から逃亡して5日に帰着、三河衆を糾合して14日には先発隊が北伊勢、本体鳴海もお見事
最初から軍を率いてた中国方面軍、四国方面軍と違って討伐軍編成からスタートと考えるとこれもなかなか
仮に秀吉の大返しがなくても西の中国・四国方面軍、東の徳川軍に挟まれて光秀詰んでる
どう転んでも本能寺後の光秀に勝ち目などなかったという
秀吉・家康の有能さが頭抜けてる >>836
もしも黒田官兵衛が秀吉の家臣ではなくて
光秀の家臣だったら秀吉は光秀の滅ぼされていたんじゃないかな?
秀吉の優秀さのほとんどは黒田官兵衛がいたおかげだろう >>103
あの時代なら別に何も思わんな
むしろ大義の為に暴君を斬ったとすれば大したもんや
現段階では分からん訳やからはやまらんだけ >>829
どっちに着くべきか迷っている大名には、このデマは効くよなぁ
それ考えると、明智が信長の首を晒せなかったのは痛かった
信長公の最後の意地が、明智には呪詛のように思えただろうな >>835
中川清秀自体が秀吉の友人である荒木村重の反乱時に速攻で裏切って信長に付いてるのを間近で見てるからね。 どうせ謀反するんだったら別所長治とか荒木村重とかが謀反起こしたときに
いっしょに起こせばよかった
そうすれば秀吉は中国大返しなんて不可能だから、明智はゆっくり機内を制圧する時間の余裕があった >>839
信長の死亡確認が周知されたところでそこまで状況に大差無いと思うがなぁ
羽柴秀吉・柴田勝家・丹羽長秀ら重臣勢や信雄・信孝ら遺児勢はどうやっても明智に降るなんてこと無いだろうし
そうすると小大名達も様子見して明智勢が味方少ない小規模なことは察するだろ >>836
家康は三河に帰れされすればフリーハンドで背後を気にせず攻め上れるからかなり有利だけど、
秀吉は前線で対峙中という危機的状況からスタートなのに6月13日には山崎の合戦だから
凄いよな。あまりに早すぎて光秀と組んだ陰謀と言われても違和感ないくらい。
天下取る御仁はそれくらいでないとダメなんだろうな。 >>842
大局に影響なかったのは同意
当時の秀吉と徳川の動きだけで詰んでるもんな >>843
北条がどう動くかわからんからフリーハンドではないんじゃない
実際滝川一益はこの時に関東の織田方の拠点を全部失って敗走してるんだし 第二次織田包囲網戦のときも宇喜多直家を警戒するあまりチャンスを逃すし
秀吉の中国大返しでも秀吉にコロッと騙されるし
関ヶ原の合戦でもあの体たらくだし
毛利家ってトロ臭いよな >>846
幕末でも家中はグダグダ
だが、終わってみると薩摩と一緒に天下盗ってる
トロ臭いが世渡り上手 >>846
関ヶ原の時の毛利はしょうがない
日本全国半日で戦が終わるなんて思ってた奴は誰一人いない
輝元は九州に大友義統を上陸させ四国では藤堂領加藤領を攻撃して更に蜂須賀領生駒領を接収
結果論だけで見れば家康そっちのけでなにしてんねんって思うかもしれんが
戦が長引けばこの領土拡張策も決して愚策ではないと思う 家康は東の北条への備えと時間的制約からか討伐軍は三河衆だけだったと記憶
北は甲斐の河尻に一旦美濃に戻るように手紙出して(要するに甲斐捨てて美濃を確保してくれってことかと)
西は金森長親とか美濃衆に協力要請で通路確保
おそらく美濃ルートで近江方面に進軍かな
秀吉は秀吉で大返しをしながら四国方面軍や中川から協力を取り付けてる
この二人はやべーわ 信長の墓は何故か岐阜の寺にある
惟任将軍日向守光秀の墓は岐阜の神社に
ある。 光秀さえ倒せば、自分は自動的に「天下人」
皆さん、それーとなるわな
明智さんも、そんなことはわかってたろうと思うんだが
何で、それでもやったかが謎ですな >>833
妙覚寺は要塞化されていたから泊まるのに好都合だった。本能寺にしろ法華宗の寺はどこも武装した要塞状態。 >>839
信長の遺体がバラバラになり粉微塵になってるからだろ。本能寺は種子島氏の菩提寺の絡みで火薬商人やっていたから火薬がわんさかあったその火薬使えば松永みたいに粉微塵にできる >>849
ソコまで周到だと元々明智とグルで
年寄りの光秀で事を収めたとする方が自然とは思わんかね。
明智をハメたと。 87年もたった後人から伝え聞いた事をメモった文書になんかなんの信憑性もない >>3
光秀が「敵は本能寺にあり!」
って叫んだところで終わるとか? >>858
苦戦するときには士気の高さは必要だけど
少人数の供回りだけの信長を討つという
簡単な仕事に士気の高さは必要ないだろう >>859
大きな国をつくって、麒麟が来るような
平和な世の中にしたい、って思いと
信長を討って、戦国乱世の世に引き戻すのとの
理想とやっていることのギャップをどうやってドラマを見ている
視聴者に納得させる物語をつくるか、難しいと思うんだよなあ >>859
正親町天皇「信長殺ってこい」
日向守「御意」 >>862
正親町天皇は光秀と直接話もしないんだぞ
光秀を万葉好みの珍しき鳥といって人間扱いもしていない
たぶん殿上人以外は、天皇は人扱いしてはいけないルールでもあったんだろう
あの堺正章医者は、天皇と囲碁をやっているから
ああみえて殿上人で位も高い公卿なんだろうなあ 駒「全ての元凶は信長です」
日向守「駒さんがそう言うなら」 >>171
別人なのに頼朝だとしていた絵は学会が選定したものだし、聖徳太子の絵も中国の絵だしで、学会の信用度なんて大したことないんだが。 >>856
家康や秀吉がグルならそのことを光秀が宣言しないはずがないし
各所に送った書状に家康や秀吉も童心していると一筆添えないはずがない
一人でも多く協力者を増やしたい光秀がそれをやらない理由がない 雨が降って火縄銃使えなくなって秀吉に破れたんだよな。 >>867
敵味方を推し量る為というのは?
>>849が書くようにあの混乱で秀吉がやってんだよ?
そもそも家康、秀吉が協力者ならできるよね。 >>854
いや、だからその事を言ったつもりなんだが
あの時、おめおめと捕まったり敵兵に打ち取られたりせず、火を放って自害を選択した事を、「最後の意地」と言ったつもりだったんだ
分かりにくかったらスマンね 今回は家康の前で
「大事な客人の前でわしに恥をかかせたな、このキンカ頭!!」
って信ちゃんキック炸裂はなさそうだな。 >>873
光秀が落ち武者狩りの百姓の竹槍で刺されて
死んだってことになっているな >>869
推し量る必要がない
秀吉も家康も時に嘘を交えながら味方を集めてる状況
推し量ってる余裕などなくとにかく味方を集めるのに必死
味方を増やすために利用できる好材料があるのに使わない理由はない >古文書は江戸時代前期に、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が書いた
>「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本)。
>史料の存在は一部で知られていたが、主に加賀藩に関わる部分が注目されてきた。
>このほど、富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)が読み解いて明らかにした。
こんな何十年も前から所蔵していた史料でもちゃんと読まれてないものなの?
前半部分に書かれていたらしいけど、専門家が普通に読めばすぐに「えっ?」ってなりそうじゃん 実は鳥羽で信長と合流する予定が信長が忘れてて、光秀が遅いなって部下を迎えにやったらそいつらが何を血迷ったのか信長殺しちゃったとか >>875
さあどうかねえ
光秀以外にも嫌疑が掛かってたようだが
光秀も嫌疑を秀吉、家康が躱す算段を取る手筈だった
裏切られたけど。
というか最初からハメる積りなら大成功だね。 少し離れたところにいたとしても大して違いはない
だから何という感想 >>1
>明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に
安倍が明智光秀だったら、なんでも秘書のせいにして逃げ回れたのに・・・・・・・ >>859
後は皆さんご存知でしょうってところだからな。 岡村隆史が「本能寺を撃て」と書いた紙を明智光秀に届け、急遽、光秀は決心する。 >>876
割と読まれてなかったり、いつ頃に誰が誰宛てに書いたのか知られてないものも多いみたいよ
数年前に熊本で細川藩の古文書が学芸員に読み解かれてニュースになってた
内容はこんな感じのもの
「細川殿へ この前は(義昭)公の動向を知らせてくれてありがとう お土産送るね 信長」 惟任将軍日向守光秀の墓に参り
絵馬を買うことが大事 >>880
京都周辺にいる軍勢は大阪の四国方面軍と明智しかいない
四国方面軍がは1万4000の大軍でそれを動かせばバレる
さらに二条城から逃亡に成功した有楽斎、水野から明智の反乱はバレる
四国方面軍の津田信澄が内通の嫌疑かけれられて殺されたとの一報は6月8日に三河に届いてるから
大阪の動きはその前後には各所に伝わっていたはず
つまり四国方面軍が動いてないのはすぐにわかるから
秀吉、家康が光秀の嫌疑をかわす算段をとりようがない
また光秀は各所に書状を送っているが秀吉・家康とは連絡を取り合ってない
各所に送った書状にも秀吉・家康が同心の文字はない
近衛をはじめ御所との連絡役を担った貴族にも秀吉・家康同心なんて言ってない
さらに山崎の戦い後に捕まった斎藤も秀吉・家康の裏切りに言及してない
つまり光秀に秀吉・家康の同心を宣言しない、書状に書かない理由がない
同心してるなら長浜の秀吉の城を占拠する理由もわからない
君の話は創作としては面白い素材になるけど裏付けるものが何もないんだよ
当時の資料は秀吉・家康が敵対したことしか示してない まあ、このスレも終わりだろうからテケトーにいっとくけど
どんだけスレで論じられているかわからないけど
結構、なんか2ちょんのスレだと忘れられがちなんだけどさ
当時の戦国の世の中、電話はないんだよねw
伝令に頼るしかないわけwww
で、まあ兵力は圧倒的に明智有利にしても
信長・信忠と二正面作戦は必要だし、
史実はちょっとわからないけど
朝廷方面の目配りも必要だとは思うんだ。
この信長父子を倒し、朝廷と洛中洛外を抑える。
これが最低勝利条件なわけでね。
ってことは、本当にリアルタイムで戦況を把握し即時指示を与えねばならんわけで、
前線にいたこと、そしてどこか迅速指示が取れるところにいたわけだよ。
やっぱりね、本能寺にいたと思うんだよな。
我々は本能寺が炎上し信長の遺体が最後まで出てこないことを知っているから
あれだけど、光秀としては信長公の首実検はね、したかったと思うよ。
そもそも挙兵の目的がそれなわけでね。 >>890
光秀が本能寺の変の直後に細川に送った手紙、自分の味方にならない事への泣き言恨み言しか書いてないもんな。
50日から100日のうちに近畿を制覇したら引退してお前と俺の息子に譲るとか、摂津と若狭の国をやるとか。
50日どころか11日で山崎の合戦なわけで、どれだけ見込み甘いのかと。
嘘でも秀吉や家康も実は裏で自分と繋がってるとか手紙で書けばいいのに。 >>46
きさま〜!
東京電力の起こした事故の時、危険な最前線にノコノコ出ていったカン元首相を愚弄する気かぁ〜〜! >>894
朝鮮出兵時に小早川秀秋がそれをやって秀吉にめっちゃ怒られてるし、大将としてはあり得ない行動かもしれんね… 仮にノブナガがホンノー寺で奇跡的に生きノビタとしても、遠からず似たようなコトになってたと思うね。
島国のワクに納まりきらないリーダーを持つ「度量」は、日本コクミンには無いってことだよ。
「そいつが死ぬと世界の歴史が変わる」
そんな「暗殺される価値がある」リーダーを、今の日本人ホド渇望してるコクミンは居ない。一億人以上の人口が居ても、まだ躍り出てこないけど。。。 もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら? 27
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1605936392/829-882
829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/04(月) 12:57:35.27 ID:/hzS3gb0
丹波からの移動中、移動効率考えて山陰街道から光秀主力は西国街道に移った可能性
それだと西国街道移動すればそのまま鳥羽口辺りに来ることになる
881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/05(火) 09:10:50.18 ID:4xHxuLyb
イエズス会宣教師が武器や奴隷売買に関わってた(事実)
→それにセミナリオと本能寺は近い(事実)
→だから黒幕の可能性がある(飛躍)
→自体が見つからないのは爆殺したはず(飛躍)
光秀が武田に内通してたと書く戦記がある(事実)
→今回鳥羽にいたという史料が見つかった(事実)
→どちらも利宗がソースだったり登場したりする(事実)
→だから武田内通の信憑性もあるかも(飛躍)
どちらも論が荒い
事実の積み重ねが荒いまま想像に引きずられすぎ
882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/05(火) 20:23:13.74 ID:z3f9SGnL
>>881
そんな論評しか出来ないとは情けない
「本能寺」そのものが武器・火薬商人だったんだよ
当然、本能寺には武器・火薬が大量に置いてあって
信長が本能寺と密接な仲であったのはそれが一番の理由
という重要な史実さえ知らないのが丸わかり
法華宗本門流の本山が本能寺であり、
最初に鉄砲が伝来した種子島は本門流の牙城 >>894
>>895
や、あの、昨日も言ったけどそんなゲームじゃないんだから
武将大将自ら前線で雑兵と切り結ぶってことはやらんけどねw
(もちろんこれは戦国時代の疑う余地のない鉄板の常識だがw
謙信公は第四次川中島合戦で信玄公と一騎打ちしたけどナーwww)
でもまあ、戦陣にはいたにきまってんじゃないっすか。それが仕事だもん。
のちの戦争のようにね、司令や幕僚が後方の司令部から
無線で戦況報告受けたり指示出したりとかできないからねえ。
関ケ原の合戦でも大阪の陣でも島原の乱でも(姉川でも長篠でもなんでもいいけど)
なんでもいいけど、そりゃねえ、その場には主だった武将は皆いるんですよ。
手柄立てるためにいるわけだし、その場にいなきゃスコアにならんでしょ。
繰り返すけどね、もちろんね、大将自ら理由もなく刀もって突撃したら
それは匹夫の勇ってもんだけどね。いるにはいるんですよ、前線に。 寺取り囲んで外で待つぐらいは別に匹夫の勇でもないけどな
前線とか言う人は大軍同士のぶつかり合いとか思ってるんだろうか いや行って指示出してたよ
その癖、頭悪すぎて秀吉に瞬殺されたもんだから行ってないテイにしてる雑魚そのもの >>888
へえそういうもんなんだ
博物館にあるものなんて全部調査されてるもんだと思ってたけど、考えてみれば古文書って数多いか
これからもいろいろ発見があるということやね 信長を確実にぶっ殺せればいいわけで、大将たる光秀が本能寺に行ったかどうかなんて正直些細な話だよな。
>>903
光秀、アタマ悪かったわけじゃないぞ。あれだけの戦国大名が雁首揃えても殺せなかった信長を葬る唯一の
チャンスを生かして確実に亡きモノにしたんだから無能なわけない。
秀吉が規格外の化け物だったのを見抜けなかった点が無能だっただけ。 >>1
嘘だ
だって俺は本能寺で光秀の金柑頭見たもん >>905
光秀も秀吉に山崎の戦いで勝ってればどうなったか
実力の時代だからな
秀吉は信長の家臣や親族を倒していったけど 当時の秀吉には誰も勝てんわ
勝率でいったら信長でも秀吉には勝てんやろ ?
戦の強さは信長と秀吉の独壇場やで
唯一はりあえるのは信玄くらいで他は全く相手にならん 秀吉と信玄やり合ってないらしいけど
まるで当時を見たかのようだな >>913
それらしき事は言ったんじゃね
本能寺にいきなり集中攻撃してるし
信長に怒られて発狂したいじめられっ子がやった本当の話
弱い故に起こした事件 本願寺を本能寺と言い間違えて 狼狽して逃げたらしい >>520
昭和歴史探訪という本を読むとわかる。歴史家や歴史小説家同士が歴史検証して説を唱えてる。50年ほど前に発表されてるけど書いてることが、今になって表に出てきているだけ。
昔のパクリかよってなるw その後、羽柴秀吉(豊臣秀吉とか今の歴史教科書に出てこない)もクーデターしっかり起こしてるよな。
信長の子供を何故か自分の家来にして自分の政権たてちまってる >>907
ホントだよね。
記録に残らないってのは隠したいからな訳で
書いてないから違うってのは間抜けすぎるわな
ドコまで真実か駆け引きの方便か
そんなの当時の近い人間しかわからんのに。
そうかもワカランね。以上は無いわな。 記録に残ってない、書いてないことを信じるなら
昨日世界が誕生しました、私たちの記憶、記録は作られたものですでもいいわけだからな
物語つくるにはいいよね >>920
君は今の菅政権の発言を全部鵜呑みに信用するのか?
同様に、戦国時代の権力者達の記した史料も全部鵜呑みにして信用するのか?
史料読解も必要だが、それは鵜呑みにせよという意味ではない >>920
チェンソーマンかよw
※設定では、チェンソーマンが捕食した悪魔の司る事項は
記録や人々の記憶から消え、無かった事にされる(唯一、支配の悪魔のみ記憶を保持している)
だから、作品中ではナチスや第二次世界大戦、エイズなどが存在しない。 一次史料ですら誇張や調略のための虚報、伝聞による誤りがあるからそのまま鵜呑みにするのは危険
裏付け取るのに他の一次史料や二次史料も使って史料批判する必要がある いくつかの資料を比較して評価、そこから歴史を考察なんて素人研究者でもやってるわな
資料を鵜呑みなんてネットのまとめサイトじゃあるまいし常人はしない 堺から船で逃げられないの?
伊賀ルートつかわないで
四国いくとか岡崎いくとか >>918
どっちかって言うと、
施工主のしらないうちに大工が家立てた
って話じゃ? 行かなくてよく士気保てたな
相手は悪魔だろうに
ヤクザでも子分がやる気なくて
組長自らタマを取りに行ったりするのに >>3
光秀が天海になったと思わせて実は岡村だったで完 >>929
岡村天海はありうるな。つーか、フットワーク軽すぎないか??
バイクでも使ってるのかな(笑) >>927
いや施行主が指示して大工が現地に家建てたって話。だから何? って事でおしまい。 そのうち小田は本能寺に行かなかったって言うんでしょ? >>906
光秀の頭はサテライトキャノン&ソーラレイ砲説 >>926
日本史の事はよく知らんけど航海技術の歴史で言うと当時の日本の船じゃ外海に出た瞬間波に攫われて沈没待ったなしになる
そんなわけで陸伝いに行くと今度は近辺の土豪兼海賊みたいな奴らがどう出るか分からんって事じゃない?
四国は親織田勢力が行くとヤバいなんてもんじゃない、なんて行っても四国征伐に行こうとしてる真っ最中だし >>934
かもね、だって遺体が一切出なかったんだし
吹き飛んで無くなったより、最初から居なかった方がしっくりくるからね
内部に居た裏切り者を炙り出す為に、信長自身が囮になって
本能寺を裏切り者が攻めた所を光秀が攻める予定だったら、面白いかもな >>936
いや四国征伐と家康合流できないかなーと >>936
家康が必死に伊賀越えしている時に、井伊直虎が堺から遠江まで船で余裕で帰っていたなー(棒)
その必死の家康に江がお供してたな〜(棒)
本能寺の直前、家康公は堺で直虎と江に会ってたのか(笑) >>803
列島改造時代の日本人は古墳時代より暇だったのかよw >>936
ついでに紀伊も雑賀衆が跋扈しててまだ完全には織田の支配下になってないしな
紀伊の支配は秀吉の紀州征伐まで待たなきゃいかん てかなんで明智光秀なんだろ?
武田信玄や上杉謙信とか強い武将もいるのにその人達は本能寺の変の時に何をしていたの?
なぜ真っ先に明智光秀を倒し天下を取らなかったんだろ? >>944
本能寺の変1582年
信玄→1573年没
謙信→1578年没 >>944
武田は本能寺の前に既に壊滅、上杉は柴田勝家に攻められて、壊滅目前だったが、変が起きたことで何とか一命を取り留めて、幕末に至る・・・。 >>931
そんなことは皆わかった上で
施主が「あれー!俺知らなかったよ?」
って言ってる
ある意味、安倍と一緒 >>897
悪い意味では鳩山
あれはいなくなったときにはじめて価値を発揮した
…と思ったら政治家辞めた後も日本に迷惑かけて板でござる 明智は義昭上洛から丹波後略まで非の打ち所が無い超有能家臣だったのに、本能寺の変から山崎の戦いで死ぬまでは大阪夏冬の陣の素人の淀殿以下の動きだったな。
それこそ秀吉より戦果も頭のキレも上だったのに。明智には竹中半兵衛や黒田官兵衛のような天才も付いて無かったのに。 >>930
駒だって「一人で」京から美濃に移動してたぞ(逆だったかも)
ブ○とは言え若い女が一人で旅とか危険なのにな >>944 そのレベルで質問されるとなぁ…(~_~;) てかなんで明智光秀なんだろ?
織田(神戸)信孝や丹羽長秀とか強い武将もいるのにその人達は本能寺の変の時に何をしていたの?
なぜ真っ先に明智光秀を倒し天下を取らなかったんだろ? >>957
明智→信長親子が目鼻先に無防備に滞在してたから襲った
信孝→変後、寄せ集め軍勢の大半が逃げた
丹羽→明智を討つ覇気も野心も無かった >>959
あとは、摂津にいたはずの重臣池田恒興か。中川清秀や高山右近を自ら誘い込んで、大坂で信孝や長秀と合流できたかもしれない。
彼も秀吉のような器ではなかったのだろう。 光秀は本能寺を攻める前におみくじを引いて
しかも凶が出たからって、吉が出るまで何度も引き直したんだって やったのは状況を知る誰でも良くて、光秀である必要ない
この状況で信長が討たれたら誰でも光秀犯人だって思うし 松永と荒木を滅ぼして
光秀が近畿の大勢力になりすぎた
スキを見せれば野心家はじっとしとれないわな 秀吉が部下に実行させて、光秀の仕業と言い回れば、光秀を討って自分が天下を取れる
その際に実行部隊も討ち取れば口封じにもなる
天下を取った後は自分の都合のいいように歴史に書き残す
会社の中でも実力派エースはそんなに野心がなく、社内政治でのし上がった人間ほど実力派エースに嫉妬して、汚い手を使って実力派エースを陥れて這い上がっていく >>1
信長にさんざんバカにされたんだから
恨み直接晴らしたいやろw 秀吉が信長に忠義を尽くしたイメージは、秀吉が信長を討った疑いを持たれないために、自分でそのイメージを強調したとも考えられるな
草履を温めてたなんてエピソードももし本当なら信長と秀吉の2人しか知らないはず
少なくとも触れ回ったのは信長ではないだろう 本能寺に行かなかったが本能寺の辺で家臣が行動するか様子を見てた >>970
それもウソ臭えよな
だって地面の方を腹に向けて温めたって効果が薄いし
逆だったらハラが汚れていないから
その場で半殺しか殺されてただろう。 >>552
先祖の松平三代目に松平信光と言うのがいるので光を使っても不思議じゃないで
元々、家忠にする予定が平安時代の公卿 左大臣藤原家忠と同じになるから避けたと
名付けた人の日記が残ってる
家光の由来は載っていない 砦として機能する規模でもない寺を万の軍勢で取り囲む意味ないし 黒人スパイ弥助 「そりゃそうよ。俺が取ったんだから >>977 」 >>976
本能寺って、鉄砲伝来した種子島なども支配していた法華宗本門流の大本山だよ
つまり種子島(鉄砲)・火薬を扱う武器商人の本家本元だったわけ
武器商人の本拠地である本能寺は当然ながら鉄砲で武装していただろうし、武器を買いに来た武将達に、
実物見せて試し撃ちもさせていたはず
実物の取引は堺港だろうけど >>979
当時の毛利の置かれた状況を見れば、和睦は渡りに船だった 安倍「秘書が勝手にやったことだ」
光秀「部下が勝手にやったことだ」 >>984
クランクアップしてから出て来たニュースだから無理w このスレ落ちたらみなさん戦国時代板へどうぞ https://matsuri.5ch.net/sengoku/
>>987 実行犯って意味ならたぶんそう >>625
山崎の戦いで光秀が有利な山に陣取らなかったことが勝つつもりがなかったらしいと言われているね >>984
こっちより、近江出身だったり武士ではないという新事実のほうが影響大きい このスレッドは1000を超えました。
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