>>880
京都周辺にいる軍勢は大阪の四国方面軍と明智しかいない
四国方面軍がは1万4000の大軍でそれを動かせばバレる 
さらに二条城から逃亡に成功した有楽斎、水野から明智の反乱はバレる
四国方面軍の津田信澄が内通の嫌疑かけれられて殺されたとの一報は6月8日に三河に届いてるから
大阪の動きはその前後には各所に伝わっていたはず

つまり四国方面軍が動いてないのはすぐにわかるから
秀吉、家康が光秀の嫌疑をかわす算段をとりようがない

また光秀は各所に書状を送っているが秀吉・家康とは連絡を取り合ってない
各所に送った書状にも秀吉・家康が同心の文字はない
近衛をはじめ御所との連絡役を担った貴族にも秀吉・家康同心なんて言ってない
さらに山崎の戦い後に捕まった斎藤も秀吉・家康の裏切りに言及してない

つまり光秀に秀吉・家康の同心を宣言しない、書状に書かない理由がない
同心してるなら長浜の秀吉の城を占拠する理由もわからない
君の話は創作としては面白い素材になるけど裏付けるものが何もないんだよ
当時の資料は秀吉・家康が敵対したことしか示してない