SFC創設の頃って、まさにネットワークやデジタル時代の幕開けの頃、ウィンドウズ95が席巻し、「英語とパソコンができる」学生が即戦力として期待されていた。
東大を蹴ってSFCを行く人がいたのも事実
当時はむしろ「三田会的派閥は時代遅れでこれからはSFCの実力主義」って空気だったよ。
慶應SFCの学生は苦もなく大手に就職していったけど、今度は学生の意識が先鋭化しすぎて日本企業の文化に馴染めず退職するやつが続出した。

退職したやつは優秀な連中ばかりだったけど、企業としては育てようとした人材が簡単に辞めて行くなんてたまったもんじゃない。
そこからSFCを避ける企業が増え始め、SFCブランドの凋落が始まった。

皮肉にもSFC効果で慶應の他学部の評価が急上昇した。
SFCの偏差値が落ちると、今度は志の高いものでなく「慶應ブランドだから」「三田会に入れる」といったビリギャル的塾生が大半をしめるようになり、今度は三田や日吉、主流である附属から「一緒にされたくない」対象になってしまった。

SFCの学問自体はすでに最新でなく存在も「慶應の名前のつく滑り止め」になってしまったけど、せめて設立当時の意識のまま「慶應とは別の大学」としてブランドが維持されていれば

慶應SFCも早稲田人科も学際が売りで所属学科に関係なくほとんどの講義を履修することができて、計画的に履修していかないと専門性が身につかない。
それが早慶のブランド目当ての受験生を増やす結果にも繋がり、そのため主流である附属から敬遠される悪循環に陥った。