車が川に落ちていた。

 流れ込んだ水は、高齢の運転者の胸元に迫っていた。通りすがりの男性は、意を決して川に入った。

 昨年11月25日午前11時半ごろ。熊本市北区の介護施設職員花籠雄一さん(34)は、施設利用者の定期訪問のため熊本県山鹿市津留の岩野川沿いの市道を車で走っていた。

 大勢の人が川岸に集まって何かを叫んでいるのに気づいた。車から降りて見ると、幅約20メートルの川のほぼ中央に軽ワゴン車がタイヤを下にして浮いており、運転席に70代の女性がいた。

 熊本県警山鹿署によると、女性は代車として借りた車を運転し、川沿いの駐車場から道路にバックで出る際に誤って転落したという。

 前方の窓が開いていたため、車内に流れ込んだ水で女性は胸元までつかっていた。周りの人たちは「頑張れ!」と女性に声をかけた。女性は川岸にいる身内らしき人に「迷惑かけてごめんね」と泣き叫んでいた。

 誰かが消防車を呼んだようだが、サイレンはなかなか聞こえてこない。車内の水位はますます上がり、女性の首に迫った。「溺れてしまう」。周囲にいるのはほとんどが高齢者。「自分が行きます」。花籠さんはそう言って市道ののり面を駆け下り、川に入った。

 水深がわからず最初は泳いでみたが、それほど深くなく、なんとか歩いて車にたどり着いた。ドアを全力で引っ張り開け、女性を背後から抱えて岸に戻った。のり面は高さ3メートル以上あり、女性を抱えて登ることはできなかった。水の中で女性を抱えたまま消防車を待った。女性は意識がもうろうとしており、「もう消防の方が来るから大丈夫ですよ」と声をかけた。

 女性を救助した後、全身が水でぬれた花籠さんに近くの住民が着替えを持ってきた。女性は転落時に軽いけがをして搬送されたが、その後退院した。

 県警は今月14日、人命救助をたたえ、山鹿署で花籠さんに感謝状を贈った。取材で当時を振り返った花籠さんは「一刻も早く安全な状態にしてあげたかった。大したことをしたつもりはないので、感謝状はおそれ多いです」と話した。(屋代良樹)

2021年1月15日 10時18分 朝日新聞デジタル
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