乗り物ニュース

様々な事情により無くなった駅
 この四半世紀の間に関西の鉄道風景も大きく変わりました。路線の全廃はありませんでしたが、現役の路線の駅がいくつか廃止されています。新しい路線に後を託したものもあれば、ひっそりと歴史から姿を消した駅もあります。

【懐かし写真】京都市内で峠越えをしていた京阪
片町駅(JR片町線)
旧片町駅の手前で地下に入るJR東西線(恵 知仁撮影)。
 大阪府の京橋駅と京都府の木津駅を結び、京阪のベッドタウンを通り抜ける学研都市線は、正式名称を「片町線」と言います。この路線名の元になったのが、かつての起終点・片町駅です。

 片町駅は京橋駅のわずか500mほど西に位置し、ビルの谷間に狭いホームが2本あるだけの、乗り換えできる路線もない、こじんまりとしたターミナル駅でした。

 1997(平成9)年、京橋駅と尼崎駅を地下線でつなぐ「JR東西線」が開業。片町線はJR神戸線やJR宝塚線に乗り入れを開始し、幹線ネットワークの一部として飛躍しました。

 JR東西線の開業と同時に、片町駅は廃止。その機能は、近い位置に設置された大阪城北詰駅に譲ることになりました。また路線の呼び方も、愛称である「学研都市線」が一般的になっていきました。

九条山駅、日ノ岡駅(京阪京津線)
 片町駅と同じ年に、同じく「東西線の開業」によって消えていった駅が、京都にあります。京阪京津線の九条山駅、日ノ岡駅です。

 京都市と大津市を結ぶ京阪京津線は、もともと京阪本線の三条駅と直結した京津三条駅から発着し、京津三条〜御陵間は三条通りを路面電車として走行していました。1997年に京都市営地下鉄東西線の二条〜醍醐間が開業。並行する京津線の区間は廃止となり、御陵から地下鉄が大津方面へ乗り入れる形態となりました。

 この時に地下鉄の駅が設けられなかったのが、九条山駅と日ノ岡駅です。九条山駅は東山区と山科区の境にある急峻な峠越えの途中にあるため、利用客が周囲の駅の7分の1ほどしかありませんした。また、日ノ岡駅も隣の御陵駅と400mほどしか離れていなかったため、地下鉄の駅は両者の中間に統合される形で御陵駅として開業しました。

都会の駅、山中の駅、海辺の駅…時代には勝てず
 今では「そんな駅があったのか」と思うかもしれない、途中駅が単独で廃止されたケースがあります。

菊水山駅(神戸電鉄有馬線)
今もホームが残る旧菊水山駅(乗りものニュース編集部撮影)。
 神戸電鉄有馬線は神戸市の市街地と有馬温泉を結んでいます。新開地駅から市街地の地下区間を出ると、いきなり最大50パーミルの急勾配に差し掛かり、電車は六甲山地を延々と上っていきます。その苛烈な登山区間上にある鵯越(ひよどりごえ)〜鈴蘭台間にあったのが、菊水山駅です。

 この駅の周辺は民家も皆無、神戸市内からほど近いにもかかわらず山間の秘境駅と言われていました。利用客は登山客と下水処理場の職員程度で、普通列車も一部の便は通過していたほど。2005(平成17)年に休止となり、2018年、正式に廃止となりました。ただ駅施設を撤去するための重機が進入するのも困難な場所にあるため、ホームは2020年12月現在でも残ったままになっています。

 なお同時に有馬線ではもう一つ駅が廃止となりました。有馬口〜有馬温泉間にあった「新有馬駅」です。こちらは1975(昭和50)年に休止となったまま、石積みのホームの残骸が残るのみとなっていました。

西宮東口駅(阪神本線)

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