【江戸時代】妻の不倫相手を夫が刺殺したら、妻裁かれ火あぶりの刑…当時の人々の「罪の意識」ひもとくテーマ展/盛岡 [チミル★]
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江戸時代の盛岡藩で起きた犯罪や刑罰に関する記録から、当時の人々の「罪の意識」をひもとくテーマ展「罪と罰 盛岡藩の犯罪記録と町奉行の仕事」が、もりおか歴史文化館(盛岡市内丸)で開かれている。
展示されている資料は、17〜19世紀前半にかけて作成された「刑罪」と呼ばれる判例集など計15点。いずれも南部家で保管されていたもので、同館が譲り受け所蔵していた。事件の内容は「酒に酔って抜刀」「門番の居眠り」など様々で、中には現代の犯罪に通じるものもある。
「殺人と不倫はどちらが重罪?」と題された展示では、1691年、妻の不倫を知った夫が不倫相手を刺殺した事例を紹介……
※引用ここまで。全文は下記よりお願いいたします。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210120-OYT1T50103/ 江戸時代が悪く明治維新以降が正しいと言いたいのか知らんが、明治維新以降は戦争ばっかりじゃねーか 1683年1月25日、駒込(現在の文京区)の大円寺の出火を発端とした大火災が発生した。
通称「お七火事」と呼ばれる江戸の大火だ。
火は強い北西の風に乗って、本郷から御茶ノ水、神田と南の方角へ延焼。また神田川を
沿うように隅田川までたどり着くと、対岸の両国や深川まで燃え広がった。判明している
だけで、大名屋敷75、旗本屋敷166、寺社95が焼失。町家の被害に至っては数万戸に及び、
焼死者も約3,500人に及んだ。ちなみにあの松尾芭蕉も被災した1人だ。
この火事は「お七火事」と呼ばれているが、“お七”とは16歳の少女の名前のこと。
なぜ彼女の名前が火事の通称として使われているのか。それには深い理由がある。
元々、お七は1月25日の大火で被災した少女。現在では被災すると、学校や自治体の施設に
避難することが多いが、当時は寺社に身を寄せることが多かった。八百屋を営んでいたお七の
一家も、その例にもれず吉祥寺(円乗寺、正仙寺との説もあり)に避難していた。そこでお七は、
寺小姓の生田庄之助(小野川吉三郎、山田佐兵衛との説もあり)と恋愛関係になる。
しかし自由な恋愛など認められることは少ない時代。家が元通りになったこともあって、2人は
離れ離れになってしまう。そこでお七は“また火事になれば庄之助に会えるかもしれない”と自宅を
放火してしまう。幸いボヤで消し止められたものの、当時の法律では放火犯は火あぶりの重罪
であり、もちろんお七も火あぶりの刑に処せられた。
https://suumo.jp/journal/2013/01/25/37207/ 殺人と不倫では無くて
他人にされた不法行為を動機とする殺人と殺人の原因を作った不法行為
だろ
どこまでを「行為」とするかとか法学的に興味深い内容満載なのに単なる男女不平等の話にしちゃってる 理にかなってる
夫が不倫した場合も火あぶりで問題ない はぁ🤷♀男の不倫は即処刑だったのよね🙎♀?
日本て昔から男尊女卑なんだね、情けな >>5
もし幕府主導のもと文明開化を成したとしてもロシアとの戦争は避けられなかったかも。 今なら妻有責なら弁護士いれて身包み剥いでポイ捨てするだけだからね 不倫相手の男を殺すのは、倫理的な行いだったんかな
少なくとも共感はされた事だろう 当時はバレたら殺されるのは周知されてるんだから
自殺したいけどその前に気持ち良くなっとけみたいなものだろ >>1
> 妻の不倫相手を夫が刺殺したら、妻裁かれ火あぶりの刑
厳格なイスラム教国に近かったんだな。
>>2
>>3
イランとかサウジアラビアの方が合ってるんじゃない?
まあ、日本人がサウジの国籍取るとか無理だと思うけどw まあ、昔は切り捨てごめんって言って、上級国民が下級国民を殺しても良かったからな 家制度でよその種持ってくるとか盗賊みたいなもんだからな 江戸時代、日本の大半である農村部は性におおらかで不倫という概念さえなかった 男は基本流罪だっけ
念仏の鉄はそれで佐渡流しになってた >>27
それじゃ戸籍に妾も入れられた男勝ちになったのは
明治になってからなの? 昔の不倫は覚悟があっていいな。
現代は飽きたらポイw 江戸時代の三行半
あれは妻をいつでも簡単に離婚できるというものではなく、
次の再婚相手に、妻は家事が出来て性格もいいのでお得です と言う推薦状で
その推薦状を持参する事で、すぐに次の再婚相手が決まったという
つまり、三行半 とは当時、日本ではいかに女性を大切にしていたかという証である お金を3両拾うと大岡越前が1両ご褒美にくれて2両づつ、持ち主と拾い主で分けていいらしいよ! >>26
江戸時代の江戸は、極めて女性が少なかったので、ガチホモが多かった
あと、湯屋は、今で言うソープみたいなもので、
吉原と違ってお金のない人が気軽に女を買える場所。
茶屋の看板娘は、本当に看板の役目があって
給料は平均庶民の2倍以上稼いでいた。 >>26
って、誰かが書いた本を読んだだけだろ?
短絡的だなwww
昔は藩が違えば文化も違う
各藩の農村もそれぞれ個性があるだろ
お前の脳内の江戸時代の農村って没個性なんだろうなw >>15
ちょっと違うけど、敵討ちが許されていた時代だからな >>34
離縁状、兼、再婚許可証だったのは事実だけど、
推薦的な文言が必ず書かれたわけじゃなかったのでは 2121年開催
大麻を使用したら懲役罰…当時の人々の「罪の意識」ひもとくテーマ展 >>24
好き勝手に斬って良かったわけじゃないぞ
理由が弱けりゃ逆に改易 江戸時代は世界最大の都市で安定して平和だった女を持ち上げてもろくなことにはならない 女性の火あぶりとか見せ物にするんだから東北土人は恐ろしす。 >>15
姦夫姦婦は重ねて四つの時代だし
不倫は文化なんてイロイロ弛んだ現代の戯言 江戸時代の江戸≠[[越えられない壁]]≠江戸時代の盛岡 >>37
離縁状は夫の権利放棄で 妻を自由にすることを意味したので
妻の親族が夫に無理やり書かせた事例も多いという
逆に言えば 結婚している限り夫の権利が強かったことでもある >>24
大名行列横切った子供を斬ったら
通行お断りとなり遠回りしなけりゃならなくなった藩があったはず 江戸時代は 身分制度があったから 現代とは感覚が違うわな 今は人口が増えすぎてるし、江戸時代ぐらいの人口が日本には合ってるんだよ。
なので不貞は即処刑でいい、一族も皆殺しでもいいかもしれない。 >>23
厳格なイスラム国家では不倫しただけで女死刑やんw
これ刺殺してんじゃんwwwwwwwwwwwww 庶民は駆け込み寺だの、
嫁が逃げたりできたんじゃね >>11
お前みたいな何言ってるかさっぱりわからん池沼みたいなのが増えたわ キリスト教文化と欧米文化の希薄な社会でどうやって人間社会が転がっていたか興味深い >>45
民はそこの領主のモノって考えなので
出先でそこの住民を斬ればそこの領主と
「何勝手なことしやがるウチに喧嘩売ってんのかゴルァ?」となるわな
天領の住民とか現行犯でも斬れない 男尊女卑って言われるけど家の中では女の天下だったらしいと曽祖父(明治生まれだけど)も言ってた。
日本はそれでうまく回ってた。 お前らの先祖みたいなしょーもない水飲み百姓は
ワイの御先祖様に気晴らしに斬られてたんかなw >>55
家によって違うんじゃない
地主の私のひい爺さん(明治生まれ)や、
軍人の爺さん(大正生まれ)は、家の中で絶対権力者だったらしい
爺さんは布団に皺があるだけで、激怒したから大変だったと婆さんが言ってた >>23
でも殆どの夫が恥と思って黙って金で解決したり知らぬふりをして我慢してたり嫁を追い出す程度で済ませてたんだぜ。
ちゃんと示談金として間男がはらう金の相場まで決まってた。
血気はやって殺しまでやる人はごく少数。 >>54
大名行列なんて徒歩だし、遠くから見えるし、先ふれもあるしで
みんな遠くへ逃げてた筈だろ、近くに寄ってたのは見物人だよ
アホなのは子連れで見物してた親だな >>32
湯屋の二階に眉目よい娘を置いて、湯上がり客に茶と菓子を出して休憩させる、
というのが建前だけど、じっさいには風俗営業みたいなこともあったね
吉原には羅生門河岸みたいなわりあい安価な場所もあるにはあり、
さらに貧しい庶民には夜鷹や舟饅頭などの私娼が相手をした >>1
現在のヤリマン大国日本では9割方の女が焼き殺されるやろ…。 極一部の例外を出してそれが当たり前のように振る舞う
明治維新の政治家のやり方やね。江戸時代を何が何でも否定するときの手法だ >>33
『夜這いの民俗学』のような本の内容を日本すべてだと思うと偏るね
>>1も藩によっては多少のちがいがあっただろう
幕府の刑法を手本にしても、それぞれの地域の状況などが異なる 八百屋お七を酌量しようとして15歳だなと聞いたら
お七が正直に16歳と答えて火刑となった話はほんとなんだろか >>7
15と言えばいいものを
16と言ったばっかりに〜♪ >>67
もし15と言ったら親が罰せられたのかも気になるとこだ 天下泰平の徳川の時代に戻すには、
先ず皇居を徳川家に返還。 三千年前のアッシリア法典だと、
間男に対し、3回の警告をしなければならない。
それまでに辞めたら無罪。
辞めなかったら、間男を殺して良い。
ただし政府は何もしないから、夫が自力で殺しないかなくてはならない >>58
家もあるし何より地域性が大きいと思う
身分差や男女差別は関東・関西はそこまでも厳しくなかったが九州・東北は厳しかった
明治維新の際にまるで江戸時代が地獄のような制度の時代のように風潮してたが
それ九州・四国の日常であって日本全体じゃなかった。特に天領の地域は非常に緩やかな生活していたらしい
(新選組で有名な試衛館は天領の地域。庶民は徳川家を大切に思っていた) >>10
夫の場合は許してやろうよ
男はしょうがないよ >>54
御三家の住民なんかは外様大名の行列を馬鹿にしてたんだろうなあ 意外と法を守ってちゃんと裁かれてるんだよね
まあ現代だとその法が変に感じるけど 女の教育ってのは社会全体としてデザインしないといけなくて、江戸時代はそれがマトモに機能してたって事だな >>74
通り道なら金づるだぞw
大名行列は今で言う所の強制 Go To だからな >>26
あの時代は避妊してないから子供がどんどん生まれる
豊かな村は子供を村で育てるから母親だけが貧困におちいるなんてことにならない
東北なんかはそんな余裕ないから子供殺しちゃうんじゃないの 関東でも数百年間人口の変動がなかった村があったはず 日本も火炙りなんかしててんだな
西洋の火炙りの絵画、映画などは見たことあるが
日本の江戸の女の火炙り絵は見たことないな
なんか残ってるんか? >>82
地獄絵にいっぱいあるだろ
ドラマなら昔はよく時代劇でやってたぞ >>9
今の法曹界は、法律論の話より、ジェンダーや性差別の方が大好きじゃん。 普通は不倫相手と奥さんを二つ重ねにして一刀両断にして良いのだろう。
どちらが上になるのかな、状況とか憎さによって変わるのかな。
だから>1は別々に処刑しただけだろ、奥さんが隠した分
火あぶりに昇格? >>72
江戸は女性も職業持って働いてたから経済的に自立できてたんだよな
ダメ男は三行半突きつけられて追い出されてた
男尊女卑厳しくなったのは薩摩が明治政府を仕切るようになってからだよな >>79
殺すこともあったけど、売ることもあった
すくなくとも大正時代まで、おもに東北の貧しい農家の男児が親によって人買い商人に売られ、
働き手として豊かな地域に連れていかれて普通に売られていた(とくに男手の足りない農民や漁師に買われた)
冷害による飢饉では人肉食さえあった どこの藩か忘れたが
乱暴されそうになって、誤って犯人を殺してしまっても
江戸時代だと下手人になり
死罪になる
正当防衛がないからな >>86
Yes 明治維新後のほうが法律によって遥かに厳しい差が生まれることになった
そもそも藩は一つの国だったからな(江戸時代は州制度のような物)。そりゃ国によって厳しい所もあれば緩い所もあるわな >>1
不倫妻の火あぶりは、殺人をした夫への処罰でもあるんじゃないだろうか
不倫をした男女がわるいとはいえ、そうそう人を殺すのを認めるわけにもいかない
妻を死罪に処すことで間接的に夫を罰し、「理があろうと簡単に殺人をするべきではない」と領民に知らしめたのではないか >>90
いや刺殺の原因が妻にあるから怪しからんということだろ。
つまり事件の起こり、世間を騒がせた罪としての火あぶりでは。
浮気だけなら夫自らの成敗だけで済む。 武士の場合にも「女敵討」は御法度だったから、それと整合性をとるためでもあるか
敵討ちが認められるのは親兄姉や主君など身分が上の者のかたきをとる場合のみ 不倫は駄目だよ
ちゃんと配偶者にぜんざいさん渡して離婚してから交際すれば良いの。
ディックミネは何度も全財産渡して離婚再婚したので元妻達は、ディックミネに感謝しておったわ たかだか2-300年で倫理観変わりすぎじゃね?
ホントに江戸時代は250年以上続いたのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています