――そうやって、石原さんを口説いたんだ。東日本大震災は、二〇一一年三月十一日ですね。

森 その前日三月十日の夜、赤坂プリンスホテルで石原父子と松沢、それにぼくの四人が集まって話し合ったのです。いろいろなやり取りの末、松沢さんは一応納得して「降ります」と言ってくれた。ところが、石原の親父はなかなか「やる」と言わない。伸晃も必死で父親を口説きましたよ。
それで、明け方まで膝詰め談判をして、ようやく「やる」ということになり、夜が明けました。その日の午後ですよ、あの地震は。だから、今でも忘れない。

――それは、すごい話だね。

森 その時、石原さんが「わかった。やりゃ、いいんだろう。その代わり、伸晃のことを頼む」と言うので「わかりました」と答えたんです。二〇一二年の自民党総裁選挙で、わが派(清和会)から会長の町村信孝だけでなく安倍晋三まで出馬したにもかかわらず、「オレはどちらも応援しない」と言って伸晃を支持したのは、そういう理由があったからなんです。

――都知事選出馬の借りを返したわけね。

森 すべて東京オリ ンピック招致のためだったんだ。だから、東京開催が決まった瞬間、その時のことまで全部思い出してね。日本中が「万歳、万歳」と言って喜んだでしょう。安 倍くんは、日本中が一丸となって「万歳」と叫んだのは日露戦争以来だと言っていたけれど、ひとつ間違えれば、この喜びはなかったんだ。

――石原さんが出なければ、東京オリンピックはなかったと。

森 ない。東京は立候補しなかったでしょう。国民はそんなことは知りもせず、喜んでいたけれど、水面下ではそういうことがあったんだと。だから、決まった瞬間、どういう思いでしたかと言われても、ものすごく複雑な思いがありました。

――ただ、石原さんは任期途中で都知事を辞めますね。

森 あれも驚いたんだけれど、ぼくは結果としてよかったと思っています。というのも、もし石原さんが都知事を続けていたら、また中国や韓国に対して高圧的な態度を取って物議をかもしただろうからね。