0001影のたけし軍団 ★
2021/01/23(土) 16:47:47.83ID:QX29LL5Q9新型コロナウイルスの再拡大による緊急事態宣言発令にあわせて、二度目の支給をという声が高まっている。
2020年の緊急事態宣言時と異なり、今回は完全休業している店舗などは少ないから、そこまでの必要はないだろう、
不満があるなら転職できたはずなどという声も上がるが、経済状況とは個人レベルでもそんな単純に解決できるものではない。
ライターの森鷹久氏が、飲食店の時短営業によって窮地に追い込まれている人たちについてレポートする。
一都三県に加え、大阪や愛知などにも拡大した「緊急事態宣言」。
飲食店の営業を「午後8時まで」とするよう自治体からの「要請」もあり、多くの店がそれに従っている。
売り上げが減るという飲食店には、補償金が支払われる、補償金が増額されるといった議論も具体的になされているが、
全く置き去りにされている存在となっている、そこで働く非正規雇用の人たちがいる。
「学校は再開しましたが、バイトは急遽休みに。少しずつシフトに入れるようになり、
多少はお金が稼げると思っていた矢先。正直、勉強にも身が入らないです」
都内の国立大学3年・吉田京香さん(仮名・20才)は四国出身。大学進学のために上京すると、都下のアパートで一人暮らしを始めた。
郊外のため家賃は4万円ほどで、実家の両親が負担してくれている。その代わり、家賃以外の食費、通信費、交際費などは、自身のアルバイトによって賄ってきたという。
「レストランと居酒屋のバイトを掛け持ちして、月に12万円程度の収入がありました。レストランは夕方から夜9時まで。
そこから深夜の3時ごろまで居酒屋で働いていたんです」(吉田さん)
学生の身分で月に12万円の金があれば、それなりに豊かな暮らしができた。
年に一度は貧乏旅行だけど海外旅行にも行けたし、好きな物も自由に買え、憧れの「東京生活」を満喫できていたと話す。
ところが昨年4月以降、バイトがゼロになった。原因はもちろん「コロナ」だ。
「3月にはシフトが半分に減らされ、一度目の緊急事態宣言が出された4月にはレストランも居酒屋も、バイトは一人もシフトに入れてもらえなくなりました。
夏にはレストランが潰れ、私も学校にも行けず地元にも帰れず。アパートで一人、リモート授業を受けるだけの生活になりました」(吉田さん)
収入は途切れたが、十数万円の貯金はある。実家からは「加勢しようか」と言われたが、家賃を払ってもらっている手前、
また、独立心が高かった吉田さんは、貯蓄を切り崩しつつ、そして家に篭りつつ倹約生活を続けて乗り切ったのである。
夏の終わり頃には、居酒屋が通常営業に戻り、少しずつではあるがバイトも再開。
昨年の12月ごろには、コロナ前と同じようにシフトに入ることもできるようになり、通常授業が再開した大学にも通いながら、久々の日常を懐かしんだ。だが……。
「年明けの緊急事態宣言で、居酒屋は夜8時で営業をしなくなった。夕方までは大学があるし、事実上、またバイトがゼロになってしまいました。
お店には補償金も出るんでしょうけど、そこで働いている人、特にバイトで生活しているような学生やフリーターは置いてけぼり。
これが春以降も続くなら、学校に通い続けるのも厳しい。就活もあるのに、どうしようという感じです」(吉田さん)
吉田さんのような「一人暮らし」の学生だけが窮地に追い込まれているわけではない。神奈川県在住の浜田聡子さん(50代・仮名)は、認知症を患った母親(70代)と二人暮らし。
日中は母親の面倒を見て、夜8時に母が就寝して以降、明け方近くまで近所の居酒屋でアルバイトをし、生活費をなんとか捻出するという生活を送っていた。
浜田さん宅の主な収入は、母親の年金が月に10万円強と、浜田さんのアルバイト代が同じく7万円強、合わせておよそ17万円。
あと10年ほど残った家のローンの支払いも月に8万円ほどあり、生活費に回せる金額は1ヶ月あたり9万円程度。
母親用のオムツ代だけでも月に1万5000円かかるというから、生活はギリギリ。そこに、コロナが追い討ちをかけた。
「昨年春の緊急事態宣言で、当時働いていた居酒屋が潰れてしまいました。
店長の計らいで系列の居酒屋になんとか雇っていただきましたが、シフトは以前の半分以下に。
それでも秋以降は持ち直して、月に5万円は貰えるくらい働くことができていたんですが」(浜田さん)
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