東京・中野。東京警察病院敷地内の北西角地の木々で覆われたわずかな空間に「陸軍中野学校趾(し)」碑は人目を避けるように建っていた。この地に、かつて諜報(ちょうほう)、防諜、謀略、そして遊撃戦を専門とする秘密戦士養成の陸軍学校があった。

 白髪の男は手押し車を脇にどかし、身の丈ほどの石碑に手を差し出した。口調を改めるように言った。「参りました」。元陸軍大尉、牟田照雄氏である。この1月で99歳を迎えた。

 日中戦争が始まった翌1938(昭和13)年7月に後方勤務要員養成所として開校した中野学校は、敗戦までのおよそ7年間に、戦争末期に併設された二俣分校(浜松市)を含めて2170人の卒業生を送り出した。牟田氏は44年1月、中野本校に入校し8カ月間教育を受けたのち北海道で終戦を迎えた。

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(その1)https://mainichi.jp/articles/20210207/ddm/001/040/071000c
(その2)https://mainichi.jp/articles/20210207/ddm/010/040/064000c
2021年2月7日