【河北新報】岩手県一関市で「鬼死骸村」の旧バス停が休憩所に 鬼の正体は、坂上田村麻呂が討った蝦夷 [みの★]
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「ここはかつて鬼死骸(おにしがい)村という怖い名前でした」。岩手県一関市真柴地区の住民組織が、明治時代まであった「鬼死骸村」というおどろおどろしい地名を活用した地域おこしに取り組んでいる。
旧鬼死骸村の象徴だった鹿島神社が、パワースポット「岩手の六芒星(ろくぼうせい)」を構成する寺社の一角として昨年夏に一躍注目を浴びた。それを機に、観光誘客の環境整備を図るのが狙いだ。
住民組織は、鹿島神社前の県道260号沿いにある巨岩「鬼石」に昨年10月、歴史を紹介する案内板を設置。9世紀に蝦夷征伐に入った坂上田村麻呂が、討った大武丸(おおたけまる)の死骸を巨岩の下に埋めたのが鬼死骸村の由来と伝える。
12月には、鬼石の数百メートル南側にある築約60年の旧路線バス鬼死骸停留所を模様替えした。看板を新しくしたほか、江戸時代に描かれた鬼死骸村絵図の木製テーブルや記念スタンプなどを配備して、レトロ感漂う休憩所に再生した。
…続きはソースで。
https://kahoku.news/articles/20210207khn000021.html
2021年2月8日 6時00分 勝てば官軍、ただの先住民を鬼扱いして虐殺→侵略→英雄
ってことなんじゃないのかね 鬼の正体は、坂上田村麻呂が討った蝦夷
からだのでかい秋田人はこれ。
日本陸軍の岩手人もこれ。
エゾ。
エゾ征伐。 ここで打たれた鬼の首が飛んでいって落ちた衝撃で温泉が湧いたのが宮城の鬼首 湯殿山麓呪い村みたいだな
阿弖流為には悪いことをした アイヌ問題があのように権利を拡げたんだから蝦夷の末裔が出て来て先住民認定求めてきたとしても不思議ではない
その後隼人、熊襲、サンカの末裔など出てきたりして 話は聞かせてもらった
お前らまとめてデンデラ野送りだ 岩手の六芒星か興味深いな
すべてに磐座があるのだから起源は11世紀後半ごろなどではなく
はるかに古いだろう
>>14
あんな感じで出てくる奴らはニワカ
サンカなどはうまく溶け込んで結構大きな力を持ってそう こんなバス停が残ってたのか
バス停ヲタは居ないのか 東北全部が当時はいわゆる鬼門だからね、人じゃないからぶっころりーの精神 早速パクってるよ
https://scontent-lax3-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/124813813_2746090998939333_3293608582513378671_n.jpg?_nc_cat=101&ccb=2&_nc_sid=8024bb&_nc_ohc=m0-n8_0OeIYAX_LoOJt&_nc_ht=scontent-lax3-1.xx&oh=c1433b28bdd1c577959a755fdd88c14c&oe=604813B5 >>20
征夷大将軍も東北地方の蝦夷征討事業を指揮する官職だった。
昔の名残り。 キリが無い。宮城の鬼首、一迫の鬼越、一関の鬼死骸、江刺の鬼の手形、全部行ってみたけれど鬼絡み地名、文献、民族学は飽き飽き。1番、何かを感じたのは手塚先生の「鬼丸大将」かな。 へぇー
最近で言うなら韓国義勇軍の烈士を虐殺したり、韓女をジープで慰安婦狩りしたところに面白半分でバス停置くようなものかな。 人さいっぺえあづまってさ、
クラスターさ発生すっど…あなだど
暮らすたぁあの村さ
クラスターで住めなくなんべさ…
ほんばにぼー!知らんけど
ちゅうことで吐いた唾は飲まれんのじゃけえのぉ
じゃあの! >地元には岩手、宮城県境エリアに伝説が残る大武丸の存在に注目してもらいたい思いもある。
岩手の六芒星がアラハバキ関連なら飛騨の口碑や東日流外三郡誌とも向き合う必要が出てくる
県や地元の教育委員会にそれだけの覚悟があるのか?
記紀原理主義の呪縛が少しずつ解けつつあるのは確かだが 今で言うテロリストのことを鬼って昔は言ってたんですよ 鬼埋村とかでもええやろにわざわざ死骸ってワード使うハイセンスぶり まともに付けてるからな、とにかくこれは由来が絶対ある >>33
単なる鬼退治では無いことの証だろう
「佐伯」や「鯖江」みたいに朝敵に対する怨恨がこもっている 四号からこの辺に行くためには左折だからうっかり通り過ぎてしまう
一関駅前に向かう時は信号ないし近道なるよな >>32 >>36
このへんのレスが興味深いな
いまだに何かネチネチと続いていることを暗示しているかのようだ 日本史で「○○の役」って外国との戦なのね。
前九年の役、後三年の役って。 367考える名無しさん2021/02/07(日) 11:48:31.350
「巣伏の戦い」が、その実、戦いではなく、水利事業ではないかと疑われる
「状況証拠」は、いくつもある。まず、目につくのが、「1061人もの戦死者」
の内訳である「溺死者1036人」、および「裸で泳ぎ生還した者1257人」
と伝えられる「史実」だろう。続きは、またあとで書き込む。 蝦夷はエビス、えべっさんのことやね
古い渡来人で神さまのひとり 坂上田村麻呂一族は現地で土着化しており、伊達正宗も末裔の田村家から嫁を迎えている >>14
熊襲や隼人は今でも普通に暮らしてるだろ
俺のよっめは隼人の末裔だぞ >>39
朝鮮からの渡来人を征伐した話が元になってるから 隼人は平安時代の朝廷から信頼があつかったからな
武器を帯刀して警護する、最上級の信頼関係 373考える名無しさん2021/02/08(月) 11:48:48.930
>朝廷軍は巣伏の戦いで1061人もの戦死者を出した。
逆方向で考えてみるといい。胆沢の治水ために大規模な労働力を動員して、
胆沢扇状地を農業に適する土地に変え、胆沢城を完成させる事業を実現する
ことができたとして、そのために、「1061人もの戦死者」に相当する
ような人々の命が失われたとしたら、それをそのまま統治者が実行した
ことの「史実の記録」、すなわち、「歴史」として書きとどめて残す
だろうか。どうせ労働力として使われた人々の命など、いくら数多く
失われたところで「ものの数に入らない」、無視すればいいというわけに
はいかない。というのも、多数の人々の命が犠牲になったことは、
事実として覆い隠しようもなく、それが水利事業を進めている最中に
「自然の力」によって失われたとして語り継がれたなら、その事業を
直接に指揮した統治管理者はもとより、その事業によって完成された
場所そのものが「天に呪われている」ということになりかねない。
大勢の人々の命が失われたなら、やはりそれを、人々が受け入れることの
できる形で説明する語りの必要性、すなわち、英語で表現するなら、
"accountability"が生じるのであり、その"accountability"に応えるのが
歴史語りである。 海幸彦の末裔を自称する隼人
平安時代の朝廷は天智天皇系
記紀を作り山幸彦の子孫を自称した天武天皇系
隼人と平安時代の朝廷は利害が一致するな >>47
記紀もウエツフミも飛騨の口碑も偽書
ときの政権の正当化のために編纂されるのだから、当たり前の話 阿弖流為(アテルイ)はそもそも関西人ルーツで自己主張の「我々は」を京への逮捕・連行後
さかんに口走っていたから「ワテ類」に宛てて伝わった。
第一家来の母礼(モレ)はもちろん「俺」チャネラー語では「漏れ」
という俗説もあるが、あながち・・・
ちなみに平将門討伐の俵藤太はそもそも盗賊の首魁だから※盗人から
(たわらを取った) 長野の魏石鬼八面大王の伝説も討伐を依頼したのは地元民 >>53
元々そうでなくても長年のうちにそうなっていくだろうね
戸隠の紅葉は慕われ続けているようだが 阿弖流為、大墓公
タモ公
魏志倭人伝の不弥国にタモという官がある
奈良をやっつけてできた邪馬台国、ヤマト政権
古墳時代、大墓の幕開け 369考える名無しさん2021/02/07(日) 13:58:28.550
胆沢(いさわ)は、なぜ「いさは」と呼ばれるのか、その理由は明白である。
「蝦夷(ゑぞ)」が住んでいたとされることから、「蝦夷(ゑぞ)」=「アイヌ」
と理解して、アイヌ語からこの地域の地名を説明しようとする人々が
少なからずいるが、胆沢(いさは)は地形とその名称が日本語としてそのまま
一致しており、特別な解釈を必要としない。「沃(い)」、すなわち、水が
注ぐこと/それによって運ばれる土砂(ただし、「沃」は、当て字であり、
既に見たとおり、「衣」、「依」などが当てられる場合もある)の「沢(さは)」
である(岩波古語辞典では、「沢(さは)」について、「谷の口に近い、
山かげの地をいったらしい」と説明している)。
http://www.thr.mlit.go.jp/sasala/vol_7/vol7_2f.htm
>日本最大級の扇状地として全国的にも知られている「胆沢扇状地」。
急峻な山あいから土砂を運んできた川が平野部で一気に開けると、
そこに土砂などが扇状に堆積します。< 【ほとんど痴女】バスタオル姿でダンボールの中身をぶち撒けたまんさん、ドエロい事になってて草wwwwwww(画像あり)
http://tdsyi.centuriontelcom.org/imZp/248931277.html 東北の伝承
龍の黒神と鹿使いの赤神のアマテルを巡る戦い
アマテルを手に入れた赤神は岩隠れし、黒神は北に追いやられた
龍は大陸、渡来人のシンボル
追いやられたのは龍をトーテムとする古い渡来人だよ
鹿、縄文系が勝ったんだよ >>7
昔から農家なんかには身体の大きな人が出る事あったんだけど
身体の大きさは遺伝だけで決まる物じゃ無いんだわ
遺伝が身長に影響を与える割合は25%程度らしいし
残りの75%は遺伝以外の物、環境とかだわな >>47
いまだにネット上でも“派生本”から得た知識で
「戦国時代の十三湊の人口は10万人だった」
とか言う馬鹿がたまに居て辟易するわ
人間は(真実ではなく)信じたいと思うものを
信じる生き物とは言えいい加減にして欲しいね ねぶたの「坂上田村麻呂賞」は自虐的だと廃止になった 逆に鬼滅を付け加えると安っぽくなる。そのままでアピールしろ。 >>66
>人間は(真実ではなく)信じたいと思うものを信じる生き物
これは今の歴史学者どもにこそ相応しい格言だなw
記紀をいまだに金科玉条のごとく崇め奉っているのだから
古代に関して日本に歴史学は存在せず自称歴史学者どもの宗教だけが幅を利かせている
考古学者らは少しマシになってきたようだが >>69
記紀はむしろ戦後過剰に軽視されてだんだん再評価されてきてるんじゃないの >>37
九州の佐伯と、福井の鯖江出身の知り合いが居るんだが…
コレらの地名には意味が有るの? 隼人が来たり戊辰戦争では薩摩が来て暴れたり九州人おっかねえな! 今はバスすら通ってない旧バス停に行くのは、大変そうだ…(;´・ω・) >>71
ポリコレだのネトウヨの頭おかしい奴でしょ >>1
東北地方から見たら蝦夷住みのアイヌとかは異人(鬼)なんだな >>60
それはもっと昔の話だろうな
龍は大陸だろうが鹿はユダヤ系じゃね? >>71
戦後は津田左右吉なんかがもてはやされて坂本太郎なんか批判されてたじゃん
唯物史観全盛だったし 鳴子温泉の近くに鬼首っていうところがあるんだが、その由来を調べた時に大武丸の話を知った
首を討ったら体が残った方が岩手の鬼死骸村、討った首が遥か彼方に飛んでいって、落ちたところが宮城の鬼首村になったって >>1
. . . . . . ___
. . . . / . . . \
. . . / ─ . . ─ \ 蝦夷? ああこれは人種差別発言
. . / . (●) .(●) .\ダメだ
. | . . . (__人__) . . |
. ゙ 、 . . . .`⌒´ . . / オリンピックは中止だ >>72
書きにくいからネットで調べてみ
佐伯市はさ「い」きしと読むようだがね
読み方変えるとかじゃなくて鬼死骸村のように「中央視点の歴史観で鬼と扱われてきた大武丸も、
地元からすれば蝦夷の勇者なんだと伝えたい」みたいな心意気を示してほしい
きわめて古い歴史の証なんだから もしかすると、古代の日本版シベリア抑留だったりしてなw
シベリアは、最低限のインフラが整う前までは、普通の賃金払っても
重労働をしてくれる人間はみつからないから、建設作業のために
どのようにか労働力を確保する必要があった >>91
それは、なんらおかしな話ではないと思うが。
古代は貨幣も流通してないから、
労働力の徴用が一種の税になっていたわけだし。 磐梯山(ばんだいさん)の古名は、磐椅山(いわはしやま)ということになってる
けど、「椅」は「椅子(いす)」の「い」なんだから、「磐椅山(いわいやま)」
じゃないのか。だとすると、「磐梯」も、「いわはし」じゃなくて、
もしかすると、「いわて」だったりしてなw 蝦夷って、えみし、エゾ、エビスなんじゃ?
東北地方から北海道までじゃん >>96 >>95
>・・・・・・磐椅山(いわいやま)
>・・・「磐梯」も・・・「いわて」・・・・
磐椅山(いわいやま)?磐梯(いわて(い))?
ハングル表記は得意でも湯桶読み忌避規則を知らぬのか?
そもそも磐梯山の古名とスレ趣旨「鬼死骸村」とに如何なる
関連があるのか? >>37
>「鯖江」みたいに朝敵に対する怨恨がこもって・・・・
文意理解不可。「鯖江」が朝敵に対する誰の怨恨表現だと
言われるのか?
地名「鯖江」が荒ぶる神への枕詞「五月蠅なす」由来と
言われる根拠は何なのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています