こういうのを見るとさ、明治維新の大日本帝国が
まず国語の統一を考えたの、わかるよな。
そして統一的な学校教育とかさ
まさに「国造り」だったんだよね。

だいたい明治時代といえば軍隊なわけだけど
例えば青森の弘前の師団と九州の熊本の師団が
お互い何言ってるかわからないじゃ困るわけでねwww
これは軍隊が典型だけど近代国家って人の動きも盛んになるし
言葉が通じないと動けないわけですよ統一国家としては。
そういうわけで日本近代教育以降は方言( ゚Д゚) ボクメーツ教育を
えらく熱心に行うわけですね。
孔子が論語で喝破したことじゃないけど
「必ずや名を正さんか」というわけでw

さて、そういう標準語教育が一周して、まあ全国津々浦々で
方言のバイリンガルはいるけれども標準日本語が世を覆うようになると
各地の民俗文化たる方言が肯定的に話題になり寧ろ話者が尊敬される。
これはね、とてもいいことだと思うよ。魅力的だもんね。

それにさ、一説には薩摩弁が幕府からの公儀隠密を警戒しての
人造語だみたいな俗説とかあったもんだけど、あれでしょ。
方言話者同士でコードトーカーできるわけでw これもいいよなwww