14日は、バレンタインデー。女性が男性にチョコレートを贈る日として定着してきたが、自分で消費して満足する「恵方巻き」と異なり、他人を巻き込むバレンタインデーの風習を苦手にする人も。そもそも、いつ頃から"伝統"として定着したのだろうか。岐阜新聞の昔の紙面で変化を探ると、徐々にバレンタインデーの定義が固定化。チョコレート商戦として加熱していく昭和の歴史が垣間見えた。

◆60年代 大手製菓がチョコPR/80年代 社会現象化に「異議」も

 バレンタインデーは、日本では女性が男性にチョコを贈るという独自のスタイルで広まった。1960年代頃に定着し始めたというので、55年以降の毎年2月13、14日付の岐阜新聞(59年まで岐阜タイムス、87年まで岐阜日日新聞)をめくると、当初は新聞広告に見られるだけだった。

 初出はおそらく、岐阜市にあった丸物百貨店の58年の広告。2月のこの時期はひな人形と新入生向け学用品の案内が中心だったが、58年から「今日(14日)はバレンタインデー(恋人の日)」の文言が加わる。60年代になると、より大きくバレンタイン・セールを強調。ただ、この頃は紳士、婦人用品ともに列記。女性やチョコに限定されていなかった。もちろん、チョコの広告もある。64年、森永製菓が「恒例 森永バレンタインギフト」と銘打ってハイクラウンチョコレートをPR。女性限定の懸賞企画も実施した。

 変化が見られたのは、翌65年。洋品店や化粧品店などの広告は紳士用品だけがピックアップされ、「女性から男性への愛を告白したり、公然と贈りもののできる日」と断言。70年代に入ると、チョコの広告が目立つようになった。

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https://www.gifu-np.co.jp/news/20210213/20210213-44725.html
2021年2月13日 11時55分