新型コロナウイルスに対するワクチンの接種が始まる。
専門家が恐れているのは、誤った情報に基づく誤解や副反応への恐れから接種を避ける人が増えることだ。

米国立研究機関のウイルス研究者で「新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実」を出版した峰宗太郎氏(39)は
「一般人から科学者までが不確実・不正確な情報を流している」と警告する。

海外取材のため、これまでも多くのワクチンを打ってきた記者が峰氏にさまざまな疑問をぶつけた。

「本に大規模な人体実験って書いてありますが……」。恐る恐る峰氏の新著の内容に触れると、峰氏は苦笑した。

「無理やり実験台にされるわけじゃありません。新技術といっても20年以上、基礎研究は行われていたものです。
やってみなければ分からない部分はもちろんあります。しかし、コロナの時代に一歩前に進むために必要な『社会的実験』なんです」

峰氏は感染拡大防止を「人間の自律性と道徳性」だけに頼って達成するのは無理と考えている。

「これだけ自粛を呼びかけても感染拡大するのは、人同士が接触しているからです。
感染防止策と同時に科学の力、つまり、ワクチンの普及で立ち向かうしかないのです」

世界ではこれまで1億人近くが接種を受けたが、大きな問題は起きていないと峰氏は言う。

調査中のケースが1件だけある。米国の医師が接種後、急性免疫性血小板減少症(ITP)を発症し、脳出血で死亡した。
ITPはインフルエンザや風疹のワクチンでも非常にまれな確率で起こりうる副反応だ。
新型コロナワクチンとの因果関係は不明で、FDA(米食品医薬品局)が調査しているのだという。

米国で接種されているのはmRNA方式のワクチンだ。

「mRNAワクチンで未知の副反応が起こる可能性は非常に低いと思います。
RNAは不安定でもろい物質で、人体にそれを分解する酵素もある。動物実験でも体内に打ち込んだmRNAは最長10日くらいで消えてしまいます」
一方、ベクターワクチンは、運び屋として使う風邪ウイルスの一種、アデノウイルスに対する免疫反応が起きる可能性はあるという。

重いアレルギー反応であるアナフィラキシーの危険性はどうか。

「アナフィラキシーが起きる頻度はファイザーワクチンで100万人につき5・0人、モデルナワクチンで2・8人です。
一方、ハチに2回刺されれば100万人中30万人がアナフィラキシーを起こします。だから『たったの』5人、『わずか』2・8人と報道すべきではないでしょうか」

峰氏が懸念するのは、ワクチン接種後の「有害事象」にメディアが過剰反応し、その結果、接種をためらう人が増えることだ。
有害事象とはあらゆる望ましくない事象を指す用語で、因果関係が証明されていないケースも含まれる。

「ワクチンの利益は目に見えにくいのです。接種で感染症から守られた人が100万人いて、つらい思いをした人が1人いたとします。
メディアがその1人のケースで大騒ぎしてしまうと、日本にはワクチンに不信感を持っている国民が多いので、多くの人が簡単にワクチン忌避になだれ込んでしまう可能性があります」

ワクチン忌避は子宮頸(けい)がんの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)のワクチンでも起きた。

接種後の体調不良に関する報道が多くなされ、厚生労働省は2013年にHPVワクチンの積極的勧奨を中止。その結果、接種率は1%未満に落ち込んでしまった。
このまま政策を変えないと約1万800人の死亡につながる、と海外の医学論文でも警告されている。

ワクチン接種率が下がれば、その社会には集団免疫ができず、感染拡大を止めることができなくなる。
反ワクチン運動はSNSなどで世界中に拡大し、麻疹(はしか)の大流行が各地で起きるようになった。
世界保健機関(WHO)は19年の世界の健康に対する10の脅威のなかにワクチン忌避を盛り込んでいる。

ワクチンを打つ・打たないは自由だという人たちについて、峰氏はこう指摘する。

「反ワクチン派は社会のフリーライダー(ただ乗りする人々)です。社会から恩恵をうけるためには、その構成員は支え合わなくてはいけません。
自分はワクチンを打ちたくないけど感染症は流行させるな、と言うのは幼稚な考えともいえます」

みね・そうたろう
1981年、京都府生まれ。医師(病理専門医)、薬剤師、医学博士。国立国際医療研究センター病院、国立感染症研究所などを経て現職。米国メリーランド州在住。
https://mainichi.jp/articles/20210213/k00/00m/040/122000c