光秀を英雄と持ち上げるのは最近始まった事ではなくて
江戸時代にはすでに行われていた
絵本太功記という文楽の人気演目では太閤記がモチーフなのに主人公は明智光秀になっている
名前は武智光秀とか真柴久吉とかに変えられてるけど。
これも全て織田信長の比叡山焼き討ちなどの仕打ちが広まって悪逆非道の暴君というイメージが定着したため。
江戸時代の日本人は今よりずっと信心深くて信長を嫌っていた