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ルイス・フロイスの「日本耶蘇会年報」
討たれた光秀の首と、他の1000ほどの首が本能寺に並べられた
夏場のことなので、その臭気ははなはだしく、イエズス会士たちは会堂にいられないほどだった

「言経卿記」
6月13日、勝竜寺城を脱した明智光秀は、山科、醍醐あたりで郷人に討たれ、首を取られた。
その首と胴体は、本能寺に運ばれ、他の首(1000、あるいは3000)とともに並べられた。
首と胴体は接合され、斎藤利三の遺骸とともに、粟田口で磔にされた。