【歴史】「徳川家康は辛抱強い性格だった」は後世の創作の可能性 [ボラえもん★]
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先日、映画『ブレイブ ―群青戦記―』のヒット祈願イベントが行われ、出演する渡邊圭祐さんが自身の性格をじっくり待つ徳川家康タイプと分析していた。
実際に、家康は辛抱強い性格だったのか、考えることにしよう。
■天下人の性格
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康については、その性格を言い表した有名な狂句がある。次に示しておこう。
織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」
信長は気性が激しく短気なので、鳴かないホトトギスを殺せと命じた。秀吉は知恵者なので、鳴かないホトトギスを鳴かせようと工夫した。
家康は若い頃からの苦労人で辛抱強かったので、鳴かないホトトギスを鳴くまで待ったのである。それぞれの性格をあらわしていて興味深い。
この3つの狂句は、第9代平戸藩主・松浦静山の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』に書かれたものである。
『甲子夜話』は文政4年(1821)から書かれ、静山が亡くなる天保12年(1841)に完成した。正編100巻、続編100巻、第3編78巻に及ぶ浩瀚な著作である。
この3句は「詠み人知らず」となっており、いつ誰が詠んだのかは不明である。
3人の天下人の性格が実際にこの狂句のとおりなのか不明であるが、江戸時代末期にはすでに定着していた可能性がある。
では、なぜ家康は辛抱強い性格になってしまったのだろうか。もう少し考えてみよう。
■苦労人だった家康
天文11年(1542)、徳川家康は松平広忠の嫡男として誕生した。
松平氏は三河を領していたが、その威勢は弱体化しており、駿河今川氏に従属していた。幼かった家康は、今川氏の人質になっていたほどだ。
永禄3年(1560)に今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、家康は信長の配下に加わった。
天正10年(1582)に信長が本能寺の変で横死すると、家康は羽柴(豊臣)秀吉に従った。
慶長3年(1598)に秀吉が病没し、その2年後の関ヶ原合戦で家康は西軍に勝利したが、
家康の完全な天下取りは慶長20年(1615)の大坂夏の陣における豊臣氏の滅亡を待たねばならなかった。
つまり、家康は信長と秀吉という2人の天下人に仕え、なかなかチャンスに恵まれず、辛抱強く待たねばならなかったということになろう。
その事実が先の狂句に反映されたようだ。
また、江戸時代には「織田が搗き 羽柴が捏ねし天下餅 座りしままに食うは徳川」なる狂歌も広まった。
これは家康が辛抱強いというよりも、棚からぼた餅で天下を取ったことを揶揄したものである。
■有名な家康の遺訓
ほかにも、家康が辛抱強いとされた根拠としては、以下に示す家康の有名な遺訓がある。
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過たるよりまされり。
しかし、この家康の遺訓とされるものは、後世の偽作であると指摘されている。
明治になって、幕臣の池田松之介が『人のいましめ』(伝徳川光圀作)をもとにして、創作したものにすぎない。家康の花押まで似せていたのだから、手の込んだ偽造である。
この偽作を「幕末の三舟」の1人である高橋泥舟(ほかは勝海舟、山岡鉄舟)らが日光東照宮(栃木県日光市)をはじめ、各地の東照宮に奉納した。
これにより爆発的に世間に広まったのだ。
つまり、家康が辛抱強かったというのは、江戸時代に広まった伝承や偽作のようなものが根拠にすぎず、実際はどうだったのかよくわからないのである。
家康が辛抱強い性格だったというのは、今後の検討を要しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210216-00222815/ 子供などの未成年者は規則正しい生活によって新陳代謝が著しいうえ、重症化の最大要因のひとつと言われる飲酒をしないため、新型コロナに感染しても無症状のまま新たなる自然抗体が生成され、獲得免疫によりワクチンなどを接種しなくとも重症化する事がほとんど無い。
ただし、無症状とは言え罹患初期の未成年者では他人への感染力は重症者と同等であるため、誰が感染者なのかが全く見えない新型コロナウイルスは、非常に厄介となっている。
との事でした。 元々は血気はやるタイプだったのが、徐々に辛抱強さと権謀術数を身に付けたって感じじゃなかったっけ 我慢しすぎたから漏らしたんやろ
普通開戦前に済ますよね でも結果論として辛抱強かったわけで
踏んできた場数から考えて
直情型だったら若い頃にとっくに死んでる 天ぷらが好きすぎて死んだようなもんだから辛抱強いはないだろ(´・ω・`) まあ結果論だもんなぁ
秀次事件が起こらなければ生きてるうちに天下取りはまず不可能だったし、秀吉に臣従した時点では豊臣政権のNo.2で満足してたんじゃねーの? するしかない辛抱は辛抱と呼べないのだよ
私からは以上だ 後世のイメージだと辛抱強い狸親父だけど、同時代の評価は戦上手(野戦限定)な律義者だったかもしれん。 そもそも家康なる人物は存在しなかった
徳川はユダヤによる支配の歴史 辛抱強かったら信玄の挑発の乗って野戦なんかしてないわなw 単純な話
信長、秀吉よりも家康が若かっただけのこと 別に家康が待った訳じゃないやろ
信長が生きてたり秀吉に立派な息子がいたら
それはそれで別の結果になってたわ >鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス
これ考えた奴は信長のことを全く理解していないと思う 籠城スルーされたのに切れて信玄に特攻かますんだから辛抱強いわけない そのへんのことさえもよくわかってねえのに
邪馬台国とかどうなんよ?
あんなもん、たとえば江戸川区在住のゴマキみてえな女がさあ?
ヒャッハーの入れ墨集団を率いて江戸川とか中川の河川敷で
高床式の倉庫兼住宅で200人ぐらいのダンシング・クイーンを
キメてて、弟の王は電線盗むあらくれだったのが、いつしか話が
膨らんで伝わって、さらに魏志倭人伝を書いたヲタクが女王様
ハアハア!つって話を脳内で盛り上げて盛りまくったんじゃねえのかと 家康どの……
最近英会話を勉強しているそうですね〜
いぇゃ〜す! 女性遍歴が完全にキチガイ
愛知県民は異常性欲が多い 明智光秀は辛抱できずに、本能寺の変をやっちゃったからね。 短気を起こしたせいで自分が敗北した時の無様な姿を絵に描かせて生涯の戒めにしたんだから、少なくとも辛抱強くあろうとしていたのは事実だろ。 鳥ってうんこ落としてスピードアップするじゃん?
家康も信玄に追われてる時に思ったわけ、うんこしたらその分早く移動できんじゃね?ついでにうんこみて追っ手がうわ、うんこ落ちてる、踏まないようにしようと思うから追撃が弱まるんじゃね?ってね 正妻を軟禁した後惨殺するヤツだし
今で言えばDV野郎
戦国時代とはいえ、正妻を殺害するヤツは少ない
今川義元、織田信長、豊臣秀吉と常に当時最強勢力に服属して
死ぬと裏切りを繰り返す恩知らず
家臣達も、家康の祖父を殺害しておきなら、忠義に厚い三河武士とか
平気で言ってしまう厚顔無恥さ 人は記憶型と思考型に大別できる
今川義元の死 裏切って独立
織田信長の死、裏切って織田領を掠め取る
豊臣秀吉の死、裏切って天下を掠め取る 三人とも新しいものに関心を向けていた
富や価値を気にしていた >>24
意外と信長って寛大なんだよな。あの悪人?の松永秀久が裏切っても一度は許そうとしてたくらい。
ただ敵にまわったら容赦ないだけで。 そりゃそうよ みんな後世の小説かもしれんのに 見て来たように語る人がいて笑う 【韓国】慰安婦問題、ICJに付託を 李容洙さんら日韓に訴え[02/16] 秀吉に臣従した時点で天下取りは実質諦めてるだろ
秀吉が耄碌して秀次粛清とかいうマジ基地ムーブ起こさなければ自分が生きてる間はノーチャンスだったんだし
長生きできる保証だってあったわけじゃないしな 辛抱強いかどうかは関係なく無性にwikipediaの小牧・長久手の戦いを読みたくなった 質素な生活だったらしいよ
女中が「上様そろそろ下帯の洗濯をしましょう」と言ったら
「いやわしはこのままでかまわん」と言ったそうな
汚れても目立たないように色付きのふんどしをしていた 性格も年齢によって変わるもの
中年になるとネットウヨが増えるのと同じ 信じる宗教>代々使えたきた家の主君
ってされた経緯から猜疑心とか性格がねじ曲がった
薩摩の主従関係とは大違い 辛抱強いかどうか分からないってそりゃそうだけど
変なこと言い出すね >>24
3つ並べて比較すること自体が言葉遊び。強引にそれっぽく持って行っているだけ。 野戦最強だしな
うんこもらしてさらに強くなった
スピードが格段に上だわ 辛抱にみえる長い雌伏も
健康マニアが幸いしての長寿のおかげなんだよな
東西とわず権力者は寿命が長いというだけで価値なんだわ >>44
あんまり関係ないよ
領地はもうボロボロ状態だったし
大地震が起きて、秀吉が戦を続行しないと決めたのが大きいだけだから
家康の幸運は異常。それくらいないと天下なぞ取れないのかもしれないけど PS版将星録だと辛抱してくれないから織田家すぐ無くなる >>13
ツッコミを待ってるアオリなんだから突っ込むなよ
さてはあなたは辛抱強くないですね 豊臣をきっちり滅ぼしてから死んでるし
寿命を活かしきったのは間違いないやろな >>48
冬でも足袋を履かなかったり
破れた足袋を繕って履いてたりしてたんだっけ 5億円の切手横領犯が、全額返金したんだって?y(^。 ^)。o0○
http://edokriko.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8573513 織田豊臣と同じ時代に生き最後に天下を取ったのだから辛抱強いと言えるんじゃないの 単純に日本史にマイナスなイメージ付けたいだけだろうよ
結果的に徳川が天下統一して長いこと政治の中心に居たのは覆らないし、その創始者を貶めようとしたところで無駄だよな 加藤清正や浅野幸長が死ぬのを辛抱強く待ってから、秀頼を滅ぼした。合っているのはこの点だけだな。 >>37
秀吉だって信長が死んだら織田家を乗っ取っただろ。皆一緒だよ。 若い頃は苦労知らずのボンボン
三方ヶ原あたりから変わっていって結果、海千山千の年寄りになったって感じかな 徳川家康は霊能力があったと 昔きいたことがある
あるいは 霊能力者をスカウトして側近にしてたのかもしれないが 「オレもうダメだ、ここで死ぬ!」
って言って、家臣に止められたことが何度かあるだろ。 >>2
あれは追いかけてきたばあさんの迫力がすごかったんだ >>73
あれって今の価値観では言いがかりにおもえるけど、当時の価値観ではそうでもなかったらしい。 >>75
晩年は服属してるよ
静岡程度の小大名が偉そうに出来る規模じゃなくなってる 仮に有名どころ3人で一番辛抱強いのはだれかって言ったら信長かもしれないな
弱小から天下統一直前まで行くのは辛抱強くないと無理だろ >>1
安倍晋三「鳴かぬなら 鳴いた事にしてしまえ ホトトギス」 家康公遺訓は偽物かもしれないが、本物より本物らしい
家康公の魂がそのまま乗り移っている うんこうんこ言ってる奴がいるけど、うんこ漏らしたとか初耳だわ >>12
コレな。秀次の助命には当時徳川も前田も必死に動いてるしこの時点では天下狙ってなかったはず。 >>93
逆に辛抱強くないのは当時の坊主か
信長の悪評はデマだろう 秀吉の子孫がどうなったか知らんの? マジキチ殺処分だぞ 戦闘90 政治95 魅力88
だいたいこんな感じかな🤨 >>1
我慢強かったってのは状況であってw
性格は短期で有名
というか、松平家自体、ものすごい血気盛んなDNA >>1
強い相手には辛抱強かったというだけのヘタレ君だよ 人間は成長するに伴い性格も少しづつ変化する。血気盛んな青年時代はともかく、晩年の家康公は辛抱強いというか、深謀遠慮なのは間違いない。 >>98
あれ味噌だったらしい、家来がズボンに付着した味噌をウンコだと誤解したから、これは味噌だよって教えてあげたらしい 家康は短気者で癇癪持ちだったよ。松平家はみんなそう。父も祖父も。だから家康は
自分の欠点を直し、戒めるために「しかみ像」を残したし、「泣くまで待とう」とか
辛抱、我慢が大事だって訓戒を残したんだ。タヌキとか脱糞オヤジとか言ってる奴は
家康の価値がわからない、人を見る目がないロクデナシだよ。司馬遼太郎とかね。 >>98
大人になってからウンコ漏らした事あるかアンケート取ると70%の人が経験アリなんだと ホトトギスの句って本人が歌ったものじゃなくて周りの評価的に歌われたものでしょ
辛抱ウンヌンというかいきり立って殿中で御座る!忠臣蔵やらかしてもそりゃダメなんだし
後世のこじつけイメージでしょ 次の大河じゃ、糞漏らしたり、ババアにおいかけられろよ >>98
大河ドラマでも描かれる余りにも有名なエピソード。 >>2
うんこ漏らすまで辛抱するってかなり辛抱強いぞ >>111
大名行列させといてそれはない
小狡いジジイでFA 人質時代
織田家に仕える
秀吉に仕える
時期が来るまで秀頼を放置してた
辛抱強いが 辛抱強いってのもあるだろうけど
秀吉をそれだけ恐れてたとも言い換えられるかもな
没後に仕掛けたのは大正解でしょ >>37
忠孝重視は大陸の価値観で
下克上こそ日本の本道だからな。 「信長の命令で泣く泣く信康に切腹を命じた」というのは
最近の研究では否定されているらしいね >>122
ボロボロにされて殺されるー!に、に、逃げろー!で脱糞してんだから我慢してないぞw 今は明智光秀が頂点だからな
信長は今で言うならネトウヨ
秀吉は今で言うならパヨク
家康は今で言うならネットアルバイト
本当の意味で江戸幕府を開いたのは明智光秀 三方ヶ原は信長に後々ケチつけられたら叶わんから
仕方なく出戦した説があるけどな 辛抱強くせざるを得ない状況が長く続いたってだけで
本人の本質が我慢強いってわけではなかったろうな
状況を性格と一致させる方がおかしいのですよ まあ家臣をむやみやたらに粛清はしないかな
やられたの孕石と大久保くらいしか知らん 辛抱の人ってむしろ信長だよな
桶狭間で勝ったあともすぐに動かずに
美濃平定までじっくり10年近く費やしてるし
地力がついてないのに行動しても無駄だとちゃんとわかってたんだな 漢方の知識豊富で自分で完璧に調合してた話もウソかな。頭脳派で健康志向アピールの作り話としては最高だもんな。
漢方調合を自分でやってた武将もいたから、刀傷の多かった当時としては普通だったのかもね。後世の作り話ってのが本当にタチ悪いわ >>127
そりゃ若手が前田をdisったりしないからだよ。キレる必要ないから。んで前田と高田どっちが強いの、つか強かった? 武田信玄に釣り出されて酷い目にあったろ
一事が万事
それが家康よ 小牧長久手で秀吉が勝ってればなぁ
江戸に追いやらんで関東と尾張から挟み内にすれば良かったのに 三方ヶ原時点では浜松城の城門を開放しても放っておかれたくらい
信玄には捨てて置いていいレベルの雑魚だったんだろうな
まあ実際ひと捻りで壊滅させられたわけだしクソも漏らすわ >>133
どっちにも取れる。実際岡崎落とされたら浜松が生き延びようと面目丸潰れ。家臣の求心力壊滅
まぁ思慮があれば信長包囲網のピンチが山を越えれば挟撃出来るまで考える余裕なかったとも言えるし 情報の伝達は遅く群雄割拠の時代
腹の読み合いして勝ち切ったんだから根気強さも当然あるだろうとは思う >>108
全然違う。
家康は地方の小領主だけど
日本はアメリカ征服するぐらい巨大経済大国で
戦争嫌悪で軍事やらせてるだけ。安保も通告すりゃ一年で廃止になる同盟 >>140
狡猾で頭が切れるんだろう
悪評は回りのやっかみや指摘されたくない寺や坊主の仕業だと思う >>10
何回も死のうとして周りが止めた話はあったような >実際はどうだったのかよくわからないのである
律儀に信長の援軍要請を履行してたし、そういう性格だったのは伺えるよね
武田家とは争い続けていたが、織田家とは仲良くやってたのは信長と性格が似てなくて対照的だったからとも思う センゴクの家康がしっくりくるな
センゴクの家康も最初はキレやすい激情家やけど色々と経験して性格を修正して我慢強く(見えるように)なった。 >>93
弱小?
親の代で大国尾張の半分くらい抑えてるんだが 家康は健康と教養こそが
秀吉に勝てる唯一の方法だと薬学と学問を身に着け自重した あの秀吉から謀反を疑われずに200万石維持しただけでも超がつく辛抱強さだろ >>138
なんでもお金で解決してたのは豊臣秀長と千利休な。 歴史の結果から本人の人格を逆算しようとするのは現代人のというか
小説家の悪いクセだな
戦国時代の人間なんて現代倫理で判断したら全員気狂いやぞ 当時の勢力図の変遷見ても信長があそこまで行けるのってマジで凄いとは思う
毛利もどんどんデカくなっていくけど
尼子とか大内とかってさ? >>75
血縁づけや従属なんかの既成事実が積みあがった結果
戦国大名のいわゆる家臣として組み込まれていくもんなんで
武田へ独断で反撃もゆるされず戦後も信長の許可のもと領地を与えられ
お礼言上へ伺ったあたりほとんど君臣関係と了解されてたと思われる >>153
単純に信長を信頼してたってのはあると思うけどね
姉川や金ヶ崎までなかなか来んわな >>11
元々食欲不振だったので、家臣が珍しい調理法の鯛の天ぷら(当初は衣が付いていない素揚げ)なら食べられるかもと勧め、食べた後さらに体調が悪化し、3ヶ月後に亡くなっているので死因は天ぷらではない。
既に末期の胃癌だったと推測されている 領地替えの時は明智光秀の教訓があったからな
信玄も信長も秀吉も光秀も全部教訓となった >>162
下克上をやった陶晴賢を討伐したから結果的に忠臣っぽくなったんだろ
そこは秀吉に似てるな まあ信長や秀吉より優秀なのは分かる
ただそれを指揮していたのは明智光秀こと天海
その明智光秀こと天海を指揮していたのは駒
駒が最強だった 自分より強い相手には従うという辛抱強さがあったから最後まで生き残れたんだろう
そいつが弱くなったら裏切る抜け目なさもある >>82
ウンコリアンパヨクはいまだにどこでもアベガー(笑) >>75
信長の家臣にならず一国の主を貫いたから天下をとれたとも言える。
今でも大企業の下請け(家臣)にならず一国の主を貫けば大成功する可能性があるとも言える(笑) >>115
司馬作品でも短気エピソードを書いてるだろ 辛抱強いかどうかで生きてると思うか?w
結果として辛抱強くなるときと、そうじゃない時があるだけ
「短気はアホですよ」w 辛抱強いのもアホですよ 我慢愛開花 >>159
北条領の領民が懐かないから中央にはチョッカイを出せないと思ったのだろう、実際領民が懐かなかったらしいし。 信長は47歳で殺されてるから、47歳までの人物評価しかない
秀吉は61歳、家康は73歳まで生きてるから、天下人になった晩年に注目されてる >>5
酒ダメなんか
じゃもうコロナで死んでもいーやw
禁酒とかあほくさ >>162
近畿と中国ではちょっと比べもんにならんわね
秀吉の方面軍に押されたくらいのレベル >>172
夏くらいに最終回後のスペシャルやればいいのにな 後半生はそんな辛抱とかの感でもないな。
晩年は側近に小言が多かったらしいが、晩年の秀吉の様に傲慢、失政はなかったので名君だろう。 信長は譜代の家臣には割と寛大
家康や光秀は有能でも家臣団では外様 用心深いよね。見切り発車で寝返らないw 今川、織田、豊臣下にいた全てでそう
かなりの確率で上手く行くと確信するまで牙を剥かない。一番の冒険が小牧長久手かなw 日本史研究の進歩で
司馬史観の毒がじょじょに引きつつあるのは素晴らしいと思う 海も山もその道もよく調べるにしても情報が揃わないだろうにすげーな 長生きが得をすると知っていた健康爺さん
オレもそこは見習いたい 比較対象が頭おかしくなった秀吉だからそう見えるんじゃないか? >>191
あの馬鹿を担ぐって時点でギャンプルでしかないけど耐えきったからな >>189
天下統一って厳密には近畿地方を
支配下に治めるって意味だったと思う
信長の野望では「天下統一」という語を使ってないし >>189
当時の天下範囲は京都周辺畿内程度で
信長の野望第1作もそう >>183
ですね。どうする家康に長谷川さん出る可能性もあるかな?
あの後、山崎から天海になった説でやって欲しいなあ。NHKさんよろしく。 >>24
まあ、殺してしまえは全ての武将に言えるころだからな ここにカップラーメンがある
お湯を入れて3分待つのは「辛抱強いからじゃないですよw」
でもアホは3分待たないで食い始めますw
もちろん別の見方もできる
3分待つのは時間の浪費、胃に入れば同じだろwとかね 家康は生まれながらにして運がよかっただけ。
ほとんど運だけで天下とったようなもんだし。 >>1
信長→安倍
光秀→石破
秀吉→菅
家康→??? >>115
しかみ像って、三方ヶ原の敗戦後の様子ってのは怪しいらしいな 辛抱強いというか普通に頭良かっただけでしょ
というか秀吉、秀頼がまともだったなら天下を狙うことすらなかった可能性すらある 今よりはるかに装備設備が無くキツイであろう東北北陸という雪のある地方って
本当どうやって戦準備とかしてたんだろう 信長が順当に生き残ってたら
どんな政治体制になってたかはすごい興味がある
日本がキリスト教国になってたり、東南アジアに海外県ができてたりしただろうな 徳川政権は、公平感覚が素晴らしい
適度な身内びいき、過剰に身内をひいきしない >>197
信長が死んだときはさすがに猿じゃなくて俺だろ、ってのがあったんだろうなw 信雄担げば
バカだから傀儡にしやすいし大義名分も慎重に計算したんだろうな。 >>198
ナカーマ
全国版を信長でスタートすると全然勝てないんだけど
当時はどうやって桶狭間イベント起こしたんだろ
だから三国志しか勝てなかった >>156
尾張半国を支配したんじゃなくて勢力を広げただけだから脆いよ 家康は瞬間的にはキレやすいけど
あとであの時は怒ってごめんねって謝るタイプだから 信長の桶狭間の戦での勝利
実は、今川軍の先鋒松平(家康)が
事前に信長と内通していた
と思うのだが、どう? >>189
足利義昭の将軍職を解いた時点で、実質の天下人だからね ガイジンから地球儀見せられたら
恥ずかしくて日本支配した程度で天下統一したとか言えないわな 徳川家の子孫とされる人は温厚そうな人が多い印象
秀吉は木下だからユッキーナ、織田はスケートの人のイメージ
やっぱり徳川だな(笑) 信長、秀吉、家康の世代は上の信玄、謙信、氏康世代よか戦が弱い
まあでも、更にひとつ上の織田信秀、武田信虎、長尾為景、毛利元就の世代は
単純な戦いに関してもっと強かったし下克上の戦国武将のまんなスタイルな
強欲で嘘つきなDQNだったと思う 築山殿とか信康と誅殺させられると、普通は遺恨が態度に出るだろう、
感情を隠し通したところが、すさまじく我慢強い 家康の遺訓ってでっち上げなのか知らんかった
こういうのって多いんだろうな >>210
信玄死してなお六年後に徳川家康の嗣子信康の調略に成功す、侮りがたし。 秀吉がかなりちっちゃいオッサンで舐められないように去勢張ったのにたいして
家康は少し体格が良くゆったりしていたイメージになっているが
家康はすらっとして高めだった信長にたいして身長コンプレックスがあり、
秀頼の巨体に驚いてビビっていた >>1
辛抱辛抱くいしん棒
鯛と牛蒡でフォンドボー >>215
当時のイエズス会の方針を見る限り、秀吉と同様にある程度の所で衝突して追放されていたんじゃないかな。 碁の思想を会得していたのかもしれない
無知な人間は基本的に短気ですw
一方で、物事をなす人は行動力が早い つまりこれもある意味短気です
家康はリーダーというのてゃ、ちょっと違うなw そりゃある意味短気じゃないと切った張ったの世界じゃ生きられないし強引にやれないと人を率いていくなんてできないからな >>87
信長が亡くなる一年前の天正9年の高天神城の戦いの時、信長は書状で家康とこんなやり取りをしてる
・高天神城の武田軍が降伏を願い出てるがその扱いについて家康が信長にお伺いを立てる
・信長→どうせ勝頼じゃ後巻として高天神城の援軍にも行けないだろうから降伏を受けるのはあまり意味がない
万一勝頼が後巻として国境付近にのこのこ出てくればこちらは手間要らずで甲信を取れる
勝頼が後巻をせず高天神城を見捨てても、その評判は他の支城にまで影響を及ぼし、勝頼取るに足らずと離反するだろう
・以上が私の意見だが、これを宿老たちとよく相談して武田の降伏を受けるか否かは家康が決めなさい
と私の命令に従えではなく私の意見はこうだが最終的には家康が決めなさいと言ってる
実質断れない脅迫みたいなもんかもしれんが信長なりに一応気を遣ってるのが読み取れる 辛抱強くなかったらあそこまでのこと成し遂げられねーだろアホが 秀長がもう少し生きて秀次も殺されなかったら大坂時代だったのにな >>227
タクシー運転手「お、おぅ」
と思ったがあいつ家康の弟の子孫か >>211
唐の政治書、貞観政要を読みこなしてたらしいな >>4
三方ヶ原で籠城(時間稼ぎ)を進言する家臣の意見を蹴って野戦に出たとか
関が原で内通するはずの小早川が動かないのでイライラして爪を噛んで鉄砲を撃ちかけたとかだね。 >>85
園崎のばっちゃみたいな婆だったと想像する >>202
武田は野戦が得意で城攻めは下手ではないが高名ってわけでもないからな。
石川にトンずらされて軍制を三河流から武田流に乗り換えて野戦が強くなったらしいが。 >>229
築山は今川側の人間
信長と家康が同盟を組むには
目の上のたんこぶ まあモリカケなら総裁選まではやる
コロナも数年続くからカリカリしない
そういう意味では俺は家康タイプなのかもだが
本当は極めて短気であるから
多分家康も短気な性格を隠していた気がする(笑) >>215
むしろ仏教僧束ねて
北元滅ぼしてたかも 信長秀吉と比べて短気エピソードは死ぬほど少ないからだろ >>2
煽られてブチ切れて追い掛けた時点でね(笑)
簡単に罠にハマる感情タイプだろ
信長ならああはならんかった もし秀吉が61歳で死なず
七十代まで生きたら状況が変わってたな >>230
時の天下人への忖度は当然あったわけだしね
勝てば官軍負ければ賊軍、歴史は勝者が作るから基本的には当時は家康マンセーで、家康にとってガチで不都合な事実は揉み消されてるだろうし ウンコ漏らしたイメージしかない
カッカと怒ってばかりでイキんで出ちゃったんだろ 最期生ものか天ぷらに当たって死んだんだっけ?我慢すればよかったのに >信長は気性が激しく短気なので
っていうか、精神病者でしょ。頭は冴えてたろうが。
晩年は病気が亢進して家臣も不安だった。光秀様様だよ。 >>241
信長は妙に家康には気を使ってるよね
他の将にもっと気を使えば又違った未来だったろうにと思うくらいに 欧米の尻馬に乗って徳川家から権力を奪った長州としては
コロナで徳川恩顧の地ばかり栄えるのはさぞや痛いでしょうなあw 辛抱強くなかったら信長包囲網出来た時点で織田との関係切ってるだろ
わざわざ金ヶ崎でヤベェ思いした上に姉川だの三方ヶ原だのと戦う意味がない >>1
どの道、征夷大将軍になったことは否定の余地もないし、
信長や秀吉が消えてから天下を捥ぎ取った訳だから、
要領がとてつもなくいい人物だった事に変わりはない。 >>216
それに引き換え、倒幕から80年で原爆を落とされた薩長政権は
ウンコだったね 最初は家康は信長についていけばいいわって感じだっただけだろうな
本能寺のあと秀吉に先こされたけど、この時点で種無しなら天下奪い取れるやんって感じで準備してたのだろう
実質、信長家臣の権力闘争でしかない >>239
神に「生涯、私は1人の女をも抱きませんから永遠の富と名誉を!」て祈ったら「いや、あんたホモやん」て言われたらしい >>1
だよねえ
国家統一をなした版の浅原商工みたいなもんだろ >>2
あのウンコ家臣が拝領して焼き固めて子孫に伝えてたら
いまごろ「家康公の馬上糞」とかいう仰々しいタイトルで
博物館のケースに収められて公開されてただろうな。 小牧・長久手で秀吉にも喧嘩売ったし
天下狙える位置にきたら積極的に動いていた
慎重というか時間がかかってしまっただけだね ヤクザの親分でも気性は激しいよな、理不尽だし。
戦国時代でもお坊さんとかなら人格者が居たかも? >>244
秀長の死が事実上、豊臣家の終わりの始まりだな。直後から家中の不和が顕在化してゆく
秀吉の事業の半分くらいは、この出来た弟のおかげだと思ってるw つーか信長は何で死ぬまで家康を生き残らせてたんだろうか?
どうせ後北条とはバチクソにやり合うわけだし、武田がいなくなった時点でね >>267
光秀も含めてな。一応重鎮の前田の存在ももちろん
何にしろ信長様々。足向けて寝られん >>255
早くから耄碌始まってたからどうかな
やはり多指症不妊で遺伝子的に短命だったのでは 信長も、超短気ってわけでもなさそう
将軍の扱いとか裏切り者とか、わりと我慢強くしてる 家康が長生き出来て天下を取れたのは、秀吉のおかげ。
豊臣政権下で、圧倒的No2になった家康は10年ほど心身ともに休養出来て
秀吉死去後は、たまったパワーを使って天下人になった。 今の日本の形を造った人だからな。東京が初めて中心になった
62歳くらいで隠居して、その後も、割と元気(下も、んで72か73まで生きた 豊臣政権は秀吉が後継者としていた秀次をデタラメな理由で殺したことで自滅したと思っている人多いんだな。 信長は優秀な経営者
秀吉は人たらし
家康は政治家(寝業師)
一番戦が強かったのは黒田官兵衛
こんなイメージなんだが 信長=牧口常三郎
光秀=天羽英二(内閣情報局総裁)
秀吉=戸田城聖
家康=池田大作 >>10
信長や秀吉が相手なら辛抱するしかないでしょ >>265
維新志士は明治を発展させる前にほぼ死んだからな。
みんな長生きしてたらもう少しまともだったかもしれない。
実際は維新を知らない若造どもが見様見真似で大日本帝国を作り上げたわけだし。 >>8
これだよな
現代でも通じるが若くて何でも出来る気の時はイケイケ
知識や見識増えたら落ち着く、というか深く考えて腰を据える チョンさんにとっては日本が辛抱強く(韓国にとって都合よく)いてくれないと困るからねw 信長と家康は同盟者
光秀はいつもコウモリをやってて信長からぞんざいな扱いを受けてもしょうがないだろ >>282
信長も家康をめちゃくちゃ信用してたとしか言いようがないね。それは家康も信長に対してそう
こいつは絶対に裏切らないという信頼のもとじゃないとそうはならんだろって事案が多すぎる
信康の件なんかも家康の好きなようにせえで済ませてるからね >>263
尾張の隣の三河なんて
裏切ったらあっという間に滅ぼされる弱小大名だよ
家康が天下を狙いだしたのは
秀吉に押し付けられた江戸の干拓に成功して以降だと思う >>286
常に真実を見つめなおす。
見習いなさい >>34
すごい考察力ワロタw
小和田とかトップの歴史学者でも思いつかん発想だろうな。 >>244
秀長もだが、蒲生氏郷ももうちょっと長生きしたらまた
違っていたかも。 一言で言うと狸
武田勝頼との戦いを見ればわかる
人は義や恩のみで動いてるわけじゃないのを家康は良く知っていた、
勝頼は強かったかもしれんが直情系
まあ、三方ヶ原で信玄にぼろ負けしたからこそ、
その後の家康があるんだろうけど。諏訪勝頼は色々と運がなかった どの程度の辛抱強いか分からん
そうする事が必要な辛抱強さと
我慢する必要のない辛抱強さとでは全然違うし 実際の記録みたってそんな要素皆無なのにw
何をイマサーラ で、どう考えても家康は松潤じゃなくて大野だろwww >>288
勘違いしてる人結構居るんだけど
江戸幕府と豊臣政権はある意味二重構造な時代が10年位あんの
秀頼を殺害して、武家諸法度をその1ヶ月後に発布して
その1年後に死亡してる。結構ギリギリな寿命だった
まぁ、2代目になっていても、豊臣に反抗出来る戦力は無かったかもしれないけど
混乱は最小限に出来たギリギリの寿命 信長ならば、日本を家康と二分、
つまり家康に東日本を受け渡すなど
普通はせぬハズ
しかし、そうした
思うに、桶狭間での家康の事前の内通が
あったと思うのが道理
信長にとって、今川への勝利は
1番誇りであったと思う
その1番の立役者が事前内通してた
家康だったから、そうした
よくドラマなどで、家臣の進言も
ろくに聞かずにいきなり桶狭間に
出陣の場面があるが、内通していれば、
綿密に計画された戦だったと思う >>282
本能寺の変で光秀に従った兵士の中には
信長の命令で家康を討ちに行くと思ってた者もいたて話があるから
そういう見方が出てくるあたりなかなか危うい状況だったんじゃね ワシは年に2回くらいしか漏らさんのに
平成の家康言われて悲しかったで
もう令和や >>282
何でだよw まだ日本列島は西に続くぞ。本能寺の信長は中国戦線に応援に行く
予定だったんだし。背後の東の忠犬家康はまだ必要だろ >>290
竹中半兵衛が病で早死にしなければ、一番戦が強かった人物だったろうな。 >>148
数正出奔辺りから甘さを捨てきった感ある
一皮剥けたのか、はたまた…? >>100
火事はあったけど戦は無いから暇を囲っては芝居や読み本にかまけていたからだろ。
大阪人が友達笑かそうとモリモリになっていくのと同じことじゃないか。 >>189
天下とは畿内のことを指すのが当時の使い方 >>1
> 『甲子夜話』は文政4年(1821)から書かれ、
> 静山が亡くなる天保12年(1841)に完成した。
> 正編100巻、続編100巻、第3編78巻に及ぶ
> 浩瀚な著作である。
長すぎるわ。三行でまとめろ。 >>261
浅井長政に関しては信長は毛利元就に宛てた書状の中で
「近頃浅井備前守が変心し謀反した事を京都に戻る途中で報告を受けた。
彼は近年特に我が家来として親しい関係だったが、このような結果となり言葉もない」
とはっきり「家来」と言ってるな 煽られようが追い詰められようが必要な場面でする辛抱は辛抱強いとは言わん
本当に辛抱強いってのは抑えつける必要ないのにも関わらず辛抱する人 今の将棋界みたいなもんか
羽生世代が歳とって衰えるまで身を屈するしかなかったみたいな >>275
親鸞は平家の落ち武者である生臭坊主を見てイライラしたり悶々としたり心乱した
で自分をあさましいと思い悩み法然の弟子になるけど
親鸞は生涯通して仏教の教えを教えてくれる人に会うのは稀で法然くらいとしてたりする
現在でも名前が伝わる坊さんたちでも相当稀っぽいよ 有名人はハイリスク・ハイリターンなだけ。
生き残ったやつだけが崇められている ジェームス三木脚本「葵徳川三代」の津川雅彦演じる家康はよかった
癇癪持ち、老獪さもしっかり描かれている 秀吉が天下を息子に渡すの失敗して
家康が天下を息子に渡すの成功した理由って何 >>318
信長(1534)
秀吉(1537)
家康(1543) >>1
え? 若い頃は短気な性格で失敗して、辛抱と期を狙う事を覚えたってタイプじゃなかったっけ? まあ3代目が優秀だと家は長く続くと言われるから
その意味では家光が優秀だったとは思う
周りに優秀な家臣も揃っていたのだろう いやでも実際辛抱強いというか慎重だったとは思うな、あんな育ち方したら 家康の若いときって人質やろ
短気で生きてけるんか? >>316
それはたまたま家康が来てたから当てはまるな。って推察出来ただけの話だね
饗応役だった光秀の家臣は当然家康が京に来てるの知ってるんで
家康じゃなく勝家だったとしても勝家を殺しに行くと推察しただろうよ よく言えば辛抱強くて
悪く言ったらネチネチ根に持つ性格
そんな印象があったけどね
ちょっとした事に対して辛抱強いかって言うと別の話でしょ >>1
戦国大名に人格者なんていたはずがないわ
今で言えばブラック企業の経営者がブラックぶりを競ってたような時代だろ 坂本龍馬みたいな無責任なやつでないと人気者にはなれん。
長生きはできないがな 戦国時代についてのイメージって、かなりゆがめられてそうだね >>303
>秀吉に押し付けられた江戸の干拓に成功して以降だと思う
確かに、物理的に遠ざけられたことでいろいろ自由に動けるようになったかもしれんね。 我が栃木県壬生町は第三世天台座主円仁生誕地であり
「三河武士の鑑」と謳われた鳥居元忠公が「精忠霊神」として祀られてもいるので
永遠に江戸時代の徳川治世の精神を受け継いでいく地なのよ
因みにこの精神を受け継いでいるのが壬生町出身の佐藤勉自民党総務会長なw >>1
徳川家が天下を取らなかったら第二次世界大戦もなかった 日本史の中でもほんとに悔やまれる
東日本は鎌倉幕府で打ち止めのしとけばね
今の東京見ていればわかるだろ
東日本に首都機能があるのはホント糞 >>320
家康が裏切らないとは限らないじゃん
現に本能寺後は武田の旧臣吸収して太くなったしな
いずれにせよ本拠地の隣の三河なんて要衝を、任せていい相手じゃないだろw 今の政治家なら
織田信長=安倍さん
豊臣秀吉=山本太郎
徳川家康=菅さん
か?w
いや、徳川家康=森さんか?笑 遺訓が本物だとしても
自分に欠けてたと反省してる要素を挙げて遺訓とするケースがあるわな 断言するが、歴史に名を遺すやつにロクなやつはいない 生き方を北条氏康から学んでるようには伺えるな
後は反面教師だな >>354
武田に侵食されて大ピンチだった頃から、一度も裏切ってないから。限らないけどかなり確率は低い。
ならば何の怪しい動きもしてないのにわざわざ殺す必要はない。織田家に臣従した大名も同様するし
信長に何も得がないw 関東に滝川もいるし、殺すのはヘンな動きを見せてからで十分ですわw >>348
江戸時代にご先祖さまsugeeeしたい奴らだったり、こんな感じだと面白いなんて感じで話を作った奴らが盛りまくって定着した物に色々ツッコミ入れてるのが昨今 >>353
こいつは何言ってんだ?
穢多の血筋かな
西日本から出るなよ穢多やろう えぐいなぁ・・・
徳川家康→津川雅彦
徳川秀忠→西田敏行
お江→岩下志麻
高台院→草笛光子
石田三成→江守徹
毛利輝元→宇津井健
福島正則→蟹江敬三
島津義弘→麿赤兒 信長は短気かもしらんが辛抱強いだろ
信長秀吉家康三人とも辛抱強い >>327
同盟だと思ってたら家来扱いされた上に、あれだけ朝倉を攻める時は相談しろって念押ししたのに無視されて
そりゃまぁやっちまえになるわな 性格は短気でも何でも別にいいんだよ
実際に起こす行動を抑えられれば そしてそれを抑えてくれる有能な部下がいるか
怒りなんて一瞬の物も多いんだしそこは抑えて ここぞって時に動ければよい >>339
家光公の仮通夜が執り行われた寺がうちの菩提寺なw 信長のほうがよっぽど辛抱強いと思うけどな
何回謀反起こされて何回許してんねんって話だわ >>350
めんどくさい(地縁が強すぎる)三河武士パージできて、付いてきた忠臣を自由に配置できたから……。
家康って江戸以降の方が明らかに開拓にハッスルしているんですよ(狭い三河にスペースが残ってなかったってのもあるが) それにしても「麒麟がくる」で光秀のイメージがガラッと変わったね
【立憲民主党がくる】でもやってみたらいいのに(笑) >>337
サンキュー!
人間50年の時代に10歳くらいの差は大きいな 脱糞するわ戦は勝てないわ、他人の成果を横取りしか出来ないヘタレ >>75
信長に駿河一国加増されてるし名実ともに従属してたはず
ただ後の秀吉ほどでは無いにせよ信長も家康には気を遣ってたように思われる >>378
100年ぐらい待たないと、関係者が多すぎて無理だろw >>378
「麒麟がくる」のロケ地に我が栃木県壬生町が選ばれていたよw 信長は手落ちがあって棚に逃げた茶坊主を棚ごと切ったり、みかんの皮を捨てなかったって少女の首を切ったりとかのエピソードには事欠かない。 >>379
単純に家康が長生きだったのもあるけどな
あの時代に76まで生きられるのが一番の才能じゃないかね 歴史なんか嘘だらけやぞ
明智光秀はひっそり生きてたっていうし >>384
一言で言っちゃうとそれに尽きるんだけどそれだとさすがに可哀想だからなw
あーだこーだ言ってやるのが後世の人間としての優しさってもんよ
長久手頑張ったしな >>327
ゲームの影響とかでなんとなく浅井は戦国大名な扱いだけど
普通に見れば有力国衆レベルだわな
信長にお市の方にとビッグネームが出るから物語性が高まってしまうが
大名が国衆を家臣団に取り込んでいくという各地でよく見られた現象でしかない 大河ドラマってめっちゃ影響あるんだな。あの最終回からやたら、光秀は死んでなかったとか
信長は家康を殺す気だったとか言う奴が増えた。
その前はそんな荒唐無稽説を唱える奴なんかほぼいなかったのにw 日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>282
「武田が居なくなった」天目山の戦いは1582年3月で、
本能寺の変は1582年6月だぞ。
武田領の戦後処理やってる最中に徳川を敵に回すほど、信長は馬鹿じゃネーヨ。 麒麟が来る の後に 真田丸 を見たら歴史を続けて見た事になる?
で直虎はどこに入る? 全員引くくらいまめだわ
文化芸術趣味嗜好は色々と嗜んでて
交友関係のあれこれも欠かさずやってるし部下の面倒見も過剰なくらい良い >>371
最近は浅井朝倉同盟ってのは怪しいらしいよ
当然、そんな攻めるな云々の約定もない 信長がむしろ気が長かったエピが多いよな
なんでも趣味が爪楊枝で城を作るという 日蓮に詳しい人に聞いたんだが、本当に親しい人とのやりとりほど資料としては残らん。
口頭で伝わるから 未来人がラノベを読んで
過去の人類は魔法が使えた、と思うようなもんか。 【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 幼い頃は織田の人質で信長とは近いからね。それだからこそ同盟まで出来たんじゃないの? >>391
焼いた誓紙を酒に入れて飲んだってくらいなんだから最初の本格的同盟でもあるし、実際とんでもない出陣要請にまで文句一つ言わずついてくるし信頼しかないだろう >>394
わりと穏便に臣従を迫る徳川と徳川の顔面に泥を塗りたくる豊家の構図だと思うけど >>399
諸々の作業にそれぞれ時間がかかる時代にすげーなと思う >>366
まぁまだ時期では無かったってことだろうけれども
明智の兵の手記で、信長ではなく家康を討ちに行くと思ってたってた話もあるぐらいだから、遅かれ早かれではあったんだろうけれども
秀吉も家康は関東に移封して遠ざけてるしw >>303
何故、名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 辛抱強いのは確かだろ
信長から正室と嫡男の殺害を命令されて実行したんだからな >>1
秀頼を倒すまでは食事にすら毎日気をつけて長生きすることに腐心していただろ。
日で寄り倒してからだぞ鯛の天ぷらなんて食うようになったのは。 >>391
とにかく同盟者として使えるやつやったし
織田と徳川はいろんな戦争で共闘してるから
俺らが思ってる以上には仲間意識みたいなのはあったはず >>400
浅井と朝倉に同盟がないのは今さらというか最初からなかったろ?
朝倉と浅井は盟友よ まあ東海地域出身の武将は地元を抜けてから活躍したわけで、地元にいたら
単なる基地外で終わっただろう。そもそも東海地域ってヤバいの多いからね。
飼い猫を虐めた婆さんが飼い主に刺されて出刃包丁つきで救急に運ばれてきて
意外と痛がってないから救命医が「ツボに刺さっちゃったかな?」と真顔で言う気風。
んで婆ちゃんも1週間で退院して、刺したじじいに復讐なんてあたりまえw へうげものだと古田織部を自ら介錯しようと乱入して茶室で大げんかしてる
あれが実情にいちばん合ってると思う ただの裏切り者を美化しすぎ
ここ数年、トンキン原理主義者の歴史ロンダリングが目に余る いつどこで誰が殺されてもおかしくない時代に、
秀吉ガーと言ってる朝鮮人はアホ。
それだけは確か 家康は江戸時代に美化されすぎてるんで話し半分くらいでよい 小説とかじゃなく事実として残ってる話だけ見るとただの腰抜けに見えなくもない このクソ垂れよか秀吉は更に戦が弱いときてる
小牧長久手なんか徳川軍壊滅で家康敗死の戦いだったはず >>415
そんなもんない
三河は、三河政権たる室町幕府、足利将軍家サイド
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>387
それ天ぷらの所為じゃないでしょう、たいの天ぷらでたまたま表面化した、病は進行してた。 センゴクのあのぐぬぬを意地で押さえてる家康が一番らしいわ
武田にやられて糞漏らすまではかなり直情的な性格 >>423
細川政元→大内義興→両細川の時代は構図がややこし過ぎるから学校授業では取り上げないと聞いた覚えがある >>45
家康は、
お付の兵士に、「やべえ、こいつ漏らしやがった・・・」って思われたことは
絶対にわかっていたはずなのに泣かなかったから、とてつもなく辛抱強い子だと思う。
自尊心に溺れた奴なら、証拠隠滅のために、まわりの家臣を斬り捨ててるはず。 正確には
「残りの人生も少ないし、天下取れそうだからここらでいっちょ勝負に出たるかーい。」
って程度でしょ。 >>25
とりあえず一回ぐらいやっとかないと後で信長に何されるかわからないから仕方ない。 >>409
映像も音声も残っている第二次大戦だって似たようなもの。
ヒットラーも昭和天皇も、その評価はバラバラ。 家康は父親との接点が皆無でエディプスコンプレックスは強そう
生き方を学べるのは人質先しかない
だから信長とか今川氏真とか北条氏規とは特別なんかはあったろうね >>401
信長の人物像は江戸期に適当に作られているからなぁ。
独裁的な側面を持っていたとしたら,なんで,家臣の方が石高や兵数が上になるような領国分けや軍団編成やるのだろうと未だに疑問。
どっちかっていうと日本人好みの神輿型リーダーだったんじゃなかろうかと。
叡山焼き討ちとかやっているからあれは信長が全部悪いとするためにそこに至る過程を創作したんじゃないかと。 >■苦労人だった家康
この時代、短気だったらすぐやられただろ。
飲み込む場面が多かったから生き長らえた。 後北条と二面作戦で勝頼を挟み撃ちにしたのに
ボコられて追い返されたあたりが家康の実力を示してると思うけどな
小牧長久手が華々しく語られがちだが 壁画ひとつで人格まで特定してしまう考古学などナンセンス >>413
当主と嫡男の方針が違って、親子で殺し合いになるのは、それなりにあるエピソードだぞ。
(流石に、「よくある」というほどは無いが)
武田信玄なんか、親と方針が違ったから、クーデターを起こして親の信虎を追放して、
嫡男の義信と方針が違ったから、子供の信義を殺してる。 >>425
家康が野戦強いだけだぞ
城攻めなら秀吉のほうが何倍もうまい
実際織田軍団で連戦連勝してるからな >>411
無実の同盟相手を簡単に殺すのと、移封は天と地ほどの差があるぞw 移封は妥当だしだから家康も従った
東海道と言う交通の要衝だし、代々結び付きが深い土地から大大名の家康を離すのはまあ統治上合理的 さてこれからの時代どうなりますやら
江戸時代までは日本土着の神とともに中国伝来の仏教を大切にしてきたからこそ
明治政府によって神仏は切り離され今に至るわけだが
もう欧米の衰退と中国の隆盛は止められんからねw >>35 三河の奴が厚顔無恥なのは昔からだったのか >>430
比叡山焼き討ちが信長のみの認識の人もいるかもね 400年ぶりだねぇ。。。とかいうやつ少ないよな
なんで人気ないんだろ >>439
現代に至るまでコロッコロ変わってるわな
明治時代は勤王派だったのが戦後は革命児で朝廷滅ぼすつもりだの
革命児だの言われ今は旧来の権力と摺り合わせながら苦労したと語られ 用心深い性格ではあったのだろうな
信長とは事を構えず
小牧長久手以降は矛を収めて秀吉に臣従し
後顧の憂いを絶つために豊臣秀頼を始末した 業突く張りの三河家臣団を率いるには辛抱強くないとやっていけんよそりゃ >>423
細川は専横だが天下を獲ったわけではないので除外は妥当
三好長慶は傑物で天下獲ったと最近は言われるが短すぎるからだろうな >>1
俺「鳴かぬなら 天へと羽ばたけ ホトトギス」 >>423
細川と三好が空気はねえだろ
それはただ単に歴史興味ないだけだ
戦国時代といえば関東三国志と大寧寺の変と畿内動乱なのに
信長以降は戦国時代としては末期だよ ま、一部の未発達な人たちはたとえそれが正しい意見でると自明であって浮浪者の言葉であれば無視するし、
一方で偉人が鹿だといえばそれが歴然と馬であったとしても鹿だと信じるものだからな。
思うに孔子も仏陀もイエスも草葉の陰から
「俺はそんなこと言ってないから・・・」
と無言で訴えているというのが真相であろうと思う。
だから俺は彼らに言うんだ(分かっているとも)と。 秀吉は母も正妻も最後まで大切にしてるから正反対だな
浮気は多かったけど 信長、秀吉は天才
色々な戦法を生み出した
方や家康は秀才
中国の兵法を始め、各国の歴史から学んで学習した。
そして、信長、北条、武田、秀吉、光秀などを生きた教材にしていた。
だから、大事な場面で判断ミスが無かった。
秀吉は自分の才覚で生きてきたから、統一まではできたが、国を納める帝王学を全く知らなかった、その結果… >>454
>信長とは事を構えず
桶狭間の後、1年くらい戦ってるぞ。 >>457
ぼく「かわいそうだから、逃がしてあげよう、ホトトギス」 歴史上の人物像は全部花の慶次によって捏造されたエセの人格だよ 戦国武将でさえこれだから、300年後あたりには、
きっと今の政治家は桁違いにボロクソに言われるんだろうな。 織田信秀が攻めてくる
↓
松平広忠さん今川義元に救援を要請する
↓
今川義元は救援だす条件として長男を差し出すように要求
↓
松平広忠さん要求に従う
↓
長男の竹千代を船で今川家へ送ろうとするがなぜか船は西へ向かう
↓
部下の裏切りで竹千代が織田の人質になる
↓
部下は織田さんからお金をもらう
↓
竹千代来なかったけど今川義元は救援をだして松平を救う
織田信広が今川さんに捕まる
↓
織田信広と松平竹千代の人質交換
↓
松平竹千代がやっと今川の人質になる
↓
今川さん松平竹千代に英才教育 ウンコ漏らし事件でも明らかな様に
スルー能力に欠けていて短絡的で軽率な性格だったんだよな 叡山なんて焼き討ちする前に協力するか不干渉するか逆らうか選ばせてるし
わざわざ欲かいて滅びただけ >>432
実のところそれが一番大きいと思うけどね
三成のおかげで各将の懐柔も上手く行きすぎたしなんせ天下の大納言であり内府であり五大老筆頭
三成が嫌われ過ぎてたってのもあるけど、前田はただの名誉職みたいなもんだし毛利の馬鹿は何やらせてもダメだし宇喜多は若すぎるし上杉は喋らんし結局のとこ家康が天下取るのは確定であり運も良かった >>62
あれは上杉潰す口実出来た、ラッキー!でしょ? >>384
北政所に子供ができてたら
秀吉が晩年におかしくなってなかったら
このどちらかだけでも成立してたら家康が天下を取ることはなかっただろうね 実はかなりせっかちでカップ麺は1分も待たずに食べていた
というのも後世の創作 >>437
親父は影が薄い。
祖父の松平清康を尊敬していたらしい。松平家の中興の祖だ。 >>435
前田利家の方だろ。まつ11歳と結婚。まつ11歳で出産。 戦国時代を最後までしぶとく生き残ったのを辛抱強いと言わずになんという 地政学上、関東に独立勢力出来やすいのに
なぜ秀吉は国内No.2の実力者をあんなまとまった規模で移封したのか 粗食だったって割には肖像画はデブってるよな。
コメ食いまくりか。 >>473
原文をもっと罵ってるように書き換えた説まであるね >>461
いや豊富政権が続かなかっただけで
天下泰平は秀吉によって成ったんだから為政者としても家康より上だよ
徳川の世が長く続けたのは秀吉によって整えられたものを引き継いだからだし >>455
桶狭間後の内乱時に有力国衆を負かして本当の意味で家臣にしてるからそれほどでもない 戦に弱い言われる秀吉が攻城戦に強いは確かにその通りだな
むしろ攻城戦に限れば戦国武将で屈指の強さだわ
逆に小牧長久手で確かに勝ったがそれで家康が野戦に強い?そっちの方がわからねえがw
まあそれどっちのどうをも考慮してもこいつら弱いわ 辛抱強いだろ
No.2の位置、天下取りはたまたまだし寿命が長かったのもたまたま >>476
ツイッターの農民の野次に反応して、
石田三成を潰したというのも後世の創作。 実は三英傑の中で一番短気だったのは家康だったらしいね >>443
自らの判断と他人の命令とじゃまるで違うだろがスカタン 辛抱強いというかチャンスが転がり込んできた感じよな
信長生きてたらノーチャンスだったし
それを支えるだけの武力があった犬軍団 そもそも、辛抱強い人がトラブル起こして殺されたりしないよ >>482
佐々成政みたいに統治失敗するとみてたんじゃないだろうか >>458
室町後期中心には作品ってあんまり作られないのは確かだとは思うんだけど・・・
で三好家ってのは信長存命時代でも相当な勢力を持ったところだけど
それでも印象は強くならんでしょ?
ゲームなりやってりゃそりゃスゲーデカい威力だなーとはなるけどさ 真田幸村って昔からヒーローってイメージだけど
そういう媒体では大体家康って古だぬきみたいな悪者だよな そもそも秀吉は工兵出身みたいなもんだから、野戦築城や攻城戦のプロやろw 野戦より時間がかかって、緻密で長期的な戦略が必要になることが多い城攻めが
へたくそだった(家康の野戦への評価は高かった)ことからも
家康が我慢強い性格だったとは思えない 豊富って誰だよw
豊臣がなんで変換候補二番目なんだよ >>413
信長からそういう命令みたいな物は、いっさい無い。
あれは某小説家のがそうなっただけ。
実際は、家康の失政みたい。 まあでも300年も変わらない平和な世の中にしたのは凄いでしょうな。荒くれ者の武士はいなくなり
公務員となり刀も使わなくなった。そもそも剣術が流行るとか戦国ではありえないからね。
戦国武将は槍で突き刺すのが戦術。あるいは弓で射る。いまでいう自動小銃だな。
刀は警官が持ってる拳銃レベルだからねw >>482
実際自分の目で見て地の果て、ゴミって思ったんだろ
いろんなところ見て来ての評価だから 近代の人間でも偉人伝なんか創作しまくりなのに…
証拠の残らないものは事実なんて何一つないと考えていいだろ >>482
当時の関東は土着の地侍がややこしかったから仕置に時間がかかると踏んでたんだろ >>425
あれだけの兵力差で小細工する必要なく普通に四つ相撲で寄りきりでよかったのに功を焦った部下が奇襲で大手柄を上げようとしたら逆に奇襲で大きな損害を出した >>504
証拠だと思われてた物も偽造の可能性があるというね >>480
寿命の短い動物と同じで、昔の人は早熟だったんじゃないかな。
でないと絶滅するんだよね 信康や秀康は勇猛だったが領民を遊びで殺すような粗暴な人物だったようだから
家康も粗暴で脱糞するような人物だったかも >>24
信長わりと身内や家臣に甘々よな
武田信玄ですら男色相手の小姓切り殺した話が伝わってるのに
信長がいきなり小姓切り殺したという話を聞いたことがない不思議 >>411
多分に,信長の信任の篤さでは光秀と家康が双璧だったんじゃないか。
光秀は家康と違って一家臣だし若さもないから,俺の次はこいつかと
いう考えはあったと思う。で,頼もしい任せてやろうでなくて,妬ま
しい潰してやろうという気持ちがあったかも知らん。
そういうライバル意識が家臣にも伝わっていて光秀家臣内ではいつ
か家康をという雰囲気があったかも知らん。あるいは,殿(光秀)引
退後に明智家の地位を保つにはという考えがあったかも知らん。
そういうところを秀吉につけこまれるというのはあったかもな。 >>497
大坂夏の陣の最終戦では70過ぎで具足もつけられないような状態なのに
前線近くまで出てきてたて話だしある意味では妖怪みたいなもんだ 織田→今川で人質生活。幼児が母とも会えず我慢しか無かっただろうね。 >>413
信康切腹を決めたのは家康で
信長に対しては事前連絡しただけだという説が最近では主流だとか >>487
姉川→5000で10000に勝利
三方ヶ原→大惨敗
長久手→勝利
関ヶ原→大勝利
まぁ結果だけ見るとね。三方ヶ原は誰が謙信以外誰がやっても惨敗だしね
とりあえず尾張兵よりは遥かに強いのは間違いない 大きな舵取りで大失敗してないから、大したものだろ。
一発屋でもないし。 武田に追い立てられて糞漏らして城に逃げ帰り、城中の灯りを炊いて寝たらしいな。武田ももう一追いして討ち取ってればな >>487
攻城戦に強いのではなくで調略能力が高い
味方を次々と切り崩されて気が付いたら城に追い込まれていたと言うパターン
小牧長久手戦でも局地戦では徳川がポイントを上げていたけど
その間に調略で味方(旗印)を切り崩されて継戦の理由を失ってしまった >>491
短気であることと理性で感情を抑えることは矛盾しないからな 徐々に統一されていくにつれて だんだんと日本人が安定や経済を求める時代に入ったんやろな
信長ー秀吉ー家康って性格的にも上手いこと日本は繋がってるわ こいつのバックには、イギリスとオランダがいるからな
令和になってもイギリスとオランダがついているから絶対に叩かれない >>513
実際危なかったし、
大阪城に引きこもってた秀頼とは違うな 天下取ってからの秀吉は正に隙を見せない王者の戦いだぞ >>487
>逆に小牧長久手で確かに勝ったがそれで家康が野戦に強い?そっちの方がわからねえがw
同感。
家康が本当に秀吉より強いなら、長久手で別動隊に勝った後、秀吉本隊が来た時に、逃げる必要ないんだよな。 >>497
逆だろ
家康を悪く描写するためにヒーローをでっち上げた 信長の尾張以来の創業第一世代で
関ケ原で健康体フル稼働でキノコってるの家康だけだろ 家康の時代だと合戦するにも兵士のスキルが不安定でしょ?
顔写真なんかないし、戦況が悪くなったら逃げちゃうやつも多かっただろうし
色々大変だったんじゃないか? 豊臣秀吉の朝鮮出兵の苦い経験を踏まえ朝鮮中国と上手く付き合ってきたのが徳川幕府ねw >>514
政宗は健康にいいからってタバコ吸ってたらしいが70近くまで生きたんだからまぁ結果的に健康によかったんだろうw
鬼庭一族みたいな長寿一族を持ち出されたら話にならんけど 信長にしたって、秀吉みたいなのを家臣にするとか人格者だろ みんな一回戦国時代をまた始めようぜ。この時代はつまらん。 >>492
武田家と同盟を組んで織田家と戦うという嫡男と、
織田家と同盟を組んで武田家と戦うという当主の殺し合いがあって、
大義名分に「同盟国の要請」を使っただけ。 現代の創作物だと家康はほんと酷い扱い
最近ようやく家康がフィーチャーされ始めて扱いが良くなってきたような印象 さしずめ、北朝鮮で将軍様のエピソードがおひれはひれがつくような感じかね。
はりつけ獄門、市中引き回し、なんていまやりそうな時代錯誤の国にとっては、いい先例か。 幸村があと一歩のとこまで追い詰めた時脱糞したんでしょ? >>519
自身を神として祭り上げさせたことが信長、秀吉と違い子孫が繁栄してる成功したとことかなんとか >>540
家臣ならともかく家康はなにも面白味ねえもん 凪のカムイさん「家康の正体は被差別部落民だって劇画で読んだ。忍びの戯言なので信じなくてもよい(笑)」 伊達政宗は朝鮮で戦ったが、家康は朝鮮に行かせてもらえなかった 加藤清正は家康の前では武勇の自慢はしなかったとか読んだぞ ゴーストオブ関が原だな次は東西の歴史に残る最後の合戦をサッカーパンチのゲームでプレイしたい
日本の歴史物って映画にしろゲームにしろ幼稚なんだよな。 >>520
武田
「脱糞した奴を追い詰めるほど、わしは鬼ではないわ。」 例えるなら20年前に全財産株で全つっぱしてその後も暴落時もこつこつ積み立てて大資産築いたようなもんだろ
他にもそゆやついたが、とっく亡くなってるからNo1だ >>537
自分が関わりたいとは思わないけど、
朝鮮戦争だけはテレビで観戦したいとは思ってる 駿府生活がそんな辛かったのなら
なんでそんなトラウマゾーンで余生を送ったんやって昔から言われてるよな まあ、大阪城で秀吉に臣下の礼で尽くしたポーズを見せた一件を見ると、確かに辛抱強いと思う。 >>517
兵の質は三河>尾張って確かにそうだけど尾張兵が弱すぎなだけで
言われてるほど三河武士なんか精強でもなんでもない >>508
多少はその傾向があるにせよ
11歳で出産は当時としても異常
婚儀だけは済ませてても子作りは15以降とかだろ普通 >>21 確かに、その世代がいろんな敵を打ち負かしてくれて平定寸前くらいになんて、最後総取り、に見えるしね。
あくまで仮定か、結果論だけど、若くて、どうせ年寄りはいなくなる、と見切ってたのなら、年の割には辛抱が効いたのかもね。
辛抱とか、忠義、年功序列、こういうのは、安定した支配に都合がいいから、宣伝されたのかもしれないけど。
>>540
現政府が、明治政府の系譜ばかり強調して江戸時代、地方分権大嫌い、というのが自分は気になるね。
お札も、よくわからない理由で明治以降の人だけにするし。
家康さんだけじゃないけど江戸期の全否定みたいな気がしてしょうがない。 秀吉の朝鮮出兵とか明治政府がやった韓国併合みたいなものでマジで余計な事すんなよって感じなんだが >>517
長久手で、謀多いものが勝ち、少ないものが負ける
軍事的には勝利 >>548
そりゃ七本槍なんて家康の前じゃ匹夫の勇だもの。 >>554
雪斎から英才教育受けて主君の姪まで嫁にもらって酷い扱いなんてのは絶対にないからな >>544
ソレは生前の信長もやってるし、
秀吉も、死後だけど豊国大明神なんて神号貰ってる。 >>523
経産婦好きかもしれんけど年上好きではないような
それも若いときだけだからな
年取ってもう跡継ぎもいるようになると
そこそこロリコンになった >>515
今川で一門に取り込む感じで優遇されてるけどな。
ちゃんと義元から1字もらえて、今川一門から嫁も貰ってるし、義元の師につけられるし。
ただ、そうなると配置換えで別の領地に替えられたかもだけど 加藤清正変死も家康だろうね。まぁ家康天下の前に信長と秀吉が出る杭打ち散らかしてるし。 >>557
むしろ農民兵の三河兵と職業軍人の尾張兵で前者の方が強いってのがありえない。
まあ尾張兵が戦慣れしてて危なくなったら速攻で逃散してたのはあるかもしれん。 >>2
ウンコは我慢しても漏れる
辛抱強いとか関係ない、漏れるもんは漏れる
良いか、ウンコが漏れそうで漏らさないの神に祝福された者だけだ ここでまた断言しよう。
歴史に残る偉業の数々は、ほとんどが本人が考案したことではない。
D作先生と同じだよ 実際どうこうのじゃなく
幼少期から人質や信長の舎弟って下積みが
あるってことだろ
言葉だけ捉えて本質をみないバカが多すぎる >>480
当時の年齢は数えだから、10歳で所長を迎えたのか? 可能性はなくはないが、マッサンも早熟だったんだな。 戦国は手を変え品を変え手練手管をかまさんとあかん時代やしなあ
さまざまな陰謀を辛抱強くできる秀吉や家康が最後は生き残ったってだけやろ 苦労して短気は損気と真に学んだんだろ
時に落命の危険まで犯して
若い事のエピソードは短気なのばかりじゃないかな 秀吉が関東八州を家康に与えたのが失敗
あのとき殺してれば >>487
羽柴軍10万を徳川方3万(一説1万6千)で退けたわけだから,しかも半年という長期戦でな。外交・調略も含めて戦上手を言われて当然だろう。 うんちを漏らしたとか云うな…
浜松原発がお漏らしするだろう… 親の件は可愛そうだけど義元から厚遇されたじゃん
太原雪斎とか嫁とか金美陀具足とか >>539
そういう持病があったんだ
>>551
さすが武田やな。やさしい >>558
あいつと嫁が異常なんだよ
あいつら浪人時代にも子作りしまくってるからなw
で、何人生んだんだっけ?9人だっけ?
恐ろしい夫婦だぜ 信長は消息不明
秀吉は墓や社打ち壊し
家康は神として祭られ続ける
家康の悪評あれこれ伝わってるは勝組の余裕でしょ >>513
大阪の陣で、
家康が江戸でふんぞり返ってて
秀頼が最前線で刀を振るってたら、歴史がどう変わったかわからない。
戦争で一番大事なのは士気だからな >>472
秀吉も三成も家康の天下目指してるのかと思う位の貢献だよね >>575
つまり短気で辛抱強かったってことだろ
人間の性格なんて一面的ではないしな >>566
経産婦ってのは子供が産める体ってのが保証されてるから
昔から人気あるんだよ
ちなみに女からの離縁も戦国時代くらいまで普通にあった >>560
朝鮮半島は通り道のつもりだったんじゃなかった? 三河は、一向一揆の浄土真宗の農民
尾張は、もともと検非違使の織田の警察軍 >>59
幸運というか星の巡り会わせというのか歴史上そういう人物は居るな
劉邦なんかもそういう存在やと思う天に認められた人物
逆に信長や秀吉はその為の布石になる人物やな 膀胱を針で刺され
直腸は毒を持たれてるんだ
赤ちゃんだから
うんちを漏らすんだよ ほんとの性格なんぞ分からんが、最後に天下取ったから、そう言われてるだけ うんこは辛抱の強弱の問題じゃねえだろみんな厳しいぞ >>579
秀吉は敵対するよりも懐柔することを選んだのだろうな
千姫(家康の孫娘)を秀頼の正室に迎えているし
ところがどっこい… ・しかみ像→江戸時代に入ってから描かれたもので、そもそも元の箱書きには長篠合戦時の家康像と墨書されていた
三方ヶ原になったのは昭和に入ってからで、戦前徳川美術館て家康展が開かれる際の出陳物にこのしかみ像があった
学芸員がこれは苦しそうな表情をしているから敗戦した三方ヶ原の時のものかもしれないと取材に来ていた新聞記者の前で私見を述べた
その私見が大々的に新聞記事として掲載されたため近年まで通説として罷り通ってきた
化学分析でも絵の具の顔料は江戸時代に入ってからのものと分析済
・脱糞→江戸時代編纂の三河後風土記出典での創作。そもそも三方ヶ原ではなく一言坂の戦いでのエピソード
・爪噛み→黒田家譜にあるエピソードだが、1688年成立の黒田家譜の信憑性は低いので爪噛みも創作の可能性が高い
・築山殿信康事件→信長の命令によるものではなく家康主導で処理された 辛抱強いか弱いかでいえば辛抱強いでしょ。
信長・秀吉のような残忍な処刑はあまりやってないわけで。 >>564
そりゃ徳川家と徳川家臣団は関八州に移封されたわけで三河武士の精神を今に残すのは我が栃木県を始めとする北関東地方だよw 短期的なものと長期的な物って性格的行動が一致するとは限らないからなぁ >>594
過敏性腸症候群にされたら
赤ちゃんだって
燃料棒を漏らすんだよ 自分が知りたいのは、信長は長篠合戦以降、武田家を内部から崩しに
かかって、それが成功してるんだよね。
誰が主担当だったんだろう? 今月、過敏性腸症候群にされたんだよ
赤ちゃんなのに 士気が大事だから、ローマ帝国は必ず大事な戦いは皇帝が最前線に出て闘った。そしてローマ大帝国を築いた。
勉強家の家康ならこれも知っていた可能性がある。 >>567
今川氏真なら、色々あって、家康の家来になってるぞ。
家康の紹介で、(親の仇の)信長と会話したこともある。
信長に、蹴鞠の腕前を披露するように言われたらしい。 >>560
目の前に下等生物が生息する土地があったら、ふつうは我先に乗り込むだろうな 関ケ原後の仕置きみてもめちゃくちゃ気を使ってるのが分かる
A>B>Cになるように加増させるとか
辛抱強いのは間違いない、エコひいきなし 秀頼が秀吉の実子じゃないって同時代の連中にはわりと知れ渡ってんじゃないの? 顔がブサメンだからって息子の忠輝を捨て子扱いした鬼畜だぜ 性格や偉業なんかよりも
おまえらのウンコに対する執着の方がすごいのにワロタ センゴクだと若い頃は、ていうか松平家が代々博打的な激情で
家を危うくしてきたけど家康だけが途中で老成したって描き方だったな 織田信長が必要な時はいはいと即出陣
自分が苦しい時助けてくれなくても文句言わず
これを我慢強い以外何なんですか >>579
いやいや、それ以前にあった
小牧・長久手の戦いでは
家康が秀吉に勝利しているんだぞw
秀吉にとっては、そこで勝てないのに
家康が引いてくれたことで自分が天下を取れたという
一種の借りがある状態だし
家康と戦をすると、また負けて天下どころじゃなくなるという
恐れもあったので、家康には気を使って
なるべく機嫌を損ねないようにしながら、家康の脅威を少しでも減らそうとして
機内から遠ざける策に出たんだろう?
関東に入れるだけでも精一杯の策だったとみるべき 感情を前頭葉でコントロール出来たわけだろう、自暴自棄の暴走してないし >>585
浪人でも子作りぐらいするだろ
今みたいに避妊技術があるわけじゃないし、お金がないから子供我慢するという時代でもない >>609
光秀でしょ
本能寺は織田の幹部組を根こそぎ左遷したい信長が
その仕事をやらせてた光秀に
勝手に武田と仲良くしてた(実際はちゃんと報告してた)
とか難癖つけて領地没収しようとしたせい >>618
露骨に嫌ってたのは忠輝くらいか
嫌っていたと言われる結城秀康はちゃんと大大名にしているし >>482
北条征伐の功労者として恩賞は与えなる必要がある
武家の主従の論理は恩と奉公だからそれしないと他の武将からも信頼を失う
北条の支配地を統治するのは難しいから家康が統治に失敗する可能性もあり、そしたら責任を問うてとり潰すことも
統治に成功したら家康が従ってる限り豊臣政権の安定になるわけだし、反抗するなら家康は北条同様滅ぼされるし
秀吉にとっては家康に北条の後に転封させるのを合理的と考えたと、そんなところかと 関ヶ原も当初の布陣的には負けてたんだよな
離反成功したから勝てたんだけど
だから戦術的にはやはり野戦に強いとは言えないわ
裏切り寝返りが成功するかどうかの相手依存なわけだし >>617
当時って家名>血統でしょ
秀吉からしたらNTRれてるのはムカつくにせよ
種違いはそれほど重要な問題ではないと思う >>588
まったくそうだね。
伏見の戦いで、錦の御旗(勝手にでっち上げた)で、相手が逃げたら、なんだこれ使えるぜ、だから、たしかに士気だ。
で、結局いまに至るまで離さずニギニギ。 >>1
>明治になって、幕臣の池田松之介が『人のいましめ』(伝徳川光圀作)をもとにして、創作したものにすぎない。
>家康の花押まで似せていたのだから、手の込んだ偽造である。
まるで江戸しぐさと同じでワロタwww >>622
辛抱強いエピの元は北条氏康の方とも描いてるし
ほぼほぼ正解だろうな 文明の欠片も無い化外の蛮族地域に飛ばされても頑張ってただろ 今も昔も
ジャイアンみたいな性格じゃないと長生きしないよ 我が栃木県は福田知事が徳川恩顧を口にするところだからそりゃ魅力度も最下位にさせられるわなw 大河で云えば津川雅彦の家康が好き。
本能寺陰謀論ありきなら「秀吉」の時の俳優さんが家康の腹黒さをうまく演出していたと思う。 >>609
そりゃ家康がメイン
事実穴山を寝返らせたのが最大かつ決定的 >>609
信忠じゃないの?
天目山の戦いのキッカケになったのは、木曾義昌が武田家を裏切って織田家に着いたことだし、
その時に、木曾義昌は信忠に人質を出してるから。 >>624
でもそれほとんどの戦国武将がそうだったんじゃないの? >>585
昔は10人生まれても3人か2人しか大人になれない時代だもんで
問題なかろう ウンコウンコ言ってるのウンコ好き民族の朝鮮人だろうなw >>627
自暴自棄とは違うかもしれないけど、徳川家康は突発的な危機が起きるたびに切腹しようとしたので自省的な人だったと思う。 >>482
No2の実力者を大坂の近くに置いておくことのほうが怖いだろう。 >>115
その訓戒が後世の作だと>>1で指摘してるし
泣くまで待とうも>>1で出てる
しかみ像も三方ヶ原後の様子かどうか疑義がある 家康の名誉のために言うとウンコ漏らしたソースはない 家康は日本最大の英雄なのに
大日本帝国とか鎌倉足利幕府とか実質すぐに滅んだしな 日本列島自体が
黄金のうんこの国だから…
バナナ型のうんこだよ まあ後継者を決めるのに忍者の10vs10の結果が出るまで待ったからな >>651
木曾は別に信忠や滝川にそそのかされて寝返ったわけじゃないからねぇ
もうずっと武田本家に反抗してたとこに声かかっただけで 長い
昔はそこそこ短気だったとは言えるが、年取って落ち着いたんだろ
まあ、そもそも三方ヶ原は短気って言うのも可哀想だが
あれで引きこもったままじゃ領主としての面目丸潰れで統治できねえよ
負けても出撃しねえと >>626
あれは秀吉の部下がイキって失敗した、
「そんな策に家康がハマるわけない」と思いながらも、
部下を止めることが出来なかったそうだ、
農民出身の秀吉は、調整に手こずったようだね
光秀打ち取ったとはいえ、天下人になる前 >>636
建前はそうだけど本音は違うんじゃね?
ネトサポだって安倍は仮病だと思ってるよ 歴史で、一次資料に当たるのは基本だよね。
戦争まけてそれ燃やした政府は、価値をよくわかってる。 日本は室町時代に人口飽和に達した、
平地をすべて開墾しつくした
とはいえ人口は勝手に増えていく、食料の奪い合い、戦国時代、
内戦で多少人口調整はされるがやはり増加する
従来の取り合い、信長、安土桃山
食糧生産の限界突破が国是で、とはいえ新田開発の余地は無い
秀吉は大陸進出に活路を求め失敗
全てを見てきた家康は領土内で完結させる道を選んだ。
一人っ子政策、長子相続、
これなら人口増加を最低限に抑えられる
武士も例外を認めない、次男以下の結婚出産は認めない
農民は子供の間引きで調整した。
平和で進化を拒絶した社会
家康がいなければ内戦が続き、
争いが続けば文化や科学は発展する
ハーバーボッシュ法は日本で生まれたかもしれんね
中世から近世への発展に必要な程度の鉱物資源はあるのだから
製鉄、窒素までたどりつけてりゃね
化学肥料、食糧増産のターン
鉄と火薬で改めて大陸進出 辛抱強いかどうかは別として陰険そうであまり好きじゃない
信康殺しを信長や酒井のせいにしたりして 生き方が辛抱強いから、性格が短気でも辛抱強いでいいと思う
運と結果論の部分はあるけども 日本列島は、黄金のバナナ型のうんこ
四国は明石家おまる(いまる)
日本人がうんこ好きの原因だよ >>663
信忠が声かけたんなら、
「武田家を内部から崩しにかかってた主担当は信忠」
ってコトじゃん。 湯船で背中を流してくれた下女を押し倒して孕ませたエロジジイだぞ 〜と話したみたいのは家康に限らず全部後世の創作だろ
本人筆の文面や、本人から直に聞いた人の資料じゃなきゃ全部嘘
第一会議のひそひそやどうでもいい日常会話がバレるわけねーしな 家康は秀吉と違って一杯子供いるから死んでも安泰だった >>674
愛知県人は、おわりみかわとやたら言い合うね。
あれ、なんで?
どうでもいいとは言わないけど、不思議。 >>526
カルバリン砲を用立ててもらえたのはそういうことなんね 徳川家康自体が創作だろ
日本は歴史創作が大好きな国なのに何言ってんだ… >>303
秀吉と正面対決して小牧長久手の戦いで戦闘では勝ってるというのは大きい。
秀吉は家康に直接会って頭を下げるように頼んで後に臣下として頭を下げたから出席した大名たちが驚いたとの話がある。
体制を固めつつある秀吉には政治力で勝てないとする家康と、敵に回したら政権がぐらつくから取り込んだ方が得策と考えた秀吉。 日光
U字工事「ごめんね ごめんねー」
家康は悪魔
秀吉が一言
↓ >>672
大坂の陣に至るまでの
秀頼を追い込むやり方は
ネチネチとしていて泥臭くて
嫌な感じがするよな
もっとスマートにできないものかと思うけれど
それで成功して、天下泰平にしたんだから
やっぱり英雄中の英雄だろうなあ >>678
主担当ってくらいなんだから綿密な裏交渉やらなんやらやってないと
信忠は崖に小指しかかかってないやつに最初に軽く声かけたら即上手く行っただけ
きっちり工作してるのは家康のみ >>626
家康が勝利したのは局地戦で池田父子や森長可が討死したとは言え大勢には影響ないよ
9月17日付で脇坂安治に宛てた秀吉書状で「新たに3ヶ所に砦を築いたからこれからは長期戦も辞さない覚悟で徹底的に家康を叩き潰す。
家康から人質を出す話があるが、それを受けるつもりはないし絶対に許さない」
と述べてる
知っての通り11月29日に発生した天正大地震で戦どころじゃなくなったから家康は命拾いしてるけどね 花のようなる秀頼さまをなんて歌に残ってるから秀頼=耽美な美少年かと思ってたら、実際はあの時代に身長190センチもある化け物だったそうじゃないか。
家康が豊臣潰しに必死になったのは、「こんなやつが秀吉の後をついだら恐ろしい」という危機感があったからだろうな。 >>305
日本の歴史学者って自然科学,工学,経済学に疎すぎて国家や社会を総体的にとらえる努力をしていない。人物や政治ですべてが決まるような小説脳。 もしも
秀吉が小田原征伐をしていなかったら
家康は動けず天下をとれなかったかな 歴史って捻じ曲げたらダメだろ
歴史を学ぶ価値が無くなっちまう ホトトギス(集団ストーカー達)は良く鳴くんだ
とっても危険だから毎日鳴いてるんだ
本当気を付けてね
歴史は警察板に書いといたから >>626
小牧長久手では秀吉の先鋒隊に家康が戦術的勝利しただけで
秀吉本体が出てきたらびびって和睦を申し入れただけだから
戦略的には敗北してるんだよ >>632
あれは忠輝の母親がお手つきの下船の娘だからポーズじゃないの
秀忠の落胤、保科正之みたいなもん >>228
その時代に統一できてないんだから大したことないよ 豊臣家は普通に残れた
時代よめなさすぎで秀頼アホ
逆に淀殿は政治に口出してないと思う、後世の創作 >>684
築山は辛抱出来ずに自分で殺してるんやで
信長に命じられた説でも自ら望んで殺した説でも信康だけ処分すりゃいいだけの話だったのに 信長は気が長かったらしいぞ。
秀吉が部下に宛てた手紙で「ワシは信長ほど気は長くないぞ」と脅してたみたいだからな 実子じゃないデブな秀頼は金正恩みたいな扱いだったんじゃないの?
みんなが大変な時に清正にカマボコを大量に作らせて一人でたいらげたような奴だよ >>679
男なら普通やんw
誰だってチンポ立つわw >>704
地震とか台風とか考えたら
東京じゃないほうがよかったよ ノッブから佐久間信盛への手紙(現代語訳)
お前全然だめじゃん、7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん
秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?
出来ないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?それなのに何もしないで包囲してただけじゃん
しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?
あ、そうだ、水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて見込みあったんだぞ
岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三(鬼武蔵)に召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ
あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか?本当に
光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?
お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどお前よりも年取ってる権六なんかすげー頑張ってるぞ
そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ、あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に横柄な態度とるとかおかしいだろ
権六なんか跡取りの話もせずに頑張ってるぞ。いや、たまには負けるけどな。加賀でそういえば最近も負けたな、権六
でも権六は頑張ってるぞ、勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ、やる気なんだよやる気、お前はやる気が感じられないし
とにかく今のままじゃ話にならん
信盛よ、こうなったら大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか、3つに1つだぞ、よく考えろや 江戸時代の藩
三河国には大藩はなく、旗本領、寺社領、幕府直轄領(天領)も多かった。
@三河吉田藩
A西尾藩
B岡崎藩
C刈谷藩
D挙母藩
E大給藩(奥殿藩)
F田原藩
G西端藩
H西大平藩
その他、 作手藩 伊保藩 深溝藩 三河中島藩 大浜藩 新城藩 足助藩 形原藩 畑村藩 では実際会って検証したのか?
結果を元に類推するしか無いのよ 忠輝にも大封与えてるだろw、水戸以上にな
統治能力なかっただけ 戦場でイライラして爪噛みすぎて出血するような奴やから本来はセッカチな気が >>686
正面対決なんかしてねーよ
秀吉不在の方面軍との小競り合いだ >>696
いやいや三河、遠江、駿河、甲斐、信濃を
領する大大名だぞ
むしろ畿内に近い位置に家康がいたほうが
家康の天下取りが近かったんじゃないの? >>708
190cmのデブだから体型はトランプに近い >>691
だから、「信忠が綿密な裏交渉やらなんやらやってた」って主張してるんだが。
常識で考えろよ。
家康が綿密な裏交渉やらなんやらやって、木曾義昌が裏切りを決めたとするなら、
最後に声を掛けただけの信忠に人質を預けちゃダメだろ。
そんなことしたら、家康の顔を潰すことになるし、
どうして、最後に声を掛けただけの信忠に家族の命を懸けることになる。 >>707
林や佐久間といった家柄だけの無能を何十年も我慢して使ってたくらいだしな 松平忠輝は家康が最も恐れた男に数えられてる
息子なのに 秀頼さえ生まれなければ順当に秀次が秀吉の跡を継ぎ、家康は天下を取れなかった
家康は運が良かった この人敵に乗り込まれてビビってうんこ漏らしたんだっけ ホトトギスの句なんて後世の創作なのは当然
家康は後世からみたら辛抱強く見えても利害得失で動いてるんだから見方によったら辛抱強くみえるし、そんなことないように見える 日本列島は、黄金のバナナ型のうんこ
四国は明石家おまる(いまる)
それか
日本列島は四国と云う
トイレに腰掛けてる人間の姿
明石家さんまが
日本列島をうんち列島に変えたんだよ
日本人がうんこ好きの原因だよ 最近の秀吉びいきは維新系のネトサポなんだろな
シリアみたいしようという仕込みか何かだろな >>29
そうらしいけど、これもよく考えると凄いな。
仮名手本忠臣蔵の時代設定変更したりしてるのに、神様になってる東照大権現が
ウンコ漏らしという捏造話作ってもありっていうのは基準がよくわからん。 >>311
松潤がうんこ漏らして
尿潤から糞潤へレベルアップ 天下までは晩年まで棚ぼただったろうけど
大大名として家を残すということはずっと念頭に置いていただろうし >>480
長男の利長と 次男の利政って、間に姉妹がいるとはいえ
同母兄弟で 16歳も離れているんだな。 司馬さんの小説しか読んでないわしだけど、歴史好きな人たちの書き込み面白いな、 >>712
>大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか
これで3番選ぶわけだからやっぱダメだったんだね佐久間さん >>694
それは実際にあったんじゃないかな。
血統的にも織田と浅井の血を引いているわけだし。 信長はDQN気質だったんだろ
好き嫌いがはっきりしていて好きなやつには甘いけど嫌いなやつにはどこまでも冷酷になれるという >>700
戦略的というよりも政治的に秀吉が勝ったんだよ
信雄が和議を受け入れたので
家康は信長の次男の信雄をかついで立ち上がったのだから
その信雄がほいほいと秀吉と和議を結んでしまえば
家康に戦をする大義名分がなくなっただけ
秀吉に勝てないと思って和睦したわけじゃないから >>707
実際何を見ても気長いもんね
比叡山だってもっと早く焼き討ちしてもよかったのに朝廷と大義のために気を使って粘り強く交渉してさ >>721
トランプと金正恩のフュージョンか
メンドクサイ奴だったんだろうな
内心みんな家康が秀頼をやっちまえだったろう 日本列島は四国と云う
トイレに腰掛けてる人間の姿
明石家さんま(いまる)が
日本列島をうんち列島に変えたんだよ
日本人がうんこ好きの原因だよ >>670
はあ?
江戸時代最初の100年くらいで石高が倍増して人口も倍増だぞ 秀吉が
北条氏政を討たなければ
結果的に家康は自由に動けずに
秀頼が無事に成長だきたのかね 家康は秀吉の遺言通りに千姫を秀頼に嫁がせてるから、最初は豊臣家潰すつもりはなかったんだろ?
旧主滅ぼす汚名なんて着たくないはずだし、秀吉時代の織田家みたいな存在になってくれるのがベストだったはず 脱糞エピソードがまことしやかに語り継がれてるけど
一回ついた悪評って何年も残るんやなという学びになる 一番短気なのは吉宗
手続きして部下にさせればいいところを、自分で偽名使って正体隠しつつ、自分で切り込みに行くんだぜ
徳田新之助、半端ないって 家康で褒めてやれるとしたら
直江状で釣られた家康が白河決戦を避け踵を返して西進したこと
あの時に徳川軍6万が白河に突入してたら
上杉+佐竹連合軍16万2千で白河に引き込んで地の利を活かす策で
それを最初から絵に描いていた直江兼続の万全の構えで殲滅されてた
なぜ上杉が追撃しなかったのは謎だけどな たった二人の(実際は違うが)武蔵の巌流島の話だけでも
どんだけウソなんだよってレベルなのに
時の権力者ならどうにでも書かせられるでしょ 尾張国と三河国と本来別の国だからな。
今の愛知県は、尾張が牛耳っているが 地政学で秀吉が植民地を防ぐため、
大陸へ攻め入ったのが分かったからな
狙いは明一つで、半島なんてただの通り道
北東アジアの植民地を防いだのは秀吉だよ
大陸侵攻案は信長の置き土産だがね
当時の覇権国家スぺカスを牽制するため しぶとく生き残っていたら石田三成とか淀殿しか残ってなかったのでやっちゃいました 天下まで取った人間がどちらか一方に性格が傾くなんてありえんよ
局面局面で短気な時があると思えば辛抱強い戦略も取り最終的に
勝ち切って行ったということ >>741
信雄が勝手に講和したというのも最近の研究じゃ怪しいと言われてる
家康が降伏に近い形で秀吉と和睦したのを隠すために信雄が日和ったというストーリーに仕立て上げたと >>751
移封で全然OKだったろうね
出来れば四国あたりがベスト 日本列島は
太平洋に浮遊する
黄金のバナナ型のうんこ
四国は明石家オマル(いまる)
オマール国の意味じゃ無いよお >>754
上杉は東北の伊達が怖くて南下できなかった >>751
それほど天下取ることに拘っているようには思えないんだよな
小牧長久手で秀吉と戦したのだって
織田信雄が秀吉と対立したから、行きがかり上に
信雄の味方してやるか、みたいな感じ
そこまで天下取りに必死になっていたようには見えない >>704
最近西軍が勝ったら日本がどうなってたか、みたいな話題がバズってたけど、
結局日本最大の関東平野を開拓しない選択肢はなかったと思うけどなぁ。あと山ばっかだし >>726
秀頼が生まれたことで秀次一家が虐殺され
三成が豊臣家に全力でバックアップされることなく負け
臣下の礼を取らず大和郡山or伊勢への国替えも拒否して
最後は秀頼を出馬させることなくむざむざ城で死なせる
…どう考えても淀殿が豊臣家滅ぼすために全力でした。
というか最初から復讐でわざとやってたとしか思えない。 >>726
どうだろうw 豊臣崩壊の原因って複数あると思うんだよな。安定した世襲制度の欠如とか、近江閥VS尾張閥の対立とか。
秀次にクリア出来るのだろうか >>734
毛利家には、追放扱いだった小早川秀秋を復帰させて、
加賀家のお家騒動に口をはさんで混乱させて、
宇喜多家の家臣を扇動して主君と揉めさせてるけどな。
5大老のうち、自分以外を順繰りに潰していくつもりでやってて、
最後の上杉家がアレなもんで、直接戦闘になりかけたところで関が原が起こった。 秀吉は大政所も北政所も家康以上の長生きだったけど自身は60と早死したのがね >>572
傭兵は逃げてもリスクが低い、農民兵は逃げると村八分食らって村に居場所がなくなるから逃げられない
昔の兵の強弱は逃げるか逃げないか >>695
ほほう。
脱糞脱兎理論以外に、何か知ってそうだね。 >>761
じゃないと信長が領内を通って帰るだけのために莫大な金かけて整備やら宿新築やらしないと思うね
武田潰してくれてありがとう。(建前上)援軍ありがとうのレベルじゃないもんね >>737
ああでもないこうでもない言えて面白いよね >>778
源氏じゃない(源氏を名乗ってない)から。 野戦の名人みたいに言われるけど結構トンデモ戦術するよね >>778
関白の方が身分上だから
出自のコンプレックスが強かったからより高貴な肩書を求めた >>778
将軍には結果的になれなかっただけだろ。
足利義昭に養子にしてくれ、って頼んで断られたじゃん。 >>24
信長は糖尿病でキレやすくなった
糖尿は人によってかなりキレやすい性格になる >>782
それ後世の創作だよ〜
単に秀吉は藤原氏(貴族)になりたかっただけです
武家では初めての関白 >>778
なろうとはした
将軍になるために
足利義昭と養子縁組して
足利秀吉となって、源氏になってから
将軍になろうとした
だけど義昭に断られてしまった
源氏でなければ将軍になれない、という朝廷の前例主義に阻まれて
将軍になれなかったということ 毛唐が、金平糖を食わせすぎて、
日本人みんな死んでいった 数十年後には安倍が下痢便漏らして逃げたってのがマジで史実になるかもな 一言で語れるほど単純な性格の人間なんかいない。当たり前。 三河見てると何百年経ってもその土地の本質が変わらないって面白いな 方広寺の件がなければ家康はどうしてたんだろうな
寿命までに豊臣家潰す大義名分作れなかったんじゃないの? 家康が秀吉よりも早死して秀忠が徳川のあとを継いでいたら
豊臣の天下のままだったんだろうか >>761
はじめは同盟っていっても別に平等じゃなく、織田家のほうが強いしどうみても格上
その後完全に家臣だろ、官位やら実力やらけた違いだし
ドラマで一緒にひな壇に並ぶとかあり得ないし興ざめる 今、日本はイエローカラーばっかりでしょ
黄金のうんこの国だからだよ 下痢時のうんこはまじで我慢できない
俺も昔、野糞を見られるかうんこをもらすかの究極の選択を迫られて後者を選んだ >>770
秀吉は成り上がりだし権力の世襲が下手くそそうだしなあ 性格はどうであれ
確実に外堀を埋めて関ヶ原まで待ち続けたのは相当な忍耐力がないと無理だよ >>763
そうだとしても
徳川の生殺与奪を握った状況で一兵も追撃を出さないのも不思議だろう 太政大臣は官職としては最高位なのになぜか不人気職だからなあ
職掌が明記されてなかったせいか >>785,786
頼朝 源氏 幕府 武家政権 でググれ
基本中の基本やぞ この原作面白いんか?
現代のクソ雑魚ナメクジの学生が
戦国なんかいってもしょんべん垂らしてにげまわるだけや。 >>113
では殿の食事にこの味噌を使うよう食事番に渡しておきましょう >>778
源氏よりも藤原の養子になりたかった田舎者のハゲ猿だから >>778
天皇が日本の頂点なんで、官位的には関白は絶対的なナンバー2の地位
征夷大将軍は天皇が武門の統領に任命する役職だから
業務委託先の社長みたいなもん 「青天を衝け」見たか?
いきなり「東照公御遺訓」や「三字教」の中国古典を由来とするものが出てきてお前ら発狂したろ?w >>796
それほど熱心に潰すつもりだったとは思えないけどな。
秀頼の官位は秀忠より上になるように気を付けてたし、
なにより、孫の千姫を取り戻そうとしてないし。 >>806
そんな決まりはない
平氏の信長も朝廷から関白、征夷大将軍、太政大臣の好きなのどれか選んでねって打診されてたから
返事出す前に本能寺で死んだけど >>807
その条件ならまず衛生面で苦しみ抜いて死ぬと思うわ >>789
足利義昭に養子縁組を申し込んでる時点でおかしいってことに気付かんかなw >>10
まー、三方ヶ原では敵の挑発に乗って出撃し、大敗してウンコ漏らしたな。
あれは漏らしたのがウンコだけでは済まなかった可能性が十分にあるな。 家康は当時最高レベルの教養人であり、辛抱強いと言うより、頭が良く、判断力に優れていたのだと思う。 >>778
将軍がエライってのは江戸幕府の影響だろ?
鎌倉や足利将軍はどうだった?力なしでボロボロじゃねーか
関白のほうがかっこよくね?
源やその親戚の足利の親戚関係ねーし 愛知県は尾張も三河も男は発達障害多いからか、キレ易かったり妙にマウンティング体質 面倒臭い三河衆抱えてたんだからまあまあ辛抱強かったとは思う 秀吉の一番のミスは小牧長久手で家康を滅ぼせなかったことに尽きる
ちょうど天正大地震が起きたんだよな 運がいかに大事なのがよくわかる >>752
家康の人生で野戦で大敗した唯一の戦いだから、いろいろ言われるのもしゃーないし。
ただそれから武田の人脈や戦術を取り込んで天下取りの基礎を作っていったのは流石だわ。 ご先祖様が伊賀越えを成功していなければ
俺はこの世に存在できていなかったと思うと
怖い 自分が薬マニアだったものだから
薬師の見立てに腹立てて流罪にしたってエピソードが残ってるぐらい晩年の家康も短気
気の毒に思った秀忠が家康死後赦免してやってるぐらいでな 想像以上にスレが伸びるねぇ
家康も草場の陰で喜んでいるだろう(T_T) 糞もらしとしかみ像の逸話って後世の創作であることがほぼ確実視されているが、
いまだこれだけネタになっているのをみると通説ってそうそう変わらないんだなと実感するな 三傑に限らず戦国の武将はだれもが縛りプレイだったでしょ
家康の場合は外に打って出られない縛り >>761
表向きは同盟
完全な家臣ではなかった
幼少の頃の家康やその家臣団を知る信長の配慮でしょ
あまりに辛苦を舐めてたから他家に使えるのを異常なまでに
拒絶していた。 >>828
天正地震が無ければ家康は確実に潰されてた
ほんと家康の運は異常 歴史も時代とともに変わるね
信長もブームの頃の信長天才説・革命児説はすっかり鳴りを潜めて
今では割と常識人だった説が有力になってるみたいだし 徳川の転機は秀吉の嫌がらせともいえる関東への移封を逆手に取って
大阪から遠い地で東国の武士達を取り込み地道に力を蓄えられたからだな
三河のままじゃ天下は取れなかったよ >>782
源氏は征夷大将軍の条件じゃない
室町に入ってから源氏が続いたってだけの話でそれ以前だと源氏の方が少数派 関白も摂政も征夷大将軍も全部令外官なのになぜそんなにありがたみが出ちゃったんだろうね。
征夷大将軍とか拡大解釈にも程がありすぎってレベルだし。 日本列島はバナナと云う
黄金のうんこの形で出来ていて
バナナを凍らせると、釘が打てるんだよ 薩長ばかり言われるけど江戸に捏造した徳川史観も大概だよな
260年の間にどれだけ歴史を改ざんしてきたのかわからないw
無論秀吉にいたっても織田家やら光秀のことやらかなり改ざんしてきたんじゃねぇのかな 征夷大将軍とか源氏とかいう賤しき身分のチンカスがやるもんだろw >>822
>将軍がエライってのは江戸幕府の影響だろ?
>鎌倉や足利将軍はどうだった?力なしでボロボロじゃねーか
後鳥羽上皇「…」 >>814
あれは現代でいう「発言の切り取り」で豊臣がわの失言を捏造しただけだから、鐘問題がなくてもいずれ別な口実を作って開戦してた。 >>748
2百数十年で人口倍って異常な少なさやで
何世代だと思ってるの >>761
信長末期の頃は周辺勢力から徳川は織田配下と見られていたのは確かやね 滅んだ武田軍の残党を家康が受け入れたのも、
三方ヶ原の闘いで、武田軍の強さを目の当たりにしたから
以後は調略、戦略などにチカラを入れるようになる、
建設で言えば設計図、始まった時点で7割以上は完了
戦争は始まった時点で殆ど終了している >>828
いや実力だろ
秀吉は地震のおかげで面子をつぶすことなく撤兵することが出来た
徳川軍の戦上手に恐れを抱いた秀吉はその後家康と
戦おうとはせず最上位の待遇で迎えたわけだし。 >>847
いや、無断で諱を分断するのは謀反疑われてもしゃーねーだろ >>1
信長は何度も反逆した家臣を許してる
非常に我慢強い 辛抱強かったわけじゃないだろ
むしろ家康は5ちゃんねらーに1番近かったと思う 実は信長画一番辛抱強い
ただキレたら手をつけられなくなるがww 征夷大将軍になるには源氏でないといけないけど
家系なんかいくらでも偽造できそうな感じがするけどな
遺伝子技術なんてなかったんだし >>837
昔の知識人は中国古典に精通した人の事を指すの
何せ日本に律令制をもたらしたのは帰化僧の鑑真なんだからw 棒うんこのじゃなく
日本は、まきぐそに憧れてるんだよ
まきぐその話なら
いつかしてあげるよ〜 ここで挙がってる三方ヶ原や小牧長久手と窮地逃げ切って
自分は関ヶ原や大坂の陣で相手の息の根止めて完勝してるし見事としか言いようないっしょ >>840
室町幕府だけじゃなくて
鎌倉幕府は源頼朝とその子なんだから
源氏も源氏だろw >>712
草 信長はほんと好き嫌いがはっきりしてるわな >>73
>>86も書いてるが、名前を二つに割ること自体が
呪いを掛けてると思われても仕方ない行為。
国家安寧とかならよかった。
書いた人は学識豊かだが天然で、何が悪いのかと思っていたそう。 家康=落合博満
信長=イチロー
秀吉=田村淳
現代人に例えるとこんな感じ >>860
鎌倉幕府の源氏の征夷大将軍は3人だけ、後は藤原氏と皇族 兜はかぶらなかったんだっけ
上に立つ者が臆してるように見えてはいかんと >>859
関ヶ原で相手の息の根を止められなかったから、大坂の陣が起こったんだろうが >>856
そんなもので騙されたら
朝廷の権威がますます低下するだろ
だから
朝廷としては、自分たちの権威維持のために
「前例にないでおじゃる」と渋るほうが
朝廷の利益になるんだよ
だからホイホイと将軍に任命したりしないわけ アホらしい
江戸幕府なんて信用度ゼロでしょ
すべてのものを疑ってかかるのが正解 >>1
虎視眈々と高確率のチャンスを狙ってたという意味では辛抱強いといえるだろう
並みの武将ならもっと前に天下に野心みせて潰されてたかもしれん >>847
方広寺の鐘の件は豊臣側の家康に対するはなはだしい侮辱行為と受け取られても仕方ないものであったことは確かだよ ああ、日本列島やバナナっては
ちんこってイメージもあるね
ちんこって凍らせると
釘が打てるんだろ… 今のブームだと戦国最強は誰なん?
武力、知力、政略、調略、人脈、全部を考慮として。
俺の時は武田信玄、上杉謙信の二強が人気だったが、
今は信長ブームが今終わって、家康に戻ったんかね?
「勝者とは強い者でなく、最後まで立って居た者のこと」の名言があるね 烏帽子をかぶる習慣がなくなり始めるのが安土桃山時代なんだよな
烏帽子をかぶらず髷をさらした露頭の肖像画が出てくる
織田信長像は有名だし
大将が兜をかぶらなくなるのも関連があるのか 普通ならタケチヨの時にお家自然消滅で終わってた
支え続けた連中がすごい 辛抱強さがなかったら秀頼と淀君を長く生かしていた理由がつかない。光秀から腐った料理を出されて討たなかったのは何故なのか。 戦が弱い秀吉じゃ家康に小牧長久手で負けたんだし
関ヶ原でも石田三成以前に総大将の毛利はヘタレた
徳川の世を望まないなら、今川が若年の人質を殺すか
武田が三方ヶ原で潰すか、織田が対浅井や朝倉へ死しての盾を強いるか
白河で上杉に殲滅されるかだっただろう >>881
順当に考えれば今川勝利だったんだよな
信長負けてたら日本史どうなってたんだろう 釘宮みたいに
ちんこを凍らせて、釘を
打たなきゃいけないのか…
きもいなあ >>871
関ヶ原の時はあくまで君側の奸を討つ、石田三成打倒だから西軍は纏まっていた
あのまま秀頼討伐なら福島正則が家康に無謀を起こす >>882
ウンコ漏らした理由になるから
よく漏らしてたんだろうね >>879
オレは秀吉が最強かなと思っているな
城攻めがうまいし、不可能に見えるような課題でも
政治力でなんとでもしてしまいそうな感じがすごいw >>782
正直、秀吉なら源氏姓など、どうにでもなるな。
近衛前久の養子に入り本姓藤原になって関白職を継いでるんだからな。
将軍になりたければ本姓源氏の誰かの養子になるだけや。 実際に日本に長期観光で来日した外国人に
日本人の印象をアンケート
一番おおかった答えとは?
3位 静か。声が穏やか。日本人のおしゃべりを聞いてるだけでヒーリング。意味がわからなくても動画でずっと聞いてる。
2位 目が綺麗。目が澄んでいる大人が多くて驚いた。騙したり嘘をついたりがない。だから街に犯罪の匂いがしない。
1位 日本人は忍耐強い。我慢強い。なんで怒らないの?失礼なことされても感情的にならない。 諦め早いよな
桶狭間:義元様が死んだ!?もう駄目だ切腹する
本能寺の変:信長様が死んだ!?もう駄目だ切腹する
大阪の陣:幸村が迫ってきてる!?もう駄目だ切腹する >>769
そんなに嬉しかったのか… なら良かった笑 タイトル見て初めて聞いたワードなんだけど
辛抱強いと言う印象は全くない
ただ、待ったと言う話 >>879
全盛期同士でぶつかり合ったら秀吉圧勝じゃね? >>299
そうやって変われたか、あるいは変わるチャンスと時間があるかで色んな人の運命が変わったんだろうなあ ウンコ漏らして悔しいからそのまま肖像画描かせるとかド変態だよね 秀吉は征夷大将軍になれたっけ
価値観古い奴多いなぁ、単に出自にコンプレックスがあったんだよ
だから関白を選んだ 家康は必要なら自分の感情を殺して仮面をかぶれる人
関ケ原以降は仮面をかぶる必要が無くなっただけ
秀吉も天下人になる前は仮面をかぶってキャラを演じていたし >>833
一旦根付いちゃうと中々それを払拭するのは難しいな
例えば石田三成七将襲撃事件も家康邸に逃げ込んだんじゃなく伏見の自邸に戻ったってのも
笠谷和比古が10年くらい前に一次史料で訂正してようやく認識が改まってきたけど未だに家康邸に逃げたと思ってる人も多いんじゃないかな >>896
辛抱強いというと
長年、天下取りのチャンスを待っていたように感じるけれど
家康が天下取りを意識しだしたのは
かなり晩年になってからのような気がするんだよな >>879
智謀150魅力120で秀吉かな?
やっぱ、あいつは半端じゃねーわ >>902
足利義昭に養子にしてと頼んだら
バッサリ断られた 辛抱強い云々というより権力に固執する執念が凄かったんだろうね
その気持ちの悪さをこれらの唄は唄っている
そしてその気持ちの悪い権力欲は財力に形を変えて現在も続いているのだ
これに一矢報いるかどうかは貴方次第 >>425
つまり秀吉軍団だけに滅亡寸前まで追い込まれた毛利はもっと弱かったか >>882
秀頼の嫁は、家康の孫娘の千姫だぞ。
秀頼と千姫の間に子供が生まれて、豊臣家を継いだら、
「関白太政大臣豊臣秀頼の血を引く家系」が、徳川将軍家の親戚にいるってコトになる。
徳川家の分家に組みなおされて、代々関白太政大臣になる家系として、
江戸幕府を支える重要ファクターになってただろう。 少なくとも天下餅の歌はバリバリの戦国武将だった家康のことを完全に勘違いしてる >>891,899
サンキュ、秀吉ブーム来たかw
先ず、農民を味方につけるって凄い
彼等は食糧を握っている、これだけで最重要
他の武士は農民を無下に扱う人も多かった中で、
人たらし・秀吉は彼等を味方に付けることを戦の要とした
農家の人は食糧だけでなく裏道も知ってるからね
噂の中国大返しも、補給線を最重視しており(今でも兵站は戦争の要)
港に近いとこに拠点を置いて、水軍を活用してたってのは… 家康は凄いけど秀忠の功績もあるからね
秀忠は政治面ではかなり凄い人物だったようだし
家康だって信康や正室の築山殿を殺してる信長秀吉には劣るけどワルだよ
結果的に信康が死んだおかげでその後の問題解決したんだが 結果から辛抱強いって誰でも知ってるやん。
短気と辛抱強いは別な話だよ >>909
無理無理
今の皇室、経済界、学問界を陰で支えているのが徳川宗家を始めとする大名家の末裔なw バナナちんこ型の日本列島は
ガースみたいに
黒光りするんだろ?
黒いサイトばっかりで >>891
分断調略の上手さは俺が知る限り日本史中最高レベル
肝心要の小早川家の乗っ取りで送り込んだひであきか関ヶ原で東軍について家康に族滅されたのは最大の誤算やろうけどその前の秀次粛清で尾張派が離れてしまってたから仕方ない >>914
家康の生涯見たら、政治センスも戦術戦略センスも抜群の天才だとわかる >>910
その民族が忌み嫌ってるのは秀吉だよ
家康というか徳川が嫌われてる地域はあるから
信玄に殺されかけて漏らしたのは事実
無知だね 信長と秀吉の理想は商業国家だった
徳川家は農業国家で、だからの鎖国
秀吉系の政権が続いてたら、鎖国もなく、
産業革命の情報とかもすぐ入ってきてて、
東南アジアには日本の租借地とかもできてて、
いまみたいな農村的陰険ジャップじゃなく、
商業的陽キャ日本人ができてただろうな
冒険心、発明心を抑え込む鎖国が日本人の精神性をゆがめたわ
結果論だが、徳川の罪は大きい 幼少期をまるっと人質で過ごしたやつが
まともな人間に育つわけがない 朝鮮出兵で国内の評判落としてなかったら豊臣政権が50年は続いてたと思うわ。 日本人は
うんこに集まる虫(宇治・うじ)に
なっちゃったんだ
うんこが無いと
生きていけない >>923
政治センスがあったら、本能寺の変の後、甲斐信濃なんか呑気に取ってないで、大急ぎで明智光秀討ち取ってただろ。
戦術戦略センスがあったら、三方が原で戦ってないだろ。 >>928
源氏は帝の為を思ってそうしただけだよw >>930
参勤交代と同じ目的なら外様にだけ遠征させて力を削げば良かったな 朝鮮に何て出兵しないで
上海に出兵してれば良かったのに 漫画原作のコスプレ映画ね
学問は積み重ねだからね
逆張りやとんでも論は相手にされません 何回かドジったけど致命傷級は無かったから天下取れた訳だし 総理大臣になりたくてもなれない奴もいれば
菅みたいに転がりこんでくる天下もあるって事 >>922
秀秋は酒の飲み過ぎで死んで跡継ぎもいないから改易になっただけだがな
というか族滅も何も、秀秋死んだら豊臣系小早川家誰もいないし 秀吉を使って分断工作してんのは統一じゃないか?
このワンパターンな手口はさ >>926
朝鮮出兵したから秀吉は朝鮮人が嫌いなんだとでも思ってるのか?
めでたい頭してるなw
大日本帝国は朝鮮併合したけどどう考えてる?w 長期滞在外国人観光客にアンケート
日本人の印象は?
4位 月をみてる。日本人を観察してて気づいたのは、公共の場で
彼らが我々と違うのは、彼らは人ではなく、空を見たり、月をみたり、花をみたり
してるということだ。我々が人をじーっと観察して値踏みしてる時に
彼らは周囲の人間へ興味を示さない(興味があっても、失礼だからと
ジロジロ見たりしないし、話しかけたい衝動を我慢できるのだろうか)。
5位 1人行動が多い。我々の文化ではカップルの同調圧力がすさまじく
1人で街を歩いてる人間に対する冷たさはすさまじい。変人扱いだ。
日本では老若男女みな、1人で行動することになんの罪悪感もないようだ。
6位 自転車。見栄はりな韓国では自転車に乗っていると母親に泣かれる。そんな恥ずかしいことするな!と。
日本人は裕福そうな人や賢そうな人や綺麗な人が普通に自転車に乗っている。
7位 カバンをもって歩いている人が多い。大きなバッグを持って歩いてる。しかも
中身が丸見えだ。どれだけ治安がいいのか。他人を犯罪者だとみなしてないのか。他の国ではありえない。
8位 ヒールとスカートの女性。もう日本人女性といえばこれ。
日本に行き、自分の国に帰ると自分の国の女性たちがみんな男に見えてくる。。。
9位 すべての道が一日中歩けて、しかも実際に深夜まで人が道を、しかも1人で歩いてる。
つねに街に人が歩いてる。自分の国に帰ると、都会というより墓地のにいるように感じる。
東京と他の大都市の違いはそれ。他の大都市は一部分だけ。郊外、裏に回れば別世界。 >>932
徳川は同盟者であって
織田政権内にいたわけじゃないからな
トランプがペンスに殺されたからって
スガがペンスを殺してトランプの仇を討ったから
スガがアメリカ大統領を兼任できる、って言っているくらい
ナンセンスな仮定だろw
仮に光秀を家康が売ったからと言って
秀吉や勝家にご苦労様でしたとお礼言われるくらいで
織田政権は彼らによって統治されるだけだろw 江戸は当時でも最先端の国で知恵、知識、芸術性が磨かれた、
100万以上の人口を抱える世界一の都市だった
世界中が宣教師というスパイを国内に入れたせいで、
血で血を洗う世の中にあって、日本だけはミラクルピースの真っただ中
日本が遅れてたのは外部からの備えだけで、
それも長崎などで外国の情報を逐一入手していた、 バナナちんこを凍らせて
くぎゅー…
早く、夏が来ないかなあ
プールで遊ぶんだ なるほど。君達博識だね。
ちなみに誠意大将軍は羽賀研二さんだな(笑)
チンポは22cmらしいが羨ましい。 >>943
秀吉は、おそらく朝鮮人を
九州人の一種だと思い込んでいたんだよ
だからいきんり明を討つから、朝鮮人は
道案内するようにと命じているw
朝鮮人にしたら「?」何言ってんの?状態だっただろうw >>932
光秀は秀吉も討ってない
朝廷と関係があるからな
政治センスがあったからこそ信玄をあえて攻撃した
だから信長の信頼を得た >>951
朝鮮人がなぜ秀吉を嫌いなのか詳しく説明してみ >>932
いやあの……家康も三河帰還直後に軍勢揃えて明智討伐目的で上京しようとしてたんですけど……何か?
まぁ鳴海辺りまで行ったとこで秀吉が光秀討伐したという情報を得て、取って返すように甲斐に向かったわけで。
秀吉が想定外に早すぎただけですよ。時系列間違えてまっせ。 キリスト教圏の失敗はデウスを神の字を当ててしまったことである >>954
秀吉黒幕説が出るくらいにめちゃくちゃ対応が早いからな >>953
勘違いしたお前の負けだバカ
自分で調べろバカ もしも明智光秀が織田信長を伐たなったら今の日本はどうなっていたか? 武田信玄に腹を立てて
門松を斜めに斬ったりするくらいだから
短気なんじゃね?? >>932
甲斐信濃→明智討伐を急いだが、結局間に合わなかった
織田政権の枠組みが機能している間に領国拡張に専念した判断は賢明
三方ヶ原→応戦しないと配下国人衆が個別に調略され、領国解体の恐れがあったので、仕方なかった 辛抱強い面があり短気な面もあり
人間てふつうそんなもんだろう 家康にうんこ漏らさせて
喜んだ
鬼畜明石家さんま(おまる・いまる)が
サッカーのオマール国を作って遊んだんだろうな…
四国を日本列島の便器にしたり あんな強国に挟まれた小国から天下取るなんて馬鹿じゃ絶対無理だよ
神がかり的な天才だから、凡人には単に運が良かったように見えるんだろうな >>946
秀吉や勝家が、そんな馬鹿なこと言ったら、
「織田家の家臣が何言ってるんだ?
織田家を乗っ取る気だな。
同盟国として、黙っていられん!」
って、マジで織田家乗っ取られるぞ。 >>19
徳川家康 の 家康(いえやす) って 「いえやす」→「いえ(や)す」→「いえす」
ってことで、イエス・キリストから借用してるという面白説あったな
あとは真田幸村に攻め込まれ、大坂夏の陣にて徳川家康討ち死説も有名
徳川家康は大坂の陣で討ち死にしていた!?〜堺・南宗寺にある墓の謎
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4820 財と武力を持ってる関白のほうが将軍より偉いのは当然のこと 家康さんは本当に辛抱強いよー
信長に長男を切腹させられてもじっと我慢の子でした。
嫁は代えがあるからどうでもよろしい。信康の切腹は
実に痛かったと思う。悔やんでも悔やみ切れなかっただろう。 どういう論理かは知らんがネトウヨの中では豊臣は朝鮮人に嫌われてる事になってるのかw
これが頭Qってやつかw 血気盛んだったけど信玄に完膚なきまでにやられてから我慢も覚えたのさ
しかも武田ヲタにもなってしもた >>962
事前に織田家に甲斐信濃に進出しまっせって許可を求めてるし最終的に信雄と信孝が仲裁に入って北条とも和睦してるからね
まあでも秀吉がいなかったら家康が光秀を討ってたんじゃないかと思う。柴田なんていつまでもモタモタしてやっぱこいつ駄目だわって感じだったし 肛門「何者だ!」
うんこ「みそです」
家康「本人もそう申しておる」 辛抱強い被害者的な感じでドラマ作るのかな
嫌だなw キリスト教の最大の矛盾は全知全能の神がいるのに悪魔が存在してること 家康はキチガイ
穢土(えど)とか不吉な地名をつけて日本人を呪った悪魔 家康は
鳴かぬなら鳴いたら餌あげると言って散々鳴かせておいて後で適当な言いがかりつけて相手のせいにしながら餌やらんとこホトトギス
まあこんな感じだろ 柴田勝家って上杉軍に歯が立たなかったろ
「織田軍、おそるるに足らず」とか屈辱的な事言われてるし >>216
良くも悪くも秀忠が真面目マンだったせいだな。 いや家康が信長に討たれるのは遅かれ早かれだったろw
あくまでも武田との緩衝だから、武田が滅亡すれば用無し
無理難題押し付けて、隷従しないのを言いがかりにスパッとw >>981
穢土なんて地名ないだろ?
穢多の事か? 松潤がウンコ漏らすところどうやるんだろ
リアルで酷いイメージだから今更だけど 家康は今川義元が亡きあとは尾張の信長じゃなくて甲斐の武田と結んで
遠交近攻で尾張を主敵とした方がよかったな
信玄は上の世代でどうせいずれ死ぬし後継者がクソなのわかってたし
同世代に近い信長だとずっとパシられるのわかってたはず
本能寺は僥倖で内心でほんと喜ばしかったと思う 徳川家康はDSとか始めてやんの?w
陰謀論を逆手に取る陰謀が多すぎw
統一はアホだろw うんこ漏らしてたぐらいだから辛抱強くはないよな
運が良かっただけ >>932
13日に山崎の戦いで家康は14日には明智討伐で鳴海まで出陣してるんだよなあ
秀吉が早すぎるから遅れを取ったみたいに感じるけど普通にめちゃくちゃ早いからな このスレッドは1000を超えました。
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