【】ムンク『叫び』の落書きは本人によるもの、ノルウェーで解明 [oops★]
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ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンクの代表的作品『叫び』。複数残る『叫び』の中で、ノルウェー国立美術館が収蔵する作品は長らくある謎を抱えていた。左上に鉛筆で書き込まれた「狂人が描いたとしか思えない」という走り書きは、一体誰の手によるものなのかーー。ノルウェー国立美術館は22日、落書きがムンク本人によって書かれたものだと断定した。The New York Timesなど、複数の大手メディアが報じている。
ムンクは1893年にクレヨン画とテンペラ・クレヨンの画、1895年にパステル画、1910年にテンペラ・油彩画など、複数の『叫び』を制作している。ノルウェー国立美術館に収蔵されているものはテンペラ・クレヨンの作品だ。
調査を担当した学芸員のマイ・ブリット・グレンさんは、赤外線カメラを用いて『叫び』の落書きを解析。New York Timesによると、「一字一句、注意深く検証した結果、ムンクの筆跡と完全に一致することがわかりました。疑いの余地はありません」とグレンさん。
グレンさんによると、走り書きは1895年にオスロのブロムクヴィストギャラリーで開催された個展の後に書かれたものではないかと推測されるという。オスロ大学で展示についてディベートが行われた際、医学生のヨハン・シャルフェンベルクが『叫び』を見てムンクの精神状態を疑問視。ムンクを「異常者」「狂人」などと呼び、彼はひどく傷ついたと伝えられている。
グレンさんは、「雲の中にこの一文を書き込むことで、ある意味ムンクはこの絵を我が物としたのです。あるいは、自分がどのように認識され、理解されるかをコントロールしたとも言えるでしょう」とNew York Timesに語った。
投稿日:2021/02/22 18:07
https://jisin.jp/international/international-news/1954468/
■参考画像
ムンク本人によるものとされる走り書き部分の拡大画像
https://static01.nyt.com/images/2021/02/21/arts/21scream2/merlin_183986061_69c070be-d806-461f-b98f-b1dcfbefc1cb-mobileMasterAt3x.jpg?quality=75&auto=webp&disable=upscale&width=600 芸術家にとって「異常者」「狂人」は褒め言葉じゃなかったのか >>112
😱←この絵文字はムンクのこの絵がモチーフだったのな >>113
マヂで狂ってた大物ってゴッホとムンクぐらいでは?
ゴッホ
幼少の頃より酷い癇癪持ちで、極度の躁鬱状態を繰り返していたと言われており、何度か大きな発作を起こしては記憶を無くしたり、一晩中徘徊したりするような行動があった模様。
ムンク
ムンクは「叫び」を描いた10年ほど後から、はっきりとした精神障害をきたし、精神科医のもとで療養生活を送るようになった。精神症状は被害妄想が中心で、ムンクが統合失調症を患っていたことはほぼ間違いない模様。 ムンクって「叫び」の一発芸の人だと思っていたけど
特別展行ってみたら他にも良い作品があったんだな
「抱擁」とか 画家はおかしい奴が多すぎる
そして死後売れる奴も多すぎ >>1
本人が書いたのなら、それは落書きではないな。作品の一部だ。 >>116
2018年の共鳴する魂の叫び展だね
素晴らしい展覧会で、ムンクの全体像の一部が見えた感じだね
本当に全部を見るにはノルウェーのムンク美術館に行くことになる >>115
パリ留学前の1888年以前ぐらいから大分おかしかったような気はする
しかしだからこそフランスの真似でしかない当時のノルウェーの画風から脱して、
独自の内面的表現に向かったんだろうね Kan kun være malet af en gal Mand!
(これは基地外が描いたに違いない!)
って自分で書いてりゃ世話ないな。 職場で「ムンクの叫び」って誰が描いたんだっけみたいな話になって
は?ムンクの描いた叫びですけどプゲラってやってしまい
それから職場では孤立している 日本人は異常にムンク好き
キチガイが多いって事だよな >>123
ピカソと言っておけば職場では知識人として一目置かれただろうな
ちなみに「叫び」が描かれた1893年当時ピカソは12歳だが 絵画は兎も角
音楽や建築の方で精神に不調をきたした
大作家が思い当たらないんだけど
理論と自然の摂理を土台にして
創作される分野だからなのか。 実際これ書いた当時のムンクは「狂人」で合ってるんだよね >>128
その前年の1892年に、一大決心で臨んだ「生命のフリーズ」展がドイツで画壇と新聞に攻撃されわずか一週間で打ち切りに。
これにより不道徳な絵を書くおかしなな画家と言う世評が確立してしまう
一部には強くムンクを擁護する人々もいたが絵は売れずフランスを旅した頃に描かれた連作の一つが「叫び」だね
もっともパリ留学の1888年頃に叫びの着想を得たとされるが画境の進歩で数年後に実作に着手したのであろう
いずれにしても1888〜1993の当時のムンクが正常だったとは言えない感じがする
しかしぎりぎりの精神状態で生み出された名作揃いの時期だから人類には大きな遺産を残したね ムンクの日記より
私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。
それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。
そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。 本物の狂気だったんだろか
ファッションメンヘラ的な面があったとか? 1890年頃は絵画の歴史の大きな転換点になった
まず後期印象派のゴッホ(当時無名で1890死去)が弟の尽力で一部で非常に高い評価を得るようになる
ゴッホと別れたゴーギャンも同じ
また後期印象派からより色彩と装飾を重んじるナビ派が1890年代初頭に生まれる
ちょうどこの頃パリに留学したムンクも時代の空気を敏感に感じたことだろう
もともと「病める子」など初期作品では内面の深いテーマを扱いつつもムンクの技法は伝統的で、かなり物足りないものがある
パリから戻ると一気に画境が進展し特に「憂鬱」に見られるような革新的な内面表現技法を開発している
このように色々な流派に学びつつ遂に精神の内面の芸術表現を創造し始めた1890頃のムンクであった
この画期的な成果を手に勇んで向かった1892年のベルリンで評論家と新聞から酷評され、展覧会を打ち切られた心情はどうであったか
当時の作品が現代の観点でも名作が揃っているだけにムンクの無念は大きなものがあったはずである
この精神的衝撃から更に名作群が生まれ「生命のフリーズ」(連作)は大きく規模を広げることになった 短命
基地外
こういうのでハクが付くんだよね
客は物語を求めるからね >>97
後ろの人たちは平然としてるから
誰も叫んでないんだろう
幻聴じゃないか? 自分だけに聞こえてるっていう現実検討能力はしっかりあったわけだよな >>127
まわりがうるせぇぇえ!って絵だと聞いた。 >>140
ちょっとケンカっ早いだけだから
それで人殺しちゃっただけだから 日本でいう幕末の生まれで第二次世界大戦終結の前年まで生きたから
当時としてはかなりの長寿なのに何故か短命だったと誤解される >>144
人殺しであの時代に同性愛者で生涯逃亡者だったんだろ? 十分じゃねw キチガイの描いた作品だったんか。こんなの教科書に載せるな >>146
1890頃北欧でもゴッホの最晩年作は見れたらしい
もっとも小さな個展だと思うが評論家や画家には評判だったようだ
その後は数年でどんどんどん有名になり後期印象派の最高の画家と言われるのは1990年代後半のようだね >>149
間違えた後期印象派最高の画家と言われるのは1890年代後半だね >>147
カラバッジョがホモだったという確かな証拠は無いんだよね
ショタ見てハアハア言ってそうな絵はいくつも描いてるけど これくらいの絵なら誰でも描けるだろ
よくわからんわ >>152
ムンクの絵を見て真似して描くんなら 誰でも描けるかもしれんが・・・ >>154
配色がすごいかんね
白黒のリトグラフがあるけど
やっぱカラーのが断然スゴイ >>109
「あっ!忘れ物しちゃった!」って感じw >>133
その叫びに耳をふさいだのが、あの絵なのね。 >>135
絵描きって、実際に見えるものを描く人もいるから
特殊な人が多いんじゃない? >>135
ファッションメンヘラで何年も精神病院にいられるなら
それはそれでガチの狂気だと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています