【NHK】ゼロ戦の残骸が見つかった千葉県大多喜町で人骨か? パイロットの遺骨か、DNA鑑定へ [みの★]
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旧日本海軍の戦闘機「ゼロ戦」のものとみられる機関銃やエンジンが見つかった千葉県大多喜町の水田から、新たに骨の一部のようなものが見つかりました。付近では終戦の当日、ゼロ戦が墜落してパイロットが亡くなったと見られていて、今後DNA鑑定が行われる予定です。
終戦の当日大多喜町の水田付近では、ゼロ戦が墜落したという目撃証言などが複数残されています。
ゼロ戦のパイロットの遺族からの依頼を受け、幸治昌秀さん(77)は、機体が墜落した場所を探す活動を続けてきましたが、先月、地元の人などの協力を得て重機を使って水田を掘り起こしたところ、ゼロ戦に装備されていたと見られる機関銃やエンジンが見つかりました。
さらにその後調査を進めたところ、付近から数センチ四方の大きさの骨の一部のようなものが発見されました。
…続きはソースで。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210223/k10012881101000.html
2021年2月23日 8時25分 大陸が裂けてできた海、今も裂け、形を変え続ける地球・・・。( ´Д`)y━・~~
http://edokriko.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8573513 機体と死体が埋まった水田でずっと普通にコメ作ってきたのか??? 全部じゃなくて、機体と人間の破片が田んぼに埋まってたってことか… >>5
休耕田じゃない?
田んぼ掘り起こしたら土が当分使えなくなりそうだし 千葉県大多喜町のみなさんは、これを機会に穂積陳重せんせいの法窓夜話・続法窓夜話をよみましょう 国内の水田に墜落してるのに遺体すら回収されてないのか
ほんと日本軍は糞ゴミやな 終戦当日って事は宇垣中将みたいな行動して整備不良で落ちた? 大多喜に海なんてあるっけ?って思ったら田んぼかよ
さすがにそれはすぐ回収してやれよ… 墜落した場所を探すってさ、水田に墜落してんだからバカでも見りゃ分かるだろw
目撃証言どころか片付けた奴とかいっぱいいるだろうにw 玉音放送聴いてから死にに行った軍関係者はたくさんいる
もちろん死者に罪を擦り付けて戦犯を免れ生き延びたエグい奴もな >>19
しないよ
千葉の中ではもっとも悪質な町、余所者が大嫌いだから >>8
終戦当日に戦死したパイロットの遺族の依頼で墜落した機体を探してたんだよ。 >>12
終戦に納得出来なくて勝手に飛び立ったのかも? ため池か、谷底か何かに墜落して、その後に埋め立てて水田になってるんではないのか。
当初から水田に墜落してたら解体処理してるやろ >>11
普通は水田を掘り起こす前に表土を剥いで仮置き
それから基盤土を掘り始める、まったく違う土だから混ざらないように
んで元に戻す時は基盤を戻してから全体を均平してから最後に表土を戻す
掘り起こしてから埋めたとこの基盤が多少緩むこともあるかも知れないが水田としては直ぐに復元可能 終戦の日、敗戦を受入れないパイロットたちが館山の航空基地から特攻出撃したらしいよ。
高峰秀子の手記や丸という戦記雑誌に記述がある。 >>19
これはさすがに英霊じゃないだろ
恐らくは自殺だろうし 水田なら、みんな駆け寄ると思うけど?
なんでパイロットの死体もろとも放置されたん? 住民が埋めたんだろ
何でそんな事するのかわからんが この前テレビでやってたやつかな
弟さんが依頼してた >>21
でも、戦時中の新聞で「ゼロセン」と銘打たれてたと言うから、
ゼロ戦でも間違いではないとのこと。 大抵はパイロットだけでも引き出して軍に連絡するもんだが、敗戦の混乱があったんだろうか かわいそうに こういうので当時の人を貶めることを書くのは基本チョン 当時鉄不足は極限に来てて目につく金属物は片っ端から回収されて
溶かして再利用して、戦後復興に使ったはず。
航空機の残骸なんて放置しておくはずがない。
存在が気づかれない状況だったんだろうね。 あーあの爺さんがとうとう見つけたのか
これでようやく往生できるな >>25
なぜ適当な事を書くのかw
古くは徳川四天王の領地で今じゃ道の駅でウハウハなのに 不発弾だと何mもめり込むと聞くがこの零戦は急降下で水田に突入したんだろうか 空間失調で墜ちたやつかな
最近のニュースだと思ってたんだが
時がたつのがはやい >>30
陛下の命令なのに
自己責任ですかひどい国 当時発見されなかったとしても噴火でもない限り自然には埋まらないだろ
住民に後ろ暗いことがあるから隠してたけど、もうそれを伝え聞く人間もいなくなったんだろ 途中まで無敵だったのに、マリアナ沖海戦では一方的にボコられる不思議 ヤマトとかにつぎ込んだ金を飛行機につぎ込んでおけば! えねっちけーのニュースだからファクトチェックが必要だ >>32
街中ならともかく田舎なら人手も含めできることは限られる
一部しか見つからないってことは、それ以外は戦中戦後に回収されたんじゃないの? >>20
>>13の記事の中で、
「昭和20年8月15日、千葉県にて、米機と交戦戦死」
という戦死調査報告書があるそうな。
米軍機が来るなら、出撃せざるを得んやろ。 掘り起こされ埋められた跡がないって、エンジンと機銃以外は全部燃えたのか >>32
ほんこれ
当時の奴らは知らん顔してたのか? 昔の日本人は遺骨を大事にしたからな
埋めて弔いすれば喜ぶだろう
今はなき日本人は あの脆いゼロ戦は当時の戦争の悲惨さとアホ軍部を伝える象徴的遺物だから
完全に復活してほしいね 詳しい状況は知らんが、他の人も言ってるように
「水田(今は水田に成ってる)」ってだけで、当時は水田とは限らないかと。 >>62
ネアンデルタール人の遺伝子が現代人にも含まれてる事が分かる時代。 これ、NHKお得意のやらせドキュメンタリーじゃないのか? ソース元の映像見るにこの時期にこれだけの湧水が基盤から湧いてるから元々湿地だった可能性あるな
しかし水田としちゃ作りにくかったろうな >>55
海軍の公式出撃にはならず、宇垣中将のように後世に語り継がれなかった人たちです。
海軍の中では事件扱い。 グラマンの残骸って発見されたニュースって聞かないから
やっぱり当時は一方的に撃ち落とされてたんだろうね >>66
墜落時にバラバラに分散
目視できるものだけ拾って集めたとか? >>5
機体は油脂類があるからあまり良くないと思うけど
人体は美味しい米ができる
有機物やミネラルが土壌に溶け込むから
まあ一人二人の遺体で作柄が変わるということはないけどね
地方の風景で農地のど真ん中に墓が密集してる風景があるけど
その周囲の作物はなんでも美味しく育つという 昭和の時代までは、公園作ろうとしたら人骨が出てきた、
とかよくある話だった 墜落したって場所、やっぱり元々水田じゃなかったのかな
ゼロ戦がそのまま沈むって相当深い場所ってことなのか これは普通の交戦だろ
正午から玉音放送、一部反乱も各地であったが武装解除へ
占守島ではこの後も死闘があり、その決死の戦いによって北海道がいまも日本領のまま >>79
むしろ湿地だから水田なんだよ
そういう場所に空から鉄の塊が落ちてくるわけで、
埋まって見つからなくたって不思議はないと思うが。 飛行機が墜ちたって言うのに近所の人は放置していたのか。 >>85
だって御英霊だもの
うちだって頼まれたらやるよ 不思議なのが何で今まで土の中に埋まっていたんだ
戦闘機なんか落ちたらその物体が残っているでしょう
誰か意図的に埋めたのか? 終戦日に零戦が英空母のシーファイヤと空戦して双方が一機を失ったって空戦のことかな? >>77
NHKガーは、捜索してる幸治さんや遺族の杉山さんに対して無礼だぞ。 >>80
軍の命令に拠らずに勝手に機材を使って出撃してるんだから、そりゃ当然ながら事件だろうに。
宇垣纏も「部下を自殺の道連れにするな」って非難されてるし。 >>2
飛行機は高度取ってる間に相当の距離を進むからね。
ゼロ戦といっても自足500km/h以上でるしね。 >>30
>>80
軍令部が正式な停戦命令出したのは8月18日。8月15日に出したのは侵攻戦闘の禁止だけ
連合艦隊司令部は8月15日に停戦命令を出してるけど、これは越権行為に他ならず意味がない
軍令部の遅れは軍令部総長、豊田副武大将の優柔不断かつ臆病な性格が悪い方向に出てしまった
連合艦隊司令長官、小沢治三郎大将は恐らく越権行為という自覚はない
というのも彼は南遣艦隊司令官、第一航空艦隊司令官時代も指揮系統を無視して混乱を引き起こしてるので 何でずっと放置されてるんだよ
目撃者がいたのに警察は何をやってったんだよ >>99
なるほど、拾える範囲で骨は拾ってたんだな 南無阿弥陀仏 >>81
父島の山中に「グラマン谷」と呼ばれるところがあるんだが、
実はグラマンじゃないP-51マスタングの残骸があって、
パーカードマーリンエンジンを間近に見ることができる。 >>92
うちの村には戦車が1両が埋まってるよ。
終戦の時に後で掘り起こして占領軍をやっつけようと隠したらしい。
埋めたところがそのまま米軍基地内になってしまってそれっきり。
先人たちも彼我の戦力差に怖気づいて沈黙したままで今日に至る。 落ちたと地元で知られてたのに、誰も回収しなかった不思議 俺の爺さんは習志野(今は陸自の演習場)で戦車に乗っててそこで終戦を迎えたらしい。
原爆がなかったら本土決戦で玉砕してただろうな。
そうなると俺の父は生まれず、俺もこの世界には存在しないことになる。 >>33
カネになりそうなものは取って田んぼに埋めて証拠隠滅、だな >>96
道連れにした宇垣と一緒にするなよ
これは命令による交戦
8月15日には一切の戦闘がなかったなんて思ってやしないか?
正式に終戦したのは9月2日 >>81
敵機の残骸は調査のために速やかに回収されるよ >>98
名将とされやすい小沢提督も実際の戦果はあまりないうえ、案外悪い話も多いね。 アメリカはすごいなゼロ戦に対抗してゼロ戦を作るじゃなく
ゼロ戦の弱点に合わせて機体作った事が >>106
そういう人いっぱいいるよな
若い頃は実感なかったが、年とると自分よりずっと若い連中が死んでいったんだなと思うと、勿体ないというか不憫というか、なんともいたたまれない感じがする
戦争を単純な善悪で切り分けても詮もない話だが、もし戦争の邪悪と言うものがあるとすれば、お互い国家国民の未来の為としつつも、将来のある若い奴から順に死ぬ矛盾と不合理だろうな >>93 攻撃目標は"Odaki bay"(オダキ=大多喜?)なんだってね。
房総航空戦―8月15日の戦い
https://note.com/19181935a1/n/n9ac32da55ce3 終戦後直ぐに倉敷市でも似たような事例があった
小松基地で特攻隊の教官をされていた人が、倉敷の実家近くの休耕田で自爆した記録が残っている はだしのゲンだっけか燃料空になるまでグルグル回って墜落したの >>112
いや、>>96さんは俺の書き込みに答えてくれただけ。
館山からの特攻出撃に関して。 >>114
マレー沖海戦で大成功したが、
マリアナ沖海戦で大惨敗を喫したからなぁ…(*_*; 田んぼに突っ込んで炎上してそりゃもう村中大騒ぎだったろうに
助けるのは無理としても遺骨を別の場所に弔ったりしなかったのかな
機体を片付けもせずそのまま埋めた例もあるってとこに、この時代この地域の貧しさが伺えるなあ >>12
終戦後でもロスケと戦って
死んだ軍人や民間人もいたよな 確か >>21
坂井三郎ですらゼロ戦と呼んでたぞニワカめw >>112
確かに終戦にはロスタイムみたいなグレーゾーンの期間があったな。
その辺は確かに間違って認識してた。 >>127
アウトレンジは言うは易く行うは難し
いま、日本はスタンドオフ攻撃にシフトしだしたがw 目撃情報が複数残されてて、何故今まで捜索しなかったの?
田圃の所有者が立ち入り拒んでたとか? 南無阿弥陀仏
(-_-;)y-~
幽霊になって知らせればええのに。 貼ってくれてる
>>13
を読みましょう
当時から田んぼだったのよ
墜落を見てた人もご存命 ほんとにゼロ戦か?
後尾の残骸がないとゼロ戦だとぱっと見わからない
疾風や5式戦では? >>96
終戦が決してからの出撃は非難もしかたないが
宇垣も部下も自分で特攻の道を選んだのだからそれはしかたない
それが非難されるなら日ソ中立条約を破ってしかも日本の降伏後にソ連軍と交戦した陸軍第5方面軍の樋口中将も
厳密に指揮系統を検証すれば非難されることになる
宇垣は志望者のみ少数での出撃を支持したが
部下が「ここにいる全員全機でご一緒します。お気持ちが変わらなくても、命令違反を承知でご一緒します」
と譲らなかったからな(見送った生存者の証言)
君たちの後を必ず追いかけるといいながら戦後も実業界でのうのうと生きた連中と比べたら軍人としてははるかにまともだ >>130
したみたいだぞ
>>99の記事では墓があったみたいだから、たぶん骨くらいは拾っているだろう >>131
占守島の戦いをググりなさい
島に取り残された精鋭が日本を救った >>112
いや9月2日は降伏文書の調印であって戦闘終了(停戦)ではない
>>98の8月18日が停戦 >>134
ただ、当時の日米両軍の航空機の能力を比較すれば、
結局アウトレンジ戦法が最良の戦法なんじゃないかとも。
あれで大敗するなら、元々日本に勝ち目はない…(*_*; これなんで当日すぐ見つからなかったんだろう?
当日は田んぼでは無く人の入らないような土地だったってこと?
そんで次第に土に埋まり隠れてしまった?
何はともあれ遺族が探してたんじゃ見つかってよかったねえ これぞ日本のモノづくり(笑)ってシロモノだったというね まあ、終戦の日、各地で様々な出来事があったことがわかった。
まとめればドキュメンタリー映画が一本できるわな。 ホンマ148みたいな今の日本人など死滅した方がいい >>141
宇垣は死にたければ一人腹切ればよかった
阿南みたいに
樋口中将は交戦許可も停戦命令も遵守している
なんらやましいことはない 探す気で捜索して見つけたのかよ
遺族の念願叶ってよかったじゃん
「ゆうしゃのてがみ」みたいなアイテムも出てくるかも >>59
仮想戦記漫画の浮沈戦艦紀伊で、大和の
乗組員がそんな台詞言ってたけど
当時の日本の生産力じゃあ。大和キャンセル
してゼロ戦に割り振ってもアメリカの生産
力の前に負けたよ >>54
敗戦を受け入れることが「恥」って考えの人たちもいたからね。 まったく同じ部品で同じもの作れるのかな
作ってほしい リンク張ってくれた>>99さんの内容から一部抜粋
終戦の日の1945年8月15日に連合軍機と戦って墜落したとみられ、
今年1月に千葉県大多喜町泉水でエンジンなどが掘り出された
旧海軍の戦闘機零戦をめぐり、操縦士とみられる墓の存在が20日、
同町で確認された。
住民の手で手厚く葬られ、現在まで75年間、墓の由来がわからなく
なってからも大切に管理されていた。 >>141
敗戦の将の責任の取り方は難しいと言うか、正解なんて無いからなあ…特に近代戦では。
卑怯者ほど小狡く立ち回って生き残るもんだし。 >>115
日本は根性、アメリカは狂気
この爆撃機は欠陥品です、このまま稼働させていたらエンジンがみんなダメになります…
ならば壊れる数の倍エンジンを作ればよかろう! >>150
数センチ四方しかないんだぞ。
それを七十七歳の老人が一人で探してんだ。
簡単に見つけられなくても、当然だろ。 >>64
ちなみに米軍側の太平洋戦争最後の戦死者は8月20日(くらいだったはず)に日本本土上空に飛来した偵察機の乗員だと言われている
(横須賀や厚木のゼロ戦が迎撃した) なんで目撃証言が多数あるのに当時回収しなかったんだよ
しかもたった75年で重機使う程地中に埋没してるし
中国みたいに埋めたとしか思えない
追究しろ >>167
そういうことやれるのもアメリカが資源と
工業力を持ってるからなんだよな、
もしアメリカが資源少ない、工業力低いって
感じの国なら、アメリカ人の発想も全然
違っただろ >>161
空母に振り向けとけばワンチャンあった
ハワイを占領するとアメリカの効果的な反撃拠点が無くなる
アメリカ西海岸に脅威が迫るとそれに備えるためアメリカのヨーロッパ支援に大きな支障が出る
特にソ連への軍需物資の援助について
独ソ戦にソ連が勝てたのはアメリカの膨大な軍需物資の支援があったからなのはよく知られた話
これが少なかったらドイツが勝ったかも知れない >>88
北海道を防衛したのは樺太の戦いだろう
占守も激戦だけど千島の端っこであそこが堕ちても北海道までまだ島が山ほどあるしソ連の北海道侵攻拠点は予定では南樺太だった
というかスターリンが本気で北海道は欲しいなら直接北海道のでオホーツク沿岸に強行上陸した方が手っ取り早い
あの辺は完全にがら空きで上陸してしまえばやりたい放題だったった
北海道侵攻はあわよくばで、流石のスターリンもアメリカとの関係も一応気にしたんだろう >>81
詳しい場所を忘れたが今でもF6Fやヘルダイバーの残骸が残ってる所が全国に何ヶ所かあって
ミリタリーマニアの人が探索してたわ 8月15日も戦ってたとか
いわゆるゴリゴリの本土決戦派だったんだろう
こういうネトウヨ狂気で1000万人の民間人が犠牲になるところだった >>12
貴様、今日は天皇誕生日だ。
御国のために亡くなった方への嘲りは慎みたまへ
森よりも酷いわ >>170
終戦直後にそこまで余裕があるかね
昭和60年代でもまだ墜落機体が山中に野ざらしで残ってたくらいなのに >>172
独ソ戦はアメリカのレンドリースなしでも
ソ連は勝てた説が最近出てきてるな 黒人女性とセッ○スしたら、次の日絶対に職場でバレる理由 など
http://razae.tx2600.net/DfQ/341368572.html
fghgdhgfdhg 米軍艦載機とか千葉上空を飛んでいて機銃掃射とかしていたからな
米軍機にやられたんだろ >>168
当日というのは発掘当日ではなく
墜落当日のことではないのか? >>175
なんで日本側のせいになっとんねん。
終戦の日に戦闘機を飛ばしてきたのは、米英側やろ。 >>12
本人達はそう思わんから玉音の後に死んだんやで。
終戦後に抵抗続けた連中もめちゃくちゃ多い。
傍から見りゃ無駄死にでもな。 >>172
ハワイ要塞をどうやって占領するんだよw
船が近付いたら数百機の航空機と、要塞砲に駐留艦隊が待ち構えているのにw
イゼルローン要塞攻略みたいなもんだぞw
真珠湾攻撃は奇襲で寝ぼけていたから何とかなったようなもので、フル警戒のハワイなら返り討ち食らうわw 終戦の日も交戦があった記録として貴重だろ。
しかも本土でだからな。 >>170
敵に負けて撃墜された機体に触るとか縁起わるっ
そういう風潮はあったようだよ >>166
宇垣は大本営で部下の敬礼を無視するなど高飛車で尊大な性格が伝わっているがたぶん事実なんだろう
そういう面で戦後あしざまに評価する人が多かったのだと思う
「戦死」が本望で自分なりにケジメをつけたかったのだと思うが敵艦を前にそれは叶わなかった
最後は知識や理性との間で葛藤したんだろうな
しかし牟田口なんかよりは人間として上だ >>185
今の感性で見たら無駄死にだが
当時の日本人からすれば
「負けなんて認めねえ!!!」って
感じだったわけで、そこらへん考慮しないと 日本機って個人個人機体を割り当てられてたっけ?
誰かわかるの? でも、松代大本営に立て込もって徹底抗戦しながら各地でゲリラ抗戦してたら、まだ現代の日本人は違ってたのかも。
繁栄もしてなかったかもしれないけど。 >>182
日本軍が自ら武装解除しなかったからだろ >>172
ハワイ占領とか無理すぎ
工廠の破壊が精々だな
ミッドウェー島ですら、占領しても補給はほぼ絶望的で維持出来なかったろう 停戦後に戦闘行為をしたら戦後の講和の条件悪くなるだけなのに理解できなかったのかな? >>99
(-_-;)y-~
南無阿弥陀仏
墓の上部が戦死者扱いやな。
俺の親戚のは、全部平らになってる。 >>195
?
うちの父方の爺さんは隊長に言われて何応欽に武装解除してるぞ >>193
多分、立て続けに原爆落とされて、尚且つベトナム戦争の様に民間人をゲリラと見立てて構わずに虐殺され
生き残った日本人もホロコーストの対象にされただろう
ベトナム戦争とナチスによるホロコーストが一緒くたになったような世界だろうな
しかも、日本人を狩るのが、復讐心に溢れた中国・朝鮮人という構図で >>181 ああ、そっちか。
でも現在でも、例えば飛行機の墜落事故があって、
近所の住民がそれを簡単に回収するのか?って話だな。 雑学やマンガアニメの延長で調べた程度のことで他人に喧嘩売るやつ多いな >>201
プルトニウムはもう一発分しか無かったろw
いわゆるデーモンコアってやつ >>32
墜落の衝撃で、体はミンチ状態になるらしいぞ 死亡事故や自殺を起こした事故車とかでも触りたくないしな
よく山道とかに廃棄されてるだろ >>204
当時の技術ではウラニウム型を爆撃に使うだけで十分ではなかったのか?
複数発使うなら軽くて小型のウラニウム型原爆を多数投下した方が戦術的にも有効だろう
逆に言うと、それで連日爆撃されたら文字通り焦土と化したけど >>193
対米依存が今より強まってただろうね
もしくは対ソ依存が
誰の力で復興するんだっつう話になってそこからズルズルと >>192
割り当てだろ。
撃墜した数を機体に刻む人がいたようだし。 >>205
ミンチにはならねぇよ
バラバラにブッ飛ぶ程度 >>198
停戦命令が下達されるまでは、普通に警戒任務にたいてるたろうし
停戦成立後でも無通告で侵入してくる敵には反撃するだろ >>203
喧嘩腰レスする奴のダメさと知識の質量は関係なくね? >>210
復刻できるか否かも戦勝管理国の意思次第だけどな
最悪朝鮮半島のようになっていた可能性も否定できないし
スターリンの様な恐怖政治で民族抹殺や移動等が行われて
ロヒンギャ難民みたいな末路もあり得た可能性 >>209
ガンバレル式のこと言ってんのか?
アレは誤作動すると即核爆発だから危なすぎて何発も貯蔵できん
それにアメリカとて無尽蔵というわけではない 昨年末からたびたびチャンネルnecoでやってる「軍旗はためく下に」でも
学徒出陣でやって来た青年将校が敗戦の報に納得いかず
ただでさえ疲弊してた部下たちに敵陣への突撃を命じて逆らう者には暴力を振るうので
軍曹役の丹波哲郎たちに殺され、それが同じ隊の犯行には加わっていない兵士に密告され処刑されてた。
密告した兵士は病気で寝込んでるのに青年将校に叱咤され、
殺された将校の遺体を食って生き延びた事を隠すために密告した。 お前のエアポートに着陸死体
ホラもう滑走路はこんなに濡れて (-_-;)y-~
ひとつ考えられるのは、
墜落戦闘機に近付いて、海軍なり陸軍なりが来て、騒動になることがあって、
特高が出てきたら、村中全員が連行もあるからな。
正規の戦闘行動出撃でないなら、脱走扱いかもしれんしな。 >>190
それはないわ
死ぬなら一人で死ねよと
若者十人ぐらい道連れにしたんだよな >>215
九十九里浜が激戦予定地だったの知らない? >>198
停戦後かどうかは分からない
昭和天皇の玉音放送があったのは正午だが、この戦闘機がいつ出撃したかを確認しないと >>225
アメリカの日本上陸作戦の
オリンピック作戦だっけ? 何年か前、大多喜を舞台にしたアニメやってたな。女子高生が戦隊ヒーローで町興しする話。 >>216
鬼畜米英の教育をされ、負けました、終戦です、はい終わりと言われ納得できない人たちがいるわな。
館山からは終戦の翌日も特攻機が飛んだらしい。
アメリカも交戦するわな。
大多喜上空で撃墜された飛行機の所属はわからんが。
混乱の中での交戦だったんだろ。 >>220
当時の技術では、『確実に作動させる』ならそれしかないでしょう
当時の爆縮レンズの技術はまだ始祖段階だった筈だし
ウラニウムはヨーロッパ戦線が片付いた後だからウランの調達はできたはず
何にしても、核兵器を本格的に使うような事態にならなかったことは幸いだけど
もっとも、あれで終結しなかったら日本が世界地図から消えていた可能性も否定出来ない >>226 房総航空戦であれば、15日早朝の戦闘よね。 >>227
関東上陸はダウンフォール作戦だった
オリンピック作戦は九州及び四国・和歌山の一部が上陸予定地とされていたと思う 国内では終戦は8/15になってるけど、海外では日本が降伏文書に署名調印した9/2が終戦になってるんだよね。
だから8/15に米戦闘機が来るのは戦時だからで。 >>155
先に死なせた部下をおもうと、切腹するかあくまで戦って死ぬかは考え方次第と思う >>26
ああそんな話だったなー
これだけ読むとわけわからん 「軍旗はためく下に」の台詞
「A級戦犯が総理大臣になる時代ですからね。」 >>12
終戦日どころか終戦後になっても死力を尽くしてソ連軍と戦った日本軍の精鋭がいたぞ
彼らのおかげで北海道が北海道として存在している
彼らの奮闘が無ければ留萌以北はスターリンに奪われていた
お前が今日のうのうと暮らせるのもご先祖様の奮戦があったからだぞ
もっとも>>12のご先祖様は俺らのご先祖様とは全くつながりが無いのかもしれないが・・・w >>224
それがわからないのは俺たちが昭和のあの時代の軍人ではないからだ
俺にもわからん
ひとつだけ想像できることがあるとすれば宇垣の最後の写真を撮らせてほしいと言った撮影者と
それに応じた宇垣のあの表情かな
あれは結論を出した軍人の顔で一点の曇りもない正気を保っている
現代の感覚で見ると狂っているが (-_-;)y-~
軍隊無くなると、帰るとこがないって人もいるからな。
帰るとこがあって帰っても、
なんでお前は生きて帰ってきたんだってことになるしなぁ。
予科練ジジイが戦後阿久根に住まなかった気持ちはわかるな。 >>238
ソ連の計画では東北あたりまで切り取るつもりだったらしいぞ
闘ってもらえなかったら今のところ日本はないな >>233
日本本土侵攻全体がダウンフォール
補助のオリンピック(九州)とメインのコロネット(関東)からなっていた >>115
> アメリカはすごいなゼロ戦に対抗してゼロ戦を作るじゃなく
> ゼロ戦の弱点に合わせて機体作った事が
それガセ
F6FもF8Fも零戦の弱点に合わせたチューニングなんてされてない
F6F:とにかくパワー
F8F:とにかく上昇、とにかく速度 ゼロ戦テスト輸送機が途中で故障して琵琶湖に不時着し水没したのが最近まで放置されてたからな。
玉音で軍の指揮系統なんて崩壊したから戦後処理でGHQの指示が無ければ墜落機調査なんて暫く何も出来なかったろ。
当時の情報も碌に収集できない状況下を現代視感で語る客観性もない奴は日本人かどうかも怪しいが >>243
それは言い過ぎ
F8Fのコンセプトがゼロ・キラーとして有効だということは確認してる ひとつ教えてやろう
大多喜の道の駅のソフトクリームは美味い >>243
F8Fは零戦より旋回半径が小さくて
米軍は狂喜したらしいよ >>244
なんで思い込みでデタラメ書くかな
指揮系統が健在だったからこそレジスタンス戦が不発になった
降伏した以上GHQの指示待ちというのは事実だけどな >>12
朝から来襲した米英艦上機を迎撃していたのだが?
因みに米軍最後の戦死者は17日に偵察のために飛来した
B-32を零戦隊が迎撃し損傷を負わせた。B-32は機上戦死
一名、負傷二名を出したが辛うじて沖縄に帰還できた。 >>248
旋回半径だけならF6Fの時点で上回ってるがなw
ゼロ戦は操縦索が伸びるせいで、速度出ると回らん >>1
墜落が起きた直後に回収できなかった残骸やご遺体の一部
って事じゃねーの
まるまる残骸やご遺体を放置するなんて
いくら終戦のどさくさがあっても有り得ない話 >>21
「れいしき」が正式名称だが一般的に英語のゼロを使ったゼロ戦と呼ばれてた。
英語を使っちゃいけない時代だったのにな。当時の日本人はゼロが英語だと知らなかったのかもな。 8月15日、厚木空最後の空戦
損失 零戦6×2 雷電×2
F6F×4
大戦末期は基本フルボッコだけど、
技量が高い部隊は案外と善戦もしてる >>248
旋回半径じゃなくて旋回率な
零戦の本当の特長は旋回半径じゃなくて軽量に物を言わせた縦旋回
F8Fはそれがしゃれにならない 近くにいる人は、お線香と白い菊の花と
甘いもの、おはぎが好きみたいだから、お供えしてあげてください。
今、ついてない人も、霊に感謝されて、力になってくれたりしますよ。 >>238
マジレスすると終戦はミズーリ号で調印した9月。
8月15日は天皇陛下の命令により戦闘行為の停止。 >>252
×旋回半径
○ロールレート
×操縦索が伸びるせい
○主翼の捩れ剛性が弱いせい >>253
そういうことなんだろう
お墓もあるということは可能な範囲ではご遺体を葬っていると思うし、機体も拾えるものは拾っている可能性があるが、水田深くにめり込んだものまで全部回収するのは難しかったのではないかな 上総国大多喜は、本多出雲守忠朝5万石の領地である。 >>254
×英語を使っちゃいけない時代
一部の国士気取りと朝日新聞など一部民間企業の反英語キャンペーンがあっただけ
陸海軍内でも普通に英語使ってた 趨勢が決して死なずに済んだとほっとする人間に
「出撃しろ」や「これから特攻するぞ。つきあえ」なら酷い話だが
当人が使命に従って動いたなら非難されるべきではない
軍人の仕事は今も昔もことの善し悪しではなく目の前に起きた(起きつつある)事象に対して結果を出すことだから (-_-;)y-~
搭乗員誰やろなぁ…
野中五郎一家の匂いがするねんけど。 >>5
縄文のころから、そこら中に死体が埋まってるだろw >>234
8月15日を終戦としてるのは日本だけ。
中国では武装解除しない日本軍(関東軍)が11月末まで戦っていたしな。
陛下の玉音放送を以って終わりではなかった。
受入れない人はかなりいた。 >>146
米太平洋艦隊司令部は指揮下の部隊に対して15日午前11時に
停船命令を下令している。
停船命令とは攻撃を禁じられただけで迎撃戦闘は当然OK。 >>269
変換間違いだけど辻褄ってるなw
>停船命令 >>248
> F8Fは零戦より旋回半径が小さくて
> 米軍は狂喜したらしいよ
それ日本だけに出回ってるガセ情報
ガセの出所は戦後日本人が書いたF8Fに関する書籍
アメリカ本国の人はF8Fがゼロより旋回性能いいなんて思ってもいない 茂原住みだが近所にゼロ戦の格納庫と滑走路がありますよ
ちなみに千葉県でどこが一番田舎か調べた人がいて、それは大多喜町だったそうな >>8
出征の際にもしもの時に備えて、自分の髪やツメを切って残す場合がある
そこから遺伝子を調べる事が出来るかもしれないし
それが無理な場合はパイロットの兄妹とか甥や姪とかの近親者から調べることもできる >>261
ロールじゃ無くて縦もだぞ
ゼロ戦が回るのは遅い速度域だけ >>271
旋回「半径」は間違いだけど旋回性能がいいのは事実だぞ
旋回「性能」はパイロットのフィジカルも含めた耐G力と余剰馬力で決まる 多分、この兵隊さんも若くして戦死されたのかな?
これがマンコですよ。ここに勃起したチンコを突っ込んで、前後に腰を振ると柔らかくて暖かい肉襞がまとわりついて、とっても気持ちがいい…
……らしいですよ。(´Д⊂ヽ
https://blog-imgs-97.fc2.com/m/o/m/momoerogazo/201703240040019eb.gif >>272
旧三井東圧横のロング道路かな?
不自然な40キロ制限で無能な茂原ポリがよく点数稼ぎしてたとこ qqq >>274
但し書きなしで旋回半径といったら一般に定常横旋回の半径を指す
さらにロールと違って対策してないから縦の操縦系が高速で過剰に剛性不足という話はなかったと解釈できる アメリカは日本にB29を飛ばした
いっぽう日本は風船爆弾を飛ばした >>279
国力の差やその意義はともかく
どちらも先端的な科学と技術の成果だぞ
自動高度調節器やゴムより軽量で機密性の高い風船素材など独特で高度なものだ 漢字での零ではなくて英数字の01とかの概念どうにも後だからゼロで間違いない >>282
高度ではないだろw
ラジオゾンデみたいなのは当時からあるからなw >>254
今の自粛警察みたいなもんで、法令はないけどなんとなくそう言ってるやつがいた、ってレベル
地元の年寄りとかが率先してやったんだろなーと根拠なく想像 >>287 日本ニュースは、最後までニュースだったからな。 >>282
>機密性の高い風船素材
和紙にコンニャクペースト含侵したものじゃななかったの? ゼロ戦と積乱雲に遭遇したら逃げろ、という通達が米軍で出されていたというのは真っ赤なウソだったらしいね >>176
そうそう!
だから終戦時に敗戦の責任を取らせて天皇は処分するべきだった。
昭和天皇の曖昧な権力が無く責任の所在がハッキリしていれば勝利の見込みが無くなった時点で降伏していたかもしれず、そうなればこのパイロットどころか終戦を遡る事3年余りの戦死者全員が無駄に死ぬ事も無かったのに。 >>291
真っ赤なウソまではいかないんじゃないかな >>12
無駄に生きてる人間が何を言ってるんだか。 >>5
何を今更。
縄文から戦国時代、
日本中の田畑は、
しょっちゅう死体の山、血の海だぞ。 >>254
イギリス海軍やフランス陸軍、ドイツ陸軍などを参考にして創設された帝国陸海軍では外来語由来の用語が多かったので
外国語禁止令なんかやってられなかった >>293
格闘戦の禁止は通達されていた。やるなら一撃離脱戦法ということ。 >>291
似たような話で「日本の秋月型駆逐艦を見かけたら近寄るな」って通達があったって話もガセネタの可能性が高いそうな >>291
ゼロ戦無敵伝説を彩るエピソードの一つだったよな
子供の頃はワクワクしたもんだ 真珠湾攻撃前
米「日本なんてへっぽこパイロットしかいねぇっしょm9(^Д^)」
トラ・トラ・トラ!
米「運転上手いなぁ…( ゚д゚)」 日本のいちばんながい日という名作は、玉音放送をメインにした映画だが、混乱する軍部のそれぞれの8月15日を描いた映画がみたいな。 >>1
この前テレビで遺族の意向をうけてどこか掘っていた映像みたけど、それかな 亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします。
合掌。 >>279
戦後アメリカは風船爆弾を試作してるんだぜ
有翼ミサイルが発達したから開発中止したけど 色々と調べてて思うんだが
言うほど大戦前半の零戦は強くもないし
意外と大戦末期でも弱くはない >>12
終戦過ぎてもソ連の潜水艦は樺太からの引揚船3隻を小樽沖で撃沈した >>279
フ号計画には大和型戦艦2隻を建造できるほどの予算を注ぎ込んだ
国運を賭けた大作戦だったが、その成果も大和型戦艦2隻の戦果とどっこいだったというか大和武蔵より風船爆弾の方が役に立ったとも言える >>292
天皇を処分して何か解決するの?クソ左翼w 水田って毎年耕すんだろ?
なんで70年以上も発見されなかったんだ? >>306
大戦末期は旧式化していた初期生産型の21型は意外と侮れなかったみたいだねえ
オリジナルな三菱製21型は多量生産された中島製52型よりも総合的に造りや仕上げが丁寧で
個体差による品質のバラツキが少なくカタログスペック通りの性能を発揮する機体も多かったと言う
20ミリ機関砲の携行弾数が少ないのが難点だが前線だと21型に拘り続けた搭乗員も居たらしい >>12
小野田少尉とフィリピンで作戦行動取っていた小塚一等兵は1972年にフィリピン警察との戦闘で戦死した
彼が最後の戦死者だが1945年8月15日以降にも多くの戦死者がいたのだ >>302
原作も映画も陸軍省は詳しいんだけど参謀本部が全く影が薄く、官僚機構の陸軍省より、参謀本部が陸軍の中枢であるのに出番がない
実際にも陸軍省と近衛師団の反乱にも加わっていない
梅津参謀総長の力量なのか参謀本部員は戦局を把握してるが故に戦争継続不可能を理解して降伏を受け入れていたのか
その辺見てみたい 海軍省や軍令部もね >>312
簡単に取り除けるものは取り除いて、深くもぐったものはあきらめたんだろう
お墓まで建ててるんだから立派なもんだよ >>314
小野田さん一行は地元の村や在比米軍基地を襲って食料や武器を掻っ払ってたから
現地民からは山賊扱いだったらしいな >>313
重くて失敗と評された五ニ型丙だが関東地区防空戦では
その重武装によってかなり活躍した。 >>315
梅津は終戦に備えて動いていたみたいね。実は陸軍でも阿南とは別のラインでも終戦に備えていた。ここ10年ぐらいの研究でその辺も書かれるようになってきた。 >>264
そのおかげで軍内部で英語を使うとあ、それ逮捕されますよwって冗談が流行ったとかなんとか
今も昔もマスコミがやってる事はかわらないよな >>317
出て来て最初の頃は食料は「土人」を襲って奪って調達して
その後で放火したとか語ってた記憶がある
中野学校のエリートさんって報道だったけどテレビに出せないわな せっかく世界一の空母数だったんだから
ドイツに直接行って軍用機の大量買い付けをすればよかった >>323
空母の半分は搭載機数30機のショボい改造軽空母だけどな >>264
一部の極端主義者がやっていたのを戦後国を挙げて英語排斥していたみたいに捉えられているんじゃないかな
別に英語もアメリカ文化も禁止されていない
禁止されてはいないけど野球とかクレーム入れるガイキッチがいる為自衛として、いい球ダメ球などを導入したに過ぎない
1941年12月真珠湾攻撃の日、新宿の映画館でかかっていたのはスミス都へ行く アメリカの良心みたいな映画を開戦の日に上映出来るくらいの度量は日本にもあった >>323
ドイツの戦闘機は航続距離短くて太平洋じゃ使えないだろ >>191
だよね
俯瞰でもするかのように冷静でいられる今とは違う
でも遺族がずっと捜していてくれたなんて幸せな人だと思う >>8,62
これを見る限り、DNA鑑定はできそうだね
まぁ仮に一致しなくても何らかの形で供養はしてやってほしい
終戦直前 “千葉から飛び立ったゼロ戦” NHK 2020年8月14日
https://www.nhk.or.jp/shutoken/net/20200814.html >>284
絶対高度では確かにないが、気圧高度計制御で高度制御してるぞ >>287
自粛警察というより自警団
在郷軍人会他が活動、圧力をかけた
政府が禁じた分野もある >>301
米「ドイツ人パイロットがメッサーシュミットで」てのもの >>311
"国体護持"はその時点でなくなったろうな >>12
結果論だが武装解除が早過ぎた
16日停戦だけど、日本は負けてて攻勢作戦は無かったから、
この停戦とは連合国軍側の攻勢の完全な停止を指す。
日本領空に侵入した外国軍機に自衛権行使の姿勢を示すことは国益に資する。 (-_-;)y-~
8月15日から平成時代が来たんやなくて、戦後が始まった過ぎんよな。
韓国なんて国すらないのに、いきなり平成と思ってる工作員がうざいw >>117
燃料の質もかなりあったんでしょ?
オクタン価さえ高ければ本来の性能が出せたとか何とか >>302
あの映画でも8月15日になったばかりの夜中に米機動部隊に向けて埼玉の児玉基地から攻撃機が発進するシーンがあって、伊藤雄之助も表情が堪らんのだけど、あのエピソード自体は誤伝らしい
8月17日とか玉音放送後に一部将兵が出撃しようとした騒動があったのがそう伝わったのかもと
厚木など各地の飛行基地でそういう葛藤があったんだろう >>340
軍歌の歌詞がエンジン、クリーク、タンクにプロペラなんだから何を今更だわな 埋まってるのは何故なんだぜ?
地元民が埋めたのか? >>346
武装解除し、すぐに米軍が来たわけじゃないから、特攻を企て実際出撃した人たちがいたようですね。 >>254
加藤「エンジンの音轟々と〜♪」
憲兵1「それアウト」
憲兵2「お前も不可」 >>350
本人出演の加藤隼戦闘隊の映画に
隊長が「チャンス! チャンス!」と叫んでましたよ、と部下に笑われるシーンが まぁ海軍と陸軍の名称ルールが逆でなくて良かったよ
百式艦戦、百式式三座水偵、百式輸送機、百式小型水偵、百観 ← 厨っぽい( ;´・ω・`)
零式重爆、零式司偵、零式輸送機 ← 力が抜ける(;´д`) >地元の人などの協力を得て重機を使って水田を掘り起こした
迷惑な話だなwしかもピンポイントで見つかるとかw >>352
零式輸送機あるやん
DC-3のライセンス生産な >>348
庭いじりしていれば分かるが 、長い時間が経つと、石ころ等の重い物は、雨が降ったりするとだんだん土の中へもぐり込んでいくよ
形状にもよると思うが >>325
当時の国会答弁みたいなもので東條英機が「敵国の文化や語学を学ばないでどうやって戦争するんだ」と
英語禁止令を一蹴してるんだっけか >>325
どっかのラジオだかニュース映画だかで、
開戦のニュースなんだからなんか威勢のいい音楽つけようぜ、ってそのへんのレコード見繕って流してたら
「バカモーン! これはアメリカ国歌だ!」なんてことがあったとかなんとか >>358
「星条旗よ永遠なれ」な
国家(「星条旗」)じゃない (-_-;)y-~
調べた、操縦桿型のマウス欲しいなぁ。
エルゴノ何とか型も使ってみたいねんけどなぁ。
あと、空中マウスが欲しい、隣のPC用に。 >>128
落下傘は当然装備している
可能なら不時着のほうが安全だし、
脱出装置として射出座席を装備していたのは通常のベイルアウトが困難なDo335,He216くらい 20年くらい前フィリピンのネグロス島の浜辺で現地の老人に
太平洋戦争の時この辺りに日本軍の戦闘機が墜落していまも海の中に沈んでいるだろうから探してくれ
と言われてスキューバで潜って探したことある
結局何も見つからなかったけど >>348
>>355
落ちた場所が湿地帯や水田なら、角度によっては重い部品は最初から沈んでるかと 日本軍に撃墜されたB29のかけらと米兵搭乗員の骨だったら嫌だな 国民は戦争をしたかったのでは無い
戦争をせよと脅されたのである >>32-33
不時着なら助けるけど
時速300kmで垂直に突っ込んだら大穴開いて
女子供と年寄ばかりで掘り起こすの大変だから埋め戻されたのでは 南無阿弥陀仏
(-_-;)y-~
掛川の人か…
掛川行ったなぁ、ルルーシュみたいな馬券弟子とw >>366
エンジンとか機関銃とかゼロ戦のものが出てきてるから >>366
それでも別にいいだろ
時代に呑まれて亡くなった可哀想な若者だ >>366
いやそれでも、アメリカに返したったらいいじゃないか
好きで戦争したやつなんて殆ど居ないんだし >>62
遺骨の状態が良ければね。不可能ではない
現在では百万年前のマンモスのDNAを検出した事例もあるくらいだ
ただ、日本は火山性土壌で土の酸性が高く、おまけに高温多湿だから
遺体の保存には向いていないので、残ってない可能性もあるな >>104
悪い事は言わんから
今のうちに早くその場所を然るべきとこに通報して掘ってもらって保存しようぜ
貴重な歴史遺産や >>5
私のお墓の前で泣かないでください♪
米になって人々の胃袋に収まっています♪ それを言ったら畑で取れる作物はウンコで出来てることになるしw 戦後のどさくさまみれで機体のほとんどは鉄くずスクラップとして地元農民に持ち去られカネに化け
犯罪行為はムラの内輪で隠匿したまま事件の生き証人が死に絶え風化したんだろう
終戦時20才でも今は96才、当然子供や孫には知らされてない >>1
昨日夜のNHKの新情報です。
別スレ立てるのはやめて、このスレで共有。
「ゼロ戦」パイロットの墓か 千葉 大多喜町で見つかる
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210223/k10012881891000.html
>墓石には「昭和二十年八月十五日於大多喜泉水戦死」などと刻まれていて、
>地元の男性によりますと、男性の祖母が亡くなったパイロットを弔うため
>終戦の1年後に墓を建て、管理してきたということです。 >>383
ちゃんと弔ってもらってたんだ
良かったな まあ8月15日は天皇陛下がラジオで演説しただけだからな
実際に停戦が発効したのはもっと後だろう >>385
降伏、武装解除を不服として玉音放送後も戦闘を続けた兵隊はいた。
特攻機も出撃したからな。
中国では関東軍が武装解除せずに11月まで戦っていたらしい。 >>385
日本政府のポツダム宣下受諾は13日に短波放送を通じて連合国
側に通知。15日朝にトルーマンが停戦メッセージを発信。
だから8月15日は停戦協定発効日です
でなければTF38司令部からの「クリストファー」電を受信した
攻撃隊が引き返さない。 >>383
戦死した親族を探し続けていた人たちと身元不明のパイロットを供養していた人たち
みんな優しくて感動 >>389
特に田舎の人は供養してやりたいと思うだろな。
死亡事故があった場所に関係ない人が花を供えるのは田舎に多いみたいだし。 >>387 先月末から、芋づる式の発見が続いてるんだよ。 >>388
でも既出だけど昭和20年8月18日に偵察飛行に日本上空に飛来したB-32ドミネーター爆撃機を
厚木基地の複数の海軍航空隊所属機が迎撃に上がって空戦を行い撃破した有名な事件では
当時の小園安名司令は出撃前に国際法と照らし合わせた上で「迎撃戦なら何ら問題なし」と判断し
それを理解した搭乗員達は違法という認識も戦闘行動の禁止という認識も無かったと聞き及んでるよ
まあ小園安名司令は徹底抗戦派で反乱を企てた危険人物だったがそれと国際法遵守は別の話だし >>393 見つけようとする人がいないから。
>>1に出てくる幸治昌秀さんという77歳の爺さんが、
ほぼ一人でやってる。>>13を参照。 >>187
ハワイは占領できてもその後の維持防衛が困難ってことで攻略の対象から外れたそうだ。
開戦前には一応、冷静に彼我の実力差を認識してたんだなと思ったよ。
離島は攻略するより守るほうが遙かに難しいからね。ハワイまでの制海権を維持して補給を
続けるとか確かに難しい。
開戦後は調子に乗ってアリューシャンやらソロモン諸島やらで不毛な消耗をしてるけどな。 >>398 ハワイ占領計画って、検討はされてたんか… >>357
大体東條閣下が乗ってた首相専用車からしてクライスラーなんだから英米の文物排斥なんかちゃんちゃらおかしい >>392
攻撃は駄目だが迎撃は可。偵察は攻撃行動の一環。
実際に米軍はB-32を迎撃し損傷させた日本機パイロットは咎め
なかった。 これって官報の行旅人死亡欄に掲載されたりするのかな?仕事70年以上経過、千葉県大多喜町◯◯の水田に墜落した零戦とみられる飛行機の操縦席から発見されましたとか? >>403
数センチ四方の骨片らしいから
墜落の衝撃でバラバラになった遺体の未回収の一部が見つかったってことじゃない? >>407
不発弾の撤去ですら自己負担になっちゃう国だからなあ ひどいと思う >>407
上級国民が天下りする組織を作らないと金は出ないだろうねぇ >>391
いやそうじゃなくて遺族が探していてその土地の所有者も協力してるとかそんな特集を夏あたりにやっていた番組で観た気がする
それが見つかったんだなと思って 昔のテレビ番組とかではあったな
硫黄島を調査したところ、名前の入った水筒が発見されたので
遺族のもとに送り届けたとかな >>410
NHKはずっと取材してたって、>>13に書いてあるから、
その特集を見たんやろね。 外房住みだが、さっきチバ二アン見てきた
なんも面白くなかった
ビジターセンターもお休みでした 乗る船のいなくなった海軍航空隊
終戦間際でも旧世代機の零戦で飛んでいたとか
いろいろ悲しい >>377
アメリカは日本より遥かに早く学徒出陣がおこなわれ学徒どもは我先に志願しまくり
「キル・ジャップ」をセックスやビールよりより楽しみにしていたんだぞ。
彼奴らは日本人とは全く異なり戦争そのものを楽しむシロモノなんだ 旭市の飛行場かなあ
終戦当日っていうと私戦罪の可能性もあるし >>401
自分の父は大東亜戦争中に中学生だったので現代中国語の授業が多くなり
英語の時間は勿論今の高校より多かったのだが実際上戦果の報告会みたいになって
あとは英国大使館にいって大使館の資料や書物などの整理をしていたとのこと 後に駿台英語科の名講師となった伊藤和夫が旧制一高を受験したときは、敵性語排除ということで英語は試験科目から外されていたそうだ
まあ一高では英語が教えられていたんだけどなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています