※プレジデント

世界一「陰湿で心が狭い」日本人が、自ら小売店を殴り殺す
中途半端で封建的な残念すぎる国民

前略

お上の言いつけに厳格に従う従順な日本人像

近世以前の日本人にはそのような陰湿な同調圧力は希薄で、農民が田畑を放り投げ、江戸や大坂(大阪)などの大都市部等に職を求めて流入する勝手気ままな性質が浮き彫りになっている。幕府はそのたびに数多の「帰村令(帰農令)」を出したが、「お上」の言うことを聞かない民衆は、ほとぼりが冷めるとまた担当田畑を捨てて逃散を繰り返した。



俗にいう「島国根性」「日本人気質」は、同調的で相互監視的で「お上」の意向にことさら弱く従順、とされがちな日本人の民族性を指した言葉だ。だが、古くからこの国の人々にそういった性質が強固に根付いたわけではない。

コロナで「島国根性」「日本人気質」がむき出しに
現在のコロナ禍では、この俗にいう「島国根性」「日本人気質」がむき出しになっている。感染が発覚した患者宅への投石や差別落書きを筆頭に、お上による自粛「要請」にもかかわらず、まるで法を破った罪人であるかのように旅行



このような日本人の“同調的で相互監視的で「お上」の意向にことさら弱く従順”という気質は、いったいどこからきているのだろうか。経済学者の野口悠紀雄氏は、その著書『戦後日本経済史』(連載原題・戦時体制いまだ終わらず)の中で、日本社会の翼賛的性質は戦時統制下で形成され、その体質が戦後になっても途絶えることなく継続されてきたことに遠因があると説いた。氏はこれを「1940年体制」と呼称した。

どうやってお上を気にしすぎる文化ができたのか
実際、現在日本社会の様々なシステムは、戦時統制下から一貫して変化がないものが多々ある。戦前、現在とは比較にならない数の新聞社があったが、戦時統制下で「全国紙・ブロック紙・地方紙」の3つに再編され、「一県一紙」体制が確立したことは事実である(――これに加えて新聞原料である紙の供給を軍が握ったことにより、軍批判が抑えられた)。

民主的改革が不徹底だったことから

戦時統制下で翼賛体制に組み込まれてお上を常に意識してきた日本人の精神も簡単に変化することはなく、1970年代におおむね高度成長が一服すると、日本人の忠誠意識は「国家」から「企業」に転換しただけで、翼賛意識は温存された。「企業社会」の誕生である。兵士はモーレツ社員となり、終身雇用と年功序列といういささか軍隊的な帰属意識が蔓延した。企業内部に疑似国家ができたわけである。

教育方面では、敗戦により国家への忠誠が徹底的に排除されたものの、軍隊的な方針はまったく改善されないまま残存し今に至る。一時期問題になった「丸刈り」(現在ではさすがに廃止)や、諸外国に例をみない危険な組体操が、現在でも学校教育の現場で平然と行われているのは、教育が国家への忠誠を排除した代わりに、教職員団体や学校機構そのものへの忠誠へと置き換わったにすぎないからである。

こうして日本社会は、敗戦という一大混乱を経たにもかかわらず、民主的改革が不徹底だったことから、その意識は翼賛的なまま現在まで温存されてきたのであった。

真の民主的な自意識の涵養が急務

つまるところ「島国根性」「日本人気質」とは、伝統的に日本人や日本社会が有していたものではなく、戦時体制下の気質が高度成長を経て、日本人が護持し、なまじその強烈な同調体制がこれといった弊害を生むことなく、結果経済大国となった過去五十年余の成功体験からきているのである。こういった日本人気質は、日本の歴史の中で日本人が持ちえなかった、悪い意味で全く新しい民族性なのである。

続きと略部はソース
https://president.jp/articles/-/35208?page=1


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