先般、中国・武漢で行われたWHO(世界保健機関)による新型コロナウイルスに関する現地調査に対して、「信用ができない」「踏み込みが足りない」という声が少なくなかった。WHOをめぐっては、新型コロナウイルス発生当初から、中国に対する”監督”が甘いとする見方が少なかったが、その背景にあるものを安全保障・危機管理の国際的レジームが抱える問題という観点から考察する。

新型コロナ発生時何があったか
時は江戸。日々の生活に精一杯の庶民をよそに、長い権力の座と金権政治に慣れすぎた幕府の要人たちは、法の抜け穴を熟知し、悪事を重ねていた。悪事の証拠は隠滅され、法の力で裁く表奉行たる北町奉行の力が及ばない。名時代劇「闇を斬る!大江戸犯科帳」では、闇奉行・一色由良之助が法で裁けぬ悪を斬り捨てる――。

法の抜け穴や不備、濫用は、いつの時代でも存在する。それは、新型コロナ危機に喘ぐ現代でも同様だ。

国際社会における感染症危機管理の法は、国際保健規則(IHR)。それを運用する表奉行は、世界保健機関(WHO)。新型コロナ危機の初動について、あくまで一説に過ぎないが、以下のような事態が発生したのではないか、とも当初は考えられていた。

アメリカ:「中国は、新型コロナの発生がわかっていたのに、すぐにWHOと国際社会に対して事態を通報しなかった!」
中国:「いや、事態が判明してすぐに通報しましたよ」
アメリカ:「そんなはずはない。かなり遅かったではないか」
中国:「法には違反していません」
アメリカ:「?」
中国:「国際保健規則に書いてあるルールをちゃんと見てください。未知の感染症情報について、ずっとその真偽の程を『アセスメント』していたのですよ。これに時間がかかりましたが、アセスメントの結果が出てから24時間以内には、すぐにWHOに通報しました。法には違反してないですね」

以上のやり取りはあくまで想像に過ぎないが、ここで言うところの法とは、国際保健規則第6条「通報」である。この内容は以下のとおりだ。

法の解釈の問題である。アセスメントそのものには、何日でも、何年かけてもいいとも取れる。具体的な規定がないからだ。要は、それがいつになろうと、アセスメントの結果が出てから24時間以内にWHOに通報すればいいのだ。

実際の真偽のほどは不明だが、万一このような事態が本当に起こった場合には、国際社会はどうすべきなのか。

WHOは、大江戸犯科帳の表奉行のように各国を取り締まる力を持たず、法の運用や解釈を行う管理事務局に過ぎない。もちろん、頼りになる闇奉行などというものは存在しない。

闇奉行のいない現実の国際社会では、法に抜け穴や不備が存在すれば、法をアップデートして新たなルールを制定しつつ、法を取り締まる表奉行の能力も強くするという以外に有効な手立てはない。

強力なルールを求めるEU
現在、WHOのIHR検証委員会が、新型コロナ危機への各国および加盟国の対応を踏まえ、法の抜け穴や不備を同定する作業を行っている。しかし、それだけでは事足りないとし、感染症危機管理について強力なルールを作るべきだと主張しているのが、EUである。

2020年11月、ヨーロッパ諸国を代表するミシェル欧州理事会議長は、国際社会の感染症危機管理に強力なガバナンスを利かせるために、「国際パンデミック条約」を創設することを提唱した。WHOのテドロス事務局長も、2021年1月のWHO執行理事会で、同条約の趣旨に賛同を示している。一方、多くの国々は、それに対して今後の行く末を様子見している段階だ。

EUの言うことには一理ある。感染症危機管理における国際法をはじめとする国際レジームは、概して脆弱だからだ。それは、感染症を含む公衆衛生分野が関係する安全保障・危機管理の国際レジームの全体像を見れば、一目瞭然である。

公衆衛生分野が関係する安全保障・危機管理の領域の代表的事象として、CBRN危機(化学・生物・放射線・核)がある。CBRNに関する技術領域は、平和利用および、軍事利用の両方の目的に使用できることから、「デュアルユース」と呼ばれている。

2021年03月03日
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