0001砂漠のマスカレード ★
2021/03/11(木) 20:56:01.43ID:hlnRPjb19※本稿は池上氏の新著『池上彰と考える「死」とは何だろう』を一部抜粋・再構成したものです。
阪神・淡路大震災での疑問が出発点
近年、国内で一度に数多くの「あいまいな喪失」が起きた出来事といえば、2011年の東日本大震災です。この「あいまいな喪失」という視点に立ち、被災地で取材を重ねた大学生がいます。東北学院大学(宮城県仙台市)教養学部・金菱清教授のゼミ生です。
なぜ、この「あいまいな喪失」という視点に立ったのか。それは1995年、6434人の犠牲者(関連死含む)を数えた阪神・淡路大震災での金菱さんのある疑問が出発点といいます。
「阪神・淡路大震災が起きた1995年1月、私は大学受験を直前に控えた受験生でした。無事、地元の関西学院大(兵庫県)社会学部に入学し、社会心理学の講義を受けたとき、震災体験の実例が取り上げられたのですが、その実例が、直前に起きた阪神・淡路大震災ではなく、数十年前に起きた新潟地震のケースだったんです。強烈に疑問を感じました。
関西学院大は兵庫県にあります。被災地の大学です。なぜ目の前で起きた震災を取り上げようとしないのか。震災とは何か。災害とは何か。今度は、自分で考えるようになりました」
災害社会学について大学院で研究を重ねた金菱さんは、2005年、東北学院大学に講師として赴任します。そして2011年、東日本大震災を経験することになります。
「あのときの強烈な“疑問”がよみがえりました。同じことをしてはいけない。震災から1週間後、私はゼミの学生たちに『この震災の記録を後世に残さなくてはならない』と伝え、共に被災地に飛び込みました」
活動を始め、金菱さんはあることに気づきます。
「被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が注目されていましたが、家族を亡くした被災者には、『カウンセリングに行きたくない』という人が少なくなかったんです。多くの死者が出た災害でしばしば見られる現象として、生き残った人たちが、『自分だけが助かってしまった』と、罪の意識(サバイバーズ・ギルト)を抱いてしまうという問題があります。東日本大震災はまさにそのケースでした。
死者の多くが津波によるものです。地震発生から津波到達までに数十分という時間がありました。この数十分が遺族を苦しめることになるのです。生き残った人は『あのとき、ああしていれば救えたのでは』という後悔の念がとても強かったんです。
そうした人たちにとっては、『カウンセリングによって自分が楽になる』という考えそのものが、罪の意識を刺激します。心の痛みがなくなることは、死者のことを忘れてしまうことにつながる、と考えるためです」
タクシー運転手が経験した不思議な話
そんな事実を突きつけられる中、ある学生がこんな不思議な話を取材してきました。
【震災で娘を亡くしたタクシー運転手(聞き取り当時56歳)の話】
「震災から3カ月くらいかな? 記録を見ればはっきりするけど、初夏だったよ。いつだかの深夜に石巻駅あたりでお客さんの乗車を待ってたら、真冬みたいなふっかふかのコートを着た女の人が乗ってきてね」
見た目は30代くらい。目的地を尋ねると、「南浜まで」と返答した。不審に思い、「あそこはもうほとんど更地ですけど構いませんか? どうして南浜まで? コートは暑くないですか?」と尋ねたところ、「私は死んだのですか?」と、震えた声で応えてきたため、驚いたドライバーが、「え?」とミラーから後部座席に目をやると、そこには誰も座っていなかった。
最初はただただ怖く、しばらくその場から動けなかったとのこと。「でも、今となっちゃ別に不思議なことじゃないな? 震災でたくさんの人が亡くなったじゃない? この世に未練がある人だっていて当然だもの。あれはきっと、そう(幽霊)だったんだろうな〜。
今はもう恐怖心なんてものはないね。また同じように季節外れの冬服を着た人がタクシーを待っていることがあっても乗せるし、普通のお客さんと同じ扱いをするよ」。ドライバーは微笑んで言った。
https://news.livedoor.com/article/detail/19832292/
2021年3月11日 18時0分
東洋経済オンライン