仮性包茎は病気ではない。少数派でもない。女性の多くはまったく気にしていない。
なのに、なぜ男性は恥ずかしいものだと認識しているのだろう? 

『日本の童貞』などの著書で男性のセクシュアリティの歴史をひもといてきた著者は、膨大な文献を掘り起こし、未開拓なその問いに真摯に迫っていく。

 包茎手術の広告は一八八〇年代から見られるが、一九六〇年代までは仮性包茎に「やさしい」言説のほうが多かった。
清潔にしておけば何の問題もないからだ。仮性にも手術が必要だと強風を吹かせたのは、一九七〇年代から九〇年代にかけての青年誌だった。

 キライだと女性たちに語らせる座談会、包茎男性の悲惨なエピソード、医師による解説という三つ揃いのタイアップ記事、
つまり記事に見せかけた広告でクリニックの情報へと誘導する。医学的な裏付けも示さず、未成熟で見栄えが悪いと刷り込む。

同性からは見下され、異性からは軽蔑されると煽ってカネを巻き上げる流れを、クリニックと結託して巧みに構築したのだ。
やがて中高年向け雑誌にも「プロモーション」は広がっていくのだが、威勢よく、どこか嬉々として不必要な劣等感を植え付ける手口には唖然とする。ほとんど暴力と言っていい。

〈男による男差別〉は、女性を巻き込み連鎖する。本書にはその連鎖を断ちたいという願いがこめられている。
自分を無駄に否定しない。支配・被支配の関係に組み込まれない。
それは個人レベルにとどまらず、社会を変え得る有益な行為なのだ。
[レビュアー]北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

https://news.yahoo.co.jp/articles/9cf2fe03ef39140fead7f3663a33179956a02431