【中国メディア】日本と違う・・・中国の歴代王朝の「寿命」が短かったわけ★3 [どこさ★]
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サーチナ2021-04-07 22:12
http://news.searchina.net/id/1698195?page=1
悠久の歴史を持つ中国だが、歴代の王朝はめまぐるしく変化しており、300年を超えて続いた王朝はないという。これは日本や欧州とは大きく異なっていると言えるだろう。中国メディアの快資訊はこのほど、日本の皇室や欧州の王室が現在まで続いている理由について分析する記事を掲載した。
記事はまず、中国には300年以上続いた王朝がないと指摘。東周は500年以上にわたって続いたとはいえ、その歴史の大部分は多くの国が生まれては滅びていった春秋戦国時代であり、国として存続していたといえ、中国の大半を支配していた王朝とは言い難いという。また、漢は前漢と後漢を合わせれば400年以上になるが、途中で滅んだので中断しており、比較的長く続いた唐、明、清でも300年を超えることはなかったと指摘した。
この理由について記事は、「農耕国家」だった時代において、国は農民が主体で土地が重要になるが、疫病や自然災害、外部からの侵略などの要因で土地を失うことが多々あったと分析。このため農民の反乱が繰り返されてきたと説明した。また、地方の支配者が収穫を隠して自分の力を蓄えることで中央の力が小さくなること、皇帝がぜいたくな暮らしをして王朝を衰退させてしまうこともたびたび起きたとし、これが中国に300年以上続いた王朝がない要因だとしている。
では、なぜ日本の皇室や欧州の王室は長く続いているのだろうか。記事は「貴族による統治だったからだ」と分析。権力を少数の貴族が握り、血筋を保つことで権力を維持してきたとしている。しかも欧州では長期間にわたって宗教の影響力も強かったので、信仰を前にすると王室を翻そうという人はいなかったのだと論じた。
王朝が変わるたびに皇帝も変わってきた中国からすると、日本では皇室が今でも続いていることや、欧州の王室の歴史がとてもうらやましく思える
前スレ ★1 [Felis silvestris catus★] 04/08(木) 07:02
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1617912406/ >>492
んなことねーぞ
室町時代あたりまでは武士が普通に皇族ぶっ殺してたからな
皇族が特別な存在になったのは江戸中期以降だぞ >>544
国体て
そんなもん江戸時代後期の国学者が創りだしたもので、明治政府が流布しただけじゃん >>573
商は東夷、周、秦は羌。
唐は鮮卑、宋は突厥。 いんしゅうしんかんずいとうそうげんみんしん。
中華民国、中華人民共和国。
中学受験で暗記したの覚えてるわ。
漢字わからんけどw 騎士道と武士道が似ているとか言われるけど、明治時代に騎士道パクっただけだからなあ
似てるのは当たり前 >>571
中国の王朝においては宋代以降は皇帝の独裁権は確立されてるだろ。貴族政治なんてわけではない。
唐代までは門閥貴族は門下省を中心にして勢力を持っていたが、五代で貴族は崩壊し、科挙によって皇帝の殿試を経た進士たちが権力を持った宋代以降は貴族の血筋だけでは権力を持てなくなった。
皇帝が政治を顧みないとかはあっても、皇帝の信任を失えば権臣も権力を失う。
建文帝が勢力争いで殺されたとか、順治帝とドルゴンの争いのような、一族の争いはあったけどな。
胡惟庸のような権力を持った叛臣もいるが、やはり皇帝に叩き潰された。 >>70
そうだな 夏と商と周と秦と漢は全部別系統で
漢が最初の漢族王朝かも 秦以前を漢族王朝と
呼ぶのは違う気がする 商や周は遊牧王朝だろ >>581
宋が突厥なんてどこから出てきたんだ?
唐末の李克用やその系譜としての後唐や、そこから出てきた石敬唐(字に自信ない)の後晋は沙陀族と言われるが。
趙匡胤は特にその血筋でもなんでもないだろう。もちろん五代に仕えた武将であることはそうだろうけど。 日本だって中国と似たようなもんだよ
天皇が権力を握っていた時代は短い
日本の歴史のほとんどで天皇は傀儡、お飾り
源実朝が征夷大将軍になり実質的な支配者となり
六波羅探題を作って天皇をカゴの中の鳥にした
源が北条になり、足利となってもそれは同じ
足利が弱体化して実権を取り戻そうとした矢先に
織田信長が台頭
本能寺の変が無ければ天皇家は終わってた
豊臣、徳川の時代になってもお飾りのまま
明治維新でようやく君主になれたものの
結局は、戦争の大義名分に利用されただけ
戊辰戦争、日中戦争、日露戦争で陸軍は肥え太り
実権は軍事政権が握り続けた
軍事政権の交代劇という見方をすれば
日本は短命な政権ばかりなんだよ >>587
近年の研究だと信長は破壊者ではないとされてますよ >>587
天皇自身が絶対的権力を行使したかは別にして、
天皇、あるいは治天が大きな力を持っていた時代はかなり長いと思うがなあ。
具体的には室町時代初期あたりまでだろうか。応仁の乱に至る頃には破壊された感がある。 >>581
>商は東夷
こんな珍説を主張してるのは韓国人ぐらいだぞ まあ皇室が命脈を保ったのは"たまたま"なんだけどさ
あとひとつには律令の昔から「天皇機関説」だったわけでさ
そこにあまり個性とかカリスマとかそういう俗人的なものは求められない。
それこそ平安朝の藤原時代の外戚政治なんかそうだけどさ。
逆に天皇の個性が前面に出る時代こそが天皇制の輝く時期であり
また天皇制が危うくなる時期でもあるんだよね。
推古帝、天智天武帝、称徳帝、後白河帝、後鳥羽帝、後醍醐帝、
そしてずっと後代にきて明治帝にして昭和帝かな。
まあ時代を通じてさ、親政とか親征とかないじゃないっすか。
だから恨みを買わないんだよね、あんまり。
そして実際に廃位したりフレームを崩そうとすると
それそのものがね、ライバルが自分をつぶす大義名分になるんで
これはなかなか厄介なものですな。そこらへんは宮廷だよね。
陛下個人を廃位させたり退位させたりは政変その他であるけど
機関としての天皇制はなかなかなくせないわけですなあ。
どうせなくそうとしても、どっかから後裔とか出てくるでしょ?w
それに敢えてなくそうとしなくても朝廷は
世俗チャンピオンの実利を奪おうとしないからね。
風に草木が従うように朝廷も世俗の権威を妨げず
むしろ官位叙任によって正当性のお墨付きもつけてくれるから。
これはほんと、うまくしたようなもんだよね。 広すぎるんだよ。
春秋戦国時代みたいに分裂したままなら、欧州みたいになっていただろう。 >>578
皇族にとって代わろうとした武士って誰のこと? 中国の歴史は面白いよな。
当初はセオリー通り大河の流域で発展していたのに内陸側から一気に征服されてしまった。
何が何だか意味が分からない。 >>587
日本権力者は同一民族だから日本人は単一民族
支配一族民族がごっそり入れ替わるシナ地域とは全然違う >>599
新しい血が入ってるから古代文明から生き残ってるとも言える >>597
そこはやはり平将門が代表じゃないか?
実際には民衆のために立ち上がったなどという話は後世の脚色だと言われているが。 >>587
色々と言われるが
中国や欧州の混乱と比較すれば日本の混乱はまだ安定した方だった
中国や欧州の混乱では人口崩壊と呼ばれる、総人口が文字通り半減するようなことが起こったが
日本はそれが起こった事は無い
少なくとも人口崩壊と言えるほどの大混乱は記録にはない
その理由の一つとして天皇の存在が上げられているのは事実だ
天皇という歴史の中で一貫した権威が存在したことで、ある程度は混乱を治められたのだ >>601
結局それなんよね
出る杭は打たれるじゃないけど、天皇にとって代わろうとした人間は例外なく袋叩き
天皇制って枠組みを壊せる人間なんて出てきてない >>601
豊臣秀吉あたりも、自らを宮の御落胤とする話を広めたり
摂関家の養子となって、関白の地位を手に入れたりと
天皇になろうとした感じはあったがな >>587
それな
他の地域で言ったら
オスマントルコ帝国のオスマン家
フランス王国のブルボン家
神聖ローマ帝国のハプスブルク家
みたいな統治権を持った王侯貴族に相当するのが
源、北条、足利、豊臣、徳川なんだよ
天皇家は王侯貴族に統治権=王権を授与する
いわばローマ法王みたいなもんなんだよ
宮中祭祀もやってるしな
神の代理人として法王、天皇がいて
法王、天皇が神の代わりに王権神授する
つまり、天皇=(国家神道の)法王であって王朝ではない 外交を行っていたのも北条、足利、豊臣、徳川で
外国の文献では彼らが King として扱われてる >>604
関白は、天皇の補佐であって、天皇そのものなる話じゃない 別に天皇になんぞなり替わろうとかけら思ってませんしあんなゴミになりたくもありませんのでので
ニュートンの再来とは呼ばれたいけどなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
純粋に憎んでるだけwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>607
天皇になろうとしたといえば足利義満だろう >>609
将軍家を摂関家を凌ぐ家格にしようとして成功したが、自ら天皇になろうとはしていない
もう少し長生きしたら息子をねじ込んだかも知れないけど >>605
王権神授説なんだからちょっとおかしいな
独仏でも国内の土地や人は神から王が授かったものでしょ
だから配下の貴族領主に統治権を与えるという役割を持つのはドイツやフランスの王も変わらないしょ >>614
欧州でも近代以前だと王権神授説が主流だからな
王の奇跡とか言って難病患者に王が触って治すという芝居をやって民衆に見せてたし 中国って広いのに何が悲しくて北朝鮮より更に北に首都置いてるのか謎
上海みたいにもっと恵まれていて大河や海に近くて暖かい所にすればいいのに >>618
騎馬民族に征服されたから、支配者にとっては故郷が近い方が気分が良い
食糧は南で中華奴隷が作るし それもちょっと思ったけど元もういないし
わざわざあんなところ(失礼)に首都置き続けなくてもと思うんだ 列島が常に皇統を基にしたのと比べたら、日本に置き換えてこう思っておけばよい。
中華は常に下克上戦国時代
欧州は常に武家による幕府時代 もともとは守るに堅固な長安、洛陽を首都としていたが、時代が移ると交通の便のよい地域に移るようになった。
具体的にはまずは宋の開封。その時は北京は燕京だが、燕雲十六州の中にあって遼あるいは後には金の支配下ではないかな。遼滅亡の後の短い期間を除けば。金は北京を都としたはず。根拠地に近いので。
その後は元は大都、つまり北京だが、これは北方民族なので当然北に置くんだけど、モンゴルからは遠い。上都が別にあったので、当初は拠点として整備してたのだが、そこにした理由はよく分からない。でも、金の首都をそのまま受け継ぐことはそんなにおかしくない。
明は建文帝までは南京だが、永楽帝は滅ぼして北京にした。太祖は南方出身だが、世祖永楽帝は地盤が北にあったし建文帝を滅ぼした敵地に乗り込むよりも地盤の方がいいし、北元対策にもなった。
清は根拠地が満洲なんだから当然に北を首都にする。
中華民国は北京南京重慶などと移してるけど、中華人民共和国は一貫して北京かな。中華民国的には北京はいまだに北平なんだ。北平は首都でないときに使われる北京の名称。 >>620
実際上海の方が栄えちゃってるしね
上海閥が復権したら或いは遷都するかもしれない 本来ならヨーロッパのように民族ごとにいくつかの国に分かれていてもおかしくないのだが歴代王朝が専制君主制をしいていたことと中華思想が浸透していたのでそうはならなかった
また20世紀においては共産党が大陸の全てを支配したのも大きかった もうすぐ日本も終わるよ。バカ女に付ける薬は無いからな。 パワハラモラハラ野郎は王座から引きずり下ろされるニダ
どの国の王も有能とは言えないニダ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています