https://news.yahoo.co.jp/articles/3801433fcbbbc9843984fb6fbb785186055eb597
 日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に合意してから、12日で25年を迎える。だが、同県名護市辺野古への移設をめぐる国と県との対立により、いまだ実現の見通しは立っていない。一方、強引な海洋進出を図る中国への警戒などから、最近は県民感情に変化もみられる。移設阻止を掲げる玉城デニー知事の足元も、揺らいでいるといえそうだ。(川瀬弘至)

【表】普天間飛行場の移設計画をめぐる主な経緯

■民主党政権で迷走

 「返還が実現しない最大の原因は、県民の頭越しに(国が)日米で合意した計画に固執していること」

 沖縄県庁で9日に開かれた記者会見。日米合意への見解を問われた玉城氏は、国への恨み節を吐露した。

 「辺野古移設では普天間飛行場の一日も早い危険性除去にはつながらない」

 とはいえこの25年間、国は県に、全く寄り添わなかったわけではない。

 市街地に囲まれ、「世界一危険」とされる普天間飛行場の返還に日米が合意したのは平成8年4月12日。その前年に県北部で3人の米兵が12歳の少女に乱暴する事件があり、県内の反基地感情が一気に高まった。

 事態を憂慮し、積極的に動いたのが、8年1月に首相となった橋本龍太郎氏だった。モンデール駐日米大使と交渉を重ね、首相就任から3カ月後、移設を条件に普天間飛行場を「5〜7年以内に全面返還」するとの合意にこぎつける。

 しかし、移設は進まなかった。具体策について地元自治体との協議が難航し、返還時期が大きくずれ込んだうえ、21年に発足した民主党の鳩山由紀夫政権が、日米で合意していた辺野古への移設計画を白紙に戻すような動きをしたからだ。

 鳩山政権は県外移設を目指したが、結局は断念するなど迷走を重ねた。もてあそばれた格好の県民は激高し、国への不信が一気に高まる。24年に自民党が政権に復帰し、移設計画を再び軌道に乗せようとしたものの、26年に知事となった翁長雄志氏が反対。以後、現在の玉城県政まで、国との深刻な対立が続いている。

■揺らぐ「オール沖縄」

 一方、日本を取り巻く安全保障環境は、この25年で大きく変わった。とくに問題なのが、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮と、強引な海洋進出を図る中国の動きだ。沖縄県の尖閣諸島では昨年以降、中国公船による挑発行動がエスカレートしている。

 こうした状況に、「沖縄の民意も変わりつつある」と、自民党県連関係者が話す。31年2月に実施された辺野古案の賛否を問う県民投票では反対が約7割に達したが、昨年6月の県議選では、辺野古容認を公約に盛り込んだ自民党が、過半数は取れなかったものの大きく議席を伸ばした。

 玉城氏の支持基盤も、ほころびが見え始めている。保革を超えた「オール沖縄」勢力が支えているが、革新色を強める政策に保守派の一部が距離をとり、“オール”とはいえなくなっているのだ。

 国の側にも問題はある。30年に辺野古の埋め立て工事に着手したが、現場海域で軟弱地盤が見つかり、設計変更を余儀なくされた。このため改良工事を含む総工費が9300億円に膨らみ、完成時期も大きくずれこんだ。

 それでも、「普天間飛行場の危険性を除去するには、辺野古が唯一の解決策との方針は不変だ」(政府関係者)

 3月16日に東京都内で開かれた日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)でもこの方針が確認され、「可能な限り早期に建設を完了する」とした。

 果たして普天間返還は、実現するのか。

 安全保障問題に詳しい評論家の潮匡人氏は「現行計画がベストではないが、ゼロベースに戻して議論し直せば、移設先はいつまでたっても見つからない。この25年間を無駄にしないためにも、現行計画を着実かつ早急に進めるべきだ」と指摘している。
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