2011年に5人が死亡した焼き肉チェーンの「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件は、27日で発覚から10年となる。富山地検が昨年10月、運営会社の元社長ら2人を再び不起訴として捜査は終結した。だが、遺族は「10年たっても事件を忘れることはできない」と、苦しみは癒えていない。

「この10年、誰も謝罪にも墓参りにも来ず、起訴もされなかった。期待をしていたけど、何も変わらなかった」。妻(当時43歳)と義母(同70歳)を失った富山県砺波市の小西政弘さん(58)は自宅の仏壇前でため息交じりにつぶやいた。

小西さんは11年4月23日、17歳になった長女の誕生日を祝うため、家族5人で砺波店を訪れ、全員がユッケを食べた。妻と義母が同5月4、5日にそれぞれ食中毒で亡くなり、子供2人も重症となった。

5年ほど前、警察に呼ばれて行くと、証拠品として保存してあった妻の血液を見せられた。「まだ妻の体の一部がこの世にあるんだ」。不思議な感覚になったが、そこから毎年、命日には「また妻に会えるような気がして警察署の前で車を止め、手を合わせるようになった」。

しかし、昨年10月、元社長らが再び不起訴となったことで、地検からは妻の血液を今後、処分することが伝えられた。「血液もなくなれば妻は完全にこの世からいなくなってしまう。本当は自分が死ぬまで一緒にいたかった」。悔しさとさみしさは募るばかりだ。

次男の大貴君(当時14歳)を亡くした富山県小矢部市の久保秀智さん(58)は「10年たっても20年たっても同じ。何も変わってない」と苦しい胸の内を明かした。

11年4月22日、大貴君の1日遅れの誕生日祝いに砺波店を訪れた。ユッケを食べた大貴君は溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症し、闘病の末、同10月に亡くなった。

昨年10月、地検から2度目の不起訴の方針を伝えられた際は「初めて不起訴にした時と全く同じことを言われ、お手上げと思った」。そのうち「この10年が無駄だったかもしれない」という思いに駆られ、苦しくなった。事件や大貴君の話題を避けることが増えた。

それでも、写真に写った息子の笑顔に、周囲に愛された生前の様子を思い出す。「面倒見がよく、小さい子によく懐かれていた」。生きていれば、今頃社会人になっていたかもしれないが、想像したくてもできない。「私たち家族の時間はあの時で止まっている」

長い歳月で事件の風化も懸念されるが、「私たちのように苦しむ人が出ないよう、二度と繰り返してはいけない」と語気を強めた。

後遺症の再発怖い/もう口にできない

「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件を契機に、国は生食用食肉の規格基準を見直し、牛レバーについては販売禁止とした。だが、事件後も生肉を巡る集団食中毒はなくならず、被害者は後遺症やトラウマに苦しんでいる。

東京都に住む氷見市出身の会社員女性(26)は10年前、高校の友人3人と高岡駅南店に行き、ユッケを2皿ほど食べた。数日後、刺すような腹痛と吐き気に襲われた。両親に病院に連れて行ってもらったが、詳しい原因は不明。数日後には体がけいれんして意識を失い、集中治療室(ICU)に入った。

意識が戻ったのは約2週間後。退院直前まで透析治療が続き、退院後も約4年にわたり、週末に病院で血液検査を受けたり、けいれんを抑える薬を飲み続けたりした。

女性は「再発しないかという恐怖心や、いつまで通院生活が続くのかという不安でいっぱいだった。もう二度と同じような事件を起こさないでほしい」と訴える。

砺波市の会社員男性(37)は、同僚と食事して3日ほど後に腹が痛くなり、病院の救急外来に駆け込んだ。9日間入院したが、幸いにも後遺症は残らなかった。それまで好きだったユッケは事件後、一度も口にしていない。「生肉を食べたい気持ちはあるが、あれ以来怖くなった」と話す。

◆「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件=2011年4月27日、富山県が「焼肉酒家えびす」砺波店でユッケによる食中毒被害が発生したと発表。富山、福井、石川、神奈川の4県の6店舗で計181人が発症し、5人が死亡した。富山地検は16年5月、業務上過失致死傷容疑で書類送検された運営会社元社長ら2人を不起訴(嫌疑不十分)とした。これに対し富山検察審査会は「不起訴不当」と議決したが、地検は20年10月、再び不起訴とした。

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4/27(火) 7:45配信
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