【日本史】大局が読めない上杉景勝の判断ミスがなければ徳川家康は関ヶ原で負けていた ★3 [ボラえもん★]
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上杉景勝は軍神・上杉謙信から家督を相続し、会津120万石を与えられた豊臣五大老の一人だ。
だが秀吉の死後は家康の術中にまんまとはまり、上杉家の存続こそ許されたものの、所領は30万石へと大幅に減封されてしまった。
東京大学史学編纂所の本郷和人教授は「失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと」と説明する――。
■会津120万石という大領地を与えられた理由
上杉景勝は関ヶ原のときに、二重の失敗をしでかしています。失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと。
関ヶ原の時点で、彼の領地は会津でした。会津は東北の要の地であり、ここを持つ大名が東北のチャンピオン。
その地を伊達政宗が取った。しかし豊臣秀吉に「もう戦争の時代は終わった。俺の家来になれ。挨拶に来い」と言われ、
いろいろと渋りましたが、結局、家来になる。会津は取り上げられて、「おまえなら任せられる」ということで蒲生氏郷に与えられます。
そこから氏郷は見事に秀吉の期待に応え、怪しい動きを見せる伊達政宗の活動を封じる。
それで92万石まで領地が増やされるも、40歳で亡くなってしまいます。
しかし後継ぎがまだ幼なかったために秀吉は会津を蒲生から取り上げ、その会津にあらためて置かれたのが上杉景勝でした。
上杉は越後から国替えされるのですが、そのかわり、120万石という大きな領地を与えられた。
その配置には「東北地方の抑え」という意図と、恐らく「徳川の背後を牽制する」という意味合いがあったと思います。
ところが国替えののち、すぐに秀吉は亡くなってしまう。それで徳川家康の活動が活発になっていく。
■「大きな戦争」を狙っていた徳川家康
当時の家康がなにを狙っていたかというと「大きな戦争」です。戦争を起こして、どさくさまぎれに豊臣の政権を奪取したい。
これは秀吉が、織田の政権を奪取するときに行った方法と同じです。
明智光秀を始めとして柴田勝家らと、戦争に次ぐ戦争をやる。そのうち、いつの間にか織田家の政権は秀吉のものになっていた。
だから家康も、列島規模で大きな戦いを起こしたかった。それに勝つことで豊臣政権を否定し、徳川政権を作ろうとしたのです。
(中略)
■前田家の次に家康の標的になった上杉家
三成を離脱させたあとの徳川家康はやりたい放題。戦争のためには相手が必要だということで、最初に目をつけたのが前田家でした。
利家の息子、利長の代になっていた前田家に「謀反の動きあり」と難癖をつけたのですが、前田はすぐさま謝ってきた。
自分の母親、もう高齢になっていたお松さんですが、お松さんを人質として江戸に送りますと、文字通り土下座外交を展開しました。
よくよく考えてみれば、それはおかしい。当時はまだ豊臣政権下ですから、本来家康と利長は同僚です。
同僚のところになぜ人質を出すのでしょうか。しかし利長は家康の意図をきちんと理解し、徳川に優る力が自分たちにないと理解していたからこそ、謝った。
そこまでされれば家康も「謀反はなかった」と疑う姿勢を解き、お松さんは江戸に送られます。
では次に誰を狙うか。「大きな戦争」を起こすには、相手も大きくなければなりません。三成のような小物ではダメ。そこで狙われたのが上杉景勝でした。
今度は彼に謀反の疑いがかけられます。もちろん濡れ衣でしょう。
しかしこの流れは前田と同様で、もう誰もが家康が理不尽なことを言っているのはわかっている。
家康も、自分が無茶苦茶なことを言っているとわかっています。わかっていても、狡猾こうかつな家康はそんな自分に誰がついてくるか、こないのかを見定めていたのです。
(以下略、全文はソースにて)
https://president.jp/articles/-/45133?page=1
★1が立った時間:2021/04/29(木) 12:16:14.52
※前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1619698447/ >>13
そうなったらあんたは存在してなかったかも >>59 伊達は火事場泥棒が家康にバレたので、戦後も大して加増してもらえなかった。 >>87
全部自分の兵なら挙兵時期も自由に決められるけど、
権力も持ってない連合軍の暫定大将が挙兵の時期のコントロールをするのは難しいよ
三成はあの時代の最高の後方事務処理のエキスパートだろうから、
三成にできないなら他の人にもできない >>103
>後方事務処理
経理に現場指揮やれと言われても…(笑) >>72
もし唐入りが成功していれば天皇(朝廷)は大陸に行かされて
日本は豊臣家のやりたい放題になっていたかもw >>100 忠臣蔵の上杉はやられた方だろ。(´・ω・`) >>96
400万石は関が原以後な
以前でも250万石あったが >>97
>35はネタで言ってんだろ
ネタにマジレスしてどうすんねんw 忠臣蔵でも上杉15万石は動かず
吉良を見殺しにしやがった
戊辰戦争でも長岡会津庄内が戦ってんのに
米沢藩はほとんど空気やった
このノロマめ
(´・ω・`) 前田利家と上杉に400万石ずつあげて
家康には100万石でよかったのにね >>108 250万石は譜代を含めての数字で、400万石は天領だけの数字でないか?
それなら、比較対象がおかしいが… >>99
家康が、秀吉が信長政権を乗っ取ったように
秀吉政権を我が物としようとしていることを
東軍に付いた連中が知らなかったはずはないと思うんだよね
現代と違って、上位階層の人間関係は密接で
婚姻関係で入り乱れてる
人間性やその野心に気づかないはずがない
豊臣恩顧といわれる加藤や福島は、家康が権力を継承して
秀頼は三法師のように名誉職に就くというシナリオで満足していたと思う
三成などの空気読めない日本の4割の連中の領土を山分けして
戦国最後の大戦で国持ち大名になろう
それが彼ら自身の野心だった 三成が挙兵して関ケ原に反転した
家康を上杉が背後から襲ったら
勝てなかったのか? >>110
藩主の実父という立場を利用して金をせびりまくった吉良を除いてくれた赤穂浪士には裏で感謝しているだろう >>11
関が原は共に秀頼をトップとした豊臣軍徳川派と豊臣軍石田派の内部抗争なんですが 関ヶ原でいうとテルこと毛利輝元の
大坂引きこもりが全てだろう。
担がれたとはいえ総大将になり、
3万以上の兵力で出陣しといて
大坂引きこもりで領土安置とかありえないわ。
家康の署名がない約束を信じ山口県のど田舎に左遷。
戦わず没落した大大名とか恥ずかしいにも程がある。 >>59
伊達政宗は最上は攻めてないよ
政宗の動きは、
長谷堂城を上杉勢に責められた叔父の最上義光の救援要請を受けて軍勢を派遣したが上杉勢を攻めることはせず傍観した
政宗自身は福島城を囲んだが落とせなかった
政宗は南部氏の領内で和賀忠親を扇動して反乱を起こさせ兵を送って支援した
上杉とは形ばかり交戦し叔父は見捨てて南部氏の領地で寸土を稼ぐというのが政宗の行動 >>112
面倒くさい人やね
それを言うなら天領って江戸幕府が成立してしばらく経ってから確立したもので
豊臣滅亡以降にも大名の改易や減封で組み込まれたものも多々あるだろ だから歴史は面白いんだろ?
タラレバで言っててもしょーがない >>119
歴史としてその後何が起きてどうなるかを知ってる神目線で
その発言のほうが余程恥ずかしい 当時、東海道より繁栄してた
瀬戸内を支配してた毛利が
しょぼかったのはなぜなの?
本気出してたら天下目指せたはずなのに >>96
官位も徳川の方が高い
徳川家康 従二位内大臣
前田利長 従三位中納言 >>119
まぁそれでも、毛利は幕末に汚名返上の機会を得られた。
上杉にその機会はなかったが。
ドンゴリ伊達よりマシかもしれんが。(´・ω・`) いやいや毛利の恥ずかしさは
神目線云々の次元じゃないわ。
他の名だたる戦国武将たちでも
同じ状況で輝元のような選択する馬鹿いないだろ。
罪人にはなったが算盤弾かず殉じた宇喜多や
情けないが強かに従属した前田家のほうがよっぽどか
戦国大名らしい。 >>111
五大老、全員150万石ぐらいにしてパワーバランス保つべきだった
徳川だけ突出しすぎ 家康以外に大名連中をまとめらえる人間がいなかったのも事実
みんな将来の事考えたらまた下克上上等な戦国へ戻るよりリハ
家康にまとめてもらって領土安堵したいってのが本音だろう >>124
毛利輝元に上杉景勝くらいの器量があれば
家康の挑戦を受けて立ったと思いますね
ボンボンには無理でした
(´・ω・`) >>128
上杉、毛利は秀吉の天下がまだ未知数なうちから
従順さを示して領土の保全を図った勢力
家康は秀吉に喧嘩売って、負けなかったという実績が大きい
秀吉は自身の天下を揺るぎないものとする代償として
家康との小競り合いに勝敗を付けないまま早期に取り込む道を選んだ
その結果が徳川が肥大することになった
秀吉が家康を信用しすぎたのはその通りだけど
それだけの存在感が小牧長久手を戦った家康にはあったということ
毛利や上杉にはもちろんなかった まぁ家康は北政所と昵懇になり、全国の要衝あるいは本来は自らに対する目付であるはずの東海道やらに居城をもつ政権下有力諸将を従えてるし
上杉ときたら第一の家老が人望のない石田治部などと親密だったのいうのが全てだと思うが 戦局が長引けば西日本で無双してたからそのまま毛利を倒して京都に進出してたかもな
豊臣政権はどちらにせよ終わってたかな 大器晩成
家康のオ一ラが他を圧してた
並ぶ者はいなかった >>128
徳川って元の領土(三河・遠江・甲斐)で元々250万石ぐらいあったんだよ
で、その勢力を嫌った秀吉に転封で北条領の関八州を等価交換で(ただし畿内の中枢から遠ざける)代わりに与えられたもの
別に秀吉がポンと気前よく家康に250万石をやった訳ではない >>124
名もなき地方豪族から中国地方を征する大大名にまで成り上がった毛利元就は
「三本の矢」で有名な子供たちに「天下は狙うな」と遺言したって話が伝わってる 豊臣政権を永続化させる方法はいくらでもあった
三成が言っていたように、難癖を付けて家康を早期に葬るとか
人心を失った最大のイベントである、秀次一味虐殺をしなかったとか
諸大名に過労を強いた朝鮮出兵をしなかったとか
でも秀吉は自意識の肥大化にともなって
天下人としてはやってはいけない選択をことごとく選んだ
家康の人間性は神君なんていうものではなく嫌らしい政治家のそれだったけど
秀吉が天下を取るまでの知恵者としての能力をすべて覆してしまうほど
為政者としてはとにかく小物だったのも大きい 戦局長引けば西日本は黒田が固めていたかも
九州に幕府が出来て
西洋やアジア人の往来が激しい
全く別の日本になってたかも >>127
そんな奴に総大将任せた石田三成の方がアホじゃねw >>91
いや、違うね。
小室さん自身は借金してないし、そもそも、三菱UFJに就職して都心の店舗に配属されてたほど、優秀だろ。
ただ、あの28ページだっけ、そんな長文の反論すること自体、無能かな?とは思ったけど。
俺はむしろ、世渡り下手の若者なのかなとは思ってるよ。
擁護じゃなくて。
つまり、日本人は現代でも、血筋ってモノを潜在的に大事にしてるんで、それは否定されることじゃないが。
戦国時代は、そういうもんだって考えりゃ、もしもの話もないってこと。 元就の遺訓に従うにしても中途半端すぎる。
西軍総大将を固辞して、出陣取り止め
会津征伐の前に吉川ではなく
本家自らが家康に従属交渉くらいしないと。
家康だって毛利の動きは怖かったはず。 >>140
続き
血筋っていうと、大袈裟かな。
創業家とか、政治家の二世三世って言ったら、わかりやすいか。 >>137
>神君なんていうものではなく嫌らしい政治家のそれだったけど
そうでもしなきゃ天下取れなかっただろ
これは言い訳かもしれんが家康に大義名分があるとすれば「どんな手段を用いても自分が戦国の世を終わらせる」だな
その名目は「元和偃武」と言う言葉に表されてる >>131
小牧長久手の戦いで痛み分けになった後、秀吉は大兵力で家康を攻める計画があったんだってな
その時は小牧長久手の時とは比べものにならないくらい戦力差があって家康は大ピンチだった
しかし天正大地震で計画は中止になり家康は命びろい >>140
>三菱UFJに就職して都心の店舗に配属されてたほど、優秀だろ
でもこれで使い物にならなくて辞めたんだべw >>141
吉川と安国寺という、二人の重臣の足並みが揃ってないのが、毛利の運の尽きだよ。
毛利家中をまとめられる人がいないわけだ。小早川隆景が存命してくれていれば…というところだが。 >>144
貯めにためた兵糧がだめになったんだよな
震災復興と兵糧備蓄に何年も時間を浪費するより
家康籠絡して時間を買ったというわけだ
まさに天運は家康にあったんだな >>136
宇喜多に苦戦してるようじゃダメだわ
村上水軍味方にしてようやく部分的勝利とか 関ヶ原を家臣同士の争いとして傍観してた豊臣家だが、結局大損してる
関ヶ原戦前に豊臣直轄領200万石あったのが、
関ヶ原戦後、徳川によって東軍諸将に分配され豊臣家に残ったのは摂津・河内・和泉の70万石ほど
この処遇に文句も言えない時点で豊臣家は終わってた >>145
銀行がクビにするわけないんで、どんなバカでも。
そこらへんがわからないよな。
なんでメガバンクにいた人が、あんなカネのトラブルをそのままにしてんだろと。
そもそも、解決する能力すらないんだろと。
簡単だろに、普通なら。
スレには関係ないんで、この件はレス無用だけど。 >>102
それよく言われてるけど家康との100万石のお墨付きは切り取り次第の条件で上杉から奪った白石を追認されたに過ぎない
上杉領を得られなかった時点で一揆扇動しようがしまいが大して変わらなかった >>144
その辺、司馬遼太郎の「覇王の家」読んだら
徳川勢力の危機感がよく分かる
自分はどちらかというと徳川推しの保守的思考の人間だけど
あのとき秀吉がとにかく妥当徳川を強固に推し進めたら
なすすべもなく、家康は賞大名の地位に落ちていたと思う
でもそれまでの成功体験で、秀吉は家康を取り込めると思った
毛利や上杉にやったように、有力大名を取り込んで自身に傅かせる道を選んだ
本当の大勢力に育ちうる、野心を隠した勢力は潰さないといけなかったんだけど
出自が卑賤で、伝統ある諸大名に本質的には軽侮されて大名の海の中で
漂っている自分に本質的に自信を持てなかった秀吉は、結局安直な道を選んだ
秀吉は天下取ってから、出自が低く1570年頃からずっと仕えてくれた自分の配下達に
冷酷に当たったんだけど
結局権力を弱い立場のものにしか振るえなかったという点で
為政者としてはやっぱり小物だったんだなあと思う >>61
最上の領土侵略って何の話や?
援軍送って傍観してたけど領土なんか削ってないぞ 上杉は徳川を追撃するどころか最上や伊達と戦うのが精一杯。
三成と良好と言われた佐竹が出るべきだった。
とにかく家康防御のため配置された東海道筋の大名がことごとく
家康に恐れをなし道を空けたことも大誤算だ。こいつらには
笑うしかない >>155
恐れをなしたというか、どちらについたら利が大きいかで判断した
秀吉恩顧とされる人材で固められたはずの東海道だったけど
彼らに豊臣に従っていてもいい目は見られないと判断させたのは
秀次虐殺事件に象徴される、秀吉の自分に早い時期から従っていた連中に対する
冷酷な態度があったのは確かだと思う
血縁である加藤清正ですら、一時期改易の危機に遭った
秀吉は家康や出自が自分よりランク上の大勢力には大きくものを言えなかった反面、
下士官に冷たかった
その辺は、関羽に似ていると言えるかもしれない >出自が自分よりランク上の大勢力には大きくものを言えなかった
え?
柴田勝家は?(笑) 勝家は討ち滅ぼさなければ自分の天下の道がない仇敵なんだから
何が何でも倒すわな
その後、自分が第一人者になってから天下統一による富貴を急ぐあまり
倒すべき家康を討ち漏らしてしまった
その後も身分の高い女性をハーレムに入れて自尊心を満たすことはしたけど
蒲生レベルの田舎大名にすら見下されていたように
本質的には成り上がりと見下されていたコンプレックスは終生抱えていたと思う この手のスレは自称歴史研究家や自称軍学者がわんさか集まってくるよな。 >>135
いやそんなにないでしょ
東海地方も甲信地方も石高は低い
関東移封は大幅加増なのは間違いない 三遠駿で120万石
信長死後にかっさらった甲信を入れて150万石超
これくらいが秀吉と喧嘩してた頃の家康の勢力
小牧長久手で同盟した信雄とそう変わらなかった >>151
むしろ政宗は火事場泥棒を不問にされてるよな 秀吉と家康は仲良かったんじゃないの?
マジで秀頼を頼むって頼って字を付けてんじゃないの?
家康の子供も頼房とか居るしさ
たぶん実子じゃないって同意の上で千姫の輿入れで浅野の血統をダブルして徳川の血筋に組み込もうとしたと
でも秀頼がアホで状況を理解してなかったんだろな
自分がどこの馬の骨ともわからないって淀も言えなかったろうしさ 三英傑の中でも、秀吉の失点が目立つよな。
本能寺に関しては仕方ない。
重臣、しかも光秀に喰われるなんて想定外だろう。
むしろ信忠の判断が不味かった。
秀吉は天下獲り事業までは神懸ってたのに
その後はいくつかの致命的な失点を重ね
家康に隙を与えてしまった。
とくに秀次事件は痛すぎる。 上杉景勝…事実上、上杉家を滅ぼした暗君、ただの馬鹿
直江兼続…大河ドラマと異なり冷酷な小物、守銭奴
伊達政宗…賭博師だったがトップに立つべき器量を見極める能力があった
片倉景綱…正宗と菊門の契りを交わした名軍師、両刀が祟り還暦前に病死
この違いが結果となって現れた 昔は、何で秀吉子飼いの福島正則とか加藤清正が家康についたか理解できなくて、裏切り者の糞武将って思ってたけど、いろいろわかってきた今では、関ヶ原ってのは、淀君対北政所の争いだったのかなと思ってる。
で、多分秀頼ってのは、やっぱり秀吉の種じゃなかったんだろうな。しかも、近しい連中程そのことは周知の事実だったんだろう。
そうであれば、秀吉子飼いの連中程、近江側にだけはつきたくない、って気持ちになったのも理解できる。 難しかったと思うよ。むろん家康は西上を決めた段階で上杉の南進の備えも充分しているから 秀吉は公の場では内大臣の家康を
大納言の利家より立てていたものの
私的な場になると家康より利家を
優先させるような振る舞いだったらしいけどな。
そんな利家も秀吉を追うように逝ってしまって
追い風に吹かれる家康であった。 >>163
政宗って大阪夏の陣での神保隊(味方)殲滅も不問やし
ガイジ無罪みたいな扱いやったんやないかな 福島は結局は安芸から追われて
小大名に転落してしまうわけだけど
まぁそれは結果論だから仕方ない。
大坂の陣での扱いみてると、さすがに可哀想だったけど。
家康のイヤラシさが一枚上手だった。 北政所は秀忠をつてに千姫の輿入れをさせて豊徳一体化で豊臣家を残そうとしてる
秀頼が暴走しただけじゃないかな?
ちょっと今でいうネトウヨぽいんだよな 3代目将軍の家光が政宗に懐いてたところをみると
政宗には不思議な人間的魅力はあったんだろう。
家光からすると数少ない戦国の生き証人みたいなもんだしな。
それにしてもあの政宗が徳川将軍と
仲良しになるって面白い。 >>1
>景勝がふたつめの過ちをおかしたのはここです。反転した家康の軍勢〜略〜その背後を突く姿勢を見せなかったのです。
>なにをしたかというと、〜略〜山形の最上を攻めてしまった。大局を見る目がないのにもほどがありますよね。
アホか
上杉と最上は庄内地方をめぐって争いがあったのだ
奥州仕置で庄内地方は上杉となったが、その後も遺恨は続いた
家康の上杉攻めのとき、最上は出羽の諸大名を率いて上杉を攻めるべしとなって、上杉×最上の緊張が続いた
来たと南の二正面作戦をしなければならない上杉が、家康が西に向かったことで南からの脅威がなくなったとき、
北の最上を攻めるのは当然のことだった
今日の我々は結果を知ってるから上杉は何をやってるんだと思ってしまうが、
当時は東軍西軍どちらが勝つか分からない状況であった
いやむしろ東軍西軍の争いは、まさか一日で決着がつくとは考えもしないで長引くと思うのが当然だっただろう
だから伊達政宗は日和見を決め、黒田如水は長引く争いの間にできるだけ九州を制圧しようとしたのだ
上杉は素早く伊達政宗と和睦し敵対する最上を攻めた
これは当時上杉がおかれた状況としては当然の処置だった 輝元に関しても、長期化予想の上で
大坂に待機していたんだろう。
推移を見守って勝ち馬に乗る気だったんじゃないかね。
家康側だって、秀忠の遅参は怪しいしな。
双方の温存待機戦略が木っ端微塵に崩壊する
スピード決着というのが真実じゃないかなと。 >本来家康と利長は同僚です
同僚w んなわけねーだろw 利家ならまだマシな方だろうけど、信長との縁があった家康と利長が同列になるわけないじゃんw >家康側だって、秀忠の遅参は怪しいしな。
それわかるわ
家康と秀忠の絆は深いと思うな
継承の話で誰がいいかと家臣に聞いて秀忠以外の推した家臣はあんまり優遇してないんだよな
秀忠を推したのは優遇してる
家光のエピソードでもわかるけど
家康は継承者を既に決めた上で試してるとこあんだよな
自分と同じ人質生活や親元から引き剥がされてる状況で
誰が裏切らないか見てると思うんだよ >>31
あれは勝頼が悪い。
景虎側で春日山城に楽に接近できる外部勢力なのに、
あっさり金で転んだしまった。
転ばなければ、景虎勝利で、上杉、北条、武田の同盟になったかも。 上杉謙信って元は長尾景虎なんだから
普通に継承者は景虎と考えてたよな 上杉景勝が景虎だったら小田原攻めはできたのか、小田原北条が存在すれば
徳川は三河の大名だからまた違ってた そもそも兵力からして難。
総兵力は上杉3万に対し、東軍10万。
しかも東軍転進後も伊達との戦いが続いていて追撃どころではない。
最上は庄内上杉領攻略を目論んでいたからいずれにしろ最上との戦いは起こっていた。
東軍の豊臣系武将先発後も宇都宮の結城秀康、江戸の徳川軍合わせて7万。
江戸への道中で佐竹がどう出るか知れたものではない。
とても南進できる状況ではない しかし家康は気が長いな
おれならもっと早く豊臣家を滅ぼしている
家康は実際言われているほどの悪人ではない 秀頼を殺したからイメージが悪いんだろうがな
まあ伏見城で3万石くらい与えてもよかったが
しかし本当に戦国時代に終止符を打つためには仕方なかったともいえる >>114
家康を愛知県辺りから江戸に引き返えせれば関が原は西軍が勝利してかも知れんよね
上杉は結城軍、伊達軍、最上軍などに包囲されても直ぐには決着はつかんだろから
関が原で東軍が敗北すれば伊達最上は離反するだろうし 上杉藩が関ヶ原以後に潰されなかったのはなぜ?前田慶次が使者に立ったからってのは創作だよな(;^ω^) >>178
これが正解でしょう
みんな長期化を予想して方針をたてた
思わぬ短期決着で予想が狂った 岐阜城を抜けたら短期決戦に持ち込めるという判断は家康の慧眼なのかな。東軍、西軍、共通認識かもしれないが。 前田は情けないけど正解ではあったな。百万石守り徹した
上杉は中興の祖、鷹山が出なかったら貧乏で終わってたろうなw 前田家は関ヶ原後も加増処遇で
大大名の地位を守り抜いたもんな。
毛利も身の振り方一つで
120万石を守れたかなと思いつつ
大坂豊臣という巨大な地雷源を考えると
家康としても削っておきたかったかもなと思う。
大坂から西のあの位置に徳川とは縁薄い100万石大名の存在は怖い。 関ヶ原で西軍が勝ったとしても家康の首は取れないだろ
もう一度第二関ヶ原をやる必要があるんだか、西軍諸国に
やるだけの体力は無いってこと。 吉川、毛利が後ろから突っ込んでいたら家康の首は取れたと思うが 三成、宇喜多、小西なんかありっだけの資産を突っ込んでる。
大谷にしたって次は出てこれないだろ。
島津にしても国元からはムリだといっている。
広家は解ってたんだよ。 解ってたからヤらなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています