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【日本史】大局が読めない上杉景勝の判断ミスがなければ徳川家康は関ヶ原で負けていた ★4 [ボラえもん★]
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0001ボラえもん ★
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2021/05/02(日) 20:39:56.80ID:WVBgvUHC9
上杉景勝は軍神・上杉謙信から家督を相続し、会津120万石を与えられた豊臣五大老の一人だ。
だが秀吉の死後は家康の術中にまんまとはまり、上杉家の存続こそ許されたものの、所領は30万石へと大幅に減封されてしまった。
東京大学史学編纂所の本郷和人教授は「失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと」と説明する――。

■会津120万石という大領地を与えられた理由
上杉景勝は関ヶ原のときに、二重の失敗をしでかしています。失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと。

関ヶ原の時点で、彼の領地は会津でした。会津は東北の要の地であり、ここを持つ大名が東北のチャンピオン。
その地を伊達政宗が取った。しかし豊臣秀吉に「もう戦争の時代は終わった。俺の家来になれ。挨拶に来い」と言われ、
いろいろと渋りましたが、結局、家来になる。会津は取り上げられて、「おまえなら任せられる」ということで蒲生氏郷に与えられます。

そこから氏郷は見事に秀吉の期待に応え、怪しい動きを見せる伊達政宗の活動を封じる。
それで92万石まで領地が増やされるも、40歳で亡くなってしまいます。
しかし後継ぎがまだ幼なかったために秀吉は会津を蒲生から取り上げ、その会津にあらためて置かれたのが上杉景勝でした。

上杉は越後から国替えされるのですが、そのかわり、120万石という大きな領地を与えられた。
その配置には「東北地方の抑え」という意図と、恐らく「徳川の背後を牽制する」という意味合いがあったと思います。
ところが国替えののち、すぐに秀吉は亡くなってしまう。それで徳川家康の活動が活発になっていく。

■「大きな戦争」を狙っていた徳川家康
当時の家康がなにを狙っていたかというと「大きな戦争」です。戦争を起こして、どさくさまぎれに豊臣の政権を奪取したい。
これは秀吉が、織田の政権を奪取するときに行った方法と同じです。
明智光秀を始めとして柴田勝家らと、戦争に次ぐ戦争をやる。そのうち、いつの間にか織田家の政権は秀吉のものになっていた。

だから家康も、列島規模で大きな戦いを起こしたかった。それに勝つことで豊臣政権を否定し、徳川政権を作ろうとしたのです。

(中略)

■前田家の次に家康の標的になった上杉家
三成を離脱させたあとの徳川家康はやりたい放題。戦争のためには相手が必要だということで、最初に目をつけたのが前田家でした。

利家の息子、利長の代になっていた前田家に「謀反の動きあり」と難癖をつけたのですが、前田はすぐさま謝ってきた。
自分の母親、もう高齢になっていたお松さんですが、お松さんを人質として江戸に送りますと、文字通り土下座外交を展開しました。

よくよく考えてみれば、それはおかしい。当時はまだ豊臣政権下ですから、本来家康と利長は同僚です。
同僚のところになぜ人質を出すのでしょうか。しかし利長は家康の意図をきちんと理解し、徳川に優る力が自分たちにないと理解していたからこそ、謝った。
そこまでされれば家康も「謀反はなかった」と疑う姿勢を解き、お松さんは江戸に送られます。

では次に誰を狙うか。「大きな戦争」を起こすには、相手も大きくなければなりません。三成のような小物ではダメ。そこで狙われたのが上杉景勝でした。

今度は彼に謀反の疑いがかけられます。もちろん濡れ衣でしょう。
しかしこの流れは前田と同様で、もう誰もが家康が理不尽なことを言っているのはわかっている。
家康も、自分が無茶苦茶なことを言っているとわかっています。わかっていても、狡猾こうかつな家康はそんな自分に誰がついてくるか、こないのかを見定めていたのです。

(以下略、全文はソースにて)
https://president.jp/articles/-/45133?page=1

★1が立った時間:2021/04/29(木) 12:16:14.52
※前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1619783512/
0846ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 20:01:30.16ID:o+XPFP0p0
>>845
言い得て妙。簡潔にして完璧な総括だね
0847ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 20:09:54.57ID:aFBUO5uV0
上杉の立場になれば、あの動きがベターだわな。

上杉があらかじめ短期決着、東軍圧勝が
分かってて動いたかのような論調は
まさに未来人の神の視点による批判だよ。

批判するか否かの議論に立たせるとしたら
上杉ではなく、地蔵のテルこと輝元だろう。
0849ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 20:28:01.16ID:SMeR1vh60
>>847
末代までの恥というのは輝元のことを言うんだろうな
令和になってもテルとか言われてるしw
幕末においても毛利の殿様がだらしないから若手藩士主導の倒幕になってしまった
0850ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 20:41:44.29ID:aFBUO5uV0
本当の天下分け目の決戦は
関ヶ原ではなく大坂の陣だろう。

現君主徳川家と前君主豊臣家の直接的軍事対決。

豊臣が籠城を選ばすに先手で野戦を展開してたら面白かった。
浪人衆といえど、大逆転狙いで士気は高かったようだし。

なんなら京を落として秀頼を上洛させ
九条や朝廷や禁裏を徹底的に脅しあげて
即、関白就任を狙っても良かった。
どうせ負けたら全員死亡で、滅亡なんだから。
0851ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 20:53:31.78ID:fytaaNuw0
>>849
でもそうせい候だったからこそ長州藩士は暴れまくれたと思うよ。
ホントの無能藩主や逆に自信過剰な有能な藩主だったらあそこまで動けなかったはず。
0852ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 21:11:34.43ID:Rn/iukro0
>>811
あれだけあちこちで損害出さされて大軍をいつまでも維持出来ると思ってる方が甘い
ゲリラ戦挑んでる側の消耗なんてたかが知れてるよ、もともと捨て身だし
上杉の進軍開始は9月1日、長谷堂での戦いは10月1日
ひと月かけて山形城にかする事も出来てない状況で
東北のこの時期でいつまでも戦線維持できると思うのはアホそのもの
既に麓では伊達の援軍が到着し始めてる中で
ヘタに深追いし過ぎて帰れなくなったら伊達と徳川に会津落とされて詰むだけかと
0853ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 21:36:04.33ID:o+XPFP0p0
>>852
逆だよ
小規模な部隊の反撃で大軍相手に損害を与えても、相手の全体から見れば軽微なもの
小規模な側は損害の絶対数は少なくても比率では大きくなるので戦いが続けば確実に不利になる
と言うか拠点防御であってゲリラ戦ではない
最上方の複数の城が陥落しておりその度に戦力は消耗している

上杉が最上領への攻撃を開始したのは9月8日で、長谷堂城の攻撃を開始したのは9月15日。
9月29日まで攻撃を行った後撤退を開始した
大軍の作戦行動としてはまだ始まったばかりという状況で、関ヶ原での西軍の敗北が伝わらなければそんなところで止める理由がない
また、伊達が最上に味方して動き始めたのは上杉が撤退を始めた後、10月1日のことだ
0854ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 21:50:23.89ID:oHImQyAZ0
>>853
伊達の援軍である留守政景の軍事行動はもっと早いよ
10月1日ほど大規模な戦闘ではなかったけど長谷堂付近で戦闘してる

慶長5年9月27日付留守政景宛伊達政宗書状(留守家文書)では
「廿四日ニ歒陣近邊へ被打出之由、殊はせ堂口ニ而、少々被討捕之由珎重候」

24日に敵陣近辺へ打って出られたそうで、特に長谷堂口では少々敵を討ち取られたそうで目出度いことだ
0855ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 21:51:50.14ID:o+XPFP0p0
>>854
失礼、動き始めたのは確かにもっと早かった
0856ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 21:55:25.04ID:AoNxLEyC0
もし上杉が越後のままだったら関ヶ原はどういう展開になったんだろう?
0859ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 22:52:33.61ID:KdT/lviT0
>>857
秀吉が茶々を側室にしてから
茶々はその頃から復讐を考えてた
そして大野の子を産み、高台院を追い出し
徳川に最後まで逆らい
豊臣を亡ぼすことに成功した
0860ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 23:12:09.38ID:ddaPUmxI0
>>856
上杉討伐の原因とされてるものが無くなるから全く違う話になる
0861ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/06(木) 23:23:45.79ID:IFjrTKTW0
前田、上杉には何かしら難癖つけて
従属を求めただろうな。
毛利宇喜多に対しても。

隙を作らず信長にも秀吉にも難癖つけられずに
生き延びる事ができた家康にしてみると
なかなかの一興だったかもしれないね。
0862ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 00:34:36.64ID:Fpi1MpUv0
赤穂浪士の件は、
吉良家と上杉家に対する徳川の意趣返し。
0863ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 00:34:56.69ID:zWSkdrm60
>>853
比率で考えても上杉側の損害の方がデカいです
名のある武将まで首取られてるし
損害ばっかり出てる経緯見ても
大将の兼続の軍事能力が極めて低い
関ヶ原関係なく劣勢も劣勢、山城はよほどの兵力差でもヘタ打ったらなかなか手こずるのはこの時代の常識
それを山形城どころか長谷堂どころか捨て石にした上山でさえほうほうの体で追い返されてた状況で
何ヶ月かけて落とせる気でいるのか

せめて景勝本人が指揮してればまだしも
あの状況から勝てる要素は見当たらない
兵が多ければ落とせるなんてほど甘くない

また関ヶ原が終わらなければ血気盛んな結城秀康がいつまでも大人しく待ってるかどうか
最悪家康に籠絡された佐竹も会津に攻めてくる
もちろん伊達は最初から上杉の消耗待ち
とっくに詰んでるよ
0864ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 01:06:06.07ID:UaHd4JMu0
>>863
比率?落城した城は戦力が100%消滅しているわけなんだけど?
いずれにせよ攻勢をかける以上ある程度の損害は想定内
長谷堂や上山が抵抗を続けているとは言え僅かな期間で最上の複数の城が落ちていることは事実
防御側が重点防御している拠点がある程度の期間頑強に抵抗するなんてことも良くあることで驚くには値しない
後詰がなければ大兵力で攻められた城は高確率で落ちる
特に鉄砲の時代になってから小さな城が長期間抵抗を続けることは難しくなった

結城秀康は単独では攻勢を行うのに十分な兵力は与えられていない
全体の戦況を鑑みても攻撃を行うのは西方がある程度片付いて万全の態勢を整えてからになるのは確実
慌てる必要がない
と言うかそれでももし仮に秀康や佐竹の攻撃が開始されれば最上を攻めている場合ではなくなるだろうけど
それ今の話と関係なくない?
元をたどると「最上攻めが関ヶ原の結果に関わらず失敗していたかどうか」だったはず
関ヶ原で東軍が敗北しながら結城秀康が上杉攻めにこだわると言う状況が良くわからないんだけど
0865ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 01:18:37.94ID:UaHd4JMu0
上杉軍の攻撃が上手く回ってない部分があったのは事実だろうけど
そこから景勝や兼続の極端な過小評価につなげたり
それを成立させるために史実をゆがめたり戦理を無視するような議論を始めてしまうのはどうかと思うよ
0866ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 01:34:03.26ID:gTNwtqNm0
>>862
跡継ぎがない時点で上杉を潰せたのに、
保科が奔走して、とりあえずお家存続させているので、
それはない。
0867ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 01:39:54.66ID:zWSkdrm60
>>864
逆だよ、鉄砲で守りやすくなったんだよ
実際長谷堂どころか上山でさえ落とせなかったわけで
捨て石にした少数の空城落とした程度で戦線伸びきってボロボロにされてた状況で勝つのは無理だよ
なお捨て石にした事は義光の書状が残ってるし
まんまと誘い込まれてそこから全く攻められないままあちこちからボロボロにされた
これでは関ヶ原関係なく全く勝ち目がないよ

少しでも危うければ結城佐竹伊達が侵攻してくることも関ヶ原は関係ない
なんなら伊達はもっと長引くと思ってたろうし
それ自体が上杉が迂闊に深追い出来ず、最上に勝てない要素の一つになる
0868ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 01:42:52.54ID:zWSkdrm60
>>865
むしろ初っ端から最後まで全く良いとこ無しの長谷堂合戦と言う結果があるのに
関ヶ原本戦に責任負わせて
それが無ければ数が多いから勝てたと強弁するのはいかがなものかと
無理だろ、あの流れじゃとしか言いようが無い
0869ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 01:45:37.86ID:gTNwtqNm0
>>819
だって、秀吉が水攻めがよくね?ってお手紙くれたんだから、
逆らえるわけがない。

忍城周辺は沼地なので、周囲360度を囲んで一斉に攻めるという方法が
取りにくい地形だったようだけど。
0870ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:02:07.97ID:tlYFVVA50
>>717
勉強不足だね
まず祖国に帰ろう
0871ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:04:29.08ID:VuciilVW0
家康が勝って良かった
秀頼天下とか想像しただけでも恐ろしい
0872ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:04:39.68ID:tlYFVVA50
>>819
平原 笑

利根川付け替え前の忍は湿地帯です
ふつうに利根川の氾濫原
あ、浦和がうなぎの産地とか、
見沼田圃とか、見沼渡しとか知らねえのか
0873ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:18:55.21ID:UaHd4JMu0
>>868
戦いに勢いは重要って言うけど勢いだけですべてが決まるわけでもない
戦の序盤で堅く守られた城の攻略にてこずるなんてのは極めてありふれた話で
その部分だけ切り取っても何の判断基準にもならない
0874ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:21:46.10ID:0BgCiFBT0
今更もしもの話をした所でなにも変わるわけでも無いし馬鹿なのお前ら。
0875ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:31:48.56ID:03iK9t050
>>839
自分も原文は見てないが、そういう資料があるってのは
他でも言われてるな
ただ偽物じゃないかとは言われている

http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/sg04205.pdf?file_id=6707
なお、毛利輝元への減封処分への経緯に関連して、
10月2日付吉川広家宛黒田長政起請文(208)、
慶長5年10月3日付福島正則・黒田長政宛吉川広家
起請文(209)の存在があり、それぞれの起請文の前替において、
前者では、中国地方で吉川広家に対して
1~2ヶ国を与えることを黒田長政が伝え、
後者では、そうしたことは吉川広家の本意ではないので、
毛利輝元と同罰を与えてほしい、と吉川広家が伝えている。
この史料について、光成準治氏は史料批判を加え、
10月3日付吉川広家宛黒田長政普状も含めて、
この3通の文書は「大日本古文書」に収録されていない
(つまり、原本が吉川家に伝来していない)ことや、
慶長5年10月3日付福島正則・黒田長政宛吉川広家起請文は
受領したはずの黒田家に伝来していないことを理由として、
偽文書の可能性を指摘している

(208) (慶長5年) 10月2日付吉川家宛黒田長政起請文」(家康・中-773頁)。
0876ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:34:53.49ID:SXZ0GmFP0
>>867
義光が捨て石にしたことを示す書状は慶長5年9月何日付の何家に伝わった文書?
自分が知ってる慶長5年9月の義光発給文書でそういう内容のものは聞いたことない
0877ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 02:52:06.82ID:SXZ0GmFP0
>>875
資料ありがとう
道理で調べても大日本古文書の吉川家文書にないはずだよ
そもそも収録されてないのか
毛利氏研究の第一人者光成準治氏が史料批判を行い偽文書の可能性を指摘してるとなるとその信憑性は高いな

内容も原文読まないと言葉使いとか微妙ニュアンスが分からんから何とも言えないけど、
現代語訳からはまるで後世の軍記みたいな内容でいかにも怪しいって印象を受ける
出典は中村孝也著・徳川家康文書の研究中巻か
今度調べてみるわ
0878ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 08:07:38.77ID:UgLqZrMd0
>>874
変えようとしてる奴なんて一人もいないのに
バカなの?
会話も楽しめないぼっち君だろ
0879ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 08:12:14.08ID:TAEI8HF80
1番は毛利輝元だろ
あいつが大阪から関ヶ原に来てたら勝てたはず
0881ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 08:23:32.22ID:UgLqZrMd0
>>880
前田慶次がいたら勝ってたな
0882ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 08:44:29.92ID:mKdWWJIo0
>>881
水野勝成さん慶次よりもよほど傾いてるのに知名度低いよね
0883ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 11:17:44.43ID:uRy1D7Vj0
>>881
当時の上杉方にいたよ、前田慶次
0884ニューノーマルの名無しさん
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2021/05/07(金) 12:36:51.17ID:kBQ6LS2h0
>>881
花の慶次を読み返そう
最後の方で長谷堂攻略途中で関ヶ原集結を知らされ殿をやってたろ
あの漫画くらい強けりゃ長谷堂くらい一日で落とせそうだがw
>>867
城の防御に鉄砲が有効なのは後年の島原の乱での原城攻城戦で立証済みだな
立てこもってたのは戦闘のプロではない農民の一揆組が城を盾に鉄砲で武士と互角に渡り合った
0885ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 12:40:00.04ID:kBQ6LS2h0
>>882
花の慶次のクライマックスでの秀吉謁見を見てると
最初は秀吉殺してやると特注の短刀まで用意してたのに最後にはヘタレて正装までして頭下げただけにしか見えない
それをさすが傾奇者慶次郎としたのには違和感が残るw
0886ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 12:45:11.59ID:SXZ0GmFP0
>>819
忍城水攻めを命令したのは秀吉だよ
むしろ三成は途中から合流した浅野長政等に水攻めを辞めて普通に城攻めすることを提案してる
下記の通り秀吉が頑なに水攻めに拘ったから当然却下されたけど

・天正18年6月12日付石田三成宛豊臣秀吉朱印状
「忍之城儀、(中略)水責ニ被仰付候者」
(忍城の事は水攻めにするよう命じられ)

・天正18年6月20日付石田三成宛豊臣秀吉朱印状
「水責普請之事、無由断申付候由尤候、浅墅弾正・真田両人重而被遣候間、相談弥堅可申付候、普請大形出来候者、被遣御使者手前ニ可被及見候条、成其意」
(水攻めの工事は油断なく行うよう申し付ける
浅野長政と真田昌幸にもこの事はよく命じてあるので、相談してしっかり作るように
堤が大方出来上がれば、使者を遣わしてその状況を見聞させるので、そう心得ておくように)

・天正18年7月3日付浅野長政宛豊臣秀吉朱印状
「菟角水責ニ被仰付事候間、其段可申付候也」
(とにかく水攻めにするよう命じるので、そう心得るように)
0888ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 12:58:37.91ID:RLUPOCIh0
命令∶堰を28kmさっさと拵えろ(太閤殿演コの威光を示しbト開城させろ)
回答∶水攻めと決め込んで諸将が動きません、こんな方法ではダメですご指示を
結果∶3mの半端な堰で城には効かず、かつ決壊して自軍の兵が死亡
結論∶三成は暗愚
0889ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 16:21:43.11ID:/GXGAMHA0
1、サルが色々悪い
2、兼続が泥棒したから悪い
3、景勝が土下座しなかったとか色々
4、花の慶次が本気出さなかったから

この辺が敗因だな
0890ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 17:09:54.83ID:Mjskozxb0
やっべー
終わってまう・・・・
0891ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 17:16:03.75ID:tI4r14n40
>>880
牟田口「せやで」
0892ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 17:48:37.51ID:eEkbvfxx0
徳川>>上杉>>>>>安部とか李家

コレな
0893ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 18:07:40.62ID:48FIAflP0
>>882
それでも家康曰く水野家では1番まともな人間というのがなんとも
息子や孫も酷かったようで
0896ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2021/05/07(金) 20:04:46.90ID:UaHd4JMu0
>>884
鉄砲は攻撃側と防御側両方の攻撃力を増している。
それにより損害は出やすくなったが出血を覚悟することで強襲での決着がやりやすくなった。
防御側の火力が貧弱な場合、巧妙に普請された山城であっても長くは持たない。
防御側の火力が強力であれば、城の防御力によって強化された火力は手が付けられないことになる。
要するに、鉄砲以前よりも城の防御力が籠っている兵力次第という面が強まった。
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