【ラムネの日】戦艦大和に製造室もあったラムネを再現、特産品に認定(産経) [夜のけいちゃん★]
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2021.5.3 08:00
5月4日は「ラムネの日」。ラムネは戦時中に旧海軍にも愛され、戦艦「大和(やまと)」でも作られていたとみられている。そんな当時の味を再現しようと試みたのが、大和を建造した場所で日本を代表する軍港があった広島県呉市にある食料品製造販売「中元本店」。同社によると、初代社長が旧海軍にラムネの製法を伝授していたというから、再現力は本物だ。当時を再現したその「大和ラムネ」は今年4月、広島市が優れた地元の特産品を全国にPRする「ザ・広島ブランド」に認定された。
◆戦艦の消火設備を転用
「大和ラムネ」を製造する中元本店は大正14(1925)年創業。当時からラムネを作ってきたといい、地元で長年親しまれてきた。夏祭りや盆踊り大会の人気メニューで、中元順一朗社長(48)は「大会が終わると、父や工場長が夜の街のあちこちに捨てられたラムネの瓶を探しに歩き回っていたと聞いています」と話す。
そして、このラムネの製法を旧海軍に伝えたとされるのが、初代社長で中元社長の曽祖父、庸(いさお)さん(故人)。同社によると、昭和16年に世界最大の戦艦として竣工された大和はもちろん、旧海軍の大きな戦艦にはラムネ製造室が備わっていたという。艦内に消火設備として二酸化炭素の発生装置が設置されており、これを転用することでラムネを製造できたという。
長文につき、後はソースで
https://www.sankei.com/smp/premium/news/210503/prm2105030003-s1.html 海軍は日英同盟のつながりでウイスキーが大好き。
そのためニッカは軍の指定工場となり
物資を優先してもらえた >>400
いや送信する前に確認とかしないのお前? >>401
そして連合国は勝ってから占領するときにウィスキーを現地調達するために、ニッカの工場の位置を把握して攻撃目標から除外した >>401
軍艦が飲酒可なのは大航海時代に飲料水として酒類を積んでいった伝統か >>397
そんなこと言うなら
米戦艦含めて全世界のほぼ全ての戦艦は費用に見あってないぞw >>395
近代的戦艦は全世界で約180隻建造されたが
大和はかなり活躍した部類に入る 戦艦大和に毛が生えて
大砲一つに玉二つ
自慢じゃないけど伸び縮み
たまには黄色いお茶も出る こんなこと言ったらアホウヨの皆さんに怒られるかもしれないけどさ。
戦争始まったらすぐに輸送船足りなくなるのわかってて戦争始めた日本ってやっぱり馬鹿だと思う。 >>12
気持ち悪いチョンだな
日本に居座って日本ヘイトをしながら死んでいくのか? >>400
大和の評価をしないのはシナチョンぐらいだぞ
お前シナチョンか? 大東亜戦争まで日本に守られて安泰に生き延びたチョンの子孫は存在している事を日本に感謝しろとは言わんが
訳のわからん逆恨みみたいなコンプレックスを抱えたまま日本に居るより半島に帰った方がいいぞ ゴミみたいなチョンを近代化させるのに使った費用は大和三隻分
もう三隻あれば運用もできただろ
チョンなんて絶滅して剥製として惜しまれて残るぐらいが幸せだっただろ 大和はロマンがあっていいよな。
wowsで愛用してるけど、大和型の46センチ砲は32ミリ装甲を角度関係なく強制貫通できる設定になってて、相手が縦向きでも徹甲弾でブチ抜けて気持ちいい。 >>409
他の選択肢があるならキミのご賢察を
お伺いしたいものだな
もちろん当時得られた情報と価値観の
範囲内で実現可能なものを頼む 戦犯旗はダメでしょ。どさくさ紛れにこういうことするから大韓人は怒るんだぞ チョンは前線では使い物にならないから、
内地で内職やらされてただけだからなw
前線に送ると敵前逃亡するし >>417
ジャップの伝統芸『アメリカ様の靴舐め』 >>421
過去に靴舐めしかしたことがないチョソの言い草だなw 戦闘機で出撃する時にラムネを持っていって、上空で飲もうとしたら、
気圧が低いのと振動とで開けたとたんにブシャーっと飛び散ってコックビットがぐちゃぐちゃになった・・・っと、どこぞで読んだw 坂井三郎の話かな。
ベタベタになったそうだから
炭酸水だけじゃなくて
一応は砂糖が入ってたんやな。 >>420
後方に配置したらしたで略奪に虐殺しまくりなのだが 石平氏 朝鮮の王というのは中国皇帝に三跪九叩頭してきた
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Yamen-sitzung.jpg
日本の天皇はそんな恥ずかしいことをしたことは一度もない。
朝鮮の情けない王とは違うのである。 >>279
チハだって道が最悪な中国大陸や南方で使うなら優れた戦車だしなw
俯角が15度ほど取れる
横幅が狭い
一度の給油で進める距離が長い >>423
上にも出てるけど坂井三郎の「大空のサムライ」に同じ描写があるね
瓶入りサイダーを持って行って飛行中に飲もうとして栓を開けたら気圧の影響でサイダーが噴き出し
計器盤や風防の内側が乾いたサイダーの砂糖で白くなってエライことになった
それからは地上で栓を抜いてから持っていくようにしたという アメリカ人はアイスクリーム大好きで空母みたいな大型艦には
製造機があったけど、駆逐艦みたい小型艦には無かった
で、駆逐艦とかが着水した空母搭乗飛行士を救助したら
パイロットの体重と同じ重さのアイスクリームと交換するのが決まりだったそうな アメリカは軍隊にすべて砂糖を持っていかれて
他国同様、国内はまったくの砂糖不足に陥った
徴兵された青年が軍の朝食で「一年ぶりにゼリーを見て感動した」
という話を書いている 子供に与える菓子も不足したので砂糖を使わずに済む
ポテトチップスが誕生。 >>432
残念ながら、諸説あるとは言えポテトチップス自体は19世紀から存在していたそうだ。 >>432
あるレストランに来たワガママな常連さんが「ジャガ芋を薄くスライスしたやつを揚げたら美味いと思うんだ。だから作って」とシェフに注文し
それで出来たのがポテトチップスだって某ポテチの袋の裏面に書いてあったわ 大和かぁ・・・・・・
確かに立派な船だったが
期待先行、典型的な看板倒れだったわな >>11
俺の通っていた小学校は全校生徒が1500人超だったから、
その頃から自分が属する組織のメンバーを殆ど把握できないことは普通だと思ってたな
つうか昭和の時代までは何をするにも大人数で同じ部屋の連中以外は
誰かいるのかわからないなんて俺じゃなくても普通のことだったんじゃないかなって気もする きみらがいればアメリカだろうがなんだろうが圧勝だっただろうに >>427
これ、厳密に言うと違う。相手は中華皇帝の外交官。
しかも悲惨な事に元朝鮮人。
献上品がろくに無い朝鮮では優秀な男と美女を献上してたんだけど、
優秀な男は朝鮮相手の外交官になることが多いため、とされてる。
歴史的に呪われてるよ、あの国。 戦時中の軍艦は使いこなしに職人芸が必要なイメージがあるけど、アメリカはよく技術を伝承してたな
主砲の照準も今と違って難しいんじゃね 昔にフジテレビでアイオワ級の乗艦レポートをやってたんだけど、主砲管制室はアナログコンピュータがあって、主砲弾の装填は機械だけど発射薬は手で押し込んでたわ 大和にはエレベーターもあったけど士官専用。
海軍は兵卒と士官とで食堂も異なる、すごい差別がある縦社会。
自衛隊も兵士で入るのは止めた方が良い。 >>164
ミッドウエーで空母4隻を喪失しながら自決しなかった南雲は、
結局サイパンの陸上部隊に異動させられ戦死している。 >>117
俺の死んだじい様もそんな感じだった、終戦頃にフィリピンで捕虜、帰ってきたらアル中。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています