東京新聞2021年5月8日 07時25分
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戦時中、生物兵器などを極秘裏に開発していた旧陸軍登戸研究所の歴史を、高校生たちとともに調べてきた元教諭の渡辺賢二さん(77)によるオンライン講演が、ユーチューブで配信されている。「登戸研究所掘り起こし運動30年のあゆみ」と題した講演で、負の遺産を後世に伝える意義と重要性を説く。 (中山洋子)

現在の明治大学生田キャンパス(川崎市多摩区)にあった登戸研究所では戦時中、風船爆弾や生物兵器の開発や偽札づくりが行われていた。だが、終戦時に書類は燃やされ、関係者は戦後も長らく口を閉ざした。実態を掘り起こしたのは市民たちだった。

一九八七年ごろ、市内にある法政二高の教諭だった渡辺さんは謎に包まれた登戸研の存在を知り、元職員らでつくる「登研会」にアンケートを実施。タイピストをしていた女性が書類を練習用に持ち帰り、閉じていた「雑記綴(つづり)」が見つかり秘密戦の実態が浮上した。調査には渡辺さんの教え子たちも参加。大人には口を閉ざした元職員も、高校生たちには向き合い、貴重な証言を残した。

二〇〇六年には、地元の多摩区民を中心に研究所の保存を求める市民の会が発足。二〇一〇年には、生物兵器を研究していた建物に、明治大学平和教育登戸研究所資料館が開設された。

同資料館の展示専門委員を務める渡辺さんは、資料館を訪れた元職員らが「ほっとした」と涙ぐんだ姿を何度も見かけたという。「戦後は技術を認められて米軍に雇われた元職員も少なくない。自らがかかわった研究への罪悪感と『話せない』という苦しみの中で戦後を過ごした人々が、資料館の存在に『もう話してもいい』と心を解き放たれた」と指摘。コロナ禍で資料館への入館が制限されているが、渡辺さんは「再び開館したらぜひ訪れて戦争の実相を考えてほしい」と訴えた。

十五日午後一時から山田朗館長によるオンライン講演も実施。メールによる事前予約が必要。