【びわ湖放送】ロシアのニコライ2世が切りつけられた大津事件から130年 大津市歴史博物館で企画展 [みの★]
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1891年、来日していたロシアの皇太子ニコライが、大津市内で、警察官から切りつけられた「大津事件」から、11日で130年となります。
大津事件は、現在の大津市京町で、明治24年・1891年5月11日に起こったもので、大津市歴史博物館では、発生から130年となるのに合わせて、大津事件に関する資料・約30点を展示した企画展が開かれています。
大津事件は、当時、来日していたロシアの皇太子ニコライが警備をしていた巡査・津田三蔵に切りつけられ、負傷した事件で、国際問題ともなった、この事件の裁判は、司法権の独立が維持され、三権分立の意識を広めたとされています。
…続きはソースで。
https://this.kiji.is/764072575265095680
2021年5月9日 19時31分 >>10
ロシアは人口1億4千万人、韓国が5千万人
それで韓国と同程度だからいかにダメな国かよくわかる ニコライ二世がこの事件で死んでたら、歴史が変わってただろーな >>95
日露戦争のときロシアのGDPは日本の8倍だったみたいね
日本は長々と戦争はできないからポーツマスで講和の仲介をアメリカに頼んだ これ司法の独立が守られたって話だが
当時の最高裁長官が大逆罪適用しないように
裁判所に圧力かけたのがよくないって意見もあるんだよな 岩波の大津事件を読むと、事件直後ニコライ二世は案外落ち着いていて、タバコを燻らせていたらしい。
みんな平蜘蛛のように謝りにきて、日本のせいではないとフォローしきり。
その前に、同行のギリシャ太子とかと身体に和彫りをしていたんだっけ。 >>101
大逆罪は大審院(最高裁)のみの一審制だから、
下級裁判所への圧力をかけることなどないはずだが。 外国勢力に暗殺未遂を起こされたのに報復を起こさない寛容さは凄いと思った
いくら天皇直々の謝罪訪問やら謝罪の割腹自殺やらがあったとはいえロシアにしてみればそんなんされてもって感じだったろうに 全然関係ないけど前に大津市歴史博物館で大津城の戦いの時の毛利秀包感状見たな
家臣に対して大津城の本丸の鉄門で数ヶ所に傷を負いながらも素晴らしい戦いをしたから500石加増するねってやつ 現皇帝のプーチンに路上で単身テロ仕掛ける奴は居そうもないな テロリストが逆に奴の不気味な体術でゆっくりと絞殺されそうだ、でなきゃプーチン自身が拳銃で即応戦である >>93
津田巡査って現在の東京の浅草橋駅付近で生まれ育った
江戸っ子だったんだよね >>99
太平洋戦争のときも長く続けられないってわかってて戦争踏み切ったみたいだけれど、日本ってこのときから変わってないのね。身の程知らずというか楽天的というかやってみればなんとかなるみたいな ボリシェビキによるニコライ2世一家皆殺し事件の後に
四女アナスタシア皇女を騙る輩が何人も現れて
この時の血液がDNA鑑定に役立ったとか >>24
大嘘だな
ニコライ二世は筋金入りの人種差別主義者
それは大津事件も多分に影響している
戦争になると思ってなかったのは事実らしいけどそれは平和を望んでいたからではなくて
アジアの猿ならどんなに挑発的行動を取っても歯向かってこないと舐めきっていたからだよ
朝鮮への軍事進出が侵略であることも日英同盟発動条件に引っかかることも知っていてなお
日本が開戦に踏み切ることはないと見下していた おまえら、ひまだったらニコニコにあるラスプーチン映画見てくれ >>24
ドラマ化に際してNHK的な配慮があったのかも知れないね
実際のニコライ2世はどうだったのかはわからないけど
司馬遼太郎の原作小説では日本人の事を「猿」よばわりしている ただ、厳密に言うと
裁判官独立の原則は
侵害されてるんだよなぁ... >>117
NHKの坂の上の雲は、広瀬武夫とロシア娘の恋愛に代表されるように、
日露友好を強調したかった様子だからね。 ロシア人→リトアニア人ラトビア人エストニア人ポーランド人ウクライナ人ベラルーシ人を含む
だろ? ニコライが聡明とかいう見方があるが愚鈍な旧来の皇帝だったと思うぞ
本当に聡明なら日本と戦争する意味や当時の国際情勢、そして自分の国で起こる革命も予見してたはずだからな >>122 悲劇的な死を遂げた人間は美化されるというやつよ。 >>122
神経過敏な自分の嫁さんを抑えられない優柔不断な人物とは聞いているけれどもね まずいw
ウリはこの大津事件については並々ならぬ関心がありましてw
本当は今日はこのスレにいつもの長文連投しに来たんだが
他所のスレでまあた駄文を弄しているうちに
こんな時間になっちまった。やんぬるかな。
まあ明日までスレが立ってるとも思えないからあれだけど
大事件の割には司法権の独立は守りつつも諸方面に顔がたった
なんていうかうまくいった案件だと思うよ。
もっともその後、無期徒刑の津田三蔵が謎の急死をしていること
大審院長、児島惟謙が司法官弄花事件という賭博スキャンダルに
自らは関わってないのに辞職を余儀なくされたことなど
いろいろと想像のふかまる事件ではあるね。
あ、ところで来日した露国皇帝ニコライ帝の傍らに、
いたんじゃないかなあ、西郷南洲www
少なくとも津田三蔵はそう信じていたようだね。 あとまあ>>119 くんの説はその通りで
児島惟謙は対政府の観点から司法の独立は守った。
でも、裁判官の独立はどうだったろうか?
大審院長ではあるが、大審院の形式的には部下である裁判官に
その所掌する裁判の具体的なジャッジについて
何か命じたりする権限はないんだよね。これは昔も今もそういうもんだ。
他ならぬ児島惟謙も事態収拾のため政府のお偉いさんに呼び出されたとき
「いくら大審院長とは言え裁判官の評議に口をはさむことや
出た結論をどうこうすることはできませぬ」式のこと
確か言明してたはずだからね(時間が遅いんで資料は見てないYO!)
そしてにもかかわらず、まあ一般刑法適用を説得したのは
どうなのかとはいえないことはないかもしれん。
とはいえ、政府は内部ではいろいろな論争もあったんだけど
もうロシアとの間に密約とかもあったしねえ。
なんとかして死刑にするつもりだったんだろうなあ。
まあなんせいきなり最終審である大審院で裁かせるところが
既に何をかいわんやだしね。いくら明治時代でも普通は今の地裁でやるわけで。
いきなり大審院ってのは大逆罪とか裁く時のルールだからね。
まあ、要するに政府も司法もロシアも皆、
表裏の顔を使い分けるタヌキとキツネのバカシあいだったわけだ。
そして表では花をとりつつ、実のところでも
刺客は公式には無期徒刑ながら獄中で変死し、
政府方針に反し司法の独立を守った責任者は
その座から降りるってのは象徴的ではあるわね。 >>126 児島惟謙が賭博がらみで辞職したって話は聞いたことあるけど、あれって児島と直接関係ないの? あとはまあ、下向して単身露国軍艦までお見舞いに行った
明治天皇の豪胆の話をしてもいいし(同害報復されたらどうすんだ?)
露国皇太子に代わりに詫びると言って自害した勇婦の話とか、
あるいは報を受けての御前会議だったかな? 閣議かなんかでで、
犯人を暗殺して事態を収拾するって珍説が建議されたとか
この事件はね、サイドストーリーに面白いところはいくらでも出てきます。
それこそ動機となった西郷生存説でもいいし、
露国皇太子をかばって露国から勲章と年金を受けた
戴勲車夫の話でも(日露戦争中も年金は払われたんじゃなかったかな)
あるいはなんか最近も似たような話があった気もするがw
司法官が博打をやった弄花事件でも、まあ興味深いところだね。 >>122
ラスプーチンにチンポで負けたのがそもそもの敗因や >>122
同時期のロシア人の証言を見てもそうとうたまらん人物だったであろうことが分かるんだよね
ロシア詩人アレクサンドル・ブロックによるニコライ2世評
「頑固にして意志薄弱」
「神経質にして無気力」
「喋らせれば強迫観念と注意し過ぎで何をいいたいのか分からない」
「自分の任命した大臣の罠にはまりやすく、物事の本質がつかめず、いかなる決心もつかない」
戦争を欲しないという発言は本当だけどそれは
日本なんて脅しをかければ屈服する猿どもだと見くびっていたから
あらゆる意味で現実が見えていない愚帝だったんだと思う >>129 今のロシアは、むしろ資源大国だな。(´・ω・`) >>134
一番最初の奴凄い矛盾してないかw?
頑固と意志薄弱の両立なんて不可能だろw
多分嫌いな奴を批判したくて否定的な言葉を並べただけじゃねw?
最後の奴なんて任命した大臣を信じて投げているようにも見えるw >>16
お前何人なの?
もう少し頭使って考えよう? >>136
いや分かるだろ?
頑迷だけど確固たる信念なんてないってことよ
下らないことに頑固なくせに一貫した考えや見識が無く物事を貫き通す意思がない
気位だけ高い小人物ってことよ 利尻島襲撃拉致事件とか対馬占拠事件はやらないのか? >>139 利尻島や対馬で企画展やれば、報道もされるんじゃね。 >>16 大津事件から日露戦争まで10年以上あるから、関係ないな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています