1990年代以降、ソ連の崩壊に伴いソ連軍の損害が明らかになると、ソ連軍の損害を少なく
隠蔽していたことが明るみに出た。またロシア側により発見された史料による「日本側の被害」は
日本側が公表している数値よりもはるかに多い人数を挙げており、互いに相手に与えた損害を
過大に見積もっている。
日本軍は決して惨敗したのではなく、むしろ兵力、武器、補給の面で圧倒的優位に立っていた
ソ連軍に対して、 ねばり強く勇敢に戦った、勝ってはいなくても「ソ連軍の圧倒的・一方的勝利で
あったとは断定できない」との見解が学術的には一般化したと主張される。
秦郁彦も「一般にノモンハン事件は日本軍の惨敗だったと言われるが、ペレストロイカ以後に
旧ソ連側から出た新資料によれば、実態は引き分けに近かった」として、ほか「損害の面では、確かに日本軍のほうが少なかった」
「領土に関していえば、一番中心的な地域では、ソ連側の言い分通りに国境線が決まったが、
停戦間際、日本軍はその南側にほぼ同じ広さを確保してしまう。それがいまだに中国とモンゴルの
国境問題の種になっています」と指摘している