ナチス・ドイツがソ連に攻め込むと(独ソ戦)、ソ連は極東の国境画定に関わる余裕を失い、
ほぼ日本側の主張に従い作業が進んでいった。
そして、ノモンハン以北は満州国外交部の調査通りに従来の国境線(停戦時のソ連軍の
占領地とほぼ同じ)で、南方のハンダガヤ地区は停戦前に日本軍が確保した土地は満州国領土とする、満州国
に有利な総合議定書が1941年10月15日にハルビンにおいて調印された。
モンゴルはこの交渉により1,140 km2を領土を失ったと悔やんでおり、ノモンハン戦を
領土の争奪の視点から評価すると、日本側の勝利とする意見もある