何か凄くピントのぼけた事を書いてる人がいるので釘を刺しておくけど
資本主義社会が発達すると、人間関係が、地縁血縁を中心とする社会から、利益・利害による結びつきを中心とする社会に、社会の構造自体が変化する
人間関係が、地縁血縁を中心とする地域社会をゲマインシャフト、利益・利害によって人々が結びつく社会をゲゼルシャフトっていう

俺は別に専門家でも何でもないので、詳しいわけではないが
例えば市場競争に敗れて食い詰めたり、家族が病気で看病が必要になった場合、ゲマインシャフト型の地域社会は、地域共同体型の社会なので
地域社会がそうして困っている人を助ける事で、緩衝材となる

ところが資本主義が進展してゲマインシャフト型の地域社会(地域共同体)が解体されると、地域社会からそうした機能が失われる
市場競争に敗れて食い詰めたり、家族が病気で看病が必要になった場合、ほったらかしにされて、餓死されたり、死んでしまったりするわけ

そこで出てきたのが【社会保障】という考え方と制度で、現代の社会保障というのは、そもそもが、資本主義浸透以前の社会で地域共同体が担っていた機能を
国が負担する事によって、代替しよう、代理しましょう、という仕組みなんだよ

この騒音の問題や近隣トラブルに関しても同様のことが言えて、この種の問題が起きた場合
ゲマインシャフト型の地域社会であれば、地域共同体で何とかしましょう、という話になるが、ゲゼルシャフト型の地域社会では、そんなものが上手く行くはずがない
地域社会にはそんな機能はないわけだから
だから国や地方自治体が、かつて存在した地域共同体の代わりとなって、解決機能を身に着けて、事態に対処する必要があるにもかかわらず
その機能がきちんと付与されてなくて、トラブルが続発しても、解決能力がないまま、多くの被害者達が泣き寝入りさせられているのが、現代日本の特徴なわけだよ

だから取締法の整備と専用の取締機関の創設、事態に対処するマニュアルの制定は、やって当然の事であって、こんなものが整備されず野放しの今が異常なだけ

そもそも住居には仕事を終えて寝に帰るだけ、朝起きて飯食ったらまた他地域の職場で過ごす、住所地での生活は精々祝祭日だけなんて暮らしを多くの人達がしてる社会で
地域社会が機能する事なんかあるわけないだろ?
幻想も甚だしい
昭和時代の地域共同体がまだ残ってた時代に郷愁(ノスタルジー)を感じてるのか何なのか知らないが、そんなもの迷惑だっつうの