中国が「チベットを解放した」とする日から、23日で70年となった。共産党指導部は「平和と発展をもたらした」と成果を強調。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の影響力を今後も排除していく方針を明確にした。亡命政府は国際社会に支援を求めるが、打開策は見いだせていない。

■「ダライ・ラマのマイナス影響取り除く」

 「チベットの安定統治に成功する中で我々が感じているのは、共産党の指導を堅持しなければならないということだ。党中央と人民の支援が、社会主義の優れている点だ」

 22日、北京で会見したチベット自治区トップの呉英傑党委書記は、胸を張った。政府が累計1兆6300億元(約27兆6千億円)を投じて鉄道や高速道路、水力発電などのインフラ整備に取り組み、市民生活が大幅に改善したと成果を強調。1人当たりの所得が70年で400倍以上に増えたとアピールした。中国はチベットに経済発展をもたらすことで政権への信任を得る戦略を続けてきた。

 さらに強く訴えたのが、ダライ・ラマ14世の影響力を取り除き、宗教管理を強める重要性だった。

 呉氏はダライ・ラマ14世らを中国の分裂を謀ってきた勢力などと批判。「ダライ・ラマ集団との闘争方針は堅持し、国家安全と社会の安定を守り抜く」としたうえで、「宗教が社会主義に適応するよう特に力を入れる。ダライ・ラマ14世が宗教を使って持ち込んだマイナスの影響をしっかり取り除く」と述べた。

■「協定は脅迫と銃剣でなされたもの」

 1949年に中国を建国した共産党は、間もなくチベットへ軍を送り制圧を図った。圧力を受けたチベット政府の代表団と中国政府が51年5月23日に17条の協定を結んだ。中国はこの日を「平和解放の日」と位置づけるが、ダライ・ラマ14世は「協定は脅迫と銃剣を突きつけられてなされたものだ」と反発してきた。

 59年のチベット動乱を機にダライ・ラマ14世はラサを脱出し、インドで亡命政府を樹立。80年代後半になるとダライ・ラマ14世は独立ではなく、高度な自治を求める「中道路線」を唱えるようになった。

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2021年5月26日 15時00分