>>341
>1931年の満州事変で、対米開戦への一本道は決定的になっている

それは言えないでしょ。
満州事変の段階では、リットン調査団も最初は日本の満州占領を条件付けで認める雰囲気だったし、そこで満足していれば、欧米列強と手打ちは十分可能だった。これは歴史学者がさんざん解き明かしてきたこと。
満州を植民地にしたまでで、日本が軍事的に立ち止まってればよかった。(石原莞爾の直観はなかなか良い線だったんだよ。)

「対米開戦への一本道」というなら、日華事変の泥沼化とか南進でしょ。
そのときにはもう日本は完全に国家としては発狂、錯乱状態だから。
自国がいったい何をやってるのかもう客観的に自覚することができなくなっていた。