【歴史】「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断、被害者の数はなんと5万人 ★2 [砂漠のマスカレード★]
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当初は織田信長の政策を継承し、日本でのキリスト教布教を容認していた豊臣秀吉。だが、後に「バテレン追放令」によって布教を禁ずるようになる。秀吉がキリスト教の布教を防ごうとした背景には、ポルトガル人による「奴隷貿易」があった。5万人の日本人が国外に連行されたという、その実態とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。
【写真】「世界で一番強い国はどこか? 」中国製AIの衝撃回答
日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の天文18年(1549年)に薩摩、今の鹿児島・祇園之洲に上陸したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであった。
このザビエルからバトンを受け継ぐように永禄6年(1563年)、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日すると、ときの権力者の織田信長から布教活動を許されたこともあって、京都や西九州中心にキリシタンが急増した。信長が本能寺で斃れた天正10年(1582年)ごろには全国で約15万人の信者がいたと言われている。
この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数に匹敵するものだった。その後、信長の後継者となった豊臣秀吉は最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、天正15年になり、突然手のひらを返すかのように「伴天連(ばてれん)追放令」を発する。伴天連とはポルトガル語で宣教師を意味するパードレが訛ったものだという。
秀吉にはこのとき、布教や商用のために日本にやってくる西欧人に対し、どうしても許せないことがあったのだという。それは一体何だったのだろうか。
■最初は布教を許していたが…
秀吉は権力の座についた当初こそ、信長の政策を継承し、キリスト教の布教を容認していた。布教の裏にある西欧諸国との交易――いわゆる南蛮貿易にうまみを感じていたからである。
この交易では鉄砲や火薬、中国製の生糸などが輸入され、日本からは主に銀、金、刀剣類などが輸出された。そんな信長以来のキリシタンの保護政策に対し、秀吉に見直すきっかけを与えたのが、天正14年(1586年)7月に秀吉自身が始めた「九州平定」だと言われている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=1
6/8(火) 15:01
配信
前スレ 2021/06/11(金) 14:13
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1623388395/ ポルトガルの奴隷貿易 - Wikipedia
これ読んだけど、ポルトガル人最悪やな。
もうカステーラ食わんわ。 売国奴だらけの現在は悲しい。もう英雄が生まれなくなった ぶっちゃけ
日本を外敵から守った英雄は
豊臣秀吉と北条時宗だけやからな。 イエズス会宣教師が奴隷貿易に関与していだことは、これまでの研究でも明らかにされている。ポルトガル商人の購入した日本人が合法的に奴隷身分とされることを示すために、宣教師が奴隷交易許可状を発給していたのであった。
(平川新著 戦国日本と大航海時代より) 世界で一番強い国はどこか? 」中国製AIの衝撃回答どこだ うんうん、そうだよなーとスターバックスでvisaカード使って飲食してる奴 おれだ。 今でもそうだろ
キリスト教が皇族を取り入れようとしてる
実際に侵食しつつあるし 己の信仰の為ならどの様な醜悪な事も真顔で行える
げに恐ろしきは宗教なり >>1
> 【写真】「世界で一番強い国はどこか? 」中国製AIの衝撃回答
抜けよアホ・・読んでて一瞬思考が止まるんだわ >数はなんと5万人
はあ、
安倍菅のおかげで
今や1億人がアメの奴隷www 日本を奴隷化から救った秀吉
それなら日本を奴隷化したのは、ケケ中か
秀吉の軍師に竹中半兵衛というのがいたが、雲泥の差 キリシタン大名は
鉄砲用火薬1樽と日本人50人を交換してたからな 日本人同士でも売ってたからな
今も奴隷は存在するし でも朝鮮人の優れた技師は軒並み連行してきたよね(´・ω・`)
それによって世界に誇る江戸文化を発展させた日本、方や国土や人材をグチャグチャにされた朝鮮は近代化が遅れ、明治政府の富国強兵にのまれるハメに 長崎で逃げる坊さん殺したりひどいことしたからな
あたりまえ >>9
よりにもよって大友氏か・・・。
血は争えないという事か? 「蝦夷地99年間貸与」 会津・庄内両藩、戊辰戦争で独に打診 (北海道新聞)
https://web.archive.org/web/20160921202640/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html
「蝦夷地99年間貸与」会津藩が戊辰戦争で独に打診。売国奴。
以前から知られていたことだが、明治元年(1868年)7月に会津藩・庄内藩がプロイセン(ドイツ)に対し蝦夷地(現 北海道)の土地売却の打診をしている。
これまでは、ビスマルクが却下した為その話は立ち消えになったと思われていた。
だが、最近、ビスマルクが却下の3週間後に方針転換し交渉を認可していたことを示す文書がドイツ連邦軍事文書館で発見された。
プロイセン(ドイツ)ではゴーサインが出ていたことが明らかになったのである。
会津・庄内両藩はプロイセンから資金を借り受ける為の担保として「蝦夷地の領地を99年間貸与すると申し出た」とのこと。
戊辰戦争が長引いていれば、少なくとも北海道の一部、悪くすると全部が昭和40年代までドイツ領になっていた可能性がある。
旧幕府方の総大将である徳川慶喜は(少なくとも表向きは)とっくに降参し恭順しているのだから、もはや武士の忠義とかは全く関係ない。
意地なのか単なる“薩長憎し”なのか知らないが、とにかく自分らのご都合の為に国土を他国に売り渡そうとする、文字通り「売国奴」である。 同じ神を信じる日本人を原爆でふっ飛ばしてるしな。キリストは悪魔やで。 せっかくのそんな英断が
今中国韓国に侵略されて台無しに ・日本を守った長州藩の高杉晋作 「彦島租借」断固拒絶
文久3年(1863年)8月、英・仏・米・蘭による4か国連合艦隊による下関砲撃が行われ、砲台が占拠された事件がありました。この時の和平交渉に高杉晋作が派遣されました。
高杉は、連合国のほぼすべての提示条件をのみましたが、「彦島の租借」については頑なに受け入れず、取り下げさせることに成功しました。
この時通訳として高杉についていた伊藤博文は、後に自伝で「もしこの要求を受け入れていれば、日本の歴史は大きく変わっていただろう」と書いています。
また「あの時高杉さんがうやむやにしていなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう」とも言ったと記録されています。 竹中をどうにかできた人間は
秀吉に並んで日本の英雄として名を残す >>1
クソカトリックの悪行を言わずに弾圧しまくって最期はボケたと教える教科書w >>5
インカ帝国とか現地人を殺害しまくったスペインよりはまだマシという ・徳川幕府、北海道を担保にフランスに借金を申し込んだ
(確実な一級資料はないものの、勝海舟の証言や憤慨した志士たちの手紙はある)
・会津藩と庄内藩、北海道をドイツに売り渡そうとした
(ドイツ側から資料が発見されている) >>39
秀吉も家康も利益と地位を守るために追放したんだよ >>1
キリスト教の国々の奴隷がマシだったかもな
秀吉によって日本人はこの国のお上に都合が
いい民草として据え置かれたんじゃね? 安倍菅を大雑把に反共愛国と捉えてこの秀吉になぞらえる向きは多いだろうがどうだろうな
一般国民の危機について反応早いのは志位くらいじゃないか >>36
キリシタン大名はみんなクロだろ
高山右近だって、なにやら正義ヅラしているけれど
奴隷売っていただろ 最近知ったんだが、
今の日本があるのはジャヤワルダナ元スリランカ大統領のおかげ。
サンフランシスコ講和会議でのこの人の演説がなければ間違いなく日本は分割統治されていた。 >>1
竹千代 日本人を奴隷化の危機から救う
竹中 日本人を積極的に奴隷化 >>39
台湾取ろうって言うた
鄭成功の要求無視して孫の家光は出兵しなかったから
徳川はカス 教会が神に代わって宣教師に「信者にさせる代わりに奴隷にしてもよい権利」を与える
エンコミエンダと呼ばれるシステム 美化された小栗上野介
アメリカのペリー提督が浦賀沖に来航(1853年)して15年余り、曲がりなりに徳川幕府が政権としての体を保てたのは、小栗の突出した構想力と実務力があったからこそと評価する人は多い。
しかし彼と同じ幕臣で明治維新の立役者の一人である勝海舟は、当初から小栗のやり方に確信をもって否定的でした。
小栗がフランスから多額な借金をするために北海道を担保にしようとした売国奴的行為も、その理由の一つと言われています。しかし、本当にそれだけの理由で小栗は抹殺されたのでしょうか?
勝があそこまで彼を嫌うには、それなりの本質的根拠があったはずです。
小栗の致命的な欠陥は、やはり何事も彼が江戸幕府(徳川将軍家)本位だったことでした。
もちろん江戸幕府(徳川将軍家)が近代的な国家運営が可能な政権であればそれでも良かったわけですが、江戸時代・後期において江戸幕府(徳川将軍家)が国の近代化を阻んできた罪(旧弊による)は重く、それは小栗がテクニカルな部分で少し修正したくらいでは到底拭い去れるものではありませんでした。
小栗が江戸幕府の財政再建に貢献したとされるものは、フランスや特定の国内大商人に一時的に依存したものに過ぎず、彼が設立したとされる株式会社・兵庫商社への出資金100万両も、大坂の大商人に金札発行を許すことを条件に無理やり命令で出資させたものだったわけです。
つまり江戸城の蔵には金など少しもなく、あるのは依然として領地の農民たちから徴収した年貢米だけだったのです。欧米列強が鉄道を走らせ世界を蒸気船で行き来しているときに、日本国はまだお米だけの財政から抜け切れていなかったというわけです。 それに引き換え今の自民党の売国奴の連中は、中国の奴隷化を進めようとしてるからな >>1
キリシタンが日本人を奴隷として輸出してたって、日本の教科書に全く載ってないよね。
やっぱ、日本の教育は腐ってるわ。
ちゃんと教科書に載せたらキリシタン迫害は正しかったって子供たちに分からせるのに。 イギリスのシティは、
この奴隷貿易で利を得たポルトガル貴族で
成り立ってるともっぱらの話だよな >このザビエルからバトンを受け継ぐように
フランシスコザビエルは祖国へ帰ることなく、朝鮮人の悪行に反吐を吐きながら河川へ投身自殺しました
フランシスコザビエルの助手が悪魔(朝鮮人)だったから >>5
ポルトガルにはカステラなる食べ物はないけどな 豊臣秀吉の時代。
朝鮮半島は、李氏朝鮮時代という
奴隷国家だった。 欧米人なんて
アメリカ大陸やオーストラリアでは
原住民虐殺しまくりだからな
それに比べたらまだ日本はマシだった 教科書に載らない日本の暗黒史
史実
日本人奴隷貿易
1543年にポルトガル人(南蛮人)が乗った倭寇船が種子島に漂着し鉄砲が初めて日本人に伝来したが、これがきっかけになり
その数年後から早くもポルトガル商人が日本で安く日本人を奴隷として買い付け、ポルトガル本国を含む海外の様々な場所で売りさばくという奴隷貿易(南蛮貿易)が始まったとされる
南蛮船は種子島漂着の前年(1542年 エスカランテ報告)に琉球王国にも到着していたが、ポルトガルがマラッカを攻撃し占拠した(1511年)ことを知っていた琉球王府は、交易を拒否していた。
日本への鉄砲伝来と同時に、九州を中心とした多くの大名たちが大量の硝石(火薬の原料)を手に入れるために南蛮人との奴隷貿易を行なった
一説には奴隷の女50人で硝石1樽といわれている
こうして1543年(足利幕府、室町時代)〜安土桃山(信長と秀吉)〜戦国時代末期〜江戸初期にかけて数万〜数十万人にのぼる大規模な日本人奴隷交易に発展した。 正直、キリスト教は好きになれん。
まあ宗教全般だけどな。 >>4 コーエイ(昔の企業名)のゲームだね、30年位前やったわ 海外では今でも人身売買はあるし、今は医療技術が進歩したからバラバラにして部品売りしてるからね。人身売買は儲かるから売春と同じで無くなる事はないだろうな。 今のフランシスコもクソw
チョン女が手を離さなくてガチ切れしてたのワロタw 前段で前置きして最後まで回答無し
すでに頭の悪い売名扇動等のステマと回答が出た 太閤検地で、平安後期以降の日本の意味不明な多重な土地所有の仕組みをリセットして、
江戸時代以降の新しい日本を作った英雄
秀吉に比べると
源頼朝も足利尊氏も新たな既得権益を作ったくらいで
ちっとも新秩序を造っていない >>1
秀吉って有能過ぎるよな
あの時代の農民の生まれで関白に上り詰めるとか異常過ぎる 福沢諭吉「朝鮮人は救いようのない最低の民族だ」
津田梅子「動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだ」
夏目漱石「余は朝鮮人に生まれなくて良かった」
新井白石「朝鮮人は都合が悪くなると平気でウソをつく」
本田宗一郎「韓国人と関わるな」
吉田松蔭「朝鮮人の意識改革は不可能」
伊藤博文「嘘つき朝鮮人とは関わってはならない」
新渡戸稲造「朝鮮亡国の原因は朝鮮民族という人間にある」 >>69 種子島、曇りだわ!(現地からのリポート) 奴隷制~研究家であるスタンリー・エンガーマンは、
訪韓当時に行ったある講演で、つい100年前の朝鮮時代の奴隷制度について言及し、
「世界的に類を見ない特徴を持った奴隷大国だった」と話した。
その理由は奴隷の大半がなんと同じ民族の朝鮮人たちであったという事だ。
朝鮮を除いた同時代のほとんどの国では、奴隷は主に戦争捕虜などの異邦民族だった。
ところが、朝鮮は貧乏で弱小国だったので隣国を戦争で勝利したことがなかったため、
奴隷として使える戦争捕虜や異邦民族がいなかったのだ。
朝鮮の学者、成俔(1439〜1504)は、「国民である朝鮮人の半数が奴隷だった」と言明している。
ハーバード大学で奴隷研究している奴隷制の権威、オルランド・パターソンという黒人教授が言っていた
「人類の歴史上、最悪の奴隷国家は、まさに
100年前の、李氏朝鮮時代であり、朝鮮人たちの奴隷たちだった・・」と。 韓国はそれを隠している。 出島でしか交易できない状況を作ってたのはそういう意図もあったからだよねえ 宗教ってデカい奴は=政治だからなw
キリストが当時のキリスト教見たらどう思うか
まあキリスト自体神格化されてるだけで、実は麻原と同レベルだったかもしれんがw >>64
鼻と耳を削がれてこめかみに穴開けられてうんkはいった瓶の上で逆さづりにされて出し入れされてるよ 鉄砲が氾濫して武力インフレ起こしてなかったら侵略されてたんだろうなあ >>60
多分先祖が志那や半島やその他特亜の議員や党員ばかりに置き換わってるんだろう。
その他の与野党も。
特に維新は辻本と仲良さそうだものな。 秀吉が植民地化やら奴隷化やらにってのは想像レベルの話だが、さも事実かのように語られ過ぎだよなw
ここ10年ぐらいで保守論客から急速に出回ったいつものパターンw 奴隷というのを定義づけると所有者が売り買い出来る労働者って事かな
とするとトレードされるプロ選手も奴隷に近い存在か ええ・・・
こんなスレでも朝鮮人の話になっちゃうの? >>70
功は見えづらく、罪は見えやすいというのはあるだろうけど、目に見える罪が大きすぎるよなぁ 宗教が許可をだし
異教徒で
実力行使か売買で得たるは
奴隷としてよし
腐ってやがる >>69続き
奴隷として売られたほとんどの日本人は若い娘や少女たちで
ポルトガルへの輸送の途上では日本人奴隷たちは縛られ、手錠、足枷および首輪等によってお互いにつなぎ合わされた
食料も充分に与えられず、不衛生極まりない船内に長期間閉じ込められた家畜以下の扱いだった
ポルトガル人の奴隷所有者らは奴隷たちが死なない限り鞭で打ったり、鎖で縛り付けたり
高温に熱した蝋や脂肪を奴隷の皮膚に注ぎかけたり、好き放題のやり方で奴隷に罰を加えた
さらにポルトガル人は奴隷が自分の財産であることを示すために人間用の焼き印を奴隷に押し付けていた。
日本人奴隷たちはヨーロッパに流れ着いた最初の日本人であると考えられており
その他にも江戸初期までアメリカ、メキシコ、南米アルゼンチン、ペルーにも日本人奴隷がいた記録が残る
1607年に南米ペルーのリマで実施された人口調査によれば、当時の人口2万5454人のうち、
日本人奴隷として男9名と女11名がいたことが分かっている。 >>70
特にキリスト教は侵略の道具にされとるしな
イスラム教も強制してたし 韓国の奴隷国家であった 李氏朝鮮 時代 ← 1392年 〜1897年 大韓帝国として1910年まで奴隷は存続。
この奴隷国家は500年も続いた。
奴隷国家が終焉したのは日韓併合の110年前だ。 韓国が奴隷国家だったという歴史的事実は変えようがない。
李氏朝鮮 時代には、貴族の(両班)
商人などの (中人、常民)と
奴隷〜民の(奴婢ぬひ、白丁ペクチョン)に分けられた。 >>70
明らかに時代遅れだしな。
一番安定するのがアーミッシュみたいな形。
外に出ると十字軍を初めて、必ず殺し合いになる。
キリスト教徒同士でも殺し合うし、
白人同士で差別するし。
まあ、酷いものだ😅 当時の九州とか人口200万人いたかどうかくらいだろうから、
5万人の大半が九州だとすれば壮絶な奴隷狩り状態だったろうな。 でも「農民は生かさず殺さず」って
結局国内で奴隷労働させてたわけだしな
どこで奴隷になるかの違いだわな >>1
秀吉が奴隷貿易批判した話か。
話としては面白いんだが、『天正十五年六月十八日付覚』ってのが本物か偽書かだよなぁ……
どうなんだろう? 奴隷として売られたほとんどの日本人は若い娘や少女たちで
ポルトガルへの輸送の途上では
日本人奴隷たちは縛られ、手錠、足枷および首輪等によってお互いにつなぎ合わされた
食料も充分に与えられず、不衛生極まりない船内に長期間閉じ込められた家畜以下の扱いだった
ポルトガル人の奴隷所有者らは奴隷たちが死なない限り鞭で打ったり、鎖で縛り付けたり
高温に熱した蝋や脂肪を奴隷の皮膚に注ぎかけたり、好き放題のやり方で奴隷に罰を加えた
さらにポルトガル人は奴隷が自分の財産であることを示すために人間用の焼き印を奴隷に押し付けていた。
日本人奴隷たちはヨーロッパに流れ着いた最初の日本人であると考えられており
その他にも江戸初期までアメリカ、メキシコ、南米アルゼンチン、ペルーにも日本人奴隷がいた記録が残る
1607年に南米ペルーのリマで実施された人口調査によれば、当時の人口2万5454人のうち、
日本人奴隷として男9名と女11名がいたことが分かっている。 >>34
陶工か
確か日本で人らしい扱いを受けることに感激して絶対帰りたくないって言ってたんだよな
んで、それを鸚鵡返しにして日本人奴隷も売られたほうがマシだったとか言ってんだろw
江戸期に陶芸もそれぞれ発展してるだろうけど、江戸文化そのものをどうこうしたわけじゃねえなw >>100
スペインのフェリペ国王やローマ法王に宛てた宣教師の書簡とか残ってるからね
ラテン語が読めれば本物なのはわかるよ >>93
十字軍の残忍さは常軌を逸してる。
キリストは望んでないことだろうけど
解釈がメチャクチャ過ぎる。 >>77
いまは秀吉が農民だった説なんて眉唾もいいところだけどな
農民っても豪農だろ
私兵持つぐらいの財はあった筈だ >>6
竹中、安倍、二階、麻生
コイツらの被害者は億を超える ジャップの誰が統治しようが結局この有様だ
今のジャップランドは白人総督に統治してもらった方がいい 奴隷云々は、キリスト教を排除したかった天台宗の施薬院全宗の言い分らしいな
秀吉がどこまでそれに同意したのかは不明 秀吉ってアジア史の中で朝鮮・明を侵略した極悪人みたいに言われるけど辺境から身を起こして
中原を目指すのは別に珍しい例でもないのにな 黒人の奴隷貿易と同じで売り手がいるから買い手もいる
同胞を奴隷として売り飛ばしていたジャップ土人の民度はニガーレベルという事 >>92続き
1555年の教会の記録によれば、ポルトガル商人は多数の日本人奴隷の少女を買い取り性的な目的でポルトガルに連れ帰っていた。
ポルトガル国王セバスティアン1世は日本人の奴隷交易が大規模なものへと成長してきたため、
カトリック教会への改宗に悪影響が出ることを懸念して1571年に日本人奴隷交易の中止命令を出したが効果はなく、日本人奴隷貿易は続いた
日本人女性の奴隷は、日本で交易を行うポルトガル船で働くヨーロッパ人水夫だけでなく、黒人水夫に対しても妾(愛人)として売られていた、
とポルトガル人イエズス会士ルイス・セルケイラが1598年に書かれた文書で述べている。 >>97
武将はやらん
いわば、奴隷獲得の為の許可者
いわば、ローマ教皇の立場だろ
ちなみに、そんなに日本では
奴隷はいなかった
ま、小作人にしたんだろうな でも秀吉って宣教師たちに影響されて、後に朝鮮出兵したと思われるんだよな
NHKの番組で見たけれど、秀吉時代の日本の軍事力に着目したスペイン人宣教師が
日本の軍事力を使えば明を支配できるかも知れないとスペイン王に手紙を送っているんだよ
つまり、スペインの宣教師たちは秀吉に明を侵略して、支配してみませんか?と常々吹き込んでいたはず
バテレン追放令を出して、彼らを追い出した秀吉だが、さんざんスペイン人に日本の軍事力があれば
明を支配できますよと吹き込まれ続けていて、すっかり洗脳されてしまった秀吉は後に
朝鮮出兵という豊臣政権の最大の間違いを犯すことになったと思われる っていうか
そもそもその奴隷の奴隷って
日本にいるときから
奴隷みたいな身分だったんだろ?
そんな制度を許してた日本にも問題あるだろ
あたかも欧米人が極悪人みたいに言ってるけどさ もしかして
キリスト教って世界で一番野蛮な宗教じゃないの?
ある意味、オウム真理教より野蛮かも 日本に元々いた奴隷みたいな身分のやつらが
欧米に売られただけの話 戦さと奴隷は表裏一体やからな
戦国時代には奴隷制が復活していた
一番危険な戦さの最前線には奴隷が配置されていたからな >>120
日本に奴隷なんて身分ねーし
外国に売られた日本人の殆どは農民だろ まぁ当時の農民は足軽とかもやってたから兼業農家みたいなもんだけど >>97
基本しない
領地拡張を目的としない戦の時に黙認した程度
シナチョンみたいな手当次第にやったりしない >>99
当時割合普通な課税が五公五民、現代日本の給与所得者の天引き率と大して変わらんw
それと奴隷とでは大きな違いだ
なんせ家畜扱いなんだから
人身売買と言われる年季奉公とは全然違うしな 今もキリスト教団体とか米国が国内で活動しているよ
女尊男卑社会が嫌なら日米同盟の破棄は大前提だね
日本の衰退要因は全て日米同盟だからね >>57
ドルゴン順治帝〜康熙帝あたりの清に
島原の乱以降の徳川が勝負になるかな >>118
カトリックの豊臣
プロテスタントの徳川やったなw >>93
布教を口実に適地の内部調査するスパイスみたいなもんだしな 奴婢を解放したのは平安時代の朝廷
戦国時代に復活していた奴隷制を廃止したのは豊臣秀吉
偉大だよ >>93
基本が旧約聖書の選民しそうだから。
キリスト教はユダヤのこの思想に二元論的な世界観が加わって、
すぐ対立し始める。
結果的に自画自賛や空理空論が増える。
キリスト教圏が発展した理由は、地政学的な要素と歴史的な要素がある。
地理的にはユーラシアで最も安定した地域に住んでいたこと。
文明の中心だった地中海の近傍だったこと。
古代ギリシャ・ローマの伝統を敵対関係だったイスラム教徒が保存していたこと。
これらに加えて、英国存在がある。
英国が大陸のカトリックと分離したことから、
独自のスタイルを作り上げた。
特に哲学面で「経験主義」を重視したことにより、
原理より実践が優先され、
それが最終的に科学と結びつく。
キリスト教徒たちは、「自由」「民主主義」「人権」などといった宗教的な思想を重視するが、
客観的な見方をすると、偶然と必然が重なって、
それが歴史的に特異点になったのだと思われる。
そういう意味では、人間も自然法則通りに動いていると言える。 ・約100年前、日韓併合前の朝鮮半島・・・500年間ものあいだ韓国朝鮮人の40%は奴隷だった。
その奴隷を解放したのが 日本であり、日韓併合である。
両班という貴族が奴隷である奴婢を殺し、奴婢の女を強奪しても良いという法律まであった。
西洋の宣教師が撮影した韓国の姿は乳をあらわにした女性たち、
数カ月は水浴びしていないであろう子どもたち、
ふん尿だらけの光化門通り、手かせをハメられた奴隷男たちで溢れかえっていた。 つーかこどおじや引きこもりは乱取り自由にしてくれんか? >>110
アメリカ傀儡の朝鮮系政府なのは
ほとんどの日本人なら知ってるだろ
だから、日本の神は容認してない
当然、粛正がある 目的地に辿り着けるのが50%の時代に本国から兵士を送り込むのは無理だからな
その土地に宣教師を送り込み信者を増やし国民同士で争わせ征服する
それがキリスト教のやり方
奴隷うんぬんじゃなくてそっちだよ
今の中国共産党のやり方と似てるよな
時代は違ってもやってる事は同じ >>119
徳川家康は、イギリス人のウイリアム・アダムスの助言を受け入れて
スペイン、ポルトガルの日本侵略の野心に気づいて
スペイン、ポルトガルと絶縁して、イギリスと国交を結ぶことになる
スペイン、ポルトガルと絶影していなかったから
日本もヤバいことになっていたかもしれない >>1
ふーんで日本は大丈夫なのはわかったけど
どこの国が奴隷になったの? 実例あげてくれると調べやすい >>118
その後にオランダ人がスペインの本性を家康にチクったからね。 >>106
そっちには秀吉が奴隷貿易を批判している話はないだろ >>57
当時の島(台湾)マレーシア系の先住民が定住してた
朝鮮人以外 手を出していないよ
そもそも徳川家康って東京大学 ラクガキ通りの事を行ってたのか疑問 >>125
いやいや
だったらなんで「売られた」の??
「奴隷」という名称じゃなかっただろうけど
ほぼ奴隷と同じような扱いの人たちだから
売買されたんだろ?? NHKの歴史ものや進化論や宇宙論て妄想押し付けすぎだろ
なんか当たり前のように環境に合わせ進化したとか
でら嘘くさい >>138
傀儡ではなく白人総督による直接統治を切望する
ジャップは容赦なく自国民を奴隷扱いするからな 冊封体制拒否した逸話有名やな
てか俺が言い出したコメで記事つくんな >>144
逆で、マレーシア人が台湾から移住した人々の子孫じゃなかった? >>114続き
日本人奴隷はポルトガル商人によってマカオに連れて行かれ、そこでポルトガル人の奴隷となるだけでなく
一部の者はポルトガル人が所有していたマレー人やアフリカ人の奴隷とさせられた、つまり奴隷の奴隷である
『フロイス日本史』によると、薩摩(島津氏)の豊後侵攻(大友氏、大分県)により捕虜にされた領民の一部が肥後(熊本県)に売られ、そこで更に海外に転売された。
「薩摩軍が豊後で捕虜にした人々の一部は、肥後の国に連行されて売却。
その後、肥後では飢饉と労苦に悩まされ買い取った人々を養えず、捕虜は家畜同様に島原半島に連れて行き、豊後の婦人や男女の子供たちを40名を一纏めにし、二束三文で売却した。
売られた人々の数はおびただしかった。」
「完訳フロイス日本史8」中公文庫より要約 第二次大戦は過剰防衛的な所があったけど
朝鮮出兵はただの侵略行為だよね キリスト教はノーマスク教でもあるから教会の集まりでクラスター起きまくり死者でまくり
過去の疫病でも全く同じことやってたバカども 昔のイエズス会って、神の権威を悪用して、人身売買と麻薬で儲けた悪い人達という印象w
申命記20章16-18節とか読むと、キリスト教って、かなりヤバい側面あるからねw >>151
蒋介石らがすべて原住民を惨殺した歴史だよ >>137
事実を突きつけられて
悔しいねはわかるが
首謀者に聖職者が関わってた
西欧のやり方は、誰がなんと言おうが
侮蔑される事案だぞ なるほどつまり
現在進行形で悪事を働く中国を世界でボコボコにしてやろうぜって話か >>112
結局、ヌルハチの露払いをしてやったようなもんだな >>146
どんな文明おろか歴史でも奴隷的身分をもたなかった部族、人種って
いなかったんじゃないのか。
「私の家には奴隷がいた」を読んでそう思う。
教育を受ける権利、将来を自己決定する権利、その当時の標準医療を受ける権利
なんて経済が発展した民主主義先進国でもおいそれとは無い。
ヤングケアラーなんてその一端だろう。 >>15
思い込みの失敗をしていると、他人から見て押し付けがましく見える。
ただ怖いのは、
思い込みの失敗かどうかの失敗自体を見抜くのが難しく、
また、定義の理解も難しい事。 >>140
欧州は宗教まで絡めた大戦争やってるんだから、敵のスペインの事をよく言うはずもあるまいw
英蘭対スペイン無敵艦隊のアルマダの海戦がちょうどこの時代だし、カリブ海なんてパイレーツオブカリビアンだしw スペイン人たちも秀吉は、油断ならないと警戒してたんだよな
当時スペインの植民地だったフィリピンに日本人の姿がチラホラ目立っていて
秀吉がスパイを送り込んでいて、フィリピン侵攻をもくろんでいるかもしれないと
スペイン王に報告している手紙も出てきている
秀吉がボケる前は日本がスペインの植民地侵攻まで視野に入れていたらしい >>120
当時の奴隷は戦の捕虜な。
大体は2、3年で開放されてた。 どこでもやってたんだろう
家康と政宗も売りかねなかった 宣教師共がしたことはもう一つある。
それまで当たり前だったLGBTを汚らわしい罪と言って追放を図ったことである。
そしてその宣教師の考えを素晴らしい事というのが今のネトウヨである。 >>149
意味不明
神が統治する
それが、弥勒の世だぞ
犯罪者の子孫達は、どうすんだ? 朝鮮人やパヨクが嫌う豊臣秀吉、長州
朝鮮人やパヨクが好きな会津
まだ気づけない奴らがいるから困る 宣教師は偵察部隊
キリスト教徒になって実際攫われ奴隷として売られた農民もたくさんいるだろうな 多重徴税一本化して庶民の負担を減らした秀吉さん
さすがです そもそも根本から、
朝鮮半島は奴隷大国なのである。
一時的に日本に併合され奴隷たちは解放されたが、
今の現代でも金正恩王朝の奴隷たちが300万人餓死した北朝鮮人たちだった。
もちろん生きぬいている北朝鮮庶民たちは、今でも奴隷階級である。 >>134
それと源頼朝かな?
平家追討によって、鎌倉に幕府を作った。
朝廷の外側にもう一つ政府を作った形になり、
日本は安定した。
それまでは院政などを使って改革を試みていたが、
地方は腐ったままだった。
「警備保障」の役割を武士が率先して始めたのは、
日本にとって大きなエポックメーキングになった。
それと南北朝時代も大きな分岐点。
優秀な自在を抱えていた後醍醐天皇の南朝。
だが、不人気で負けてしまう。
南朝は明・朝鮮と同じ「朱子学重視」。
これにはまっていたら、
戦国時代はなかったかもしれないが、
同時に石器時代まで戻った可能性もある。
半島みたいにね😅 むしろ虐殺遺伝子の白人種を淘汰するコロナを応援したいがな。 >>167
伊達政宗は徳川潰したら
スペイン&ポルトガルに西日本進呈する言うてたからなww 日本人は今も昔も奴隷だろw
頭良くなく従順で努力家
奴隷として世界最高品質なのが日本人 >>172
ミッションって映画見てからイエズス会大嫌い。クズtww >>175
☓優秀な自在を抱えていた
◯優秀な人材を抱えていた 宣教師が来た有色人種国は全部植民地にされた その事実だけで充分 >>175
鎌倉の文化財 1600年から新築したんだよ
それを美化と妄想で鎌倉幕府なるものを捏造した東京大学 人が売られてたってね
哀れな隠れキリシタン特集見ると反吐が出そうになる >>77
豊臣はたかだか2代限りの約30年で滅んだからな。農民の息子でヤクザ上がりの劉邦の興した漢は前後合わせて約400年、同じく農民の息子で乞食坊主上がりの朱元璋が興した明は約300年続いたのに比べるとショボすぎ。 >>140
スコットランド女王メアリースチュアート
処刑からイングランドとスペイン関係悪化だしな
オランダ独立戦争に介入してきたしイングランド >>121
キリスト教もユダヤ教もイスラム教も崇めてる神様は同じだよ。
一神教は戦争の火種になりやすいと思う。
仏教でも日蓮さんとかは排他的だよね。 >>1
これ見ると涙出てくるな
もしかすると黒人と同じ人数くらい世界中に日本人奴隷いた可能性ある
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(2)=「小家畜か駄獣のように」=手足に鎖、舟底につながれ
https://www.nikkeyshimbun.jp/2009/090410-62colonia.html
「一五八二年(天正十年)ローマに派遣された有名な少年使節団の四人も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。『我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった』『全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか』といったやりとりが、使節団の会話録に残されている」
少年使節団(一五八二―一五九〇年)がイエズス会員に伴われて欧州に出発したのは、「本能寺の変」と同じ年だ。 >>187
まぁ豊臣秀次の処分が運命の分かれ目やろうな 一神教は押し売りと妥協しなさがヤバいよな。異教徒は人にあるず、自分は絶対善
そりゃ酷い事平気で出来るw >>98
島津氏の軍勢は大友氏の領民を片っ端から奴隷として拘束して売り飛ばしたらしい。 >>190
スペインにハポンって言う街があるからな >>34
馬鹿言え
朝鮮は物々交換主流で貨幣経済も定着してなかっただろ
日本人に「田植え」を教わるまで、水田に種籾を直播きしてたチョーセン馬鹿土人が何言ってやがる(爆笑) >>152続き
日本人奴隷が海外に売られるようになり、天正10年(1582年)にローマに派遣された有名な天正遣欧(てんしょうけんおう)少年使節団の一行も、
世界各地で多数の日本人が奴隷の境遇に置かれている事実を目撃し、驚愕したといわれ
その会話が記録に残されている。
「我々の旅行の先々で、売られて奴隷の境遇に落ちた日本人を身近で見たときには、
こんな安い値で小家畜か駄獣(牛や馬)の様に(同胞の日本人を)
手放す我が民族への激しい怒りに燃え立たざるを得なかった。」
「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、
世界中のあれほど様々な地域へ、あんなに安い値で掠って行かれ売りさばかれ、
みじめな賤業(卑しい職)に就くのを見て、憐憫(哀れみ)の情を催さない者があろうか。」
鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』(成甲書房、2006年)では天正遣欧少年使節団の報告書からの引用として >>164
いや、ウィリアム・アダムスに助言される前に
スペイン、ポルトガルは日本の沿岸測量をやっていて
日本侵攻する準備をしていたそうだ 李氏朝鮮時代は奴隷国家というファクト。
李氏朝鮮では、貴族の両班に反乱を起こした者は一族もろとも皆殺しにして
その血を絶やし、奴隷反乱者を少しでも助けた村は村人のすべてを殺して消滅させました。
過酷な密告システム、公開の斬首刑、拷問凌遅刑(凌遅刑(りょうちけい)とは、
清の時代までの中国や李氏朝鮮の時代までの朝鮮半島で処された処刑の方法のひとつ。
存命中の人間の肉体を少しずつ切り落とし、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らす処刑方法である。)
などで国民を慢性的に脅えさせる状態にして、その強固な政治支配を可能にしていたのです。
北朝鮮には今なおこのほとんどすべてがあります。 オランダだけは海外情報くれるし
優遇していたら
大日本帝国がインドネシアを占領して
オランダ人女性を性奴隷にしてしまった >>156
台湾には、東南アジア系原住民、福建系漢人(明清時代に渡来)、中華民国人(蒋介石と一緒に渡来)
がいるが、
もっとも親日なのは、明清時代からいる福建人
元々いた東南アジア系原住民は、明治時代に日本の漂流者を襲撃したり、
日本統治時代にも日本の小学校襲撃したり、
わりと野蛮人だった >>189
カトリック いつから死にぞこないがローマ法王になったの?
No2やNo3が権力を掌握し暴走したとか? まぁ、新約聖書読めばわかるよ。何でキリスト教徒が押しつけがましいのか。
ほんと福音書に出てくるイエスや弟子たちは押しつけがましいからね。
多様性、異文化、異教徒に対して理解しようという概念がない。 「この交易では鉄砲や火薬、中国製の生糸などが輸入され、
日本からは主に銀、金、刀剣類などが輸出された。」
日本刀は売れたけど日本製鉄砲は欧州製より劣ってて
大砲だけじゃなく鉄砲も輸入してたんだな 朝鮮出兵で半島から連れ帰った陶工職人はあのまま残れば奴隷だったため喜んで脱出したw >>198
測量は知らんが当時の欧米に日本に大規模侵攻する国力はない 世界の大半がヨーロッパ諸国に植民地化された大航海時代に日本は強すぎて植民地にされませんでした^^
鉄砲の数も質もヨーロッパを凌駕してました^^
くらい教科書に書けやw >>189
イスラムはキリスト教化したんだよ。
元々は千夜一夜物語みたいな世界だぞ?😅
ユダヤは、まあ、こんな感じだ。
中華とよく似ている😅
キリスト教が昔から馬鹿を煽っては、
天使と悪魔の決闘ごっこばかりやっている😅 田舎でも、特に貧しく住民が馬鹿な所に
異宗教は入り込む。
今で言うと、原発誘致される所と似ているわな。 >>190
日本という国すらなかっただろうね
別名ジパング 偉人の言葉
・吉田松蔭 朝鮮人の意識改革は不可能
・伊藤博文 嘘つき朝鮮人とは関わってはならない
・新井白石 朝鮮人は、己に都合が悪くなると平気で嘘をつく。
・夏目漱石 余は支那人や朝鮮人に生れなくつて善かつたと思つた
・福沢諭吉 この世界に救いようのないどうしようもない民族がいる。朝鮮人だ
・本田宗一郎 韓国人と関わるな
・新渡戸稲造 朝鮮亡国の原因は、朝鮮民族という人間にある
・ローマ法王 韓国民は倫理的・霊的に生まれ変わることを望む
・マラドーナ キムチばかり喰ってるから、あんなバカが生まれてくるのか 信長は弥助を奴隷として扱ってないもんな。白人どもの先入観を受けれんかった
士分にした。これが素朴な日本人の感覚だろうな 奴隷を売買することを財テクと見なしていた儒教学者の第一人者、李滉。
もちろん、貴族の両班である。
私物の奴婢(ぬひ)100人を率いて、女性奴婢や男奴隷と、
又は奴隷と平民をわざと結婚させて子供を産ませ、その子供たちを
中国漢陽に売り飛ばして、ものすごい富を築き上げた奴隷商人が、
儒教学者の李滉という歴史的事実は韓国人もよく知っている。 >>207
大規模内乱起こして
最新鋭武器を持った精鋭で乗り込むのが常套手段
すでにマカオ・香港はスペイン配下やったやろ マカオやポルトガルに日本人のDNAが残っているかも。 >>198
沿岸測量と侵攻を結びつけるのは行き過ぎw
つーか自然物を目標に航行するから、測量と海図作成は航海自体に必須
侵攻ならもっと具体的に軍事的要求とかしないとねw 中国メディア もし日本がいなかったらアジアは
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20191007001/
日本はこれまで3回にわたって欧米に自らを認めさせてきた
19世紀〜20世紀初頭にかけては欧州こそが世界の中心だった。
唯一の例外がアジアに存在した日本であった。明治維新を成功させると国力を急激に高めた。
2回目は第2次世界大戦だ。日本は最終的に敗戦したものの、東南アジアを植民地化していた欧州の国々に対して
連戦連勝を収め、東南アジアから追い出してた。これが欧州に日本を認めさせることになった。
3回目は、戦後の復興と高度経済成長だ。日本は敗戦からわずか23年で英国やフランスなどの経済を
一気に追い抜いて世界第2位の経済大国になった。一時は米国の国内総生産の71%の水準にまで迫った。
米国の経済規模にここまで迫ったのは日本だけだ。現在の中国もここまで迫ることはできていない。
もし、日本が存在しなかったらアジアは干からびた魚のように、発展から取り残された地域であっただろう。 若い女は肉便器。男は弱い奴はすぐ命尽きてるんだろな
奴隷としては他の有色人種より従順で上等品だったのだろうか。 しかしまぁ、当時日本が戦国時代じゃなかったら。。と考えるとゾッとするわな。 >>189
聖地が同じだから、そこの土地の支配権をめぐる争いが絶えないのは
ある意味仕方ないとは言え、後から出てきたイスラムが大きな態度に出るって
なんかしっくりこないな。 >>203
そうか?
現世ではローマの支配を受け入れて魂だけを救えばいいと言う発想に見えるが 秀吉時代の禁教令はそんなに厳しくないぞ
あくまで九州のキリシタン大名がイエズス会に寄進してた土地を奪い返すのが目的 大東亜戦争は人種差別との戦いだった
https://www.yodobashi.com/product/100000009002396956/
リンカーンは人種差別主義者であった
第1章 大東亜戦争と人種差別
第2章 世界侵略を正当化した人種差別思想
第3章 アフリカ、インカ、アメリカの悲劇
第4章 奴隷貿易と無縁ではなかった日本
第5章 植民地にされるとはどういうことか
第6章 日本が求めた欧米と対等の地位
第7章 人種差別撤廃の理想を世界に問うた日本
第8章 日本人が知らない大東亜戦争の大義 >>225
少しあとの山田長政みたら
男は傭兵で大活躍してたんやろな >>217
高山右近が信長についたのも
当時石山本願寺と戦っていた信長を勝利させて
仏教勢力弱体化を策略した
宣教師の言葉に従ったそうだしな
日本国内にキリシタン大名という
日本人としてのアイデンティティよりも
ローマ教皇に忠誠心をもっている武力勢力がかなりいたことを考えると
スペインの野心もあながち夢物語とは思えないわな >>204
そりゃだって、元々鉄砲は西洋から伝来したのだもの。
それを独学で火縄銃作っちゃうってのがヘンタイ(いい意味で)だよね。 >>121
宗教ってのは悪人が得する隠れ蓑だからな気づけて良かったな >>146
通常は借金の肩に年季奉公させられるんだろう
それが文字通り売られちゃって家畜扱いされる奴隷身分
そういう奴隷は日本にはいなかっただろうが
いたなら身分は続くから近年まで残ってたはずだろ 言っとくが
白人と一概にいうが、母系が同じであって
父系による民族は、違うぞ
R系=イラン北部でpから発生したアーリア系
スペイン、ポルトガル、アイルランド、フランス、イタリア、ギリシャのラテン系欧州
(ペルシャ人と同系民族)
I系=メソポタミアでイスラエルと分岐した
北欧系民族
P系=コーカサス地方でCから発生した
東欧系民族
C系民族=アルタミラの洞窟壁画をかいた
原欧州人
悪さしてるのは、だいたい
ペルシャ専制主義のR
この辺はペルシャ帝国とかさなる >>231
ほんとなw
同じように各地の坊主にも土地を渡せって要求してるし 戦国の世は火薬大砲の輸入が力になったけど、諸大名が貿易で力つけるのは天下人的には避けたいんでしょ
理由とかは後付けよな >>200
で、オランダ人は何百年インドネシア人を家畜にしてたんだ?
つーか、一万キロも離れたヨーロッパ人が何でインドネシアくんだりまで来て支配してんだ? 過去も日本は朝鮮と交流しなかった。
五百年前から清やオランダと貿易してたし、
1700年ごろからイタリア、フランス、ポルトガル、トルコなど数多くの国と交流してきた。貿易船がたくさん往来していた。
しかし朝鮮との貿易船を行き来したという記録がない。
他のヨーロッパのほとんどの国やペルシャ、インドなどの多くの国と交流した文書はあるのに。
それは、李氏朝鮮という奴隷国家には何もなかったのだ。 っていうか
本当に豊臣秀吉が奴隷貿易に怒ってたのか??
豊臣秀吉だってたいがい残酷なことしてるし
そんな人道的な理由でバテレン禁止令出したわけでは無いと思う >>1
>>46
千葉真一の柳生十兵衛が、沢田賢治の天草士郎を
クビちょんパする魔界転生がまた観たくなったわい
youtu.be/5uLo115P474 >>207
今でもクアッド連合軍で対中国編成してるもんな。
本国からの派遣とか今でもアメリカくらいしか無理だわ。
金がかかりすぎる こないだバイクツーリングで九州まで行き
念願の肥前名護屋城を見てきた
あの呼子入江いっぱいに船が浮かび
戦国オールスターが出陣したかと想像して
胸が熱くなりますた 武田信玄は人身売買してたんだよな
ミキプルーンが売り飛ばせってやってた
何が信玄幸だよ >>217
香港やマカオがスペインの支配下だったことはないし(スペイン・ポルトガルが同君王国だった時代はあるが)
いずれにせよ当時のヨーロッパ勢力は現地にそれなりの国家が存在する場合、島とか小さな居留地しか維持できない。 >>4
1 まぁまぁ名作
2 最高峰
3 どうしてこうなった こういう歴史上の人の名前見るとエロゲキャラしか出てこんよな >>224
別に日本ageしていただかなくて結構です。日本に擦り寄らないで。
いつもみたいに日本のこと馬鹿にしてていいよ。 渡来したユダヤは日本に溶け込んだ。
そして、ヤハウェの変わりに八幡大菩薩を祀った。
全国に八幡社が一番多い理由がそれだ
またメシアがユダヤを解放するという言い伝えにも合致する。
応神天皇はメシア、神としてユダヤを保護したんだからな
八幡は音読みでヤハタ、これをヤハウェの変わりとして崇めたのである >>220
オリジナル新約聖書に強制転生が描かれているでしょ
前世の記憶と共に浮遊霊の記憶が出て来た 奴隷商売してたキリシタン討伐を教えないから秀吉が突然血迷って朝鮮出兵とかわけわからん繋ぎになるんだよな >>224
東南アジアの一部は欧州からの仕事がなくなって、貧困に陥ったとか聞いたことがある
詳しくないけど 宣教師=偵察部隊だからな
日本が侵略をまぬがれたのも秀吉のおかげ 今回は誰が朝鮮人中国人を叩き出すという英断をするのか 日本人はよく「宗教戦争」という言葉を使いがちだけど、
他の宗教の考え方が気に入らないとか、教義の違いの
争いが第一じゃないという点は、そこはキチンと踏まえた方が良い。
領土侵略をもくらむ奴らが異教徒であることと、
民を懐柔するために宗教を悪用したに過ぎない。 >>228
私も詳しくないから間違ってるかもだけど、キリスト教はイエス・キリストを神の子と位置付けてるけど、イスラム教の中ではイエスは預言者の1人扱いらしいよ。
黒歴史満載のキリスト教も現代では丸くなったように感じるけど、今はイスラム教とユダヤ教(イスラエル)が厄介だねぇ。 オランダだけじゃなくて、イギリスもジョン・ホーキンスとか、フランシス・ドレイクとか同時代に有名な海賊(私掠船)船長がいるけれども、こいつらも本業は奴隷貿易と奴隷狩りだったからなw >>240
いやだから
普通に考えて
そんな大量の奴隷を
ポルトガル人だけで売買できるわけないじゃん
当然それに協力してた日本人がいるわけよ
その日本人はどうやってその奴隷を連れてきたんだ??
そこら辺に歩いてる人を力ずくでさらってきたのか???
そういうケースもあるだろうが、そんなケースばっかりじゃねーだろ
貧乏な家から娘を買うなんて話は
江戸時代とかまでは普通にあった話だし! 日本は昔から超大国。だから黄金の国ジパング、ヤハウェがいる国、
神々の国ヤーパンと呼ばれリスペクトされた。
その黄金の国にたどり着くことが世界中で英雄とされ、大航海時代が始まり
アメリカ大陸の発見という快挙につながった。日本が世界史を動かしているのだ。
日清、日露、第一次大戦と連勝した超大国だ。今も超大国だ。 >>1
日教組が弱体化して、やっと本当の歴史が語られるようになった
保守本流にとってたいへん喜ばしいことです >>252
この頃はアジア強いからな
大砲火力が上がった19世紀にならないと到底無理 歴史を美化で語ろうとするやつほど信用ならん
最初に奴隷禁止を要請したのはイエズス会。実際に禁止させとる
一方秀吉は朝鮮人ガンガン売り飛ばしてましたwww 秀吉に実の息子が10人ぐらいいれば、豊臣政権が長続きした。 貧乏な農家は子供売るのが戦前くらいまで普通だからなあ このバテレン追放令まわりの話って
最近再考察が進んでるよね
知識はアップデートしていかねばな >>197続き
鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』(成甲書房、2006年)では天正遣欧少年使節団の報告書からの引用として
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所丸出しにつながれ、弄ばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら何故同じ人間を奴隷にいたす。
ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』 >>236
サンプルとして銃を置いてって、ぼったくって売りつけようと思ってたら、
次来た時には何万丁も完成品が出来上がっててたまげたらしいな笑 >>215
いや、日本人も様々。
信長ー秀吉ー家康ラインは、
現代日本につながる王道を行った。
結果論だが、勝った者が日本を作り、
現代日本人の気質の元になっている。
血筋で言えば、毛並みの良い信長だったが、
父親を嫌い、町人たちと遊んで育った。
武将としての知識は斉藤道三から教授された。
道三は油商人から成り上がってきた戦国大名。
頭も切れ、商売も長けていた。
信長は富が力となり得ることを、
若い自分に知っていた。
そして町人を味方にすれば、富も得られることを。
これが信長の戦略の基礎になっている。
この思想は、足軽から身を起こした秀吉へと引き継がれる。
家康も幼少より人質になるなど、苦労して育った。
また、彼は武田信玄を尊敬していた。
彼は国を作る上で土木が重要であることを学んだ。
そして、信長、秀吉の商業重視の戦略が極めて有効であることも。
結果として、彼は江戸幕府を開く上で、
土木と町人を重視する政策を取った。
これが日本がその後近代へと向かう大きな原動力になったのである。 戦後、情報封印されたけど、実は秀吉ほど日本史について考えさせられる武将はいないよな
将軍職をめざした人間は国内の勢力拡大と保持しか考えてなかったが
秀吉は呉の太伯の子孫と称する日本天皇を中国皇帝に復帰させることを夢見てた。
日本国が天皇家が権力持ってる時代だけ大陸目指した理由はこれなんよ。
日清〜太平洋戦争まで日本が起こした戦争の理由も根本はこれ
秀吉は明の皇帝の娘を天皇家に嫁に出すよう求め断られたが
申し出を断った皇帝のすぐ後の代で明は清に滅ぼされ
中国は漢民族の王朝でなくなって、日本に亡命する漢民族がぞろぞろ出たというね。
そして明の次が清でなく別の漢民族の王朝だったら日本は鎖国しなかった多分 >>247
動機の一つであって、全てではないでしょ。
天下人だもの。
他国による日本侵略の芽にいち早くきづいたんでしょうよ。 日本人自体当事は敵の村を乱取りしてた
つまり奴隷にするため戦利品として連れ帰ってる >>266
私拿捕特許状与えて利益吸い上げてたからな
イングランドエリザベス1世
イングランドは海賊業の元締めw >>266
だからこそ、BLM運動でそれらの銅像がなぎ倒され、
欧米の歴史そのものを否定する行為に激化したので、
毛沢東の文革と同じだと揶揄されるようになった >>265
イスラムに関して言えば、6世紀後半から7世紀初めに興った、
つまり後から出てきたのに、何かと問題の種になるのは、
何だかなぁと思う。 >>276続き
『近世日本国民史 豊臣氏時代.乙篇』にはレオン・パゼーが著した『日本耶蘇教史』の付録に載せた文書が引用されている。
ポルトガル人の商人はもちろん、その水夫、厨奴らの賎しき者までも、日本人を奴隷として買収し、携え去った。
而してその奴隷の多くは、船中にて死した。そは彼らを無暗に積み重ね、極めて混濁なる裡(うち)に籠居(ろうきょ)せしめ。
而してその持ち主らが一たび病に罹(かか)るや――持ち主の中には、ポルトガル人に使役せらるる黒奴(こくど:黒人奴隷)も少なくなかった
これらの奴隷には、一切頓着なく、口を糊する食糧さえも、与えざることがしばしばあったためである。
この水夫らは、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩(ほうとう、やりたい放題)の生活をなし、人前にてその醜悪の行いを逞しうして、あえて憚(はばか)るところなく、そのマカオ帰港の船中には、少女らを自個の船室に連れ込む者さえあった。
予は今ここにポルトガル人らが、異教国におけるその小男、小女を増殖――私生児濫造――したる、放恣(ほうし、勝手気まま)、狂蕩(きょうとう、ふしだら)の行動と、
これがために異教徒をして、呆然たらしめたることを説くを、見合わすべし。」 日本では欧米のリベラル的な価値観に対する嫌悪感が高まっている
洋ゲーだけでなく英米コンテンツ自体、完全に終わってる件
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1615474800/
洋楽が完全にオワコンになっている件
Sportify 日本TOP50
邦楽 45曲
K-POP 5曲(NiziU含む)
洋楽 0曲
洋ゲーだけでなく英米コンテンツ自体、完全に終わってる…
映画も一昔前なら何週も一位とっていたピクサー&ディズニーの最新作が初登場6位(ラーヤと龍の王国)だし、
一昔前なら海外モノの推理小説とかSFとか売れていたのに最近は海外小説が全く売れてない
ゲームもこの惨状↓だし。今年は大作洋ゲー出ないので洋ゲーのシェアは1%まで落ちるかもって言われてるよね
日本で洋ゲーのシェアが5%以下にまで落ち込んでいる件3
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1610579151/ 半島がらみで秀吉の功績が正しく伝えられないのは困ったことだな ほんと宗教って洗脳してただで財産献上させる
悪徳商法そのものだなw 逆に言えば5万人の被害で済んだともいえる
現場を見て日本のために即断即決できる政治家が今いるか?
自民党のジジイ政治家ならスペインから金貰って黙認するだろうな >>204
いやいや、日本の火縄銃は独自な改良が施されてたらしい
太平になると火器は危険視されて発展が止まった >>269
いや、昭和の頃の中高の歴史教科書にはちらっと載ってたよ。
奴隷売買とバテレン禁止令のこと。 >>277
最初に大枚はたいて鉄砲をポルトガル人から買った
種子島なんとかいう大名が2丁買った高価な高価な鉄砲のうち
1丁を刀鍛冶にわたして、分解して同じものをつくってみよと命令しているんだよな
最初の最初でこれだから
種子島なんとかという大名が賢過ぎた特別な人間だったのだろうけれど
なかなかの名君主だよな >>276
あまりに数を盛りすぎてるので
反ポルトガルプロパガンダ説濃厚 近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。
彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役に從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。
滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の拐~の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已むに已まれぬ發動であつた。 欧米豚のリベラルメディアと楽天やソフトバンクといった売国企業が東京五輪を潰そうと暗躍しはじめた
日本から欧米豚企業を徹底的に苛め抜いて追い出して行く事と、
楽天やソフトバンクを倒産に追い込んで行くことは急務!
【三木谷氏】東京五輪開催「自殺行為」と楽天社長 米CNNテレビのインタビューで [鉄チーズ烏★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1621028822/ >>298
自分たちで作る気満々だもんな。
偉いわ。 1600年頃の当時日本国内の鉄砲の数は
イギリス、オランダ、フランス、ポルトガル、スペインの
鉄砲の数を凌駕していたらしい >>267
ブラジルの日本人奴隷が証言してるだろ
期間契約で金借りたと
期間明けたから返せ!と訴えてたじゃん 「鉄砲を捨てた日本人」
https://bookmeter.com/books/16759
日本は鉄砲使用国となったにも拘らず、鉄砲を捨てて刀剣の世界に舞い戻った。
武器の歴史において起るべからざることが起ったのである。
ここに軍縮の精神がある。 平成令和の日本人奴隷化の犠牲者は何百万人いるんだよ??
豊臣秀吉になる英雄はいないのか? >>272
淀ぎみほどの美女が他にいなかったからしょうがない
興奮度=生殖活性化だからな >>262
それだけど、純粋な信者からしてみれば
酷い話だと思うよ。
宣教師に扮した工作員だからね。 家康がフィリピンに進出すれば
石見の銀で香料貿易に参入できたはず
本当にド無能な三河のアホだ
日本はオランダに300年遅れた こうやって歴史が再考されると、隠れキリシタンって哀れな存在だな
ルターこそが聖書原理主義者であり、このころのバテレン・ローマ教皇は世俗的権威を広めるための大乗的堕落宗派に成り下がりつつあるころだもんなぁ
拡大のため日本侵略 心服してる大名少なかったから関ヶ原で天下失う羽目に >>1
そういや清代の中国とか苦力貿易で奴隷輸出まがいの事しとったな。 中国メディア 日本人は黄色人種の世界的地位を向上させた
もし19世紀に日本が台頭しなかったら、アジアは第二のアフリカになっていた。
清王朝がアヘン戦争とアロー戦争で英国に敗れ、一部を植民地とされるなど、
西洋列強がアジアに迫る流れのなかで、日本が台頭しなかったらアジア全体が
アフリカのように西洋の植民地になっていた。
古代文明の成果を代表するのは中華民族だが、「近現代文明を切り開いたのは大和民族であり、
日本人である。さらに日本人は事実上、間違いなく黄色人種の世界的地位を向上させ、
アジア独特の発展の道を創造したと絶賛した。 >畜生道の様子が眼下に広がっている……
>1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよい、
>という許可を与えたことが根底にある
ほんと一神教ってクソ 乱取り(奴隷狩り)に特に熱心だったのが越後上杉家
領土を拡張するつもりが無いから敵の領土で好き勝手出来たわけ
だから上杉軍の後に奴隷商人がゾロゾロ付いていくのが普通だった
義将?庶民から見れば悪い冗談にしかならん NYタイムズ ヘンリー・ストークス氏
http://www.sankei.com/life/news/150629/lif1506290022-n1.html
日本は野蛮で残虐だというイメージは、東京裁判などで戦勝国が作り上げた虚妄だ。
アジアへの日本軍の侵攻は、植民地となったアジアを欧米から解放し独立に導くものだった 鉄砲と火薬原料を入手するためだろ。
天下取りまでは黙認 こんな重要なことを教科書に載せず、
従軍慰安婦を載せる狂気。 だいたい渡来人というが、結局は朝鮮や中国が地獄だから
逃げてきただけだからw
昔から日本は天国 >>273
売るってアンタ
そういうのは年季奉公って言うんだよ
身分の移動がある場合は奴隷とは言わない。契約労働だから借金を払い終われば自由の身で人権はある。
本当の奴隷ってのは自由に売り買い出来る人間家畜。
生まれによる階級だから身分の移動はない。朝鮮なんかはこっち >>231
明らかに歴史を事実ではなく
俺たちを気持ち良くさせてくれるファンタジーにしたい勢力がいるな
日本劣化しすぎ まあ、これはよかったといわざるを得ない
フィリピンみたいになってた可能性はあった 秀吉は晩年にボケるまではまぎれもない大英雄だわ
三英傑の中でもズバぬけて優れている >>314
豊臣が滅んだのも
上で書いたように秀吉が知らず知らずのうちに
宣教師に洗脳されて、日本なら明を侵略して支配できると
思い込んでしまったことが原因だったんだろうな、と思っている
もしも朝鮮出兵での失敗がなくて、徳川家康のように
後継者を無事に船出させることに専念していたら
豊臣政権は何代も続いただろう >>266
>>283
世界一周してスペインの無敵艦隊の多大な財宝を奪って
エリザベス女王のために持ち帰る無敵の海賊船長に
サーの称号を与え英国海軍の将軍に抜擢したのは当然とも言える ちなみに三浦按針もオランダのスパイじゃねーかと思うんだがね
一方的にオランダ有利な出島貿易の基本を作った訳だ
もっとも三浦は秀忠家光では重用されずだけどな >>1
まあ本当に海外に大量に連れて行かれていたなら黒人みたいに遺伝子レベルの痕跡や遺跡遺構が世界各地に残るはずなんだよな
それが全くないってことはそれはつまり捏造 >>293
奴らはそれを「伝道」っていうからな。
今の日本にもあるっつーのがなんともw >>320
つっても多神教みたいなインド(ヒンズー)のカーストも大概だと思うで? イエズス会って、コレラ奴隷貿易や武器売買で莫大な資産を築いて、数百年後には東インド会社まで経営。
香港に麻薬を売ったりしたんだから、ヤクザだな。 >>313
フランシスコ・ザビエル個人は信心深いいい人だったんじゃないの?
この記事に書かれてるのはコエリャだっけ?
ただ、ただのいい人ではない宣教師もいただろうし、宣教師を送り込む欧州の支配者達は侵略の足掛かりとして送っていただろうね。 >>323
いやいや本当に美女ならガッツリ活性化する だから国内の奴隷をポルトガル人に売っただけ。
奴隷化を防いだわけじゃない。なに頓珍漢な事言ってんだかw >>297
少なくともルイスフロイスの完訳はかなり前からあるはずだからバテレン追放例とそのきっかけになった奴隷売買は
昭和平成令和と、歴史の教科書に書かれてても良いはず
なんで今頃?って気はする カースト制度はインドを征服したアーリア人が作った
原住民を団結させないためには、
反目させ合うことが一番手っ取り早く効果的だということ >>103
日本はこの時に朝鮮の陶工を連れてくるまで磁器を自国生産できてなかったから特別待遇受けれたって背景があるからな >>309
最近はもう1人の女性が2人生んだと言われてるみたい
どっちも小さい内に亡くなったけど
相性があるのかもな 売り飛ばしてたのは九州の大名だろうが
なあ島津さんよ >>331
やっぱり朝鮮出兵はしなくて良かったよねぇ?
前スレでは植民地化を防ぐための緩衝地域として朝鮮が欲しかったのだろうと解説してる人が何人かいたけど。 >>1
震源や剣士んもランドりーで農民の埒やってただろw
あと中性ヨーロッパもイクサで負けたら奴隷落ちやぞw マムルーク見習って売り飛ばされた国で王様になったらいい、サムライで大和魂なんだろ? 豊臣秀吉は間違いなく日本史上トップクラスの英雄
晩年ばかり取り沙汰して秀吉の評価を貶めようとするのは、大抵朝鮮の息がかかった奴らだよ >>336
仏教も全否定かよw
坊主なんて法事ごとにヤクザのみかじめみたいにはねてくのにw 日本の火薬は硝石は確かに輸入だったが
硫黄は大量に産出したからスワップ取り引き出来たんだよな
戦争捕虜を奴隷として売り捌いてたのは
キリシタン大名がスペインやポルトガルに忠誠を誓う目的でやってたとしか思えない >>353
違う、キリシタン布教を禁じていた島津なんかよりも
大友などのキリシタン大名だよ >>337
あぁ…。
ダリッドの待遇を読むと酷いよね…。
江戸時代のエタヒニンのほうがマシだったんじゃ?
わからんけど。 >>346
たった5万人って思うかもしれないけどこの当時の都市人口っておそらく30万とかそのくらいじゃない?適当だけど
とても看過できるものではなかったと思う >>337
一神教がクソだってのは意味が違う。
奴ら同士では民主的で人権もあるからな
それが異教徒や有色人種に対してはないってのが偽善だと言ってるんだろ チャングムも済州島では奴婢でした。
薄汚れた白い服を着ている人が時々出ていましたが、それが奴婢です。
チャングムの両親も奴婢になって身を隠していましたし、王宮から出た後は、奴婢になって逃亡していました。
奴婢は、道を歩いていて強姦されてもそれを拒否することはできませんし、子供の両親のどちらかが奴婢であれば、子供は奴婢になります。
当時の朝鮮では、土地以上に奴婢は貴重な財産でしたので、女性の奴婢はどんどん子供を産まされたそうですね。
中央でも地方でも、役所にはかならず女性の奴婢を置いて、役人への性的接待に利用していました。
奴婢の制度を廃止させたのは日本です。 時の支配者によって
いいように改変された歴史を
正史扱いするしかないというね >>1
そもそももっと近場から奴隷を連れてきた方が手っ取り早くて安上がり
わざわざ大量の金銭と食料を消費し危険な旅をして日本人から奴隷を仕入れる理由がない アフリカもアジア
アメリカやオーストラリア、カナダの原住民
全部ひどい目に会ってる。
キリスト教を外敵認定して、対策した秀吉と家康は
日本の英雄だと思う。 黒人奴隷とまったく同じ売ったのも売られたのも日本人 >>118
そうじゃなくて、ポルトガルを併合したスペインの後ろ盾があったからこそ、
秀吉が信長の代わりに天下を取れた
国内統一したばかりで国内の不満分子を海外遠征に使うことで
国内をひとつにまとめようとするのは昔からある常套手段 鉄砲の弾丸に使われる鉛や、弾薬の原料となる硝石などは、当時の日本では生産できず、海外からの輸入に頼るしかなかった。南蛮貿易を介さなければ、鉄砲の弾薬や火薬の原料などは手に入らなかったのだ。つまり、南蛮貿易の隆盛やキリスト教の普及というのは、諸大名の軍需物資輸入がいかに大きかったかを裏づけるものでもあったのだ。 >>353
最初に大友宗麟が奴隷貿易やってたやろ!! イエズス会は
戦国末期の日本国内の軍事力を見て
軍事力による日本征服は諦めた >>362
別に一か所から連れ去られたのではないし
恐らく都市部ではなく農村だろう >>343
茶々はお市の方の娘じゃん。
お市の方が柴田勝家と死ぬことを自ら選んだからとはいえ、秀吉は母の仇。
元は家臣の秀吉の側室になることだって屈辱的だったのでは。
秀吉以外の種で妊娠したってわからないだろうし。 >>245
今ではオランダの若い女性たちがインドネシア男の虜に… >>356
家族目の前で殺されて奴隷からモンゴルにリベンジした
バイバルスは大河になる人生だな >>15
そこいくと仏教は懐広いよな
ゆるいともいうが >>357
信長、秀吉の話するとすぐ荒らすからなw >>377
いやいやもちろんそうだけどw延べにしたってそれなりの数よ
天下人の秀吉がそれを見過ごすわけない コエーリョは実は軍人みたいなものだよ
もっともコエーリョがスペイン艦隊に内通してても
秀吉が欧州勢を村八分にはしてない
このスレでも誤解してる住民が多い
そもそもイエズス会の布教は秀吉の禁教がゆるゆるで
むしろどんどん広がったし
そもそもドミニコ会、フランシスコ会など新興勢力を秀吉は庇護した
秀吉はフィリピン貿易での大儲けを見据えていたはずだよ
あとで三河のアホがぶち壊したけどな >>358
別に他人の宗教観は否定しないよ。
あなたみたいに、
坊主はヤクザと同じようなもの、という認識が大事、
って分かっていれば良いという話w 一方で日本人を奴隷化した、小泉と竹中だけは許さん💢 >>376
教会修道院の家スズじゃ無くて
後ろ盾のスペインポルトガル黒王だろw >>373
硝石っておしっこや死体からも取れるんじゃなかったっけ? >>354
緩衝地帯にする意味がわからないw
あの当時、東日本は植民地されるなんて危機感なかっただろうしw
スペインは日本の軍事力を利用したら明を支配できるかも知れないという
ギャンブルをしかけていたんだよ
それはスペイン王に当てた手紙が残っているので
そういう構想があったことは確か
でもスペインに日本の軍事力を利用される前に秀吉はバテレンを追放してしまったが
常日頃宣教師たちに、おそらく明を支配できますって、秀吉さまっておだてられ続けていたので
秀吉は宣教師を追放した後で、その気になってしまったのだろう
当初秀吉は朝鮮は日本とともに明を攻めてくれると思い込んでいたくらいだから
かなりボケが始まっていたんだろうけれど 当時の日本人に近現代のような国家意識とかないからな
大名なんて自国(藩)の利益追求しか考えてないよ
領民売るのも南蛮ビジネスの一環だったんでしょ 秀吉の朝鮮出兵も実は朝鮮人がいらんことしたのかもな
あいつら今でも人身売買と麻薬を日本でやってるし 信長秀吉のおかげで日本は俗が聖の上になって宗教的に色々緩くなった
信長秀吉さまさま これが原因でフィリピンに対する圧力を
増していったんだな太閤さまは。
歴史の教科書に載せないゴミ日本上級国民。 宮崎県(日向国)の耳川の戦いで
島津義久軍が大友宗麟軍に破れていたら
九州の下半分はキリシタン国になってしまって(しかも大砲を持っている)
日本からもっともっと性奴隷が輸出された
秀吉も日本統一なんてできなかった
こんな重要なことを
なぜ教科書に載せない? 黄金の日日で女が海外のあちこちに売られていたって話が出てくるけど、本当だったんだな >>353
最終的に島津自身が治水奴隷になるとは
予想できない結末でしたよ >>131
信長 = ポルトガルが後ろ盾。だがスペインに併合されてしまって、後に信長も失脚&暗殺
秀吉 = スペインが後ろ盾。約束どおり朝鮮出兵行うがスペイン無敵艦隊はイギリスに敗北し、応援に来ず、引き上げるはめに
家康(「イエ」ヤ「ス」) = イギリスが後ろ盾。イギリスからカルバリン砲を購入し、大阪の陣で豊臣家を滅ぼす
こんな当たり前のことを学校で教えないのが日本の歴史教育
>>379
戦国の女は流転には慣れっこだよ
そういう時代だったからね
それより男がどれだけやる気になるかが勝負なんだよw 正確に言えば奴隷化を防いだわけじゃないよな。
キリスト教という異教徒が増えるのが困っただけ。
戦国末期、既に1割から2割のキリスト教徒が居たんだと。
戦国時代は仏教徒が武装してたから、宗教勢力を駆逐するのが大きな目的でもあったんだが、
信長や秀吉がやっと、武装僧侶を駆逐したと思ったら、次はキリスト教徒の侵略。
イエズス会が運んでくるから当然、鉄砲をいくらでも持てる。
そりゃあ、脅威だよ。 >>387
文献は腐るほどある
図書館行って自分で調べたらどうだ >>204
火薬がそもそもないからな
輸入するしかなかった
鉄砲の技術も最初は悪かったけど
徐々に改良されてる
大筒ですら徳川家康の時には
日本製の大筒がヨーロッパに輸出されてる >>400
朝鮮征伐は頭おかしいだろw
石田三成も徳川家康も呆れてただろw >>367
ポルトガルの日本村の起源調べたほうがええ >>265
イスラームを実質的に作ったのは、
ムハンマドの女房のいとこのネストリウス派キリスト教徒だからな
ムハンマドが変な夢をみたと悩んでたら、
そのネストリウス派キリスト教徒のおっさんが、
それは神の預言だ、お前はイエスに続く預言者になったんだって、ネストリウス派の教義をふきこんだ 大村、大友、秋月、黒田、小西、細川、蒲生、高山
こいつらも絶対売っただろうな 秀吉さんが禁教にして、卑怯者徳川の世になって、豊臣の7歳の子供まで皆殺しにして、それでもキリスト教は
禁教のまま、明治になっても禁教、外圧でようやく解禁。 そのことは忘れてはいけない。
キリスト教は文化を奪い、言葉さえ奪う、フィリピンもブラジルもアルゼンチンも世のキリスト教に犯された国の
惨状を忘れてはいけない。 秀吉さんには感謝しかない。
フィリピンなんかアホだからスペインとの混血自慢したがる
ほんとは数%もいないくせに。哀れな国だ。 >>215
欧米人の中では
奴隷に給料払うことなんてないからね >>296
バネの瞬発式ね
欧州には既にあったけどすぐにフリントロック式に置き換わった方式
中国にあったのは古い型だったから瞬発式は重宝されたけど欧州のものより劣ってたってのは正しい >>410
下策だったかもしれんけど
頭はおかしくない。 >>405
「後ろ盾」という言葉の意味を勘違いしていると思われる 朝鮮半島を植民地にして朝鮮人を奴隷化
李王朝の金塊600tと朝鮮人の財産を略奪
そして9000万人が死んだ事実
これ100年前の話なんだよな >>392
> あの当時、東日本は植民地されるなんて危機感なかっただろうしw
元記事にはこう書いてあるよ。
まぁ、書いた人の主観かもしれないけど。
> さて、秀吉がなぜこの追放令を出したかだが、その理由の一つに、西欧人たちが胸に秘めた日本侵略の意図を読み取ったからだと言われている。宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗船させて、自分ならいつでも世界に冠たるスペイン艦隊を動かせると自慢半分、恫喝半分に語ったという。このとき秀吉は彼らの植民地化計画を瞬時に看破したのであった。 秀吉は朝鮮なんかよりフィリピンや台湾を征服すればよかったのに。 >>390
家スズって、ワザと言っているなら良いけど、
中学の時に太ったブス女が、マジになって
家鈴会だと主張していたから、とても危ないw >>394
女の子をバテレンに奴隷として売りとばして
武器や弾薬を海外から、反政府活動目的で
しこたま買い込んでいたっていう話ね。
恐ろしすぎるわ。
こんな内通者がいたのに
日本は、よく持ちこたえたものだと驚くよ。 >>408
腐るほどあるなら出してみな
こういうこというやつってホントソースも出せない妄想や捏造なんだよな
そんな知能で学者ごっこして恥ずかしくないのかよ お前ら何言ってんの?
お前ら自身が竹中の奴隷なんだけど? 欧米人が日本侵略をあきらめたのは日本の成人男子が頭に鉄砲を載せて武装していることに驚いたから >>187
隋の文帝楊堅だな
この人も素晴らしい人 >>331
胡散臭いコンサルタントに唆されて資金注ぎ込む社長みたいなもんだね 今の日本の屋台骨を作ったのはマジで秀吉なんだよな
信長は革命者だったけど、秀吉の器はもっと大きい、明治天皇も秀吉を賞賛している まー日本人だけじゃなくて、倭寇は中国沿岸襲って奴隷ぶん捕ってそのまま売っぱらってたらしいしなw 1514年にポルトガル人がマラッカから中国と貿易を行って以来、ポルトガル人が初めて日本に上陸した翌年には、マラッカ、中国、日本の間で貿易が始まった。中国は倭寇の襲撃により、日本に対して禁輸措置をとっていたため、日本では中国製品が不足していた[1]。
当初、日本との貿易は全てのポルトガル人に開かれていたが、1550年にポルトガル国王が日本との貿易の権利を独占した[1]。以降、年に一度、一隻に日本との貿易事業の権利が与えられ、日本への航海のキャプテン・マジョールの称号、事業を行うための資金が不足した場合の職権売却の権利が与えられた。船はゴアを出航し、マラッカ、中国に寄港した後、日本に向けて出発した。
南蛮貿易で最も価値のある商品は、中国の絹と日本の銀であり、その銀は中国でさらに絹と交換された[1]。金、中国の磁器、ジャコウ、ルバーブ、アラビアの馬、ベンガルの虎、孔雀、インドの高級な緋色の布、更紗、フランドルの時計、ヴェネチアガラスなどのヨーロッパ製品、ポルトガルのワイン、レイピアなどが、日本の銅、硫黄、漆器、武器(日本刀等)と交換された[2]。日本の漆器は、ヨーロッパの貴族や宣教師を魅了した[3]。 欧米の白人キリスト教徒は、こういう史実を知らないんだろうね
知ったとしても「日本人が日本人を売ったんだろうが」「キリスト教は無関係だ」
と強弁するはず >>312
ルネッサンスが起こるまではカトリックは
古代のギリシア文化を受け継いでいる東方正教会からバカにされていたし
ルネッサンスが起こった後にはプロテスタントから批判されるようになった
それほどカトリックの国は堕落していたから、ヨーロッパで宗教戦争が起こるのも当然だったし
プロテスタントの国の方が戦争が強かった
フランスではバーソロミューの虐殺のような卑怯なだまし討ちなどが行われたし
ルイ14世がナントの勅令を破棄した後には革命が起きるのも時間の問題だった
モンテスキューは黒人を人と認めたら俺たちは終わりみたいな事を法の精神で言いやがったし
本当にロクでも無いヤツらだった というか
初期の奴隷は、ポコチン切って
生殖をできないようにしてたんだろ
もはや、下劣を通りこしてる >>5
ヨーロッパ、特にイギリスは滅んだほうがよい >>8
北条時宗のせいでモンゴルが攻めてきたらしいよ
モンゴルは最初は「日本からは欲しいもんなさそうだから放置な。遠いし。」だったのに
北条時宗が調子こいてモンゴルの地雷を踏む手紙を送ったら、怒って攻めてきたんだって。 どっかの国のキリシタン壁画では
キリシタン管理の有様を
殉教者扱いして、美化しまくっている ポルトガル船の主要品目に硝石は含まれない[2]が、古い家屋の床下にある土から硝酸カリウムを抽出する古土法、主にカイコの糞を使う培養法による硝石製造が五箇山等の各地で行われ国産化が進んだ。
一方でポルトガル人、アジア人、アフリカ人の船員は戦乱で捕獲され奴隷となっていた日本人を買うことがあり、ときにはアジア人奴隷、アフリカ人奴隷が日本人の奴隷を所有した。こうして売られた奴隷の多くが日本人女性であり、故郷から離れた乗組員や奴隷に妻・家族、妾をもたせ懐柔するために奴隷の購入は許容された。ポルトガル領の奴隷の大部分はアフリカ系だったが、少数の中国人、日本人の奴隷の存在が記録されている[4][5][6]。
ポルトガルの人口は少数であるため、ポルトガルの海外進出は大量の奴隷を獲得して初めて可能になった。また奴隷の人種についてはアフリカ系が好まれた。15世紀後半から16世紀にかけて、ポルトガルの奴隷への依存度が問題視されることはなかった。奴隷は稼いだお金を貯めて自由を買うか、代わりの奴隷を買うことを許されれば、自由になることができた。女性の奴隷は、主人が結婚することを選べば、自由になれた[7]。
アフリカ人奴隷はマカオの戦いで命をかけて勇敢に戦い、ポルトガルへの忠誠心をヤン・ピーテルスゾーン・クーンに称賛されるほどだった。 >>423
朝鮮にはなかった学校が出来て良かっただろ >>288続き
豊臣秀吉の右筆、大村由己の『九州御動座記』では日本人が売られる様子を見聞きし
秀吉から伴天連追放令がだされたことが記されている
「今度、伴天連等、能時分と思い候て、種々様々の宝物を山と積み、いよいよ一宗(キリスト教)繁昌の計賂をめぐらし、
すでに後戸(五島)、平戸、長崎などにて、南蛮航付きごとに完備して、その国の国主を傾け、諸宗をわが邪法に引き入れ
それのみならず、日本人を数百男女によらず、黒船へ員い取り、手足に鉄の鎖をつけ、舟底へ追入れ、地獄の呵責にもすぐれ
そのうえ牛馬を買い取り、生ながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手づから食し、親子兄弟も礼儀なく
ただ今世より畜生道の有り様、目前のように相聞え候。
見るを見まねに、その近所の日本人がいずれもその姿を学び、子を売り、親を売り、妻女げどうを売り候由、つくづく聞こしめされ
右の一宗(キリスト教)御許容あらばたちまち日本、外道の法になるべきこと案の中に候。
然れば仏法も王法も捨て去るべきことを歎きおぼしめされ、添なくも大慈大悲の御思慮をめぐらされ候て、すでに伴天連の坊主、本朝追払の由、仰せ出され候」 >>433
あんな大艦隊、極東まで回せんだろ。
やりきったったら良かったんや。 >>415
種子島時尭は火薬1バレルと領民の女子10数人を交換してたぞw 1537年のサブリミス・デウスにおいて教皇パウロ3世はアメリカ先住民の奴隷化を無効だと宣言していたが、1541年のポルトガル船来航以降にも奴隷貿易が行われてきた。中世後期、ポルトガル船の来航以前は密貿易商をしていた倭寇等の海賊が東アジアにおける奴隷貿易を独占していた。
アジア人の奴隷貿易については倭寇に遡り、ポルトガル商人は新参者だった。前期倭寇は朝鮮半島、山東・遼東半島での人狩りで捕らえた人々を手元において奴婢として使役するか、壱岐、対馬、北部九州で奴隷として売却したが、琉球にまで転売された事例もあった。後期倭寇はさらに大規模な奴隷貿易を行い、中国東南部の江南、淅江、福建などを襲撃し住人を拉致、捕らえられたものは対馬、松浦、博多、薩摩、大隅などの九州地方で奴隷として売却された[8]。1571年のスペイン人の調査報告によると、日本人の海賊、密貿易商人が支配する植民地はマニラ、カガヤン・バレー地方、コルディリェラ、リンガエン、バターン、カタンドゥアネスにもあった[9]。
倭寇の人狩りに加えて、古来から日本の戦場では戦利品の一部として男女を拉致していく「人取り」(乱妨取り)がしばしば行われており、乱妨取りや文禄・慶長の役(朝鮮出兵)により奴隷貿易はさらに拡大、東南アジアに進出し密貿易も行う後期倭寇によりアジア各地で売却された奴隷の一部はポルトガル商人によってマカオ等で転売され、そこからインドに送られたものもいたという。数少ないポルトガル商船の輸送力や需要、供給を考慮するなら、日本人奴隷の取引量自体はそれほど大きかったとは考えられないが、奴隷貿易のネットワークはポルトガル、アフリカ、ゴア、マカオにまで及び地理的には大規模だった[10][11][12]。 だいたい、あのまま大東亜共栄圏が完成してたら
北朝鮮や中国共産党はなかったんだからな
それをツブしたアメリカが今、いちばんこの2国に手をやいてるのが笑えるw
それも日本は赤化したソ連の南下とも戦っていた。
反共のアメリカは日本にいちばん協力しなければならなかった。
それをソ連と結託して意味不明に日本をツブしたのであるw
反省するマッカーサー元帥
・真の敵は日本ではなくソ連だった。
・日本軍を中国大陸から駆逐した結果、中国共産党という凶悪な政権を誕生させてしまった。
・日本が半世紀に及び取り組んで来た反共の義務と責任を、アメリカが負うはめになった
その後の朝鮮戦争w ベトナム戦争w >>425
明が本命
半島は通り道にすぎない
もっとも構想は信長だがな すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す
安倍と竹中にきかせてやりたいわ。 >>423
夢はねむってみとけ。
妄想酷いなら医者池。 >>402
義統が無能だからない
それに義統は母の影響でキリスト教とは距離を置いてた >>331
秀次切腹させてなかったら家康秀忠の代では不可能だわ >>437
日本のキリスト教徒もそれやってるよ
自分達は隠れキリシタンで迫害された歴史でぇーとか
何で禁教になったか考えろと ポルトガル人が日本人に1543年に初めて接触したのち、16〜17世紀を通じ、ポルトガル船の乗員の取引の一部に日本人奴隷も含まれるようになり、ポルトガル本国を含む海外の様々な場所に売却された。[13][14]。多くの文献において、日本人の奴隷交易の存在が述べられている[15][16][17][18][19][20][21][22][23][24]。実際に取引された奴隷数については議論の余地があるが、反ポルトガルのプロパガンダの一環として奴隷数を誇張する傾向があるとされている。記録に残る中国人や日本人奴隷は少数で貴重であったことや、年間一隻程度しか来航しないポルトガル船の積荷(硫黄、銀、海産物、刀、漆器等)の積載量の限界、九州の人口、奴隷の需要、海賊対策のための武装、奴隷と貴重な貨物を離す独立した船内区画、移送中の奴隷に食料・水を与える等の輸送上の配慮の問題から、ポルトガル人の奴隷貿易で売られた日本人の奴隷は数百人以上の規模と考えられている[11][10][12]。
日本人の奴隷たちはヨーロッパに流れ着いた最初の日本人であると考えられており、1555年の教会の記録によれば、ポルトガル人は多数の日本人の奴隷の少女を買い取り、性的な目的でポルトガルに連れ帰っていた。日本マカオ間の定期航路の開通により規模が大きくなっていた奴隷貿易に対してイエズス会の宣教師たちは日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を度々求めており、国王セバスティアン1世はカトリック教会への改宗に悪影響が出ることを懸念して、1571年に日本人の奴隷交易の中止を命令した[25][26]。1571年の人身売買禁止までの南蛮貿易の実態だが、1570年までに薩摩に来航したポルトガル船は合計18隻、倭寇のジャンク船を含めればそれ以上の数となる[27]。
ポルトガルの奴隷貿易で数百人以上の日本人、特に故郷から遠く離れた異国で働く水夫等を懐柔するための奴隷として女性が売られたとされている[10]。日本人の女性奴隷は、日本で交易を行うポルトガル船で働くヨーロッパ人水夫だけでなく、黒人水夫に対しても、妾として売られていた、とポルトガル人イエズス会士ルイス・セルケイラ (Luís Cerqueira) が1598年に書かれた文書で述べている[28]。ポルトガル人がマレー人やアフリカ人の奴隷を所有し、その奴隷が日本人の奴隷を所有するというように、他の奴隷の奴隷になった者もいたという[4][5]。 >>342
信心深いいい人だったから、未開の土人達のうち
帰依する者は取り入れ、帰依しないものは殺し
イエスの教えを頂く王道楽土の拡張に日々粉骨砕身したんじゃないか
殺られる方から見たら仕事熱心な悪魔みたいなもんだけど >>447
スペインの無敵艦隊つれてきて、秀吉と一緒に明を征服するつもりだっただろうね
だがスペインの無敵艦隊はその前に英国艦隊に敗れてしまった
それ知らずに秀吉は朝鮮出兵したのではないかと言われてる >>439
それもったいなくない?
奴隷が生殖して
子どもが生まれたら、奴隷が自然に増えていくんだぞ?
例えるなら、オオクワガタを飼育していて
卵産んで何十匹も増えていけば
大儲けできるだろ?
なんで生殖不能にする必要があるんだか? >>434
刀狩りで民衆から武器を取り上げ、
キリスト教のバイバイ作戦は正しかったと思うよ。
評価する人が多いのはそこだろう。 天正十四年(1586年)『フロイス日本史』は島津氏の豊後侵攻の乱妨取りで拉致された領民の一部が肥後に売られていた惨状を記録している[29]。『上井覚兼日記』天正14年7月12日条によると「路次すがら、疵を負った人に会った。そのほか濫妨人などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。」と同様の記録を残している。天正十六年(1588年)8月、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状で
豊後の百姓やそのほか上下の身分に限らず、男女・子供が近年売買され肥後にいるという。申し付けて、早く豊後に連れ戻すこと。とりわけ去年から買いとられた人は、買い損であることを申し伝えなさい。拒否することは、問題であることを申し触れること
— 下川文書、天正十六年(1588年)8月
と、天正十六年(1588年)閏5月15日に肥後に配置されたばかりの加藤清正と小西行長に奴隷を買ったものに補償をせず「買い損」とするよう通知している。同天正十六年(1588年)、同様のことを島津家にも命じている。こうした乱妨取りによって拉致された奴隷の一部がポルトガル商人、倭寇に転売された可能性はある。 無敵のスペイン・ポルトガルも
戦国時代を生き抜いた日本との戦いは苦戦しただろうな
日ポ戦争を見てみたかったぞ >>34
存在を知る所から何百年経っても水車を作れなかった朝鮮の技術が何だって? 1587年(天正15年)6月18日、豊臣秀吉は九州平定の途上で、当時のイエズス会の布教責任者であった宣教師ガスパール・コエリョとの夕食後、重臣達の御前会議で施薬院全宗が寺社破壊や奴隷貿易等を行っていると讒言をし高山右近に棄教をせまったが殉教を選ぶと拒否されたため、コエリョを詰問した[30]。翌6月19日、キリスト教の布教を禁じる『吉利支丹伴天連追放令』(バテレン追放令)を発布した[31][32]。バテレン追放令で奴隷貿易を禁じたとされるが、実際に発布された6月19日付けのバテレン追放令には人身売買を追求する文が(6月18日付けの覚書から)削除されており、追放令発布の理由についても諸説ある[33][34][35][36][37][38][39]。バテレン追放令後の1591年、教皇グレゴリー14世はカトリック信者に対してフィリピンに在住する全奴隷を解放後、賠償金を払うよう命じ違反者は破門すると宣言、在フィリピンの奴隷に影響を与えた。
文禄・慶長の役では、臼杵城主の太田一吉に仕え従軍した医僧、慶念が『朝鮮日々記』には乱妨取りで捕らえられた男女老若を買い取って引き連れる人商いを目撃した様子を記録しており、戦渦により大量の奴隷が発生した様子を記録している[40]。渡邊大門によると、最初、乱取りを禁止していた秀吉も方向転換し、捉えた朝鮮人を進上するように命令を発したとされ[41]多聞院日記によると拉致された朝鮮人の女性・子供は略奪品と一緒に、対馬、壱岐を経て、名護屋に送られ奴隷供給を飽和させた[42]。薩摩の武将・大島忠泰の角右衛門という部下は朝鮮人奴隷を国許に「お土産」として送ったと書状に書いている[43][44]。こうして乱妨取りされた朝鮮人の一部は、日本人の奴隷商人からポルトガル商人に転売されたという[45][46]。 欧米の一部歴史家は、秀吉はポルトガル人による日本人奴隷売買を阻止した一方で、秀吉自身も乱妨取りによって拉致した朝鮮人の国内外での人身売買を誘発した面があることを指摘している[47][48][49]。
1596年(慶長元年)、長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティンス (Don Pedro Martins) はキリシタンの代表を集めて、奴隷貿易に関係するキリシタンがいれば例外なく破門すると通達している。[50] >>467
それとはっきり言ったわけではなかったけど政教分離を徹底してたのが開明的だったな 秀吉だったら信長に仕えたアフリカ出身の弥助のことも知っていただろうし奴隷には
反対だったんじゃね?奴隷労働はあっても奴隷そのものの人身売買は日本人は嫌いだろ。 >>453
挙げ句には耳の痛い事ばかり言うマッカーサーも潰して今に至るという >>187
>>431
漢王朝はヤクザの親分の劉邦でも立派にやれたし、
後には光武帝のような真の王者が現れたからな >>463
なんかね。
私は詳しくないのだけど、前スレにザビエルはポルトガルの王様に奴隷買うのやめさせてくださいってお手紙出してたって書いてる人がいたよ。 中国メディア 米国の5つの大罪
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1617929079/
第1の大罪は植民地主義だ。米国はアメリカ先住民をほしいままに駆逐し虐殺した。
500万人だったアメリカ先住民は25万人へと急減した。
第2の大罪はレイシズムだ。国連人種差別撤廃委員会は、アメリカの黒人が、健康、雇用、
教育、公正な裁判などの権利においてシステミックなレイシズムに直面していることを早くから指摘している。
コロナ以来、アジア系に対するヘイトクライムは150%増加した。
第3の大罪は動乱の輸出だ。米国がテロとの戦いの名において、世界80か国で発動した戦争、
軍事行動は多くの命を奪い去った。
第4の大罪は干渉主義だ。米国は長年、人権は主権より上位にあるとの旗印を掲げ、
国家主権の尊重と内政不干渉という国連憲章の原則を無視し、主権国家に対して干渉を行ってきた。
第5の大罪はダブルスタンダードだ。米側はウィグルの発展・繁栄という現実及び各民族の人々2500万人の
団結という事実を無視し、偽証者数人の主張のみを根拠に、恣意的に中国にジェノサイドのレッテルを貼っている。
米国は2017年に、イスラム教徒コミュニティのみをターゲットとする禁令を世界で唯一公布した。
80%以上の回答者が「イスラム教徒は米国で差別に直面している」との認識を示した。
長い間、米国は自他共に欺き、いわゆる「人権の模範」を標榜する一方で、人権問題において無節操に
ダブルスタンダードを弄し、人権を自らの覇権維持の道具としてきた。我々は米側に対し、他国にあれこれ
批判や指図せず、傲慢と偏見を捨て去り、自国に存在する深刻な人権問題を正視し、見つめ直し、的確な
措置を講じて改善するよう忠告する。 >>425
イエズス会に遠洋航海の船要求してるが禁教令で破談になってるしその時点で選択肢から外れた ポルトガルの首都リスボンには少なくとも1540年には中国人の奴隷がいた複数の記録がある[51]。現代の歴史家によると、中国人が初めてヨーロッパを訪れたのはポルトガル人侵入者によって、おそらく中国南部の沿岸で奴隷にされた中国人の学者がポルトガルに連れて行かれた1540年(あるいはその数年後)という。その中国人はポルトガルの歴史家ジョアン・デ・バロスに購入され、共に中国語の文書をポルトガル語に翻訳する作業に従事したという[52]。
16世紀のポルトガルにおいて中国人奴隷(人種的な区別の文脈であるため日本人奴隷も含む)の数は「わずかなもの」であり、東インド人、改宗イスラム教徒、アフリカ人奴隷の方が圧倒的に多かった[6]。1562年10月23日に記録された遺書には、エヴォラに住んでいたドナ・マリア・デ・ビリェナ(Dona Maria de Vilhena)という上流階級の婦人が保有するアントニオという名前の中国人奴隷について記載がある[53][54][55][56][57][58][59][60][61][62][63][64][65][66]。アントニオという名前はエヴォラにおいて男性奴隷に付けられた3つのありふれた名前の1つだった[67]。D. マリアは奴隷の中で特にアントニオを重用していたが、それは彼が中国人だったからである[68]。
D. マリアが保有していた15人の奴隷のなかで中国人が1人、インド人が3人、改宗イスラム教徒が3人であったことは彼女の社会的地位の高さを表している。なぜなら中国人奴隷、改宗イスラム教徒奴隷、インド人奴隷は評価が高く黒人奴隷より高価であったからである[69]。
D. マリアが死んだ時、その意思と遺言により12人の奴隷を自由の身分とし、さらに合計1万〜2万ポルトガルレアルのお金を彼らに遺している[70]。マリア・デ・ビリェナの父親は上流階級出身の探検家のサンチョ・デ・トバル(Sancho de Tovar)でありソファラの提督であった。D. マリアは二回結婚し、一回目の結婚相手は探検家のクリストバン・デ・メンドンサ(Cristóvão de Mendonça)であり、二回目はディーウの提督のシマン・ダ・シルベイラ(Simão da Silveira)であった[71][72][73]。 >>459
というか大友宗麟のほうが滅茶苦茶で
島津に負けたのは宗麟の行動のせいだろ
大友軍が日向に侵攻しいくと
大友宗麟は神社仏閣を破壊しまくっていた
そんな光景を見た武将や兵たちは、どんどん士気が低下していったと言われている >>467
刀狩りしたから、民衆の不満を焚き付け内乱惹起から国力弱体化、っていう白人おとくいの「いつものプラン」が使えなくなったもんな 今も労働者6000万人のうち1/3は派遣奴隷なんですけどねw
日本人の多くは奴隷に成りたがっていると言えるのでは? >>454
あの人なぁ、
肥溜めに落ち話は凄過ぎて尊敬すらするw >>455
明への侵攻は、信長の構想というより、ポルトガルの構想では?
そのポルトガルがスペインに併合され、すぐ後に信長が殺されたところをみると
どうも信長はスペインの指示に従わなかったからではないかと
スペインの指示を忠実に守った秀吉は約束どおり明を目指して朝鮮出兵するが
スペインがイギリスに敗北してしまったので、スペインの応援艦隊は来なかった これは信長が生きてたとしても秀吉にしかできない判断だな 朝鮮攻めたから悪人扱いなんよね
秀吉をどう評価するかでその人の思想がわかるリトマス試験紙的人物 >>229
世界中に売られた
南米ですら奴隷として連れてこられた日本人の裁判記録が残ってる >>473
ほら。
どんなに能力の高い人でも老化は避けられないからさ…。 隠れキリシタンとかいう連中も奴隷売買に手貸してたくせに
未だに100パー被害者面してるのが腹立つ サブリミス・デウス(ラテン語:Sublimis Deus[1]、またはSic Dilexit[2] )は、1537年6月2日に教皇パウルス3世が公布した勅令。西と南のインディアンと呼ばれるアメリカ大陸の先住民とその他のすべての人々を奴隷にすることを禁じている[3]。アメリカ先住民は、たとえ異教徒であっても、自由や私有財産の権利を持つ完全に理性的な人間であると述べている。
『サブリミス・デウス』の文言は、広範に適用される宣告だった。アメリカ先住民だけでなく、すべての未知の民族に適用されるよう構成されている。主な箇所は以下の通りである。
不肖ながら、地上で主の力を行使し外にいる主の群れの子羊たちを、我々に委ねられた群れに引き入れようと全力で努力しています。しかしながら、インディアンは真の人間であり、カトリックの信仰を理解する能力があるだけでなく、我々の情報によれば、その信仰を受けることを強く望んでいると考えます。
これらの弊害に対する十分な救済策を提供したいので、我々は、これらの我々の手紙、または公証人によって署名され、教会の高官の印章で封印された翻訳は、原本と同じ信用を与えることを定義し、宣言する。これまでに、またはこれからいかなる反対があったとしても、前記のインディアンおよび、後にキリスト教徒によって発見される可能性のある他のすべての人々は、たとえイエス・キリストの信仰を持たない者であっても、決して自由や財産の所有を奪われない。また、彼らは自由かつ合法的にその自由と財産の所有を享受することができ、またそうすべきであり、いかなる形でも奴隷にされてはならない。これに反することが起こった場合、それは無効であり、何の効果も持たない。
— パウルス3世『サブリミス・デウス』 そもそも武将も納得で奴隷輸出したのに何をか言わんや
秀吉の目は九州よりももっと広大なアジア全域を見てる
九州に食い込み過ぎたイエズス会にお仕置きしたに過ぎない
ドミニコ会フランシスコ会には厚く庇護してる
もし秀吉がマニラに遠征してれば莫大な銀貨で香料貿易を独占し
日本がオランダの地位になっただろう
三河のどアホがすべて辞めてド貧乏になった 秀吉はたしかに日本人を海外に奴隷に売り飛ばす奴隷貿易を禁止したが
日本の北には「ニダ!ニダ!」と聞き苦しい言葉を話すゴブリン民族がいたので
そいつらを叩き売ることは禁止しなかった
実に正しい判断だと言える 中国の属国だった歴史を否定しようとする韓国に待った
http://news.searchina.net/id/1697834?page=1
李成桂が1392年に漢城を都として建国した際に国名をどうするかで大いに悩み、
最終的に明の皇帝・朱元璋に決めてもらった。次に、朝鮮半島では明および清に対して
朝貢を行い続け、その回数も頻繁であったとし、中国王朝の属国という身分であり続けた。
さらに、ソウルにある2つの建築物についても取り上げた。まず「独立館」は朝鮮王朝が
明、清の使節を迎え入れるために1407年に建造された「慕華館」であるとし、
独立門についてもその前身は中国の使節を迎えるための「迎恩門」だったと伝えた。 >>473
弟の秀長がもうちょっと長生きしてたらなあ。 しかし
豊臣秀吉
奴隷貿易を
完全否定するとは
天晴れ >>474 弥助は信長のデスマスクを取ったとの説もあるくらいで宣教師のスパイだったと思われる
信長が殺された後、弥助は無罪放免されているのも謎 >>298 種子島時堯(ときとか)な。中学生の時、校舎(現在廃校)に銅像たったわ、ちな種子島育ち。 >>38
キリスト「ちょwワイが死んで2000年後のことなんか知らんがな」 >>477
あったとしたら単純に「布教の邪魔だから」でしょ
ベトナム戦争時の米軍が韓国軍に「人攫いすんなよ」とかお触れを出すようなもんで 欧州なんて貴族同士の小競り合いしかやってなかったし、この百年以上あとですら米植民地の非正規軍みたいなのにボコボコにされるぐらいだから、地球半周してまでアジア的規模の大戦争に到底耐えられるとは思わんけれどねw >>481
ノッブ2号キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! >>1
日本人の奴隷化を推進した安倍晋三とは大違いw 戦後史観おいて秀吉は一貫して
「天下を統一した英雄」ではなく「朝鮮出兵を強行した暴君」だった
もちろん秀吉のすべてが聖人君子ではないが
戦後の硬直した歴史観に一石を投じるきっかけになればよい 秀吉の頃より、今現在の方が深刻だよね。。
自民党の政権中枢には、かなりキリスト教徒がいるという話もあるし。
日本なんて偶像崇拝の異教徒の国だから、別にどうなってもいいと考えて、
内心は平然と売国してるのかもね。。 日本人女子はアナが小さくてしまり良かったんだろな。おい、お前もやって見ろ!良いぞこいつ。みたいな 本当の功労者は聖徳太子だけ。
張りぼて日本で、大和国の
高度な技術をみせつけてびびらせた。
豊臣秀吉は一歩間違えていたら
国内動乱で欧州に踏み込まれていた。 中国メディア 日本や英国と違って「中国に王室が存在しない理由」
http://news.searchina.net/id/1695708?page=1
欧州には王室が残る国が多くあり、日本にも皇室が存在するが中国には存在しない
1つが「宗教」だ。日本には神道があり、欧州にはキリスト教があるが、いずれも王室と宗教が密接に関係している。
この点、中国には道教や仏教があるとはいえ信者は多くなく、実務や実用性を重んじる中国では
王や宰相は血筋ではなく、才能や努力によってなるものという考えが強かった。
2つ目は「血統主義を認めない」こと。伝統的な儒教は君主への忠誠を強調しているが、血統上の制限はない。
この点、血縁や血統を重んじる国とは大きく異なっている。
3つ目は「民族的要因」で、中国最後の王朝である清は満洲族によって建てられた王朝だった。
中国は56もの民族が存在する多民族国家であり、どの王朝でも「支配される民族」というものが
存在してしまうがゆえに、すべての民族の支持を得られにくい環境があった。
国連に加盟している国で王室が存在する国は30にも満たないとされるため、
日本や英国のように皇室や王室が残っている国の方がむしろ少数派なのが現状だ。 >>469
テルシオ陣形全盛期だけど
豊臣日本みたいな数十万も陸軍いないから
まだウィーン包囲で15万遠征してるオスマントルコの方が夢の対決
大砲大量装備だし >>198
当時の日本は世界的にも強い軍事国家だから
遠いスペインやポルトガルじゃ戦争仕掛けても負けるだけ
現に幕末、イギリスが薩摩に戦争仕掛けてイギリスは薩摩に負けてる 豊臣秀吉の朝鮮出兵従軍記者(大村由己)見聞録の一部(近世日本国民史より)
「キリシタン大名、小名、豪族達が火薬が欲しいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし。」 >>515
宗教がダメなのだっていう共産主義が一番ダメなカルト宗教だろw
文革で8000万人とか死んでるじゃんw >>502
信長のデスマスクは本物なんかね
写真見たけどイメージには合ってたな 中国の王朝は長くて300年 日本の皇室はなぜ「万世一系」なのか
中国の歴史を見るとこれまで何度も王朝が変わっている。
300年を超える王朝はほとんどなく、王朝が変わるたびに
全てがひっくり返り、もちろん皇帝の血筋も変わるのが常だ。
なぜ日本では「万世一系」が可能になったのだろうか。
中国では昔から皇帝が権力を握っていたため、下の者が上へ行くためには
政権転覆して自らが皇帝となるほかはなかった。
一方、日本の皇室は中央集権的ではなく、権力が分散していた。
また天皇は神道における天照大神の子孫とされているので、
宗教上の最高指導者であり、多くの宗教的な儀式を天皇が行っていた。
このため、幕府の将軍ですら天皇の地位に就くことは民衆の支持を得られず
怒りを招いたと強調、これが中国の皇帝との決定的な違いだった。 一時期TVドラマでも晩年の秀吉を強調する風潮が酷かったが
近年再評価が広まってきたのはいい傾向だな 奴隷云々いうなら国内はどうなのか
現在に価値観に合わせるとダメ
根本にあるのはアジアに取り巻く西の脅威だと思うけどなあ >>518
聖徳太子はガチ凄いよね
日が上がる国から日が沈む国に連絡してんよ?ってかっこよすぎ
あの方以上の偉人いないわ >>508
基本的に日本は、奴隷制度ではない
一部そのような集団はいたが
仏教的な禁忌をやぶる職業集団だった
というだけで、生活はそこそこ >>490
朝鮮を攻めたから悪人というのは小学生の論理
なぜ秀吉が朝鮮出兵したのか?誰が得をするのか?誰が資金を出したのか?支援したのか?
を考え分析するのが大人
韓国の人達は残念ながら小学生レベルの知能の人が多いということ >>530
領地献上してたからな
一応国王じゃなく教皇なんだろうけど
なんでそこまで被れたかが分からん
いい暮らししてたろうに >>483
それは、派遣労働で儲けてる民族が、君らだから? 改宗したキリシタン大名がやったことは
日本の土地を欧州にあげて日本人を奴隷として売った 日本で本当の偉人は日蓮大聖人だけ。
元寇を南無妙法蓮華経の題目だけで
神風吹かせて沈めたのだから >>533
なのに、聖徳太子の血筋は壊滅させられちゃった。
古代大和朝廷もいろいろえげつないよね。 >>425
日本の貧弱な軍船では到底無理
歴史上も、日本軍の弱点は実は海戦の弱さ >>533
聖徳太子はガチやね
日本人で誰か凄い奴を一人挙げるとしたら彼が一番だろう >>247
きちんと記録に残っている。
宣教師になんで人身売買するのかと詰問している。
彼らが日本人が売るから買うんで
すと平然と答えるとすかさず人身売買
禁止令を出した。 >>488
偏見て、カトリックにしてみれば異教の人間なんて悪魔の手先で茹でようが焼こうがお構い無しってのが当時の流儀でしょ
異端審問で同じ肌の色をし同じ言葉を喋る同胞ですら、神の栄光のため、と拷問と残虐刑の餌食にして顧みる事なかったんだし
イエズス会は異端審問の一方のメジャープレイヤーだったよね?
別に彼らを今更詰ってるわけではないよ、当時はそんな野蛮さが常識であり正義だったわけで
単に歴史的事実として述べるまで >>247
秀吉って残酷なことしてないぞ
朝鮮出兵だって外様大名の資金源減らす為の政策だし
外国出兵を酷いこととするなら欧米の方がはるかに酷いし
今ですら中国はチベットやウイグルに侵攻して占領してるぞ
日本国内じゃ信長の方がはるかに酷いことやってるけどな >>15
他人の誤りをで出さないとダメじゃん
って諭したやつがあるから >>490
あれのせいで日本は超不景気になったし各地で国民が重税に苦しんでたんだから仕方ない >>544
どっかで見た蘇我氏に馬やら鹿やら名前を後付けした説好き 秀吉なんかキ〇ガイじゃん、秀次の一族京都の河原で惨殺したんだろ >>519
共産党が王室否定したからだろ
歴代中華王朝には普通に王室あったし何言ってんだか
中共王朝って言えばいいのに >>481
大友の日向遠征軍の指揮官は坊さんなんだよなあ 晩年からの老害ぶりで、秀吉は好感持てなかったが、この事を知って藤吉郎の好感度爆上げだわ >>551
勝てない戦争を賞賛する人はなんなんだろうな
小説でも読んでる感じなのかな? 朝鮮が偉大?
簡単に日本に併合されたボンクラ民族がかw
戦いもしなかったw >>538
大友宗麟がキリスト教のかぶれて
日向にバテレンの理想郷をつくることを
目的にして、自社仏閣を破壊しながら侵攻していなければ
島津に耳川の合戦で敗れていなかったかも知れないんだよな
そんな大殿の姿を見ていて大友軍の士気は最低レベルに下がっていってしまう
そんな状況で島津軍の猛攻を受けたら、そりゃ戦うよりも逃げるってw
宗教って怖いよな、大友宗麟でさえ、ああなってしまうんだから >>545
西洋式帆船を建造する必要があるがその気さえあれば不可能ではない 1587年に当時の天下人、豊臣秀吉は薩摩島津氏を屈服させた九州征伐後に、自国の民が九州において大規模に奴隷として売買されていることを目の当たりにして大変不快に感じ
同年7月24日にイエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに手紙を書き、南蛮人が日本人を買い付けて奴隷にすることを中止するよう命じ
また、インドにまで売られた日本人を連れ戻すよう言い渡した。
秀吉はポルトガル商人とイエズス会をこの奴隷交易について非難し、伴天連(バテレン)追放令によってキリスト教への強制改宗が禁止された。
だが秀吉の朝鮮出兵(1592〜1593年、1597〜1598年)で捕虜として日本に囚われていた一部の朝鮮人も、また奴隷としてポルトガル人に転売されていた事実があり
欧米の一部歴史家は、秀吉はポルトガル人による日本人奴隷売買を阻止した一方で
純粋な民間人と戦争捕虜という売買対象の違いはあるものの、秀吉自身も朝鮮人奴隷の交易を誘発したことを指摘している。 >>532
スペインとポルトガルなんて勝手に条約結んで世界分割しようとしてるし日本はそれに巻き込まれただけ 九州など西国大名が火薬の原料欲しさのため
別に豊臣秀吉じゃなくても、織田信長が天下統一しても人身売買止めさせただろ
たまたま天下統一したのが豊臣秀吉だっただけ それから400年アジアは奴隷だった
それを救ったのが日本な >>516
戦後の利得者=為政者周辺にキリスト教徒が多いイメージ
未だにそのへんで権力まわしてるから
麻生とか安倍嫁もキリスト教徒だし >>538 武器や火薬を売ってくれるんだから、戦国大名としては宣教師と付き合わざるを得ない >>260
いや、まずキリシタンがなぜ秀吉に弾圧されて隠れたかを教えないし
キリシタンが踏み絵踏まされる理由すら教えない
これ、勘のいい子供だったら
なんでこんなことを秀吉がしたの?とか聞いてくるはずだけど
教科書にはキリスト教が日本人奴隷貿易してたことは一切明記しない >>529
秀吉の奴隷解放はリンカーンに200
数十年前だからな。 キリスト教浸透させて国を分断させて内戦お越してキリスト教側に加担して国乗っ取りが常套手段だからな。 秀吉は晩年になるまでは名君だったよね
キリスト教圏の植民地政策から国を守れた国家は
一体どれくらいなのやら。 >>562
当時の日本は海外領土の経営ノウハウが無いから占領は出来ても長期間維持するのは無理でしょ >>548
ジャン・ボダンとか異端審問官は
無実の女達を魔女裁判で虐殺しまくったからな >>522
大航海時代とかいうけど遠洋航海してるうちに疫病や脚気その他で乗組員が半分とかそれ以下になるのが当たり前の時代だからな >>514
統一教会信者だから間違ってはいないなw >>518
当時の日本なら鉄砲の大量生産による火力で対抗できるから
その辺問題ないだろ。
あと秀吉の唐入りで、朝鮮には唐辛子だけでなく
鉄砲の技術も伝わってるわな。朝鮮に残る日本人もいたから
戦闘技術が多く伝わることになった。 >>526
何故か今愛子天皇の声がでかいけどね
別に一代だけならいいよ
ただ悠仁親王殿下が天皇になられなくてもお生まれになられた親王が次世代の天皇にならないといけない意味がわかってない人が多すぎる
たしかにいま秋篠宮はごたついてるけど眞子女王は降嫁されて出ていかれる身
皆なんで紀州藩系譜の紀子妃とあの水俣チッソ系譜の皇后みたとき前者ばかりたたくんだろうか >>559
自分等質で署名集めて、総監府に朝鮮合邦を嘆願したらしいじゃない。 キリシタンにも洒落にならない弾圧したが極めて正しかった >>568
それが出来ない国がたくさんあったから
白人に奴隷化されたり植民地にされたりした国が
数えきれないぐらいあったわけよ。 当時のヨーロッパの白人からすればアジア人なんて賢い動物くらいにしか思ってなかったんだろうな
売ろうが買おうが何の罪悪感も無し 信長が黒人を家臣にしたように
日本には奴隷文化はなかった 士→日本人
農→日本人
工→日本人
商→日本人
非人→百済人
非人は殺しても売ってもOK >>269
でも、20年前とかには
テレビでキリスト教が奴隷貿易してたこと放送してたけど
今では一切放送出来なくなってるからね
日本のキリスト教に韓国人が入り出してから
キリスト教への放送禁止が増えたし
逆に、なんでもかんでもキリスト教に関連付けて放送するようになった >>562
可能であったが
外国との交流が極端に少なかったので
そもそもの需要がないので
大量配備には限界がある
というか、倭寇と言われてるが
それは、大陸側の呼び名で
日本側の記録がない
本当は、誰がやってたのか?
わかったもんではない 秀吉(サル)が退け
吉田が避けし奴隷餅
座りしままに食うは竹中 >>591
農家でも武家でも次男以下は家畜同然だよ。 >>591
いや、奴隷文化が無かったら
言葉そのものがあるはずがない
奴婢だの生口だのという言葉が古代からあったのだから
奴隷文化はあったんだよ >>566
それな
秀吉の残虐性を物語るエピソードだな >>589
アメリカに売られた黒人奴隷だって、その黒人達を白人に売った黒人がいたからこそなんだよね。 >>584
旦那様に天皇家の男系の血筋の男子が来てくれればいいね。
愛子様に優しくしてくれる、天皇家の男系男子の使命感を持ってる人。 このスレでも出てるが
信長はイエズス会と組んだ軍閥
秀吉は信長と組んだイエズス会を嫌い九州バテレン大名の統制も考慮して禁教
しかし秀吉の禁教は極めて不徹底で都市の布教を禁止したのみで逆にイエズス会の信徒は増えている
ほぼ意味のないものだった
そもそも秀吉はイエズス会、ドミニコ会、フランシスコ会の貿易ルート
をそのまま勢力拡大に使ったので
むしろ仲間なのが実態
その次の家康は上記ルートを全部キャンセルしてイギリスオランダと組んだ
宗教ではなく貿易がキーワードだよ 韓国人は倭寇は日本人といってるが
倭寇の頭は明人やぞ インディアス新法は、1512年12月27日にアラゴン王フェルナンド2世が発布したブルゴス法(Leyes de Burgos)に反発した改革運動の成果である。スペイン人と新大陸の先住民との健全な関係を規定するために作られた初めての法律であり、新世界における最初の人道的な法律とみなされている。
要旨
統治者にはアメリカ先住民(法律ではインディアンと呼ばれる)の幸福のために配慮し、保護する義務があること。
戦争、反乱、救援を求めるため、その他のいかなる理由であっても、将来にわたって奴隷にしてはならないこと。
現在奴隷になっているアメリカ先住民は直ちに解放されなければならないこと。
意思に反して、あるいは正当な対価を与えずに、アメリカ先住民に仕事をさせるという悪習慣は、直ちに止めなければならないこと。
真珠を獲るために遠隔地に連れて行ってはならないこと。
総督だけが先住民をエンコミエンダに託す権利を持っていること。エンコミエンダ設立の禁止には、すべての宗教団体、病院、共同体、公共団体も含まれること。
当初の征服者に与えられていた(エンコメンデロスとしての)「分配」は、エンコメンデロス(管財人)の死後直ちに停止され、先住民は自由な臣民として王室に服従すること[2]。 >>588
踏み絵を踏んだだけで許してもらえるなんて日本だけ、普通は殺して神の審判を受けろ!がお決まりのパターン。
ポルトガルの日本人奴隷計画って何?
日本はポルトガルの植民地になるところだったの?
そんなの義務教育で習わなかったけど ブルゴス法ではエンコミエンダでの労働条件や規則を以下のように一様に規定している。
カリブ先住民に対してキリスト教を理解させ、強制でなく自発的な改宗を促す(脅迫等による一過性の改宗でなく、恒久的なキリスト教の浸透)
カリブ先住民に決められた広さの住居の建設と提供、与えられた土地を含む財産の保証をする
カリブ先住民に対する侮辱や虐待を禁止する
児童労働の禁止(及び教育中の労働禁止)をする
出産後3年間の育児休暇を保証する
結婚した先住民女性に対し労働を強いることを禁止する
未婚の女性を両親から離すことを禁止する
5ヶ月の労働後に(連続した)40日間の休みを提供する
1日に十分なパン、野菜、肉、魚を提供する
酋長・族長の家族を優遇する 拉致被害者の人達も豊臣政権だったらすぐに解決できていたのかもと
思ってしまった >>592
嘘つくな
屠殺食肉、皮皮、処刑場の管理とか
上流の暗部を支えてた集団だろ >>601
そう、それ。
ほんとにそれなんだよな
そうやって、内部を分断分裂させていくのが
植民地化手法の核心なんだよな。 イエズス会は本国へ向けて武力による日本の植民地化は不可能であると報告してる文書が残ってるよね カガヤンの戦い (1582)
1582年のカガヤンの戦いは、フアン・パブロ・デ・カリオン提督率いるフィリピン・スペイン軍と、タイ・フーサ率いる倭寇との間で行われた一連の衝突である。カガヤン川周辺で行われたこれらの戦いは、最終的にスペイン軍の勝利となった[2]。
浪人、漁師、商人(密輸・合法)からなる日本と中国の海賊の大集団に対して、銃士、槍兵、ロデロ、水兵が戦った記録である[3]。 浪人、軍人、漁師、商人(密輸、合法)からなる日本と中国の海賊の大集団に対して、銃士、槍兵、ロデロ、水兵が戦いを繰り広げた[4]。海賊は大型のジャンク船と18隻のサンパン(平底の木造漁船)を持っていた[5]。 >>599
漢字だろ
しかも音読みってことは元々日本に無い言葉 >>600
残虐性というか秀頼かわいさのあまりだろうけどね 島原の乱も仕方がないわな 散歩でみた時 なんかもにょった これに比べたら、国家議員の情けなさよ
売国するなら、日本からでてけ
帰化人はイラン 光栄の大航海時代Vの初期版には、交易品に「奴隷」があったんだよなぁ
昔とはいえ流石に問題と思ったのかすぐ修正されたけど プリンキパリア(貴族階級)[1]とは、スペイン領フィリピンのプエブロの支配者であり、通常は教育を受けた上流階級のことで、後に市町村長と呼ばれるようになったゴベルナドルシーリョからなる。保安官、判事、地区を治めるバランガイ長または市町村長、知事、前ゴベルナドルシーリョ、および任期中の優良な市警、将校から構成されていた。
マウラ法以前は、この上流階級には、スペイン王室への税金を免除された者だけが含まれていた[2]。植民地時代の文書では、納税をする者(「デ・パゴ」)とは対照的に、彼らを「de privilegio y gratis(特権と自由)」と呼んでいた[3]。彼らはスペイン領フィリピンの真の貴族であり[4]、古代ローマの貴族階級にほぼ匹敵するものであった。プリンキパレス(プリンキパリアの構成員)は、植民地時代以前のビサヤ、ルソン、ミンダナオのバランガイと呼ばれる小さな古代の社会単位の領主だけでなく、王国、ラジャナート、部族連合、マギノーの支配階級からその起源を辿ったものである。この階級のメンバーは排他的な特権を享受しており、プリンキパリアだけが選挙権を持ち、公職に選ばれ、ドンやドニャの称号で呼ばれることが許された[5]。 >>610
違う
戦国時代は他国に侵攻すると
領地を奪う他に乱取りといって
人をさらったり、金品を奪って
自国に持ち帰ることは当たり前に行われていた
その乱取りで拉致してきた人間をポルトガル人が
日本の大名から仕入れて、ヨーロッパで奴隷として売っていた
そのことを指している >>280
太閤検地とか刀狩りとか
よく考えれば
あの当時によくこんなこと出来たと思う
だからこそ、当時ですら精巧な地図作れたし
アメリカなんて未だに銃社会だからね
幕末に訪日した外国人が日本人の識字率の高さにビックリしたってくらいだし
どんだけ日本進んでんだよって思う 隠れキリシタンを「潜伏キリシタン」なんて名前変えて世界遺産登録www
あれ「負の世界遺産」 先住民の貴族とインディアス法
フィリピンでの間接統治制度を導入するために、フェリペ2世は1594年6月11日の法律で、以前の王族や貴族が享受していた統治の栄誉や特権を保持させ、保護するように命じた。またフィリピンのスペイン人総督には先住民の貴族を大切に扱うように命じた。王はさらに、先住民はこれらの貴族に対して、征服前に住民が地元の領主に与えていたのと同じ敬意を払うべきだと命じた[7]。
フィリピンのインディアンの族長たちが以前より悪い状態になるのは正しくない。むしろ、彼らの愛情を得て忠誠心を保つような待遇をすべきであり、神が彼らを神の真の知識に呼び寄せることによって彼らに伝えた霊的な祝福とともに、一時的な祝福が加えられ、彼らが満足して快適に暮らせるようにすべきである。そこで、我々は、これらの島々の統治者に、彼らに良い待遇を与え、我々の名において、彼らがかつて領主であったインディアンの統治を委ねるよう命じる。その他、総督は酋長に正当な利益を与えることを確認し、インディアンは彼らの異教の時代に行ったように、認識として彼らに何かを支払わなければならないが、これは我々に支払われるべき献上品や、彼らのエンコメンデロスに関係するものを損なうものではない
—フェリペ2世の勅令、1594年6月11日[8][9]
この法律によってフィリピン人貴族はスペイン王のエンコメンデロス(管財人)にもなり、スペイン王はこれらの貴族を通して間接的に国を支配した。この規定に付随して、先住民のカシケに関するすべての既存の規定、法律がフィリピンのプリンキパリアにも適用された。彼らの領地はスペイン帝国から自立し属国化したバランガイとなった[7] >>599
奴隷文化って具体的になんだよ?
日本の古代社会の奴隷制度は少しずつ解体されてったし
奴隷てのは地域や時代で世界的に扱いが全然違うだろ。 >>610
ちょっとスレタイの趣旨と違うけどトルデシリャス条約とかサラゴサ条約とか大航海時代でググるとポルトガル人の気持ちがわかるかも 倭冦の取締りは足利幕府が宋の要請を受けて実施してるんだわ
んで多くの組織が撲滅されるがその多くは日本本拠地、日本人頭領やで キリシタンは内戦の準備
ほんまキリシタン大名はやばいわ シクット・ドゥドム
シクット・ドゥドム(ラテン語:Sicut Dudum)は、1435年1月13日にエウゲニウス4世 (ローマ教皇)がフィレンツェで公布した教皇勅書であり、キリスト教に改宗した、あるいは改宗しようとしているものを含むカナリア諸島のグアンチェ族全ての奴隷化を禁止したものである。シクット・ドゥドムは、前年に発行されたカナリア諸島でのポルトガル人による襲撃を非難するCreator Omniumを強化するためのものであった。
私たちは、この文書が公布されてから15日以内に、かつて前記カナリア諸島に住んでいて、捕らえられ奴隷にされていた男女の信徒を含む全ての人を、以前のように自由に復帰させることを命じます。これらの人々は、完全かつ永続的に自由であり、金銭を要求したり受け取ったりすることなく解放されるべきです。もし15日が経過してもこれが行われない場合は、その行為自体が破門の宣告を受けることになり、聖座やスペインの司教、あるいは前述のフェルディナンドであっても、捕虜となった人々に自由を与え、その財物を回復させない限り、死をもってしても免れることはできません[1][2]。
— 教皇エウゲニウス4世『シクット・ドゥドム』第4条 あのころのキリスト教ってまじでエゲツない
調べれば調べるほど怖い
あっちだと破門されたら人生終了まであったとか >>618
邪馬台国が魏に朝貢したときの
貢物に中に生口(奴隷)が何人という項目がある
だから日本にも古代から奴隷制度はあったんだよ >>625
なってない。
当時の日本は鉄砲王国、しかもゲリラ戦でやられたら外国軍は全く勝ち目ない。 >>431
えーっと隋の初代文帝・楊堅は名門出身の武人だし隋は2代目の煬帝が高句麗遠征の失敗などで国勢を傾けたのが響いて3代約30年で滅んでいますが。 そもそも日本の百姓の身分って、封建制で土地に縛りつけられて、欧州で言うところの農奴に近い立場だしw >>579
一方で、カトリックの存在意義もあったのだろうかと考えなくもない
皇帝なく、地方地方に土着軍閥(騎士階級)が散在するヨーロッパでは王すらその時いちばんイケイケな暴力組織の組長ですらなく、皆にほぼ等しく覇権へのチャンスがある、つまり争乱を終える理由がない
そんな世界なので、調停役としてある程度第三者的な権威が必要とされ、それが教会だったのかもしれないな
だからなんやかやとあれだけ勢力を保ったのかもしれない >>286
鎖国したから文化が咲いたんだぜ
平和の時代にしか文化は発展しない
戦争ばっかりしてちゃ庶民の収入は増えないし
人口は減るばかりだから供給側も消費する側も増えないから経済にとってはマイナスしかない >>620
秀頼の為なら、政略結婚のタマに使える秀次の女児まで殺したり追放する必要は無いんだよなあ >>616
カブラルだかコエーリョだね
コエーリョは九州の武勇ばかり有名で狂人扱いされるが
実はスペイン艦隊と組めば世界最強になると正しく分析してる
日本管区長になり見識が深まると
逆に日本を高く評価するようになった
秀吉との確執も表向きで
裏では貿易でガッチリ組んでたと思うね 弱肉強食が歴史というのも事実だしな
白人が悪いと言っても白人ほど科学技術を発達出来なかったり白人の奸計にかかって分断統治される民族が大半だったって事で
その格差はどうして生まれたかだよな >>631
トルデシリャス条約
緒方直人の大河信長で触れてた
ルイスフロイスが日本の戦やさしいって語ってて
前田利家がきれてた >>575
実際の植民地化の事例を見る限り武力と政治的策略だけでやっていて、キリスト教はほぼ役に立ってないけどな 南京大虐殺は信じないくせにこっちは信じるバカジャップ >>584
いやあかんて
愛子ちゃんに結婚を諦めさせるって前提になるし >>637
ところがどっこい
そこに肩入れしてる大名とかがいっぱい居て、わざわざその尖兵になりそうな人たちがいっぱい居た >>634
実効が全くされてない
勅令出してきても
意味ないだろ マニラの戦い (1574)
マニラの戦い(1574年)(スペイン語: Batalla de Manila en el 1574; Filipino:Labanan sa Maynila ng 1574)は、マニラ地域の主に現在のパラニャーケで、林鳳率いる中国・日本の海賊と、スペイン軍と先住民の同盟軍との間で行われた戦いである。この戦いは1574年11月29日に起こった[2] 林鳳の艦隊はパラニャーケに上陸し、そこからイントラムロス砦への攻撃を開始した。当初、住民は混乱していたが、林鳳の軍隊は彼らを潰走させた。さらに倭寇はスペイン軍の司令官であるマルティン・ド・ゴイティを殺害したが、マルティン・ド・ゴイティの抵抗により、マニラへの攻撃を遅らせることになった。
林鳳の倭寇軍はマニラを包囲したが、フアン・デ・サルセード率いるスペインのマスケット銃士50人の部隊が包囲を破った。 [1] マニラで敗れた林鳳は撤退し、マニラへの侵攻計画を放棄してパンガシナン州を占領した。一年後、サルセド率いるスペイン軍が再び林鳳を破った [1]。
スペイン側
300スペイン兵(インカ、アステカ、マヤ等の米先住民を含む)
300イロカノ兵
民兵(数は不明)
倭寇側
62隻の軍艦
4,000倭寇兵[1] 信長はガチのサイコパスだからな
実弟すら余裕で暗殺する
極めつけは敵将のドクロ盃で乱痴気騒ぎの酒宴 >>37
あいら、バーデン=バーデンの密約で日本を乗っ取ってから、好き放題にして国を滅ぼしかけたからなw
東北閥はトップにしちゃいけないわ >>637
だからキリスト教徒増やして協力者を作って侵略するんだよ 天草四郎も宣教師が25年後に神の子が出現とか煽って島原の乱につながったしな >>626
当たり前じゃない
信長などは禁止していた
謙信はちょくちょくやってたみたいだなw それでもマスコミはキリスト教が悪くならないように迫害受けてた可哀想な人達でしたって報道するんだろうな >>648
隠れ蓑ってだけでも十分キリスト教を活用してる >>637
分裂したら、国なんて意外とモロいものだよ。
そうして、たくさんの国が植民地にされていった。
だからキリシタン大名を配置して、
彼らに武器弾薬を売りまくったんだろw アフリカに宣教師追い出す支配者がいれば、奴隷も減ってたろうにな 秀吉は信長を(多分)裏切っただろう部分が好きじゃないが
ここは評価する
エライ 買った側は追放ということだけど、売った側(大名)は成敗されたの? >>630
戦国時代でいえば乱取り
Wikipediaより抜粋
当時の軍隊における兵士は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。人身売買目的での誘拐は「人取り」と呼ばれ、戦後に物と同じく戦利品として市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、褒美として付近を自由に乱取りさせた。それら狼藉は悪事ではないとされた。
人間を拉致してきて人身売買する
これは奴隷そのものだろ? スペインのボルネオ遠征は (スペイン: Expedición española a Borneo)、現地では「カスティーリャ戦争」(マレーシア: Perang Kastila; ジャウィ: ڤراڠ كستيلا)とも呼ばれ、1578年にブルネイ帝国とスペインの間で起こった軍事衝突である。
背景
1453年にコンスタンティノープルが陥落して以来、東地中海から中央アジア、中東を経て東南アジアに至る交易路は、オスマン帝国、ペルシャ、アラブ、インド、そしてマレーのイスラム王朝によって支配されていた。
ポルトガル人や後のスペイン人は、マレー人と香辛料などの貿易を行うために、東南アジアへの海路の代替ルートを探そうとした。ポルトガルは通商使節を派遣したがスルタン国は使節団を虜囚としたため1511年にマラッカを攻略、貿易拠点とした。
その後、16世紀にスペイン人も東南アジアに到達したが、スペイン人がフィリピン諸島に上陸したことと、スペインがキリスト教を広めようとしたことが、スルタン・サイフル・リジャルが統治していたイスラム王朝ブルネイ帝国との対立を引き起こし、最終的にカスティーリャ戦争へと発展した。当時のブルネイ帝国は、ボルネオ島からフィリピンのほとんどの地域に広がる強力な海洋帝国であった。 >>642
到着したばかりの最上の姫様も殺しちゃったしね。
年取って、さらに、年取ってようやく子供ができて(本当に秀吉の種だったかわからなんけど)、なんか判断力おかしくなっちゃったこかもね。 >>641
江戸時代の経済成長率なんてウンコだぞ
庶民の収入は全然増えてないよw >>1
九州土人の民度なんて所詮はこんなものだということ┐(゚〜゚)┌
所詮は二級市民w スペインのボルネオ遠征
スペインと東南アジアのイスラム王朝との接触
1485年から1521年にかけて、スルタン・ボルキア率いるブルネイ帝国は、イスラム化が未完全だったトンド王国に対抗するブルネイの傀儡国としてコタ・セルドン(またはマニラ王国)を設立した。イスラム教への改宗は、現在のマレーシアやインドネシアからの商人や東南アジアでの布教活動がフィリピンに到達することによって、さらに強化された[1]。
フィリピンには統一国家が存在しなかったため、ブルネイ帝国の影響にもかかわらず、スペインの植民地化は推進された。1571年、スペインのミゲル・ロペス・デ・レガスピがイスラム教徒の支配するマニラを攻撃、マニラはフィリピン諸島の首都となり、貿易と宣教の拠点となった。ビサヤ人(マジャアスのケダトゥアンやセブのラジャナート)は、スペイン人が来る前はスールー諸島のスルタンやマニラの王国と交戦していたが、ブルネイのスルタンと戦うためにスペインと同盟を締結した。
戦争
スペインは1578年に宣戦布告した。その年の3月、総督デ・サンデに率いられたスペイン艦隊はブルネイへの遠征を開始した。遠征隊はスペイン人200人、メキシコ人200人、1500人のフィリピン人原住民(プリンキパリア)、300人のボルネオ人で構成されていた[4]。キリスト教側の人種構成は多様であったと考えられ、スペイン人将校が率いる歩兵はメスティーソ、ムラート、アステカ人、マヤ人、インカ人等の米先住民で構成されていた[5]。イスラム教徒側も同様に多様な人種がいた。生粋のマレー人戦士に加えて、オスマン帝国も近隣のアチェに軍事遠征隊を送っていた。この遠征隊は主にトルコ人、エジプト人、スワヒリ人、ソマリ人、シンド人、グジャラ人、マラバル人で構成されていた。これらの遠征隊はブルネイなど近隣の他のスルタン国にも広がり、現地のムジャヒディーンに新しい戦闘戦術や大砲の鍛え方などを教えていた[6]。 >>665
それ徳川史観による捏造プロパガンダだから
実際に本能寺の変に関与しているのは秀吉ではなく家康
松平定知とかもうなりふり構わず本名・顔出しで旗振ってるからなw >>610
大航海時代って習わなかった?
侵略しに行ってたんだよ のっぶも旧体制の日本宗教を潰すためにバテレンを利用しただけだしな >>635
ありもしない罪を被せられ数百万人も女達が焼き殺されてた時代に
破門されて人生終了ぐらい大した事ないだろ ma2xo6y60は何が主張したくて長文貼り付けてんだ? >>78
因幡の白莵
あれも渡来系の嘘つき一族の話 カガヤンの戦い (1582)
1582年のカガヤンの戦いは、フアン・パブロ・デ・カリオン提督率いるフィリピン・スペイン軍と、タイ・フーサ率いる倭寇との間で行われた一連の衝突である。カガヤン川周辺で行われたこれらの戦いは、最終的にスペイン軍の勝利となった[2]。
浪人、漁師、商人(密輸・合法)からなる日本と中国の海賊の大集団に対して、銃士、槍兵、ロデロ、水兵が戦った記録である[3]。 浪人、軍人、漁師、商人(密輸、合法)からなる日本と中国の海賊の大集団に対して、銃士、槍兵、ロデロ、水兵が戦いを繰り広げた[4]。海賊は大型のジャンク船と18隻のサンパン(平底の木造漁船)を持っていた[5]。
スペイン側
兵士40名
水兵数不明
ガレオン船1隻
小型船5隻
軽舟1隻
倭寇側
ジャンク船1隻
サンパン18隻
倭寇約1000人 >>1
youtubeで登録してるのに見ないチャンネルは登録解除しましょう。
スマホだと面倒だが一度やると簡単です。
ナンバーワンYouTuberだとうぬぼれてる人の目を覚ますためにも見てないチャンネルは登録解除しましょう
些細な事ですが日本の未来のためにもなります 何号だっけ?日本人奴隷を乗せた船がバレたんだよな。 >>677
中世のキリスト教国での魔女狩りもえげつないよね…。
ジャンヌ・ダルクも魔女として処刑された。 >>331
現に朝鮮出兵の時
宣教師も同行してるし
その時、ちゃっかり朝鮮人奴隷を連れ帰ってるからな 日本において、キリスト教が実質的に禁じられるのは徳川家康の命による1614年(慶長19年)のキリスト教禁止令以降のことになるが、家康の禁教令は臨済宗の僧で黒衣の宰相の異名を持つ以心崇伝によって起草されたが、言い回しなど基本的な部分において施薬院全宗が起草したバテレン追放令にならっている。徳川家康は長崎と京都にあった教会等の宗教施設を破壊、キリスト教徒は日本各地に散らばることになるが弾圧は徹底されなかった。
徳川秀忠は元和2年(1616年)に「二港制限令」、元和5年(1619年)に改めて禁教令を出し、キリスト教の本格的な宗教弾圧とキリスト教徒に対して仏教への強制改宗が行われた。キリスト教に好意的で弾圧に乗り気で無かった京都所司代の板倉勝重に対して秀忠はキリスト教徒の火炙りを直々に命じ、元和5年(1619年)10月6日、京都六条河原で52名が処刑される(京都の大殉教)、この52名には4人の子供が含まれ、さらに妊婦も1人いた。元和8年(1622年)には計55名を長崎西坂において処刑(元和の大殉教)、中には3歳、4歳、5歳、7歳、12歳の子供が含まれていた。
島原の乱の後、寛永17年(1640年)に幕府は宗門改役を設置、寺請制度(檀家制度)によって宗教弾圧は強化されたが、その余波として神式の葬儀である神葬祭は禁じられ仏式が強制されるなど信仰の自由が制限され宗教界全体に影響が及んだ。以心崇伝が関与した紫衣事件では仏教を介して幕府が天皇よりも上に立つことを公に示すことになった[20]。 >>662
具体的には?
居留地作るのは交易のためで十分理由になると思うが? >>562
技術の蓄積はあったろうからできなくもないか
人を育てる下地を作るのに一世代分くらいはかかるだろうか?
いずれにせよ指南役を100人単位で引っ張ってこないと、種子島銃みたいに見様見真似だけでは厳しいだろうけど ハハ
まーたデタラメ歴史かw
もしそうなら
秀吉より情報重視で英才教育受けてる信長が
ガンガン受け入れるわけないだろ
w キリストを信じるとか無理っす
マッカーサーも狂人だからね
とは言っても共産主義もいやだし 犯人はドン・フランシスコとかドン・プロタジオとかドン・バルトロメオとかだっけ >>620
女も幼い子供も容赦なく公開処刑にし一族滅殺した秀吉のおぞましさ キリスト教の布教と征服との関連
ポルトガルはゴア、マラッカ、マカオ等の独立した小規模の貿易拠点、居留地を手に入れる一方で、文明がすでに発達していたインド、中国、イスラム王朝が支配する東南アジア等のアジア諸国の植民地化には成功しなかった。ゴア、マラッカ等の港湾都市の領有と要塞化は法制度が異なり財産権が十分に保証されない国との香辛料貿易を行うために不可欠な環境整備であり、ヨーロッパの小国だったポルトガルが最優先すべき目標は安全な貿易路の確保、ポルトガル人の資産保全、香辛料貿易の独占であって大規模な軍事紛争を伴う植民地化ではなかった。
ゴア攻略はヨーロッパでのオスマン帝国、イスラム王朝との戦いの継続でもあるため、インド洋制覇と香辛料貿易の独占を狙うオスマン帝国に対抗する軍事拠点の獲得と見ることができる。マラッカ攻略についてはスルタン・マームドによって虜囚とされたポルトガルの通商外交使節団の奪還とイスラム王朝への報復を目的とした軍事行動であり宣教師とは無関係である。
フィリピンでは1405年にスールー諸島、1520年にミンダナオ島でイスラム王朝が建国されており、ルソン島の都市国家の首長の多くがイスラム教に改宗していた。オスマン帝国の支援を受けたブルネイ帝国にカスティーリャ戦争(1578年)でスペインが勝利したことで、イスラム王朝に対するフィリピンでの軍事的優位が確立された。1579年にはドミンゴ・デ・サラザールが初のマニラ司教に叙任された。フィリピンでの覇権を手にした後、キリスト教の改宗が本格的に進み各部族の宗教とカトリックが融合した民俗カトリックの信者が増え続けた。アジアではイエズス会の布教を支援したポルトガルと対比するかのように、キリスト教の布教を重視しなかったオランダやイギリスが植民地を増やしていった。 朝鮮特亜の日本史観て、その身体的特徴よりさらに分かりやすいな。 >>688
馬から船に変っただけで
モンゴルも欧州も基本交易が始まり
そして、難癖つけて侵略開始
そういう時代だったの >>339
凄いなこれ
てか、ロシアってヨーロッパの植民地なのか?
ロシアの歴史ってかなり長いようなイメージあるけど >>637
最新研究ではその鉄砲先進国という評価は実情を間違えて伝えたイエズス会の報告書だけが論拠で信憑性が薄いと言われてるんだが >>663
統一国家のなかった蘭印ですら広域に支配を打ち立てるのに数百年かかってる
全然もろくない ポルトガルの侵略は食い止めたけども、朝鮮から未来永劫叩かれ続ける原因を作ったから
プラマイゼロ >>527
✕碧亭館
○碧蹄館
日本人なら地名は正しく書こうな。 >>645
全部とは言わないけど横取りも多かったと思う
今だってJISではなくISOにしたがるし
自分達が中心でないと気が済まない人達の印象 >>641
残念だけど鎖国って幕府がそう言っただけで豊かになったのは貿易してたからなんだよなぁ… >>663
最近だとルワンダ大虐殺がそうだな
百姓のフツ族がヨーロッパから武器を渡されて訓練され
ヨーロッパの政治家とカトリックに洗脳されて
為政者のツチ族を数ヶ月に渡って虐殺しまくった
あれで人口の15%が減った ポルトガルは日本人の宗教を改宗させようとした、秀吉は嫌う
秀吉は朝鮮のあとアジアまで出兵す湯予定だった
スペイン帝国ががフィリピンを占領。日本も占領されると危惧
秀吉死去
オランダが来て家康と商売だけの取引をした
大坂の陣でオランダは徳川に協力、豊臣方はスペイン
結果、オランダは貿易で有利に >>698
ロシア帝国に支配されたシベリアをふくむ東側が植民地ってことだろ? ワロタ
戦国時代に、フィリピンあたりまで
大型船をだせる余力ある奴等なら
それこそ、有名だろ
倭寇って誰だよ?
いまだ解明されてない
しかも、中国人と同盟?
どうやって? 日本を侵略されると気付いた秀吉は
一歩手前で防いだんだろうが
更なるポルトガルの目的が大陸であった
ことを知っていたのだろうか
中国攻略に日本人を兵士として使うことを
伴天連は計画していたようだ
日本人が戦闘に費やされた挙げ句に
西洋に取られるなら自分が統治したいとうのが
秀吉の朝鮮出兵の理由なんじゃないかな >>678
ただ参加したいだけ
超絶寂しいんだろw >>666
キリシタン大名ってだいたい没落とか、最終的に国外追放にされた人までおる
黒田官兵衛ぐらいじゃない?その後江戸時代までつづく大きな大名家で残ったのって >>367
お前、ヨーロッパ諸国が東南アジアまで来て貿易してたの知らないだろ
なぜインドがイギリスの植民地だったか知らないだろ ところで秀吉がなぜ九州にこだわったか
言うまでもなく最大の貿易拠点だからだよ
コエーリョが主導するバテレン大名の貿易港が秀吉には極めてジャマだった
いくら貿易で組んでるイエズスでもこれだけは飲めない
と言うわけで都市部からイエズス会を追放した
逆に言うと上記のことさえ守ればハッキリ言ってどうでも良いから
イエズス会は農村部で大布教し
寧ろ増えてる
さらに秀吉はドミニコ会とフランシスコ会も庇護してる
ハッキリ言えば禁教ではなく
貿易利権の主導権でのマウントだったというのが実態だね
もっと言えば秀吉はマニラのスペイン艦隊と組み
香料貿易も考えていたと思うぞ >>667
人身売買が行われても、固定身分として奴隷があったとも
言えないから、そこんとこは微妙だな。
だから時代と地域によって違うといってるだろ。 奴隷と言えば黒人という歴史教育が間違ってる!
昔イギリスに住んでた頃
ソールズベリ大聖堂という歴史的建造物の
グループツアーに参加したのな
俺以外全員欧米人でまあそれは普通なんだけど
そのガイドが日本人?と尋ねて
あんた達の先祖が建てた。。
とか言い始めて
ショックを受けたが
周りは普通だった。 >>573
そのくせテレビとかでは隠れキリシタンの目線で悲劇的に描くから理由もなく単に一方的に弾圧してる極悪非道っていう印象を受けるよね
だから大学生くらいまでは信長は好きでも秀吉は嫌いだったわ
最近になって色々な角度から見れるようになったり、その他の情報も増えたから、秀吉の偉大さがよくわかった イエズス会が新大陸での布教を始めたのは1570年以降だったが、1500年のペドロ・アルバレス・カブラル率いる艦隊がブラジルに上陸してから70年経過した後のことである[16]。イエズス会は、特に南米南東部において、スペインで広く行われていた「レダクシオネス」と呼ばれる入植地を作り、広範囲に広がる先住民を集中させて、先住民の統治、キリスト教化、保護を強化していた[17]。イエズス会の「レダクシオネス」では、各家庭に家と畑があり、個人には労働の対価として衣服と食事が与えられていた。さらに、学校、教会、病院があり、各「レダクシオネス」には2人のイエズス会宣教師が監督する先住民の指導者と統治評議会が設けられた。
フランシスコ会と同様に、イエズス会の宣教師たちも現地の言語を学び、大人たちにヨーロッパの建築、製造、農業の方法を教えた[17]。スペイン人入植者は「レダクシオネス」で住むことも働くことも禁止されていた。これにより、イエズス会の宣教師とスペイン人との関係はぎくしゃくしたものになった。それというのも、周辺のスペイン人入植地では、人々は食料、避難所、衣類を保証されていなかったからだ[18]。1767年にイエズス会はアメリカでのスペイン領から追放措置を受け活動を停止した。
ドミニコ会についてはミゲル・デ・ベナビデス・イ・アニョーザ等の修道士が1587年に初めてフィリピンに上陸している。ベナビデスはマニラで中国人のための病院を作り、スペイン人の圧政からフィリピン先住民を保護するために、マニラ司教ドミンゴ・デ・サラザールに同行してスペインに赴いた。1602年にマニラ大司教となり、1603年にはフランシスコ会にフィリピンに居住していた日本人の面倒を任せている。ベナビデスはアジア最古の大学である聖トマス大学の創設者として知られ、死後の1611年に開校した。 >>713
昔の日本人は優秀で愛国心があったな〜
在日がいなければ日本はもっと良い国になってた
在日のおかげで金も技術も労力も土地も多くの国益が奪われっぱなし >>704
大友が奴隷を売り払ってた史料は無いよ
島津の奴隷狩りの被害を受けた史料は有るけどね >>697
いや何の話だ
別に征服活動にキリスト教の果たした役割なんてないだろって流れなんだが? >>684
あれは本当に酷いよ
男の権力者に悪魔と契約した痕があるとかでっち上げられて殺される
欧米の女が強くなったのはああいう酷い歴史があるからだよ フランシスコ会はスペイン政府との一定の距離感が保たれており、ときには互いに非難の応酬をすることもあった。イエズス会も国家から独立した組織として布教する現地住民の意向を優先しており、ポルトガルとスペインの両国とも緊張関係にあった。宗教を絡めないイギリス、オランダ等によるアジアの植民地化の成功、コルテスによるアメリカ征服が宗教の介入なく軍事的になされたことからも、キリスト教の布教から文明の発達した国家の征服に乗り出すという想像上の政策の実現性は低く、またはそのような政策が実際に存在したかについても諸説ある[17][15][14]。 やっぱ太閤さまよ
秀吉がノブカスの尻拭いしなかったら世界中の人々が未だ白人の奴隷だったであろう でも日本には20年くらい前に非正規や派遣と名を変えて奴隷制度が復活しましたよ 背景
天正15年(1587年)に天台宗の元僧侶であった施薬院全宗の讒言を受けて豊臣秀吉が発したバテレン追放令はキリスト教の布教の禁止のみであり、南蛮貿易の実利を重視した秀吉の政策上からもあくまで限定的なものであった。これにより“黙認”という形ではあったが宣教師たちは日本で活動を続けることができた。また、この時に禁止されたのは布教活動であり、キリスト教の信仰は禁止されなかったため、各地のキリシタンも公に迫害されたり、その信仰を制限されたりすることはなかった。
バテレン追放令を命じた当の秀吉は勅令を無視し、イエズス会宣教師を通訳やポルトガル商人との貿易の仲介役として重用していた[2]。1590年、ガスパール・コエリョと対象的に秀吉の信任を得られたアレッサンドロ・ヴァリニャーノは2度目の来日を許されたが、秀吉が自らの追放令に反してロザリオとポルトガル服を着用し、聚楽第の黄金のホールでぶらついていたと記述している[3]。
1591年、原田孫七郎はフィリピンの守りが手薄で征服が容易と上奏、入貢と降伏を勧告する秀吉からの国書を1592年5月31日にフィリピン総督に渡した。1593年には原田喜右衛門がフィリピンの征服を秀吉に要請、同4月22日にはフィリピン総督が服従せねば征伐するとの国書を渡したが、スペイン側は事前に船に同乗していた明人を詰問して、日本国王が九鬼義隆にフィリピン諸島の占領を任せたが、台湾の占領も別の人物に任せたから、当地の遠征はその次である等の情報を得ていた。宣戦布告にも近い軍事的脅迫を含む敵対的な最後通牒によって、スペインと日本の外交関係は緊迫し、スペイン人の対日感情も悪化の一途を辿った。
文禄2年(1593年)、フィリピン総督の使節としてフランシスコ会宣教師のペドロ・バプチスタが来日し、肥前国名護屋で豊臣秀吉に謁見。豊臣秀次の配慮で前田玄以に命じて京都の南蛮寺の跡地に修道院が建設されることになった。翌年にはマニラから新たに3名の宣教師が来て、京坂地方での布教活動を活発化させ、信徒を1万人増やした。前田秀以(玄以の子)や織田秀信、寺沢広高ら大名クラスもこの頃に洗礼を受けた。
文禄4年(1595年)7月15日には秀次切腹と幼児も含めた一族39人の公開斬首が行われたが、文禄・慶長の役では朝鮮、明への侵略、征服計画が頓挫し和平交渉も難航、文禄5年/慶長元年1596年7月12日には慶長伏見地震で秀吉の居城である伏見城が倒壊(女73名、中居500名が死亡)、同9月2日には明・朝鮮との講和交渉が決裂、仏教や神道の在来宗教勢力も京都に進出していたキリスト教フランシスコ会に警戒感を強める情勢にあった。サン=フェリペ号事件はそのような状況下で起こった。 中世までの日本てアジアでも最貧国だったしな
江戸中期に初めて中国超えを果たした >>423
知ってるか?
日本よりも朝鮮半島を植民地にしてた国があるんだぜ!
ひでええだろ?
どこの国だと思う? >>8
時宗は守ったんじゃなくて、国難を招いたアホ >>730
能力の無いお前がダメなだけじゃん
ゴミくず遺伝子の親を恨めよ >>721
メキシコの遺伝子調べたら
男系はRがやたらと多く
母系はインディオの遺伝子らしいな
この差別民族
くたばれや 長宗我部元親は投棄されず船に残っていた60万ペソ分(ガレオン船1隻の平均的建造費は7万8000ペソのためガレオン船8隻に相当する財宝)の積荷を没収した[5]。長宗我部元親は、日本で座礁、難破した船は、積荷とともにその土地へ所有権が移るのが日本の海事法であり、通常の手続きだと主張したが、南蛮貿易とそれに伴う富が四国に届くことはほとんどなかったことも判断に影響したとされる[6]。
スペイン人乗組員が抗議すると、元親は、秀吉の奉行のうち、個人的な友人である増田長盛に訴えるよう言い渡した。船長であるマティアス・デ・ランデーチョはこれをうけて、2人の部下を京に派遣し、フランシスコ会の修道士と落ち合うように指示した[5]。
豊臣政権の対応と国際情勢
一同で協議の上、船の修繕許可と身柄の保全を求める使者に贈り物を持たせて秀吉の元に差し向け、船長のランデーチョは長浜に待機した。しかし使者は秀吉に会うことを許されず、代わりに奉行の1人で長宗我部元親の友人である増田長盛が浦戸に派遣されることになった。
増田長盛はこの状況を利用して利益を得られると考え、秀吉にこの積荷を接収することを助言した。土佐に着いた増田長盛はスペイン人に賄賂を要求したが断られたため、サンフェリペ号の貨物を100隻の和船に積んで京都に送る作業を始めた[7]。 >>731
通り道と思ってだけで朝鮮なんて意識してないから >>417
南米とかも白人に蹂躙されたのに、血が混ざってる事を誇っていたりするね
白人の支配は良い支配、みたいな事を支配された側も無意識に叩き込まれているのか キリスト教て今でも地球は平らで象が支えてると思ってるの 北欧にたまに先祖帰りといってアジア人みたいな容姿の白人が生まれるけどあれって奴隷として売られた人達の末裔かもな >>726
領土の拡大に宗教を利用するのは常套手段だろ しかし長文うざいな
読むわけないだろ
スクロールの邪魔なんだよ >>15
一神教はみんなそうだよ
なぜなら神は一つだからそれ以外はみんな嘘の神様ということになる
他の全ての神を否定することによって己の神を絶対視するのが一神教だ
多神教の日本なんかとんでもない国ということになるw アフリカの権力者はすすんで奴隷輸出して私腹肥やしたってよ
おかげで文明は崩壊
あれ?今の日本はアフリカの後追いしてませんかねえ? これに対して増田は「何故スペインがかくも広大な領土を持つにいたったか」と問うたところ、デ・オランディア(またはスペイン人船員)は次のような発言を行った。「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。それはまず、その土地の民を教化し、而して後その信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり」[1]。これにより秀吉はキリスト教の大規模な弾圧に踏み切ったとされる。この経緯はスペイン商人ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンが書いた『日本王国記』に、イエズス会士モレホンが注釈をつけたものであり、似たようなやり取りはあったものと見られている[9]。
水先案内人(航海長)をしていたデ・オランディアの大言壮語とは対象的に、スペイン国王フェリペ2世は1586年には領土の急激な拡大によっておきた慢性的な兵の不足、莫大な負債等によって新たな領土の拡大に否定的になっており、領土防衛策に早くから舵を切っていた[10]。
私には、より多くの王国や国家を手に入れようとする野心に駆られる理由はありません....私たちの主は、その善意によって、私が満足するほど、これらすべてのものを与えてくださっています[10]。
— 1586年、スペイン国王フェリペ2世
サン=フェリペ号事件当時、秀吉による明と朝鮮の征服の試みが頓挫し、朝鮮・明との講和交渉が暗礁に乗る緊迫した国際情勢ではあったが、それ以前の1591年に原田孫七郎はフィリピンの守りが手薄で征服が容易と上奏、入貢と服従を勧告する秀吉からの国書を1592年5月31日にフィリピン総督に渡し、1593年には原田喜右衛門もフィリピン征服、軍事的占領を働きかけ、秀吉はフィリピン総督が服従せねば征伐すると宣戦布告ともとれる意思表明をしており、豊臣政権はアジアにおけるスペインの脆弱な戦力を正確に把握していた。豊臣政権がフランシスコ会への態度を硬化させた原因は諸説提案されており、デ・オランディア(またはスペイン人船員)の口から出任せの発言を高度な情報分析能力のあった奉行とその報告を受けた秀吉が真に受けたかについての結論は出ていない[11]。 >>735
バカ現るwww
当時の日本は世界有数の銀の産出国だった >>737
本郷何某に感化されたか?
外交で侵攻を回避できたなんてのは証明不可能な妄想に過ぎない アフリカの権力者はすすんで奴隷輸出して私腹肥やしたってよ
おかげで文明は崩壊
あれ?今の日本はアフリカの後追いしてませんかねえ? >>742
逆に混ざり過ぎてもうどうしようもないんじゃね?
自己否定し始める方が辛いだろうし 国内でも奴隷みたいなのはあったんだよ
でも日本国内である限り、救われる道は結構あった。
ただ、アフリカは大陸が黒人だけでなくアラブ人もいたし、ヨーロッパみたいな価値観を共有する宗教もないし、統一王朝もなかったからどうにもならなかったんだろうな。
もっとも南米だと、インカもアステカも価値観が生贄大好きのだから、共有したら奴隷はもっと残酷な目にあってそうだ >>750
派遣のおっさんお疲れさま
来世は正社員になれるといいね >>742
南米でポルトガル語やスペイン語が話されてることに朝日も無頓着という支離滅裂w >>732
いくら戦国時代でも、女の子まで殺した事例は少ない マッカーサーは最近の評価はどうなんだ?
俺らの時代はただの悲しき中間管理職的
扱いだったが な、太閤さまに比べたら
家康なんてクソってよく分かるよな >>726
お前まともに歴史の勉強してないのかよ
聖地奪還、十字軍すらしらないの? 凄え!
あの戦国時代の日本から五万人も伴天連が日本中を荒らしまわって
奴隷狩りしてたんだw 当時の海事法との関連
サン=フェリペ号の積荷は100万ペソ、ガレオン船12隻(投棄されず漂着した積荷は60万ペソであるため8隻)の建造費に相当する巨額の財宝であり、船員達の帰郷を待つ家族の生活基盤さえも揺るがしかねない過酷な没収であった。当時、日本にいた宣教師ルイス・フロイスもこの事件の顛末を述べているが、そこでは「漂着した船舶は、その土地の領主の所有に帰するという古来の習慣が日本にあったため」積荷が没収されたと述べている(ルイス・フロイス書簡 長崎発 1597年3月15日)[19]。歴史書ではしばしば「漂着した船の積荷には、その土地へ所有権が移るのがこの時代の海事法(廻船式目)であったため」というような記述が見られる。
『廻船式目』とは鎌倉時代に当時の海上の慣習を文章化した上で鎌倉幕府の裁可を得たもの(という仮託で、実際は16世紀末成立。詳細は、「寄船」「廻船」「浦終い」も参照)だが、その地の豪族・大名により内容の統一が保たれていなかった。豊臣秀吉は海法規定を整理・統一しようという考えから廻船式目の中から取捨選択、補足・削除をした『海路諸法度』(1592年)を制定したものと考えられるが[20]、廻船式目から大きな変更は見られず、領土領海への侵犯や国家間の衝突時の拿捕に関する記載はない。
二十六聖人殉教との関係
サン=フェリペ号事件に関してしばしば長盛との問答でのスペイン人船員(デ・オランディアとも)の「積荷を没収された腹いせ」による発言が秀吉を激怒させたと説明されるが、これは1598年に長崎でイエズス会員たちが行った「サン=フェリペ号事件」の顛末および「二十六聖人殉教」の原因調査のための査問会での証人の言葉として出たとされるもので、日本側の記録には一切残されていない[21]。フランシスコ会とスペインとの関係は必ずしも良好なものでなく、実際のフランシスコ会の布教はコルテスの侵略完成後に行われていたため、出任せや腹いせで発言したとの説明には一定の蓋然性が認められる[14][15]。
1592年5月31日の原田孫七郎に託された国書で、秀吉はフィリピン総督に対して一国を代表して降伏勧告、恫喝を行っており、1593年にも服従せねば征伐すると宣戦布告ともとれる最後通牒を告知し、1592年4月12日には朝鮮出兵を開始していた。日本はスペイン領フィリピンに好戦的な侵略国としての印象を与えており、フィリピン在住のスペイン人の対日感情は悪化していた。一船員であるデ・オランディアの個人としての発言はその反映とも取れる。 というか
神目線なら、キリスト教徒共
お前等、ワシの作ったもんを
否定して壊しやがってだろ >>702
馬鹿言え。また騙す気か
秀吉の朝鮮征伐の時に奇妙な現象が起きてるんだよ。
朝鮮側の歴史資料である趙靖の「壬辰日記」に「総じて倭賊の輩らの中で我国の人間が半分ほど混ざってる。顔馴染みな者等は紙で仮面を作って使用し、倭賊を先導した」とあるんだ。
つまり秀吉軍の襲来とともに朝鮮全土で農民たちの両班ら支配層に対する暴動が各地で発生し、侵略者である筈の上陸した秀吉軍を半島庶民の多くが積極的に支援した。
特にソウルの街を焼いたのは奴隷達で、役所にある奴隷身分の自分の戸籍を焼く為だとさ
朝鮮に上陸した小西行長ら日本軍はヨジュからはソウルから立ち上る火の手を目標にして進軍したと記録されている。
ヨジュからソウルまでは64kmもある事から、炎が立ち登るのが見えたのなら日本軍が到着するはるか以前から物凄い大火が起きていた事になる。
実際に日本軍の第一陣がソウルに到着したのは鎮火した後で、既に焼け落ちて破壊も強奪する物も無く、宮殿などの秀吉軍が宿営する建物も残ってなかった
ホントにイカれた民族。しかも嘘つき >>339
ヨーロッパから一番遠い、っていうものあるが、
やはり四方を海に囲まれている、というのは大きかったな。 当時の日本は世界有数の銀の国
もし秀吉がフィリピン進出すれば日本がオランダになっていた
本当に残念過ぎる
三河のアホが日本を土人レベルに引き下げた >>726
いや、スペインのコンキスタドールはアメリカ大陸を侵略する上で
カトリック教会に許可をもらうんだよ
その上で、メソアメリカ文明を侵略し先住民をキリスト教に改宗させると共に
黄金の財宝を略奪してカトリックの教会を建てた
そのスペインが先住民から略奪した財宝を奪って英国に持ち帰ったのが
海賊船長のフランシス・ドレーク >>745
むしろ理由はどこからでも作れるのでキリスト教を特に警戒する意味は全くない
と言うか実例を出してくれよ、キリスト教の布教が征服に役立った例を いま、中国が日本の土地を買いまくってるよね。
それには触れないの?
つまりこれから起こることだろ? >>442
それ、モンゴル煽ったのは朝鮮人な
朝鮮人が「日本は侵略チョロいので一緒に占領しませんか」とモンゴル人焚きつけた
結果的に大惨敗して
モンゴルは国内情勢もヤバくなった
今も昔も朝鮮人に関わるとろくなことない >>616
そりゃ当時の武士のイカれた戦闘能力と鉄砲の増産スピード見てたら
地球の裏側から派遣したたかだか数十隻の船で征服できる訳ないと悟るわな 工作活動するには宣教師はうってつけだね
ここらへんは程度の差だけで新興宗教と変わらんのかもね
布教に力入れるわけだよ 一方では、重税に追い詰められた平民農民たちは武装し命賭けで圧政に抵抗するしかなかった
室町時代から武家支配圧力に対抗する「国一揆」や農民の政治的要求による「土一揆」が発生し
戦国時代になると僧侶たちと一般信徒たちが武装し「一向一揆」として織田信長など戦国大名と激烈な闘争を繰り返すほどだった。
江戸時代には、
「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり(神尾春央)」
「郷村の百姓共は死なぬ様に、生きぬ様に(徳川家康)」と言われたほどで
領民への過酷な年貢負担とキリシタン弾圧により、日本史上最大規模の一揆となった「島原の乱(1637年)」も発生し
幕末、明治初期に至るまで圧政による農民一揆や打ちこわしが各地で頻繁に発生したのが史実 東洋経済がこんな話をし始めると
いよいよ関西の豊臣信仰があぶねえんだなって思うわ >>737
挑発したのは事実だが当時無敵を誇った元を破ったのも事実
当時ボコボコにされた元の下僕である朝鮮人の子孫ですか?
君たち元に負けて下僕になりましたがうちらが勝ったのがそんなに悔しいのですか? >>767
近代以降の話なんでそいつは別文脈なんだが。
少なくとも宣教師は関係ないよな? まあ、この時代奴隷って商品の一種だからなあ。
戦争で負けた側は商品になる。
黒澤の『隠し砦の三悪人』なんかちゃんと描いてるわな。
逆に、昨今の戦国時代劇はそれを隠してるのがよくない。 Amazing Graceの作詞者も奴隷商人だったしな
キリスト教徒って清廉潔白に見えて結構腐っとる >>762
少ないかどうか何でわかるんだよ
乱取りとか行われてた時代だぞ >>776
同化キリスト教化にともなう
教育という名の民族殲滅は
1990年代まで続いてたろ 戦国時代ぐらいから日本が銀を輸出してたのは知ってるが
銀の対価で何か輸入して国が潤ったかは知らんなあ?
硝石とか買ってたんだっけか? >>674
ソース元が違うんだな多分
別に徳川がどれだけアレなのかは知っとるし
秀吉の大返しが計画されたものでなければ不可能だったってことくらいは
分かるから、それだけでいいんだよ >>786
ホントにな
徳川のおかげで
日本が日本らしくなれてよかったよ >>781
シド・マイヤーのシビリゼーションやったことあるけど
日本の侍強かったからなw >>786
オランダの大繁栄は日本の銀とモルッカの胡椒
三河のアホがオランダに騙された訳だ
アムステルダムの見事な町並み見ると
ドアホ三河のアホさがよーく分かる 九州の大名が戦争で農民捕まえて売ってたらしいな。自発的になる奴もいてたらしいが >>784
令和の今の方が庶民の税負担率が高いって知ってた? >>788
時宗がアホかどうかの話で、優秀な武士の奮闘とは別の話だろ? >>775
それは単に抑制が解消されると言うだけの話じゃんか
禁止がない状態がニュートラル
布教を行った結果が征服活動に寄与しているわけじゃない >>585
徳川こそがキリスト教排撃徹底させた
豊臣秀頼が天下保ったままだと、キリシタン大名潰さずに温存してた
徳川が全てのキリシタン大名取り潰すか改宗させた >>453
無理だな
当時の日本の国力は欧米に負けてた
どっちにしろアメリカと戦争する形になったし
当時のアメリカはルーズベルトの側近200人もソ連のスパイが入ってたから
ソ連としては、なんとしてもアメリカに日本と戦争させるキッカケ作りたかった
あのハルノートはソ連のスパイが日本に講和させないために作ってるからね >>60
戦争に負けてからずっとそうですが?
まあ最初の東京五輪から平均寿命くらいの時間が経って、
そこから戦後じゃなくなるんだろうな
戦後のままにしたい勢力はいるけども 高瀬弘一郎「先生」の「学派」の分析手法だよね
つまり「イエズス会は邪悪」という思い込みからスタート
例のズッコケ呉座先生からしても噴飯モノの陰謀論レベルだよね
ヴァリニャーノの書簡を恣意的に分析ならぬ、ねじ曲げ 平和を唱えながら黒人奴隷を使役してる事に違和感が最初からあっただろうね 大戦争でのブザマな大敗北で歴史が分断された日本人の悲劇。ゴイム(家畜化) >>784
室町〜戦国時代の寺社仏閣は金あつめた権力者だよ
金があるから戦国大名と渡り合えて、今ではすっかり戦国大名扱いで登場する本願寺 >>734
先進国かわからんが安土桃山から江戸初期にかけて
保有数では世界有数て話しかないので、とりあえず
論文のどれでもいいんでソース頼む。 そう、秀吉はだから人気あんのよ
だいたい朝鮮中国に嫌われるのはまともなやつ >>708
ツチ族とフツ族に、交互に武器を売ってるんだよ。
一段落して収まると、急に反対勢力に武器を売るから、
恨みつらみを晴らすために凄惨を極めた虐殺が起きる。
これを交互に繰り返す。
そして起きた虐殺を指さして、あーなんて野蛮な人たちなんだと言うのが白人。
大昔テレビで特集していた。
始めてそれを知ったときに、あきれ果てた。
これが白人の手口なんだって理解して
彼らを全く信用しなくなったな。 西洋のダブルスタンダードハンパねぇな
ナイキとかこれどういうつもりなの >>793
百姓平民ならいざ知らず、大名が身内の女の子まで殺すのは当時としては異例中の異例だよ
信長だって浅井長政の男児は殺しても女児までは殺して無いだろ >>792
秀吉は支那文化に傾倒していたということか?最低だな >>781
そもそもこの時代ならまだ欧州の戦争なんて、やあやあわれこそは、みたいな鎌倉時代レベルw
この後の三十年戦争あたりからだいぶ本格的になってくるけれども 銀は輸出してたけど、日本の相場で金と両替してて
白人はウハウハだったて読んだことあるわ
輸出はしてたけど、無知で騙し取られてたようなもんで
その対価で日本が豊かになったとかは無かったんだなww >>810
正確には
明国属高麗、もしくは明国属朝鮮な >>810
侵略しまくったアレクサンダーとか
チンギスハーンとか英雄やんけ
朝鮮侵略が許せんてだけならそう書いとけ、うぜえ。 >>818
そんな段階的に組織的にやってたのか
酷いな
そのテレビ特集を観られたのは良かったね 数十年前に日本人の優れた奴隷適性をユダヤ人はしきりに強調していた文章を読んだことがあるが、
おそらくこの当時からの高評価だったのかもしれん >>1
朝鮮人発狂
従軍慰安婦を率先して輸出してるからな
今も 宗教によって思考を乗っ取り、従順な奴隷にするわけだな。
まさに草加と同じだ 織田が作って豊臣が継承して徳川が完成させた
中間地点なのか豊臣って織田や徳川に比べてなぜか影が薄いよな
凄い人なのに >>781
当時の軍事技術ではまず無理。
幕末でも不可能。同じような報告を幕末の英仏がやってる。
だから、国内で争わせて、借金漬けにして間接統治をやろうと試みる。
勝や慶喜、西郷はそのことを承知のうえでだったので、さっさと内乱を終わらせた。 >>812
そもそもバリニャーノは非常に日本人を評価してる
またバリニャーノに叱られた武闘派のコエーリョも日本の軍事力を高く評価してる
イエズス会が秀吉に潰されたとの見方も全く史実に反する
実情は秀吉イエズスドミニコフランシスコ全部が貿易仲間だよ 自民党の監視役として共産党議員は10人位居ても良いと思うが在日はいない方がいい
害にしかならない >>797
お、いい論点だね
不可能なのは、中国大返しではなく、むしろ「神君伊賀越え」ということなのだよ
なにしろ伊賀山中を踏破(笑)して2日(2泊三日)で三河に帰り着いているのだからな
(家康一行が本能寺の変を知ったとされるのが6月2日、4日には三河に帰り着いている
(なんでもバカ正直に、無邪気に記録した「家忠日記」でバレてしまった)
↓いまや徳川礼賛、家康礼賛の三河の郷土史家ですら認めてるよw
https://youtu.be/-hrVUt2vD1c >>818
戦争ビジネスなんてそんなもんですな
他人を争そわせて自分はカネ儲け
怖い怖い >>822
そんなことはない
15世紀にはスイス歩兵あたりがかなり本気度の高い戦やってる >>826
アレクサンダーの遠征は単なる侵略とは違うからね
諸葛亮の南蛮攻略と同じで反抗せずに帰順せよというもので
宗教や人種の違いを超えて国際結婚させてた
そのせいでアレクサンダーの死後は離婚が増えたらしいけどなw >>788
元軍本隊の本土上陸を許してないのが大きいね
これで元軍は得意な陸上戦ではなく、常に不安定な船上での闘いを強いられた。
日本軍が夜間の船上切り込みを繰り返した為、元軍(高麗軍)は切り込みを恐れて船を密集させていたので、暴風雨に襲われると呆気なく衝突しあって勝手に沈んだ。
高麗軍はあまりに臆病で弱すぎる。アホである(爆笑) >>746
私は流し読みしてるよ。
コピペ元はなんだろう?って思ってる。 >>832
農民からの成り上がりだから軽視されているのでは? >>819
ナイキはコリアに乗っ取られた企業じゃねーの¥? >>820
当時、女は記録にすら残らないのが普通
異例かどうかすらわからないよ >>818
ミャンマー人にロヒンギャを押し付け、
それを追い出そうとしたスー・チーを「人権侵害」と糾弾して、
反スー・チー派がクーデターを引き起こすきっかけを作った英国みたいだな😅 >>815
それは寺社仏閣の勢力拡大を恐れた信長目線だろう 日本人を奴隷として使うのは俺であって外人ではないということに過ぎないだろ >>841
発狂なんかするのかなぁ。所詮、昔話に過ぎないし。
今の日本の落ちぶれ具合を韓国人はよく知ってるからな。 >>784
島原城行ったことある?
地方のお城なのに石垣がかなり立派なの。
かなりの重税だったんだろうなって想像がつくよ。 スペイン人ってメキシコで大殺戮をやってインカ滅ぼしてるやん
あんんもんただのテロリストやで 屈強で頑健なアフリカの黒人奴隷いくらでも居るのに、
身体が小さくて頑健とは言えない日本人を奴隷にして何の仕事やらすんだ >>602
愛子ちゃんと子供が同世代の子持ちだけどね…
同世代からは…(察して 敗戦後のソ連抑留50万人、李承晩ライン日本人拘束4千人 >>852
さすがに赤子を敵国に送って
敵と結婚するヤツは殺すだろとしか思わんのにな >>846
軽視はされないな
ただ親戚一族が少なすぎなのに、身内揉めで最終的に家康が勝っただけ
その途上で期間が短すぎた
信長は先駆者だからその点評価されやすい >>832
大阪いけよw
豊臣天下で徳川カス扱いだからw >>610
違う
ポルトガル人が武器の代わりに日本人奴隷を買ってた
黒人奴隷と同じように
日本人奴隷貿易してた >>842
後継者残さず死んで分裂して消滅だから、征服事業趣味みたいなもんじゃまいか?
アッティラ大王はキリスト教受けが悪いんで
イメージがどうもアレだが。似たようなとこあるかも。 >>1
これ結構有名な話ですな。
キリスト教禁止令は大正解だった。
秀吉は半島絡みの人間が必要以上にディスるので、良い面が語られないことも多い。
立花宗茂が大河ドラマの主人公にならないのも同じ理由かな? >>746
三行以上の文章が読めねーのは
お前の知能の所為だよw
馬鹿はツイートでもしとけ 秀吉が残虐かどうかはともかく、「俺は信長公ほどは甘くないぞ」と書状で言ってたらしいな。
信長はなんだかんだで、刃向かったやつでもけっこう赦してるからね。 当時(ひょっとしたら今でも)の欧米人はアジア人とか黄色い猿の変種くらいにしか思ってないやろ >>839
たしか、自分より歳下の叔母様だっけね…。
あのお方もお気の毒。
信長が方々で戦端を開いていたから、信長からの援軍が来て欲しい時に来てもらえなかった。
家臣達を守るための敵方武将との結婚でもあっただろうにね。 >>1
このネタをあの東洋経済で書くのは辛そうやな 天下統一をしたのは秀吉ただ一人だからなあ
信長はもたもたしてる間に暗殺されるし
家康は秀吉の後継者争いに勝っただけ
実際にすごいのは秀吉だよ >>874
G7考えたら分かるだろ
もっともこれを国連形式にして良い事があるかは微妙だけど >>837
えっと。
家康が光秀を焚きつけた可能性があるということ? その奴隷たちはどうなった?山田長政の日本人町は殲滅したと聞くが >>840
長大なパイクで武装したスイスの軽装歩兵大隊だな
ナンシーの戦いで「ワレこそは」なブルゴーニュの豪胆公を
完膚なきまで打ち負かした しかし
農民から出世した豊臣秀吉
秋田の豪農出世の菅義偉
月とスッポンだわな 人身売買(悪魔崇拝の生贄)
てつはう売り込み
イエズス会
基地外 西洋人は十字軍でイスラム教徒も大虐殺してるんだよ
血の臭いが大好きなヨーロッパ人
ドラキュラ伝説生まれる訳だよ >>868
歴史的に半島は西側から何度も侵略され踏んだり蹴ったりなのに何故か日本にばかり因縁付けてくるんですよねぇ… >>851
では何で恐れるの?
金があるから武器持てるんだよ?
当時は寺が座から税金のように金あつめてたの
何で信長が楽市楽座をやろうとしたのか考えようね >>543
神風w
鎌倉武士が巧みなゲリラ戦法で蹴散らし
船に逃げ帰って潜んでたヘタレ蒙古に
台風が来て沈んだんだよ
称えるべきは鎌倉武士団 >>833
> 同じような報告を幕末の英仏がやってる。
へー。そうなんだ。
そういう書簡が残ってるの? >>891
そやって気にするヤツや、同調するヤツが居るからな
無視して、法的に不都合あれば叩けばいいだけなのに 秀吉は好かれてるが、家康は嫌われてる
今の大阪と東京 >>872
うるせー
5ちゃんで長文は即刻死刑だ! キリシタン大名ね 大名が簡単にキリスト教に改宗しちゃうんだからね 怖いね
キリシタン大名が増えればそりゃ日本もやられちゃうわな
今も昔も日本人としての自覚を持ってないと利用されちゃうということだよ
多様性とか言ってる馬鹿とかね 当時の日本は民主国家じゃないんだから国民を守るために権力者が外国と争うわけじゃない
秀吉は秀吉の利益のためにやっただけだ 秀吉はボケと色キチガイが有名だけど
日本への改革と功績は大きい >>846
違うと思う。
秀吉の大河ドラマ作るには朝鮮出兵を避けて通れないから、ここ2、30年は軽んじられてるんじゃないのかな。
在日の力が強くなったから。 >>781
なんか勘違いしてるようだけど当時のキリスト教のやり口はそういうのではない
コンゴ王国の潰れ方をwikiでもなんでもいいから読めば分かる >>827
ああいうの見たことによって、その後の人生観が
全く違ったものになったような気がするなあ。
25年以上前の話。
直接白人を悪くは言わないけど、
ちょっとひどいなあ、結局武器売ってるお前ら白人が原因じゃんって
すぐわかる番組構成だった。 >>899
多様性は大事だし受け入れられない奴は敗北あるのみだ
LGBTを否定してる自民党は30年経済が止まったままだろ >>895
そのあたりは『幕末日本と対外戦争の危機』という本に詳しいが、
下関戦争や薩英戦争時点で日本占領のシミュレーションを英仏軍がやって、
無理という結論を出してる。 秀吉は子供がいなかったのが致命的だったな
数百人とやってできないんだから種なしだろう
若いころ一人できたという話があるから、戦いの傷か病気で種なしになったんだろう
秀頼を秀吉の子供と考えている人はいないし >>890
ドラキュラはルーマニアの彼の方がモデルだったよね
日本女子大生のあれは戦慄した
ヨーロッパやばいわ >>903
大返し以降の秀吉には忠義とかそういうのないし
一族惨殺するし
唐入りもいい事なく撤退だし
何も楽しそうな話ないじゃん 秀吉の失敗は子孫のために家系図を入手しなかったこと
家康は家系図を手に入れるのに必死だったのに >>900
秀吉でも誰でもおのれの利益だけではなく日本を意識してたのに決まってるだろ 馬鹿かお前
なぜなら天皇が存在してたからだ 秀吉もトップではないと認識してた
だから征夷大将軍の位を欲しがったが出自がハッキリしてたので関白しか貰えなかった >>913
秀次でまとまりかけてたのをちゃぶ台返しにしたのがどうしようもねーわ
あれで家康が動きやすくなった 秀吉の狂気である秀次事件は一族滅殺した大量虐殺事件 アメリカに無謀な戦争をふっかけて無様に負けて実質アメリカの奴隷のジャップが白人様を悪く言う資格はないよ >>894
鎌倉武士の圧勝だったからな
九州の御家人だけで勝っちまった >>908
その白人社会を強く恨んでいて
世界を変えたいと行動する白人もたくさんいるから
白人全てを否定するのは間違いなんだよ
ユダヤ教徒がイスラエルでパレスチナを虐待してるからといって
全てのユダヤ教徒がそうではないということでもあるね
今イスラエルのネタニヤフは退陣に追い込まれてるだろう >>910
本の名前教えてくれてありがとう。
すぐに読めるかどうかはわからないけど、メモしとくね。 >>110
★【最近朝鮮事情 〜朝鮮の人々】 明治39年(1906年)5月25日発行
著者: 荒川五郎 衆議院議員
【国立国会図書館、近代デジタルライブラリー】
*朝鮮人は一体に男子は顔が長くて、気の長いのを表している。
しかし女の顔は短いのが多いようだ。
口元や顔の按排式は何処と無く無頓着のたちが見えて、
実に衛生だの病気だの無頓着千万、
そこになると悪く言うようだが人間よりか
獣に近いと言ってもよいようである。
*道を歩くにもノソリノソリ牛が歩むように、又わけもなく
道ばたの名も知れぬ草の芽など取って食っている。
大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、
あちらに行け邪魔になると追いまくられても
ブラリブラリ愚図ついている有様などは、牛に近いと言ってよい。
*朝鮮人の不潔と来たら随分ヒドイ。
てんで清潔とか衛生とかいう考えは無いから、如何に不潔な家でも、
如何に不潔な所でも一向に平気で、濁った水でも構わないどころか、
小便や大便の汁が交じっていても、更に頓着せずにこれを飲む。
実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。
*更に驚くべく信じがたい程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、
気目がよくなると言うている。
又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効だと言ってこれを用い、
又強壮剤だと言って無病のものでも飲んでいる。
いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、
大便を食べさすというとも聞いている。
何と驚かしいことでは無いか。
*塵やゴミがばらけてようが、物が腐って臭かろうが、
食い物には蠅がたかって汚しても、 更に何とも思わないで、
年中風呂に入るの、湯を使うのいうことは無い。
*小便壺は大抵室の中に置いてあって、大人でも子供でも、
客の前であろうが、誰が居ても構わず ジャアジャアと小便する。
又その小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む。
彼らは久しい慣習で、別に何とも思わぬらしいが、
日本人の眼から見れば如何にも見苦しい、たまったもので無い。
*夏など穴のような家の中はもちろん蒸し暑いものであるから、
たいていは家の外に露宿をする、 その頭元には糞や小便が流れており、
悪臭はふんぷんとして鼻をつく程でも、朝鮮人には感じが無いらしい。
【国立国会図書館、近代デジタルライブラリー】 >>899
だが、日本の治安が最もあれた戦国時代でも、
敗戦で事実上、国家が解体された終戦直後でも、
結局、キリスト教は日本に根付かなかった。
理由はキリスト教を知るとよくわかる。
俺は子供の頃、カトリック教会によく行く機会があった。
割と親しい同級生のツテで。
はっきり行って、良いイメージはない。
悪いというほどではないが、
少なくとも日本人には合っていない。
日本史で言えば、後醍醐天皇的な存在にしかならない。
結果的に消えていくと思う。
それが時代の趨勢でもあるし。 >>897
家康は盗人だからな好かれる要素がない
秀吉は織田家実質乗っ取ったけど織田家を滅ぼしてない >>879
この時代に奴隷制を禁止したり、身分移動があるのがすごい。
その癖、天皇は最高権威としてきっちり奉ってるのも面白い。
秀吉も百姓あがりを隠しもしない実力主義者だし、アジアを侵略してるキリスト教国をぶん殴る気になってる。
時代を考えれば、相当ぶっ飛んでるオッさん。
朝鮮なんか弱い土人部族なんだから大人しく通路になっとけば良いのに逆らうとか意味わからん。
ハナクソにしか見えん笑笑 占領しようとやって来たけど、
刀持った連中がウロウロしてるんじゃ
そら諦めますわw >>921
家康の運の良さは異常だよね
今川傘下→当主死亡して独立
織田傘下→当主死亡して甲斐信濃侵攻
豊臣配下→当主死亡して乗っ取り
常に当時最大勢力の下について、死ぬと牙を向く 秀吉なんて生きてる最中に大した裏切りにもあってないのに、秀次をあんなふうにしちゃって。
信長なんか見ろよ。弟に二度も裏切られ、義理の弟にも裏切られ、荒木村重にも裏切られて、最後は光秀も裏切られた。
しかも、光秀を除いて一度はみんな許すとまで言ってる。裏切られ人生だぞ。 だからお前ら、保守界隈の妄想レベルの話をよくそこまで信じ込めるなw
史学的には秀吉の動機なんてなんら証明された話じゃないのにw 言われてみれば外国のほうが銀製品が多い気がするな
日本は騙されて取られてしまったのか >>1
な、言ったろ。
上智大、ICU、
それと 明治学院大、とか
ろくな
OBがいない。
WWW
日本に キリスト教なんて
不要だよ。
まして
イスラム、なんてなんの冗談だよ。
もろろん
朝鮮カルト宗教創価公明、
統一教会も
日本から叩き出すべき。 まあ、他のルートじゃその後も日本人奴隷は売られてましたがね >>934
っていうか、信者が迫害を受けている被害者という前提。
あの宗教は、色々と問題があるが、
そういうカルト的な部分が非常に色濃く出ている。
迫害を受けているというのはおかしく思うかもしれないが、
彼らの崇めている「キリスト像」は、
まさに迫害の象徴。
十字架に手のひらを杭で打ち付けられ、
頭には茨の冠を被せられ、血が滴り落ちている。
これが彼らの象徴。 >>1
な、言ったろ。
上智大、ICU、
それと 明治学院大、とか
ろくな
OBがいない。
WWW
日本に キリスト教なんて
不要だよ。
まして
イスラム、なんてなんの冗談だよ。
もろろん
朝鮮カルト宗教創価公明、
統一教会も
日本から叩き出すべき。
WWW 白人キリスト教徒の本音の奥底は「非白人はゴイム」だしね
最近もヨーロッパのバレーボール選手がやらかしてたじゃん >>939
信長って苛烈だの残酷だの言ってるけど歴史調べると他の人に比べるとゆるいよなw
まー後世の人の脚色でイメージできちゃったんだろうなってのがよくわかる フランシスコ・ザビエルは奴隷商人と同じだからな
今だと竹中のような奴 >>873
太閤さん自身が信長公に抗命して謹慎喰らった経歴有ったような。
留守中に享楽した女房衆を斬ったり、真言立川流を称するエロ坊主を晒し殺す程度に凶暴苛烈な印象もある。 日本にも黒人奴隷がいたはず!って黒人団体が血眼になって調べてるらしいな 大友宗麟は伊東氏の旧家臣を利用し、島津に対して圧倒的優勢だったのにトチ狂って一気に決めず神社仏閣の破壊なんて無意味な事してたから体制を立て直されて耳川の戦いで大敗した
デウスはマジで疫病神 >>939
残酷なようにみえておね様の愚痴にもまあまあ、そなたほどの賢妻を置いて浮気はだめだよねーみたいな手紙書くような人だしね
残酷そうに見せて気遣いできる人だったんじゃないかな
やしきたかじんみたいな
実際会ったらめちゃくちゃ優しいらしいよ >>927
やっぱりクロンボは、
あんな凄惨な虐殺しまっくって野蛮だ。
ヤバい、ヤバすぎる。
みたいな空気になっていることには、
眉をひそめざるを得ないな。
多分その空気は、このままずっと変わらないと思うよ。 >>938
秀次は殺人鬼だったんだろ
むしろ許しちゃ駄目な人物 >>914
串刺し公ヴラド・ツェペシュな
ルーマニアはロマがたくさん住んでるからな
ヨーロッパで嫌われてる
日本人がEUの都市に来ると、ほぼ必ずロマの娘たちが
アンケートしにくるけどあれはスリが目的だからな
それを見たフランスの女性があんたたち止めなさいよって抗議して
ロマの娘があっちいけよってやり返してるの見たし >>953
黒人の侍だって嬉ションしてるのは知ってるぞw >>1
5万人も騙されて連れていかれてたら秀吉もさすがに
イスパニア人をヤルよ。
多くは東南アジア経路に沿った日本人街に出ていたのが真実だろ。
徳川江戸幕府の出島制度までは
日本はインドシナ地域までは南蛮貿易で結構活発に動いていたんだよ。
堺に来る貿易船は博多から瀬戸内経由ルートや
マカオからの経由で琉球とか太平洋回りで南蛮貿易していただけでなく
日本からも渡航は倭寇海賊がらみであったんだよ。 今は学校でキリシタン大名の奴隷貿易を教えてないんだね
歴史の整合性や流れがつかめなくなると思うけど、学生は疑問に思わないのかな? >>941
ポトシ銀山が見つかったからね
この時代は発見したばっかりで、本格的な採掘は江戸時代に入ってからだけれども 昔の教科書には、秀吉はキリスト教を弾圧した悪人としか書いてなかったな。 >>227
確かに応仁の乱もなく室町幕府がもう少し安定して続いてたら・・と想像してみるだけでもゾッとさせられるね((((;゚Д゚)))) >>927
今の欧米のポリコレや移民大量受け入れはそれはそれで極端でおかしいと思うけどな。 >>946
キリシタン共は寺社仏閣を焼き討ちして回ってるし、宣教師も貧しい信者を奴隷にして外国に売り飛ばしてるからな
そりゃ怒るわ でも何をさせてたんだろう?
農業とか、家政婦みたいな仕事を現地でやらせてたの? >>941
日本は金が豊富だったので、銀との相対価格で金が安かったんだよ。
そこで明治に金が解禁されると、外国からどんどん銀を持ってきて金と替えて外国に持ち出した。
黄金の国ジパングの伝説は大げさだが、一部真実だった。 >>970
若い女を性奴隷として売ったに決まってんだろ。 大友宗麟の寺社仏閣の破壊とか
伊達政宗とか
あ、政宗は独眼中正宗で一気に美化されたなw 当時の奴隷の子孫の話とか聞かないあたり全滅に近い状態だったんだろうな >>970
天正遣欧少年使節でヨーロッパに行った時に
鎖に繋がれ半裸で道に寝ている東洋人がいたらしい ポルトガルに攻め込んで植民地にして
現地の女は性奴隷にしとくべきやったな >>976
江戸の庶民に唯一公を付けられず呼び捨てで呼ばれ、まるでUMAかのように親しまれた政宗 >>970
東南アジアでの労働力よ
まあ、さらわれて不本意に連れていかれたのと出稼ぎとほとんど変わらんのと両方いたみたいだが >>972
佐渡金発見までは銀がベースで金はそれほど無かったというか
輸出対象じゃなかった。
だから堺は銀中心経済だったはず。 >>981
ポルトガルまで鉄甲船引き連れていけたら、なw 織田信長「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」 >>989
秀吉が明の征服に成功していたら可能性はあったよ >>36
平成天皇母君はキリシタン大名出身だね。美智子さまもキリスト。つながってるわ。怖い怖い 長文になるかもな。当時の日本人にオランダ人並みの根性・能力なんてねえよ
オランダ人とフランドル人(フリジア人・フランク人・サクソン人の混血)
まず精神面
9世紀から反骨と自治・自由を追求。
フリジアとドレンテは敵将を何度も討ち取り、フランドルは金拍車の戦いでフランス軍に大勝
ブルッヘとヘントは反乱の常習犯
技術面・民主主義
干拓と運河掘削のために「委員会」を設置。土木技術者が尊重され民主的討議で国土を開拓
海上貿易に伴い、保険・金融・投資・航海術が発展
80年戦争に伴い、築城土木・軍事技術(カウンターマーチ等)が発展
要は、土木技術や保険数理で立国したテクノロジー国家
体育会系が文弱した武士政権(早い話が私立文系国家)と比較するのは失礼だろう >>987
あいつらが新大陸や中南米でやった事は人間の所業ではない
やつらこそ獣であり悪魔だよ 秀吉はボケてからがなぁ
創建であと5年長生きしてたら東京はないよね このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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