【歴史】天下分け目の天王山!「山崎の戦い」の後、明智光秀の家臣はどうした? 「一族郎党残らず亡命」「別れを告げ方々へ落ち行く」 [樽悶★]
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中央の山付近に「佐武ケ嶽城」があったという(京都府舞鶴市)
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嶽さんが所有する文書の写し。「一族郎党残らず亡命」「別れを告げ方々へ落ち行く」などと書かれている
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京田という地名は現在も残る(京都府舞鶴市)
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6月13日は、明智光秀と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が争った「山崎の戦い」があった日です。戦場になった「天王山」は、今も重要な勝負の分かれ目を表す言葉として使われますよね。そんな歴史的な日が近づいていたある日、知人の男性から「先祖が明智光秀の家臣で、山崎の戦いの後にどう逃げたかを書いた文書の写しがあります」という電話がかかってきました。文書を見せてもらうと、そこには戦に敗れた武士たちがどのような末路をたどったかが生々しい筆致で書かれていました。439年前の決戦と家臣のその後をたどってみましょう。
文書の持ち主は、整体師の嶽健次郎さん(48)=京都市右京区です。見せてもらった文書の写しによると、嶽さんの先祖はもともと「三上」という姓で滋賀県にいたとのこと。室町時代に現在の京都府舞鶴市に移り、「佐武ケ嶽城」という城を拠点にし、やがて明智光秀に従ったそうです。
天正10(1582)年、本能寺の変を起こした光秀は、豊臣秀吉と天下分け目の「山崎の戦い」に臨みます。光秀の家臣だったご先祖さまももちろん従軍。しかし、光秀軍はあえなく敗戦しました。
文書の写しには、その後の結末がしっかり書かれています。「(明智軍は)主従残らず山崎の陣中に倒れた」と記しています。さらに「一族郎党残らず亡命」「主従それぞれ別れを告げ方々へ落ち行く」とあります。どうやら光秀の家臣の大半は討たれ、残された一族や家臣もちりぢりばらばらに逃亡を余儀なくされたということのようです。落ち武者の悲哀が伝わってきます。
当時の当主で光秀の家臣だった三上信貞には3人の息子がおり、3人はそれぞれ舞鶴まで帰り着いたようです。しかし、もう武士の身分にはとどまれなかったようで、舞鶴市の西舞鶴地域の各地に分かれて住みました。長男は舞鶴市京田地域に住み、かつての城の名から1字を取り姓を「嶽」と改め、農家になったと書かれていました。
その子孫の一人が、今回連絡をくれた嶽さんというわけです。嶽さんは「先祖が住んだといわれる京田という場所は西舞鶴地域の中心部で、その後に細川藤孝(幽斎)が築いた田辺城に近い。藤孝との関係やどういう風に暮らしたかなど、子孫としてはまだまだ興味は尽きません」と話しています。
山崎の戦いと言えば、敗れた光秀が逃げる最中に命を落とすという劇的な結末が知られています。しかし、光秀だけでなくその家臣たち一人一人にも激動のドラマがあったようです。(まいどなニュース/京都新聞・浅井 佳穂)
6/11(金) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210611-11296135-maidonans-life 坂本龍馬の家紋は桔梗 明智光秀の家紋も桔梗 明智光秀の居城は近江坂本城
坂本龍馬は本能寺の変後、土佐に逃げた明智光秀の家臣の末裔 ニュー速の戦国関連スレは
めちゃくちゃ伸びる。
みんな戦国が大好きなんだよな。
俺はそんなお前らが愛おしい。 >>1
日本には昔から「落武者狩り」の風習があったので好きな所に逃げるのはほぼムリ 麒麟がくるの山崎の戦いから光秀の最後まで別枠でやってほしいわ
あの新選組ごときでも出来たんだから出来るだろ 大原麗子主演の「春日局」の方が事細かに描かれているな というか当時は農民、商人、僧侶になれば戦死扱いで見逃された
生きてれば討伐することになり戦になりかねずまた既に死亡を宣告した武将の面子が潰れるからである
実は斎藤義龍の子の龍興も織田軍に討たれたことになってるが富山で平穏無事に農民として暮らしている
つまり光秀の生存は確実で但し僧侶ではなく商人として暮したのだろうね >>7
始終常に変だったし、ファンタジーと気持ち悪い愛憎だけの時代劇風お遊戯会だった 秀吉、戻るの速すぎ。光秀、弱すぎ。
本能寺からして、何もかもおかしい。
歴史学者が不甲斐なさすぎ。 細川の蝙蝠具合と
筒井の日和見具合が1番のポイント 信長の首が見つからないのがまずかった。
光秀に付いた後、もし、信長が生きて
後から出てきたら、信長に殺されちまう。 敗残兵は勝竜寺城にも入らず、散り散りに逃げたんかな >>1
こんな現代人が読めるような文章かいてたの? >>13
他の武士はそうでも、光秀はさすがに見逃さないんじゃないか? >>10
今のドラマって
解釈としてドーンと出すけど
スタイリッシュに見せるだけで
描写ややり取りは情報量がなくて間延びしている >>5
自民党とか菅とか竹中関連も伸びるぞ
ほとんど同じ様なレスばかりだが 妻木広忠 自害。子の貞徳は、関が原で東軍について旗本7,500石
溝尾茂朝 自害
藤田行政 自害
安田国継 浪人。羽柴秀勝、羽柴秀長、蒲生氏郷、立花宗茂に仕え、旧友の寺沢広高に拾われる
伊勢貞興 戦死。兄の子の貞衡が旗本
阿閉貞征 処刑。一族誅滅
猪飼昇貞 戦死。子の秀貞は、裏切って斎藤利三を捕縛。旗本490石
木村吉清 秀吉に取り立てられて大名になるも、悪政で失脚。氏郷の客将となり、蒲生家移封後、独立大名1万5千石。「福島県」の命名者
松田政近 戦死。子は帰農
山崎長徳 柴田勝家を経て、前田家に仕える。関が原での功績で1万4千石 明智家重臣筆頭の斉藤内蔵助の娘お福は、公家の三条西家にかくまわれた >>11
ジャップより挑戦人呼びの方が日本人には効くよ 二条で無駄死にした信忠
四国遠征軍瓦解で右往左往の信孝
安土城放火魔の信雄
ガキでしかない三法師 最近の大河は変なオリジナルキャラ出すのがコケてる原因だと思う 筒井順慶と長岡幽斎が万が一味方になったら、天下を競うに値する兵団になったかもな 並河易家 戦死か病死。子の宗為は、清正に仕え家老職
四王天政孝 戦死。弟の政実は、青木秀以、結城秀康に仕える
柴田勝定 堀家に仕え、1万3千石となるが、内紛で浪人 >>4
そもそも坂本龍馬は実はたいした活躍はなかったとして、近年の歴史の教科書からは名前が消えてる 明智光秀の軍勢13,000。
石高換算で約40万石ぶん。
信長の総石高750万石以上。
主家殺しの汚名を抱えて
生き延びるにはキツ過ぎる。 自称光秀の子孫とかいうアホが書いたトンデモ本ってネタにもならなかったな >>38
一応つっこんでおくけど天海な
こっちのスレもよろしく↓
岐阜新聞】徳川家康が関ケ原合戦への決意を示した書状を古戦場記念館で公開 上杉勢への警戒も指示
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1623291996/l50 >>37
あれだけエピソードがあるのにたいしたことないとは
司馬憎しが行き過ぎ まあしかし、秀吉の九州おお返しってよくよく考えると対してすごくないよなぁ。
北畠顕家だって20日くらいで奥州から畿内まできているし、案外普通にできんじゃないの >>34
オリジナルキャラ出してグダグタにするのは最近の話ではなくて、昔からのお約束だぞ >>17
歴史の真実が重要視されるようになったのなんて戦後だしね。
歴史学者が不甲斐ないのも仕方ないところがある 明智って義昭の家臣だったから、
考えようによっては義昭の仇を討ったといえるのでは もし秀吉を返り討ちにしてたら、歴史はどうなってたかな 光秀の生存が確実であるのは側近の斎藤利三の動き、秀吉の切迫した状況を見れば小学生でも分かる
何故大河でこの論証が無いのか不思議なぐらいである
6月13日、敗戦11日後に落ち延びる途中負傷し側近に介錯され自害し隠されたたとされる光秀の首は
早速農民から織田方に引き渡されるが
6月17日斎藤利三が捕縛され確かに光秀の首と請け合って利三は6月18日磔刑となり
6月23日光秀の首と利三の遺骸は晒し物となる
一方柴田勝家は6月10日には光秀討伐に軍を上げ6月18日には近江に到達するがこのとき既に光秀は討たれ利三も死刑となっていたていた
つまり秀吉から見ると勝家軍が南下すり6月11日から6月17日の間には絶対に光秀の首を取らねば織田家の主導権争いで勝家に勝つことは難しかった
このギリギリのタイミングで
光秀が自害し、隠された首が見つかり、更に最側近の利三が生きて捕縛され、利三が光秀の首と請け合う
という4重の好運が起きたことになる
当然そんな僥倖はあり得ず
勝家南下に追い詰められる秀吉の心理を読んで利三が身を呈して光秀を逃したのである
利三と秀吉の間で阿吽の呼吸の密約が捕縛前にあったのも当然だろう
こうして公然の秘密だが、
最側近の利三が請合う以上勝家も反論できず、しかも利三は勝家到着直前に覚悟の上で死刑となったから詰問もできない
要するに光秀の読みが秀吉と勝家を手玉に取り無事わが身を隠したのである >>44
距離日数の問題だけじゃなくて毛利家と交戦中の状態
普通に考えたらすぐ和睦はまとまらない
それも込みだから電光石火ともいえる
当然毛利も秀吉に恩を売った方がよいという計算ずく 光秀は実力者でもないのにバカなことを
し腐って 史上最低の愚か者だ 勝家や池田、丹羽などもいるし
家康も仇討ちの軍勢を整えていたという。
信孝や信雄という御輿もいるわけだし
秀吉を返り討ちにしたところで
厳しかったのではないか。 >>50
勝家あたりが織田家中まとめて新当主たてたんじゃないかなぁ
流石に光秀単体じゃ織田家に勝てないでしょう >>15
弥助が信長の首をもっていって
デスマスクをつくったとか伝説があったよな >>50
光秀に秀吉家康のように天下統一をする力量があったかどうか?
もしかしたら群雄割拠の時代が長く続いてイタリアみたいに統一国家ができるのが遅れたかもしれない。 >>54
朝廷工作をしていたから
織田家臣団に対して朝敵、討伐令の綸旨を出してもらえば
北条や毛利や上杉や長曾我部や島津や伊達が
一斉に外側から襲い掛かって織田家臣団崩壊という
逆転劇を狙っていたんじゃないかな?
その猶予が秀吉の中国大返しでオジャンにされたんだと思っている >>53
まあ、でもそういうひとやろ
実力ではなく、家柄マンセー=足利将軍派なんやないのー
その末裔もそういう傾向なんかもね >>51
日光に残ってる桔梗の紋とかは?家康の庇護受けてたか相談役になってたってことはないかな? >>52
いっても、北畠だって奥州の足利方と交戦状態だけど上洛してきたよ >>60
でも秀吉以上の速度で織田家中駆け上がっていった人物が実力が無いってことは無いと思うけどね そもそも臣下多数が無事に逃げ延びてる状況で、光秀が逃げ延びられず、利三もうかうかと捕縛される
このような珍説を信じる人間はどこにも居ない
天下人になる秀吉から見ても絶対にあってはならぬ取り逃がしだから再度の詮議すらない
光秀の生存は間違いなく事実である
そもそもこの頃の武将は似たように落延びた者が多い
戦国の世では敗者が死んだと本人が認め別人になればそれでカタがついたのである 天海は、光秀縁の人物であろうことは言えるけど、
光秀ニダとか言うのは電波 「一族郎党残らず命亡く」じゃなくて「亡命した」なの?
詳しい人教えて。 >>65
言われてみればそうだな
wikiにも
>顕家の軍勢はこのとき、1日に平均40km弱も移動して600kmに及ぶ長距離を僅か半月で駆けており、その後も渡渉などが続く中1日30kmのペースを維持している。これは後の羽柴秀吉の中国大返しを遥かに越える日本屈指の強行軍である。
書いてあったわ
戦略として秀吉が誇大に宣伝した面もあるんだろね、こんなに速く帰ってきたぞーって
光秀は焦るしどっちに付くか迷ってる連中への牽制にもなる >>44
太平記は三国志演義と同じファンタジーや
史実じゃない 光秀も信長が天下をとったらポイ捨てされると思ってやっちゃったんだろうな >>73
太平記には50万の軍勢とか出てくるよな(笑) 佐久間をポイ捨てさせようと讒言したが、ばれて折檻された 長宗我部の家臣になって江戸期以降は土佐藩下士
幕末に土佐勤王党やら龍馬やらになって活躍 武田信玄の家臣も採用してたのが家康
日本はシナチョンのように皆殺しはしてない >>13
まんが日本昔話に斉藤義龍の何代か後の子孫と思われる
元武将の人のはなしが有ったわw >>77
光秀が本能寺の変を起こしたのも
自分が外交交渉やった長曾我部を信長が攻めることを決めたので
光秀は四国全土を安堵した長曾我部に顔向けできなくなったからって説あるからな
それが真実だったら長曾我部は光秀に大きな借りがあるもんな まあ信長も既に49歳だったから、変の有無に関わらず、歴史は大して変わらなかったような気もする 令和の司馬史感を持ってる俺が教えてやる
山奥入って農民になっただけだよ >>43
坂本龍馬はエピソードの多くが明治時代に作られたものだという話しもあるね 毛利、長宗我部、上杉は光秀様々だっただろう。
あのまま交戦していたら
滅亡か不利な講和(従属)を飲まされていた。 地元じゃひっそりと光秀の供養を毎年してたよ
名前を変えた臣下や女中?のような仲働きをしていた人たちの子孫が集まってた
地名も変えていたけど、少し前に戻した
城址はも二十年くらい前は酷いもんだった
卒塔婆がゴロゴロ転がってたし
城への道は倒木でふさがれていたりと
荒れ果ててたな 光秀もクーデターを成功させるし、畿内を速やかに平定しているので決して無能じゃないんだよね。光秀 vs 秀吉は神々の戦いだわ。 いつまでも手柄あげる自信がなく、そこへ林佐渡、佐久間父子の追放、荒木村重の一族処罰があって、次は自分かもしれないのだ、とノイローゼになってしまったとか 天王山付近に松田性が沢山居る。
あれって松田政近の繋がりで参戦させられた
土豪の松田一族の末裔なんだろうな。 >>86
京都〜安土間をかろうじて維持してただけで、近畿制圧なんて出来て無いぞ 秀吉の家臣になればラクできると思ったので
すぐ負けたのが実情だろ 三成や勝頼もやたら凡将扱いする人いるが、昭和史観で歴史の敗者が不当に低評価で
そのマイナス出発が最近見直されてきたイメージ
光秀が雑魚だったら織田家で一番の出世頭になんてならない
朝廷・将軍家との折衝を務める教養、謀略の才も民政の才もあり戦闘指揮官としても
優秀
そんな優秀な男が動機もわからず突如謀反を起こしてあっけなく敗れたからミステリーになってる >>28
阿閉は明智の家臣ではないでしょ
家臣なら主君に従っただけで族誅まではされない
(斎藤利三は首謀者なんで斬られたが子は赦されてる)
信長の直臣なのに謀叛人に従ったんだから族滅
でも同じような立場の武田は当主のみ処刑、京極は助かってるんだよな
元々秀吉と折り合い悪くて山崎でも主力やったからも大きいか
京極は当然尻の光のおかげ 秀吉と光秀はグルの可能性は無いのか?
そう考えると色々納得できる
秀吉も光秀も織田に愛想尽かしてたんじゃね?
織田は海外遠征とか無茶な野望も持ってたし 大河では京にも商人として出入りしてた説だったと思ったけど
さすがにそれは無理で
多分美濃の奥地で農民や商人として暮したのであろう
明智家は美濃の名家だし可児、土岐、恵那方面にゆかりがある
そのあたりの大名主や寺社に小作人としてかくまわれればまず見つからない
義龍の子の義興もこの隠れ方でゆかりのある富山の寺院の農民になっていた
この点、岐阜市に近い山県市に落延び説が有名だがちょっと市街地にちかすぎるような気がする
また比叡山説も有名だが、こちらは武家や公家の子息が修行にくるので非常に危険だと思われるね >>7
1年通して観てもなんの印象も残らないつまらんドラマだったな >>53
見方によっては天皇・公家を守った功労者となるんじゃね ちゃんと教育受けた貴重なエリートなので
相当な経緯あっても普通に他で雇われたりしてんだよ
秀吉の御伽衆とかね
滅亡した戦国武将の家名が全然違う地域の地名に残ったりする >>99
大河史上もっとも不運に見舞われた大河だったな
まず沢尻エリカがやらかして、帰蝶のでるシーンは最初から撮り直し
コロナの緊急事態宣言でドラマ撮影できずに
これまで撮影した分を再放送
たぶんこの遅れのせいで、だいぶ端折った内容に改変されたんだろう 秀吉の天下獲りに協力して
家康の庇護を受けて余生を出身地で
暮らしたじゃねーかな? 信長も、武士をやめる事を条件に光秀に見逃してもらってたりしてな。 光秀はものすごい忠義の臣だったから
信長公は生きておられると探し続けて
そこを秀吉にやられた
本能寺の変の中心人物は実は追い詰められてた
徳川家康が斎藤利三と明智秀満抱き込んでの逆転満塁ホームラン
危険な状態で逃げ帰ったなんてウソ八百で
帰ったときには余裕しゃくしゃくだったと伝わってるし
途中で穴山梅雪ぶっころして武田の遺産全部手に入れた >>94
秀吉に嵌められて罪を擦り付けられた説もあるからな。 秀吉と光秀、家康の共同謀反
他の織田方の武将騙して
光秀死亡デッチ上げで旨く終わらせた
約束通り秀吉の天下 >>111
同時代にそんな噂はまったく立っていない >>94
それ昔からの光秀のイメージそのまんまだぞ。
裏切り者とは言われたけど雑魚評価はされとらん >>114
噂が立ったらヤバいから
そこは旨く3人でなw 動機は何だったのか?
作家や研究家たちがそれはもういろんな説出してる
秀吉黒幕説、家康黒幕説、朝廷の扇動、義昭黒幕説、のっぶパワハラ怨恨説、野望説
四国説(重心利光の縁者が長宗我部元親に嫁いでる)
イエズス会説もあったっけ >>118
信長想いの光秀が、本能寺のシロアリを駆除するため火を使ったら、誤って炎上しちゃった、って言う説も追加しといて
敵は本能寺のアリ! イエズス会は怪しいけどメンバーが統率の取れた行動をしていないので真っ黒ではない 信長がずっと君臨してたら
戦乱の世は続き日本国内を
統一してもバテレンとの交流で知った
世界の国の制覇に乗り出してたんだよ
そんな無茶やられたら家来はたまったもの
じゃない
で有志が集まり信長を討つ計画を立てたw イエズス会は将来的に大友に毛利信長を倒させて天下を取らせるつもりでいたが大友が島津に大敗してしまって算段が狂った >>118
秀吉とか家康黒幕説はないと思うんだよね
そんな陰謀のために自分の家臣を大勢殺させるようなことしないだろ?
そうじゃなくて、最初は秀吉と戦うシナリオじゃなくて
秀吉に騙されたんだ。っていうのなら
光秀って、そこまでお人よしでバカじゃないだろ?と思うし
朝廷、義昭、怨恨、野望、四国説のどれかだと思うな ミッツの娘が嫁いだというだけで頃された織田信行の息子かわいそ 本能寺の時点で、海外出兵なんか考えられんだろ
秀吉に反対してのは茶坊主くらいしかいねえし
家来は、領土拡張のチャンスで大張り切りだったろ 一番ときめかないけど、四国説を推してるわ。
中間管理職の板挟みは現実的だしな。
でもそれだけでもなく、他にも思うところはあったんだとは思う。
どの史料にもない信長の言動に対してとかね。 信長は逆に唐入り断ったんじゃないの?
急速にキリシタンと仲悪くなったよな >>116
優秀よね、最後の詰めが甘かったのが不思議なほどに
>>119
では追加で…
new 敵は本能寺のアリ!説
>>124
秀吉も家康も変後すぐ窮地になってるからね(異論もあるが)
一番得をしたのは誰か?というミステリー的安直発想とも言える 怨恨でそんな博打には出ない
朝廷にそんな気概も力もない
義昭は神輿として担ぐ気だったろうが事前に謀議するようなヘマはしないはず
野心も四国説も動機の一員としては大きかったと思う
四国説にも通じるが最大の動機は光秀自身が身の危険を感じたからだと思う
この先織田家に明智家の居場所はないと判断した >>8
みんなに見捨てられ終われていくのは義経や新選組と同じくドラマチックなのにな。
一年も見てたらみんな明智ファンだから感情移入出来たのに、あの脚本家、光秀殺したくなかったとかよく言えるわ。太平記とか、たけし東条英機ドラマで好きだったのに >>132
あの人は血縁があるので筒井の日和見は創作だと主張しつづけた ポイントは家督の信忠だよ。
彼は脱出しようと思えば脱出できた。
つまり光秀に信忠に対しての策は
なかったと言っていい
天下簒奪が主目的だったり黒幕に秀吉や家康がいるのなら
信忠の抹殺はセットでしょう。 本当は天王山の戦いなんてなかった
天王山の戦いがあったことにして
明智軍はそのまま豊臣軍と合流した
っていうのなら、秀吉黒幕説もありだと思うけれどね
つまり信長のやり方を見ていて、秀吉も光秀も、これは使われるだけ使われて天下統一したら
最後はよくて九州の辺鄙な場所に飛ばされるだけだな、下手したら佐久間のように追放されて
浮浪者になるだけだわ、と将来を悲観して、二人は共謀して信長を殺した
秀吉が謀反人である光秀を破ったことにすれば、一気に織田家中の主導権を握れる
陰にまわっている光秀とその家臣たちも豊臣政権下で活躍できる
こんな壮大な計画があったとしたら、ビックリだな >>52
秀吉に恩を売る云々は結果論の後付け
毛利家は上原元将の裏切りの影響で秀吉を追撃している場合では無くなっていた
みんなその辺の毛利家内の事情を無視・軽視し過ぎだと思う 秀吉は中国大返しから賤ヶ岳辺りまでは神がかっていた。
野戦はそれほど強くはなかったのに。
明智光秀や柴田勝家の方が野戦は強かった。
実際小牧、長久手では家康に負けてるし。 >>118
本能寺の変の18日前の天正10年5月14日付で織田信孝が丹波国人に宛てた書状で
信孝は四国攻めのために丹波国人に対して動員命令を出すんだけど、
丹波は光秀の領国なのに、信孝が光秀の支配権を通り越して直接動員命令を下してる
このままだと自分も佐久間や林らと同じ運命を辿ると危機感を募らせて、あくまで場当たり的にやったと思うけどな 明智も松永も荒木も配下のキリシタンから信長がキリシタンに国を売るって騙されたんじゃないかな?
まずは配下のキリシタンを疑えよなw
何とかバイアスとかいう奴だな
ま、ここでも統一チョンが朝鮮人とキリスト教にきをつけろって言うけど
それはお前らじゃんとしか
けど結構騙されて安倍政権になったから
なぜか騙されるんだろうな
俺にはこれがよくわからないんだけど >>136
あいや!そこの御仁待たれよ
光秀は金柑頭と呼ばれてたらしいがハゲかどうかはわからぬのでござる
肖像画に残るは白面細おもてで涼やかな目元の男ぶり、頭は冠で隠れており申す 家臣団を充実させてたから
秀吉本人がいくさにんとして優れてたとは思わない 明智秀満が天海説もあるが、
坂本城で堀直政に包囲され自刃してるし
同じく最側近の利三も半ば自ら死刑になってるので、やはり武闘派の秀満は自害したのではないか
それに有名な文人で武人という秀満の派手さでは家康側近になればかなり目立ってしまう
この点、同じく最側近の溝尾茂朝(別名三沢)ならば、
明智陣営の事務仕切り方で、もともと家康の饗応役も務めている
また三沢氏出身だという三沢局は4代将軍の乳母に春日井局の推挙で抜擢されてる
状況証拠に過ぎないが溝尾茂朝ならば天海に一番相応しいような気がするね
なお溝尾は光秀の介錯をしたあとその場で自害とも坂本城で自害とも言われ死亡の経緯はよく分かっていない
この溝尾が別人になって徳川家康との連絡や美濃の奥地に落延びた光秀の世話をし、
光秀死後は天海となって家康の参謀になったのではないだろうか
比叡山や京や岐阜市周辺での光秀生存伝説というのもこの人ではないかという気がするね
もっとも溝尾天海説というのは今のところあまり無い様である 天王山ってあんまり映像化されないよな
古墳の上か何かでショボい戦だったらしいがw 山崎の戦い。
戊辰戦争の鳥羽伏見の戦い3日目だな。
津藩の藤堂が錦旗奉行の四条に説得されて、徳川軍から政府軍に寝返ったのが転機。
味方と思ってた津藩の陣地から突然砲弾が降り注いだから徳川軍は戦線崩壊をきたして大坂城に敗走したな。 光秀と秀吉じゃ戦の上手さが桁違い
そら瞬殺されるわ 山崎の戦いでは、会津見廻り組の佐々木只三郎が負傷し、それが基で戦死したな。
坂本龍馬暗殺のキーマンであり、もし生き残ってたら解明された話も多かったはず。 信長の息子は難癖付けて光秀と秀吉は殺すと思ってたのが
バレてた >>115
最近はこの説が有力だよな
信忠が耄碌してきた信長を排除したい(隠居という意味で殺すつもりなし)ので協力したが斎藤利三がやっちまった
困った末に信忠も口封じでぶっ殺し 坂本城に籠城するとか工夫が欲しいよな
わざわざ殺されたくて陣張ったのか >>153
でも丹波攻めでも秀吉軍に助けてもらっていたし
やっぱり黒田官兵衛がいる秀吉軍のほうが強いと思う 光秀5万、秀吉2万でも一緒で皆殺しにされると思う
光秀が
家康もそうだけど戦下手にもほどがある 裏で信長に退場して貰おうという謀議はあっただろうね
そうした話を詰めてる段階で光秀が先走ってしまったのかもしれない
黒田孝高の反応とかそんな感じがする
もうやっちゃったのは仕方ないのでこのチャンスを最大に活かしましょうと >>144
つまりその時点で丹波召し上げはほぼ確定だったと
光秀ほどの功臣に急に冷たくなったのはなんでなんだろ クロカンは政略家であると思う
戦の知恵なんてあるの?
秀吉の戦略と戦術でしか勝ってないやん >>156
どうだろ。それが事実なら信忠生きてたら安泰でしょ
逆に信忠殺したら詰みだし 大河ドラマ化決定
主人公はかつて明智光秀に仕えていた落ち武者が迫り来る忍びの追手から逃れながら農民になるまでを描く。
納屋に刀を隠し持ち、バレそうになったら返り討ちにしていく。という仕立てで願いしたい。 麒麟がなんとかって学芸会じゃ
やっぱりおんな忍者が羽柴軍をきりきり舞いに
片手100人斬りのw こんなんでも有栖川から淡路ヤメ湖で原理主義につながっていくやろ
そこが大阪の謎なんじゃねえの >>161
つーか、この時期の信長は、前任者の譜代の佐久間といい家臣の追放モードに入ってるから。
信長の甘い所は、それでも謀反してくるとは思ってないんだなあ。
あれほど多くの人間に裏切られまくった人間なのに。 >>150
厳密に言うと、山崎関門に陣を構えていた津藩兵は裏切っていない。
徳川方が勝手に山崎関門の津藩兵を味方だと思い込んでいただけのこと。
そもそも藤堂氏の津藩の首脳陣は、徳川慶喜と共に大坂城内に滞在中であって、
「裏切り」と言われる徳川軍への砲撃は、山崎関門の津藩兵の現地指揮官の判断。
津藩(藤堂)の「裏切り」ではなく、単なる現地指揮官の独自判断に過ぎない。 >>161
信長って、必要なときは大事にするが
もう天下も収まりかけてきたし
光秀の最大の功労は、義昭を信長に引き合わせて
将軍の名の元に大名に号令をかけて、いうことをきかなかった
朝倉義景のような大名を攻める大義名分を作れて、天下統一への道筋をつけてくれたことだったでしょ
でもその将軍も要らなくなって追放したのだから
信長にとって光秀はもう必要ない存在になっていたんだろう
それなのに京の近くに大きな領地をもっているのは目障りだから
飛ばしたかったんだろう 黒田も信孝もキリシタン寄りだったけど
信長に配慮してキリシタンを表には出さなかった
そのくらい信長のがキリシタンにはビジネスとしてしか付き合わない厳しい面がある >>157
篭城しても後詰が来る見込みはないし、柴田とかもやってくる
野戦で勝てば、一発逆転できる >>160
武漢ウィルス漏らした中国みたいなものか。 その瞬間本能寺まで行くだけでほぼ確実に信長が討てる状況だからな。その後がどうあれ、絶好の機会だからまあやる。天下まで視野に入れてたかは怪しい。細川筒井だけ引き込んで一定時間勢力を維持し、秀吉勝家家康、外部の毛利北条上杉もいるし、第2ラウンドは仕切り直しで何年か後と見てただろう。 天下分け目の天王山!
日本発の故事成語として中国でもそのまま
戦いの趨勢を決める「天王山之战」として使われてると知って驚いたな >>175
天皇が後ろ盾になってくれて
織田家臣団を朝敵として、全国の大名に
追討令の綸旨をだしてもらえると思っていたんだろうな
でも正親町天皇は大河の中のセリフ「ただ見守るだけぞ」
だったんだろうなw 信忠の自害はキリシタンへの当て付け入ってんじゃないかな?
信忠にキリシタンは近づいて籠絡しようとしてて
信忠も悪くはしてなかったけど
あくまでも信忠は信長を父として敬ってたわけだろう
あえてキリシタンの禁忌の自害してると >>161
召し上げ確定とまでは言い切れないけど、少なくとも光秀は自分が粛清されるかもしれんと危機感は持ったと思う
ただ本能寺の変の約一ヶ月前の信長の細川藤孝宛の書状見ると、
信長の中国出馬は来秋の予定だったけど、秀吉から小早川隆景を破ったと注進があり、
更に秀吉の報告次第では出馬が早まるかもしれないと述べてるんだけど、この書状の使者は光秀が務めているとこみると、信長自身は光秀の事を微塵も疑ってなくて、普段通り重用してたことが分かる
甲州征伐直後とは言えまあ信長は危機感無さ過ぎだわ 秀吉のやり方は好条件出して和議
和議ではしめしかつかないので戦ったふり >>172
昔から2ちゃんねるは栄光なき天才の落武者村 >>167
自信家ゆえかそういう人情の機微に疎かったのか妙に警戒心が無いんよね
信長自身もこの時期ちょっと精神的に参っててそこまで頭が回ってなかったりして
>>169
狡兎死して走狗煮らる、か
信長生きてたら秀吉もいつか用済みになってたかな 信長が勝頼滅亡で有頂天になりもはや不要になった光秀を左遷する気だったのは当然だろう
この点まだ北条攻めに使役されるであろう家康は首の皮一枚繋がっていたが
策士の家康ゆえ信長の本音に戦慄していたのは言うまでもない
旧武田軍を穴山に使わせれば常に家康の背後を突く形になるし、そもそも家康も不要と見て毒殺も冷酷な信長ならば十分有り得る
という訳で走狗煮られる立場となった光秀家康が手を組み、義昭も当然加担と思われる
広いスパイ網を持つ秀吉は当然知ってたが自分にも有利だし言い出せば猜疑心の強い信長に自分も疑われるから自殺行為でしかない
もっとも信長誅殺後の天下経営にはたしかにビジョンが無く追い詰められやむを得ずと言える
またイエズス会も当然知ってたと思われるが有頂天となった信長がフィリピン征伐とか言い出しかねないので
死んで欲しいと思うのも当然だろう
このような次第で裸の王様で信長誅殺は秒読みになっていた
誤算は秀吉が優秀すぎて天下を攫ったことであるが、家康も生き残れたので痛み分けという感じである
割を食った明智には斎藤利三と溝尾茂朝の子女を厚遇し特に春日局の子を将軍とし恩返ししている >>177
どちらにせよ、信長の最後の判断が光秀の計画のすべてをぶち壊したと言っても過言ではないよな。
信長の首を京にでも晒せればすべてが光秀に靡いていただろう。
ところが、信長が本能寺に火を放ったおかげで、信長の生死の確認が不確かなものになってしまったわけだ。
当時を生きた人間にとって信長が生きている可能性が1%でもあるって事は、相当判断を迷わせる材料になるからなwwwww
事実、秀吉が畿内の武将たちに送った書状には「信長様は生きている」とハッタリが書かれていたわけだ。
死の間際にもそういうことをやってのける織田信長という人物の凄さを思い知らされるね。 本願寺落として硝石利権総取りして有頂天になってんじゃ? >>177
朝廷を活用すれば西国だけでも織田旧臣vs毛利長宗我部プラス明智系で互角以上だからジワジワ抑えていき、家康と合意して組めれば、秀吉系と勝家系の足並みは乱れるし毛利上杉の牽制で秀吉勝家も苦しい。ゆっくりした展開なら明智の智謀と渉外戦術で優勢になりそう。 本能寺の防御面てどうだったの?
警戒心なかったとしてもドラマや小説みたいにほんとに僅かな供回りだけで宿営?
あと当時光秀謀反の噂が家臣や町民にのぼったりは?
余りに信長も無警戒だなぁ 秀吉が本気で潰したのは柴田勝家ら
羽柴秀吉は丹羽と柴田からとったらしい >>191
キレキレだよねwww
もう普通の人間の一生分の頭脳の回転数をあの中国大返しの間に使っただろうねw 運も良かった。
信長が毛利攻めの最前線まで来る道中に粗相がないよう、補給ルートに食料の備蓄をたんまり用意していたわけだ。
それが中国大返しという大撤退戦の際に最高に役立ったんだからな。
まあ、その運も秀吉の素早い判断があったからこそ有効に活用されたわけだが。
逆に言えば、光秀はそこまで計算ができなかった人物だということだよね。 なんだか違和感あるな。
この浅井という記者の知人は、なぜ今更こんな話をした?
歴史に関する記事を書いていることを知っていてなぜこのタイミングで?
そしてその知人の話が史実だという考証は?
うーん…という感じ。 >>189
無警戒つっても光秀が信長の家臣だからな。
何かあったら光秀の軍を呼べばいいぐらいに思ってたんじゃね
この時期に秀吉や光秀の方面軍を通さない信長の直轄軍てあったのか 光秀にすれば秀吉が電光石火の速さで京に戻って来るとは思ってなかったはず。 よくイエズス会黒幕説はただの妄想と言われるが
そもそもイエズス会は貿易にきてるのでは無くスペインポルトガル聯合王国の先兵
もっと言えばマニラのスペイン艦隊のいち貿易部門であるという基本を忘れている
つまり日本に欧州カトリックを上廻るような強大な無神論の軍事独裁者が居ては大変困るのである
もっとも当時のイエズス会及びスペインの力ではせいぜい九州の半分を制圧する程度で
信長殺しまで画策するような能力は無いが
はっきり言えば死んでほしいという勢力であるのは間違い無さそうだね >>4
これこないだGReeeeNのラジオで聴いた >>44
北畠顕家のは通過した東海道にはペンペン草も生えないほどの
略奪しながらの行軍だったけどなwww >>199
信長の野望でいうなら敵に隣接してない位置に君主一人おいてる状態 でも山崎は驚くくらい何も無いとこだぞ。現地行っても殆ど宣伝もしてねえ。 秀吉が早いのは略奪じゃなくて、金ばら撒いて供出させるやり方
恨みも買わない
賤ヶ岳の時も早かった
勝家は、秀吉が電光石火の速さで戻って来ると予想してたけど、間に合わないくらい早かった 所で江戸時代になると信長殺しを題材とする歌舞伎が上演されるが
ここでは光秀に非道な暴虐を加える暗君の愚人として信長を描くのが定番である
家康公の同盟者をぶち殺したはずの犯罪者光秀を悲劇のヒーローとするのは常識的に通常あり得ない
ちなみに怨恨説はすべて江戸時代の創作で、根拠が無いのに盛んに流布された
ここにも信長殺しを正当行為としたい幕府の本音が見えるのである 怨恨説は、近い時代の人たちの解釈だろう
江戸初期くらいまで、ものすごい単純な理由で反逆・出奔・刃傷・上意討ちなんかが起きてる >>6
現在でも落ち武者狩りは、あるよ。選挙後の選挙違反摘発は、落選者がほとんどだし、警察って戦国時代の百姓そのものw 日本人もある意味動乱の時代を望んでいるのかもしれんな >>205
だって激戦地が天王山トンネルになってしまってるしなぁ
天王山トンネル作る時には骨や錆びてぼろぼろになった刀とか色々出まくったよ
錆びてるから刀でも触ったらぼろぼろ崩れるレベル ちなみに秀吉はごく初期から野望説を側近に流布させたが
これはまったく不人気だし根拠となる事実自体もゼロだった
天下の太閤が言っても全く説得力が無いのだから同時代人は別の原因と思っていたのは間違いない
よく現代でも野望説の人が居るが
そもそも野望ならば勝頼滅亡で反信長勢力が総崩れで死んでる時にやる馬鹿は居ないのである
光秀は有名な連歌で苦悩を詠んだとも天下取りを言ったとも言われるが
そもそも当時の連歌は連歌師や豪商が書写して世間に即座に公表していたので
ここで叛心を書く馬鹿は居ないしもし書けばすぐ信長に知れる
ゆえに謀叛とは連歌は直接の関係は考えられない
以上から当時でも全くのナゾとされていた
しかし一般人が知らない重臣追放又は重臣殺害を信長が計画して居たらどうだろうか
それならば切羽詰まって主君を討つのは全く不自然ではない >>212
土民共の告発があって警察沙汰になるんだから、警察が能動的に現代の落ち武者狩りしてるわけじゃなく、土民共の落ち武者狩りを警察が肩代わりさせられてるだけ >>208
>>210
怨恨説というか折檻・パワハラ描写自体が講談の類いなんだっけ?
波多野の人質に出した母親が処刑とかもそうじゃない?作られたイメージ
そもそも信長と光秀、性格主義主張でめちゃくちゃ対立してたんだろうか
実は信長は朝廷を大事にしてた説もどこかで見たんだけど >>201
イエズス会説
あの時点でまだ信長はキリシタン最大の理解者
でも生き延びてたら秀吉家康同様どこかで方向転換はかったかもしれない
日本人奴隷貿易・武力による圧力と布教メリット天秤にかけて 細川藤孝の勢力圏にいればそんなに落武者狩りはされなかったんじゃないかなと勝手に推測 >>44
天候が悪く暴雨の中を進んでるからなかなか大変よ >>97
> 秀吉と光秀はグルの可能性は無いのか?
ない
共謀にしては光秀が貧乏くじすぎる >>195
光秀は運を感じたんじゃないかな?
僅かな兵を引き連れて信長父子の京都滞在
有力武将は軒並み遠方。信考+丹羽くらい
自分が軍勢動かしても不自然ではない >>186
魔王信長像を信じてる人は未だに多いから
信長は朝廷を滅ぼそうとしたぁーとか思ってる人もいるけど
実際は織田家は朝廷に援助してるし
朝廷も助かってる面が多々ある。有力なスポンサー織田家
天皇交代させてようとしたじゃんとか言う人いるけど
それこそ平成天皇と似た様な状況だった >>4
俺んちも桔梗の紋
結構拡散してる紋なんだよね >>7
オリキャラがかなり邪魔だったわ
オリキャラ以外の配役はすごく良かっただけにもったいない >>234
あの本真に受けてるヤツはもっとやばいな >>237
天下統一目前ではあるけど、まだ天下統一中ではあるんだよ
不本意ではあるけど足利幕府滅ぼしたから
権威として天皇家に寄り添ってる
邪魔に成ればとか現状だと妄想以外の何物でもない
魔王信長像って最近の研究だと否定されてるんだ
どちらかといえば保守側
当初は足利幕府も残そうとしてたし
朝廷にいたっては昔から勤皇の家柄 武田があっさり負けたせいであの2度とない配置になって魔が刺しただけだろ。 >>123
でも島津も家紋を十字にするくらいのキリシタン大名だからそっちに乗り換えればよかったのにね >>160
黒田官兵衛黒幕説だな
内情をすべて知る黒田を統一後は九州の島津の警戒に当たらせたのも
自分が信長にならないようにしたんだろ >>231
親父が熱心に朝廷へ支援してたのに、いくら信長でも親父に弓引くような事はしないよな。 >>52
元々毛利が秀吉と和睦したがっていたのを、秀吉が毛利は武力で潰せるからと和睦に応じなかったってのが大前提にある
変の2ヶ月前に秀吉が来島通総を調略して味方にしたことで、毛利水軍に混乱が生じ海上輸送に支障をきたした
この頃羽柴軍と対陣中の毛利家臣の書状にも兵糧・玉薬の欠乏が深刻だと記述がある
逆に秀吉は細川水軍を使って物資をどんどん運んでおり、本能寺の変後に秀吉が細川忠興に宛てた書状に明智領を加増する旨を伝えているが、
その際物資の輸送を滞りなくやってのけた細川家老の松井康之にも加増分の内三分の一を与えるようわざわざ申し送っている
史料で見る限りは秀吉に恩を売るために追撃しなかったんではなく、したくてもできなかったんだと思うよ >>4
よくある家紋が全て一つの家に繋がるわけじゃない >>17
弱くないよ。
秀吉が戻るのが1〜2ヶ月遅かったら周辺の豪族とかまとめて迎撃体制が整ってた。
秀吉が戻るのが早すぎて、根回ししてる途中だったから体制が整い切らずに破られた。
体制整ってたら秀吉もかなりやばかった。 >>5
そんなに日本史好きならなんで学生のときに勉強しなかったんだろな
底辺おじさんになってから歴史に興味持っても遅いだろ >>221
元々は中国攻略の尖兵として使おうと信長に擦り寄ったけど信長はそれを利用して火薬やら軍備増強して天下統一が見えたら切り捨てようとしてたらしいね。
イエズス会の言うこと聞かなくなって宣教師も苛立ってたようだし。
>>238
既存体制に乗っかって実権は自分にって考えだね。
ブランドを潰しても利がない。 >>244
資料をみる限りっても資料はそれだけなんか。
小競り合いも起こってないんだろ >>241
島津の家紋は十字架とは関係なくて、宣教師が来日した際に十字のマークを使ってる武将がいるのを知って(まさか自分達の前にキリスト教を伝えた者がいたのか!?)と思ってしまったそうな 元々、佐久間盛信が筆頭家老で、
信長の謀略部分を担当していたが、
家康暗殺の謀略の最中に、
高野山で病死してしまったので、
その役割が光秀に回って来たものの、
しくじって信長暗殺へシフトした。 光秀と家康が繋がってたんだろ
東照宮に桔梗の紋の瓦があると聞いたが
見ざる言わざる聞かざるだな 信長のみならず信忠を同時に消し去ったのはもの凄くでかいはずなのだが
その後のモタモタっぷりを見てると
光秀含め誰が企んだかはともかく計画的というより
条件があまりに揃っちゃって衝動的に兵を挙げたんだと思うがな
まあ言われてるほど優秀な軍団長じゃないなら色々計画してたがうまく行かなかっただけかもしれんが お前ら歴史の話になるとほんと学者レベルで詳しいな。どこでそんな知識を手に入れてんだよ。
明智光秀てのは信長を殺して京都を手に入れたんでしょ?新選組は京都で光秀と戦ったの?徳川家康と新選組が戦ったのは知ってるけど。 >>255
光秀の与力になっていた細川や筒井が自分についてくれると思っていたのに
ついてくれないから、そこでモタモタになってしまったんだろう
それもこれも信長が本当に死んだのか細川も筒井も確信が持てずに
光秀につけなかった
もしも大和が筒井じゃなくて、松永久秀が健在だったら
コロッと光秀の味方についていたんじゃないかな 江戸時代からいろんな黒幕説が捏造されまくっているけど
実際は長宗我部関係でメンツ潰されたところで絶好のチャンスが来たから発作的な犯行〜というところだろ 詳しい話は忘れたが
おわんの蓋を「開けち見ち閉で」 細川は動かなかったのじゃなくて、動けなかったのでは。
本当に信長が死んだのか、光秀がやったのか真偽を確かめないといけないわけだし。
その前に秀吉が来て成敗されたと
秀吉の情報網半端ないわ >>257
長州が作った陸軍から天皇を守ったのは徳川 >>264
動けなかったのは、背後の一色が光秀側についたから
翌日には剃髪して喪に服してるから情報自体はあったと >>207
美濃大返しは頭おかしいレベルの行軍速度だよな。
午後2時に出発して13里52kmを5時間で走破、そのまま飯食って佐久間盛政を夜襲し、余勢を駆って柴田勝家の本陣まで迫り撃破。
決戦に勝利してしまった訳だし。 >>261
船使ってないと思うぞ。
元々秀吉軍の行軍速度は常識外れに早い。
その後の賤ヶ岳や小牧長久手の戦いでも早さは相手にも警戒されていたが、
予想を上回る速度と規模で移動し戦局を数で圧倒している。
どちらも船は使えない所だ。
行軍の際には先触れを出し飯を用意させていたという話で、優秀な参謀部隊があって予め準備していたのだろう。 >>4
ついでに斎藤利三の妹は、長宗我部家へ嫁いでおり、
それ以前から美濃と土佐では守護代同士の縁があった >>249
史料がそれだけとは?
来島通総の離反や物資欠乏により追撃できないは十分理由になってると思うけど
そもそも追撃の意思が毛利にあったのかどうか
毛利の真意がどこにあったのかは史料にはない話だし
あとは本能寺の変の二日後の6月4日に秀吉は輝元・元春・隆景の三人宛に血判起請文を出していて、これが事実上の和睦になってる
正式な和睦となると国境線の取り決めや毛利領内の城の明け渡しなんかの調整があるからもっと後にはなるけど
内容は起請文によくあるもので、今後も三人を見放すことはないとか、いささかも疎略に扱わないといった内容
変後の小早川隆景の書状によると、毛利が得ていた畿内の情報はガセが多かったことが分かる
織田信孝が大坂で殺害されたとか、首謀者の一味に柴田勝家や筒井順慶、美濃三人衆が入ってたりする
これは毛利が追撃しなかった理由にはならないけど、情報戦でも毛利が秀吉に完敗してたことがよく分かる >>4
正確には
> 使用家は、特に土岐氏とその関係の一族や清和源氏流の氏族、加藤氏、脇坂氏などが用いた。
桔梗は土岐氏、明智氏、肥田氏、山城氏、沼田氏、加藤氏、
それに丸を加えた「丸に桔梗」は、妻木氏、岡氏 、沖村氏、
細身の花弁の「太田桔梗」・「丸に細桔梗」は太田道灌ら太田氏が用いた。
「土岐桔梗」は江戸時代に「桔梗」から派生したもので[3]、
おもに土岐氏、明智氏、肥田氏、瓜生氏が用いた。
船木氏や土田氏など土岐氏に関係する一族が「清明桔梗」を桔梗紋の代用として用いている[1]。
下級武士での使用例には、「組合い角に桔梗」の坂本龍馬が知られる。
龍馬ら坂本家は、明智光秀の娘婿であった明智光春の子、明智太郎五郎を先祖としていることから用いている
メジャーだしね >>244
そもそも毛利にとっては防衛戦だったし
京都で異変があって秀吉軍が兵を退くというのであれば
追撃する必要もないだろうし >>225
NHKの歴史探偵で当時の日記とかで天候を調べ
現代で同じような天候が推移した時を調べたところ
半分は雨だったみたいね
あと秀吉は寝返りで瀬戸内海の制海権を握っていたとか
信長が来るときのための陣地をあちこちに作って物資はそこにあったとか
いろいろ面白かった >>268
その話孔明が辻でやってたな
秀吉の軍が通るから食事から馬やら武具やら全てを差出しなさいとか山田一豊の奥さんの千代が言ってたな
こういう気遣いが後々の開運になるとかで
この作品は大好きで今でも忘れもしない >>21
勝竜寺城は合戦場所から近いし
周りが開けてて追手に簡単に囲まれそう
逃げて正解じゃないかな >>273
そこは史料によるものではないから推察になるけど自分もそう思う
毛利としては秀吉の攻撃を凌ぎ切れさえすればそれで十分だし追撃の意思は元からなかったと思う
川角太閤記みたいな後世に編纂された二次史料だと
元春が追撃しようとするのを隆景が必死に押し留めたみたいな話があるけどそれは創作だしね >>259
メンツはさておき、信長ぶっ殺せるし畿内に敵は居ない絶好のチャンス
を逃さずモノにしたってだけの話だからなあ。その後も、畿内で防備を
固めておいて、絶対に共闘しないだろう秀吉や勝家を各個撃破出来れば
その他は家康も含めて雑魚ばかりだから何とかなる算段だったろう。
秀吉の常識はずれの進撃が無ければ案外うまくいってたかもね。 >>277
一次資料読んでるあなたのコメントは説得力あるね
歴史小説読みかじった程度の自分は
追撃を主張する元春、先見の明からそれを止める隆景、後年その恩に厚遇で応える秀吉という
ありふれたイメージだけ
でもその小説的イメージの方が面白いんよね
実は追撃する余裕なんてありませんでしたって
わかって残念つうかw >>271
じゃあ物資が十分にあれば毛利は追撃してたの?
それを示す資料はあんの >>280
何か勘違いしてるみたいだけど、自分は毛利が追撃したかったとは思ってないよ
これに関しては史料的根拠はないけど>>277でも述べた通り、あくまで羽柴軍の撃退が目的で毛利に追撃する意思は元々なかったと思ってるし
秀吉に対して恩を売るために追撃をしなかったと言う話題に対して、
その当時の毛利家中での状況を考えれば、仮に毛利が追撃したかったとしてもそれが出来る状況にはなかったと言ってるだけだ >>280
ないだろう
毛利にとっては防衛戦だし過剰な兵糧は無駄づかい
頑張って羽柴のケツつつくらいなら出来たかもだけど、恨み買うだけで効果は僅少と割に合わないことこの上ない いくら物資が欠乏してても実際に出陣して対峙してるわけだし、
秀吉との和睦では備後、美作、伯耆の三カ国を割譲してるけど、
目の前にある土地すら取り返せないほど弱体だったのか。 >>284
手に入れてその後どうするんだ?
織田の一軍団にすら勝てないのに。 >>285
つまり追撃するより恩を売る方がトクだからそうしたってことでしょ? >>43
司馬「エピソードはワイが全部こさえたった」w 光秀は持ってないヤツ。400年振りの名誉回復の機会だった大河も失敗策だったw
ボロクソ言われてたら青天の方が、出来はずっと良い ワイは山崎の合戦で明智方に加わった近江衆の一人の血筋だが正直なんで明智方についたのかわからん
信長公記にも出てくるしノブとも仲良かったのに
まあすぐ許されてヒデに仕える事になったからよかったけど >>282
陰で糸を引いてたのは実は松浦水軍らしいぞ
北条時宗で取り上げられてもメジャーになれなかったので
面白くなかったらしい >>17
秀吉は賤ヶ岳でも美濃大返しを決めてるから
得意技だったとしか言いようがない
vs光秀は高山右近ら摂津の諸将を取り込んで先鋒にすることが出来たが
賤ヶ岳なんて高速移動してきた軍でそのまま柴田軍を撃破してんだぜ 朝廷はよくすぐに光秀の近畿支配を認めたよね
前もって打ち合わせしてたんじゃないか もし中国大返しがほんとならずっと走り続けてヘトヘトな秀吉軍に戦い馴れた光秀があっさり負けるなんて考えづらいんだけどな
よほど人望なくて周囲から裏切られまくったとかじゃないとあまりにも無能すぎ >>295
実際問題の話として、秀吉の兵は使い物にならなくて
大阪に残ってた兵や丹羽や信孝の軍勢が主となって活躍
兵力も秀吉方のが多かったし >>295
本能寺の変から山崎の戦いまでの間、光秀軍は近江一円の信長の居城を落として回ってる
単純な移動距離は双方ともに大差ないよ。琵琶湖一周200km、中国大返し230km
秀吉が凄かったのは判断の速さ・適切さであって
行軍の速さは大袈裟に持ち上げる奴が多過ぎ >>295
与力衆は家臣じゃないからな
本隊からは裏切りはほとんど出てない >>295
やはりいくら当時だって、主君騙し討ちはイメージ悪いよね。100%勝つなら味方するのに
やぶさかではないが、秀吉のやり方上手かったからね。みんな出来れば敵討ちのほうにつきたいw
人数集まって勝ち目十分なのだから、光秀に味方する道理はないね >>297
秀吉は本能寺の変の後に信雄・信孝に宛てて「秀吉が粉骨砕身して光秀を討ち果たしたのをお二方はお忘れか!」
といった内容の書状を送りつけてる
信雄はともかく信孝は山崎合戦の総大将だし、秀吉軍が使い物にならず何の働きもなかったとしたら
流石にそんな上から目線の書状は送れないと思う 実際は秀吉軍が微妙だったとしても
そうじゃない感を出すのが上手いタイプがいるからな。
秀吉はとにかくコミュ力や既成事実化力が
高そうなイメージ。
ちょっと甘い顔してたら、あっという間に
追い抜くタイプ。 >>297
主力は丹羽や神戸より中川・高山・池田といった摂津衆じゃね
天王山側で激突した秀長、黒田、神子田勢と松田、並河勢の戦いは
明智方やや優勢のまま大勢に影響なしのイメージあるし
(天王山は全然天下分け目じゃない)
秀吉の兵は加藤除いてそんなに活躍してる印象ないな、確かに >>290
コロナにぶち当たったのもマジでもってない 光秀与力の摂津勢がことごとく秀吉についたんだから、いくら大返しの本隊が疲れていたところで
どうしょもねえわなw しかも織田信孝という大義名分もある。摂津勢の選択はまことに妥当w 落ち武者狩りに会って、光秀の首を持って農民が秀吉の所へ行った時に、
秀吉が、「余計なことを・・・」と言って落ち武者狩りをした農民を
皆殺しにした、という話を知って秀吉が好きになった。
史実なのかどうか知らんけど。 武功を取られた腹いせに全員斬首とかこのとき既に認知症だったか >>268
船は使ってる
ただ兵隊乗せて運んだのではなくて、
物資輸送を全部船に任せて軽装で槍とかそんなのなくて
打刀だけで移動したらしい
> 正三日限という最高ランクの飛脚を使うと、
江戸と大坂間の570kmをなんと丸二日で走破したというから驚きです。
ということなので、非武装で駆けていくとするなら時速20km程度なので間に合わないこともない
それに全員着く必要なくて、
先発隊だけでも「秀吉軍がもうきました!」だけで心理的には足止めくらう
逃げるか、決戦するが秀吉の三倍の兵力が必要になるから
数を正確に把握できるような状態じゃないしな
何が味方かわからんから >>309
新田義貞役を拝命し、ドラマヒット祈願でよりにもよって
鎌倉幕府討伐にあたり、
同じ源氏なので氏神神社に参拝せず、
平将門の弟の首を祀った祟り神社に祈願して
果たせるかな、病気で義貞降板になった根津甚八さんのでるよていだつ出る予定だった太平記の悪口はやめてください
800年前に義貞もそこで祈願した結果、
鎌倉幕府打倒と引き換えに命を取られたんですよ >>306
大阪の秀吉が味方に付けた将達は秀吉軍といえるから
そこはなんとも なぜ信長の首がなかったのか。そこだけなんよ。頭蓋骨くらいはあるだろう。 >>311
殺されたのは、賤ヶ岳で佐久間を捕らえた農民だな
光秀の時は、わからん >>37
活躍していたらしていたで「こんなに活躍できたはずがない。後世の創作ではないか」と言って聖徳太子みたいに教科書から削除されたんじゃないの 生き延びたので有名な光秀の家臣というと
可児才蔵とか木村吉清とか >>315
なわけない
元々四国方面軍として編成された部隊であくまで信孝と丹羽の部隊だよ
山崎で主力として先陣を務めた中川、高山らの摂津衆も当然秀吉軍ではない
彼らは秀吉に味方して戦ったと言うだけで秀吉軍ではない >>320
世の中なんてそんなもん
いつの時代でもあいつはもうオレの部下なんだよとか言うヤツいるだろ
厚顔無恥なやつ。世の中そんなに綺麗に出来てないんだよ まあ四国方面軍は信長死すの一報で仲間割れ始めて分裂四散状態
山崎の戦いでろくに貢献できなかったというのが定説だけな >>316
髑髏だけあっても複顔の技術がないと意味ない
おそらく信長の死体は見つかってたと思う、寝間着に焼け焦げで判別できなくて首級としてあげられる状態でなかっただけで
逆にいえばこの時点で謀反は失敗信長の勝ち
ただの暴発なら兎に角、権力奪取のためには信長の死の証明か追い詰めて権力委譲の儀式は不可欠だったわけで >>323
朝廷は光秀に新たな支配者の認定出してるし、儀式/手続きの上では成功してるよ
現実は秀吉らに実力でぶっ殺されたわけだが、ここの部分は信長の死亡が確認されてようが大差ない
信長の首見せつけたら秀吉が平伏するかってそんなことないわけで
どっちにつくか半々だった武将の挙動が微妙に変わるくらいの差 本能寺の変のスレ
ってかこのスレは山崎の戦のスレか。天王山ですなあ。
ま、それはいいんだけど、スレでは皆が本能寺の話をしているから
>1の話題ではなく例によってその話をするがw
本能寺のミステリーねえ。なんで光秀謀叛? ってあれね。
これさあ、まあウリもいつも言うんだけどさ。
普通にフラグが立ったから、でいいと思うんだけど
その前段の話として、信長公ってさ、普通に嫌われていたんだろうねw
あの、なんかね、信長公って魅力があったかのように描写されがちだが
その割には本能寺に限らず裏切られまくりの人生なんだよね。
まあ後背常ならぬ下克上の乱世とはいえ、ちょっとないだろう、みたいな。
もうそうそうに母やら弟から宿老(林、柴田)から裏切られてるしさ。
本人も本家守護代とか尾張守護とかそういう既存序列を
スルーしている裏切りぶりだしさw ベットレイな話なんだよ。
従来これは信長公の革新性に保守的な臣下マジョリティーが
ついていけなかったと解釈されているけど、どうかなあとは思うよね。
そのひとつ傍証が信長公亡き後の織田家の存在感のなさだよね。
ロイヤリティーがないんだよな。それも下克上だけどさ。 >>325
カタカナ語でマウントとりたくて仕方がないコンプ塗れ爺さんの書き込みだなあw
もっともお前、日本語でもやらかすけどな。
現におまえ「須らく」を「全て」のカッコイイ表現だと思って眼鏡をクイックイッさせながら何十年使い続けたのに、
誰もこっそり指摘してくれなかったろ?
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1598616243/753
>ヘタレだと思われたらそりゃ政権運営とか支持基盤とか
>スベカラク、ダメポになるわけでね。
文化庁のHPより
https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_07/series_10/series_10.html
国民の半数は正しい意味を知っているんだよ。お前は知らないがな
典型的な似非インテリwwww
女性はみんなお前の事を陰で馬鹿にしていたと思うぞ「頭スベカラクくん」とかいってさw
まあ「ズベカラク君」とか「ハゲカラク君」かもしれんがね。
そらまあ絶対女性には好かれんし、ナニを猫にしゃぶってもらう素人童貞になるのもむべなるかな(wお前の真似) 『麒麟が来る』をしっかり見てたはずなのに、
けっきょく明智左馬助と斎藤利三くらいしか覚えられない…(;´・ω・) 麒麟は明智家中がほぼ描かれなかったから無理ないw 主人公の家中があんな描かれなかった
戦国大河ってある?w 知名度低いのは出しにくいのかな
秀吉の家臣団、浅野一族や半兵衛、小六、虎に市松、三成は当然出てて
前野長泰や小西行長、宮田喜八あたりも記憶にあるけど
尾藤知宣とか神子田正治とかまず出てこない
末路が悲惨ってのもありそうだけど 知名度低い主人公でもいいんだけど
NHKの大河脚本が主人公に興味ないの丸出しで明後日の方向の話書くところがダメ
戦国の漫画だとこんなこと起こらないから完全に製作陣の質が悪い >>330 あれは家臣じゃなくて本人だろ。(´・ω・`) 光秀所縁の寺の称念寺に行ってきたわけだけども
称念寺は新田義貞の墓所のある寺でもあるんだよね
称念寺門前に10年間移住して、武家の子弟に学問を教えていたという伝説がある 称念寺に行ったのは、黒髪伝説を歌ったCDを無償でいただけるということだったから
このCDに入った歌謡曲については語らないでおこう。遥美沙月さんという歌手の歌う歌謡曲だった 信長フアンとしては愚将光秀を八つ裂きにしてやりたい >>17
秀吉自身は備中高松じゃなくて備前福岡にいたという説があると言うのを聞いたことがある 戦国をリセットした男、光秀だよな。全国が覇王信長のセンで生き残り調整に入っていたのに
ちゃぶ台全部ひっくり返したw 長宗我部や上杉は喜んだだろうがね やはりクズのトップの下部もまたクズだった。それも世紀のクズ。 >>337
まあ自身がどこにいたかはあんま問題じゃないだよね
一人だけで馬飛ばしても畿内に戻ってくるなんて余裕だし、伝令は実際にそうやってるわけで
大返しのポイントは何万の軍勢を移動させて、その後の戦で勝ったところにあるわけで >>336光秀、単なるキチガイ、てんかんもち、精神病だからな。
浅野内匠頭、大石内蔵助もそう。 >>306
結局は信長が直属家臣達に軍事力を与えすぎたのが裏目に出たんだよね
謀反を恐れたのか後継の信忠以外の一族には強力な軍団を編成させなかった
実績作りの為か信孝に四国方面軍を任せるも時すでに遅し
織田一門序列三位の信包ですら清須会議に参加出来なかったのがいい例 >>342
単に息子たちが若過ぎるだけ
本能寺時点で信忠(26歳)、信雄(25歳)、信孝(24歳)
信雄は天正伊賀の乱で敗戦してるので一回休みの状態だし
もっと早くから権力の委譲をなんて言うような状況ではない >>38
光秀「目が覚めたら、ここは平安時代!?」
逸勢「おい空海急げよ、遣唐使船が出ちまうぞ」
光秀「お、おう?」
・
・
・
空海「俺が乗ってないのに船が出て行く!?」 >>343
いや年齢は関係ないんよ
経験不足は実績のある家臣を配下に付ければいいだけで他の戦国大名は皆そうしている
信長の若かりし頃に信之の謀反があり、更に後年一向一揆などで弟が三名討ち死にしたりと
信長としては一族には死んでほしくはないが力を持ちすぎても困るといった複雑な心情
結果信忠以外の一門については生かさず殺さずの扱い >>345
ビールのCM
>>346
光秀のキャラだと金地院崇伝の方があうな >>345
与作は木を切る〜ヘイヘイホ〜ヘイヘイホ〜 >>78
家康じゃないけど、主家を3回裏切って3回とも許されて帰参した武将がいたな
シナチョンで言うなら、孔明だって孟獲を何度も許してるし >>352
せめてwikiでどんな人かくらいは確認してくれw >>352
琵琶湖渡りの左馬助がパチ者とは
お主も中々言うではないか >>4
俺んちの家紋は忠臣蔵で有名な播州赤穂浅野家と同じ家紋
つまり俺は浅野内匠頭の子孫w まぁ、保身だろうな
実際、あのままだったら、毛利滅ぼしたぐらいでお役ごめんだったろ
九州とか馬鹿愚息どもに三流の将をつけとくだけでも苦戦もせんだろうし >>20
秀吉は信長は、生きているという情報を、流して光秀につこうとしている武将たちを撹乱してたからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています