【朝日新聞】沖縄特攻に向かう戦艦大和の艦長室から降ろされた日本画「戦艦大和守護神」 京都で公開中 [みの★]
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太平洋戦争末期、沖縄海上特攻の途上で沈没した戦艦大和。艦長室の「守護神」だったが出撃直前に運び出され、難を逃れた一枚の絵がこの夏、京都で公開されている。
描かれているのは、奈良県にある大和(おおやまと)神社の神殿。墨の線だけで描く白描は東洋画の伝統技法だが、戦時下で貴重な絵の具を節約したい事情もあったのかと想像させる。戦艦大和の建造計画が極秘で進むなか、海軍は大和神社の分霊をまつろうと奈良県に発注。県の依頼を受け制作した日本画家・堂本印象も、真の意味は知らなかったようだ。
…続きはソースで。
https://www.asahi.com/articles/ASP6G4HZSP69PTFC00Q.html
2021年6月16日 16時00分 >>1
それ降ろしたから沈没したんじゃね?
積んでれば勝ってたかも! >>503
いや、アメリカのほうでも体当たり特攻を英雄的行為と捉える傾向強いんだが
特に戦況不利だった戦争序盤とか、普通に撃墜されて戦死したパイロットに
「日本戦艦〇〇へ体当たりして戦死!」とか、捏造ストーリーを後付けして士気を鼓舞してたんだぜ
F/A-18に乗ってエイリアンの母船に特攻かます某愛国ハリウッド映画のラストシーンは有名だろ
あのシーンは日本人が見ても「親父かっけえな」がコモンセンスだろうし、メンタルは大差ねぇわな 大和はレイテ沖海戦で港に突入し、
砲弾が無くなるまで主砲を撃ちまくってから沈没するべき船だろ 有効活用できる最後のチャンスは
ガダルカナル争奪戦で霧島比叡と一緒に砲撃に参加だったな よく、レイテ沖からの反転を謎の反転とされるが
謎ではない。当時は、栗田は不期遭遇戦のサマール沖で米正規空母を
三隻撃沈したと信じていた。それで復命に足りる戦果と考えて
敵前逃亡を図ったのが真実。艦隊速力が25ノットしかでない
第二艦隊で艦隊速力が32ノットの米正規空母機動豚を捕捉できる
なんかは小学生でも分かる筈。
大和に使い道があったのはレイテ突入の場面しかなかった。
結局、太平洋開戦まえに、日露戦争前の山本権兵衛のような
首脳がいなく、適材適所の人事が行えなかったのが大敗北の
原因。南雲の様な水雷専門の人間を機動部隊の長官にしたのは
その典型。最も、山本権兵衛だったら、日米開戦に大反対しただろうが。 もう無理だと判断して神様は置いていったんやね…(´・ω・`) >>503
十死零生の作戦に行かされた特攻隊員を犬死にとは誰も言っていない。
批判の対象は特攻隊を結成し死地に向かわせた陸海軍上層部。
連中の大半は特攻を美化しつつ戦後余生を充分に楽しみ多くの若者を
死に追いやった責任を決して取ろうとはしなかった。
>>507
B-17の機長コリン・ケリー大尉は集ってくる多数の零戦をバタバタ落としな
がら奮戦したが遂に被弾し火を噴く機体を操って戦艦ヒラヌマに体当たり
これを撃沈せり!
大尉には議会名誉勲章を授与するとともに子息には無条件でアナポリス
に迎え入れることとする。
自発的な体当たりは称えられるが命令ではなあ。
【問】キムチ臭いのが「責任を決して取ろうとはしなかった」らしいけど(笑
【答】土人は平然と嘘を付きます。良い例ですので忘れないようにしましょう
■陸軍特攻の責任者⇒阿南陸軍大臣⇒終戦前自決
■陸軍特攻開始時の責任者⇒杉山元陸軍大臣・参謀総長⇒終戦後自決
■神風特攻の発案者⇒大西中将⇒終戦直後自決
■特攻開始時の軍令部次長⇒伊藤中将⇒大和特攻で戦死
■沖縄海軍特攻の主力部隊の司令官⇒宇垣中将⇒特攻で死亡(終戦後の為戦死ではない)
■人間魚雷回天の発案者⇒黒木大尉・仁科中尉⇒黒木大尉は回天訓練中事故死、仁科中尉は回天特攻で戦死
■桜花部隊・神雷部隊司令官⇒岡村大佐⇒終戦後鉄道自殺 御神体を降ろしたからご利益なく沈んだというのは穿った見方だが、
ドイツの戦艦ビスマルクに、鉄血宰相ビスマルクゆかりの品が飾られたが、ヒトラー総裁
が視察に来艦したときに艦長が「貴重な品が万一本艦の沈没で失われるのはいかがなものか」と
懸念を表明したところ、しばし沈黙したヒトラーが「本艦のような立派な艦が沈むような
ことがあれば、一緒に沈んだとしても仕方ない」と語ってそのままになったという話を
何かで聞いたような。 エアコン完備、食事は24時間可能、ラムネ飲み放題、散髪屋はおろか、病院、歯医者もあった。
大和ホテルと言われるだけあったわな。 そりゃ三千人近い人がいたんやから、一つの町みたいなもんやったやろな。 >>333
日本軍は一度成功した作戦に固執する、ハワイで戦力分散陽動奇襲作戦が成功したからミッドウェーでも同じ作戦を実行した、だから勝てた、とアメリカが言ってるんだよな 戦艦大和は俺も大好きだけど
空母と飛行機の時代にこんな大型戦艦作ろうとした時点で敗戦だわな
まあ反対した奴もいたと思うけど >>520
航空機時代に入ったことが実戦を通じて証明されたのは、
戦艦大和が建造された少し後のことだからね。 >>520
造った時点ではまだ戦艦の時代だったからな ミッドウェー海戦の生き残り兵も山本長官は愚将と言っている。
なぜなら海軍の雌雄を決する戦いなら司令官レベルは前線に出て来て指揮を取らねばならない。
後方の安全な場所で将棋を指してる場合ではない。
南洋諸島で武器弾薬も無く餓死寸前で大和魂だけで戦った一般兵卒
一方、本土の料亭で酒飲んで芸者遊びに興じてた軍上層部
小室問題やコロナ過の政治家の行動を見ると、上級国民は戦後も何も変わっていない。 >>523
連合艦隊司令長官がいちいち個別の戦闘を前線で指揮できないから南雲がやってんだろ >>521,522
空母があの時代のとりあえずの完成形が出来上がったのも、ようやく開戦直前だよね。んで開戦して飛行機ってけっこう役に立つじゃん、戦艦は米艦隊との決戦に備えて大事にしなくちゃってやってたらいつの間にか双方航空機が主力になっちゃったと言うような感じか >>499
大和の沖縄突入作戦を聞いた沖縄の陸軍司令部からは「制空権も制海権もないところに突っ込んできても無駄死にだ」と
大和特攻の中止を進言する無電を本土に送ったが、陸軍側では受信したのに何故か海軍には渡らなかったという 沖縄の陸軍だって長参謀長を筆頭に、綿密な防衛計画を立てて臨んでいるさなか
大和が沈まずに沖縄本島の浜に乗り上げたとなれば、さすがに見捨てるわけにも
いかず、数が限られている守備隊から人数を割かなければならない
どうせ傾斜が大きいとかで主砲なんて撃てないのだろうし、陸戦の初心者が
2000人くらい来たからと言って、どれほどの役に立つのか
面倒事が増える、位にしか見えなかったのではないのだろうか 今は大和の建造を批判する意見多いけど、当時としては仕方なかったんじゃね
海戦の戦法を変えてしまったのは皮肉にも日本海軍の空母機動部隊でしょ >>519
紀元節反攻、天長節反攻とか敵に容易に作戦実施日を予測させたりも
してたからなあ。 >>531
月刊正規空母
週間護衛空母
日刊リバティ船 ペリリュー島は少数だが逆上陸で援軍送ってめちゃくちゃ士気が上がったってな
60km伝令で泳いで海を渡ったり 303 ニューノーマルの名無しさん 2021/06/22(火) 00:41:28.26 ID:6xvQban/0
>> 286
無知すぎる
半島の亀甲船の技術が後年
日本海軍の戦艦大和の注水区画に採用されたんだが
330 ニューノーマルの名無しさん 2021/06/22(火) 00:54:06.25 ID:6xvQban/0
>> 322
東郷「兵」八郎がもっとも尊敬して
日本海海戦が始まる直前にお助け下さいと祈った相手だぞ
345 ニューノーマルの名無しさん 2021/06/22(火) 00:59:53.17 ID:6xvQban/0
>> 332
いや日本こそ軍船と呼べる軍船なんてなかった
倭寇みたいな海賊風情のレベルの船しかない海軍弱小国だから
小賢しい夜襲で馬の生首を投げ込む程度しかできなかったわけだし
まともに昼間に海戦したらそんな小船はハリネズミに射矢られてた
366 ニューノーマルの名無しさん 2021/06/22(火) 01:13:05.29 ID:6xvQban/0
半島の艦船技術と航海技術は日本が及ぶ所ではないよ
日本人がまだカヌーかイカダくらいのレベルの時から
日本海を渡り半島から列島にやって来てイチから10まで文化を伝えたこと思い出せ
逆に日本はそこから1000年経っても日本海を渡って半島や大陸に行くのは
賭けだくらいの糞レベルだった >>530
>陸戦の初心者が
2000人くらい来たからと言って、どれほどの役に立つのか
沖縄防衛兵力の約3割が現地招集の一般人だぞ
その中には15歳前後の少年まで含まれてる
三十二軍の「綿密な防衛計画」はすでにそういったド素人の民間人を万単位で組み込むほどに逼迫してたというのが揺るがぬ事実
沖縄の村々から青年がいなくなるほどの根こそぎ動員だった
そんな中で正規軍人2000人の増援が迷惑なわけがないだろ 小銃すら持ってないようなのが
正規軍人でござい、と何千人も出てきてメシ食いだしたら迷惑だろ 沖縄戦で必要なのは大和突撃でなく、大和などの大型艦艇をさっさと北海道や樺太へ追い出すことだった
長門 横須賀(そのまま)
大和 室蘭
伊勢 塔路
日向 真岡
榛名 羅津
そうすることによって燃料消費を最小限に抑え込むことが可能となり、潜水艦や対潜護衛艦艇、そして貨物船を多く動かすことができる
しかも、ソ連が攻め入りそうなところへ戦艦を配置しているため、ソ連がそれらの地域に対して侵攻を躊躇する >>538
兵に小銃・弾薬はもちろん現地での買い付け用の現金に生理用品などの
日用品も搭載していましたが? >>538
もう一度言うぞ
三十二軍は一般の沖縄県民(未成年者も千人単位で含む)を万単位で招集して防衛作戦に組み込んでる
正規の海軍軍人が、戦闘において一般人の子供よりも役に立たない、足手まといだという根拠を示せ >>530
>どうせ傾斜が大きいとかで主砲なんて撃てないのだろうし
ほぼ水平状態で海岸に乗り上げないと艦の傾斜で揚弾装置などが使えなくなるのと
仮に座礁に成功してもそれまでの空襲や砲撃戦をくぐり抜けて電気系統が生きていないと射撃も揚弾も出来ないので
その案は当時から疑問視されていた 日本兵がいくら来ても鬼畜になるだけ、壕の中で子供の食料を奪い聞き分けのない子供
が食料を奪い返そうとすると虐殺、女性たちは日本兵を知ってるから無抵抗。
アメリカ兵の呼びかけで逃げる住民は銃撃された、アメリカ兵は各地の住民を救助し
医療食料を与え約30万人が収容所に保護された。戦後も日本兵達は強盗虐殺をした
住民の山狩りでアメリカ軍収容所に逃げ込んだ日本兵もいた >>543
今日だけはアホなネトウヨはほっといて全ての犠牲者、特に未来を奪われた子供達に祈ろうや。 >>532
>海戦の戦法を変えてしまったのは皮肉にも日本海軍
それはない
米海軍で変わったのは空母の運用法だけ
後半には防空輪形陣に戦艦を入れるなど表面的に格下げにも見える扱いはあった(IJNも同じ)が
レイテや菊水の迎撃に戦艦部隊を編成するという保守性を維持していた
変わった原因は日英が落ちぶれて海洋覇権国家が米国だけになったこと >>496
オランダのヴァン・ガレン級駆逐艦とかアメリカのフレッチャー級駆逐艦の一部とか日本の桃型駆逐艦樫とか
駆逐艦に航空機(水上機)搭載は試みられたけど、駆逐艦の小さな船体では動揺を抑えられず、マトモに運用できないという結論にはった >>431
なこたあねえ
ミドウェーでの過誤は>>468も含めて
少なくとも5つ、場合によって10はあるな
そのことごとくで悪手を出して
負けるはずの無い戦いに負けた
愚かの極みだ >>546
10機程度を持ち歩く小さな空母が神出鬼没だったら素晴らしいと思ったんだがなぁw ミッドウェーでこうしたら勝てたって論てけっこう見かける。あの作戦成功したら結果が大きく変わるってのよく見かけるけど、あの頃の機動部隊の酷使状態やアメリカの生産体制や乗組員の人命保護からくる練度向上から考えたら、いずれ同じような失敗しでかして結局は同じような結末を迎えたんじゃないのかって思う。 >>549
日本側は神がかり的な大勝利を続けない限り勝ち目はなくて
アメリカは都合がよくなったら勝負に行けばいい、って無理ゲーだわな >>548
雷撃にしろ爆撃にしろ命中率が低いから10機程度だと効果はほとんど上がらない
最盛期は日本でも数百機、アメリカだと1000機を出撃させて爆弾を投下させるから効果が出る空母集中打撃群
薄く広く数多くならドイツのUボートだが >>549
そもそも、海軍乙事件でミッドウェー海戦前に暗号がバレて日本の作戦内容が全てバレていたからミッドウェー海戦に勝った位ではどうにもならなかったね
山本五十六はミッドウェー海戦に勝てばアメリカが講和の席に着くのを期待していたらしいけど、海軍乙事件のせいでその可能性も消えていたし >>553
海軍乙事件(かいぐんおつじけん)とは、大東亜戦争中の1944年(昭和19年)3月31日、連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の遭難により〜 >>553
ネタなんだろうからマジレスは野暮だが
海軍甲事件 山本長官機襲撃(昭和18年4月)
海軍乙事件 古賀長官殉職、福留参謀長機密文章漏洩(昭和19年3月)
ーマリアナやレイテ作戦に関する作戦書が米軍に渡ったとされる
昭和17年6月のミッドウェー海戦と乙事件は何の関係もないよ
ミッドウェー作戦時の日本側暗号の解読はアメリカ海軍情報部のレイトン中佐や
ロシュフォート少佐らのHYPO(戦闘情報班:在ハワイ)の地道な努力によるものだよ >>423
大村にいた343空って長崎原爆の時、山にピクニックにいってたんだよね(宮崎勇氏の本によると)
待機組もいただろうけど343空の性格上敵大部隊じゃないと出動しなさそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています