「国民は出来ない子」前提の“リスクコミュニケーション”は、もう心に届かない 度重なる緊急事態宣言で考える
山口真由 信州大学特任教授
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84508

(略)

■立て続けに送られてくるビックリマーク(略)
■テンションMAXのリスクコミュニケーション(略)
■背後にある国民を「出来の悪い子」と扱う雰囲気

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「コロナに慣れないでください」と、中川会長が呼びかける。いや、あなたはメールの送信者だからわからないでしょうけど、受け取る側を想像してみて。私たちの受信フォルダ内で、あなたからのメッセージはすべて「!」付きで並んでいる。そうなると、今度はそれが標準になるんだから。

どうしてこうなったのか? ニュージーランドのアンダーソン首相やドイツのメルケル首相とのコミュニケーション能力の差を強調して、「女性のリーダーシップ」を持ち上げる論調もある。だが、いくらこのコラムがジェンダー論だからってそんな安易な結論はないだろうよ。

小池百合子都知事が2021年5月12日の会見で「若いから大丈夫、というのではない」と言い、その理由として40代女性が死亡した例を挙げたときに、私は悟ったのだ。あぁ、なるほど、そうなんだと。政治家も、専門家も、そして私たちマスメディアに関わる人間も、「最悪のシナリオ」を脅迫材料として使っている。そして、その背後にあるのは国民を「出来の悪い子」と扱う考え方なのだろうと。

私はお子さんの勉強を見ることがある。ニワトリが先かタマゴが先かは知らないが、成績のよくない子の親御さんは、だいたいがなる。「いま、お勉強しないとひどいことになるわよ!」。怯えた子どもは最初は頑張ってみせる。でもね「ひどいこと」という抽象的な恐怖によって子どもをそう長く走らせることはできない。

「もっとひどいことになるわよ」。「もっともっともーっとひどいことになるんだから」。ヒステリックに叫び続ける母親を子どもは冷めた目で聞き流すようになる。「はいはい、ママ、わかりました。で、ちょっと出かけてくるねー」。

成績の良い子の親御さんは、そんなことはしない。取りうる選択肢を可能性に従って諄々と説く。「あなたがいまお勉強した場合、将来あなたがなれる職業の選択肢ってこのくらい広がるのよ。で、あなたがお勉強しない場合、うーん、それだとこれとこれにはなれないかもね」と。

それでね、抽象的な恐怖で子どもを脅そうとした親御さんと子どもの間には不信感だけが残るのだ。本来起こる可能性が極めて低いことを、あたかも今すぐ起こるかのようにしてしゃべる。そのうち、子どもも気づく。「あぁ、この人はいつも話を盛る。つまりはこの人の言うことは8掛けか、場合によっては話半分に聞くのがちょうどいい。恐怖を煽らない限り何もしないやつだと、そういうふうに僕のこと観てるんだな」って。

私たちは、いま、おそらく同じような意味で政府のメッセージを信用しなくなっている。40代の死亡を例にとって若者に行動の自粛を呼びかけるのは間違っていると、私は思う。起こる可能性の低い「最悪のシナリオ」を、あたかもあなたの身にも起こりうることであるかのようにして、国民を脅しているからだ。

そして、その背後に国民がバカだという、そして出来ない子だという前提が透けて見えるからだ。ミクロな死亡事例から「だからみんな自粛」というマクロな結論にぶっ飛ぶ、その飛躍が見逃されるほど、私たちのレベルは低く見積もられているのか。加えて、若者は脅かさないと遊びまわるんだ、このくらい大げさにけしかけて、ようやく期待した成果が得られるんだと、そういう心が見抜かれないとでも思ったか。

そして、私たちは急速に冷めていく。どれだけの音量でどれだけ刺激的な言葉を重ねられても、言葉はもはや心を素通りする。

ねぇ叫ぶのはやめてほしい。ふつうの声で起こりうる出来事をその可能性に従って分かりやすく整理してほしい。私たちがいま欲しているのは、ミクロな事例とマクロな結論の間にある、今わかる限りで正確なミディアムの統計だろう。分からないことは分からないと言ってくれればいい。私たちは愚かで情報が足りないから正しい行動をしていないんじゃない。むしろ逆。情報は過多なのだ。そしてそれぞれが集積した情報に従って合理的に行動している。だからそのための材料を欲している。

そして、おそらく媒介となるマスメディアも、その政府や専門家の発表を右左から切り取ったポジショントークは置いておくべきだろう。可能な限り真っ直ぐに受け取ったメッセージを、必要に応じて分かりやすく補足して国民へと届ける。

“できない”じゃなくて、“できる”を前提としたコミュニケーションに切り替えていくべき時期なんじゃないか。